出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話778 コーリアット『変態心理』と大日本文明協会

 前回の北野博美『変態性欲講義』の参考文献として、大日本文明協会から翻訳刊行されたクラフト・エビングの『変態性欲心理』を挙げ、北野の著書もそれをベースにしていることを既述しておいた。
変態性欲心理 (ゆまに書房復刻版)

 その大日本文明協会の「大日本文明協会叢書」に関しては、「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)で言及しているが、その一冊として、イサドール・エッチ・コーリアットの『変態心理』が出されている。刊行は大正十年であり、『変態性欲講義』の出版とほぼ同年なので、参考文献に挙げられていない。しかし雑誌だけでなく、このような翻訳も刊行されていることからすれば、確かに「変態性欲」や「変態心理」は大正時代のひとつの流行語であったと見なしていいだろう。
古本探究

 それは著者の「原序」によれば、「変態心理学即ち諸々の変態精神現象の研究は近年発達史たる科学的医学の一つ」で、この四半世紀を通じて欧米で研究が進められてきたとされる。原書のタイトルはまさにAbnormal Psychologyで、コーリアットはアメリカのボストン病院神経病科に勤務しているという。

 「心理学界に於ては今日変態心理の研究はいよいよ重大且つ必須」と始まる「序」を寄せた早稲田大学教授金子馬治に続いて、この翻訳に関して、大日本文明協会は「例言」の中で、次のように述べている。

 日本の学術界にも此方面の研究が次第に頭を抬げかけ、現に『変態心理』といふ月刊雑誌等もあつ(ママ)、熱心に斯学の考究が試みられてゐる今日、本原書を訳述し刊行するに至つたことは本協会の此上ない満足とする所である。

 つまり最も時宜を得た翻訳出版だと自讃していることになる。訳者は文学博士佐藤亀太郎と明記されているけれど、この人物のプロフィルなどの紹介はない。

 この『変態心理』の内容は二篇に分かれ、第一篇は潜在意識の現象を論じ、自動書記や透明凝視(これは透明な球体の凝視のこと)を通じての実験、感情の試験と分解、睡眠と夢、睡眠と精神生活の分解という構成で、潜在意識を客観的に分析する方法に及んでいる。第二篇は潜在意識がもたらす精神状態に起因する機能障礙、諸疾病の研究で、記憶脱失とその回復、記憶錯誤、人格分裂、ヒステリー、無根恐怖症、神経衰弱、精神癇癪発作、神経機能症などが論じられている。

 ここに外国の新しい分野の研究が紹介されるに当っての翻訳と解釈の混乱を見てしまう。そしてそれがAbnormal を「変態」と訳したことに端を発し、中村古峡の『変態心理』が田中香涯の『変態性欲』と併走し、本連載15の「変態十二支」や「変態文献叢書」の企画出版へとリンクしていったことは明白である。またそれの頭文字に起因する「H」の語源となったことも。

 それらをあらためて確認するために、平凡社の『大百科事典』(昭和八年)や『大辞典』(同十一年)を引いてみた。すると「変態心理」「変態心理学」は通常の精神現象と著しく異なる病的、もしくは変則の精神現象で、それを研究するのが精神病理学、「変態性欲」は異常な行為により性欲を遂げようとする傾向という定義が当てられている。

 つまり「変態」とは英語が文字どおり示すところの「異常」に他ならず、それが「変態」と訳されたことによって、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代と共鳴、連鎖し、これも出版史でいえば、本連載31の『近代犯罪科学全集』や『性科学全集』、同32の『現代猟奇尖端図鑑』や『世界猟奇全集』として企画編集されていったことになろう。
世界猟奇全集 (『世界猟奇全集』)

 それは先の事典や辞典が示すところによれば、昭和十年代まで延命し、次代を表象するコードともなっていたと思われる。その後の支那事変から大東亜戦争の進行につれ、そのような「変態」といったタームがどのような回路をたどっていったのかを確かめられないにしても、それが「異常」へと転換、移行するのは戦後を待ってのことだったと思われる。そのことを表象するのは昭和二十九年になって、みすず書房から刊行され始めた「異常心理学講座」全八巻であり、それは同四十一年に増補され、全十巻として再刊されている。そうした精神医学界の動向によって、「変態」というタームはその終焉へと向かったと思われる。しかし五〇年代になって、みすず書房からも、この「異常」ももはや時代にそぐわず、変えるべき必要があるとの言を聞いてもいる。

 この『変態心理』は「大日本文明協会叢書」の大正九年から十年にかけての十二冊の第五期の刊行に当たる四六判である。巻末広告を見てみると、本連載772のエレン・ケイ、本間久雄訳『戦争平和及将来』があり、寺田精一編著『科学と犯罪』も掲載されている。後者は翻訳ではないので、「大日本文明協会叢書」に連なるのか不明だけれど、寺田は前々回の日本変態心理学会=日本精神医学会の『犯罪心理講義』『惑溺と禁欲』の著者である。これらの二著には文学博士、犯罪心理学の権威と記されているだけだが、『科学と犯罪』には警察講習所講師が付されていることからすれば、「変態」なるタームも出版界だけでなく、警察や犯罪と密接なる関係をもって流通していたことを、あらためて教えてくれるのである。


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古本夜話777 北野博美『変態性欲講義』

 前々回の上田恭輔『生殖器崇拝教の話』の内容紹介に、「本書は当今大人気の性欲問題を捉へて流行の風潮に乗ぜんとするキワ物では御座らぬ」という一文が見えていた。それを読んで、大正が「当今大人気の性欲問題」時代でもあったことを想起させてくれた。

 それは本連載756などの北野博美が同時代に、その類書に他ならない一冊を出し、たまたま入手しているからだ。その一冊とは『変態性欲講義』で、「変態心理学講義録」第八篇として、大正十年に合本が発行され、十三年に再版されたものである。編輯兼発行者を中村蓊とし、日本変態心理学会から刊行されている。中村蓊は月刊雑誌『変態心理』を主宰していた中村古峡のことで、私も以前に「中村古峡と出版」(「古本屋散策」6、『日本古書通信』二〇〇二年九月号所収)や「大本教批判者としての中村古峡」(『古本探究3』所収)などを書き、その出版者としての軌跡、及び宗教的精神病理に関する研究に言及しているので、ここでは繰り返さない。必要であれば、そちらを参照してほしい。
古本探究3

 北野の『変態性欲講義』において、本連載72などのクラフト・エビングの『変態性欲心理』(斎藤光訳、大日本文明協会、ゆまに書房復刻)などに基づき、「変態性欲とは精神性及神経性障礙に因る性的生活の異常現象で、其の発現の様式には種々の範疇がある」と定義されている。そして彼は具体的にそれらを五種類に分けていくのだが、ここではそれらの説明を現在の用語に差し換え、挙げてみる。
 変態性欲心理 (ゆまに書房復刻版)

1 性交に関する異常現象 (インポテンツや早漏など)
2 性欲発現の時期の異常 (性的早熟と老年期性欲)
3 性欲発現の度の強弱に於ける異常 (色情鈍麻症と色情過敏性)
4 性的対象物の異常 (LGBT、ロリコン、獣姦、フェチシズムなど)
5 性的行為の変態 (サディズム、マゾヒズム、露出症、窃視症、オナニスムなど)

 これらは「主として普通一般人の生活中には見られないやうな特殊な現象、又は一般人の生活中にも多少は含まれてゐるが、特に其の或る一部面のみが拡大して表現されてゐると思はれるやうな異常な状態」とされる。このようにして、クラフト・エビングなどの性科学の導入により、大正時代において「変態性欲」がカテゴリー化されたことになろう。

 そのイデオローグの一人が本連載442でも挙げた『性之研究』によっていた北野であり、『変態性欲講義』でも、その主幹を名乗っている。すでに同756などで見たように、昭和に入って『民俗芸術』と柳田民俗学に接近する前に、北野はこのような性科学の分野に身を措き、中村古峡の近傍にいたのである。この「変態心理学講義録」シリーズのうちの判明しているものだけでも挙げておくと、中村古峡『変態心理講義』『催眠術講義』、小熊虎之助『心霊学講義』、森田正馬『精神療法講義』、向井章『臨床催眠術講義』などとなる。

 また『変態性欲講義』の巻末には十四ページに及ぶ日本精神医学会の出版広告が掲載され、その品川御殿山の住所から、それが日本変態心理学会と同じだとわかる。そして同会から大正六年に中村古峡主幹雄『変態心理』、同十一年に前大阪医大病理学教授田中香涯主筆の『変態性欲』が創刊され、それらの「合本」の発言も謳われている。これに北野の『性之研究』も合わせて、三誌が「変態性欲講義録」の雑誌メディアインフラを形成し、変態性欲という性科学をプロパガンダしていたと考えられる。

 それらの中でも新たに創刊の『変態性欲』は次のように宣言されている。

 性の研究は近来の流行問題なりと雖も、其の多くは徒らに挑発を事とする俗悪の文字か、若くは杜撰なる翻訳或は焼直し文に過ぎず、我が読書界を誤る大なるものあり。田中香涯先生深く之を慨し、爰に是等一切の駄文字、似而非研究を一掃すべく決然として立たる。先生は嘗て大阪医科大学に久しく病理学の講座を担当せられ、又夙に独逸に遊び、東西の文献を渉猟し、我邦性欲学の第一人者たり、論旨透徹、引証該恃、性の真研究に接せんとほっするの士は、請ふすべてを捨てて本誌に来れ!!

 そして田中の著書として、『夫婦の性的生活』が増補十版、『夫婦間の性的教育』が改版三版、新著『趣味の生理及病理』も掲載され、田中がこの時代に本連載43の澤田順次郎、羽太鋭治と並んで、「性欲三銃士」と称せられていたことを彷彿とさせる。しかしこのような田中にしても、『民間学事典:人名編』(三省堂)に立項されているだけなので、その経歴は『変態性欲』の宣伝コピーを引いたことを付記しておこう。
『民間学事典:人名編

 なお日本精神医学会からは「日本変態心理叢書」として、中村古峡『少年不良化の経路と教育』『自殺及情死の研究』、「通俗精神医学叢書」として、『変態心理』編輯部訳編『実際修養精神統一法』『クーエ式自己暗示法』が出されている。また『変態心理』は大空社から復刻されているが、『変態性欲』はその実現を見ていない。

 また最近になって、北野の『民俗芸術』の国書刊行会の復刻を知ったことを付記しておく。


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古本夜話776 神谷敏夫『最新日本著作者辞典』と「大同館発行分類図書目録」

 続けてふれてきた大同館のことだが、本連載でもしばしば参照してきた神谷敏夫の『最新日本著作者辞典』が大同館から出され、しかもその巻末には「東京神田大同館発行図書分類目録」三百点ほど二十四ページにわたって掲載されていることもあり、もう一回書いておくことにする。
 この『最新日本著作者辞典』は「我が国古今の代表的文学者・作家・学者を一本に会せしめ、其の時代・種別・伝記・作風・学風著作を簡明に知らしめようと試みたもの」で、その特色は「中学校国語漢文教科書に収められた文の作者を中心として、国文学史・国語学史・文化史等より之を選び、尚現時活躍せる文壇人を網羅し、又特に学界一流の諸学者及一般著作者を記載し、其の特別研究をかゝげたもの」とされる。

 これは昭和六年の刊行ということもあり、昭和円本時代の全集類が資料として挙げられている。それらは改造社の『現代日本文学全集』、春陽堂の『明治大正文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』を始めとする十種に及んでいる。そのことから推測されるのは近代出版史上において、わずか五、六年の間に、延べ巻数にすれば、膨大な全集類が集中して刊行され、それと併走するように、これもまた無数の著作者たちが生み出されたという事実であろう。それを背景にして、この二千五百人を立項する辞典も成立したのではないだろうか。その意味において、『最新日本著作者辞典』は昭和円本時代の副産物のようなものとも考えられ、そこにこの辞典ならではのオリジナリティもこめられているのかもしれない。

現代日本文学全集 『現代日本文学全集』明治大正文学全集『明治大正文学全集』現代日本文学全集 『現代大衆文学全集』

 おそらくそれに起因するであろうが、思いがけない人物も立項されているので、その例を挙げてみる。

坂本紅蓮洞 さかもとぐれんどう
 明治から大正へかけて出た新聞記者である。本名を易徳といひ、慶応二年九月江戸麻布に生れた。慶応義塾文科の出身で福澤桃介と同期生である。初め数学の天才として知られてゐた。高知県中学校・立教中学校其の他で教鞭をとつたことがある。其の後新聞記者生活に入り、其の飄逸、我執、孤独の性向は文壇の名物となつた。大正十四年十二月(皇紀二五八五・一九二五)六十歳で没した。著書に、文壇立志篇がある。

 坂本は後に『日本近代文学大事典』にも見出され、これを補足すれば、「文学者と交わり、奇癖の逸話が多く、酒間に毒舌を弄する文壇名物男である。その雅号のように、のらくらと放浪生活に浮き身をやつし、窮乏のうちに死んだ」とされる。

 著者の神谷敏夫に関する履歴などの掲載はないが、「本書は東京外国語学校友枝照雄教授の御指導に負ふ所が頗る多い」とあるので、神谷も東京外国語学校関係者と見ていいだろう。だが残念なことに巻末目録の著者の中に二人の名前は見つからない。

 しかしあらためてこの「大同館発行分類図書目録」を繰っていて実感させられるのは、昭和に入っての大同館の著しい成長である。その分類は哲学・思潮・倫理書類、教育・教育思想書類、生理衛生及動物科書類、家庭書類、受験指南書類、一般書類、図画科書類、習字科参考書類、少年史伝叢書、漢文書類、地理書類、英語書類、国文・国語書類、数学参考書類、体育参考書類、歴史科参考書類となっている。それらの壮観なラインナップは大同館が教育書、学参書の総合出版社として、確固たる地位を占めるに至ったことを伝え、昭和戦前の教育書の時代を彷彿とさせる。

 それに加えて、多くが菊判、四六判上製の大冊で、しかも版を重ねている。ちなみに大同館は文検受験参考書から始まっているとされるが、それらの「文検受験用」の主な著者、書名、重版数を挙げてみる。

* 明治教育社編 『国民道徳要領』四十版
* 教育学術会著 『教育勅語成甲詔書解義』二十三版
* 伊藤勇太郎著 『英語科研究の為に』九版
* 石川誠著 『漢文科研究者の為に』十四版
* 大日静夫著 『若い検定学徒の手記』五版
* 交換研究会著 『文検各科受験の手引』三版

 これらは未見だし、著者も編者も知らない。そして「文検」なるものの実態もはっきりつかんでいないけれど、これらがそのような時代を表象していることだけは認識できる。

 「目録」の点数が三百点に及ぶことを先述したが、こうして確認してみると、一冊も読んでいないことがわかる。このような出版社は珍しいというしかない。

 なお『最新日本著作者辞典』は日本図書センターから復刻されていることも付記しておく
f:id:OdaMitsuo:20180321113101j:plain:h120(日本図書センター復刻)


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出版状況クロニクル120(2018年4月1日~4月30日)

18年3月の書籍雑誌推定販売金額は1625億円で、前年比8.0%減。
書籍は1017億円で、同3.2%減。
雑誌は608億円で、同15.0%減。
雑誌の内訳は月刊誌が507億円で、同15.9%減、週刊誌は101億円で、同10.2%減。
返品率は書籍が27.1%、雑誌が42.0%。
書店店頭売上は『漫画 君たちはどう生きるか』などのヒットがあり、書籍は前年比1%マイナスだが、雑誌は定期誌10%減、ムック11%減、コミック6%減で、17年以上にトータルとしての雑誌離れが進行している。
3月の前年同月比マイナスは141億円で、18年の1月から3月にかけての第1四半期は322億円減である。
詳細は『出版状況クロニクル4』の2014年のところを見てほしいが、破綻以前の取次のそれぞれの売上高は、大阪屋が766億円、栗田出版販売が371億円、太洋社が252億円であるから、いかにマイナスが大きいかわかるだろう。それが現在の取次を直撃している。
第2四半期も始まっていくが、現在の出版状況から考えれば、マイナスは加速していくと判断するしかない。

君たちはどう生きるか  出版状況クロニクル4


 
1.前回もふれたように、『日経新聞』(3/31)の発信によれば、楽天が大阪屋栗田に対し、20億円追加出資して子会社化し、社名も「楽天」を含む商号に変更するとのことだった。
 だが楽天は、それは自社からのリリースではないとし、コメントを拒否し、その後の動向も伝えられていない。

 結局のところ、『日経新聞』の発信は大阪屋栗田、もしくは株主出版社周辺からのリークと見なせるだろう。
 楽天は3月9日付プレスリリース「一部ウエブサイトについて」を出し、「楽天は、引き続き株式会社大阪屋栗田―OaK 出版流通―と連携し、出版業界の発展に取り組んでまいります」と宣言したばかりなので、どうなっているのか。リリースの注として、これは「発表日現在の情報」で、「最新の情報と異なる場合」があると付されているが、そういうことなのであろうか。
 それに関し、大阪屋栗田も「ニュースリリース」を出さず、マスコミや業界紙などでも続報は伝えられず、1ヵ月が過ぎたことになる。
 その一方で、大阪屋栗田の取引書店による18年「OaK友の会」連合大会は中止、新入社員も17年に引き続き、ゼロ採用となっている。



2.これも前回の本クロニクルで、日販の平林彰社長の出版社への取引条件変更要請について、「日販非常事態宣言」だとの判断を既述しておいた。

 しかしかつて取次史上なかった重要な発言であるにもかかわらず、と同様にマスコミや業界紙も、大問題として言及することを避けていると見なすしかない。大手新聞はいずれも出版部門を抱えているので、自らの問題へと跳ね返ってくるし、それは出版社系経済誌も同様であるからだ。
 だがこれは出版業界で最大の売上高6200億円を超える取次としての日販の発言、しかもこの出版危機状況における発信という事実からすれば、看過すべき問題ではない。正面から直視し、そこにこめられた意味を解読すべきだろう。

 そこから浮かび上がってくるのは、1990年以後の日販がたどってきたCCC=TSUTAYAとの癒着というしかない、複合大型店のフランチャイズ・ナショナルチェーン化の帰結である。それは取次戦争でもあり、鈴木書店、大阪屋、栗田、太洋社、日本地図共販を敗北へと追いやってきた。しかしそうしたプロセスは、流通業としての取次が自ら危機を招来したともいえる。
 流通業の原則からすれば、一定数の標準店をベースとして、取次システムは構築され、成立していたのである。その雑誌をメインとする標準店とは中小書店に他ならず、取次全体として2万店以上が不可欠だったと考えられる。丸善や紀伊國屋などの特販の大型店は統一正味、歩戻し、返品当月入帳などから利益は上がらず、大半を占める中小書店こそが取次にとっての安定した市場で、まさに生命線に他ならなかった。

 だが『出版業界の危機と社会構造』で詳細に記述しておいたように、1990年代半ばの改正大店法の規制緩和から2000年の大店立地法の施行により、大型店出店はフリーとなり、TSUTAYAを始めとするナショナルチェーンは、さらに複合大型店化を進めていった。それが中小書店を壊滅させることになったのはいうまでもあるまい。 
 それとパラレルに中小取次も退場に追いやられ、かくして日販とトーハンだけがサバイバルしてきたことになる。しかし雑誌とレンタルが凋落する中で、こちらもまた利益をもたらさないバブル出店的大型店、「囲い込み」傘下書店、大赤字のコンビニが残されたことになる。

 「日販非常事態宣言」はこのような取次と書店状況を背景として出されたものだと見なせよう。前回、の大阪屋栗田が株主にしか目が向いていないと指摘しておいたが、日販の場合は「囲い込み」傘下書店とCCC=TSUTAYAにあることが歴然としている。
 かつては大手出版社の雑誌をコアとし、その流通と金融を代行することが存在理由だったはずの大手取次は、初めて書店の側に立ったことになる。それは単純計算すると、「囲い込み」傘下書店とCCC=TSUTAYAの販売金額を合わせれば、日販の売上高の半分の3000億円に達するからだ。しかもそれらが危機に追いやられていることは間違いない。

 それに「日販非常事態宣言」はすでに現在の取次システムが赤字だといっているに等しいことに注視しなければならない。これも流通業の原則だが、採算ベースを上回っていけば、利益率は上昇する一方だけれども、下回った場合、赤字が加速して増加していくという事実である。
 そのような取次の状況下においても、出版社との取引条件変更交渉はスムーズに進むはずもないし、出版社側から見れば、書店支援というよりも、レンタルその他部門へ補填流用されるのではないかと疑心暗鬼も生じるだろう。もはや出版社、取次、書店というコミュニティが崩壊してしまった中での交渉が難しいことはいうまでもない。

 これから否応なく焦眉の問題として、取次に関する事柄や情報が語られていくだろうが、その際には取次に関する基礎文献である、村上信明『出版流通とシステム』(新文化通信社、1984)、清水文吉『本は流れる』(日本エディタースクール出版部、1991)、西谷能雄『出版流通機構試論』(未来社、1981)などに目を通してからにしてほしい。
 村上がその著書でいっているように、出版社や書店以上に「一つ一つの事柄が体系的かつ全体的に把握されていなければ、取次を語ることは難しい」し、本クロニクルもそれを自戒の言葉としているからだ。

出版業界の危機と社会構造  f:id:OdaMitsuo:20180426175504j:plain:h110  f:id:OdaMitsuo:20180426175852j:plain:h110



3.有隣堂が東京ミッドタウン日比谷3階に「HIBIYA CENTRAL MARKET」237坪をオープン。
 これは居酒屋、理容室、アパレル、雑貨、メガネ、コーヒー、書籍雑誌、イベントスペースの8業種の新規店で、すべてを直営し、目標粗利益率は60%とされる。


4.今井書店グループが雑貨とカフェと本を融合させた「シマトリ」を本の学校今井ブックセンター内に150坪でオープン。

 これらふたつの新業態店の写真が「文化通信bBB」(4/23)に掲載され、もはや書店が単独店で生き残っていくことが不可能な時代に入ってしまったことを象徴しているかのようだ。
 そういえば、これもすでに20年近く前のことになってしまうけれど、本の学校今井ブックセンターに呼ばれたことがあった。その2階から書店の光景を眺め、感銘を受けたことを思い出す。その時会った人たちはお達者であろうか。



5.『出版月報』(3月号)が特集「文庫マーケットレポート2017」を組んでいるので、その「文庫マーケット推移」を示す。

■文庫マーケットの推移
新刊点数推定販売部数推定販売金額返品率
増減率万冊増減率億円増減率
19954,7392.6%26,847▲6.9%1,396▲4.0%36.5%
19964,718▲0.4%25,520▲4.9%1,355▲2.9%34.7%
19975,0577.2%25,159▲1.4%1,3590.3%39.2%
19985,3375.5%24,711▲1.8%1,3690.7%41.2%
19995,4612.3%23,649▲4.3%1,355▲1.0%43.4%
20006,09511.6%23,165▲2.0%1,327▲2.1%43.4%
20016,2412.4%22,045▲4.8%1,270▲4.3%41.8%
20026,155▲1.4%21,991▲0.2%1,293 1.8%40.4%
20036,3733.5%21,711▲1.3%1,281▲0.9%40.3%
20046,7415.8%22,1352.0%1,3132.5%39.3%
20056,7760.5%22,2000.3%1,3392.0%40.3%
20067,0253.7%23,7987.2%1,4165.8%39.1%
20077,3204.2%22,727▲4.5%1,371▲3.2%40.5%
20087,8096.7%22,341▲1.7%1,359▲0.9%41.9%
20098,1434.3%21,559▲3.5%1,322▲2.7%42.3%
20107,869▲3.4%21,210▲1.6%1,309▲1.0%40.0%
20118,0101.8%21,2290.1%1,3190.8%37.5%
20128,4525.5%21,2310.0%1,3260.5%38.1%
20138,4870.4%20,459▲3.6%1,293▲2.5%38.5%
20148,6181.5%18,901▲7.6%1,213▲6.2%39.0%
20158,514▲1.2%17,572▲7.0%1,140▲6.0%39.8%
20168,318▲2.3%16,302▲7.2%1,069▲6.2%39.9%
20178,136▲2.2%15,419▲5.4%1,015▲5.1%39.7%

 文庫販売金額はかろうじて1000億円を割りこまなかったけれど、5年連続マイナスで、下げ止まる気配はまったくない。17年の書籍推定販売金額のシェアは14.7%で、雑誌、コミックと並ぶ書店売上のベースを占めているが、前回のクロニクルで見たように、雑誌、コミック、文庫と、書店売上の柱が揃って落ちこむばかりである。

 しかも1990年代後半は新刊点数5000点台で、販売金額1300億円をキープしていたのに、それが6000点から8000点台に及びながら、16年に至っては1000億円、18年にはそれも割ってしまうことが確実である。
 それから返品率はこの4年間39%台で推移し、文庫の生産、流通も赤字になっているのではないかとも推測される。文庫は雑誌に最も近いかたちで発行されていることからすれば、雑誌と同じく返品の多くは断裁の憂き目にあっていることも考えられる。もはや文庫もロングセラーではなく、絶版の山を築きながら出されているのだろう。



6.『日本の図書館統計と名簿2017』も出されたので、公共図書館の推移を示す。

日本の図書館統計と名簿2017
 

■公共図書館の推移
    年    図書館数
専任
職員数
(人)
蔵書冊数
(千冊)
年間受入
図書冊数
(千冊)
個人貸出
登録者数
(千人)
個人貸出
総数
(千点)
資料費
当年度
予算
(万円)
1971 8855,69831,3652,5052,00724,190225,338
1980 1,3209,21472,3188,4667,633128,8981,050,825
1990 1,92813,381162,89714,56816,858263,0422,483,690
1997 2,45015,474249,64919,32030,608432,8743,494,209
1998 2,52415,535263,12119,31833,091453,3733,507,383
1999 2,58515,454276,57319,75735,755495,4603,479,268
2000 2,63915,276286,95019,34737,002523,5713,461,925
2001 2,68115,347299,13320,63339,670532,7033,423,836
2002 2,71115,284310,16519,61741,445546,2873,369,791
2003 2,75914,928321,81119,86742,705571,0643,248,000
2004 2,82514,664333,96220,46046,763609,6873,187,244
2005 2,95314,302344,85620,92547,022616,9573,073,408
2006 3,08214,070356,71018,97048,549618,2643,047,030
2007 3,11113,573365,71318,10448,089640,8602,996,510
2008 3,12613,103374,72918,58850,428656,5633,027,561
2009 3,16412,699386,00018,66151,377691,6842,893,203
2010 3,18812,114393,29218,09552,706711,7152,841,626
2011 3,21011,759400,11917,94953,444716,1812,786,075
2012 3,23411,652410,22418,95654,126714,9712,798,192
2013 3,24811,172417,54717,57754,792711,4942,793,171
20143,24610,933423,82817,28255,290695,2772,851,733
2015 3,26110,539430,99316,30855,726690,4802,812,894
20163,28010,443436,96116,46757,509703,5172,792,309
2017 3,29210,257442,82216,36157,323691,4712,792,514

 17年の個人貸出数は、16年に7億冊を回復していたが、14、15年と同様に6億冊台へと戻ってしまった。だが図書館数は19館の増加を見ているし、貸出登録者数もほぼ横ばいであることからすれば、基本的には2010年代は7億冊前後の貸出数で推移してきていると見るべきだろう。

 だが問題なのは書籍の推定販売部数が2011年から7億冊を下回り、図書館貸出数に抜かれてしまったことで、しかも17年にはついに6億冊を割り、5億9157万冊となり、両者の差は1億冊に及んでしまった。
 書籍推定販売冊数の推移をたどれば、1996年の9億冊から3億冊のマイナスとなっている。それに対し、図書館貸出冊数は97年の4.3億冊から、17年の6.9億冊と2.6億冊増加し、書籍販売冊数のマイナスと近い数字となる。
 もちろんこれがすべての図書館の影響だというつもりもないし、この20年間における出版物売上高と書店数の半減も作用していることは承知している。だが書店との棲み分けを考慮しない公共図書館の増加が、このような貸出冊数と販売冊数の逆転を生じさせたことは否定できないだろう。

 またしても、文春の松井清人社長たちと千代田区立図書館員たちによる「文庫貸し出しの議論」がもたれている。しかしそれよりも直視すべきはで示した日本の出版業界における文庫の位置づけ、出版経済も含めた文庫の意味、ここで挙げた図書館データ推移から浮かび上がる公共図書館における市民と読者、蔵書と貸出の関係、文庫で読むことの読書習慣などの根本的な問題ではないだろうか。



7.CCCの連結子会社で、コミックやライトノベルを発行するアース・スターエンターテイメントが泰文堂の全株式を取得し100%子会社化。


8.旭屋書店を運営する旭屋書店と東京旭屋書店は、それぞれ発行済み株式の30%強をCCCに売却。

 いずれもCCC傘下へということになるが、釈然としない印象がつきまとう。
 出版社としての泰文堂は語学や教科書がメインだったはずで、それがコミックやライトノベル版元による子会社化にどのような意味があるのか。考えられるのは、泰文堂が老舗出版社ゆえに高正味という理由だが、まだ他にも事情があるのかもしれない。
 旭屋書店の場合も、『出版状況クロニクル5』でふれておいたように、もはや書店売上ランキングからも姿を消していて、この出版状況下でのM&A案件にふさわしいとも思われない。とりあえず日販がCCC傘下に「囲い込み」させたということになろうか。
 まだ公表されていない出版社のM&Aも多くあり、語学書ということであれば、三修社も映像、ネット、モバイル、ゲームなどを媒体とするコンテンツ制作の総合メディアプロダクションのブレイングループの傘下入りしたようだ。
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9.京都府舞鶴市の書籍販売とCD・DVDレンタルのカルチャープレスが破産。
 2001年の年商4億4000万円が17年には1億6000万円に減少していた。負債は1億3500万円。

 『ブックストア全ガイド96年版』(アルメディア)で確認してみると、舞鶴市にもINDEXにもカルチャープレスは見当らない。
 96年以後の創業、もしくは社名変更も考えられるが、レンタルから始めて出版物も手がけるという複合店化をたどった業態のように思われる。そのようにカルチャープレスを位置づけてみると、レンタル事業の失墜は加速していることがうかがわれる。

 折しも2005年からスタートしたアマゾンのプライム会員数が初めて公表されたが、世界で1億人を突破している。またネットフリックス会員数も1億2500万人に及ぶという。見放題、聴き放題、動画配信のさらなる成長は、レンタル市場の凋落に拍車をかけていくであろう。



10.映画関連書や映画検定試験事業を手がけていたケージェイが破産。
 映画雑誌『キネマ旬報』を発行し、東京都中小企業再生支援協議会の支援を受け、私的整理を実施し、新会社に主力事業を移管し、第二会社方式による再建をめざしたが、解散となり、今回の措置に至った。負債は7億3300万円。

キネマ旬報

「旧」キネマ旬報社のたどった結末ということになる。
 『キネマ旬報』は1919年に創刊され、21年には現在まで続くキネマ旬報ベスト・テンを設け、映画評論誌としての地位を確立した。戦後の1951年に復刊し、2016年まで出されてきたが、17年「新」キネマ旬報社のもとに移されていた。
 映画を観る環境はDVD、動画配信、シネコンなどによって様変わりしてしまったといってもいいけれど、映画をめぐる出版はやせ細っていくばかりのように思える。一期一会のようにしか観られない時代は多くの映画書が出されていたのに、いつでも観られる時代になると、そうではなくなるというのは何という逆説であろうか。
 ケージェイ=「旧」キネマ旬報社のたどった結末は、それを象徴しているといっていい。



11.船井メディアが特別清算。
 同社は1995年船井総研グループの創設者船井幸雄によるプライベート・カンパニーとして設立され、月刊誌『ザ・フナイ』やCDマガジン『JUST』などの制作、販売、セミナー事業などを手がけていた。
 2008年には売上高8億円を計上していたが、14年の船井の死去に伴い、15年には3億円に落ちこみ、出版事業は15年に船井本社に譲渡されていた。負債は1億4800万円。

 船井メディアはバブル時代に設立された多くの出版社のひとつに挙げられるだろう。
 しかし創業者の知名度が高く、自らの名前を付した出版物はそれなりの売上高を確保できるにしても、その依存度が高く、亡くなってしまえば、効果は急速に希薄化していくことを示している。おそらくPHPを範として設立されたはずだが、ビジネス書出版社としての成長は難しかったのであろう。



12.政府は漫画を無料で読める海賊版サイト「漫画村」「Anitube」「MioMio」へのサイトブロッキングの「緊急対策」実施を決定。
 それを受けて、NTTグループは3つの海賊版サイトのサイトブロッキングを実施し、ソフトバンクとKDDIは検討中とされる。

 しかしこのような海賊版サイトは200以上あるとされ、誰がそのサイトブロッキングを決め、接続業者に要請するのか、具体的に明らかになっておらず、政府による検閲と事業者への圧力、議論なきサイトブロッキングの様相も帯びている。
 先に実施された児童ポルノサイトのサイトブロッキングは総務省、警察庁、事業者側が3年がかりの議論を経て決定したもので、今回の漫画の場合の「緊急対策」の内実が問われなければならないだろう。

 それは本クロニクルも、前回ふれたように、議論なきサイトブロッキング的対応に直面したからで、どのようなブログでもそうした事態に追いやられることもふまえるべきだと実感しているからだ。
 それに専門家からは、サイトブロッキングは技術的に簡単ではないし、有効性も理解されていないし、効果は疑問で、対象外サイトも見られなくなる可能性も挙げられている。また著作権被害額にしても、出されている3200億円は過大ではないかとの疑問も生じている。
 いずれにしても、議論なきサイトブロッキングは後に禍根を残すと考えざるをえない。



13.『日経MJ』(4/6)が「LINEに行列 漫画家争奪戦」と題して、スマートフォンによる漫画アプリをめぐる大手出版社とネット企業の特集を組んでいる。
 そのチャートは次のようなものである。

■大手出版社
出版社アプリ名サービス開始ダウンロード数
集英社少年ジャンプ+2014年9月900万件
小学館マンガワン2014年12月1250万件
講談社マガジンポケット2015年7月

■ネット企業
アプリ名サービス開始ダウンロード数
LINELINEマンガ2013年4月1900万件
ディー・エヌ・エーマンガボックス2013年12月1000万件
コミックスマートガンマ2013年12月950万件


 続けて大手出版社の漫画アプリ発ヒット作品も挙げてみる。ネット企業のほうでは、「ガンマ」連載のヒット作『外れたみんなの頭のネジ』の単行本発行はアース・スターエンターテイメントとあるので、7の泰文堂を子会社にしたのはネット企業系だとわかる。
外れたみんなの頭のネジ

■大手出版社漫画アプリ発ヒット作品
出版社タイトル発行部数(電子版含む)
講談社インフェクション
金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿
DAYS外伝
127万部
55万部
21万部
小学館マギシンドバッドの冒険
モブサイコ100
ケンガンアシュラ
560万部
195万部
180万部
集英社終末のハーレム220万部

 トーハンの「LINEマンガ」や「ガンマ」など、ネット系のアプリ集計によれば、それらで連載単行本化された作品数は14年4点、15年67点、16年145点、17年151点と増えてきているが、ネットで人気を得ても、単行本でヒットするとは限らないようだ。

 現在マンガアプリは100以上あると見られるが、これからも単行本点数が増えていくかどうかはもう少し見極める必要があるだろう。
 ちなみに『創』(5、6月号)も「マンガ市場の変貌」を特集している。そこで、前回の本クロニクルでも伝えたが、初めて電子コミックスが紙のコミックスを上回ったことへの言及がなされ、その逆転に対する疑問も提起されている。
 それは大手出版社のマンガ編集者も同様の意見で、電子コミックデータ集計が簡単ではないという事情も浮かび上がってくる。そしてそのことが海賊版サイトによる著作権被害額の問題へとも結びついているのである。
創



14.北海道が稀見理都『エロマンガ表現史』(太田出版)、滋賀県が黒沢哲哉『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』(双葉社)を有害図書指定。
エロマンガ表現史 全国版 あの日のエロ本自販機探訪記

 12の検閲とサイトブロッキングではないけれど、東京オリンピックを控えてであろう検閲を、地方自治体も始めている。本クロニクル116で、イオングループのミニストップや未来屋書店からの成人向け雑誌の販売中止が、千葉市からの要望によることを既述しておいた

 それは前回の東京オリンピックと連動して起きた1963年の「悪書追放運動」を想起させるので、千葉市のイオンの例を、自治体と流通業者は見ならうべきではないと述べておいた。しかしこれらの有害図書指定に明らかなように、地方自治体のほうは見ならおうとしているのだろう。それも政府による海賊版サイトへの検閲とサイトブロッキングによって、さらに推進されていくのではないだろうか。
odamitsuo.hatenablog.com



15.『現代思想』(3月号)が「物流スタディーズ―ヒトとモノの新しい付き合い方を考える」を組んでいる。
現代思想

 本クロニクルでも、何度か『現代思想』の特集に言及してきたが、まさか物流問題までは想像していなかった。
 しかし本クロニクル113でふれているように、デパート、ショッピングセンターなどの「旧大陸」に対して、「新大陸」とされるアマゾンやメルカリを見れば、それがインターネットを通じての金融とロジスティクスを伴うグローバリゼーションであるばかりでなく、新たなテクノロジーによる物流革命だと認識できる。
 
 今回の特集では、田中浩也と若林恵の対談「グローバルとローカルをつなぐテクノロジーの編集力」、大黒岳彦「〈流通〉の社会哲学」にとても触発されたことを記しておこう。
odamitsuo.hatenablog.com



16.春秋社が創業100周年として、「年次別刊行書目(1919年~2017年)」を収録した図書目録を刊行。

 春秋社は昭和円本時代に、『世界大思想全集』第Ⅰ期78巻を刊行しているが、この企画編集と翻訳の全容がつかめていない。
 それから夢野久作の『ドグラ・マグラ』を始めとして、多くの探偵小説を、発行所春秋社、発売所松柏館として刊行している。こちらもその全貌が不明である。
 先日も同様にして、昭和12年刊行のトムソン『探偵作家論』(廣播洲訳)を入手したが、図書目録には同11年刊行とあった。
 春秋社の戦前のまとまった単行本リストを目にするのは初めてなので、とても参考になるし、貴重な書誌データとして有難い。
 なお世界思想社も創業70周年記念号として、『世界思想』(45号)が特集「メディア・リテラシー」を組んでいることを付記しておく。
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17.ロシア文学者の太田正一が亡くなった。

f:id:OdaMitsuo:20180428142400j:plain:h110 プリーシヴィンの日記 エマ・ゴールドマン自伝

 彼は小社のプリーシヴィン『ロシアの自然誌』『森のしずく』の訳者であり、私も『エマ・ゴールドマン自伝』(ぱる出版)の拙訳に際して、ロシア語関連のことで、ご教示を得ている。
 その死を追悼し、中村喜和による太田正一編訳『プリーシヴィンの日記』(成文社)の書評が『産経新聞』(4/1)に掲載された。
 プリーシヴィンはロシアの先駆的なエコロジストにして思想家であった。1990年代に、その初めてといっていい翻訳に際し、ロシア語版選集を彼にプレゼントできたことは本当によかったと思う。この『日記』の訳出もそれによっているのかもしれないからだ。
 しばらく会っていなかったのが残念だが、心からご冥福を祈る。



18.植田康夫の死が伝えられてきた。
『「週刊読書人」と戦後知識人』

 彼はいうまでもなく、『週刊読書人』編集長や上智大学教授、出版学会会長、の本の学校理事長も務め、出版業界でもよく知られていた人物であった。
 だが私にとっては何よりも、『「週刊読書人」と戦後知識人』(「出版人に聞く」17)の著者で、図らずも、これが実質的遺著となってしまった。そうした意味において、インタビューしておいてよかったと思う。とはいえ、このシリーズの著者の死は5人目である。
 外出が困難になってきたとは仄聞していたけれど、死に至るほどではないと考えていた。
 謹んでご冥福を祈ります。



19.『出版状況クロニクル5』は5月上旬発売となる。
 このような出版状況下で、スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ』を観たことを、そっと付け加えておこう。
 論創社HP「本を読む」㉗は「松田哲夫、筑摩書房『現代漫画』、『つげ義春集』」です。

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古本夜話775 上田恭輔『支那骨董と美術工芸図説』と大阪屋号書店

 大同館の本間久雄『エレン・ケイ思想の真髄』の巻末広告には、これも参考書出版社らしからぬ一冊が見られる。それは上田恭輔の『生殖器崇拝教の話』で、「生殖器崇拝問題を学術的組織的に研究したる本邦最初の試み」とされ、「好評三版」と謳われている。これは手元にあり、袖珍洋装判、一六〇ページほどの小さな本だが、著者は「紀州の南方熊楠先生と共に隠れたる二大学者の世評ある大蓮(ママ)の上田先生」で、その「旧著を改版したもの」とのキャッチコピーが付されている。

 上田はまとまった立項を見出せないけれど、植民地政策の専門家で、台湾総督府を経て、満洲に渡り、満鉄初代総裁の後藤新平のもとで、東インド会社を範とし、満鉄の立役者として辣腕をふるったとされている。その一方で、支那陶磁器に関する第一人者ともされ、それは満鉄中央研究所に窯業試験場を設け、日本人研究者や陶工を招き、実際に制作にも関与したことによっている。それらの著作は大半が大阪屋号書店から刊行され、そのちの『支那骨董と美術工芸図説』を入手している。『生殖器崇拝教の話』のほうは勉誠出版から川村邦光の解説を添え、復刻されてもいるので、ここでは前者に言及してみる。

 手元にある『支那骨董と美術工芸図説』は表紙に「乾隆硝子のトンボ玉」をカラー写真であしらった一冊だが、これは図書館の旧蔵本なので、箱、もしくはカバーの表紙を切り取り、それを本体の表紙へ貼りつけたとも考えられる。しかしそのような加工がなされていても、同書は紛れもなく美術豪華本と呼ぶに値するし、菊判二七四ページであるけれど、厚さは四センチを超え、三〇ページに及ぶ「珍品若干」の口絵写真を始めとして、文中にもアート紙による写真がふんだんに配され、本文の上質な紙使用と相まって、定価七円五十銭にふさわしい造本に仕上がっている。

 その内容は上代の石器と土器、編物と籠細工、金属と銅器工芸、漆工芸美術、織物、毛織物、染め物工芸、刺繍、彫刻美術、鼈甲細工、篆刻工芸、泥像美術、印刷工芸、文具と硯、看板芸術、冠物工芸、硝子工芸美術、陶磁工芸などの「支那骨董」の全分野に及んでいると見なせよう。実際に上田がこれらをどれほど収集していたのかは詳らかにしないけれど、陶磁器のみならず、その満洲におけるポジションから、日本人としては「支那骨董と美術工芸」に関する第一人者だったと考えていいのかもしれない。

 それらを示すように、昭和八年刊行の『支那骨董と美術工芸図説』の奥付裏の広告には、上田著として、『支那陶磁の時代的研究』『支那陶磁雑談』『趣味の支那叢談』に加え、『満蒙の善後策を日華両国民に語る』『旅順戦蹟秘話』が並んでいる。奥付によれば、当時の大阪屋号書店は日本橋区呉服橋に本店を構え、大連、旅順、奉天、新京、京城に支店を置いていた。発行者の浜井松之助は『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20180320223900j:plain(『支那陶磁の時代的研究』)出版人物事典

 [浜井松之助 はまい・まつのすけ]一八七四~一九四四(明治七~昭和一九)大阪屋号書店創業者。松江市生れ。大阪に出て呉服店で働いたが、三〇歳の時、日露戦争後の満洲に着目、営口に大阪屋号書店を開業さらに、旅順、鞍山、鉄嶺、新京、奉天、北京などに支店を出した。一九一一年(明治四四)東京店を創業、中国関係、囲碁、将棋関係書を出版、ことに碁将棋書で知られ、また、特色ある取次業を行った。(後略)

 これだけでは上田と大阪屋号書店の関係が、浜井松之助を通じてのものなのかどうか、定かではないので、やはり『出版人物事典』に見えるもう一人も引いてみる。

 [浜井良 はまい・りょう]一九一二~一九六六(明治四五~昭和四三)大阪屋号書店社長。東京生れ。巣鴨高商卒。大阪屋号書店創業社浜井松之助の甥で、大阪屋号書店大連店主の父死後、その経営に当り、満洲での業績を伸ばし、中国語関係の出版も行った。満洲書籍雑誌商組合幹事をつとめ、一九四五年一月、関東州出版会理事として、関東州書籍配給株式会社設立に尽力、日配より人材も派遣されたが、業務開始四〇日で召集され、同社は解散した。戦後帰国、四七年(昭和二二)九月、東京品川で再興、囲碁・将棋関係書などの出版を続けた。

 このように浜井良のほうを引いてみると、満鉄と大阪屋号書店の関係の始まりは浜井松之助だったかもしれないが、上田も著者として囲い込み、満洲で大阪屋号書店を広範に成長させたのは甥の良だったように思えてくる。それは満洲書籍雑誌商組合幹事で、関東州書籍配給株式会社理事となったことに象徴されている。前者に関連する満洲書籍配給株式会社=満配は満洲における出版物の一元配給統制機構として、昭和十四年に軍部と革新官僚によって設立され、それが関東州書籍配給株式会社へとリンクしていったと思われる、

 このようなラインから考えれば、松井良はそれらの中枢にあったはずだし、それは彼と満洲国、満鉄との深い関係を示し、その背後に上田恭輔が存在していたとも見なせるであろう。いずれにしても、満洲と出版社の関係は入り組んでいるというしかない。


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