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古本夜話713 大日本産業報国会、「産報理論叢書」、難波田春夫『日本的勤労観』

 前々回の国民精神文化研究所の「国民精神文化類輯」と類似するシリーズが昭和十七年に刊行されている。それは大日本産業報国会の「産報理論叢書」で、その第一輯の難波田春夫『日本的勤労観』を入手している。難波田が本連載706の「現代哲学叢書」の著者であることから考えると、この「産報理論叢書」も同様のメンバーによって担われていたのではないだろうか。また本連載592の東洋書館「労務管理全書」の企画や著者たちにしても、同じく併走していたと思われる。
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 それならば、その版元の大日本産業報国会とは何かということになるのだが、幸いにしてこれも『日本近現代史辞典』に立項があるので、まずそれを示す。

 大日本産業報国会 だいにほんさんぎょうこうこくかい(1940.11.23~1945.930,昭和15~20)
 産業報国会(産報)の全国組織。道府県産業報国連合会の確立に伴い、1940年(昭和15)9月下旬中央本部設立とそれに伴う会長平生釟三郎、理事長湯沢三千男選任が内定、11月23日創立総会と創立大会挙行(総裁厚生大臣金光康夫)。道府県産報・支部産報(警察署管轄地域単位)、事業所単位産報のプラミッド型が警察主導下に編成された。これまでの鉱工業・陸上運輸・通信部門のほか商業(実際は百貨店)も含む全産業部門への拡充がはかられ、官業部門も加えられた。この結果、日本海運報国団(1940.11.22)、通信報国団(1941.5.1)の設立に相前後して国鉄現業委員会も国鉄奉公会へ改組(1941.4.1)。また、41年5月には、25歳以下の男子全員を対象とする産業報国会青年隊が発足。産業報国精神の高揚、・労務統制への協力がはかられたが、44年1月19日の中央本部機構縮小を転機に、単位産報の活動は精神訓話に局限される。45年5月22日以降、本土決戦に備える国民義勇隊の結成がはじまると、これに吸収され、第2次世界大戦後、45年9月30日解散した。なお機関紙・誌として半月刊「産業報国新聞」、月刊「産報」、「職場の光」、旬刊「ちから」などが刊行された。

 この新聞や雑誌も刊行していたとの説明によって、当然のことながら、産報プロパガンダツールの書籍としての「産報理論叢書」も企画されたとわかる。またそれを告げるように、『日本的勤労観』の巻頭には、「我等ハ国体ノ本義ニ徹シ全産業一体報告ノ実ヲアゲ以テ皇運ヲ扶翼シ奉ラムコトヲ期ス」を始めとする三項が掲げられている。その巻末に見える「産報理論叢書発刊の辞」にも、「産業報国運動」の「理論体系」の確立、それによる大東亜戦争のための「高度国防国家の建設」が謳われている。ただこの「産報理論叢書」も何冊まで出たのか確認できていない。
 それでも、この『日本的勤労観』の著者の難波田春夫も『現代日本朝日人物事典』に立項を見出せるので、それを引いておく。

[現代日本]朝日人物事典

 難波田春夫1906.3.3~1991.9.1 なにわだ・はるお
 国家主義的経済学者。兵庫県生まれ。1931(昭6)年東大経済学部卒。東大助手を経て39年助教授。戦前に今日のいわゆる近代経済学を習得しながら、その形式性にあきたらず経済の質的分析に向かい、やがて国家主義的経済学に傾斜した代表者の一人で、『国家と経済』5巻(38-43年)は例のない売れ行きを示した。(後略)

 戦後は教職追放中に経済学研究所を創設し、解除後は東洋大、早大教授を経て、関東学園大学長なども歴任したとされる。

 この立項から判明したのは、この『日本的勤労観』」が『国家と経済』(日本評論社)のエッセンスに他ならないことである。おそらく「現代哲学叢書」の『経済哲学』も、もし刊行されているとすれば、またそのようなかたちをとっているはずだ。すなわち、それは『日本的勤労観』が難波の「国家主義的経済学」の啓蒙的要約になっていると思われるので、百ページほどの同書をたどってみる。

 『日本的勤労観』は「序言」の「皇国に生を享け、学問するものにとって、その学問が皇国の現実に対し少しでも役に立つか、どうかといふことは、生死の問題である」との一文から始まり、問題が提示される。近代日本の資本主義的社会構造の発展とともに自由主義的、マルクス主義的経済思想が広がっていったが、それは満州事変後の国家主義思想の復活によって褪色しつつある。これは新しい日本的経済思想であり、大東亜戦争の勃発とともに、東亜新秩序、国防国家体制のために、それを確立することが現実的に要請されている。

 そうして自由主義的、マルクス主義的労働観が批判され、新しいものとしてナチス経済観が検討され、そして比類なきものとしての日本的経済思想に至る。それは経済生活、社会が民族の営みとして捉えられ、日本の団体とは天皇を中心とする「皇国」だから、民族はそれによって規定される。それゆえに資本家も労働者も皇国民に他ならないし、日本的経済観、労働観もそのことに基づく。日本においても資本と労働の対立はあるにしても、両者は「天皇への仕奉として一致すべきもの」で、それが日本経済の本質の「むすび」といえるのである。このような立論のために『古事記』や『日本書紀』などの古典が引かれ、「われわれ国民のつとめは、たゞこの『君民一体』なる理想の現出のため、それぞれの職域に於いて、ひたすら仕奉に仕奉を重ねんと努力することにあるといはなければならない」とで終わっている。

 ここには社会科学的な経済や労働にまつわる本来の趣きはまったくなく、呪文とアジテーションの繰り返しに終始しているというしかない。


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