出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1175 庄司浅水、ブックドム社、フローベル『愛書狂の話』

 前回の改造社版『フロオベエル全集』第四巻には、拙稿「庄司浅水と『愛書狂』」(『古本屋散策』所収)ですでにふれている。だがそれは同巻に「愛書狂」が収録されていたことによるものだ。

f:id:OdaMitsuo:20210719160933j:plain:h80 (改造社版) 

 その後、ブックドム社のフローベル著、庄司浅水訳『愛書狂の話』を入手しているので、それもここで書いておこう。広瀬哲士訳『聖アントワアヌ』ではないけれど、庄司訳も昭和七年刊行で、こちらも英語からの重訳とはいえ、初邦訳に他ならないからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210721103437j:plain:h110(『愛書狂の話』)

 このバルセロナの本屋を兼ねる愛書狂に関しては、先の拙稿でストーリーを紹介しているので繰り返さない。今回は庄司とブックドム社から始めたいし、まずは『出版人物事典』から、庄司を引いてみる。

庄司浅水 しょうじ・せんすい、本名喜蔵]一九〇三~一九九一(明治三六~平成三)ブックドム社創業者。仙台市生れ。三田英語学校卒。書物研究家を志し、一九三〇年(昭和五)ブックドム社を創業、『書物の敵』『通俗書物の話』、徳富蘇峰『愛読五十年』の出版や書物誌『書物趣味』を創刊。三五年(昭和一〇)東京印刷工業組合書記となり、のち、徳富蘇峰の秘書をつとめた。三九年(昭和一四)共同印刷株式会社に入社、労務課長となり、さらに凸版印刷株式会社に転じ、本社勤労家長、戦後、板橋工場製本課長をつとめたのち、四八年(昭和二三)退社。芸術教育出版の芸術科学社を主宰するが、文筆生活に入る。『定本庄司浅水著作集書誌篇』全一四巻のほか多くの著作があり、古印刷本のコレクターとして知られた。

 この立項によって、『愛書狂の話』の奥付にある発行者の庄司喜蔵が訳者の浅水と同一人物だとわかる。そして発行所のブックドム社は本郷区駒込坂下町の浅水の自宅で、発売所は神田の東京堂に委ねられていたことも了承される。同書は文庫本をひと回り大きくした判型で、函入フランス装、九五ページの一冊で、「Books about Books Series NoⅢ」とあることからすれば、奥付裏の「刊行図書目録」に見える、いずれも庄司浅水編『書物の敵』『書物の話』に続くシリーズだと考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20210721151142j:plain:h120(『書物の話』)

 『愛書狂の話』はまず口絵としてフローベルの同書自筆原稿の第一頁が折り込みで掲載され、本扉を開くと、次のような注記が菱型で置かれている。「本誌ハ一〇〇〇部ノ限定出版ニシテソノウチノ第一号ヨリ第三〇号マデハ訳者自装自作ノ総革特製本、第三一号ヨリ第一〇〇〇号マデハ木炭紙仮製本ナリ、而シテ本書ハソノ第七二二号デアル」と。その次頁には「本書を謹しみて世の愛書家諸賢に捧ぐ」という献辞も付されている。ちなみにこの並製定価は九十銭であり、総革特製本は未見だし、その定価も確かめていない。

 それらに庄司による「序」が続き、「私は近頃、これ位面白い本を読んだことはなかつた」と書き出され、『ボヴァリー夫人』のフローベルに「斯様な作品のあるのをちつとも知らなかつた。しかも、これが彼が未だ満十五歳に満たぬ少年時代の作品であると云ふに至つては、讃辞の言葉すらなき次第である」とのオマージュさえも見える。

 さらに続く「序」によれば、やはり翻訳は一九二九年のセオドル・ウィスレー・コッホ訳。米国イリノイス州エヴァンストンの西北大学図書館刊行の英訳本に基づいている。また四枚の挿絵はエルウィン・リェヂャーの独訳本のために、ドイツの書物芸術家フーゴー・シタイナーが描いたものとされる。

 そしてまた思いがけないエピソードというか、翻訳をめぐる偶然の暗合も記されている。それは庄司の翻訳が完了するとほどなく、本探索1144などの四六書院の『犯罪公論』昭和七年九月号に佐藤春夫訳が掲載されたという。庄司は「偶然にも時を同じうして両者による発表されるに至つたのも何かの因念だらう」と述べてもいる。

 フローベルの『愛書狂の話』という絶好の素材に加え、これらの庄司とブックドム社の出版に見られる愛書趣味、いってみれば愛書狂(ビブリオマニア)は、日本においても、昭和円本時代を閲することによってさらに拍車がかかっていったように思われる。明治二十年代に立ち上がった近代出版業界は近代文学の誕生と軌を一にし、すでに半世紀を経て、近代読者社会は多くの愛書狂たちも生み出すまでに成熟していたのである。昭和六年の斎藤昌三、岩本柯成、庄司浅水、柳田泉、佐々木幸四郎による『書物展望』の創刊は、浅水の『書物趣味』などの書物雑誌を次々と生み出す揺籃でもあった。

f:id:OdaMitsuo:20210721154720j:plain:h120

 浅水は「あとがき」にあたる「訳者より」において、日本の近代の愛書狂(ビブリオマニア)の実例を挙げ、彼等の「狂人」ぶりをも描いている。だがそのような時代は昭和までで、平成に入ると、愛書狂の話はほとんど聞かれなくなってしまったのではないだろうか。そのことを考えてみると、東京古書組合の成立が大正時代、ブックオフの始まりが平成に入ってからであることに気づかされる。そして出版業界の成長は二〇世紀末で終わり、今世紀に入っては失墜と衰退の歴史であったことをも実感してしまうのである。


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古本夜話1174 フロベエル、広瀬哲士訳『聖アントワアヌ』と双樹社

 フローベールの家での晩餐会の席に供せられていた『聖アントワーヌの誘惑』は一八七四年=明治七年に刊行されている。

 一八四五年にフローベールはイタリア旅行で、ジェノヴァのバルビ宮において、ブリューゲルの「聖アントワーヌの誘惑」を見た。そしてその劇化を着想し、この絵を莫大な金を払ってでも買い求めたいと思った。この「聖アントワーヌの誘惑」はそれを物語るように、戦前の渡辺一夫訳『聖者アントワヌの誘惑』を収録した改造社の『フロオベエル全集』第四巻口絵写真には別の絵が掲載されている。実際にその絵を目にしたのは戦後の筑摩書房の『聖アントワーヌの誘惑』(渡辺一夫、平井照敏訳)を収録の『フローベール全集』第四巻においてだった。
 
f:id:OdaMitsuo:20210719160933j:plain:h90 (改造社版) フローベール全集 全10 別1セット (筑摩書房版)

 重苦しい雲が立ちこめる市街を見下ろすV字型の丘は悪魔が入り乱れているようで、奇怪な鳥に乗った悪魔を始めとして、王冠や僧帽をかぶった悪魔が馬にまたがり、聖アントワーヌの周りには二人の裸女、食物を載せた皿を差し出しているろくろ首などがいて、彼の困惑しきった姿を描いているのである。現在はこの小さなモノクロ写真ではなく、大きなカラーの絵を見ることができるのだろうか。

 フローベールはブリューゲルの代わりに、ジャック・カロの「聖アントワーヌの誘惑」を入手し、書斎の壁にかけ、次々に文献を読み、構想をふくらませていった。カロの作品は『カロとマニエリスムの時代』(「世界版画」5、筑摩書房)に一ページ収録があるので、ブリューゲルと内容はまったく異なるけれど、細部まで見てとれる。フローベールはそれを前にして、かつてルーアンの街の広場にやってきた人形芝居が『聖アントワーヌの誘惑』だったこと、それが脇役として豚を使っていたことなどを思い出した。それらのこともあって、フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』は一九四九年、五六年、七四年と三十年間に三回にわたって書かれ、改稿され、初稿も先述の筑摩書房の同巻に収録されている。

 世界版画〈5〉カロとマニエリスムの時代 (1978年) (『カロとマニエリスムの時代』)

 さてその初訳のほうだが、これはフロベエル『聖アントワアヌ』として、大正十三年に双樹社から広瀬哲士訳で翻訳刊行されている。「双樹社芸術叢書」と謳われているにしても、国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』や紅野敏郎『大正期の文芸叢書』にも取り上げられていないことからすれば、この発行者を安藤良とする芝区三田南寺町の双樹社は短命に終わったかもしれない。しかしこの「芸術叢書」は巻末広告にある、やはり広瀬訳のテエヌ『芸術哲学』上下などもそのシリーズだと推測されるし、一冊だけではないと思われる。訳者の広瀬は『日本近代文学大事典』に立項が見えるので、それを引いてみよう。

 広瀬哲士 ひろせてつし 明治一六・九・九~昭和二七・七・二六(1883~1952)仏文学者。岡山県津山市外生れ。東大仏文科卒業後、明治四三年四月、慶大仏文科教授となり、昭和九年三月に退職、実業畑に転じたが失敗し、晩年は不遇であった。昭和三年一月、雑誌「仏蘭西文学其他」(のち「仏蘭西文学」と改題)を創刊、フランス近代文学の翻訳、紹介に力をつくしたが、これは先駆的試みだったといえる。この雑誌は、当時慶大仏文科の学生だった佐藤朔、田中千禾夫、蘆原英了などが執筆したが、四年一二月発行の第二巻第一〇号で廃刊になった。著書に『新フランス文学』(昭五・九 東京堂)、訳書にテーヌ『芸術哲学』(昭一二・一〇 東京堂)などがあるが、じっさいにおいて、「仏蘭西文学其他」の寄稿者たちとの共同作業によるもので、正確には、編者と呼ばれるべき性質の書物であろう。

 この立項からいくつかを類推してみる。双樹社の住所が三田南寺町であることからすれば、発行者の安藤良は慶大関係者、もしくは仏文科出身で、大正末期に広瀬訳の『聖アントワアヌ』や『芸術哲学』を始めとする出版社を立ち上げた。ただそれらは単独訳というよりも、広瀬の仏文科の学生たちが共訳したものであり、そうしたことから必然的に『仏蘭西文学其他』の版元も双樹社が引き受けることになったのではないだろうか。

 f:id:OdaMitsuo:20210720121016j:plain:h120(『仏蘭西文学其他』)

 立項では『新フランス文学』はともかく、『芸術哲学』の出版は昭和十二年に東京堂からとされているが、すでに大正時代に出ているので、実質的にはその重版と考えられる。それは広瀬が事業に失敗したこともありしかの支援のために教え子たちが画策した出版だったのではないだろうか。そうした事柄がこの立項の背景にあると推測される。

f:id:OdaMitsuo:20210720120657j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210720115727j:plain:h120(東京堂版)

 それにしても、この「テバイイドの、ある山の上、幾つかの大きな巖に囲まれて、半月形になつた円い平かな所でのことである」と始まっていく『聖アントワアヌ』が本邦初訳であるのに、立項に挙げられていないのは、こちらも何か事情が秘められているのだろうか。


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古本夜話1173 ドーデ、萩原彌彦訳『巴里の三十年』

 前回、トルストイやドステエーフスキーの日記や書簡を収録した新潮社の「人と芸術叢書」にふれたが、その第四編がドオデエの『巴里の三十年』であることを知った。この訳者が『支那思想のフランス西漸』(第一書房、昭和八年)の後藤末雄だと承知していたけれど、このシリーズの一冊と認識していなかった。それゆえにそこに寄せられていた次のような紹介も初めて目にするものであった。

 仏蘭西の文豪ドオデエが晩年自ら筆をとりて、如何にして文学に志せしか、如何にして文壇の人となりしか、如何にして其の三十年の文壇生活を送れるかを述べたるもの。これを文豪生ひ立ちの記と見るも可、文豪立志篇と見るも亦可也。其文壇への憧憬と初陣、その作家としての悦楽と苦み、その交遊、その日常生活の巨細を、美くしき筆に描ける所、文豪の楽屋観として興味極めて豊か也。

 この『巴里の三十年』を範として、田山花袋が『東京の三十年』(博文館、大正六年)を書いているし、同書によってフローベルやゴンクールを知ったと述べているので、この後藤訳を読んでいたと思いこんでいた。だが実際の出版は逆で、花袋の『東京の三十年』の上梓に刺激され、翻訳が進められたとも考えられる。しかし『巴里の三十年』は長きにわたって探しているけれども、稀覯本ゆえなのか一度も出会っていない。それは『東京の三十年』の博文館版も同様である。

 東京の三十年 (岩波文庫) (岩波文庫版)

 その代わりといっていいのか、『巴里の三十年』は戦後版を古書目録で見つけ、入手している。そのドーデ『巴里の三十年』は昭和二十四年二月初版、十二月第二版で、訳者を萩原彌彦、発行者を米山謙治として、創藝社から刊行されている。創藝社は東京の銀座に本社があり、京都支社も設けていることからすると、それなりの資金、もしくはスポンサーを得て、戦後簇生した出版社のひとつだと思われる。
 
f:id:OdaMitsuo:20210719111237j:plain:h120 (創藝社版)

 後藤訳『巴里の三十年』はずっと絶版のままであり、戦後を迎えて、まさに三十年ぶりに萩原訳で新しい読者に出会えるはずだった。それは萩原にしても創藝社にしても、同じ思いだったであろう。萩原はその「訳者後記」において、新潮社版は全訳ではなく、十六篇のうちの十篇を収録した抄訳だと最初に断わっている。萩原は昭和十年頃に『巴里の三十年』の翻訳を思い立ち、白水社の『ふらんす』に昭和十一年から十八年にかけて、断続的部分的に連載したものをベースとして全訳したとある。恩師として渡辺一夫などの名前が挙げられていることからすれば、萩原はドーデ研究者で、東京帝大仏文科出身だと推測される。したがって敗戦もはさんで長い時をかけ、満を持した翻訳であったはずだ。それは『巴里の三十年』と並んで、『ドオデェ短篇選』(丹頂書房、昭和二十三年)を翻訳していることにもうかがわれる。

 しかし戦後の出版業界の流通や販売の混乱の中にあっても、戦時下で三百社にまで減少していた出版社は増える一方で、昭和二十一年には二千五百社近くを数え、二十三年には返品洪水で千四、五百社が倒産、脱落したと伝えられる。この渦中に創藝社と『巴里の三十年』、丹頂書房も巻きこまれ、不幸な運命をたどったのではないだろうか。それは訳者の萩原も同様だったのかもしれないし、そうした事情がこれまで創藝社版『巴里の三十年』に出会えなかった理由のように思われる。

 だがこの萩原訳を読んだだけでも、花袋が英訳で読んだ際の感慨を想像できるし、それは次のように始まっている。

 なんといふ旅行だつたらう! 三十年経つた今日、そのことを思ひだすだけでも、私はまだ脚が氷の足枷で締めつけられるやうに感じ、胃の痙攣に襲はれる。二日間、三等の客車内で、夏の薄着のまゝ、寒さに慄えてゐたのだ! 私は十八歳だつた。

 ドーデは南仏から「文学に精進するために」巴里へとやってきた。そしてようやく着いたのだ。

 鋳鉄板の上を音をたてゝ走る車輛の響、燈光に輝く広大な円天井、ばたゞゝと扉の開かれる音、走る手荷物運搬車、落ちつかない、忙しさうな人の群れを、税関の役人達、——巴里!

 花袋の『東京の三十年』のほうは、「東京は泥濘の都会、土蔵造の家並の都会、参議の箱馬車の都会、橋の袂に露店の多く出る都会であつた」と花袋もまた明治二十年代の東京において、文学修業に励んでいくわけだが、そちらは拙稿「書店の小僧としての田山花袋」(『書店の近代』所収)を参照されたい。

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

 ドーデの巴里での文学への精進も具体的に語られていくけれど、やはり興味深いのは前回の「近代十八文豪」との交流で、「ツルゲーネフ」と題する最終章において、フローベルの家でのツルゲーネフ、ゾラ、ゴンクールたちによる、七時から始まって二時になっても終わらない晩餐会のことが回想されている。そこにはいつも彼らの新刊であるフローベル『聖アントワンヌの誘惑』、ゴンクール『令嬢エリザ』、ゾラ『ムーレ司祭』、ツルゲーネフ『処女地』、ドーデ『ジャック』などが置かれ、胸襟を開いた文学談議が交わされていたのである。これは一八七〇年代半ばのことだった。

 だがフローベルは一八八〇年、ツルゲーネフは八三年に亡くなり、彼らの晩餐会は再び始められたけれど、ドーデ、ゾラ、ゴンクールの三人でしかなかったのである。そしてこの「ツルゲーネフ」の校正刷を修正している間に、彼の『思ひ出』が届いたことを記し、『巴里の三十年』を閉じている。


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古本夜話1172 西宮藤朝『近代十八文豪と其の生活』

 前々回の佐藤義亮の発言にみたように、大正時代を迎えると、新潮社は外国文学の翻訳出版が活発になっていく。

 それらをたどる前に、その外国文学の翻訳出版に関連する恰好の一冊を拾っているので、これを紹介しておきたい。そのタイトルは『近代十八文豪と其の生活』で、著者は西宮藤朝である。同書は『ツルゲエネフ全集』などと同じ菊半截判、上製三二四ページとして、新潮社から大正八年に刊行されている。だが管見限り、この一冊への言及は見ていないし、タイトルからわかるように、啓蒙書に分類できるだろう。それなのにここで西宮の著書を取り上げるのは、この一冊に示された「近代十八文豪」のポルトレ、及び巻末の新潮社の外国文学の広告が大正時代の翻訳出版を凝縮するかたちで、表象されているように思われるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210714101729j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20210714101535j:plain:h110(『ツルゲエネフ全集』、『猟人日記』)

 ただ幸いにしてというべきか、著者の西宮のほうは『日本近代文学大事典』に立項が見出せるので、それをまず引いてみる。

 西宮藤朝 にしのみやとうちょう 明治二四・一二・七~昭和四五・五・一九(1891~1970)評論家、翻訳家。秋田県生れ。一六歳のとき東京に一家転住し、大成中学を経て早大英文科卒業。トルストイとフランスの哲学者ギヨーの芸術功利説の影響をうけたが、大正七年、本間久雄を編集主任とする「早稲田文学」の編集に参加し、その時評欄で詩歌を受持った。『人及び芸術家としての正岡子規』(大七・一〇 新潮社)が最初の著作で、(中略)つづいてその原理論ともいうべき『新詩歌論講話』(大八・七 新潮社)を著した。(後略)

 この立項に従えば、大正八年十一月刊行の『近代十八文豪と其の生活』は西宮の三冊目の著書になるのだが、ここでは挙げられていないし、彼のほぼ同時期の詩歌論やその後の著作から見ても、リンクさせることに違和感を覚える。「本書は欧米に於ける十九世紀の所謂近代文芸作家の中から十八人を選んで其の生活を叙述し、且つその作品乃至思想を鑑賞したものである」と始まる「序」は、確かに西宮名で記されているが、『早稲田文学』関係者の仕事を彼の名前で刊行したのではないだろうか。

 だがそのことはひとまずおき、煩をいとわず、ここに挙げられた「十八文豪」をそのままの表記で示してみる。それらはフロオベヱル、ゾラ、モウパッサン、マアテルリンク、ワイルド、ダンヌンツイオ、ポオ、トリストイ、ドストイェフスキイ、ツルゲーネフ、チヱイホフ、ゴオルキイ、アンドレイエフ、イプセン、ビョルンソン、ストリンドベルク、ハウプトマン、ズウデルマンで、それぞれの各章において、彼らの生活と作品、芸術と思想をコアとし、ラフスケッチながらも、わかりやすく紹介されていることになろう。まだ本格的な外国文学事典類は編まれていなかったはずだし、そのような情報事典代わりに読まれていたとも考えられる。例えば、私も前回指摘しているが、ツルゲーネフのところに彼は「露西亜の田舎と空気と自然とをよく巧みに描き出してゐる。此の手法は彼のフロオベエルの『マダム・ボワリイ』に似ている」との記述も見出せるのである。

 現在からみれば、マアテルリンク、ダンヌンツイオ、ビョルソン、ストリンドベルク、ハウプトマン、ズウデルマンなどは馴染みが薄いと思われる。だが最近の本探索1152でストリンドベルク、同1153でハウプトマン、1167でマアテルリンクを取り上げているように、また新潮社に限っても、彼らの作品はダンヌンツイオ、ビョルソン、ズウデルマンも含め、円本の『世界文学全集』に収録されていることからわかるように、彼らも当時の外国文学のスターだったのである。

 しかし最大のスター集団と見なされていたのはロシアの作家たちで、『近代十八文豪と其の生活』の十八人のうちの六人がそうであり、それはそのまま同書の巻末広告にも投影されている。大正八年十一月時点でのロシア文学の全集とシリーズの刊行状況を挙げてみる。冊数は当時の既刊分である。

 まず『チエホフ全集』三冊、『ツルゲーネフ全集』六冊、「トルストイ叢書」は十二冊、『ドストエーフスキイ全集』は六冊、また「世界短篇傑作叢書」第一編として『露国十六文豪集』はセルチェル編で、「編者は米国に於ける露文学研究の権威也/最も便利なる露文学総覧と云ふ可し」とのキャッチコピーが添えられている。訳者はこれも『近代出版史探索Ⅲ』571の衛藤利夫であり、「忽三版」の表記も見える。

f:id:OdaMitsuo:20210717201638j:plain:h120(「トルストイ叢書」7、『青年』)

 それから「人と芸術叢書」が第一編『トルストイ書簡集』(石田三治訳)、第二編『トルストイ日記』(昇曙夢訳)、第三編『ドストエフスキイ書簡集』(山村暮鳥訳)も挙げられている。『近代十八文豪と其の生活』の巻末広告はロシア文学オンパレードに他ならず、長編、短編に加えて、書簡や日記までも総動員され、昭和円本時代へと向かっていったのである。

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出版状況クロニクル159(2021年7月1日~7月31日)

21年6月の書籍雑誌推定販売金額は996億円で、前年比0.4%減。
書籍は490億円で、同0.2%増。
雑誌は475億円で、同0.9%減。
雑誌の内訳は月刊誌が407億円で、同3.1%増、週刊誌は67億円で、同20.0%減。
返品率は書籍が39.0%、雑誌は41.2%で、月刊誌は40.2%、週刊誌は46.8%。
書店売上は書籍の9%減に見られるように、ほとんどのジャンルでマイナスとなっている。
雑誌のほうも定期誌、ムックがともに1%減で、コミックスは『進撃の巨人』最終巻、『呪術廻戦』『ONEPIECE』の新刊が出されたが、前年の『鬼滅の刃』には及ばす、前年並みとなった。

進撃の巨人(34) (講談社コミックス)  呪術廻戦 16 (ジャンプコミックス)  ONE PIECE 99 (ジャンプコミックス)  鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス)  


1.出版科学研究所による21年上半期の出版物推定販売金額を示す。

 

■2021年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2021年
1〜6月計
644,5194.2368,6254.8275,8953.5
1月89,6513.550,5431.939,1085.7
2月120,3443.571,8550.648,4908.0
3月152,9986.597,0185.955,9807.7
4月107,3839.758,12921.949,254▲1.8
5月77,5200.742,006▲0.935,5152.6
6月96,623▲0.449,0740.247,548▲0.9

 上半期の紙の出版物推定販売は6445億円、前年比4.2%増である。20年はコロナ禍による書店休業の影響もあり実売状況は見えにくいが、19年上半期と比べても、1.2%増となっている。
 また21年上半期電子市場は2187億円、同24.1%増で、電子コミックは1903億円、同25.9%増で、電子コミックは1903億円、同25.9%増で、2000億円近くに及んでいる。

 しかし5月以降の書店売上は取次のPOSレジ調査によれば、頭打ちになっていて、21年下半期も上半期の動向と重なるかは予断を許さない。
 21年上半期占有率は書籍42.7%、雑誌32.0%、電子出版25.3%となっているので、下半期は雑誌と電子書籍のシェアが逆転してしまうことも考えられる。
 週刊誌の6月の返品率46.8%、売上の前年マイナス20%は近年見たこともない数字で、週刊誌を配達していた小書店も壊滅状態になっているのだろう。そのことを告げるように、この7月に近くの商店街にあった最後の書店が閉店した。取次は中央社だった。



2.トーハンと大日本印刷(DNP)は出版流通改革に向けての全面的提携を発表。
 DNP グループが運営する書籍流通センター「SRC」をトーハンの物流拠点「桶川SCMセンター」内に設置し、出版社倉庫や印刷拠点とも連携することによって、マーケットイン型販売流通を構築し、返品率を大幅に削減し、書店のマージンアップをめざす。

 これらの連携による製造・物流、情報流通、商流、販促の改革がトーハンとDNPの「出版デジタルトランスフォーメーション(DX)」だとされる。
 たまたま『ニューズウィーク日本版』(7/20)が特集を組んでいて、「DXの本質はむしろ技術の外側にある」し、そのコアは「今の時代に合わせた変化」そのものだとされる。
 そのためにはどこまで「聖域なき改革ができるかにかかっている」、その「大きなDXの成功例」として、ネットフリックスが挙げられている。郵送によるDVDレンタル事業からオンデマンドによる定額制映像配信への転換が「聖域なき業務改革の結果」だったとされる。 
 出版業界の「聖域なき改革」とは書籍に関しての再販委託制から低正味買切制と時限再販の導入に他ならず、それを抜きにした「出版デジタルトランスフォーメーション(DX)」はありえないと断言できよう。

Newsweek (ニューズウィーク日本版)2021年7/20号[DX ビジネスの何が変わる?]



3.CCCの第36期決算公告が『日刊工業新聞』(6/25)に出された。
 連結、単体ともに最終赤字。
 連結売上高は2982億5900万円で、前年比15.6%減、営業の損失68億5100万円(前期は90億3200万円の営業利益)、経常利益42億3500万円、同66.7%減、特別損失107億7400万円。親会社株主に帰属する純損失163億3200万円。
 単体売上高は113億500万円で、前年比11.2%減、営業利益は15億2900万円、同43.3%減、経常利益59億2000万円、同83.2%増、特別損失177億8700万円、当期純損失121億5800万円。
 CCCは『文化通信』(7/5)の取材に、「2020年度は、コロナウイルス感染拡大防止のために休業要請があり、TSUTAYAや蔦屋書店の休業、ならびに旅行需要の大幅な低下に伴う旅行事業のマイナスなどが大きく影響した。また特別損失については一定の役割を終えた事業資産の償却等によるもの」と説明。


 本クロニクル155で、やはり『日刊工業新聞』に出されたCCCの蔦屋書店などの20社の吸収合併や解散を取り上げておいたけれど、その延長線上における決算ということになろう。
 その公告を知ったのは7月に入ってからのことで、もはやアクセスできず、その公告は消息筋より送られたものである。
 その後、東証マザーズ上場のSKIYAKIの「親会社等の決算に関するお知らせ」で、それらを確認できたことも付記しておく]
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4.トップカルチャーは2023年10月期までにFCレンタル事業からの撤退を発表。
 今後は書籍、特選雑貨・文具の販売、及び新規事業に資源を集中する。
 それに伴い、21年10月期第3四半期に事業撤退損として、21億円を特別損失に計上し、CCCに撤退ペナルティとして同額を支払う。ヒーズの子会社Dai、日本政策投資銀行、CCCを引受先とする第三者割当増資を実施し、損失分21億円を調達する。
 特別損失計上で、21年10月期通期の業種予想は最終赤字18億1500万円。

 本クロニクル157で、CCCの最大のFCのトップカルチャーの一部店舗でのDVDレンタルからの撤退を伝えたばかりだが、23年までに全店舖からの撤退が発表されたことになる。
 撤退ペナルティを払ってもということは、さらに続けるとそれ以上の欠損が生じることを告げていよう。
 東証一部上場のトップカルチャーはCCCのFCとして、レンタルプラス日販の特販書店の立場を有してきたが、その行方はどうなるだろうか。
 皮肉なことに、『ニューズウィーク日本版』の発売元はCCCメディアハウスであり、そこで「デジタルトランスフォーメーション(DX)」特集が組まれているかたわらで、レンタルからの全撤退の表明となった。
 それは日販、MPD、CCC=TSUTAYAにどのような波紋をもたらしていくのか。ワンダーコーポレーションの行方も気にかかる。
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5.芝田泰明『地主のための資産防衛術』(幻冬舎)を読了。
地主のための資産防衛術
 同書は次のように始まっている。

 三十数年前、私の叔父は、田んぼの真ん中に書店を建てました。
 いわゆる「郊外大型書店」の走りでした。
 そこは私の祖母(叔父の母親)名義の土地でした。開店のタイミングも、立地もよかったので、その書店は大いに繁盛しました。叔父は、テナントを借りて2号店、3号店と支店を増やし、レンタルビデオ店やインターネットカフェなど書店以外にも手を広げ始めました。
 バブル景気の勢いにのって、商売は長期にわたって右肩上がりが続き、最盛期には8店舗、従業員170名を抱える大所帯になりました。
 いつしか叔父は地元の名士となり、どこへ行っても「社長、社長」と下にも置かない歓待を受けるようになりました。

 しかしこの同族会社はバブル経営の果てに、7億円の負債を抱え、著者の父は自死し、その資産は抵当に入っていたのである。
 この書店は大手書店のフランチャイジーで、1990年代に大手取次とナショナルハウスメーカーがタッグを組み、資産家を対象として仕掛けたフランチャイズ商法だったと推測される。ただ残念なことに取次も書店名も実名は出されていない。
 そうしたメカニズムによるフランチャイズ展開が全国各地で繰り拡げられ、それが芝田の著書のイントロダクションのような展開となり、そしてバブルが破裂した。その清算に悪戦苦闘しているのが、取次とフランチャイジーの近年の状況だと思われる。
 それらの清算の内実が書きこまれていれば、この一冊はさらに教訓的なものになったであろうが、自費出版と見なせるので、そこまでは書けなかったことがうかがえる。



6.『新文化』(7/1)に実業之日本社の岩野裕一社長が「『出版物の運賃は安いもの』、無自覚だった出版界」の見出しで、旧国鉄の「特運制度」の歴史的背景と本質にふれている。
 「特運制度」とは1887年に導入された、東京からどこまで運んでも運賃は同じとするもので、知識と活字文化を得るために経済的負担が異なってはならないとする公共的政策的運賃制度であった。
 その制度と国鉄の特別輸送体制の恩恵は1960年代まで続き、70年代以後のトラック輸送へ移行後も同様だった。その「出版物の運賃は安いもの」とする帰結が、今日の物流の危機を招いたのである。
 こうなってはイノベーションによって問題解決を見出すべきで、取次と印刷所の協業によるプリント・オン・デマンド(POD)の拠点設置、ラストワンマイルの物流・決済機能が実現すれば、出版業界全体のインフラとして成立する。残された時間は少ないが、そのようなイノベーションなくして、危機からの脱出はありえない。

 このような視座から、のトーハンとDNPの連携という発想が生まれてくるのであろう。
 しかしながら他ならぬ実業之日本社と『婦人世界』にしても、この「特運制度」と雑誌にベースを置く大取次の成立によって成長してきたのも自明の事実なのだ。それこそが近代出版流通システムの要でもあった。これは清水文吉『本は流れる』(日本エディタースクール出版部)が詳しい。
 ここで実業之日本社の岩野が啓蒙的な「寄稿」をしているのは、思いがけずにコミック『静かなるドン』のデジタル化によって、増収増益の決算を見たことによっているのだろう。それは「デジタルトランスフォーメーション(DX)」ではあっても、ここでいわれているイノベーションとは異なるように思われる。
   新装版 静かなるドン 第1巻 (マンサンコミックス)



7.書籍卸ノトス・ライブが破産。
 ノトス・ライブは1990年設立の書籍卸会社で、高校を中心として教養書、ビジネス書、児童書などの学校図書館用図書を販売していた。
 20年には売上高が2億8000万円に落ちこみ、21年3月には事業停止となり、負債は19年7月時点で1億6100万円とされる。

 このノトス・ライブは未知の卸会社で、取次リストにも掲載がない。学校や職域を中心とする直販業者だと考えるべきではないだろうか。
 かつては自治会ルートなどで、料理書、実用書、ビジネス書が売られていた時代があったけれど、おそらくノトス・ライブはそれらの直販業者の中にあって、学校、それも高校を中心としていたと推測される。
 だがそのような直販業者の時代も終わってしまったことを伝えていよう。



8.水中造形センターが事業停止。
 同社は1958年に舘石昭によって創業され、月刊誌『マリンダイビング』『アイラブダイビング』『海と島の旅』などを主体とし、多くのダイビング関連本を刊行していた。
 2002年には売上高11億3700万円を計上していたが、20年には3億9000万円になっていた。それにコロナ禍の中で、昨年主催している「マリンダイビングフェア」が延期となり、資金繰りも悪化していた。
 負債額は2億円。

Marine Diving (マリンダイビング) 2021年 08月号 No.681 [雑誌]

 本クロニクル154の枻出版社の民事再生、同157の昭文社の海外旅行ガイドブックの低迷、同155などのダイヤモンド・ビッグ社の「地球の歩き方シリーズ」の学研プラスへの譲渡などに象徴されるように、コロナ禍の影響は旅行書やアウトドア関連書にも及び、それはマリンスポーツも例外ではなかったことになる。
 ダイビングの本は購入したことはなかったけれど、『海と島の旅』は何度は買ったことがあり、懐かしい。
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9.角川春樹事務所はフォーサイドと資本業務提携条約を締結。
 この資本提携によって、フォーサイドは角川春樹事務所の株式15.0%を保有する。
 会わせてフォーサイドは角川春樹事務所の子会社ホールワールドメディアの株式も取得し、子会社化した。
 同じくフォーサイドの子会社モビぶっくで、角川春樹事務所が発行していた女子高生向け雑誌『Popteen』の事業を展開する。
 フォーサイドは2000年2月に設立され、子会社フォーサイドメディアは女子小中学生向け雑誌『Cuugal』を発行している。

 株式の譲渡価格は非公表だし、『Popteen』発売元はそのまま角川春樹事務所で、しかもそれぞれの子会社が絡み、よくわからない印象がつきまとう。
 フォーサイドは『Cuugal』と連動するイベントなどを推進するとされているが、おそらくこれもデジタルトランスフォーメーション絡みと考えるべきだろう。
Popteen(ポップティーン) 2021年 08 月号 [雑誌] [Cuugal(キューーガル)2021年8月号(#10)]



10.広済堂は連結子会社の広済堂あかつきの全株式譲渡と同社に対する債権放棄を決議。
 広済堂あかつきは20年の売上高が9億円、純損失約2億円の2年連続赤字で、教科書事業も採算確保できないと判断し、株式譲渡に踏み切った。
 これにより、広済堂あかつきは広済堂グループから除外されるが、株式売却先と譲渡金額は公表されていない。

 これはとても錯綜しているので、簡略な説明を加えておく。
 広済堂あかつきは1947年に長野市で暁教材社として創業し、学参、教科書、学校用教材などを手がけ、その後は暁教育図書としてムックにも進出し、「日本発見」というシリーズを刊行していた。
 ところが90年代に破綻し、広済堂印刷による新会社が設立され、2008年には広済堂出版を吸収合併して広済堂あかつきとなっていたのである。つまり今回の処置によって、広済堂は出版から撤退したことになろう。幻冬舎の見城徹は広済堂を出自としている。
 古い話だが、暁教育図書にも広済堂にも旧知の人たちがいた。彼らはどうしているのだろうか。
大和路―古都の謎と魅力を探る (1979年) (日本発見―心のふるさとをもとめて〈1〉)



11.『出版月報』(6月号)が「ビジネス書」特集を組んでいる。

 1990年代から始まる「ビジネス書の歴史」チャートが掲載されているが、私見によれば、その流れは日本実業出版社の1970年代後半の四六判並製のビジネス書から始まっているように思える。
 それまでは経済書や法律書にしても、専門出版社の函入A5判上製が主流で、気軽に買えるビジネス書とはいえなかった。現在では当たり前だが、それゆえに当時としては日本実業出版社の戦略は画期的であり、ポピュラーなビジネス書の世界を築くことになった。
 一方で78年にTBSブリタニカのガルブレイス『不確実性の時代』がベストセラーとなり、新しいビジネス書販売の時代が迫りつつあった。それに鈴木健二を中心とする人生論的ビジネス書が大和出版によって引き継がれ、90年代へと至ったと考えらえる。
 
 そしてチャートにあるような90年代の経済入門書、寓話本、自己啓発書ブームが続き、今世紀を迎えるわけだが、当初の役に立つ実用書としてのビジネス書から人生論的なビジネス書の色彩が強くなってきているのではないだろうか。
 特集に21年前半のビジネス書ベストセラーが挙げられているので、そのタイトルを示すと、『人は話し方が9割』『本当の自由を手に入れる お金の大学』『よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑』『1日1話、読めば心が熱くなる 365人の仕事の教科書』『リーダーの仮面』となる。
 コロナ禍とデジタルの進行の中で、これらのビジネス書はどのような方向へと進んでいくのだろうか。

不確実性の時代 人は話し方が9割 本当の自由を手に入れる お金の大学 よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑 1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 リーダーの仮面 ── 「いちプレーヤー」から「マネジャー」に頭を切り替える思考法



12.大和書房の創業者大和岩雄が93歳で亡くなった。

 11のところで、大和出版が80年代にビジネス書と人生論を組み合わせるかたちで、鈴木健二のベストセラー本を送り出したことを既述しておいたが、大和出版は大和書房の子会社で、大和が設立している。
 戦後にも人生論の時代があって、大和書房もその代表的な一社だった。櫻井秀勲に「売れる本づくりを実践した鬼才たち」のサブタイトルを付した『戦後名編集者列伝』(編書房)があり、そこには大和岩雄も登場し、大和書房と人生論の関係もレポートされている。
 なお1991年までの全出版目録は『大和書房三十年の歩み』(1991年)に収録がある。
 私にとっての大和は出版者以上に古代史研究家としてで、『秦氏の研究』(大和書房、1993年)を始めとする著書には多くを教えられてことを付記しておこう。
戦後名編集者列伝: 売れる本づくりを実践した鬼才たち 秦氏の研究―日本の文化と信仰に深く関与した渡来集団の研究



13.立花隆が亡くなり、偉大なジャーナリストとしての追悼の言葉があふれるように続いている。

 しかしそれだけでいいのだろうか。
 拙著『出版社と書店はいかにして消えていくか』『ブックオフと出版業界』を初めてまともに書評してくれたのは立花であることもふまえていうが、『立花隆の書棚』(中央公論新社)における『血と薔薇』に関する発言は思いこみによる間違いだらけである。それは『血と薔薇』を創刊編集した内藤三津子の『薔薇十字社とその軌跡』(「出版人に聞く」10)を参照していないことを浮かび上がらせている。このことは『出版状況クロニクルⅣ』で既述している。

 それから『田中角栄研究』(講談社)を労作だと認めるにやぶさかではないけれど、大宅壮一文庫、及び梶山季之とそのスタッフたちの田中金脈に関するデータ集積も不可欠であったことを忘れてはならないように思う。前者に関しては折しも阪本博志編『大宅壮一文庫解体新書―雑誌図書館の全貌とその研究活用』(勉誠出版)が出たばかりだ。
 先人の仕事を抜きにして、「知の巨人」も成立しないことを教えてくれるし、私なども何よりも自戒しなければならないと思う。

出版社と書店はいかにして消えていくか: 近代出版流通システムの終焉 ブックオフと出版業界 ブックオフ・ビジネスの実像 立花隆の書棚 薔薇十字社とその軌跡 (出版人に聞く 10) 出版状況クロニクル 4 2012.1~2015.12 田中角栄研究全記録 上 (講談社文庫 た 7-1) 大宅壮一文庫解体新書: 雑誌図書館の全貌とその研究活用



14.オリンピックに関して、ジュルース・ボイコフの『オリンピック 反対する側の論理』(井谷聡子他監訳、作品社)や『オリンピック秘史―120年の覇権と利権』(中島由華訳、早川書房)が刊行され、相次いでの書評も見ている。

オリンピック 反対する側の論理: 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動 オリンピック秘史: 120年の覇権と利権

 しかしここではオリンピック基礎文献として、ジョン・J・マカルーンの『オリンピックと近代―評伝クーベルタン』(柴田元幸、菅原克也訳、平凡社、1988年)、同編『世界を映す鏡―シャリヴァリ・カーニヴァル・オリンピック』(光延明洋他訳、平凡社、1988年)を挙げておきたい。
 ただ出版されたのが30年以上前なので、絶版品切のはずで、この機会を得て、平凡社ライブラリーなどでの再版が望まれる。
 



15.みすず書房から『みすず書房図書目録』とともに「2021謝恩企画」の案内が届いた。
 それは7月30日を期限とする20%割引であった。

 せっかくの案内であるので、買いそびれていたM・プラーツ『生の館』とG・C・スピヴァク『スピヴァク 日本で語る』の2冊を注文した。
 あらためて『目録』を見て、「品切書目」が44ページ、3千点近くに及ぶことに驚いた。みすず書房は翻訳書が多いことから、版権問題も関係しているとが推測される。
 また3ページの「電子書籍」案内の方は150点ほどで、紀伊國屋書店やアマゾンなどの9の電子書店が挙げられている。だがそのタイトルや点数が書店名からいっても、それほど売れているようには思われない。
 人文書と電子書籍は1112のビジネス書や人生論の売れ方とはまったく異なっていることがうかがわれよう。
生の館 スピヴァク、日本で語る



16.駒場の河野書店から、明治古典会の『七夕古書大入札会』の目録を恵送された。

 といっても、私はこれらの初版本や稀覯本などに門外漢なので、目の保養をさせてもらうだけだが、「文学」部門に昭和26年メトード社、限定120部の塚本邦雄『水葬物語』があった。しかもそれは「三島由紀夫様」と書かれた塚本による献本で、いささか驚いてしまった。
 この塚本の処女歌集は、島崎博、三島瑤子共編『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社、1972年)の「蔵書目録」にも見えていなかった。とすれば、三島がこの一冊を誰かにプレゼントしたもので、それが出品されたとも考えられる。でも真相は教えてもらえないであろう。



17.『月の輪書林古書目録十八 特集・堀柴山傳』が届いた。

 これは月の輪書林創業三十周年木年後で、全ページフルカラーという大冊となっている。
 最初のところに伊藤整の『日本文壇史2』の一節が引かれ、それは次のように書き出されている。
 「文士の生きる社会は、文学史にその名前を明らかに辿られる者のみで形成されているのではない。どの世代においても、その名もその仕事も失われ忘れられて行く無数の文士の渦巻いている混沌の中から僅か数人の者のみが、文学史の上に明確な存在を残すのである。」
 そして柴山の紹介が続いていく。
 堀柴山は尾崎紅葉の弟子にして、二人の妹の為子と保子が、革命家の堺利彦と大杉栄の妻となったことで知られていると。
 この目録を閲し、あらためて故黒岩比佐子『パンとペン―社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)を読むと、リアルな堀柴山と二人の妹の姿に出会うことになる。
 黒岩もこの一冊を著したことで、近代社会主義史と文学史に「明確な存在を残す」であろう。
日本文壇史2 新文学の創始者たち (講談社文芸文庫)  パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い



18.論創社HPの「本を読む」〈66〉は「日影丈吉『市民薄暮』と『饅頭軍談』」です。
 『近代出版史探索外伝』は8月下旬刊行予定。

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