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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1102 国書刊行会と「丹鶴叢書」

 ずっと春陽堂に関連して書いてきた。前回でひとまず終えるのだが、その間に新たに入手した本によって、不明だったことの一端が判明したこともあり、それらにそれらにふれておきたい。
 
 本探索1075で、昭和円本時代の『日本随筆大成』の編輯部とその代表者の早川純三郎を示し、彼が国書刊行会彼が国書刊行会の編輯者だったことを既述しておいた。もちろんこれはいうまでもないけれど、現在の国書刊行会ではなく、拙稿「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)で言及しているように、早稲田大学図書館長の市島たちによって創立された国書刊行会をさしている。
f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)古本探究

 市島は『出版文化人物事典』に立項があるので、あらためて挙げてみる。

 [市島謙吉 いちじま・けんきち、号・春城]一九六〇~一九四四(万延一~昭和一九)国書刊行会創立者。新潟県生れ。一八七六年(明治九)東京開成学校に入り、東京大学に改称後、その文科に移る。大隈重信の改進党に入り、代議士当選二回。高田早苗、坪内逍遥らと東京専門学校(早大の前身)の創設に加わり、大学昇格後、図書館長、幹事、理事をつとめた。一九〇五年(明治三八)今泉定介と国書刊行会(総裁・大隈重信)を創立、明治以前の未刊善本の翻刻刊行を計画。『古今要覧稿』『近藤正斎全集』を第一回とし、第一期は三年間に七二冊を刊行、二二年(大正一一)までに第八期二六〇冊を刊行、世に「国書刊行合本」といわれた一大出版であった。

 これを杉村武「国書刊行会」(『近代日本大出版事業史』所収、出版ニュース社)、及び『近代出版史探索Ⅲ』405の『国書刊行会出版図書目録』によって補足してみる。

f:id:OdaMitsuo:20201212175446j:plain:h108 近代出版史探索Ⅲ

 今泉は吉川弘文館の顧問で、市島と計らい、「書肆などの企て及ばない出版事業」を立案し、国書刊行会と名づけた。それはあくまで営利は目的とせず、企画編輯は国書刊行会、製作、流通販売は吉川弘文館に委託するという条件でスタートした。しかし一年後に今泉が辞職し、その後の第一期完了までは市島が主宰した。国書刊行会の第一期は総裁が大隈、会長が重野康繹、理事謙編集長が今泉と市島、主任は黒川真道と矢野太郎で、評議員として高田、坪内を始めとする多くの人々が連なっていた。

 それらの顔触れが功を奏してか、第一回の新聞広告による会員募集は四千名近くに及びその会員数は三年間にわたって維持され、実業家が多いことが特長だった。この第一期事業の『続々群書類従』に始まる七十一冊一帖の成功は出版業界を驚かせた。それは「書肆などの企て及ばない出版事業」が採算からいっても成功するはずもないと冷笑していたからでもあった。この日露戦争後の明治末期における会員を対象とする予約出版は大正時代を通じて、『近代出版史探索』104の世界文庫刊行会『世界聖典全集』、同105の国民文庫刊行会『国訳大蔵経』、拙稿「近代社と『世界童話大系』」(『古本探究』所収)などへと引き継がれ、大量生産、大量消費の昭和円本時代の伏線となり、準備させることになった。

世界聖典全集 (『世界聖典全集』) 近代出版史探索

 そうした国書刊行会の評議員と出版人脈も関心をそそるけれど、それ以上に興味深いのは編集や校訂に携わったメンバーである。こちらも多数なためにすべての名前を上げられないが、これからも機会に応じて召喚するつもりでいる。また第一期に庶務の位置にあったのは他ならぬ早川純三郎で、杉村は総裁も両理事も一期で辞任したが、その後の編集長はずっと早川が務めったと述べている。だがそれらにまつわる編輯、校訂者の異動については、第二期以降の評議員たちと同様に、判明していないようだ。

 なぜこれらに言及したかというと、二ヵ月ほど前に古書目録に「丹鶴叢書」の二冊があり、その発行者として早川の名前が認められたので注文したところ、送られてきた。手にしてみると、これは紛れもなく菊判上製、明治四十五年刊行の「国書刊行会本」で、奥付には編集兼発行者、国書刊行会代表者として、早川の名前が記載されていた。これは紀正徹の和歌集『草根集』、『万代和歌集』の二点を収録している。

 この両者は国書刊行会の第三期(明治四十五年~大正三年)に当たり、「丹鶴叢書」は八冊刊行されていることからすれば、そのうちの二冊ということになる。しかし市島の「国書刊行会の思い出」(『春城随筆余生児戯』冨山房、昭和十四年)によれば、「第二期第三期の刊行書は漸く平凡に墜ち」、「四、五年継続で種々なるものを出したが皆第二流の図書であつた」とされている。それは底本の選択、編集、校訂者、すなわち後継編輯長の早川の力量不足を語っているのか、私の素養ではわからない。それに印刷所が第一期の東京活版会社ではなく、印刷者を高橋赤次郎とする国書刊行会第一工場へ変わったことも影響しているのかもしれない。

f:id:OdaMitsuo:20201212233448j:plain:h110(『春城随筆余生児戯』)

 ただ「丹鶴叢書」八冊の明細も挙げている『世界名著大事典』第六巻の「全集・双書目録」はこの叢書が水野忠央編によるもので、彼がいた紀州新宮城の別名丹鶴城にちなみ、「国書刊行本」は校訂もよく、研究書には不可欠と述べている。戦後になって、あらためて評価されたということになるのだろうか。


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