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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1000 J・E・ハリソン『古代芸術と祭式』とレヴィ=ブリュル『原始神話学』

 前回松村武雄の『神話学原論』 において、言及頻度が高い著者と著作に、ジェーン・エレン・ハリソンの『テミス―希臘宗教の社会的起原の研究』(Themis : A Study of the Social Origin of Greek Religion)とレヴィ=ブリュルの『原始神話学』がある。

f:id:OdaMitsuo:20200212153040j:plain:h115(『神話学原論』)A Study of the Social Origin of Greek Religion

 松村は前者に関して、「神話を目して集団的聖允と厳粛な意図とによつて、史譚や単なるコントからおのれを区別づけてゐるところの『呪術的意図及び力能を持つ説話』」と定義していると述べている。また後者について、松村としては疑問だがとして、レヴィ=ブリュルの見解を以下のように挙げている。すべての神話は本質的に「聖性的神話」(mythes sacrés)であり、その後期的変容が「俗性的神話」(mythes profanes)とされる。それは初源の聖性的、秘密的神話が新しい宗教的信仰の樹立を宗儀の組織化により、集団に対するその生命的重要性を喪失し、部族の伝説や民話に接近していく。そうする過程で、聖性的なものが俗性的なものへと変容していくのであると。

『神話伝説大系』がそうだったように、松村の『神話学原論』も欧米の膨大な神話研究を渉猟した上で書かれている。そうした意味合いで、刊行時の昭和十五、六年において、同書は戦前の世界的な神話学集成、松村ならではの神話学大系というべきであり、それが戦後になっての遅ればせの学士院恩賜賞へと結びついていったのだろう。

 f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100(『神話伝説大系』、近代社版)

 そうした一方で、その全容はつかんでいないけれども、それらの神話学関連の翻訳も刊行されたり、進行しつつあったはずだ。例えばハリソンの『テミス―希臘宗教の社会的起原の研究』は現在でも未邦訳だと思われるが、『古代芸術と祭式』はやはり昭和十六年に創元社から佐々木理訳で刊行されている。またレヴィ=ブリュルも本連載926で、『未開社会の思惟』が山田吉彦訳で昭和十年に小山書店から出されていることを既述しておいた。『原始神話学』のほうも十年代後半に翻訳が進行中だったと考えられ、こちらも昭和二十一年になってからだけれど、古野清人、浅見篤訳で創元社から出されている。

未開社会の思惟 (『未開社会の思惟』)

 『古代芸術と祭式』と『原始神話学』はいずれも創元社版ではないが、たまたま両書とも手元にあるので、それらにもふれてみたい。ちなみに前書は訳者を同じくする昭和三十九年の「筑摩叢書」版、後書は古野清人単独訳の同四十五年の弘文堂版である。

f:id:OdaMitsuo:20200214105416j:plain:h115(筑摩叢書版) f:id:OdaMitsuo:20200212211833j:plain:h115 (弘文堂版)

 先にハリソンの『古代芸術と祭式』を取り上げると、彼女はギリシア劇を典型的実例と見なし、ここに全世界にわたって広く存在する原始的な祭式より起こった偉大な芸術の明瞭な歴史的事例があることを実証づけようとしている。原始祭式とは日常行為であり、それは死んだと見られる自然の生命の再生を願った祭事となるが、狩りや戦いの踊りに表出しているように、日常生活から分離していく。そして年中行事へと移行する中で、季節祭式の春祭りを生じさせる。これはギリシアの原始春祭りに起源をもつが、それが信仰の衰退とともに形式化し、ホメロスの英雄詩の中の諸伝説と結びつき、ギリシア劇が生まれた。つまり祭式から切り離され、見世物として舞台で、ギリシア劇が演じられるようになったのであり、そこにギリシア彫刻も含めた芸術の起源が求められるのである。彼女のこの著書において、アイヌの熊祭りへの言及もあることを付け加えておこう。なお『テミス―希臘宗教の社会的起原の研究』は未見だけれど、こちらもハリソンの同様の視座に基づいているにちがいない。

 しかしレヴィ=ブリュルの『原始神話学』は原始的社会の神話、主としてオーストラリアとニューギニアの神話と原始人の固有な心性の関係にまつわる研究である。その視座は次のようなものだ。ギリシアなどの地中海の諸文明において、それらの神話を有している時期にはすでに宗教が久しく定着し、また発展して神々や半神の等級が生じ、組織立てられた礼拝、祭司などが備わり、神話は宗教というよりも、詩や造型美術に属してしまっていた。ところがオーストラリアとニューギニアの社会ではこれらに似たものは何も見られない。そこには等級にされた神性も見出されないし、固有の宗教的信仰団体も、聖職上のカーストも、殿堂も祭壇も存在しない。それゆえに古典神話学と古代文明のコンセプトで、原始的社会の神話とその役割を同じく論じることはできないので、すべての既成概念を捨てる必要がある。できれば「新しい眼」で見て、原始的神話をその環境において、ただその環境の見地から検討しなければならない。

 このような視座からオーストラリアとニューギニアの神話が選ばれていく。それは原始的神話の類型として、オーストラリアやニューギニアに関する記録が豊富で、その内容が優れていることによっている。この事実は、実際に参照、引用されているように、本連載916などのマリノウスキーの記録や研究をさしていると思われる。また先述しておいた松村の指摘する「聖性的神話」と「俗性的神話」への言及は、第六章「神話的世界の根強さ」と第七章「神話的世界と民俗学」においてなされているけれど、『原始神話学』のコアに位置づけられていないとも考えられるのである。


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◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

*ひとつの目安である「千夜一夜」に達しました。

出版状況クロニクル142(2020年2月1日~2月29日)


 20年1月の書籍雑誌推定販売金額は865億円で、前年比0.6%減。
 書籍は495億円で、同0.6%増。
 雑誌は370億円で、同2.2%減。
 その内訳は月刊誌が295億円で、同0.7%減、週刊誌は74億円で、同8.0%減。
 返品率は書籍が33.1%、雑誌は45.1%で、月刊誌は46.1%、週刊誌は40.6%。
 書籍の微増は前月の大幅減に加え、返品が減少したこと、雑誌のうちの月刊誌の微減は
 コミックス『鬼滅の刃』全巻の重版の影響による。
 2月はコロナウィルスの感染拡大もあり、出版業界にどのような影響を及ぼしたのであろうか。
 それは2月の書籍雑誌推定販売金額に反映されるはずだ。

鬼滅の刃



1.出版科学研究所による19年度の電子出版市場販売金額を示す。

■電子出版市場規模(単位:億円)
201420152016201720182019前年比
(%)
電子コミック8821,1491,4601,7111,9652,593129.5
電子書籍192228258290321349108.7
電子雑誌7012519121419313083.3
合計1,1441,5021,9092,2152,4793,072123.9

 19年の電子出版市場は3072億円で、前年比23.9%増。
 それらの内訳は電子コミックが2593億円、同29.5%増、電子書籍は349億円、同8.7%増、電子雑誌は130億円、同16.7%減。
 電子コミックは海賊版サイト「漫画村」の18年4月の閉鎖以来、順調に伸びた。その結果、電子コミック占有率は前年の80.8%から84.4%となり、19年の日本の電子出版市場は18年よりもさらに、電子コミック市場の色彩が強くなっていったことになる。 
 それに対し、電子雑誌は2年連続のマイナスで、「dマガジン」の会員数も17年から減少している。
 紙と電子を合わせた出版市場は1兆5432億円で、前年を0.2%上回っているが、結局のところ、電子コミックの伸長と密接にリンクしている。
 もちろん文春オンラインの月間3億PVを超えたことや、集英社コミック『鬼滅の刃』の大ブレイクも承知しているけれど、大手出版社の今後の行方も電子コミック次第ということになるのかもしれない。



2.アルメディアによる19年の書店出店・閉店数が出された。

■2019年 年間出店・閉店状況(面積:坪)
◆新規店◆閉店
店数総面積平均面積店数総面積平均面積
10008210,028127
22220110588,437145
3202,957148856,37785
4122,010168474,25997
55435877610,401139
6142,754197575,28294
7101,732173332,36774
861,090182767,535118
9113,344304466,566149
1061,610268274,376175
1191,740193373,828103
1248142042664231
合計9918,70618965070,098115
前年実績8420,23224166457,25491
増減率(%)17.9▲7.5▲21.6▲2.122.426.6

 出店99店に対して、閉店は650店である。
 出店は18年の84店から15店増え、閉店も同664店から14店減っている。
 その一方で、書店の開店増床面積は1万7806坪、閉店減少面積は7万98坪で、この20年間で最大の5万1392坪の売場が失われたことなる。
 19年の書店閉店に関しては、本クロニクルでもTSUTAYAを始めとする大型店の閉店にふれてきたが、それがトータルな閉店減少面積にそのまま重なっているのである。
 しかもそれは20年1月も続いていて、フタバ図書ジアウトレット広島店800坪、紀伊國屋書店ららぽーと豊洲店540坪、蔦屋書店塩尻店400坪、TSUTAYA高倉店300坪、戸田書店豊見城店370坪、宮脇書店福山多治米店320坪などが閉店している。しかもこれらはナショナルチェーンであり、20年は19年を超える書店の閉店減少面積となるかもしれない。



3.2と同じくアルメディアによる取次別新規書店数と新規書店売場面積上位店を示す。

■2019年 取次別新規書店数 (面積:坪、占有率:%)
取次会社カウント増減(%)出店面積増減(%)平均面積増減(%)占有率増減
(ポイント)
日販41▲14.68,036▲49.1196▲40.443.0▲35.0
トーハン54107.710,090171.118730.853.935.5
楽天BN40.05779.31449.13.10.5
中央社0000.0▲0.5
その他0000.00.0
合計9917.918,706▲7.5189▲21.6100.0
                           (カウント:売場面積を公表した書店数)


■2019年 新規店売場面積上位店
順位 店名面積(坪)所在地
1誠品生活日本橋877中央区
2くまざわ書店大分明野店770大分市
3喜久屋書店松戸店572松戸市
4紀伊國屋書店天王寺ミオ店492大阪市
5TSUTAYA 利府店490宮城県利府町
6TSUTAYA BOOK STORE 宮交シティ店488宮崎市
7三洋堂書店アクロスプラザ恵那店450恵那市
8紀伊國屋書店mozoワンダーシティ店422名古屋市
9TSUTAYA BOOK STORE ワイプラザ新保店415福井市
10TSUTAYA BOOK STORE 近鉄草津店400草津市

 取次別で見ると、18年は日販が48店、1万5790坪で、全体の半部以上、売場面積シェアも78%に達していた。だが19年の出店41店はともかく、売場面積は半減したといっていい
 その代わりにトーハン54店、売場面積も1万坪を超えている。このような日販とトーハンの出店状況は20年も続いていくと考えられる。
 新規店売場面積は最大の誠品生活日本橋が877坪で、最大面積が1000坪を下回ったのは2002年以来初めてとされる。TSUTAYAが4店を占めているが、18年は7店だったことと売場面積のことを考えると、日販の売場面積シェアのマイナスもTSUTAYAとパラレルだとわかる。
 でフタバ図書ジアウトレット広島店の閉店を伝えたが、本クロニクル130で示しておいたように、18年開店で4位となっていた。つまり2年ほどで撤退してしまったのである。この後始末はどうなるのだろうか。
 それから楽天は4店の出店だが、すでに19年1月だけでそれを上回る5店の閉店を見ているし、まだ続いていくであろう。
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4.日販GHDの事業会社日販は奥村景二常務が代表権をもって社長、安西浩和専務が副社長に昇任。
 吉川英作副社長は会長、平林彰社長は取締役に就任。

 この日販の役員人事には 1、2、3の出版業界状況、CCC=TSUTAYAの19年における大量閉店が強く投影されているのだろう。
 日販の常務でMPDの社長だった奥村がいきなり日販の社長に省にするのはそれらのことを抜きにして説明できない。しかも代表権は平林社長と吉川副会長が持っていたが、今回は奥村だけが代表権を持ち、また日販GHDの専務のともなる。
 それに加えて、新たにMPDの社長、及び奥村とともに日販GHDの執行役員に就任する長豊光は日販GHDのみならず、日販やMPDの役員リストにもその名前は見当らなない。
 おそらくCCC=TSUTAYAの関係筋から招聘されたと考えるしかない。
 とすれば、今回の役員人事は本来の大手取次の正道というよりも、傀儡人事という印象が拭い難い。



5.TechCrunch Japan「『ストリーミング戦争』の正体:Disney、Netflix、Amazon、Apple など各社徹底解説」がネットで発信されている。

 唐突ながら、ここに挿入しておくべきだと考え、ふれておく。
 TSUTAYAの大量閉店の背景にあるのは、出版物の売上の凋落とともに、複合の柱であったDVDレンタルの低迷も挙げられる。それは映画にしてもレンタルの時代ではなく、映像配信の時代へと移行しつつあることを物語っている。
 私にしてもアマゾンプライムに加え、今年になってマーティン・スコセッシの『アイリッシュマン』を見たいので、ネットフリックスの会員となり、映画の配信の時代を実感しているからだ。
 おそらくそれは、映画のDVDを付録とする分冊百科=パートワーク誌の企画を不可能に追いやるだろう。DVD付録は『出版状況クロニクルⅤ』で既述しておいたように、ディアゴスティーニ・ジャパンや講談社などが主として手がけていて、私もかなり買っている。
 その中には講談社の『男はつらいよ 寅さんのDVDマガジン』もあったけれど、現在ではネットフリックスで全作品を見ることができるのだ。
 映画もまたDVDを買わなくていいし、レンタルする必要もない時代を迎えているのだが、先のネット発信はその映画配信ですらも、さらに新たな競合状況となっていること、すでに配信戦国時代であることを教えてくれる。
男はつらいよ 寅さんのDVDマガジン



6.京都の三月書房からの来信があり、早ければ今年の5月か6月に閉店すると伝えられてきた。

 これはすでに三月書房のメールマガジンでも記されているし、『朝日新聞』(2/16)の京都地方版にも「京都の名物書店、三月書房が閉店へ」という記事が出されたので、それらも参照してほしい。
 閉店理由は「出版業界の危機的状況とは無関係」で、「店主の高齢(現在70歳)と後継者の不在」が挙げられている。
 三月書房に関しては先代のことも含め、いずれ書きたいと思っているが、たまたま2月の「朝日歌壇」に次のような一首を見つけたので、それを引いて、来信への返歌としよう。


   百年の書店を廃(や)めるときは来ぬ
   本の衰へ吾の衰へ
              (長野県)沓掛喜久男



7.アマゾンジャパンは法人・個人事業主の購買専門サイト「Amazonビジネス」を通じて、書店への仲間卸を行うと発表。 
 全国の書店が対象で、書店への卸値は取次ルートより割高だが、1冊のみの注文にも対応し、アマゾン独自の配達ルートのために、指定日に注文品が届くとされる。
 2月現在で、アマゾンと直接取引している出版社は3631社で、前年比689社増、出版社の直接取引比率は66%に達している。

 確かにアマゾンの配達ルートであれば、書店からの1冊の注文品にしても、指定日に届くことになろう。しかし問題なのはその卸値と送料のことだ。おそらく客注などの1冊の注文では定価の問題はあるにしても、赤字になってしまうのではないだろうか。
 といって、それらの書店への卸値や送料を明確化し、公表しないかぎり、取引は難しいと思われる。だがアマゾンから「仲間卸」を提案される事態となったことには苦笑させられると付け加えるしかない。



8.『新文化』(2/20)が「アダルトの老舗 芳賀書店、赤字脱却への軌跡」という一面特集を組んでいる。
 その現在を要約してみる。
 かつての3店は、全3フロア、各階23坪の本店の1店だけになった。本売場の占有面積比は雑誌とコミックが各40%、書籍が20%、商材別売上占有比はDVD60%、本20%、グッズ20%。
 DVDとグッズは前年比増が続いているし、アダルト系のショップとして、坪単価日本一をめざしているので、現在の2万円を3万円にしたい。
 本の売上は減少傾向で、風俗情報誌はネットの普及で落ち幅が大きく、それは主としてコンビニで販売されていたDVD付き雑誌も同様である。最盛期の50%以下となってしまった。
 それは出版社がAVメーカーと連携し、映像コンテンツなどの素材を流用して誌面をつくる編集が、雑誌からオリジナル性を奪ってしまったことが原因だろう。
 これからのアダルト本は「本そのものに人格をもたせないと、かつてのコンビニ本向けのように、業界全体が共倒れになってしまう」と芳賀英紀専務は語っている。

 私たちの世代にとって芳賀書店は、まず文芸書の出版社、それから映画本、その次にはビニール本販売で名を馳せ、そのビニール本販売の延長が現在のアダルトの老舗という位置づけになるのだろう。
 それを意識してか、芳賀書店もカルチャーウェブマガジンとしての「HAGAZINE」をオープンし、3年以内に出版業にも回帰する予定であるという。



9.浜松や静岡に16店舗を展開する谷島屋書店がレジ袋を有料化。
 これは7月1日からの容器包装リサイクル法の改定に伴うレジ袋有料化に先立つ対応で、有料化後のレジ袋利用率は2割ほどだという。

 環境保護問題はあるにしても、有料化にあたって大4円、小2円とされるので、16店のレジ袋コストもトータルすれば、かなりの金額になっていたはずだ。
 ちょうど書店のレジ袋のコストは出版社に例えれば、スリップコストに当たるはずで、出版社にしても続々とスリップレス化されていっているように、書店のレジ袋有料化も広がっていくであろう。
 だがブックオフなどの場合、利益率からいってレジ袋コストは考える必要もないであろうが、レジ袋有料化ということになるのだろうか。



10.トランスメディアが事業停止。
 同社は2000年設立で、女性ライフスタイルの月刊誌『GLITTER』や女優、海外セレブ関係の書籍を刊行していた。
 2006年には売上高16億円だったが、雑誌販売が落ちこみ、15年には売上高が6億円を割っていた。
 その後『小悪魔ageha』の復刊、海外セレブ情報誌『GOSSIPS』の休刊、人員整理を進めていたが、業況は好転せず、『GLITTER』も2月号で休刊し、今回の事態となった。
 負債額は現在調査中。

GLITTER
 前回のクロニクルでもセブン&アイ出版の事業停止と主婦層向け生活情報誌『saita』の休刊を伝えたばかりだ。
 20世紀は婦人誌の時代でもあったが、それが終わったしまったこと、あるいはまた21世紀の女性誌の時代も終わりつつあるのかもしれない。
 そういえば、婦人誌や女性誌と関係の深かった百貨店も19年には閉店数が2桁に及び、20年も閉店ラッシュが止まらない。百貨店の時代も終わっていく。両者は連鎖しているのではないだろうか。



11.佐藤幹夫個人編集のリトルマガジン『飢餓陣営』50号が届いた。

f:id:OdaMitsuo:20200226174648j:plain:h120(『飢餓陣営』)  f:id:OdaMitsuo:20191226114417j:plain:h120

 これは「追悼 加藤典洋」と銘打たれた特集号だが「終刊宣言」凍結号とあった。
 同誌は50号で終刊が予告されていたが、それは凍結され、60号までは断言できないが、55号まではなんとしても続けると宣言されている。
 その理由として、「もしこれから言論弾圧や検閲的な風潮、治安維持法的な動向が強くなるとしたら、責任をもって対応していくためには自分の足場となる発表媒体が不可欠です」からと佐藤は語っている。

 本クロニクル140で、沖縄のリトルマガジン『脈』の編集発行人比嘉加津夫の死を記しておいたが、その後『脈』が出ていないので、終刊となったのであろう。『飢餓陣営』の続刊に期待したい。
 折しも、これも前回ふれた香港の銅羅湾書店関係者の作家桂民海に対し、中国の浙江省地裁が国外に違法に情報提供したとして、懲役10年の判決を下したとのニュースが入ってきている。
 
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12.『盛岡さわや書店奮戦記』(「出版人に聞く」シリーズ2)の伊藤清彦が65歳で急逝した。

盛岡さわや書店奮戦記 震災に負けない古書ふみくら 「奇譚クラブ」から「裏窓」へ」 戦後の講談社と東都書房 鈴木書店の成長と衰退 三一新書の時代 「週刊読書人」と戦後知識人


 これも前回のクロニクルで、坪内祐三の死を伝えたばかりだが、またしても旧知の人物が亡くなってしまった。
 「出版人に聞く」シリーズの著者の死は『震災に負けない古書ふみくら』の佐藤周一、『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』の飯田豊一、『戦後の講談社と東都書房』の原田裕、『鈴木書店の成長と衰退』の小泉孝一、『三一新書の時代』の井家上隆幸、『「週刊読書人」と戦後知識人』の植田康夫に続いて7人目である。
 インタビューしておいてよかったと思うと同時に、このシリーズも死者ばかりを生じさせ、死のイメージに覆われていくことを如何ともし難い。
 あらためてこれらを読み、それぞれに補遺の論稿を書き継ぐことで、彼らへの追悼に代えようと思う。



13.19年暮れにパイ・インターナショナルからティル=ホルガー・ボルヒェルト、熊澤弘訳『ヒエロニムス・ボスの世界』が出された。
 サブタイトルは「大まじめな風景のおかしな楽園へようこそ」。

ヒエロニムス・ボスの世界 Bosch in  Detail

  これはボスの「悦楽の園」を始めとする美術世界の様々なディテールをクローズアップした多くの図版によって再発見する試みであり、新たな面白さを実感できる。
 原書はベルギーの出版社Ludion のBosch in Detail などのシリーズのようで、続刊を期待したいこともあり、ここに紹介してみた。
 編集は原瑛莉子とあり、知らなかった出版社とそのシリーズの翻訳企画に拍手を送りたい。



14.青木正美『古書と生きた人生曼陀羅図』(日本古書通信社)を恵送された。

 これは青木の『古本屋群雄伝』(ちくま文庫)に『古本屋奇人伝』(東京堂出版)から3編、及び新稿を加えた決定版古本屋列伝というべき一冊で、同時に昭和古本屋史を形成してもいる。
 表裏見返しには昭和初年と敗戦直後の神田神保町古書店街の写真が使われているのも懐かしい。
古本屋群雄伝 f:id:OdaMitsuo:20200226161822j:plain:h110



15.『近代出版史探索Ⅱ』のゲラが出てきた。
 『近代出版史探索』がそれでも500部は売れ、続刊が決まった次第で、読者と図書館に感謝したい。
近代出版史探索
 論創社HP「本を読む」㊾は「生田耕作とベックフォード『ヴァテック』」です。

古本夜話999 松村武雄『神話学原論』と『民族性と神話』

 本連載992は『世界童話大系』と、『神話伝説大系』前史としての松村武雄と山崎光子=水田光のことに終始してしまったので、ここではその後の松村武雄のことにふれてみたい。

f:id:OdaMitsuo:20200112153443j:plain:h100(『世界童話大系』) f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100(『神話伝説大系』、近代社版)
 
 その立項に示されていたように、松村は、『神話伝説大系』刊行後、いずれも培風館から昭和九年に『民族性と神話』、十五、六年に『神話学原論』 上下を刊行した。これも既述しておいたが、戦後になって最初の学士院恩賜賞を受けている。後者の戦後の昭和四十六年の復刊が手元にある。菊判の二冊合わせて二千ページを超える大著で、戦前において松村が神話学の第一人者だったことをうかがわせ、それが戦後になっての学士院恩賜賞へとリンクしているのだろう。

 f:id:OdaMitsuo:20200212152813j:plain:h120(『民族性と神話』)f:id:OdaMitsuo:20200212153040j:plain:h115(『神話学原論』)

 『神話学原論』 は第一章を「序説」として、「神話の定義」から始まり、様々な欧米の研究者たちの定義をたどり、検討した後、松村の定義が次のように述べられている。

 神話とは、非開化的な心意を持つ民衆か、おのれと共生関係を有すと思惟した超自然的存在態の状態・行動、又はそれ等の存在態の意志活動に基くものとしての自然界人文界の諸事象を叙述し又は説明する民族発生的な聖性的若くは俗性的説話である。

 これは神話概念の「内から」の把握の試みだが、続いて「外から」の理解の試みとして、神話と伝説、民話が比較され、神話の概念が鮮明化され、神話学も定義されていく。

 神話学とは、神話をその研究の対象として、神話に関するあらゆる現象の組織的説明を試みる一個の科学である。それは神話の歴史的研究であると共にまた神話の批評的研究である。その領域は単一神話及び神話組織の究明に存し、神話的事実の記述、分類、事実群を支配する普遍的法則の発見、さてはまた意味を解くこと、発生の心理を繹ぬること、起原を究むること、成立過程を辿ること、その母胎若くは成素をなすところの自然的若くは文化的な諸形相を尋ぬること、発展・変化を跡づけること、平行・伝播の関係を明らかにすること、整序化・組織化の過程を探ることなどを、その主要な職分とする。

 ただこのような神話学においても、古代から現在に至るまで、神話の解釈の多様性は次々と出現してきているし、それらも多くの「職分」であり、それらを組織立てることも試みられている。そのようにして研究対象の神話と民族の関係を基準として、一国民、もしくは一民族が有す神話を研究する「国民神話学」(特殊神話学)、広く世界の諸地域、あるいは諸民族への神話を取り上げ、比較研究する「比較神話学」(一般神話学)のふたつに分かれる。それらに加え、神話をそのまま完全に蒐集し整理する「記述神話学」なども挙げられていくのだが、それらは省略する。

 そうして第二章「神話起原論」、第三章「神話発生の心理」、第四章「神話の特性」、第五章「神話の種類」、第六章「神話の形式」、第七章「神話内容の構成」、第八章「神話の発展変化」、第九章「独立発生及び拡布伝播に関する諸原則」へと展開され、第十、十一章「神話学史」を経て、第十二章「神話研究法」で閉じられている。

 まさに『神話伝説大系』がそうだったように、欧米の神話と神話学の流れを充全に渉猟した上で書かれた浩瀚な書物にして研究書というしかない。これに続いてやはり培風館から出された『日本神話の研究』全四巻にも言及するつもりでいたが、これは戦後の出版でもあり、別の機会にゆずることにしよう。

 その代わりに最初に挙げた『民族性と神話』を取り上げてみる。これは『神話学原論』 に六年ほど先駆けているのだが、松村のいうところの「国民神話学」に他ならず、エジプト人、ギリシア人、ローマ人、北欧人、ケルト人、日本人の「民族性と神話」がテーマであり、ここで論じられた日本人の「民族性と神話」が、戦時下の『神話学原論』 の上梓、その後の敗戦体験を経て、『日本神話の研究』へと至ったように推測される。

 それらはともかく、これも菊判上製の『民族性と神話』の巻末広告には松村の『童話及児童書の研究』『童話教育新論』『児童教育と児童文芸』の三冊が掲載されている。これは『神話伝説大系』ではなく、『世界童話大系』の延長線上に成立したものと考えられる。『日本児童文学大事典』のほうの松村武雄の立項には、『童話及児童書の研究』(大正十一年)と『童話教育新論』(昭和四年)の書影も見える。そして「そこで彼は、この国ではじめて科学的に的確に子どもと読書との関係にふれ、おとなの平板な観念や感傷主義を排して、子ども固有の考え方生き方に通鶴ものとして、伝統文芸に固有な形式性を高くみとめることができた」との瀬田貞二の評も引かれている。

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 松村は神話学者だったばかりでなく、童話学、児童文学者でもあったのだ。だが瀬田は『落穂ひろい』において、高木敏雄が『比較神話学』に続いて、『童話の研究』(婦人文庫刊行会、大正五年)を刊行していたこと、及び松村が五高で高木からドイツ語を教えられていたことにふれている。そして松村は高木を評価し、影響されていたと述べた後で、「この孤独な松村が孤独な先達を追った」と述べている。高木の「孤独」に関しては本連載984で少しばかり言及しておいたが、松村の「孤独」の意味にも留意していきたいと思う。

落穂ひろい(『落穂ひろい』)


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古本夜話998 細谷清『満蒙伝説集』

 昭和十年年代になっても、「伝説」の時代はまだ続いていたようで、、『神話伝説大系』に含まれていなかった『満蒙伝説集』が刊行されている。これは著作兼発行者が、発行所は満蒙社、発売所を神田神保町の丸井書店として出され、細谷と満蒙社の住所は同じ小石川区小日向台町であることからすれば、自費出版に近いかたちでの上梓であるのかもしれない。しかしそうであっても、六月初版、十一月に三版とあるので、そうした時代ゆえに、それなりに読者もいたとも考えられる。巻末広告にはやはり細谷の『満蒙民族伝説』、近刊として『蒙古貿易の大宗日本磚茶』も掲載されているからだ。

満蒙民族伝説 (慧文社版)

 またその「序」において、「悠遠の過去ある満蒙には、幾十百千、殆んど限り知られぬ口碑があり、伝説がある」との言が最初に置かれている。そして「本書が主として各地の口碑・伝説を蒐集し、満蒙旅行者・満蒙研究者に寄与せんとする主意」に基づくとも述べている。さらに続篇として、「満蒙童話・満蒙歌謡等」もまとめたとあるので、細谷も大正の「伝説」や「童話」の時代の後裔で、前回の藤澤衛彦たちの影響を受けていたとみなしていいだろう。

 ただこの「序」からわかるのは、細谷の専門が十五年に及ぶ「国勢北漸史」で、『満蒙伝説集』はその「先声」としての「大衆向き読物」であり、満鉄本社の「理解ある援助を得た」とされている。とすれば、先の二冊のことも考えると、細谷は満鉄に関係していた満蒙史家、もしくは満蒙絡みの「大衆向け読物」の出版者兼著者の一人だったことになるのだろうか。

 そのことをうかがわせるのは口絵写真に挙げられた中華民国各地の「執照(旅行免状)」、及び「執照(蒙古政庁発給)」のように思われる。それにその他の三十五枚の写真にしても、細谷が満蒙各地を自由に旅行できた事実を伝えているし、そのようにして、ここに七十余の伝説が編まれたことになるのだろう。また巻末には、折り込みの「満洲国略図」も付されている。それらの多くの写真と伝説の中からどれを紹介すべきか、少しばかり迷ったのだが、やはり私の興味に従って、いずれも写真と伝説の双方が取り上げられている「ドルメン」と「娘娘廟祭神」に言及してみたい。
「ドルメン」は「大きな不思議の一つ」とし、次のように紹介されている。

 巨石遺跡の代表的なものはドルメンである。歴史や考古学の上にはハツキリした実在であるが、持主の分らない存在だから、歴史からウツチヤラれた形である。ドルメンDolmen はチルト語で、dol は机、men は石だから机石である。Uncovered Dolmen とも、Stone table ともいはれてゐる。文字の上から大体想像は出来るが、珍奇であるだけに、色々の迷信も生れて来る。巨人の墓場といふことは知られてゐるが、民族によつては、寝床だといつたり、石卓状の墓所だともいわれてゐる。(中略)支那では石硼の文字を充てゝゐるが、石硼が石棚となり、大石棚、小石棚と呼ばれるものもあり、地名となつて現存するものもある。

 写真の「ドルメン」は柝木域で、支えの石壁、石室の上に広く長い石が平に置かれていて、「机石」の典型であるのだろう。「ドルメン」はヨーロッパやアフリカだけでなく、中国、朝鮮半島、日本などにも及ぶ新石器時代の巨石文化のひとつとされている。岡書院が昭和七年に創刊したリトルマガジン『ドルメン』はこれに由来しているのである。

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 「娘娘廟(ニヤンニヤンミヤオ)祭神」は初めて目にするものだが、「満洲には、地方・到るところに娘娘廟がある」という。その中でも大石橋の娘娘廟が代表的なものだとされる。

 全満第一といはれる大石橋の娘娘廟会―祭礼は、旧暦四月十六日から十九日の四日間に亘つて行はれる。それが近くなると汽車の割引広告―満人向きに画かれた色彩豊かなポスターが、停車場といふ停車場、都会・村落・奥地の小字まで、楽土王道の宣伝を兼ねて、万遍なくバラまかれる。そして村々の小娘・新妻・老婆に至るまでが、その日の来るのを待ち詫びてゐる。

この大石橋の娘娘廟には三女神が祀られ、それらは福の神、眼の神、子供を授ける神である。いずれも霊験あらたかとされ、「大祭当日の人出は、それこそ想像の外である。路を埋め、畑を埋め、山を埋め尽す参詣人は、袖を連ねて幕を為し、汗を揮つて雨を為すといふ盛観」である。
 
 その子供を授ける神は「寓氏公主三姑娘娘之神位(授児)」とされる。昔、大石橋の近くの部落に李氏という人妻があり、美人で夫婦仲もよく資産家だったが、惜しいことに子宝に恵まれなかった。それで長い間苦しんでいた李氏は上々吉の日を選び、秘かに娘娘廟に詣で、授児の女神に祈ったのである。その時目に入ったのは女神の右に侍る女官の手許で、「見れば可愛い肥った男の子が、裸体のまゝ抱かれてゐるではないか」。それを一ページの口絵写真で見ることができる。李氏はそれに見とれ、なで回していたが、「強い魅力にひかされて、おチンチンの先を一寸爪の先でつまみとり、そして手早く飲み込んで仕舞つた」。その一年後に李氏は丸く肥つた男の子を生んだ。それは女官が抱いていた男の子にそっくりであった。霊験あらたかな娘娘廟の恵みとなったのである。この男の子を抱いた女官像にめぐり会えるだろうか。
 

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古本夜話997 藤澤衛彦と六文館『日本伝説研究』

 もう一編、『神話伝説大系』に関して付け加えておく。本連載991でリストアップしたように、この第十三巻は『日本神話伝説集』で、藤澤衛彦によって編まれている。

f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100(近代社版)

 その内容は「神話」が『古事記』『日本書記』『今昔物語』、「伝説」が『日本霊異記』『三国伝記』『宇治拾遺物語』『古今著聞集』「神社考」「本朝故事因縁集」「因果物語」「本朝霊応記」「民間伝説」からの抽出アンソロジーと見なせよう。それゆえに七七〇ページのうちで「神話」は二〇〇ページ、「伝説」が五七〇ページという構成で、編者の意図は「神話」よりも「伝説」に向けられていることが明白である。

 藤澤については本連載443などで、彼が梅原北明一派のアンダーグラウンド出版「変態十二史」シリーズの著者であり、またリトルマガジン『伝説』を主宰する伝説学者だったことや三笠書房版『日本伝説研究』にふれておいた。その際には引かなかったけれど、今回は『日本近代文学大事典』の立項を挙げてみる。

f:id:OdaMitsuo:20200210114725j:plain(三笠書房版)

 藤沢衛彦 ふじさわもりひこ 明治一八・八・二~昭和四二・五・七(1885~1967)民俗学者、児童文学研究家。東京生れ。明治四二年明治大学文学科卒。昭和七年、明治大学専門部教授として風俗史学と伝説学担当、二一年文学部社会科および新聞科専任、三三年定年で講師となり、民俗学と新聞史を担当した。いっぽう社会的活動めざましく、大正三年、日本伝説学会を創立、『日本伝説叢書』『日本歌謡叢書』など刊行、一一年、芦谷芦村の日本童話協会創立に協力、そのほか日本児童文学者協会、日本童話学会、日本アンデルセン協会などの設立と育成につとめた。(後略)

 戦前の藤澤の「日本伝説叢書」や「日本歌謡叢書」は未見だが、『全集叢書総覧新訂版』を繰ってみると、前者は大正六年刊行で、藤沢衛彦編とあることからすれば、私家版とも考えられるし、それは「日本歌謡叢書」も同様かもしれない。『日本伝説研究』のほうはその後、六文館版を入手している。それは全六巻のうち第五巻が欠けているけれど、第六巻には「総目次」が付されているので、その全容をうかがうことができる。

全集叢書総覧新訂版 f:id:OdaMitsuo:20200208121308j:plain:h115(六文館版)

 これは先の『総覧』によれば、昭和六年、この六文館版は「酒顛童子物語(鬼賊退治英雄伝説)」から始まって、「中将姫行状記(蓮の曼陀羅伝説)」に至る五十五の伝説は、第一巻の「序」に見える「それが純日本民族所産の伝説であるか、或はまた、他民族の伝説の移動し来つたものであるか」という視座から追跡されていく。それゆえに「百合若大臣(英雄伝説)」や「巨人伝説考(大夫法師考・アマンヂヤク考)」などのように、ギリシャ神話との比較、類似にも及んでいる。それは本連載で指摘した大正期が「童話」と並んで、「神話」や「伝説」も発見され、比較研究されつつある時代だったことを告げていよう。もちろんそれらが同時代の西洋のトレンドであったことはいうまでもないが。

 それらはともかく、六文館版を入手したことで、これまで明らかではなかった『日本伝説研究』の出版史を知ることができたのである。第一巻の「序」はまず大正十一年十一月付で記され、その後に同十五年六月の「著者又識」が付け加えられている。ルビは省略する。

 本書は、大正大震災前、重版二千五百部を発行した後、売切の儘、震火災に紙型を焼失し、暫く絶版となつてゐたが。第二巻刊行と同時に、頻りにその再版を慫慂されるので、ここに多少の増補改訂をなし、第二巻に準じて挿絵四十八葉を加へて、再刊するに至つた。従つて、改訂版の頁数は、初版より六十二頁を増加してゐる

 続いて第二巻を見てみると、「序」は第一巻の一年後の大正十二年八月付だが、「著者又識」は第一巻より一年早い同十四年七月付で記され、第二巻は製本中にすべてが大震災で焼亡してしまい、十四年になって、再刊が実現したとある。つまり先の引用に示されているように第二巻再刊後に絶版だった第一巻が出されてことになる。そして第一、二巻とも「第三版発行について」が昭和六年十一月で付け加えられている。

 さらに第三巻を繰ってみると、昭和六年八月付の「序」に続き、「緒言」が置かれ、関東大震災と藤澤と著作の関係に及んでいる。

 震災は、一方わが努力の「日本伝伝説叢書」(既巻十三巻)を、其刊行会と未発行十二巻分の原稿と共に焼失せしめ、「日本歌謡叢書」又僅に三巻を刊行し得たのみで続稿数巻を焼失せしめて、事業中絶の余儀なきにいたらしめた。其後「日本伝説研究」の発行所である書肆の再興するあつて、第一、第二巻の改訂再版を見、続いて第三巻の続稿を印刷に付したが、校正三百頁にして書肆の休業に伴ひ中絶に会した。

 この書肆は拙稿「天佑社と大鐙閣」(『古本探究』所収)の後者であり、こちらも関東大震災によって休業へと追いやられたのだ。しかし幸いなことに、大鐙閣と六文館の協約が成立し、藤澤の『日本伝説研究』も含めて、大鐙閣の版権が六文館へと移った。しかも藤澤と「六文館主鹿島君は旧知の間」であり、第三巻以降も刊行可能となったのである。昭和十年年には全八巻の「増訂版」も出されるに至っている。

古本探究

 ちなみにこの六文館の鹿島佐太郎は拙稿「藤井誠治郎『回顧五十年』と興文社」(『古本屋散策』所収)の興文社の鹿島光太郎、もしくは鹿島長次郎の息子ではないだろうか。その発行図書目録に、鳥居きみ子の大冊『改訂土俗上より観たる蒙古』もあるので、これが入手できたら、さらに追跡してみようと思う。

古本屋散策


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