出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル130(2019年2月1日~2月28日)

 19年1月の書籍雑誌推定販売金額は871億円で、前年比6.3%減。
 書籍は492億円で、同4.8%減。
 雑誌は378億円で、同8.2%減。その内訳は月刊誌が297億円で、同7.6%減、週刊誌は81億円で、同10.2%減。
 18年12月の、2年1ヵ月ぶりのプラスである同1.8%増の反動のように、19年1月は17年の6.9%、18年の5.7%という通年マイナスの数字へと逆戻りするスタートとなってしまった。
 返品率は書籍が35.6%、雑誌は47.4%で、月刊誌が49.3%、週刊誌は39.3%。
 雑誌の返品率は18年5月の48.6%に次ぐもので、月刊誌のほうはコミックの販売金額7%増がなかったならば、50%を超えていたであろう。
 またそれに週刊誌の落ち込を重ねると、19年も雑誌の凋落が続いていくことは確実で、かつてない書店市場の激減に立ち合うことになるとも考えられる。
 そのようにして、19年が始まっているのである。


1.出版科学研究所による18年度の電子出版市場販売金額を示す。

■電子出版市場規模(単位:億円)
20142015201620172018前年比
(%)
電子コミック8821,1491,4601,7111,965114.8
電子書籍192228258290321110.7
電子雑誌7012519121419390.2
合計1,1441,5021,9092,2152,479111.9

 18年度の電子出版市場規模は2479億円で、前年比11.9%増。
 それらの内訳は電子コミックが1965億円、前年比14.8%増で、その占有率は79.3%に及び、来年は確実に売上とシェアは2000億円、80%を超えるであろう。
 それに対して、電子雑誌は193億円、前年比9.8%減で、200億円を割り、シェアは7.8%となった。
 要するに日本の電子出版市場は電子コミック市場と見なしていいし、電子雑誌は初めてのマイナスで、「dマガジン」の会員数が2年連続して減少したことが影響している。それらを考えれば、電子出版市場の成長もあと数年しか続かないかもしれない。
 18年の紙と電子を合わせた出版市場は1兆5400億円で、前年比3.2%減、電子出版市場の成長が止まれば、合体の出版物市場もさらなるマイナスへと追いやられていくだろう。



2.アルメディアによる18年の書店出店・閉店数が出された。

■2018年 年間出店・閉店状況(面積:坪)
◆新規店◆閉店
店数総面積平均面積店数総面積平均面積
11300300726,41490
2428471818,412106
3142,940210937,32982
4163,292206383,08593
51120120545,15999
671,259180473,45280
7102,118212595,948106
81107107555,876109
981,757220444,804117
104582146402,96774
11113,777343421,97952
1273,696528391,82952
合計8420,23224166457,25491
前年実績16534,69221065861,793101
増減率(%)▲49.1▲41.714.60.9▲7.3▲10.3

 出店84店に対して、閉店は664店である。
 17年の出店は165店だったから、ほぼ半減となり、閉店は高止まりの横ばいだったので、実質的に書店坪数は3万7000坪の減少となった。
 本クロニクル118において、13年から続いてきた出店と閉店のフラットな数字の反復は、18年に入ると疑わしいと既述したが、ついに出店は100店を割りこむ段階に入り、それでいて閉店は変わらず続いているという最悪の書店状況を迎えている。
 しかもそれが19年も続いていくだろうし、そうしたプロセスに立ち会うことになる取次は、どのような事態に追いやられていくのだろうか。
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3.2と同じく、アルメディアによる取次別新規書店数と新規書店売場面積上位店を示す。

■2018年 取次別新規書店数 (面積:坪、占有率:%)
取次会社カウント増減(%)出店面積増減(%)平均面積増減(%)占有率増減
(ポイント)
日販48▲41.515,790▲26.532925.678.016.1
トーハン26▲65.33,722▲68.8143▲10.118.4▲15.9
大阪屋栗田4▲20.0528▲56.4132▲45.52.6▲0.9
中央社3200.010088.733▲37.70.50.3
その他350.092178.83182.40.0▲0.1
合計84▲49.120,232▲41.724114.8100.0
                           (カウント:売場面積を公表した書店数)


■2018年 新規店売場面積上位店
順位 店名所在地
1江別 蔦屋書店江別市
2高知 蔦屋書店高知市
3蔦屋書店龍ヶ崎店龍ヶ崎市
4フタバ図書ジアウトレット広島店広島市
5TSUTAYA BOOK STORE岡山駅前店岡山市
6TSUTAYA東福原店米子市
7ブックスミスミ日向店日向市
8TSUTAYA BOOK STORE Oh!Me大津テラス店大津市
9TSUTAYA大崎古川店大崎市
10ブックス・モア本荘店由利本荘市

 取次別の新規書店数を見ると、日販が48店、1万5790坪に及び、全体の半分以上を占め、売場面積シェアも78%に達している。
 しかも売場面積上位店からわかるように、大半がTSUTAYAの大型店であり、これも本クロニクル116で指摘してきたように、16年から続いていて、異常な出店状況だというしかない。
 しかしこのような出版状況が19年も続いていくとは考えられない。それを支えてきた日販の体力が落ちこんできているのは明らかだし、MPDにしても、それは同様である。すでに今期決算も近づいているし、文教堂問題も予断を許さない状況下に置かれている。取次にとっては薄氷を踏むような事態の中にあると推測される。
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4.19年1月のTSUTAYAの閉店と坪数を挙げておく。

■2019年1月TSUTAYA閉店名と売場面積
店名売場面積(坪)
フジワTSUTAYA国分店120
TSUTAYA高須店170
TSUTAYA府中駅前店280
蔦屋フジグラン四万十270
TSUTAYA JR野田店240
TSUTAYA砥部店280
TSUTAYA上尾原市店280
TSUTAYAフジグラン十川店200
TSUTAYA宇都宮鶴田店270
TSUTAYA仁戸名店400
TSUTAYA祖師谷大蔵店166
TSUTAYA上尾駅前店240

 1月の閉店数は83店で、そのうちの12店がTSUTAYAと蔦屋で占められているわけだから、でふれた出店の異常さは、閉店も同様であることをあからさまに伝えていよう。
 前回の本クロニクルで、18年の81店というTSUTAYAの全国的な大量閉店にふれ、さらに19年が大型店も含め、それ以上の本格的な閉店ラッシュに見舞われるのではないかと予測しておいた。何とすでに1月だけで、2916坪のマイナスが生じたのである。それはの売場面積上位3店の合計売場面積に相当するものだ。
 この1月のTSUTAYA閉店状況を見ると、まさにそのように進んでいくと考えるしかない。



5.『朝日新聞』(2/4)が各社の「ポイントカードなど個人情報を扱う各社の対応例」表を添え、CCCの「Tカード」が会員の知らないままに個人情報を捜査当局に任意提供していたことに言及している。

 おそらくTSUTAYAの大量閉店も「Tカード」の行方とリンクしているのだろうし、それは本クロニクル128でもふれたばかりだ。ファミリーマートのTポイント離脱に、ドトールも続いている。
 その他にも動画配信サービス「TSUTAYA TV」の全作品見放題宣伝は虚偽で、景品表示法違反に当たるとして、消費者庁はTSUTAYAに課徴金1億円の納付命令を出している。
 また一方で、ネット証券のSBI証券がTポイントで株式投資ができるSBIネオモバイバル証券を、CCCグループと資本業務提携して設立。早期に50万口座の獲得をめざすという。これらに関してはいずれ『FACTA』などが内幕をレポートしてくれるだろう。
 なお本クロニクル121でもCCCによるフェイスブックへの個人情報の提供などに言及しているので、ツタヤ図書館との関係もあり、ぜひ参照してほしい。
 それから『出版ニュース』(2/下)にも田井郁久雄「マスコミの図書館報道を検証する」が掲載されていることを付記しておく。

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6.もう少し4の1月の書店閉店に関して続けてみる。
 TSUTAYA以外に、複数の閉店がある書店とその数を示す。
 天牛堺書店11、ヴィレヴァン4、宮脇書店3、文教堂2、WonderGOO 2、福家書店2、夢屋書店2となっている。

 天牛堺書店と福家書店は本クロニクル129,128でレポートしておいたように、破産に伴う閉店、ヴィレヴァンも18年に続く閉店ラッシュ、宮脇書店はフランチャイズシステムの限界、文教堂はこれも前回の本クロニクルでふれたとおりの延長線上にある。
 だがWonderGOO の場合は本クロニクル127などで取り上げてきたように、少し入り組んでいて、これもTSUTAYAのFCだから、その閉店と関係があるだろうし、親会社のRIZAPの動向も反映されていよう。
 後者については『週刊東洋経済』(2/2)が深層レポート「RIZAP役員大幅削減の真相」を掲載している。それによれば、ワンダーコーポレーションの内藤雅也会長兼社長は元大創専務だが、「ワンダーを本格的にこう変えていこうというビジョンも戦略」もなく、「経営者としての資質には疑問符がつく」とされている。赤字とはいえ、ワンダーは売上高700億円に及び、RIZAP中核企業で、再建の失敗は許されない状況にあることは間違いない。
 書店閉店状況は、より深刻化する出版危機を照らし出す鏡のようにして、出版業界の現在を虚飾なく映し出しているといえよう。
週刊東洋経済

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7.トーハンの「機構改革」「役員人事」「人事異動」の「お知らせ」が届いた。

 「機構改革」や「役員人事」からうかがえるのは、明らかにポスト書店を迎える中での取次のサバイバルの行方ということになるだろう。書店と出版物販売に関してはリストラ、不動産事業とそれにまつわる新たな業態の開発などに向っていることが伝わってくる。
 そのことを象徴するかのように、トーハンの月刊広報誌『書店経営』が3月で休刊となる。これは1957年に創刊され、747号まで出されてきたのだが、その廃刊はかつての「書店経営」という言葉が死語となってしまった時代を迎えたことをも意味していよう。

 そのかたわらで、トーハンは中小出版社に対し、2月後半の新刊配本が3月にずれこむと通達してきた。これはまったく報道されていないし、また文書によるものではないこともあり、大手出版社の書籍に関しても同様なのか、確認ができていない。
 しかしこのような処置が全出版社に対して行なわれているようであれば、大手出版社、老舗出版社こそ資金繰りの問題に直面することになろう。いってみれば、様々な原因は考えられるにしても、大手取次による新刊配本のデフォルトであり、これからも反復されていくのではないだろうか。



8.アマゾンは買切取引を始めると発表。
 現在の返品率は既刊が3%だが、新刊は20%に達しているので、買切によって返品率低下をめざす。
 書籍、雑誌、コミックの全分野に及ぶ。
 商品選定は出版社との話し合いにより、在庫過多になった場合、出版社と協議し、ケースバイケースで対処する。買切仕入れ条件や時限再販も同様で、一律の条件設定はしない。

 しかしこのアマゾンの買切仕入れには疑念がつきまとう。確かに既刊本に関しては販売データの蓄積により可能かもしれないが、新刊については難しいのではないか。AIによる自動発注のテスト運用を開始し、返品率を改善するとの言は鵜呑みにはできない。
 現在のアマゾンの新刊返品率は50%を超えるものもかなりあり、仕入れの難しさは明らかである。自店の売れ行き動向をつかんでいる書店にしても、適正な新刊仕入れは困難であり、それがAIによって可能になるとは思われないからだ。
 現在のアマゾンの直取引出版社数は2942社、その取引率は取次ルートを越える56%に達しているとされるが、それこそ各出版社が「ケースバイケース」で判断していくしかないだろう。



9.持ち株会社カドカワの川上量生社長がドワンゴの動画配信サービス「niconico」の業績不振のため引責辞任し、ドワンゴはKADOKAWAの子会社となる。
 カドカワの第3四半期連結業績は売上高1521億円で増収増益だったが、ドワンゴの固定資産減損損失を計上したことで、純損失21億6900万円。
 新社長には松原眞樹代表取締役専務が就任。
 これらに関しては『週刊ダイヤモンド』(2/9)が「財務で会社を読む」で「カドカワ」に言及し、さらなるリスクとしての「所沢プロジェクト」にもふれている。

 本クロニクル126で、カドカワの川上社長がブロッキングの導入推進派の急先鋒で、カドカワの角川歴彦会長は「ブロッキングに反対」とのコントラストを紹介しておいたばかりだ。
 川上の立場もそのようなドワンゴ動画配信サービス状況、及び角川会長との意思の相違も影響しているのかもしれない。
 動画サイトという新しいメディア企業にしても、様々な思惑が犇き合っているのであろう。
週刊ダイヤモンド
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10.大阪地裁は海賊版リーチサイト「はるか夢の址」を運営する主犯格の3人に、それぞれ懲役3年6ヵ月から2年4ヵ月に及ぶ執行猶予がつかない実刑判決を下した。

 前回の本クロニクルで、海賊版サイトを強制的に止めるブロッキング法制化が事実上棚上げになったことを既述しておいた。その一方で、文化庁が海賊版ダウンロードの違法範囲をネット上のすべてのコンテンツに広げ、国会への著作権法開催案の提出を目論んでいることも。
 それを文化審議会著作権文化会が了承し、通常国会に提出することが明らかになった。これは権利者の許可なくインターネット上に挙げられているコミック、写真、論文などのあらゆるコンテンツのダウンロードは全面的に違法とするもので、「はるか夢の址」の主犯3人の実刑判決もそのような流れの中で出されたように思われる。
 本クロニクルで繰り返し述べてきたが、東京オリンピックを目にしての、規制と管理によって、社会が包囲されていく兆候の表われと見なせよう。
 出版広報センターも2月21日付で、「今国会に提出される著作権法改正『リーチサイト規制』『ダウンロード違法化の対象範囲見直し』について」という声明を出している。



11.ベストセラーズの月刊男性ファッション誌『Men’s JOKER』が休刊。
 2004年創刊で、18年は7万部近くを保っていたが、発行部数と広告収入は減少していた。

Men’s JOKER


12.エムディエスコーポレーションのデザイン専門総合誌『MdN』休刊。
 1989年創刊で、18年12月号から隔月刊に移行したが、休刊になってしまった。

MdN

 それほどポピュラーでもないのに2つの休刊を記したのは、まず11の場合、本クロニクル118で記しておいたように、新たな経営者が株式を取得したことと関係しているのかもしれない。やはりM&Aされると、当初はともかく、出版内容は変わらざるを得ないようで、最近もM&Aされた人文書出版社がビジネスと自己啓発書の分野に方向転換し、既存在庫も最低ロットを残し、断裁されるという話を聞いたばかりだ。

 12に関しては月刊、隔月刊、休刊という流れゆえに取り上げたのである。実は大手出版社の雑誌も40誌ほどが刊行サイクルを減らしていて、その主なものを挙げてみる。
 文春の『オール読物』が年10回、マガジンハウスの『Hanako』が各週から月刊、講談社の『FRaU』、セブンアイ出版の『saita』がそれぞれ不定期刊となっている。

 もはや月刊誌というコンセプト自体が揺らいでいる。万年赤字に他ならない文芸誌『文学界』『新潮』『群像』などにしても、『オール読物』のような道筋をたどるのかもしれないし、それも遠からずやってくるだろう。
 雑誌といえば、『噂の真相』の岡留安則も死んだし、それはインディーズ雑誌に他ならなかったけれど、雑誌の終わりの時代を象徴しているようにも思える。


オール読物 Hanako FRaU saita 文学界 新潮 群像



13.村崎修三の『昭和懐古 想い出の少女雑誌物語』(発行 熊本出版文化会館 発売 創流出版 販売代行 武久出版)を読んだ。

 昭和懐古 想い出の少女雑誌物語

敗戦後のGHQ占領下を含め、二十年間の少女雑誌のカレードスコープ的物語が目前で展開されているような思いを味わった。
 塩澤実信『倶楽部楽雑誌探究』や植田康夫『「週刊読書人」と戦後知識人』(いずれも「出版人に聞く」シリーズで語られていた『ロマンス』や『銀の鈴』も取り上げられている。
 初見の雑誌が多く、それらが大半を占めていて、雑誌収集の奥深さとすごみを教えてくれるとともに、戦後に出現した少女雑誌物語があったことを実感させてくれる。
 私が愛読していた草の根出版会の『ママのバイオリン』『ユカをよぶ海』などが講談社の『少女クラブ』に連載されたことも教えられた。
 そしてあらためて、戦後は続いているはずだが、時代はまったく異なってしまったことも。「雑誌とともに去りぬ」というフレーズも思い浮かべてしまう。


倶楽部楽雑誌探究 『「週刊読書人」と戦後知識人』 ママのバイオリン ユカをよぶ海



14.そういえば、やはり亡くなった橋本治も少女漫画ファンであり、デビュー作の『桃尻娘』(講談社)にしても、それを抜きにしては語れないだろう。

桃尻娘 花咲く乙女たちのキンピラゴボウ

 実は「本を読む」で、いずれ橋本と北宋社のことを書くつもりでいたが、彼の存命中に間に合わなかったことが残念である。
 橋本は1980年代に北宋社から少女漫画論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』全2冊を始めとして、合わせて6冊刊行している。
 まだそれほど売れてなかった橋本にとって、北宋社は「つなぎ」の役割を果たした小出版社であり、それは橋本だけでなく、その他にも何人もの著者を挙げることができる。いずれそれらのことを書いておきたい。
 それにつけても、北宋社の渡辺誠とはもう20年以上会っていない。お達者であろうか。



15.今月は岡留や橋本治に続いて、2人の出版人の訃報が届いた。
 それは春秋社の澤畑吉和と以文社の勝股光政である。

 澤畑とは長きにわたる付き合いで、最後に会ったのは彼が春秋社の社長に就任した頃だった。その時、会社を訪ねている。
 それから数年前に、私と論創社の森下紀夫、緑風出版の高須次郎が三島の畑毛温泉に行く際に、一緒にどうかと誘ったところ、行きたいのは山々だけれど、今回は遠慮するということで、会えずじまいになってしまった。
 今になってみれば、当時すでに病んでいたのではないかとも思う。また会おうといっているうちに、それが果たせず亡くなってしまった一人に澤畑も加わっている。心からご冥福を祈る。
 以文社の勝股は理想社や筑摩書房を経て、以文社を引き継ぎ、現代思想書のベストセラーであるアントニオ・ネグリたちの『〈帝国〉』(水嶋一憲他訳)を刊行したことはまだ記憶に新しい。
 今回の本クロニクルで挙げた4人の死者たちは、いずれもほぼ同世代といっていいし、私たちもそのような時代を迎えていることを本当に実感してしまう。
 
『〈帝国〉』



16.今月の論創社HP「本を読む」㊲は「ハヤカワ・ミステリ『幻想と怪奇』、東京創元社『世界大ロマン全集』、江戸川乱歩編『怪奇小説傑作集』」です。

古本夜話878 土岐哀果『生活と芸術』

 前回はふれなかったけれど、土岐善麿は歌人としての土岐哀果の名前で、朝日新聞社入社以前の大正時代初めに『生活と芸術』を創刊している。この雑誌は『日本近代文学大事典』に立項があるので、それを抽出紹介してみる。
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 「生活と芸術」せいかつとげいじゅつ 文芸雑誌。大正二・九~五・六。全三四冊。東京市日本橋区檜物町九番地、東雲堂書店発行。大正初期新時代文学のさきがけとして、読売新聞記者で歌人の土岐哀果(善麿)によって創刊されたユニークな月刊誌。書店代表者の西村陽吉(辰五郎)が全巻を通じての発行名義人となった。(中略)
 誌名は(中略)「現代の社会を究明し、そこに営む実生活を省察して、その感想を自由に表白したものが吾人の芸術でなければならぬ」という当時の土岐哀果の芸術観を示すもので、これが雑誌の性格をなした。哀果がこの雑誌を創刊し、主宰した動機は、明治四四年石川啄木と計画しながら啄木の病気によって挫折した、雑誌「樹木と果実」の実現にあり、またそのころ荒畑寒村や大杉栄の出した雑誌「近代思想」によって、思想的に刺激された生活感情を芸術的な方面に表現しようとしその発表期間を求めたことなどがあげられる。(中略)純粋の文芸雑誌というよりむしろ「近代思想」の僚誌ともいうべき文芸思想雑誌として成長、いちおうの目的を達し、歌壇的にも生活派の名を得たが、まもなく哀果の思想的ゆきづまりによって廃刊した。(後略)

 この「生活と芸術」の第一号から第六号までが手元にある。もちろん実物ではなく、明治文献資料刊行会が昭和四十年に復刻したもので、その第1回配本分に当たる。その第一号の巻頭に哀果名で「われらの芸術」という詩文が置かれている。これは第一号だけのもので、他の号には見られないし、『生活と芸術』を創刊した哀果の心情を伝えていると思われる。また同誌の第一号の明細を示すよりも、これを紹介したほうが創刊の意図と時代状況を浮かび上がらせることになるだろう。それゆえに省略を施さずに引いてみる。

 まづ、生きざるべからず。

 われらは、みな、ひとしく富み、ひとしく幸ひにして、ひとしく生きんことを思ふ。

 あるものは、そろばんをはぢくとき、
 あるものは、はんどるをにぎるとき、はた、鎌をもつとき、
 あるものは、ダイナモの響きの中に立つとき、
 あるひは、ペンをとるとき、ペエヂをくるとき。

 その労働は、いかなる方面にもあれ、
 われらをして、ふかく、
 われらの生活、われらの社会につきて、
 おのおのしづかにかんがえ、省みしめよ。

 しかして、
 これを、真実に、自由に、あらはさしめよ。
 しかして、
 これをかりにすべて、われらの芸術とよばしめよ。

 哀果の『生活と芸術』創刊意図はこれに尽きると考えていいし、編輯兼発行人は取次や書店との関係もあり、発行所は東雲堂としていることから、西村辰五郎となっているが、編輯所は生活と芸術社で、芝区浜松町の哀果の自宅である。これは同誌が同人雑誌ではなく、彼が編輯責任者で、寄稿者たちはそのサポーターにしてパトロンだったことを意味していよう。発行部数は千部から千五百部だったという。

 さてここで「サポーター」や「パトロン」という言葉を使ったのは、それが寄稿者だけでなかった事実によっている。例えば、第一号の本文は六六ページだが、「生活と芸術広告目次」に「前付の部」と「後付の部」に示されているように、多くの広告が寄せられ、それらは双方で本文ページの半分以上の三七ページに及んでいる。それらは何れも一ページ広告だが、まず出版社以外を挙げてみると、白木屋呉服店、三越呉服店、帯留の大西白牡丹、和洋服箪笥の松本楽器があり、それに出版社の広告が続いている。

 そのうちの、まとめて七ページを占める東雲堂を除き、版元と出版物を具体的に示してみる。

博文館  姉崎正治他編『高山樗牛と日蓮上人』
春陽堂  正宗白鳥『泥人形』などの「現代文芸叢書」
隆文館  小栗果然葉『黙従』
南北社  片上伸『生の要求と文学』
岡村書店  水野葉舟『郊外』他三冊
丙午出版社  高島米峰『噴火口』他四冊

以下は雑誌である。

中興館 『仮面』
近代思想社 『近代思想』
東雲堂 『青踏』
創作社、籾山書店 『創作』
歌舞伎発行所 『歌舞伎』
東京音楽学校学友会 『音楽』
忠誠堂 『新文村』
画報社 『美術新報』
竹柏会出版部 『心の花』
春鳥会 『みづゑ』
モザイク社 『モザイク』
とりで社 『とりで』
白日社 『詩歌』
洛陽堂 『白樺』
日本洋画協会出版部 『活生』『現代の洋画』
アララギ発行所 『アララギ』
東京堂 『想像』
昴発行所 『スバル』

また芸術座は第一回上演のメーテルリンク『内部』『モンナ、ワ゛ンナ』の広告を打っている。

 もちろん賛助広告や交換広告なども含まれていただろうが、これらが『生活と芸術』の寄稿者や読者と同様に、サポーターやパトロンのような役割を果たしていたにちがいない。そのことだけでなく、大正初期のリトルマガジンが置かれていた出版環境と状況が見て取れるように思われる。また昭和初期円本時代のように出版市場は成立しておらず、『生活と芸術』、その他広告に見える様々なリトルマガジンが試行錯誤のうちに創刊され続けていたことをうかがわせている。

 なお西村については、かつて「西村陽吉と東雲書店」(『古本探究』所収)を書いていることを付記しておく。
古本探究


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◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話877 土岐善麿『外遊心境』

 前回、「朝日常識講座」の『文芸の話』の著者土岐善麿を外したのは、彼のことを別に一本書くつもりでいたからである。彼の『文芸の話』はアメリカに見られる文学の大衆化から始まり、それが日本の大衆文学やプロレタリア文学にも投影されていると見なし、それからら外国文学の紹介と分析に入っていく。このような同書の背景にあるのは、昭和円本時代に刊行された新潮社の『世界文学全集』に代表される夥しい外国文学の翻訳であり、この他に『近代劇大系』(近代社)、『世界戯曲全集』(同前)、『新興文学全集』(平凡社)、『近代劇全集』(第一書房)所収の作品がテキストとして多面的に言及されている。
f:id:OdaMitsuo:20190208103920j:plain:h115(『文芸の話』) f:id:OdaMitsuo:20190208103344j:plain:h113(『世界文学全集』)(『近代劇大系』)
(『世界戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208102944j:plain:h115(『新興文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208105436p:plain:h120(『近代劇全集』)

 だがここで取り上げたいのは同書ではなく、土岐がやはり同年の昭和四年に改造社から刊行した『外遊心境』で、これも例によって、浜松の時代舎で購入した一冊である。まず特筆したいのは、同書が恩地孝=孝四郎の装幀による升型本で、本体カバーを取ると、円本時代の大量生産、大量販売のイメージとはまったく異なるシックな佇まいの造本が姿を現わす仕掛けになっている。円本時代の先駆けだった改造社にしても、出版物の装丁は印象に残るものが少なかったけれど、『外遊心境』は例外というべきなのであろうか。それを確認する意味においても、改造社の全出版目録もないことが惜しまれる
f:id:OdaMitsuo:20190204174106j:plain f:id:OdaMitsuo:20190204181240j:plain:h103

 このような装丁にふさわしく、用紙は上質で、写真も多く収録され、タイトルに見合った遊び心が伝わってくる。土岐は昭和二年の春に朝日新聞社特派員として、ジュネーブの世界海軍軍縮会議を取材し、その後ダンチヒでのエスペラント万国大会にも出席し、欧米各地を巡遊し、暮に帰国している。その「外遊」を『週刊アサヒグラフ』に連載したものがベースとなり、『外遊心境』の上梓へと至ったのである。それゆえにふんだんに写真を配したレイアウトは連載の形式を踏襲しているのだろう。
 「序」を寄せているのは、これもまた本連載650の杉村楚人冠で、自分も朝日新聞社から海外に派遣されたことがあるが、いつも急ぎの用事ばかりで、すぐ帰らされたと述べ、次のように書いている。

 かういふ旅ばかりさせられた自分につて、土岐善麿がいろゝゝと、そこら中すいたところを歩きまはつて、帰つて又いろゝゝと外遊心境などを書いてゐるのは、いまゝゝしくも羨ましい至である。その心境を集めて書物にするから、その序文を書けなどいはるゝに至つては、羨ましくもいまゝゝしい次第である。何が序文だ。馬鹿。

 そしてさらに続けて、「おれは用のある時だけしか用に立たない男」で、「おれは到底一個の走り使ひ」に過ぎないが、「土岐はえらい」、「かれの顔つきから物ごし恰好、手ぶり身ぶり、すること為すこと、ことごとく神韻縹渺たらざるはない」し、「用のないところにその用を見出し得る人である」と評している。

 この楚人冠の親近感と敬愛がこめられた土岐評は、「行く先々の土地の人々の心にひたゝゝと触れて、旅らしからぬ旅ごゝちを味はひ来つた心の旅行記」である『外遊心境』にそのまま当てはまるものだ。たとえば、「用のないところに用を見出し得る」例として、ただちに「国際雛」や「紙ナイフ」=ペーパーナイフの章を挙げることができよう。これらは各国の国際雛と紙ナイフを蒐集し、それらの写真を掲載し、後者の場合は同じ「朝日常識講座」と「明治大正史」の著者である柳田国男から、おもしろいので五百本集めるようにといわれ、実際に柳田も二本寄付してくれたエピソードを添えている。その写真も示され、一本は小山内薫のロシアみやげ、もう一本は柳田が香港で購入したものだ。またそれらと同様の章として、やはり実物を添えたホテルの札に関する「かばんの話」も興味深く、現在ではかばんにそれを貼るのはあまりはやらなくなったらしいと述べている。とすれば、はやったのは一九一〇年代までだったのかもしれない。

 また「跋」を寄せているのは本連載337の写真家の福原信三で、何年か前に土岐と知り合った頃、彼は写真機を手にしていなかったけれど、大正十年頃に素人写真ブームが起きていたことを語っている。それが「写真界、就中クロウトと目された営業写真家に与へた影響は驚くべきもの」で、土岐が欧米漫遊に出かけ、多くの写真作品を提出したことはそれに似ていると述べ、「実際に写真のシロウトである君が、こんな見事な大きい土産を持つて来て来れるとは夢にも思はなかつた」と評している。『外遊心境』の写真を文章と同様に楽しんできた私にしても、それは同感で、おそらく同時代的に見れば、そのインパクトはさらに強かったであろうと思う。

 それに加えて異色なのは、松本清彦によるエスペラント語の要約が付されていることであり、『外遊心境』の出版を通じて、土岐は新聞記者や歌人と異なる新たな姿や資質を提出したことになるのかもしれない。


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古本夜話876 朝日新聞社「朝日常識講座」

 前回、「朝日常識講座」の一冊である米田実『太平洋問題』にふれた。これは朝日新聞社の昭和円本時代の企画と見なせるので、ここでその明細なども取り上げておきたい。なぜならば、何度か既述しているように、本連載の目的のひとつは円本の詳細を探索することでもあるからだ。
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 「同講座」は朝日新聞創刊四十周年を記念しての刊行で、『朝日新聞出版局50年史』が引いている社告によれば、「刻下必須の問題十種を選び、本社の同人各々その職責に関連した方面を分担し」たものであり、第二期も含め、その明細を示す。

1 下村海南 『人口問題講話』
2 米田実 『世界の大勢』
3 大西斎 『支那の現状』
4 緒方竹虎 『議会の話』
5 関口泰 『労働問題講座』
6 柳田国男 『都市と農村』
7 牧野輝智 『物価の話』
8 土岐善麿 『文芸の話』
9 鈴木文四郎 『婦人問題の話』
10 杉村宏太郎 『新聞の話』

f:id:OdaMitsuo:20190208103920j:plain:h115(『文芸の話』) 

1 米田実 『太平洋問題』
2 坂崎坦・仲田勝之助 『美術の話』
3 美土路昌一 『社会と新聞』
4 牧野輝智 『予算の話』
5 野村秀雄 『政党の話』
6 前田多門 『地方自治の話』
7 石川六郎 『最近の科学の話』
8 小宮吉三郎 『スポーツの話』
9 関口泰 『公民教育の話』
10 下村宏 『食糧問題の話』

スポーツの話 (『スポーツの話』)

 続けて「第二朝日常識講座」が刊行されたのは、この四六判、本文9ポ総ルビつき、各巻三〇〇ページ前後、布装上製函入、予約定価五〇銭、しかも一時払い前納であれば、四円五〇銭の企画が、予約部数十六万部に及んだからである。先の『同50年史』の言葉を借りれば、その予約部数は「当時の業界の驚異的数字」で、「この成功は出版業界に衝撃を与えた」とされる。
 
 しかもそれは外部の著者への依頼によるものではないので、「社内編集幹部の層の厚さ、イデオローグの豊富さを物語ってい」た。この「朝日常識講座」の成功に促されたのであろう「朝日政治経済叢書」「明治大正史」「朝日時局読本」が同じコンセプトで続いた。それに対し、「このような出版が本社で行われるようになってから、新聞社は出版に進出して業界を圧迫する、との非難が絶えずおこった」。だが新聞販売店は自社が専売する新聞社の出版物に販売に妙味を覚え、販売に熱を入れたとされるので、それが予約部数の「驚異的数字」につながり、さらに同様の企画が続いていったのだろう。

 「朝日常識講座」に関しては、柳田国男の|『都市と農村』を拙著『郊外の果てへの旅/混住社会論』(論創社)、杉村広太郎については本連載650などで言及してきている。しかしその他の著者たちにはふれていないこともあり、判明した人物だけでもそのプロフィルを提出しておこう。
郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』)

 『人口問題講座』や『食料問題の話』の下村海南=宏は逓信省から台湾総督府長官となり大正十年に朝日新聞に招かれ、翌年専務に就任し、新聞経営の一線に立っている。

 『議会の話』の緒方竹虎は大阪朝日新聞社に入社し、大正一年に新年号の「大正」をスクープし、同七年に論説委員となり、イギリス留学を経て編集局長、昭和三年には取締役、同十一年には主筆、代表取締役となっている。

 『労働問題講座』と『公民教育の話』の関口泰は台湾総督府事務官から、大正八年に大阪朝日新聞社に入社し、調査部部長、論説委員、政治部部長を経て、昭和十四年に退社後、文部省社会教育局、戦後は横浜市立大学長。

 『婦人問題の話』の鈴木文四郎は大正六年に東京朝日新聞社に入社し、外報部に勤務し、シベリア出兵、ベルサイユ講話会議などの特派記者をして活躍する。大正十四年に社会部長、昭和十五年には取締役、戦時中は『ジャワ新聞』の経営にあたり、敗戦後は『リーダーズ・ダイジェスト』日本版編集長に迎えられる。

 『美術の話』の坂崎坦は大正二年に東京朝日新聞社に入社し、在職中の十年から十二年かけて欧米へ留学し、フランスでモネに会う。昭和四年に学芸課長、翌年に部長となり、大正末から昭和初期にかけての新聞の美術批評の基礎を築く。仲田勝之助は朝日新聞社調査部に勤務し、美術批評と書評を担当。

 『社会と新聞』の美土路昌一は明治四十一年に東京朝日新聞社に入社し、社会部記者、後に上海、ニューヨーク特派員を務め、社会部長、調査部長を経て、昭和九年編集局長に就任。翌年から取締役として戦時下の朝日新聞社の経営や編集に重要な役割を果たした。

 『地方自治の話』の前田多門は内務省を経て、ILO政府側委員としてジュネーブに駐在後、フランス大使館参事監などを務め、退官して、昭和三年に朝日新聞論説員となる。戦後は文相にも就任。

 確かにこれらの錚々たるメンバーは、当時の朝日新聞社の「社内編集幹部の層の厚さ、イデオローグの豊富さ」をそのまま伝えるもので、そういえば、夏目漱石も明治四十年に大学教授の内示を断わり、東京朝日新聞社に入り、最初の新聞小説『虞美人草』を連載したことを想起させてくれたのである。
虞美人草 f:id:OdaMitsuo:20190204172920j:plain:h110 (日本近代文学館復刻、『虞美人草』)


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古本夜話875 海軍有終会『増訂太平洋二千六百年史』

 『増訂太平洋二千六百年史』という大著が昭和十八年に刊行されている。これも大東亜戦争下における南方問題と密接に関連しているというしかない。A5判上製、函入、本文一〇八六ページ、索引と付表が八八ページ、補遺が一三二ページ、定価は十五円で、編輯者は廣瀬彦太、発行者は財団法人海軍有終会となっている。編輯者にしても発行者にしても、初めて目にするのだが、奥付には取次として日配も記されているので、これもまた取次と書店を通じて流通販売されたことになる。
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 「序」は昭和十五年六月の日付で、海軍大将有馬良橘によって寄せられていることから、同書の初版刊行は三年前だったとわかる。そこには次のような文言が見える。

 今や東洋の盟主たる帝国は支那事変を契機として、東亜新秩序の建設に邁進しつゝあり。而して東亜新秩序の建設は将来南方問題の解決により、始めて画龍点晴の域五達するものなることを思ふとき、太平洋問題は一層の関心を惹く。況んや欧州動乱の極東波及端倪すべからざるに加へ、米国は全艦隊を太平洋に集中して、英仏勢力後退後に於ける東洋の番犬を以て自ら任じつゝあり、太平洋の波静かならんと欲して能はざるに於ておや。

 昭和円本時代に朝日新聞社から米田実の『太平洋問題』(「第二朝日常識講座」1、昭和四年)が出され、それが「大西洋時代は去つて、太平洋時代が来た」と書き出されていた。それはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連にしても、すでに主要な舞台を大西洋から太平洋へと移そうとしていることを論じた一冊だった。それから十年が過ぎ、「太平洋問題は一層の関心を惹く」段階へと至り、ここに『太平洋二千六百年史』が提出されたことになる。
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 海軍有終会が記す「緒言」によれば、本会はすでに『幕末以降軍艦写真と史実』『近世帝国海軍史要』を編纂公刊している。この二書に加えて、「我が国を中心とする太平洋を繞る諸国勢力消長の歴史、竝に関係地方の現勢を編述」することは、「国民の海事思想普及に資する」と抱懐してきた。そこに海軍省海軍軍次普及部から同様の提案が出された。それは義勇財団海防義会と協力し、「皇紀二千六百年記念事業」としての本書編纂で、東洋史に精通する学者、太平洋の事情に詳しい研究家などの協力、海軍省方面の校閲を得て、ここに完成を見るに至ったのである。
幕末以降軍艦写真と史実(吉川弘文館復刻) 近世帝国海軍史要( 原書房復刻)

 それゆえに『太平洋二千六百年史』は海軍による太平洋の色彩が強く、「同編纂委員及顧問」の二十五名はほとんどが現役の海軍上層部の人々で占められ、その事業主務はそのうちの一人である海軍大佐大島良之助が担ったとされる。次に二十四人に及ぶ「編纂分担者」リストも掲載され、これもあえて名前を挙げないけれど、東京帝大資料編纂所などの大学に属する学者、南洋経済研究所や東亜経済調査局に在籍する研究者たちのコラボレーションによって、『太平洋二千六百年史』は成立したことになる。

 「総説」は「惟ふに太平洋二千六百年史は我が肇国以来現今に至る大和民族の太平洋生活乃至発展しである」と始まっている。それに第一部としての「歴史編」が続き、ヨーロッパ諸国の東洋発展以前の時代から発展と日本の寛永の鎖国の時代、欧米近代諸国の太平洋発展時代日本進出がトレースされる。それとパラレルに太平洋における明治維新、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦までの時代がフォローされ、現在の満洲事変、支那事変後の太平洋が論じられていく。

 そして次に第二部としての「現勢篇」が置かれ、日本、中華民国、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、ボルネオ、熱帯太平洋諸島などの英領各地、自治領お呼び委任統治領、ハワイ、フィリピン諸島、グアム島などの北米合衆国及び同領有地、インドシナに代表されるフランス領各地、ソ連、オランダ、ポルトガルの各地の現在状況が分析される。

 これらに昭和十八年の再版といえる『増訂太平洋二千六百年史』はさらに、「現勢編」として一三一ページが追加され、ここで大東亜戦争下における太平洋問題の新しいデータが寄せられたことになろう。

 しかしそのかたわらで、昭和十八年の年表を繰ってみれば、山本五十六連合艦隊司令長官は戦死し、日本軍アッツ島守備隊は全滅している。また御前会議で、「大東亜政略指導大綱」が決定され、日本が占領していたビルマやフィリピンなどが独立し、日本との同盟条約を調印し、タイや満洲などと日本での大東亜会議に参加し、大東亜共同宣言を発表している。だがその一方で、学徒出陣も始まり、日本マキン・タラワ守備隊も壊滅し、昭和十九年の日本海軍に大打撃を与えるマリアナ沖海戦とレイテ沖も迫りつつあった。

 そのような状況の中で、この『増訂太平洋二千六百年史』は刊行されたわけだが、どのようなルートをたどったのかはまったく不明であるけれど、七十年余を経て、私の手元に届けられたことになる。


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