出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話996『白樺』、叢文閣、有島生馬訳『回想のセザンヌ』

 本連載993で、『朝鮮童話集』の中村亮平が「新しき村」を離村後、朝鮮へ赴き、同書を著わしたこと、洛陽堂から自伝小説を刊行し、それから美術雑誌の編集に携わったことなどを既述しておいた。それに補足すると、拙稿「洛陽堂『泰西の絵画及彫刻』と『白樺』」(『古本屋散策』所収)でふれておいたように、前者は主として後者の美術ページを収録して編まれた大正時代の世界美術全集的なシリーズであった。また『白樺』の美術特集はセザンヌやゴッホやロダンなどの同時代の画家たちにも及び、中村もそうした白樺派の美術環境の中から、後に美術雑誌の編集者となり、さらに太平洋画学校へと向かったのであろう。

f:id:OdaMitsuo:20200203154137j:plain:h120 (『朝鮮童話集』) 古本屋散策

 大正時代のみならず、最大最強の同人雑誌と評される『白樺』の文学と美術トレンドに、前回の「画とお話の本」の企画編集を重ね合わせると、この時代に洛陽堂や冨山房だけでなく、多くの出版社が新しい美術書や児童書を刊行していたにちがいない。それらの中でも重要な雑誌が大正四年創刊の『中央美術』で、同誌に関しては拙稿「田口掬汀と中央美術社」(『古本探究Ⅲ』所収)を参照されたい。

古本探究3

 その中央美術社と『白樺』の関係は不明だが、叢文閣は有島武郎のラインから『白樺』とつながったと考えられ、大正九年にエミル・ベルナアル著、有島生馬訳『回想のセザンヌ』を刊行している。これは前回の『大男と一寸法師』とほぼ同じ頃に、浜松の時代舎で購入したもので、判型も四六倍判と同様である。ただこちらは裸本だが、SOUVENIRS SUR PAUL CĒZANNE というタイトル表記に見られるように、著者、訳者、出版社名なども、すべて金色のフランス語で示され、それはセザンヌの顔のスケッチも同じだ。おそらくカバー表紙はあったはずで、それがどのようなものだったのかも気にかかる。

f:id:OdaMitsuo:20200207173655j:plain:h120(『回想のセザンヌ』)f:id:OdaMitsuo:20200206164405j:plain:h120 (『大男と一寸法師』)

 翻訳者の有島生馬の「小序」として、次の言葉が寄せられている。

 原書は当時巴里滞在中の島崎藤村先生が小山内薫氏の帰国に托し、遙かに訳者に寄贈されたもので、番号入り五百部定限書の一冊である。扉には千九百十二年六月二十四日夕、と黒インキの自署が残つて居る。

 この『回想のセザンヌ』は有馬も断わっているように、大正二年十一月から翌年五月にかけて、『白樺』に連載し、そのまま「古雑誌の一隅に埋れてゐた」翻訳が、叢文閣の足助素一たちの好意によって、「八年目で単行本となり世に出る機会を得た」とされる。有馬のセザンヌとの関係は『日本近代文学大事典』の『白樺』解題を繰ってみると、明治末に画期的なセザンヌ紹介「画家ポール・セザンヌ」(『白樺』第二、三号連載)を寄せたことから始まり、それがフランスからの島崎藤村による有馬生馬への『回想のセザンヌ』の原書の寄贈となったのであろう。

 そのベルナアルの原書に加えて、やはりフランスの二冊のセザンヌ画集から四十余の挿画を抽出し、ほぼそれぞれを一ページに複写し、合わせて編まれたのがこの『回想のセザンヌ』に他ならない。これは著者のベルナアルがエクス・アン・プロヴアンスに晩年のセザンヌを訪ね、親交を深め、その死までを愛情をこめて記した回想といっていいだろう。私はゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者でもあるので、セザンヌがゾラと故郷を同じくし、ともにパリに出て、ゾラがセザンヌをモデルとして、「叢書」の一冊の『制作』(清水正和訳、岩波文庫)を書き、それで二人が不仲になったことを承知している。そのためにどうしてもセザンヌのゾラへの言及が第一の関心となってしまうのである。

制作

 その私の関心にたがわず、やはりゾラはセザンヌの素描の一枚に姿を見せているし、そのアトリエには古い屏風が置かれ、セザンヌの「ゾラと私は毎時も此屏風で遊んで居た」との発言も記されている。ちょうどゾラはドレフュス事件で「問題の人」でもあったからだ。だが次のような辛辣なセザンヌの発言も書きとめられているので、それも引いておこう。

 「奴は極く平凡な頭の男さ、友達としては此上ない嫌な奴だ。自分の事しか考へて居ない。『製作』だつて左うだ。私の事を書いた積りだろうが、飛んでもない曲事と嘘八百で捏ね上げた、自家広告だ。(中略)ゾラとは中学時代の友達で、その頃はよく二人してアルク河畔へ遊びに行つた。(中略)巴里に着くとゾラは『クロオドの懺悔』を私へ捧げて呉れ、(中略)名声が高まるにつけて尊大に構え、自分に逢ふのも義理一遍に見えたから嫌になつて、永く尋ねても行かなかつた。所が突然『製作』を受け取つた、全く自分に取つては大打撃であつた。私はゾラの底意を見抜いた。あれは最悪な著書で、一から十まで偽りだと断言していゝ。」

 ここにセザンヌの、ゾラと『制作』に対する肉声が反響している。確か晩年になっての和解も仄聞しているが、『制作』によって生じたセザンヌの、ゾラと『制作』に関する「曲事」と「偽り」を許すことなく生を終えたことになるのだろうか。最近になって名古屋の古本屋でゾラの ŒUVRES COMPLÈTES (CERCLE DU LIVRE PRÉCIEUX)のうちの全評論集三冊を購入したので、『美術論集』(三浦篤他訳、「ゾラ・セレクション」9、藤原書店)とともに、いずれセザンヌのことも確認してみたいと思う。

美術論集

 なお後に『回想のセザンヌ』岩波文庫化されているし、叢文閣に関しては拙稿「新潮社、叢文閣、『有島武郎全集』」(近刊『近代出版史探索Ⅱ』所収)などを参照されたい。

美術論集


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古本夜話995 冨山房「画とお話の本」と『大男と一寸法師』

 またしても『朝鮮童話集』のことになるが、前回の「模範家庭文庫」の巻末広告に関連して、その姉妹編としての「画とお話の本」の長い紹介がなされていた。そのコアを記せば、「画とお話の本は、小学校以上の児童のため、それゞゝの学年に相当した課外読物に、十二分な装飾的効果を付け加へた、最も高尚な意味でのトーイブツクで、従来の模範家庭文庫と共に、我が児童出版界に初めての試みであります」とある。
f:id:OdaMitsuo:20200203154137j:plain:h120 (『朝鮮童話集』)

 そしてその下に「新型四六倍判本文全部二色刷乃至五色刷百頁余」に始まる造本説明が付され、楠山正雄編による六冊が、挿画家の名前とともにラインナップされている。それを示す。

1 『サルとカニ』  岩岡とも枝 画
2 『イソップものがたり』  武井武雄 画
3 『大男と一寸法師』  河目悌二 画
4 『おやゆび姫』  初山滋 画
5 『源氏と平家』  小村雪岱 画
6 『青い鳥』  岡本帰一 画

f:id:OdaMitsuo:20200206154838j:plain:h120(『源氏と平家』)

 これらは全冊の書影が瀬田貞二の『落穂ひろい』に収録され、とりわけ6の『青い鳥』は岡本帰一の挿絵も含め、カラーの二ページで紹介され、「十二分な装飾的効果」を備えた「トーイブツク」のイメージを浮かび上がらせている。瀬田はそれらを実例として、「楠山正雄の本づくりのうまさは、一つには画家の選定に人を得て、挿絵本の美しさを味わわせることでしょう」と指摘し、「六冊の挿絵ぶりで各冊の印象ががらりと変わり、みな調和のある美しさをそなえています」と述べている。

落穂ひろい(『落穂ひろい』) f:id:OdaMitsuo:20200207111032j:plain:h120 (『青い鳥』)

 また『青い鳥』には大正九年の畑中蓼坡主宰の民衆座による『青い鳥』本邦初演の舞台写真も添えられていたようで、瀬田はそれも掲載している。これは「近代演劇史上の一事件」とされ、翻訳脚本は楠山、衣装、装置は岡本により、十四歳の水谷八重子がチルチル、十歳の夏川静江がミチルを演じた童話劇だった。

 『青い鳥』を見てみたいと思っていたけれど、児童書とはいえ単行本の体裁の「模範家庭文庫」と異なり、大正時代の絵本に近い「画とお話の本」の入手は無理だと考えるしかなかった。ところが例によって浜松の時代舎で、その3の『大男と一寸法師』とめぐり合うことになった。もちろん初版ではない。これは知らなかったけれど、昭和五十三年にほるぷ出版の「複刻絵本絵ばなし集」の一冊として刊行されていたのである。さすがに実物は『落穂ひろい』の書影よりも鮮明で、どのようにして見出されたのかは不明だが、函はないにしても、飛び切りの美本を複製したと思われる。

f:id:OdaMitsuo:20200206164405j:plain:h120 (『大男と一寸法師』)f:id:OdaMitsuo:20200207171427j:plain(複刻本)

 『大男と一寸法師』は「みだし」=目次として、「トム・サム物語」「小さいプッセの話」「豆の木の梯子」「親指小僧の旅」「大男退治」「仕立屋のちび勇士」「子供と大男」の七編が並べられている。それらはタイトルから推測されるように、また楠山が巻末の「編者の言葉」で断わっているように、手近なところの「寓話、童話、歴史物語、童話劇の類の中から」選ばれている。つまりそれらは楠山自身が書いた新旧の「お話」であり、「表現の上に編著の気持が、よかれあしかれ、一貫してゐる」ところが特色であろう。

 それに続いて、「画の見出し」が表紙の「まいまいつぶろの殻」(「親指小僧の旅」)から始まり、口絵原色版「鼠のお馬」(「トム・サム物語」)、やはり原色版「七人兄弟」(「小さいプッセの話」)「人食鬼の家」(「豆の木の梯子」)などの四点、二色刷色画も八点が挙げられている。これらはすべて一ページに及ぶカラー版で、その他のモノクロの挿画、カットなどは「みだし」に含まれていないけれど、それらも合わせれば「みだし」の倍以上が数えられる。そのことを考えると、この『大男と一寸法師』がまさに「画とお話の本」のコレボレーションを体現していると実感してしまう。

 この「画」を担っているのは河目悌二で、『児童文学事典』によれば、彼は明治二十二年に愛知県生まれ、大正二年東京美術学校西洋画科卒後、童画家、挿絵画家として活躍するとある。確かに『大男と一寸法師』の「画」はそれらの「お話」との見事な芸術的調和を感じさせてくれるし、楠山も先の「編者の意図」で次のように述べている。

児童文学事典

 この本のもつ何よりも誇りと喜びはいふまでもなく、六冊の本の装飾と挿画を担当された六人の画家たちの純真な芸術的努力である。編者ははじめに本の大体の形をきめて、各のもつ気分と技巧に最も近いお話を択んでお願いした。ほかは、一切を作家の意匠と経営におまかせした。児童のための芸術は出版物の依然として皆無に近い現状にあつて、「画とお話の本」の当然果すべき先駆的な業績を、皆さんと共に、この六人の芸術家へ感謝したい。

 「模範家庭文庫」の三円八十銭よりも安いにしても、「画とお話の本」も二円という高価で、しかも楠山自身も述べているように、「ぜいたくとも思はれるこの本」はどのような売れ行きの結果を迎えたのであろうか。そのかたわらでは一冊一円の昭和円本時代が始まろうとしていた。


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古本夜話994 冨山房「模範家庭文庫」と瀬田貞二『落穂ひろい』

 前回の中村亮平『朝鮮童話集』が冨山房の「模範家庭文庫」の一冊であることは既述しておいた。この「模範家庭文庫」に関しては拙稿「吉行淳之介と冨山房『世界童謡集』(『古本屋散策』所収)や本連載237でも平田禿木訳『ロビンソン漂流記』で言及してきている。

f:id:OdaMitsuo:20200203154137j:plain:h120 (『朝鮮童話集』) f:id:OdaMitsuo:20200205150716j:plain:h110(『ロビンソン漂流記』) 古本屋散策

 しかしこの「模範家庭文庫」は大正四年から昭和八年にかけて、全二十四冊が刊行されたはずだが、この時代の単行本児童書ゆえに、収集が難しく、児童文学研究者にしても全巻を見ていないように思われる。例えば、瀬田貞二の『落穂ひろい』にしても、第十一章の「大正」のところに、「『新少女』・『模範家庭文庫』・三重吉・泣菫」という一節があるにもかかわらず、書影は『アラビヤンナイト』などの五冊が挙げられているだけである。また『日本児童文学大事典』「模範家庭文庫」明細リストにしても、大正四年から昭和十三年にかけて全二十五冊刊行とあり、また書名の間違いも見え、全冊を確認していないことは明らかだ。

f:id:OdaMitsuo:20200203141337p:plain:h110

 幸いなことに『朝鮮童話集』の奥付裏はほぼ五ページに及ぶ「模範家庭文庫」広告で、モノクロではあるけれど、十七冊の書影を目にすることができる。十七冊の既刊が謳われ、その特色として、「説話のおもしろいこと」「文章のやさしいこと」「挿画の多いこと」「装幀の美しいこと」が挙げられ、「家庭に咲出した幸福の花園」「地上に出現したこどもの天国」「大人たちも一緒にたのしめる世界の古典」「家内中が宝物にする善美第一のお伽画本」などの惹句も付せられている。そして「発行の趣旨」として、「模範家庭文庫は我が国で始めて着手せられた世界家庭文学の古典全書であります。清心健全な家庭読本として少年少女諸君のまどゐの優しい師友であると共に、永く家庭に蔵めて書斎の宝典となり、客間の装飾品ともなるために、時間と労力を厭わず、内容にも体裁にも善美第一とつとめました」と始まる長文の掲載もある。これは本連載238などの楠山正雄の手になるものであろうし、近代社の『世界童話大系』と並んで、大正時代になって新たな「家庭」と「少年少女」のイメージが提起されたことを示していよう。
f:id:OdaMitsuo:20200112153443j:plain:h90(『世界童話大系』)

 そこであらためて、「模範家庭文庫」の全巻リストを提出してみる。ナンバーは便宜的に振っている。

  第一輯

1 『アラビヤンナイト』上  杉谷代水訳、小杉未醒、橋口五葉、小林英二郎、岡本帰一 画
2 『アラビヤンナイト』下 
3 『グリム御伽噺』  中島孤島訳、岡本帰一 画
4 『イソップ物語』  楠山正雄訳、名取春仙、岡本帰一 画
5 『アンデルセン御伽噺』  長田幹彦訳、水島爾保市、岡本帰一 画
6 『ロビンソン漂流記』  平田禿木訳、岡本帰一 画
7 『世界童話宝玉集』  楠山正雄編、岡本帰一 画
8 『西遊記』  中島孤島訳、水島爾保市、岡本帰一 画
9 『ガリバア旅行記』  平田禿木訳、岡本帰一 画
10 『日本童話宝玉集』上  楠山正雄編、早川桂太郎、岡本帰一 画
11 『日本童話宝玉集』下   〃
12 『世界童謡集』  西條八十、水谷まさる編、岡本帰一、武井武雄 画

  第二輯

13 『続グリム御伽噺』 中島孤島訳、岡本帰一 画
14 『支那童話集』  池田大伍編、水島爾保市、初山滋、小村雪岱 画
15 『弓張月物語』  中島孤島訳、小村雪岱 画
16 『朝鮮童話集』  中村亮平編、木村荘八、清宮彬 画
17 『印度童話集』  岩井伸実篇 武井武雄、初山滋 画
18 『トルストイ童話集』  水谷まさる訳、川上四郎 画
19 『科学物語』  前田晁訳、飯塚玲児 画
20 『キリスト物語』  浜田広介作、初山滋 画
21 『少年ルミと母親』  楠山正雄訳、二瓶等画
22 『こども聖書旧約物語』  中村星湖編、初山滋 画
23 『家庭と学校の児童劇』  伊達豊編、宍戸左行 画
24 『家庭日本芝居物語』  岡本綺堂、額田六福編、鳥居言人 画

 私にしても、6と16しか入手していないけれど、これが「模範家庭文庫」の全容である。それに1と2の『アラビヤンナイト』は本連載986などのアンドリュー・ラングの再話本からの翻訳とされるので、長きにわたって探しているが、古本屋でも古書目録でも、一度も目にしていない。『落穂ひろい』の書影はおそらく、1及び2、4、7、10だが、それらは私の『朝鮮童話集』と同じくとても疲れた感じで、美本が古書市場にも払底していることを伝えているのだろう。

 この「模範家庭文庫」とのリアルタイムでの出版の出会いは、やはり『落穂ひろい』の瀬田の証言を引くしかない。彼は『アラビヤンナイト』にふれ、次のように記している。
落穂ひろい(『落穂ひろい』)

 冨山房ではかねて逍遥と相談して案を練り、御大典(大正四年十一月十日)を期して理想的な児童書シリーズの幕をあけようとしたのでしょう。(中略)その第一期十二冊の、この二冊がまず、美しい叢書のはじめでした。冨山房のこの文庫は、当時三円、すこし後には三円八十銭という高価で、私たち下町のしがない家の子には手が出ませんでしたが、これほど入念な美しい造本を、私は今に至るまであまり記憶していません。菊版(ママ)、四百-五百ページで、厚紙クロース表紙に色刷口絵を貼りこみ、天金にして、三色版や石版、木版の色刷口絵を十三枚ほど、本文中には墨版や二色の凸版の挿絵を二、三ページごと、数ページごとにいれてあるですから、豪華なものでした(後略)。

 これは『落穂ひろい』に収録された「模範家庭文庫」の二ページカラー紹介を実際に見てもらうしかないが、その出版当時の印象のリアルな証言に他ならないだろう。


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古本夜話993  中村亮平『朝鮮童話集』

 『神話伝説大系』第十四巻の『朝鮮神話伝説集』と『台湾神話伝説集』は中村亮平編となっている。中村はその「まえがき」に当たる「朝鮮神話伝説概観」において、朝鮮の「国土そのものが、大陸との人類文化移植の橋梁の役目」を有し、神話伝説の「多くは吾日本内地の神話伝説と、密接複雑な繋がり」を示し、「神秘に興味深い謎」だが、支那との関係を抜きにして語れないと述べている。そして建国神話としての金富軾『三国史記』、一然禅師『三国遺事』、民間伝説というよりも説話というべき成俔「塘齋叢書」や『酉陽雑俎』などが挙げられていく。そこで平凡社の東洋文庫に『酉陽雑俎』全五巻が収録されていたことを思い出した次第だ。

f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100 三国史記 三国遺事 酉陽雑俎
 
 それに対して、もうひとつの「まえがき」の「台湾神話伝説概観」において、『台湾神話伝説集』は本連載956の佐藤融吉、大西吉寿『生蕃伝説集』、及びそこで挙げておいた『蕃族調査報告書』をベースにしていることが述べられている。しかも大西への謝辞もしたためられ、中村自身の研究による『朝鮮神話伝説集』と異なり、『台湾神話伝説集』の成立の背景がそれらに求められることを伝えていよう。

f:id:OdaMitsuo:20190924145144j:plain:h120(『生蕃伝説集』)

 中村に関しては『日本近代文学大事典』に立項があるので、まずそれを引いてみる。

 中村亮平 なかむらりょうへい 明治二〇・六・一九~昭和二二・七・七(1887~1947) 美術研究家。長野県生れ。長野師範を卒業して郷里で教鞭をとっていたが、大正七年、武者小路実篤と日向に新しき村の土地探しに歩き、翌年、家屋敷を売って家族ぐるみで入村。離村(大九)してからは大邱師範(朝鮮)の教師、美術雑誌の編集に携わったすえ、太平洋画学校を修了して都立高等家政学校(現・鷺宮高校)の教諭となる。著書に『芸術家の生活 柊の花』(大一〇・五 洛陽堂)、自伝小説『死したる麦』(大一一・九 洛陽堂)、『朝鮮童話集』(大一五・二 冨山房)、『対照世界美術年表』(昭一三.六 芸艸堂)のほか、美術関係の啓蒙解説書が一〇冊ほどある。

 ここで初めて中村のプロフィルを知ったのだが、大正時代における知的青年の象徴的な歩みがたどられているように思われる。この時代は武者小路実篤を中心とする白樺派と文芸誌『白樺』の全盛であり、それは大正七年の『新しき村』の創刊と日向への「新しき村」への移住運動へとリンクしていた。それに寄り添っていた出版社は洛陽堂で、それは中村の著書がこの版元から刊行されていることにも示されていよう。 洛陽堂については本連載526でふれているように、田中英夫の『洛陽堂河本亀之助小伝』(燃焼社)を参照されたい。

洛陽堂河本亀之助小伝

 おそらく中村も『白樺』の読者として武者小路と親交を結ぶようになり、その挙げ句に「家屋敷を売って家族ぐるみで入村」したと推測される。そのようにしてユートピア的「新しき村」ビジョンに共鳴し、はせ参じた青年たちの一人が中村だったにちがいない。しかし何があったのか、その二年後に離村し、朝鮮へと向かっている。それらの経緯と事情は自伝小説『死したる麦』に書かれているはずだが、この一冊に出会えるだろうか。

 その中村の朝鮮での収穫が立項に挙げられていた『朝鮮童話集』で、その編訳者であったことに加え、大邱師範の教師だったことから、『神話伝説大系』の編者として召喚されたと考えられる。この『朝鮮童話集』はしばらく前に入手していて、菊判変型の裸本ながら、黄色の虎に緑の木の枝と朱の実をあしらった表紙は疲れている中でも、今もなお斬新な印象をもたらしてくれる。そればかりか、カラー口絵や挿画も同様で、この一冊にふさわしい配慮がなされている。だからこそ、瀬田貞二が『落穂ひろい』において、その扉絵や挿絵をカラーページで転載しているのだろう。それは中村の「はしがき」によっても了承される。

f:id:OdaMitsuo:20200203154137j:plain:h120 (『朝鮮童話集』) 落穂ひろい(『落穂ひろい』)

 そこに中村は次のように記している。なおルビは省略する。

 先づ内地の方の皆様の前に、それからお父さんやお母さんに、次に朝鮮の人達にも、私達の朝鮮の方の御先祖様達が残して行かれたこの美しい物語を差し上げます。
 
 装幀は、いつも私の本を美しくして下さる清宮彬氏にして頂き、挿絵は木村荘八氏に描いて頂きました。私にとつてこの上ないよろこびです。
 きつと皆様にもよろこんで頂けることゝ思つています。

 この「はしがき」は大正十四年十一月付で、「大邱東雲町の客舎にて」と書かれている。中村は「新しき村」離村後、かなり長きにわたって朝鮮で教師を務めていたと思われるし、そのことで朝鮮語やその童話、神話、伝説などに通じることになったのであろう。またそれでなければ、この『朝鮮童話集』だけでなく、『朝鮮童話集』の編纂や翻訳も成立しなかったと考えられる。それに前者は「童話」「物語」「伝説」の三部仕立てだが、「伝説」は後者と重複している。

 この中村の『朝鮮童話集』は冨山房の「模範家庭文庫」の一冊として刊行されていることをふまえると、近代社の『世界童話大系』とほぼ同時代に出版されていたことになるし、それは図らずも、大正が「童話」、さらに「神話伝説」の発見の時代であったことも伝えていよう。

f:id:OdaMitsuo:20200204193552j:plain:h110


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古本夜話992 松村武雄と山崎光子

 前回の一大出版プロジェクトと見なしていい『神話伝説大系』の企画と出版が、どのようにして成立したのか、またその翻訳と編集がどのようにしてなされたのかに関しては詳らかでない。それに例えば、朝倉治彦他編『神話伝説辞典』(東京堂、昭和三十八年)などにしても、何の言及もないのである。ただその中心にいたのは松村武雄で、『神話伝説大系』の第二巻の、彼による「解題」を読むと、『世界童話大系』と「姉妹篇の関係を有してゐる」とあるので、両者は企画と出版、翻訳と編集にしても切り離して考えることはできないだろう。
 f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100(近代社版) 神話伝説辞典

 そこで両者を含んだ松村の立項を探してみた。すると『日本近代文学大事典』『[現代日本]朝日人物事典』にも立項されているのだが、それらには二つの『大系』への言及がなく、ようやく『児童文学事典』(東京書籍)に見出すことができたので、それを引いてみる。
児童文学事典

 松村武雄 まつむらたけお 一八八三-一九六九(明16~昭44)神話学者、童話研究家。文学博士。熊本県に生まれ、一九一〇年東京帝国大学文学(ママ)大学英文科卒業。二二年より旧制浦和高等学校教授と東京帝大宗教学科講師を兼任していた。文献学、歴史学、民俗学、考古学など各種の学問の成果を総合する学風をもって、同郷の先学高木敏夫と並ぶ神話学者となる。二九年ごろより神話学に関する著作を次々発表。『神話学原論』上・下(一九四〇、四一)は戦後最初の学士院恩賜賞を受ける。四二年に刊行された『古代希臘における宗教的葛藤』は欧米でも注目された。敗戦による精神的挫折ののち、病苦をおして大著『日本神話学の研究』全四巻を完成する。また、児童および児童文学に関心が深く、関連する労作として『世界童話大系』全二三巻、『神話伝説大系』全一八巻の中心的編集にあたり執筆・解題もした。いまだに基本的文献として活用されている。『標準お伽文庫』全五巻(森鷗外・松村武雄・鈴木三重吉・馬渕冷佑共著)は伝承説話の児童向き標準語訳としての信頼度の高い読み物として知られている。(後略)

 松村の『世界童話大系』『神話伝説大系』に至る前史として重要なのは、本連載985の高木敏雄の『比較神話学』に大いなる影響を受けたこと、それにこれも第二巻の「解題」に記されているように、同時代にThe Mythology of All Races , Trubner’s Orietal Series といった叢書やシリーズが英国で刊行されていたことであろう。童話や神話伝説の分野にあっても、民俗学や民族学においてフレイザーの『金枝篇』、宗教学においてマックス・ミューラーの『東方聖書』が控えていたように、そうした英国文献シリーズが不可欠だったし、『神話伝説大系』も、それらの翻訳プロジェクトに他ならなかったといえよう。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h115(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)

 そうした出版史の事実に加えて特筆すべきは、先の立項の最後のところに示された『標準お伽文庫』で、これは大正九年から十年にかけて、培風館を版元として刊行されている。この共著者のひとりである馬渕冷佑をやはり『児童文学事典』で引くと、彼は東京高師付属小学校訓導で、同職の山崎光子との共著『お伽文学』十二冊があると述べられていた。この山崎光子は、前回の『神話伝説大系』の明細リストに示しておいたように、『白耳義伝説集』や『西班牙神話伝説集』の編訳者に他ならない。

 そこでさらに『日本児童文学大事典』(大日本図書)のほうを繰ってみると、山崎光子ではなく、水田光として立項されていたのである。それによれば、東京高師女子部を卒業し、同付属小学校訓導となるのだが、驚いたことに彼女の妹の夫が松村で、彼から英語を学び、童話や神話伝説の翻訳者となった。また松村を通じて巖谷小波の知遇を得て欧米の民話の翻訳を手がけ、さらに大正時代に入り、小学校教師の間で口演童話への関心が高まると、いち早くストーリーテリングの研究にとりかかり、『お話の研究』『お話の実際』(いずれも大日本図書、前者は久山社復刻)を著しているという。

f:id:OdaMitsuo:20200203141337p:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200203120351j:plain:h110(『お話の研究』) f:id:OdaMitsuo:20200203120553j:plain:h110(『お話の実際』)

 先の馬渕との共著『お伽文学』は大正六年から七年にかけての宝文館からの刊行で、八年には地理学者の山崎直方と結婚したことで、山崎光子のペンネームを用いることになったと思われる。また『世界童話大系』の訳者としても、確認してみると、全二十三巻のうちの『希臘・羅馬・伊太利篇』『土耳古・波斯篇』『独逸・西班牙篇』の三冊を担当している。残念ながら、『神話伝説大系』と、『世界童話大系』を除いて、山崎光子=水田光名義での翻訳や著書は入手していないけれど、瀬田貞二の『落穂ひろい』(福音館書店)には『お話の研究』の書影が示され、それが「布装大型本」であることが記されている。
落穂ひろい(『落穂ひろい』)

 同書は東京子ども図書館の松岡享子がたまたま入手したもので、アメリカのストーリーテリングの古典であるセーラ・コーン・ブライアントの『子供に語る話し方』(一九〇五年)の紹介を兼ねた日本で初めてのストーリーテリングの本だとされる。瀬田は現在のストーリーテリングの推進者の松岡からその「遠い開始者」に「めぐりあった奇遇」に「因縁めいたふしぎを感じ」ると書いている。

 しかも先の立項によれば、山崎=水田は昭和四年の夫の病没を機として、文筆を絶ち、太平洋戦争後は姿を消し、消息不明のままで、「幻の女流研究者」と呼ばれていたというまさに『神話伝説大系』の翻訳者にふさわしい呼称だったように思える。


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