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古本夜話1075 早川純三郎、『日本随筆大成』、吉川弘文館

『嬉遊笑覧』だが、これは昭和円本時代にも刊行されている。それは『日本随筆大成』の別巻としてで、その別巻は各二冊からなる大田南畝『一話一言』、『嬉遊笑覧』、寺島良安編『和漢三才図会』である。『一話一言』上下は所持しているけれど、残念ながら『嬉遊笑覧』と『和漢三才図会』は入手していない。だがやはり前々回の「有朋堂文庫」と同様に、『日本随筆大成』には山東京伝『骨董集』、滝沢馬琴『燕石雑志』、柳亭種彦『用捨箱』も収録されているので、この『大成』にもふれておきたい。
f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)

 これは昭和二年から六年にかけて、近世随筆を最も多く集め、三期に分けて刊行したもので、全四十三巻に及び、校正に難はあるが、『日本随筆大成』にふさわしい三百編近くの大部の集成といえよう。実は揃っていないけれど、第一期は十冊、第二期も九冊、先の別巻二冊を購入している。確か不揃いだったことから、古書目録にかなり安い古書価で掲載されていたので、買い求めたのだと思う。それも二十年以上前のことで、山中共古と集古会の資料としてだった。

この『日本随筆大成』の各巻明細は、これも『世界名著大事典』第六巻に詳しいし、近世随筆の世界がそこに紛れなく凝縮され、とりわけ、第二期の第一巻所収の『兎園小説』は大槻如電が序文を寄せ、閲している「百家説林本」によっているようだ。如電の緒言や馬琴を始めとする十二人の語る「奇事異聞」も興味は尽きないけれど、私はその方面の素養に欠けているので、これ以上の言及を差し控える。それよりもここではこの円本特有の近世随筆出版プロジェクトの編集、生産、流通、販売の実態を考察してみたい。

世界名著大事典

 まずは全巻を通じて、巻頭に宮内省御用掛関根正直、東京帝国大学資料編纂官中村孝也、宮内省図書寮編集官田辺勝也の三人が監修者として挙げられている。それから第一期第一巻の林羅山『梅村載筆』などの奥付を見ると、編纂者は日本随筆大成編輯部とその代表者の早川純三郎、その横には発行兼印刷者として、吉川半七の名前がある。そして発行所は東京市京橋区鈴木町の吉川弘文館、発売所として東京市日本橋区の六合館、名古屋市の川瀬書店、大阪市の柳原書店、東京市京橋区の日用書店、東京市牛込区早稲田鶴巻町の国際美術社が並んでいる。

 しかし先述の第二期第一巻となると、編纂者と発売所はそのままが、発行兼印刷者は本郷区森川町の桜井庄吉、発行所は桜井と住所を同じくする日本随筆大成刊行会と入れ代わっている。これは昭和三年四月三十日の刊行であるけれど、別巻の『一話一言』上下巻はそれに先行する同年四月十日で、第一期の奥付表記と変わっていない。この事実は『一話一言』が第一期の別巻と見なせよう。つまり『日本随筆大成』の第一期は発行兼印刷者と発行所が吉川半七、及び吉川弘文館であった。ところが第二期からはそれらが桜井庄吉と日本随筆大成刊行会に変わったことになる。おそらく吉川と吉川弘文館が資金繰りの関係から行き詰まり、櫻井に肩代わりを頼んだことで、第三期は見ていないけれど、第二期以後の刊行を委託したのであろう。これも円本ながら、本探索1071で示した「合板」と考えられる。

 日本随筆大成編輯部の早川純三郎は『近代出版史探索Ⅲ』405の国書刊行会の編集者だったはずだが、新たな印刷兼発行所の桜井庄吉のプロフィルは不明である。川半七のほうは『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。
近代出版史探索Ⅲ 出版人物事典

 [吉川半七 よしかわ・はんしち]一八三七~一九〇二(天保一〇~明治三五)吉川弘文館創業者。一八五四年(安政四)、江戸書林若林清兵衛から独立、七〇年(明治三)家業近江屋(貸本)を拡充して、京橋南伝馬町に吉川書房を開く。新古書籍の販売を行うかたわら、翻訳書なども加え、和漢の書籍を備えた。「来読貸観ところ」を設けて、一時間半銭の規程で、一般の人々に見せたという。七七年(明治一〇)ころから出版を兼業、金養堂・文玉圃などの称号を用いたが、一九〇〇年(明治三三)からはもっぱら弘文館と称した。『故実叢書』『大日本史』『本居宣長全集』『加茂真淵全集』など国文・国史関係の大部の出版に専念した。一九〇四年(明治三七)合資会社に改組、吉川弘文館と改称。

 これらの出版の系譜を背景として、『日本随筆大成』の企画が同刊行会の早川によって持ちこまれ、吉川弘文館が制作と発行所を引き受けることになったのだろう。監修の三人はいずれも『古事類苑』関係者であり、それで監修を引き受けたと考えられる。それは本探索1069の『守貞漫稿』の編集者室松岩雄が『古事類苑』の編集に携わったことを想起させる。 また発行所の名古屋の川瀬書店と大坂の柳原書店は有力な地方取次であるから、東京の六合館などの三店も取次を兼ねていた書店だと思われる。この事実は吉川弘文館が製作や流通販売も含め、全面的にバックアップしたが、第二期はその立場を第三者に委託するしかなかったことを伝えていよう。

 それでも戦後になって、吉川弘文館が『日本随筆大成』(全八十一巻、昭和四十八年)を刊行している事実からすれば、その経緯と事情は不明だが、すべての著作権を引き継いだことを物語っていよう。
f:id:OdaMitsuo:20200912115743j:plain:h115(『嬉遊笑覧』)

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