2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
前回少しだけふれた梅田俊英の『社会運動と出版文化』(お茶の水書房)は、大正デモクラシー期から始まる社会運動と出版文化の歴史をたどり、検閲を含めたその状況と動向を、サブタイトルにある「近代日本における知的共同体の形成」という視点から論じてい…
二十年以上前に古本屋の店頭で見つけ、表紙に創刊号と記されていたので、購入しておいた薄い雑誌があり、そのタイトルは『クラルテ』だった。菊判の表紙に赤く『クラルテ』、その上にフランス語のCRARTÈ がレイアウトされ、ビルの谷間に蠢く人々を描いた絵が…
少し前の山田たけひこの『マイ・スウィーテスト・タブー』に見たように、現代コミックは性とエロティシズムのテーマに果敢に挑み、これまでの文学や映画とはまた異なる様々な達成を遂げてきたと断言していいだろう。本連載でもそれらを取り上げてきたが、か…
前回、昭和五年に小牧近江が波達夫のペンネームで、ラディゲの『肉体の悪魔』をアルスから翻訳刊行し、発禁となったことを既述した。これはもう少し後のアルスに関する連載でふれるつもりでいたが、叢文閣との絡みもあるので、ここで書いておくことにする。…
これまでしばしば小牧近江と『種蒔く人』のことを取り上げてきたので、『足助素一集』に小牧の寄稿は見られないが、ここで叢文閣のとの関係を記しておこう。 小牧はパリでバルビュスのクラルテ運動に参加し、その日本での実現をめざし、大正八年に帰国する。…
ミシェル・パストゥローは『青の歴史』(松村恵理、松村剛訳、筑摩書房)において、色の歴史とはすべて社会史であり、その中でも青は歴史的問題を内包していると述べている。そして古代から近代に至る青の意味の変容をたどり、十八世紀末になってヨーロッパ…
私も『悪の華』は金園社の、矢野文夫のペンネームである北上二郎訳から入ったのであるが、金園社は所謂実用書出版社に属し、ボードレールの詩集の版元として似つかわしくなかった。しかし金園社のおそらく優に千点は超えるであろう、あまりにも散文的な実用…
昭和五年における足助素一の死によって、叢文閣には一応の終止符が打たれたと思われる。それは『足助素一集』が叢文閣から刊行されなかったことにも示されているだろう。しかし叢文閣は発行者と住所を変え、その後数年間にわたって存続していた。それを告げ…
中村珍の『羣青』を取り上げなければとずっと思っていたけれども、まだ下巻が出ていないこともあって、先延ばししてきた。その出版事情を記せば、上巻が二〇一〇年三月、中巻が一一年二月に出ているので、この刊行ペースから考えて、下巻が近々出されるので…
前回有島武郎の個人雑誌『泉』をめぐる取次正味についてふれたが、この問題に関する発言は、叢文閣の足立素一ならではのもので、他の出版者による同時代の正味に関する言及を見ていない。しかしあのように取次における高正味にこだわった、特異な性格とされ…
前々回ふれた『秋田雨雀日記』の大正十二年七月十日のところに、叢文閣の足助素一が有島武郎を死に追いやることになった最後の事件を告白し、『泉』の終刊号でそれらを発表することになったとの記述がある。それは有島の告別式の翌日のことで、その後も『泉…
山田たけひこは『柔らかい肌』『初蜜』から『マイ・スウィーテスト・タブー』に至るまで、一貫してぎこちないまでに真摯に「性」を物語のテーマにすえてきたといえるだろう。しかもその「性」の物語は、若き登場人物たちにおけるエネルギーとして表出し、そ…
出版状況クロニクル49(2012年5月1日〜5月31日)最近になって、地域の老舗である事務用品、文房具店が自己破産した。町の商店街は実質的に解体されて久しいが、それでもずっと同じ外観のままで残っていた数少ない店舗のひとつだった。ここは小中高などの学校…