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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論138 ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)

ある日系人の肖像



本連載125で、日系二世トシオ・モリの『カリフォルニア州ヨコハマ町』を取り上げた際に、アメリカにおける日本人移民史、及びその太平洋戦争下までのクロニクルも示しておいた。それはもちろん戦後を迎えても切断されたわけではなく、前々回のカポーティの『冷血』前回のアップダイクの『カップルズ』のテーマである、アメリカの犯罪や性と家族の変容とパラレルに営まれてきた。今回はそれらの日系人の物語と犯罪や性と家族が交差する作品にふれてみたい。しかもこの作品のコアとなる年代も一九六五年で、『冷血』『カップルズ』と時代をともにして起きていた事件を背景としているし、ヒロインがレスビアンであるという設定も現在を告知していよう。

カリフォルニア州ヨコハマ町 冷血 カップルズ

それはニーナ・ルヴォワルの『ある日系人の肖像』(本間有訳)で、原文タイトルはSouthlandだが、これはこの物語の舞台に他ならないロサンゼルス南部地区、クレンショーを表象していると思われる。しかしそれでは邦題にふさわしくなく、この邦訳タイトルが採用されたと推測されるし、また著者のニーナが日本人の母親とポーランド系アメリカ人の父親との間に日本で生まれ、五歳になるまで東京と京都に住んでいたという経歴も重なっているのだろう。
Southland

ニーナはこの小説の序にあたる「日本のみなさまへ」を寄せ、自らの来歴を記すとともに、『ある日系人の肖像』の構想をもたらしたロスアンゼルスのクレンショー地区にあるボウリング場喫茶室のモーニング時間の光景をレポートしている。それは一九九六年のことだった。そのテーブルについていたのはほとんどが年寄りの黒人と日系人で、やはり六十代の日系ウエイトレスが渡してくれたメニューには、アメリカ南部の郷土料理と日本食の双方があった。そして「人種の異なる人たちが和気あいあいと入りまじ」り、「みんなそろって食事をしいてい」る光景は、小さい頃からの自らの日系人体験に照らし合わせ、ニーナにとって思いがけないもので、「きっと天国に迷い込んだに違いない」という印象をもたらした。

そのような光景の由来を調べていくと、クレンショー地区において、日系人と黒人が混住していて、戦前、戦後を通じて、両者が親身に支え合ってきた事実に突き当たる。そして多数派の白人から、両者が人種隔離された界隈へと追いやられていたこと、太平洋戦争下にあって、日系人が強制収容所に送られている間、その不在の家を管理していたのは近くの黒人であり、また六〇年代に起きた公民権運動の中で、日系人は黒人の側に立ったことも浮かび上がってくる。

しかしその人種と文化の違いを超えた地域社会、もしくは共同体とでもいうべきクレンショー地区を象徴するボウリング場も老朽化して閉業し、土地開発業者に買収、解体され、新しいショッピングセンターの敷地となってしまったのである。それらの地域の歴史と事柄を踏まえ、物語へと織りこみ、『ある日系人の肖像』は始まっている。まず「プロローグ」において、記録映画のように提出されているのは、かつての新興都市の一角であったひとつの地区、界隈、商店街の明らかな衰退の姿に他ならない。そこにはまず図書館、教会、公立学校、ボウリング場も残っているが、商店街は閑散とし、閉店した店も多い。かつてこの地に住民たちを連れてきた鉄道も廃線となり、甘くてみずみずしいオレンジを産する果樹園や苺畑はコンクリートの下に埋まってしまった。一九五〇年代から六〇年代にかけて、ここは約束の地のようであり、自然のままの丘陵に囲まれた豊かな土地が安く入手でき、言葉や肌の色が異なっていても、あるいは偏見や懸念を有して移ってきた人々にしても、それらの混住は日常のありふれた光景であるゆえに、そうした意識も退けられていく地区でもあった。それが今となれば、「過去の歴史は無用の長物」と化し、ある一角は「スラム化して見捨てられたような場所」になってしまった。そしてそのトポス名が記される。それはカリフォルニア州アンゼルメーサのクレンショー地区だと。

それがイントロダクションとなり、『ある日系人の肖像』の始まりの一九九四年と明記された最初の章へとつながっていく。日系人女性のジャッキー・イシダはカリフォルニア大学ロサンゼルス校のロースクールの学生だった。その祖父フランク・サカイが心臓発作で急に亡くなってから十日後に、彼が一緒に住んでいた叔母の家を訪ねた。それは祖父が残した遺言状を確認するためだった。その遺言状は一九六四年九月の日付で書かれていて、まさに三十年前にしたためられたものだった。それは七項目からなっていたが、もはや遺すべし対象の妻も、先立っていたし、遺すべき家もなく、有効な遺言書とは言い難かった。

ただ七項目の「店はカーティス・マーティンデイルに遺す」という一文だけは同様に、処理済と片づけるわけにはいかなかった。当時祖父はクレンショー地区で小さな食料雑貨店を営んでいたけれど、それはもはやフランク一家の過去にまつわるひとつの話と化していたし、実際にその店も売却されていたのだが、その売却金を三万八千ドルが「店」と書いた箱にそっくり残されていたからだ。しかもそれは二十九年間にわたって隠されていたことになる。

それにカーティス・マーティンデイルとは誰なのか。叔母もカーティスのことを知らなかったし、フランクの妻である母親からも何も聞いていなかった。そうした経緯と事情から、ジャッキーがこの人物の消息を調べる役を務めることになる。手がかりは教会での葬儀の参列者であるクレンショー地区の黒人と日系人たちしかなかった。かれらはジャッキーにとって初めて見る顔ばかりだったが、紛れもなく祖父をひとりの男として知っていたはずだし、それは家族についても同様だったと思われた。彼らは葬儀に際して涙を流し、家族も悲しみに暮れていた。それなのにジャッキーはそうした悲しみを共有できず、祖父に愛されていたにもかかわらず、彼のことを何も知らなかったことに気づく。その償いのためにも、彼女はカーティスの消息を調べてみようと決意するのだった。

それはジャッキーの家族の記憶への旅でもあり、叔母、母親、祖母たちの記憶や過去の物語までが喚起され、柳田国男のいうところの「妹の力」を系譜づける日系人の歴史的色彩も添えられていくことになる。それらに加えて、クレンショー地区育ちで公民館に勤めるジェイムス・ラニアーも登場してくる。彼は祖父の店を知っていて、カーティスは従兄に当たり、よく一緒に遊んだものだと語り、その店が自分より年長の少年たちの溜まり場で、カーティスも入り浸り、何年間もアルバイトをしていたことを話すのだった。そのカーティスの所在を尋ねるジャッキーにラニアーはいう。「彼なら死んだよ。(中略)あの騒ぎで死んだ。ワッツで黒人が蜂起した事件だよ、六十五年の」。この「黒人が蜂起した事件」は、高橋徹編『アメリカの革命』(「ドキュメント現代史」15、平凡社)の「解説年表 未完の革命―六〇年代のニューラディカル」の中に、「一九六五年八月一一日―一七日」の日付入りで、次のように記されている。

 ロサンゼルス市のワッツ地区で、自然発生的な黒人叛乱が発生、それは延々一一四時間にも及び、ブラウン州知事の命令によって、戒厳令が施行され、四六・五マイルの地域に軍隊が出動した。この地域に居住する黒人六五万名のうち、その約二パーセントに相当する一万人の黒人が、直接この叛乱とかかわりを持ったが、その帰結は次の通り。死者三四名、負傷者一〇三名以上、逮捕者三九五二名(内一八歳以下の未成年者五〇〇名以上)、被害額四〇〇〇万ドル以上。

そして「この事件が非暴力直接行動型の公民権運動に与えた精神的衝撃はまことに甚大だった」とも付記されている。またジャッキーの言も引いておけば、「暴動」は「マーケット・フライという黒人の青年が、警官から暴行をうけたのをきっかけに」して起きたとされる。

しかしカーティスはこの暴動に直接巻きこまれて死んだのではない。フランクの店の冷凍庫で四人の黒人の少年が死体となって見つかり、その一人がカーティスだったのだ。誰かが暴動の最中に四人をそこに閉じこめ、死へと追いやったのだ。しかも事件が多発していたこともあり、そうした黒人の死は気にもとめられず、またマスコミにも取り上げられなかったし、それらはジャッキーの家族にも伝えられていなかった。一族には太平洋戦争間と戦後の年月の歴史に空白があるし、その直後に店はたたまれ、売却されていたことになる。そして祖父の遺書はワッツ暴動の一年前に書かれ、そのまま店の売却金とともに封印され、祖父の死後に至ってジャッキーたちが知ることになったのである。それは祖父が孫に残した事件を追跡してほしいという遺言でもあり、ジャッキーはラニアーとともにその探求に向かっていく。

それは37章に及ぶ、太平洋戦争下から一九九四年にかけての日系アメリカ人の歴史をたどることでもあった。祖父のフランクは戦時中にマンザナー強制収容所に入れられ、そこから軍隊に入り、ヨーロッパ戦線に送られ、アメリカンジャップと称される日系人からなる四四二部隊の兵士として、イタリアやフランスを転戦した。そしてナチスのダッハウ強制収容所を解放したのも四四二部隊だったとされる。そうして彼は負傷してアメリカへと帰還し、食料雑貨店を営み始め、同じ日系人と結婚し、ジャッキーの母や叔母も生まれていた。その祖父に何が起きていたのか。祖父とカーティスのことをたどっていくと、若かりし頃の祖父と黒人少女との秘められた関係が浮かび上がっていく。

かくしてジャッキーとラニアーの祖母とカーティスの過去と現在の交錯する探求、及び多様な登場人物からの回想とナラティブは、日系人と黒人のたどったアメリカの戦後史であるばかりでなく、ロサンゼルスのアンゼルメーサのクレンショー地区の歴史をもオーバーラップさせながら、もはや失われてしまった混住時代の黄金期を刻印づけようとしている。それは図らずも、ひとつの戦後の一時代に対するレクイエムのようにも思えてくる。

なおこの『ある日系人の肖像』の以前に、トマス・H・クックが『熱い街で死んだ少女』(田中靖訳、文春文庫)を書いている。これも一九六三年五月に起きた、アラバマ州バーミンガムでの公民権デモの渦中で発見された黒人少女の死体をめぐる事件をテーマとしている。このデモはキング牧師によって指導されたものだった。このデモも軍隊が動員され、多くの死者を出したはずだ。おそらくニーナの『ある日系人の肖像』もクックの作品を範としているように思われるし、これらの二作はミステリーの体裁をとっているけれども、いずれもアメリカの「ザ・シックスティーズ」のこだまのようにも読めるのである。

熱い街で死んだ少女

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1