同人誌
蛇足ながら、東急文化村事務局の承諾を得て、「第29回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞の言葉」を転載いたします。 2019年時の小田光雄の喜びの声です。 www.bunkamura.co.jp 「読み書きの職人」として / 受賞者 小田光雄 ある時期から、私は自分を「読み書きの…
今回は(株)パピルスの刊行物一覧を 書影を添えてお目に掛けたいと思います。 最後に小田光雄の年譜も添えておきます。 【パピルス刊行物一覧】 刊行年 書名 著者 訳者 【本についての本】 1990.7 『理想の図書館』 ベルナール・ピヴォー他 安達正勝他 【自…
今回は小田光雄の著書一覧を 書影を添えてお目に掛けたいと思います。 全70冊に共著2冊を加えています。 【付録】小田光雄 著書一覧 書名 出版社 刊行年 備考 『消費される書物 西村寿行と大衆文学の世界』 創林社 1982.5 『船戸与一と叛史のクロニクル』 青…
小田光雄亡き後も続けてきたブログ「出版・読書メモランダム」もついに終わりの時を迎えました。 2009年から16年間、「古本夜話」と「出版状況クロニクル」の二つの柱を中心に、没後も番外編、同人誌編、さらには第一冊目の著書『消費される書物 西村寿行と…
『消費される書物 西村寿行と大衆文学の世界』 Ⅳ これから論じられようとする物語の求心は、「強烈な暴力描写を引っさげて登場するや、たちまち大衆文壇を席巻し、ヴィオレンス・ノベルというジャンルを打ちたててしまった。とくに、その暴力性に裏打ちされ…
『消費される書物 西村寿行と大衆文学の世界』 Ⅲ こうした書物=物語の位相を「大衆文学」という言葉で称んでおこう。それではなぜ「大衆文学」なのか。それは所謂「純文学」という領域が作家、批評家、あるいは文壇という生産の場において占有されるとした…
『消費される書物 西村寿行と大衆文学の世界』 Ⅱ 何よりもまず、書物に対する古典的な図式は壊れているし、私たちは書物の中に文化や学問の純化された形態を見られる幸福な時代にはいない。たとえ疑似的に「良書」と称ばれるものが存在していたとしても、そ…
前回、遺著となる70冊目の『近代出版史探索外伝Ⅱ』の刊行をお知らせしました。 では第一作目の著書はというと、小田光雄31歳、1982年5月刊行の『消費される書物 西村寿行と大衆文学の世界』(創林社)でした。帯文には「書店人による現代読者論」と紹介され…
本日 70冊目の著書として、論創社ホームページに連載されたコラム「本を読む」を単行本化した『近代出版史探索外伝Ⅱ』が刊行となりました。小田光雄の著書ではめずらしく「本を読む」のタイトルどおり、少年期の農村の駄菓子屋兼貸本屋、町の商店街の貸本屋…
『祝祭』第2号 Ⅴ 不在の認識から出発し、その不在の現実を撃つために滅ぶべき運命にある短歌を手にして、悪意と殺意をこめて悪と死とエロチシズムの反世界を歌い、その果てに塚本邦雄は何処へ行こうとするのか。短歌の存在にみずからを賭け、その短歌の墓標…
『祝祭』第2号 Ⅳ 希望や夢を持って、愛や革命や未来について語れるものは語るがいい。塚本邦雄は希望や夢を持って、愛や革命や未来について歌わない。いやどうして現実の空無化に覚醒し、不在の淵を垣間見てしまった者が、夢や希望を持って、愛や革命や未来…
『祝祭』第2号 Ⅲ 塚本邦雄が出発にあたって、不在の現実を撃つために選択した表現手段である短歌とは塚本の裡にあって、どのような意味を持っていたのであろうか。〈虹見うしなふ道〉や〈泉涸るる道〉を久しく歩行して来た塚本が、〈みな海辺の墓地に終れる…
『祝祭』第2号 Ⅱ 塚本邦雄の出発における不在の、絶望の心象光景とは一体なんであったのだろうか。その塚本の心象光景を物語っているように想われる歌を示してみよう。 薔薇、胎児、欲望その他幽閉し ことごとく夜の塀そびえ立つ 『緑色研究』 虹見うしなふ…
『祝祭』第2号 Ⅰ ひとつの喪失の体験の後を生きながらえている人々がいる。世界の崩壊をまのあたりに見ながら生き永らえている人々がいる。不在の深淵を垣間見た人々がいる。現実の世界から滑り落ち、奈落の底で生きている人々がいる。幸福や希望を持たず、…
『VOLO』第4号 昭和51年9月10日発行 Ⅲ 遮断機の降りる音が聴こえていた。ここは部屋の中ではなかった。ぼくはここに今茫然として立っている。ぼくはどうしてここまで来たのだろうか。無意識のうちに部屋のドアを開け、白昼の夢遊病者の如く街の中を彷徨い歩…
『VOLO』第4号 昭和51年9月10日発行 Ⅱ 目覚めの時は今日もやって来た。重苦しい覚醒の回路を巡りながら、闇に塗り込められた風景の中に、夢とも現ともつかぬ象で存在していた幻覚と幻聴をいつものように反芻しながら、目覚めようとするのだった。悪夢との戦…
『VOLO』第4号 昭和51年9月10日発行 Ⅰ アスファルトの道路から立ち上る陽炎の中に、熱気を籠めて夏は顕現れていた。揺らめく陽炎は道路を疾走する自動車によって、一瞬の間破壊され、自動車の通過と共にその揺らめきを取り戻していた。破壊と再現、再現と破…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 ⅩⅢ 優しさと諦念としっかりしていなかったら生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。① (チャンドラー『プレイバック』) 「失われた父の伝説」と「偉大なる母親の物語」、そしてエディプス・…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅻ 見出された〈神話〉 「運命は汝の胸に横たわれり」 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』 ロス・マクドナルドの蒼ざめた世界の中を「鳥」が飛翔して行く。このマクドナルドの作品の至る所に登場する「鳥」は一体内を表象してい…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅺ 殺人者たちの瞬間(とき) かかるエディプス・エレクトラの曲率の世界の底で、犯罪は発酵し、無意識的な間隙をぬって日常世界へと突出する。殺人者たちの真の動機は、金銭でも、痴情の果てのものでもない。「父」の不在の…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅹ 偉大なる母の物語 「わたし本当におばあさんが憎らしかった。殺してやりたかった。父を子供の時から変な風に育てていまみたいにしてしまったのよ。エディプス・コンプレックスがどんなものかご存知でしょ?」「知ってる…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅸ 失われた父の伝説 ロス・マクドナルドは『動く標的』以来、リュウ・アーチャーを主人公とする『魔のプール』(五十年)、『人の死に行く道』(五一年)、『象牙色の嘲笑』(五二年)、『犠牲者は誰だ』(五四年)、『凶…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅷ リュウ・アーチャー ここで少し「私立探偵(プライベート・アイ)について考えてみる必要があるだろう。職業的意味を云えば、「私立探偵」とは、依頼人の依頼に応じて、就職、結婚、離婚調査を主とした様々な雑的調査に携わる者…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅶ ロス・マクドナルド登場 ロス・マクドナルドは私立探偵リュウ・アーチャーを主人公とする一連のハードボイルドを書く以前に、本名のケネス・ミラー名義で、四作のミステリーを発表している。それは、処女作『暗いトンネ…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅵ ハメットとチャンドラーの女たち わたしはハメットとチャンドラーの世界における男たちの世界に対する憧憬、失われて行く男たちへの哀歌とその執着について語り過ぎたかもしれない。それでは彼らの世界では女たちは如何…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅴ レイモンド・チャンドラー ハメットの男たちの世界に対する憧憬とアメリカ近代社会における軋みの中で生じた男たちの失墜に対して、イロニイをこめた哀切で歌ったものはレイモンド・チャンドラーであった。そしてチャン…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅳ ダシェル・ハメット ニューヨーク大恐慌と同年にハメットの『血の収穫』(二九年)は発表された。これは通称ポイズンヴィル(毒の町)ことパースンヴィルと云う街を舞台として、鉱山のストライキに原因を持つところのギ…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅲ ハードボイルド派 一般のアメリカ文学史の伝えるところに依れば、三十年代に入るや否や、「失われた世代」の作家たちの問題は忘れ去られ、二九年の大恐慌を境として、アメリカ史上未曾有の不況期の中で、ストライキ小説…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅱ 失われた世代― アメリカの「狂乱の二十年年代(ローリング・ツェンティーズ)は「失われた世代」と称される一群の作家たち、S・フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナー、ドス・パソス等を生み出した。 一九二十年、フィッ…
『VOLO』第3号 昭和50年10月1日発行 Ⅰ 三十年代へ―― 蒼ざめて行く視界の中を風が吹き抜けて行った。風景を視ていたのだった。風が樹々を揺らし、微かな鳥の羽搏きが聴こえた。陽の光で暖められ彩どられた硝子窓と風の流れで舞踏するカーテンは、もはやわたし…