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古本夜話1133 早稲田大学出版部『漢籍国字解全書』

 本探索1130の石井研堂の『増訂明治事物起原』における「予約出版の始」で、漢籍の複刻が挙げられていたこともあって、以前に早稲田大学出版部の『漢籍国字解全書』と冨山房の『漢文大系』の何冊かを拾っていたことを思い出した。これらはいずれも明治末に刊行された大部のシリーズだが、後者は漢文学者の服部宇之吉の校訂によるもので、門外漢には取り付く島がないこともあり、ここでは前者にふれたい。

f:id:OdaMitsuo:20210209115102j:plain:h120  漢籍国字解全書 (『漢籍国字解全書』) f:id:OdaMitsuo:20210217174438j:plain:h120(『漢文大系』)

 『漢籍国字解全書』は近年見かけなくなったけれど、かつては古本屋などの均一台によく出されていたのである。あらためて取り出してみると、それらはタイトルに「先哲遺著」の角書が付され、白地のカバーに「先哲」が書を弟子に与えるイラストが描かれ、漢籍らしい佇まいの装幀、菊判上製となっている。いずれも明治四十三年の刊行であり、ちなみにこの『全書』『世界名著大事典』の「全集・双書目録」に解題と明細のリストアップを見出せるので、解題を引いてみる。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)   

 漢籍国字解全書(53冊、1909~20)早稲田大学編集部(ママ)編。漢籍を日本かな文で注解したものを集める。第17巻までが先哲遺著で、江戸時代学者による国字解。大18巻以降が先哲遺著追補で、早稲田大学教官による国字解である。また以上のものを多少編成を変えて、《漢籍国字解全書》(全27冊、1926-28)、《二大漢籍国字解》(《史記》8冊、《八家文》4冊、1928-29)、および追補(9冊、1932-33)の形で同出版部から再版された。

 手元にあるのは2の『孟子』、8の『近思録』、9の『老子・荘子・列子』、10の『孫子・唐詩選』、11、12の『古文真宝』上下で、これらのすべてに言及できないので、9を取り上げることにする。

 これは解題とタイトルに示されているように、『老子』『荘子』『列子』のそれぞれの原文(漢文)を掲載し、それに読み下した日本文と注釈を加えて講述した江戸時代の「漢籍国字解」の集成である。例えば、『老子』は山本洞雲の『老子諺解』を収録している。そのよく知られた「小国寡民」の章を挙げれば、原文の後に「我をして、試みに小なる国、寡き民を得て、是を治めしめば、如此ならしめん」と日本語訳と注釈が続き、それが山本の講述スタイルだったことを浮かび上がらせている。同じように『荘子』は毛利貞齋『荘子俚諺鈔』、『列子』は太田玄九『張注列子国字解』に則っている。

 私はその方面の素養が欠けているので、これ以上立ち入らず、同巻巻頭に寄せられた「緊急の禀告(ご一読を煩し候)」にふれてみたい。これは『漢籍国字解全書』の七部十三冊の追補に関するもので、その中でも「異端邪説の巨魁」にして「不可解の奇書」である『墨子』を挙げ、本探索1105の内藤耻叟の「本邦唯一の解釈書」の『墨子講義』について、「近年物故せし高名の老僧」「翁の如き老大家」も、『墨子』を「読み得ざりしもの」として、「本全書の墨子と対照し、之を裏面に掲げ」ているからだ。それは20、21となる牧野藻洲(謙次郎)との「絶好の対照(墨子の一節)」で、内藤の訓点では文意がまったく通じず、それゆえにその部分の講義分の欠如が指摘され、牧野の稿本の部分が対照化されているのである。

 このことは一見するだけでもわかるし、それとともに『漢籍国字解全書』がもたらした波紋を想像できると思う。さてこれは余談になってしまうが、近年の私にとっての『墨子』は酒見賢一原作、森秀樹のコミック『墨攻』(小学館)で、すっかり楽しませてもらったことを記しておく。

墨攻(ぼっこう)(1) (ビッグコミックス)

 また同巻にはさまれた「続刊予告」の文言は、明治末期におけるこの『全書』の反響を伝えているのだろう。これもここでしか再現されないだろうし、大文字、傍点を駆使したものだから、それらはゴチックとして引用してみる。

 嚮に本全書の予約発行を公表するや、雷の如き喝采を以て迎へられ、忽にして出版界稀覯の盛況を呈するに至れり。是れ漢文学復興の機運の然らしめたる所なりと雖も、而かも江潮の優渥なる眷遇を荷ふに非ずんば、何を以てか茲に至らんや。故に厚意を空うせざらんが為に、黽勉事に従ひ、未だ嘗て聊も予定の発行期を過たず。予告以外に数百頁の紙数を増して幾多有益の図書を付載せるもの皆加盟諸彦の厚意に報いんとの微旨に外ならず。
 然るに、予約発売の当時に在りては、尚必須なる原本の、未だ発見せられざるが為に、已むを得ずして之を欠きたるを以て、本全書をして一大完璧ならしめ、永く学界の至宝たらしめんが為に、必ず其の欠漏を追補せざるべからざるを思ひ、博訪洽捜して十余部の有益なる珍書を発見することを得たり。而かも本全書の趣旨は敢て珍書を出さんとするに非ずして、万世に典拠たるべき根本書籍に対する国字解書を全備せんとするに在るを以て、断然割愛して左氏伝国字弁、伝習録筆記、楚辞師説の三大珍書を採るに止め、以て本全書をして大団円たらしめんとす。

 そうして13、14、15の加藤正庵『春秋左氏伝国字弁』、16の三輪執齋『伝習録筆記』、浅見絅齋『楚辞師説』の解題と「組方見本」が示され、続いて牧野謙次郎『墨子』、桂五十郎『荀子』、松平康邦『韓非子』、菊池三九郎『管子』といった「諸子講義発行予告」を見るのである。

 先述の「解題」、及びこれらの「続刊予告」からわかるのは、『漢籍国字解全書』が「予約発行」=予約出版で、「雷の如き喝采」を浴び、出版界の「稀覯の盛況」となり、さらなる「一大完璧」な「学界の至宝」たらしめんとして、相次いで増補されていったことだろう。それとパラレルに「未だ発見せられざる」「必須なる原本」や「有益なる珍書」も見出され、最終的に全53巻という「根本典籍」の「大団円」に至ったことになろう。

 この早稲田大学出版部の『漢籍国字解全書』と冨山房の『漢文大系』によってもたらされたと見なせる「漢文学復興の機運」を、さらに続けてたどってみなければならない。


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