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古本夜話208 その後の叢文閣と矢野文夫、長谷川玖一『ボオドレエル研究』

昭和五年における足助素一の死によって、叢文閣には一応の終止符が打たれたと思われる。それは『足助素一集』が叢文閣から刊行されなかったことにも示されているだろう。

しかし叢文閣は発行者と住所を変え、その後数年間にわたって存続していた。それを告げる一冊を所持していて、その本は矢野文夫、長谷川玖一共著の『ボオドレエル研究』で、昭和九年発行、発行者は西村豊吉、叢文閣の住所は麹町区九段となっている。このことは経営者が西村なる人物であることを示し、巻末広告を見ると、旧刊の他に梅津勝夫編訳『ベートホヴェンとゲーテ』、鈴木覧之進編訳『ニーチェヴァーグナー』の二冊が一ページ広告として掲載され、『ボオドレエル研究』と並んで、西村による刊行だと推測がつく。これらの書目と、『ボオドレエル研究』に見られる福澤一郎のヨーロッパ中世の騎士を想起させる色彩豊かな装丁は、叢文閣の変化を明らかに表わしている。

それに加えて、菊判三百ページに及ぶ『ボオドレエル研究』の内容は、ヴァレリーやジイドの翻訳も含めた、矢野と長谷川によるボオドレエルと『悪の華』の研究で、足助が発行者であれば、出版に至らなかったのではないかという印象を与える。矢野に関しては、以前にも何編か書いているが、彼は『悪の華』の最初の全訳者であり、しかもそれは『ボオドレエル研究』とほぼ同時に出されていて、いわば画期的な全訳と研究書が昭和九年に相次いで刊行されたことになる。

矢野による『悪の華』がいかに画期的で優れたものであったかは、訳文を示すことで伝えるしかないので、それを引用してみる。私が好む「秋の歌」の第一章の一と四節である。

 われらは、程なく寒々とした暗黒の中に沈むであらう。さらば! あまりにあはたゞしかつた輝く光の夏よ! 私は、すでに聞く、中庭の敷石の上に、悲しい音を立てて落ちてゆく枯枝の響を―

 この、ものうい枯枝の響にゆられ、何処にか、あはたゞしく、棺に釘を打つやうな気配がする。誰がために? そは昨日と過ぎゆきし夏のため、世は早、秋! この神秘な物の音は、別離のやうに鳴りひびく。

この文語体ではない口語体の『悪の華』全訳、及び初めてのまとまった研究書の出現は、新鮮な驚きを同時代の文学環境にもたらしたにちがいない。それは耕進社から出された『悪の華』が、翌年までに翻訳詩集としては異例の三版を重ねたことにも表われているのではないだろうか。

私は耕進社版を所持していないが、その書影は城市郎『発禁本3』(「別冊太陽」)で見ることができ、この耕進社版に続く、「決定版」金鈴社本もそこに掲載されている。しかし私の手元にある金鈴社本は、それとは異なる本で、しかも再版と記載されているので、矢野による全訳『悪の華』は昭和九年から十四年かけて、継続的に重版されていたことになる。しかもそれは戦後になっても続き、昭和四十二年には金園社の北上二郎訳『ボードレール詩集』として刊行され、四方田犬彦『読むことのアニマ』筑摩書房)で書いているように、岡田史子や四方田といった戦後の読者をも得るに及んだ。もちろん北上は矢野のペンネームである。

発禁本3 読むことのアニマ

文庫や新書のようなペーパーバック化されているならまだしも、ひっそりとした単行本のままで重版され、よく知られていない『悪の華』が読み継がれてきたことは、矢野による口語体訳の魅力に尽きるといっていいだろう。しかし金園社版も途絶えて久しく、半世紀近くが経とうとしている。出版状況はかつてないペーパーバック全盛時代を迎えているにしても、このような詩集の収録刊行は難しいと考えるしかない。それゆえに矢野訳を読もうとするのであれば、古本を見つけることで、そのようにしても、ぜひ読んでほしいとも思う。
(北上二郎訳、創人社版)


さて『ボオドレエル研究』に戻ると、共著者の長谷川玖一のことがずっと不明であった。だが『ボオドレエル研究』所収の「死の思想」も含んだワシオ・トシヒコ編著『矢野文夫芸術論集』(舷灯社、一九九六年)が出るに及んで、そこに矢野の「全訳『悪の華』の思い出」や詳細な「矢野文夫年譜」が収録され、矢野や長谷川のことがかなり明らかになった。矢野のことは次回に譲り、ここでは長谷川について記しておきたい。

矢野の証言によれば、長谷川は慶応大学に籍を起き、早稲田鶴巻町でフランス語専門の古本屋を営んでいたという。矢野に『悪の華』全訳を勧めたのはダダイスト詩人の高橋新吉で、矢野が自分の語学力で自信がないと答えると、高橋が相談相手として長谷川を紹介してくれたのである。そして矢野は難解な個所を長谷川に相談しながら、日本だけでなく、「世界最初」の『悪の華』全訳を完成したことになる。しかし『悪の華』の「後書」に長谷川への謝辞は見えるが、どのような人物なのかは判明していなかった。だから『ボオドレエル研究』において、ヴァレリーの「ボオドレエルの位置」の翻訳、「DANDYSME」「Vers Retrouves」「病理学的研究」の四編を寄せたことで、かろうじて『悪の華』全訳の併走者の輪郭が示されたのである。

時代を画する出版の場合、多くの知られざる協力者たちの存在が不可欠であるのだが、それは翻訳も例外ではなく、長谷川のような人物が存在していたのだ。その他にクルチウスの『バルザック研究』(建設社)などを翻訳刊行しているが、その後の長谷川はどのような軌跡をたどったのだろうか。

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