ミシェル・パストゥローは『青の歴史』(松村恵理、松村剛訳、筑摩書房)において、色の歴史とはすべて社会史であり、その中でも青は歴史的問題を内包していると述べている。そして古代から近代に至る青の意味の変容をたどり、十八世紀末になってヨーロッパ全土にロマン主義的なメランコリックで、夢幻的な青が誕生したと語り、次のように書いている。
とりわけドイツロマン派の青は、アフロ・アメリカ起源の音楽形式であるブルース(blues)と結びつけるべきであろう。ブルースはおそらく一八七〇年代に庶民階級で生れ、メランコリックな気分を表現する四拍子のゆっくりしたリズムが特徴である。この米語ブルース[原音は「ブルーズ」]は多くの言語にそのまま入ったが、ブルー・デヴィルズ(blue devils 青い悪魔)の縮約に由来し、この連辞はメランコリー、ノスタルジー、気鬱を意味する。つまりフランス語では他の色でidées noires[黒い考え、憂鬱]と形容されるものである。これは英語のto be blue[「憂鬱になる」]やin the blues[「憂鬱である」]という表現に呼応しており、これらの表現はドイツ語alles schwarz sehen[すべてを黒く見る、「悲観的に考える」]、イタリア語のvedere tutto nero[同上]、フランス語のbroyer du noir[黒くすりつぶす、「気をふさぐ」]と等価である。
このパストゥローの「ブルース」、それこそまさに「ブルー・デヴィルズ」の言及にそのまま重なるかのような作品が、平本アキラのは『俺と悪魔のブルーズ』なのである。これは前回の『羣青』と異なり、いつになったら完結するのかが不明で、〇七年に第4巻が出て以来、続刊が刊行されず、中断してしまっている感が強い。だから完結を待たずして取り上げてみる。その第1巻には「ブルー・デヴィルズ」を彷彿させる藍錆色の表紙カバーに、物思いに沈んでいるような「アフロ・アメリカ」人の顔が描かれ、その天地と小口も青で染められている。そして見返しに第1巻から4巻に共通するキャッチコピーが掲載され、それは次のようなものである。
70年近くもの昔、わずか29曲のブルーズを録音(レコーディング)しただけで、世を去った男(ブルーズマン)がいた。
その後、数十年を経て、奴の名は伝説となり、残された楽曲(ブルーズ)は、あらゆる大衆音楽(ポップ・ミュージック)の源泉(ルーツ)となる。その男を知る者は皆、奴のことを、こう噂した……
“悪魔に魂を売った男”と!
そして「hoodoo(フードゥー)」という疫病神を意味するタイトルのイントロダクションがまず描かれ、「アダムとイブが楽園を追放された時/オレは生まれた」と述べられ、二人の追放、その後の子孫たちとの新大陸への奴隷としての移住と苦難が語られる。そうした苦難の中で生まれ、育てられ、彼らを慰めたり、堕落させたのが「オレ」で、その名を「ブルーズ」だという。続いて「ある夜道でオレは一人の男と会った」と記され、その下に青い月の光を受けた深夜の十字路(クロスロード)で、ギターを抱えている男の姿が浮かび上がり、物語の在り処を直接的に示しているかのようである。
かくして第1章と見なしていい「Cross Road Blues(迷い児の十字路)」が始まっていく。その最初の一ページも青の色彩に包まれ、次の見開き二ページで主人公の「RJ」が夢の中で見ているシーンがフランシス・ベーコンの描く肖像画のように大きく提出され、その悪魔的な人物が「オレだよ……迎えに来たぜ」と言葉を発している。この場面は「オレ」が「ブルーズ」であると同時に「悪魔」だとも告げているのだろう。場所と時代は、アメリカ合衆国・ミシシッピ州・ロビンソンヴィル・クライン農園(プランテーション)、1929年冬。
「RJ」は農園の労働者で、妊娠中の妻がいる。ある土曜の夜、友人に誘われ、生まれてくる子供の子守唄を練習すると称し、黒人の社交場で、居酒屋とライブハウスを兼ねたジューク・ジョイントに出かける。彼らは「土曜の晩に酒場(ジューク)で憂さを晴らし……日曜日教会で全ての罪を洗い流してもらう……そして月火水木金 日常(ブルーズ)が始まる……」生活を送っていたのだ。
しかし「RJ」のギター演奏は笑いものにされるほどひどかった。そのこともあって彼は「クロスロード伝説」を聞かされる。それは真夜中の十字路にギターを持って一人で立ち、一曲演奏する。すると悪魔が後ろに立ち、男のギターを調律し、一曲弾いて返すと、彼のギターテクニックは驚くほど上達するが、魂は悪魔に奪われてしまうというものだった。ほどなく「RJ」も同じ体験に出会うことになる。そして「RJ」の身に何が起きたのかが、他ならぬ『俺と悪魔のブルーズ』のその後の物語へと結びつき、1930年代初頭のアメリカ南、中部の実態が、まさにその時代を描いた映画『俺たちに明日はない』と重なるように展開されていく。
最初の「Cross Road Blues(迷い児の十字路)」にしかふれられなかったが、この平本の作品はブルーズに託されてアメリカの1930年代南、中部状況を深く抉っているように思われ、また物語も佳境に入りつつあっただけに、その中断が本当に惜しまれる。
同じく第1巻の「永井“ホトケ”隆」を始めとし、続く音楽関係者たちの解説によれば、「RJ」とは伝説的ブルーズマンであるロバート・ジョンソンをモデルとし、そのタイトルも彼の曲 “Me And The Devil Blues”からとられているという。ジョンソンは、前述の見返しのキャッチコピーにあったような人物で、ボブ・ディランから「20世紀最大の詩人」と呼ばれ、写真も二枚しかないミステリアスな人生で、しかも27歳で毒殺されたと伝えられている。私はこの文章を書きながら、ドアーズのジム・モリソンの歌う「月光のドライヴ」(『まぼろしの世界』収録)のメロディと詩を思い浮かべた。
そういえば、音楽用語でブルーノートやブルーグラスという言葉もある。それはアメリカの音楽が様々なブルーの意味に包まれていることを表しているように思われる。