出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1180 関口鎮雄訳『芽の出る頃』と堺利彦訳『ジェルミナール』

 前回は大正時代のゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」翻訳をリストアップしたので、金星堂の『芽の出る頃』、アルスの堺利彦訳『ジェルミナール』を挙げておいた。だがそこで言及できなかったこともあり、ここで書いておきたい。それは前回の『獣人』と同じく、両書とも英訳によっていると思われるからだ。

 その前に書誌的なことを示しておくと、『芽の出る頃』は大正十二年の金星堂版ではなく、昭和二年の成光館版で、その事実は、これも前回の『死の解放』と同様の譲受出版であることを伝えていよう。大正時代の翻訳出版は本探索でもトレースしてきたけれど、文学作品に限っただけでも、小出版社を中心として想像する以上に多くが試みられていた。しかし大正十一年の関東大震災に遭遇して、これもまた多くの中小出版社が廃業、倒産に至り、それはゾラの版元である天佑社や大鐙閣も例外ではなかった。この二社に関しては拙稿「天佑社と大鐙社」(『古本探究』所収)でふれているので、よろしければ参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20210801171138j:plain:h120(『死の解放』、成光館版)

 そのような大正の翻訳出版状況と関東大震災を経て、赤本や特価本業界の譲受出版が始まっていくわけだが、それらの全貌を把握することは困難である。それは成光館にしても、『近代出版史探索Ⅱ』227などの三星社、三陽堂、東光社にしても、全出版目録も社史も出されていないし、たまたま見つけた一冊ずつを確認していくしか探索方法がないように思われる。しかし赤本や特価本業界の譲受出版は近代出版史だけでなく、読者、読書史にとっても重要なテーマだと考えられるので、これからも探索を続けていくつもりだ。

 とりわけ成光館版『芽の出る頃』はそうした印象を与えるのである。四六判函入、七九六ページに及ぶ一冊で、函はタイトルと照応する草色で、そこに女性と建物のイラストが描かれ、こちらは内容にそぐわない瀟洒なイメージである。金星堂版は未見だが、成光館版の合巻構成からすると、上下巻として刊行されたように思われる。また本体の造本も赤いクロスの上製で、一九〇六年にフランスで出されたゾラ全集を想起させるし、訳者の序もあとがきもないけれど、その一冊のニュアンスだけでも、成光館のオリジナリティをうかがわせている。すると編集者は誰だったのかという思いも生じてくるのである。

 ただ訳者の関口は『日本近代文学大事典』の索引に名前だけは見出せるので引いてみると、第四巻『事項』の「日本近代文学とアナトール・フランス」のところに、『赤い百合』の翻訳者として挙げられていた。こちらも金星堂で、大正十一年の出版だったし、英語からの重訳と記されている。『金星堂の百年』の記述によれば、この時代に戯曲や外国文学の翻訳も手がけるようになり、後の「世界近代劇叢書」「金星堂翻訳文庫」「全訳名著叢書」へとつながっていったとあるが、具体的な編集や翻訳に関しては語られていない。
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 それに対して、アルス版『ジェルミナール』は表紙に堺利彦抄訳とあるように、四六判並製、三一六ページ、金星堂版の半分といっていい。そして表紙に「ゾラの最大傑作」「深酷なる大物語」の見出しで、堺の「序」の書き出しが転載されているので、それをそのまま引いてみよう。当時の社会主義陣営におけるゾラの受容の位相を浮かび上がらせているからだ。

 『ジェルミナール』はゾラの最大傑作と云はれてゐる。フランスの北部地方に於ける炭坑の大ストライキを描写して、其の間に坑夫生活の悲惨と痛苦と、ブルジヨアジーの亡びゆく運命と、新社会建設の理想と希望を示したもので、真に雄大、深酷、悲壮、痛烈な大物語である。
 ジェルミナールは、草木の芽が延び出る、春の季節を指した言葉で、つまり自覚した労働者の芽ばえ、労働者の芽ぐみ、新社会の芽だちと云つたやうな心持を現はした表題である。欧米の労働運動界や社会運動界に於いて、此の小説を読んだ事のない者は恐らく無いだらう。私は此の書を日本の読書界に紹介し得た事を以て、洵に大なる喜びとしてゐる。

 そして翻訳についても、これは「縮訳であり、自由訳である」として、「或る部分は直訳」で、「多少は政府の検閲に拠つて抹殺れた箇所」も生じたが、「可なり満足の出来る、手頃な読物を拵へてあげた積り」だと述べている。さらに先に『木芽立』というタイトルで発行したが、再版に際して『ジェルミナール』の原名にあらためたとある。それでサブタイトルに「木の芽立」が付されていたことも了解するし、ほぼ同時期に出された金星堂版のタイトルにも影響を及ぼしているのだろう。

 ただここで留意すべきは、大正十年初版の『木芽立』の出版社もアルスで、黒岩比佐子の堺の評伝『パンとペン』(講談社)でもふれられていないけれど、重訳で抄訳であるにしても、これが『ジェルミナール』の本邦初訳と考えられる。ここに『ジェルミナール』は「時は三月のまだ寒い夜の二時頃、一点の星もない墨のような空の下にマルシエヌからモンスウまでの、甘大根の畑の間の、六マイルあまりの敷石の往来を、只独り行く男があつた」と始まり、初めてのお目見えとなったのだ。それは私が前々回の『ナナ』と同じく、最新の『ジェルミナール』(論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」)の訳者なので、とりわけ感慨を深くする。

f:id:OdaMitsuo:20210802105652j:plain:h120(『木の芽立』、大正十年、アルス)パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い ナナ (ルーゴン=マッカール叢書) ジェルミナール


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古本夜話1179 三上於菟吉訳『獣人』と坂井律訳『死の解放』

 ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の翻訳は大正時代後半が最盛期で、国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)を確認してみると、次のようにリストアップできる。類似した試みを『近代出版史探索』193で行なっているけれど、私は論創社の「ルーゴン=マッカール叢書」の編集、翻訳者でもあるので、もう一度視点を変え、言及してみたい。
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1 本間久訳 『女優ナナ』 (東雲堂、大正二年)
2 飯田旗軒訳 『金』 (博文館、同五年)
3 松本泰訳 『アベ・ムウレの罪』 (天佑社、同十年)
4 水上斎訳 『酒場』 (天佑社、同)
5 三上於菟吉訳 『貴女の楽園』 (天佑社、同十一年)
6 井上勇訳 『制作』 (聚英閣、同十一年)
7 宇高伸一訳 『ナナ』 (新潮社、同十一年)
8 三上於菟吉訳 『歓楽』 (元泉社、同十二年)
9 中島孤島訳 『生の悦び』 (早稲田大学出版部、同十二年)
10 木蘇穀訳 『血縁』 (大鐙閣、同十二年)
11 木村幹訳 『居酒屋』 (新潮社、同十二年)
12 関口鎮雄訳 『芽の出る頃』 (金星堂、同十二年)
13 堺利彦訳 『ジェルミナール』 (アルス、同十二年)
14 井上勇訳 『ナナ』 (世界文豪代表作全集刊行会,、同十五年)

 
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 これらの2の飯田と『金』は『近代出版史探索』195、13の井上と世界文豪代表作全集刊行会は同196、197、3の『貴女の楽園』は『近代出版史探索Ⅲ』402で既述している。 この他にも、大島匡助訳『怨霊』(金星堂、大正十年)、渡辺俊夫訳『陥落』(日本書院、同十二人)、椎名其二訳『野へ』(ヱルノス、同十五年)、井上勇訳『呪われたる抱擁』(聚英閣、同十年)なども挙げられているけれど、それらを入手しておらず、「ルーゴン=マッカール叢書」の作品なのか、原文タイトルも不明なので、ここではリストに加えなかった。また秋庭俊彦訳『肉塊』(三徳社、同十二年)は『パリの胃袋』だが、そこに見出せず、岩野泡鳴訳『女優ナナ』(『泡鳴全集』第十三巻所収、国民図書、同十一年)は六〇ページほどの抄訳であり、省略した。

f:id:OdaMitsuo:20210802101026j:plain:h120(『野へ』)パリの胃袋 (ゾラ・セレクション) (藤原書店版、「ゾラ・セレクション」)

 「ルーゴン=マッカール叢書」を抽出しただけだが、1、7、14と8、9と12、13は重なっているにしても、大正時代後半には集中して翻訳出版されていることになる。しかもこの『同目録』に収録されているのは初版にかぎられておらず、そこに見える三上於菟吉訳『獣人』(改造社、昭和四年)と坂井律訳『死の解放』(泰光堂、昭和十五年)も、最初は大正時代に出されていて、しかも同じ作品なのである。これらは二冊とも入手しているが、その奥付や「序」によれば、いずれも大正十二年の刊行で、前者は昭和四年普及版の「ゾラ叢書」第一篇とされている。しかしその最初の版は天佑社の『怖しき悪魔』だと考えられる。それは三上が「小序」において、数年前に抄訳を公刊したと述べているからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210802111556j:plain:h120(改造社版)

 『死の解放』のほうは泰光堂ではなく、昭和七年に成光館からの出版だが、こちらの最初の版元は精華堂書店で、奥付表記から成光館が譲受出版のかたちで刊行したとわかる。坂井のプロフィルも定かでないが、やはりその「序」に見える、ゾラが「社会の醜悪や罪悪の原因を探究」し、「唯一の理想に向つた社会改造論者」という文言からすれば、プロレタリア文学関係者のように思われる。成光館に関しても、『近代出版史探索』195で取り上げているので、そちらを参照してほしい。泰光堂は『近代出版史探索Ⅱ』270でふれているように、成光館と同様の特価本出版社の系列に属している。

f:id:OdaMitsuo:20210729120231j:plain:h118(『死の解放』、精華堂書店版) f:id:OdaMitsuo:20210801171138j:plain:h120(『死の解放』、成光館版)

 三上はその巻末「付録」の「エミール・ゾラ略伝」において、『獣人』は「ルーゴン=マッカール叢書」第十七巻『ラ・ベート・ユーメン』、すなわちLa Bête Humaine の翻訳だと断わっている。坂井も同様にそのタイトルを示しながらも、「本書の訳名 死の解放」との注記がなされている。双方とも英訳によっていることは明らかだが、後者の場合、タイトルも英訳に起因しているとも考えられる。しかしその英訳は異なるもので、本文だけで『獣人』は五四三ページ、『死の解放』は三九一ページであり、『死の解放』が抄訳だとわかる。

La bête humaine: édition originale et annotée

 ただそれが英訳者によるのか、坂井によるものなのかは不明だが、その一例を示すために、両者の冒頭の部分を引いてみる。前が『獣人』、後が『死の解放』である。

 ルウパウは部屋にはひつて来て麺麭や仔牛肉や白葡萄酒の罎を卓子(テーブル)に置いた。しかしヴィクトワルおかみさんは朝の仕事をしに下りていく前に、暖炉  を燃えさしで一ぱいにして了つたので殆んど餘温(ほとぼり)もなかつた。駅助役は窓を開けて眼の下の軌道の上に身を乗り出させた。

 自分の部屋に這入ると直ぐにルウポーは、麺麭(パン)と白葡萄酒の瓶を卓子(テーブル)に置いたが、宿のお神さんがストーブに灰を一杯つめたまゝにしてゐるので部屋の中には少しも暖味がなかつた。それで彼は所在なさに窓を開けて目下の汽車路を見下した。其は西鉄道会社の共同宿泊所に宛てられた此高い建物の五階目の窓である。

 フランス語原文は前者と同じといっていい。だが後者の場合は英訳者が抄訳を意図したことを示すように、最初のセンテンスに、前者にない「其は西鉄道会社の共同宿泊所へ宛てられた」と続く一文をつなげていることからも了解されよう。

 三上は先の「小序」で、英訳者の名前は挙げていないけれど、ゾラの作品を十七冊読んだと述べている。大正を迎え、田山花袋たちの明治の丸善洋書時代と異なり、日本への洋書情報と流入状況はまったくといっていいほど進化していたはずで、ゾラにしても、その翻訳の盛況や進捗から見て、各種の英訳が日本へと伝わり、読まれていたことを物語っているのだろう。

 こちらの新訳は寺田光徳訳『獣人』(藤原書店版、「ゾラ・セレクション」)である。

獣人 ゾラセレクション(6)

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古本夜話1178 宇高伸一訳『ナナ』と三好達治

 前回、大正十一年にゾラの『ナナ』が宇高伸一全訳で、『世界文芸全集』7として刊行され、大ベストセラーとなり、新潮社が新社屋を建設するに至り、それがナナ御殿とよばれたというエピソードを記しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20210723104645j:plain:h110(『世界文芸全集』)

 この宇高については『日本近代文学大事典』に立項があるので、それを引いてみる。

 宇高伸一 うだかしんいち 明治一九・六・二五~昭和一八・三・一〇(1886~1943)小説家。新潟県直江津生れ。本名信一、旧姓佐藤。明治四三年早大英文科卒。奇蹟同人として小品や一幕もの『旅立ち』(大二・五)などを書く。呉海軍工廠や広島山陽中学につとめつつ仏文学を収め、ゾラの『ナナ』(大一一・三 新潮社。再刊昭二一 大泉書店)、メリメの『カルメン・コロンバ』(昭五 新潮社。再刊昭和二三 大泉書店)などを訳刊。ほかに小説『黄色液』『情熱の行くところ』などがある。

 やはり『同事典』の『奇蹟』改題を見てみると、確かに宇高信一の名前が見える。そしてこの文芸同人誌が大正二八年に舟木重雄を編集兼発行人として創刊され、植竹書院に発行所が移されたとわかる。とすれば、『近代出版史探索Ⅱ』253でふれているように、同人の広津和郎がモーパッサン『女の一生』や『美貌の友(ベラミー)』を英語から重訳していたこと、前者が植竹書院からの出版だったことは、宇高にとっても大いなる刺激となったと思われる。また同時代に植竹書院は、これも本探索1167の「薔薇叢書」なる翻訳シリーズも刊行していたし、これらの訳者たちも宇高の近傍にいたはずだ。

 どのような経緯と事情で宇高が『ナナ』の訳者になったのかは不明だけれど、大正七年に広津訳『女の一生』が新潮社によって重版の運びとなったこととリンクしているのではないだろうか。それに加えて、中村星湖訳『ボワ゛リイ夫人』が大正十一年に『世界文芸全集』1として刊行されたことも関係しているように思われる。その後、昭和に入ってこの二作は『世界文学全集』20に収録され、宇高訳『ナナ』の同19と並ぶことになる。

f:id:OdaMitsuo:20180911113032j:plain:h120(『世界文芸全集』1)f:id:OdaMitsuo:20210820081617j:plain:h117(『世界文学全集20) f:id:OdaMitsuo:20210725110044j:plain:h120(『世界文学全集』19)

 宇高は『世界文芸全集』の「序」の付記において、『ナナ』が英語からの重訳であること、「N氏の好意」による「原文と対照して最密なる改訂」、『奇蹟』の舟木重雄などへの謝意を表しているけれど、「N氏」とは中村星湖のことではないだろうか。その「改訂」が昭和二年の『世界文学全集』への『ナナ』収録に際しての改訳を促すことになったように推測される。

 宇高の「序」を読めばわかるのだが、彼の「ルーゴン=マッカール叢書」二十巻の原書名を挙げ、『ナナ』が第九巻であるにもかかわらず、その第十七巻に相当すると述べている。それは彼がこの「一冊の完訳すらでなかつた」「最も意味ある大作を我邦に移植し得たことを光栄とする」と記しているのに、「叢書」に通じておらず、『ナナ』の英訳だけを読み、翻訳し、「序」を書いていることを浮かび上がらせている。それに加えて、N氏の原文との「最密なる改訂」によって、英訳がフランス語原文に忠実なものではないことも、広く伝わり始めていたとも考えられる。ナナ御殿を建てたとされるフランス小説の大ベストセラーであったゆえに、様々なルーマーが飛んだと見なすことも可能である。

 そこで『世界文学全集』企画編集者としての佐藤義亮は『ナナ』を収録するにあたって、フランス語からの翻訳を意図した。それに昭和を迎え、時代はそれまでの重訳から原文語訳へと移行しつつあったのである。広津訳の『女の一生』はともかく『世界文学全集』としても豊島与志雄がユーゴー『レ・ミゼラブル』全三巻、山内義雄がデュマ『モンテ・クリスト伯』全二巻を担い、『仏蘭西古典劇集』や『仏蘭西近代戯曲集』や『現代仏蘭西小説集』も、東京帝大仏文科を中心とするメンバーによって翻訳されていたのである。そのメンバーの一人として、三好達治も召喚され、『ナナ』の翻訳に携わることになったと考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20180911142905j:plain:h120(『世界文学全集』)

 しかもそれは周知の事実とされていたようで、『日本近代文学大事典』の宇高の立項に、『世界文学全集』の『ナナ』も宇高訳とされているにもかかわらず、その記載がないことはその事実をふまえているからだろう。また三好達治の立項において、「『世界文学全集』第一九巻の『ナナ』の下訳、約一一〇〇枚を市外奥戸村字曲金の農家にこもって完訳』とあるのも、フランス文学翻訳史のよく知られたエピソードとなっていることを伝えていよう。また付け加えておけば、先の立項のメリメの『コロバ・カルメン』の新潮社は間違いで、改造社である。それは『世界大衆文学全集』44としてで、そこには宇高の口絵写真もある。この全集の明細は拙著『古本探究』に収録している。

 そして戦後を迎え、三好訳としての出版も可能となり、昭和二十六年には三笠書房から、「三好達治氏による我国最初の完訳」という帯文付きで刊行されるに至っている。この三笠書房版と新潮社の『世界文学全集』19を見てみると、前者にわずかな訳語の変更はあるにしても、両社はまったく同じといっていい翻訳である。ちなみに第1章におけるナナの裸体での出現の描写においても同様である。そのシーンは宇高訳では少しばかりカットされていたし、おそらく英訳でも同じだったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20210725112526j:plain:h120(三笠書房版)

 なお『ナナ』(論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」)の最新の訳者は私であり、これも三好訳を拳々服膺させてもらったことを付記しておこう。

ナナ (ルーゴン=マッカール叢書)

odamitsuo.hatenablog.com


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古本夜話1177 ゾラ『実験小説論』、『パスカル博士』、金森修『科学的思考の考古学』

 ゾラが「ルーゴン=マッカール叢書」の第一巻『ルーゴン家の誕生』(伊藤桂子訳、論創社)を刊行するのは一八七一年で、その理論とされる『実験小説論』を上梓するのは八〇年で、拙訳もある「同叢書」の第九巻『ナナ』の出版後だった。日本における『実験小説論』の翻訳は一九三九年=昭和十四年であり、白水社の「仏蘭西文芸思想叢書」4の河内清訳としてだった。その前年にはゾラが依拠したクロード・ベルナール『実験医学序説』(三浦岱栄訳、岩波文庫)も刊行されていた。

 ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) f:id:OdaMitsuo:20210723101316j:plain:h115(『実験小説論』)ナナ (ルーゴン=マッカール叢書) 実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)

 また当然のことながらそれ以前に、『ルーゴン家の誕生』『血縁』(木蘇穀訳、大鐙閣、大正十二年)や『ルゴン家の人々』(吉江喬松訳、春秋社、昭和五年)として翻訳されていたのである。そのゾラによる「序文」にはルーゴン=マッカール一族の「遺伝」「気質と環境」「神経と血液に由来する疾病」の関係をたどり、それらに起因する「感情や欲望や情熱」の行方を追い、「第二帝政におけるある一家族のありのままの社会史」を描くという意図も提出されていた。

 それに大正十一年の新潮社の『ナナ』(宇高伸一訳、『世界文芸全集』7)の大ベストセラー化は新潮社の新社屋建設をもたらし、ナナ御殿と呼ばれたという。また翌年の『居酒屋』(木村幹訳、同11)の続刊もあって、多くの出版社から「ルーゴン=マッカール叢書」は半分以上が翻訳され、日本におけるゾラの名前も、フランス自然主義と相俟って、フローベールを上回るほど文名は上がっていたはずだ。

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 しかしルーゴン=マッカール一族の「遺伝」「気質と環境」の表象ともいうべき家系図が付された『愛の一ページ』と『パスカル博士』は未邦訳のままで、前者は『禁断の愛』(山口年臣訳、角川文庫、昭和三十四年)として戦後、後者に至っては平成の拙訳を待たなければならなかった。とりわけ『パスカル博士』は「ルーゴン=マッカール叢書」の回顧、総集編といえよう。

f:id:OdaMitsuo:20210723110916j:plain:h115  パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) (『パスカル博士』)

 これもまた『パスカル博士』の翻訳者として、偶然のようにも思われなかったのが、その前年の平成十六年に金森修の『科学的思考の考古学』(人文書院)が出されたことだ。その第二部「医学の思想史」に『パスカル博士』論でもある「仮想世界の遺伝学―ゾラの遺伝的世界」が収録されていたのである。金森はそこでゾラが「ルーゴン=マッカール叢書」を構想しつつあった一八六〇年代の知的風土を、『ルーゴン家の誕生』の「序文」や『実験小説論』から類推し、リュカの遺伝学を始めとし、『近代出版史探索Ⅲ』560のルナン『イエスの生涯』、テーヌ『英文学史』、ダーウィン『種の起源』とビュヒナー『力と物質』の翻訳に注目する。そして「これらの事例を通して見えてくるものは、実証主義、唯物論、自然主義、無神論、決定論的な思想動向が、六十年代に怒涛のようにフランス社会を襲いつつあったという事実なのだ」と指摘する。それに対して、第二帝政期はカトリックが権力志向性格を露わにし、伝統的な宗教的世界観と実証主義的で世俗的な世界観との闘争が起きていたのである。

 科学的思考の考古学  ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書)

 このような社会背景の中で、「ゾラが、反教皇的で反宗教的な資質をもって、自分の思想を展開しようとした」のであり、それが『実験小説論』の眼目で、「ルーゴン=マッカール叢書」において、人工的な条件設置をしての遺伝学や人間心理のメカニズムの普遍性を持ちこもうとしていた。そして科学と芸術の違いも否定することで、ゾラの自然主義も成立する。

 それを体現するのは『パスカル博士』の主人公パスカルで、一族の家系の者ではないように見え、母親のフェリシテから「一体お前は誰の子なんだろうね。私たちの子じゃないわ」といわれ、いわば一族の見者のような位置にある。長くなってしまうので、さわりの部分しか引用できないが、一八六〇年代の知的環境とルーゴン=マッカール一族の表象たる家系樹を姪のクロチルドに示す場面がある。

 最初に彼が示したのはルーゴン家とマッカール家の家系樹だった。(中略)二十年以上前から更新し続け、誕生や死、結婚や一族の重大事を書きこみ、彼の遺伝理論に従って、それぞれに簡単な注釈が施されていた。それは黄ばんだ大きな一枚の紙で、折りじわがついてすりきれ、その上にはしっかりとした線で描かれた象徴的な樹形図が立ち上り、枝葉は拡がってさらに枝分かれし、大きな葉が五層に並んでいた。それぞれの葉には名前がつけられ、細かな字でその人生と遺伝的症例が入っていた。 
 この二十年来の作品を前にして、学者の喜びが博士の心を捉えていた。そこには彼の定めた遺伝法則が明確で完璧なまでに当てはまっていた。

 全五世代にわたる家系樹の中での直接遺伝の分岐、混合遺伝の事例、間接遺伝と隔世遺伝、それらは「あたうかぎり科学的だ」し、「詩人の領域」でもあり、「遺伝は何という広大なフレスコ画を描き、何という巨大な人間的喜劇や悲劇を描くことであろうか。まさに家族の、社会の、そして世界の創世記なのだ!」。

 続けてパスカルはこれまでの「ルーゴン=マッカール叢書」の十九巻の物語とそれらの登場人物たちのことを語り始めていくのである。それはパスカル家とマッカール家の架け橋で、クロチルドとの間に生まれてくる子どもへ引き継がれていくことを暗示し、『パスカル博士』は閉じられていくことになる。

 なお金森に『パスカル博士』を献本しておいた。するとその後『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』刊行に際し、『みすず』(二〇一〇年一・二月号)の「読書アンケート特集」で、金森が「ルーゴン=マッカール叢書」全巻邦訳を祝し、また精神医学の江口重幸が「記念すべき出来事」と評してくれたことを付記しておく。

 ウージェーヌ・ルーゴン閣下―「ルーゴン=マッカール叢書」〈第6巻〉 (ルーゴン・マッカール叢書 第 6巻)

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古本夜話1176 松本恵子訳『アベ・ムウレの罪』とパラドウ

 前回の『フロオベエル全集』の『聖者アントワヌの誘惑』ではないけれど、ドーデの『巴里の三十年』に見えるゾラの『ムレー司祭』も、『アベ・ムウレの罪』として、やはり改造社の「ゾラ叢書」で翻訳刊行されていた。それは昭和五年の「同叢書」第二篇としてで、訳者は松本泰だが、拙稿「松本泰と松本恵子」(『古本探究』所収)で既述しているように、彼の夫人の松本恵子によるものである。それに同書は大正十年に天佑社からすでに出されている。

f:id:OdaMitsuo:20210722112638j:plain:h120(改造社版)

 「ゾラ叢書」第一篇は三上於菟吉訳『獣人』で、三上は『近代出版史探索Ⅲ』402や435でふれているように、ゾラの『貴女の楽園』や『歓楽』の翻訳者でもある。第三篇は犬田卯訳『大地』で、この「叢書」のために翻訳されたと思われる。念のため付記しておけば、犬田は住井すゑの夫で、博文館編集者を経て、作家、評論家として農民文学運動に携わっているので、『大地』の最もふさわしい翻訳者といえるだろう。

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 「ゾラ叢書」や犬田の『大地』翻訳は『近代出版史探索』191ですでにふれ、同188でやはり同じ時期に刊行され始めた春秋社の『ゾラ全集』にも言及している。しかし「ゾラ叢書」は三冊、『ゾラ全集』は二冊しか出されず、後が続かなかった。ただ改造社からは昭和九年に高島㐮治訳『ゼルミナール』が出されているので、これも「ゾラ叢書」としての企画だったと推測できよう。ちなみに『大地』、『歓楽』は『生きる歓び』、『ゼルミナール』は『ジェルミナール』として拙訳、『貴女の楽園』は『ボヌール・デ・ダム百貨店』として伊藤桂子訳で、論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」に収録されている。

 大地 (ルーゴン=マッカール叢書) 生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書) f:id:OdaMitsuo:20210722203006j:plain:h115 ジェルミナール  ボヌール・デ・ダム百貨店

『アベ・ムウレの罪』のほうは『ムーレ神父の過ち』として清水正和・倉智恒夫訳で藤原書店の「ゾラ・セレクション」で刊行された。七十年ぶりの、それもフランス語からの初めての邦訳であるけれど、ここではあえて松本恵子訳を読んでみよう。それは巻頭に「はしがき」が付され、「土手の上を通る省線電車の車体が庭境のポプラの並木の間に見えるやうになつた。郊外には既う冬が来たのだ。/やうやく校正を終へて、赤いペンを擱いた時、夜風に木の葉がぱらゝゝと墜ちる音を聴いた。私は思出したやうに瓦斯ストーブの火を強めた」とあるのが、とても印象深いからだ。これも松本泰名で記されているが、恵子に他ならず、さらに彼女はゾラの数ある作品の中で、『アベ・ムウレの罪』に最も執着し、その舞台である「パラドウ」に魅せられているのだ。省線電車と郊外、ジャズとトーキーの時代にあって、「パラドウ」は彼女の目に失われた原郷のように映っていたのではないだろうか。

 ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)

 『アベ・ムウレの罪』の「パラドウ」はルイ十五世の頃、都のある侯爵が南仏の岩石と強烈な太陽の地に豪奢な邸宅を建て、小ベルサイユを築いたとされる伝説の地だった。侯爵は絶世の美人を伴い、大邸宅に移り住んだが、まもなく一人で都会へとかえってしまい、彼女だけが残され、そこで亡くなったようなのだ。その後、大邸宅は火事になり、一部を除いて灰燼と化し、荘園の入口の扉は閉ざされ、この荘園へはその遠い時代から誰も足を踏み入れた者はいないとされていた。それでも「パラドウ」の世話をする奇人はいて、それはジョンバルナアとその姪の野生の娘アルビンだった。アルビンの登場とともに「パラドウ」もその姿を現わす。

 その木戸からは降るやうな太陽の光を浴びてゐる処女森の一角が見えた。思い掛けぬ光の中に、遙かな森の奥までハッキリ見渡す事が出来た。緑の芝原の中央に、大きな黄色い花が咲いてゐた。岩の上から水が流れ落ち、高い樹の梢に無数の小鳥が囀つてゐた。花も樹木も、水も悉く緑に浸つてゐる。森の樹々は枝葉を伸して、宛然青空に跳り上つてゐるやうに見えた。

 『アベ・ムウレの罪』は「ルーゴン=マッカール叢書」の第五巻に当たる。主人公のムーレ神父は妹のデジレとともに村の教会に移り住んできたが、叔父のパスカルとともに、「パラドウ」を訪れ、アルビンと恋に陥る。しかし彼女は「パラドウ」に呪縛されたように死んでしまい、その森に葬られる。

 「ルーゴン=マッカール叢書」の最終巻『パスカル博士』において、ゾラ自身によって提出された『アベ・ムウレの罪』のシノプスがあるので、それを拙訳で示してみる。アベ・ムウレはセルジュ・ムーレ、アルビンはアルビーヌ。

 パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書)

 まだ二人の子供がいる。セルジュ・ムーレとデジレ・ムーレだ。デジレは幼くて幸せな動物のように無垢で健やかであり、セルジュは洗練され、神秘的で、一族の神経の突出的なめぐり合わせで司祭職にはまりこんだ。そして彼は伝説的なパラドゥーでアダムのように冒険を再び試み、生まれ変わってアルビーヌを愛し、荷担する大いなる自然の中で、彼女を我がものとし、それから失い、またしても教会によって生命との永遠なる闘いに引き戻され、自らの性を死に至らしめるために戦い、死んだアルビーヌの肉体の上に儀式としての一握りの土を振りまいた。ちょうどその時デジレは動物たちと親しく戯れ、家畜小屋の盛んな繁殖力の中にあって、喜びの声を上げていた。

 なおこの本邦初訳『パスカル博士』には『アベ・ムウレの罪』だけでなく、他の十八巻すべてのシノプスも示され、「ルーゴン=マッカール家系樹」(伊藤桂子訳)も付されているので、参照して頂ければ、とてもうれしい。それは『近代出版史探索外伝』に『ゾラからハードボイルドへ』も収録に及んでいるからだ。


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