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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1162 昭和十年代の「いてふ本」

 本探索1135の金星堂=土方屋の福岡益雄に先駆けるようにして、明治末に大阪から出て、やはり東京で国文学叢書などの出版社を興した人物がいる。

 それは鈴木種次郎で、出版社は『近代出版史探索Ⅱ』304の三教書院、国文学叢書は「いてふ本」という小型本とされているけれど、未見のままである。三教書院にしても、戦時下の『近代出版史探索Ⅳ』739の恒星社などとの企業統合も影響しているのか、戦後の歩みはたどれない。しかし『出版人物事典』には立項されているので、それを示す。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [鈴木種次郎 すずき・たねじろう]一八七九~一九四四(明治一二~昭和一九)三教書院創業者。大阪市生れ。兄常松の経営する大阪修文館で修業、一九〇五年(明治三八)東京で三教書院を創業、大衆ものの出版をはじめる。『いてふ本』と呼ばれる『袖珍文庫』を出版、『古事記』『平家物語』『偐紫田舎源氏』といった古典ものを出版、大部数を販売した。この型をとって講談本を出したのが、『立川文庫』である。東京修文館も経営、辞書や教科書も出版した。

 この立項から考えると、三教書院と「いてふ本」は大正時代にはそれなりの知名度があり、出版業界でもその確たる一角を占めていたことがうかがわれる。それは鈴木種次郎の兄の常松が「関西以西の出版業界に大きく貢献した」と続けて立項されているように、大阪の修文館の創業者で中等実業教科書や参考書を出版し、大阪書籍株式会社の設立にも参画している。それゆえに三教書院は実質的に最初から東京の修文館のボジションにあったと考えるべきだろう。金星社と同じく、東京と異なる取次と書店、つまり関西と教科書、学参書に基づく独自の流通販売のルートを確保していたことにもなろう。なお修文館は『近代出版史探索Ⅴ』862で織田作之助の『西鶴新論』の版元としてふれている。

 残念ながら「いてふ本」に関しては『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社)にも掲載されておらず、書影も見ていないのだが、浜松の時代舎で昭和十年代の「いてふ本」を三冊ほど入手している。それらは『曽我物語』上下、『日本書紀』下で、「袖珍文庫」ではなく、B6判の和装本としてである。やはり鈴木種次郎が発行者だが、後に鈴木初雄に変わっている。奥付裏に昭和十年五月付で三教書院主による「「いてふ本刊行の辞」が置かれ、「現今の読書界が嘗ての諸外来思想偏重より翻つて、漸く自国の過去に於ける産物に対して新たに注目し始めた事は当然の推移とは云へ喜ぶべき現象である」と始まっている。

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 そして「高価」、もしくは「予約出版」への批判がなされ、次のように続いている。「弊院はこの時代の要求に応ずると共に右の欠陥を除く意味より、此度多大の犠牲を覚悟し、嘗て弊院より発行し、当時の読書界に於て絶讃を博した袖珍文庫を今回更に厳密なる補校を加へ、内容・装幀・価格の点に於て、絶対に他の追従を許さゞる『いてふ本』の刊行を企てた」と。

 この「いてふ本刊行の辞」によって、本探索1121の『大日本思想全集』、同1122の『日本精神文化大系』などが企画された出版事情を了承する。またそうした出版状況において、かつて「絶讃を博した袖珍文庫」の「いてふ本」が再発見され、装いも新たに刊行されることになったのである。定価は六十銭で、確かに「高価」ではないし、『曽我物語』は上だけでも二七〇ページのうちの一〇〇ページが挿絵で占められ、絵物語のような趣をもたらしてくれる。かつて拙稿「柳田国男と『真名本曽我物語』」(『古本屋散策』所収)を書いているけれど、この挿絵本の底本は「正保三年版の仮名本」とされている。「袖珍文庫」の際にも、これらの挿絵は入っていたのだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20210619152126j:plain:h110(『偐紫田舎源氏』、「袖珍文庫」)

 また『日本書紀』下は昭和十年の『曽我物語』よりも後の同十二年刊行なので、「いてふ本既刊目録」が付され、すでに六十点以上が出されたとわかるし、『近代出版史探索Ⅲ』422の『東海道中膝栗毛』の挿絵はどのようなものかが気にかかってしまう。それからこれは奥付の上部に「いてふ本校訂者」がリストアップされている。これらの校訂者は「袖珍文庫」と今回の「いてふ本」を合わせたメンバーのようだが、ここでしか見られない組み合わせだと思われるので、全員の名前を挙げておく。それらは沼波瓊瓊音、山田美沙、杉谷代水、泉斜汀、山内素行、石村貞吉、山田三子、山村魏、所金蔵、金築新茂、郷白巖、中島悦次、村上静人、川添文子である。

 これらのうちで杉谷代水は『近代出版史探索Ⅱ』243、泉斜汀は本探索1099、中島悦次は『近代出版史探索Ⅴ』988で言及しているし、村上静人は本探索1154でふれたばかりだ。沼波や山田に関してもいずれ取り上げるつもりだ。「袖珍文庫」版の「いてふ本」の企画と編集事情は伝わっていないけれど、沼波や山田が関係していたことはまったく知られていなかったのではないだろうか。これに泉斜汀を加えれば、そうした編集人脈は昭和円本時代までリンクしていたことになろう。


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