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古本夜話1087 蛯原蛯原八郎「村井弦斎小論」、中央公論社『日本近世大悲劇名作全集』、『小猫』

 本探索1065で蛯原八郎の『明治文学雑記』を取り上げたが、その後続けて明治開花期文学をたどっていくと、この一冊が「雑記」のタイトルにもかかわらず、参考文献として必ずといっていいほど挙げられている。それに同書にはこの時代に蛯原しか書かなかったであろう、昭和九年十二月付の「村井弦斎小論」が収録され、『日本近代文学大事典』の村井の立項には参考文献の筆頭に見えている。

 今世紀に入って『食道楽』が岩波文庫化され、黒岩比佐子による『「食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)が書かれ、「主要参考文献」の最初に挙げられているけれど、本文では蛯原の「小論」への言及がない。それはこの論稿が『小猫』から始まり、『食道楽』が付け足しのような位置にあることに起因しているのかもしれないが、これが昭和円本時代以後の初めてのまとまった弦斎論だったように思える。

食道楽 「食道楽』の人 村井弦斎

 蛯原は明治文壇において、紅葉、露伴、鷗外、美妙、透谷、一葉、緑雨、眉山、独歩たちは重要な役割を演じた人々だが、彼らの愛読者は限られた一部の知識階級に過ぎず、その数からすれば、論じるに足りないとして、次のように述べている。

 近代ジヤーナリズムの台頭は、明治二十年頃から後のことであるが、此新しい潮流に乗つて起つた作家に、涙香、弦斎、浪六等が居る。此中でも前二者は、特にジヤーナリズム意識が濃厚であつた。硯友社の同人中にも多少此傾向は窺はれたが、彼等に在つては其意識よりも常に作家的良心のほうが強く働きかけてゐた。菊池寛氏は曾て今日の大衆小説に定義を下して、芸術小説は作家が自己の創作衝動を中心にして書いたものであり、大衆小説は作者が読者の興味を中心にして書いたものであるといふやうな意味のことを述べて居られたが、要するに、涙香、弦斎、浪六等は此後者に属する作家であつた。隨つて其愛読者の数は非常に多く、前述諸作家の愛読者を一纏めにしても、迚此数には及びもつかなかつた。塚原澁柿、半井桃水、渡辺霞亭、遅塚麗水等が当時之に次する通俗作家であつた。

 とすれば、昭和円本時代の出現はその発行部数からすれば、芸術小説家の読者を大衆小説家のそれに匹敵するものにする役割を果たしていたことになるのかもしれない。

 そうであっても、大衆小説家のほうは文壇や文学史家からはほとんど無視され、涙香だけはその研究会もできて、研究も続けられ、読者もかなりいるらしいが、「弦斎となると、時代と共に書き、時代と共に葬られた」状態にある。確かに弦斎は明治二十年代に入り、各新聞に時流に乗った小説を連載し、それらの『日の出島』『食道楽』は大衆的人気を呼んだとされる。
f:id:OdaMitsuo:20200905113228j:plain:h120(『日の出島』)

 とりわけ『報知新聞』での『日の出島』の連載は六年に及ぶ大長編小説で、春陽堂から全十二巻が出されているようだが、まだ一冊も見ていない。だが弦斎は昭和二年に鬼籍に入り、改造社の『現代日本文学全集』ではその34『歴史・家庭小説集』(昭和三年)、春陽堂の『明治大正文学全集』ではその15、『村井弦斎 江見水蔭篇』(同五年)としての刊行で、単独巻ではなかった。またその後も個人全集も出されていないし、蛯原が書いているように、明治後半が小説家としての絶頂期で、昭和九年頃には「時代と共に書き、時代と共に葬られた」作家となっていたのである。
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 そこで蛯原は明治の新聞小説研究者だったにもかかわらず、弦斎の小説をほとんど読んでいなかったことに気づき、まず先の円本全集の二冊を読むことから始めた。「弦斎の小説など、芸術としては或は一顧に値せぬもの」かもしれないが、「当時の大衆の動向や教養等を知る為には、それを措いては他に何もない」からだ。ここに早くも近代読者の意味が問われ始めたことになる。そして彼は書きつけている。「此小論が、後日の研究家に対して、何等かの意味で暗示するところが多少ともあれば幸い」だと。

 だが先の二冊に収録された作品は蛯原を満足させるものではなく、「此程度の作家に過去の大衆はどうしてあゝも熱狂したのであらう」という感慨をもたらすだけだった。この感慨は弦斎の作品に対してだけのものではなく、『現代日本文学全集』『明治大正文学全集』双方の多くの作家や作品にも生じていたであろうし、近代日本の最初の円本全集にも必然的にまつわりついたものだとわかる。

 考えてみれば、明治大正の六十年間はすべてを含めて、それまで経験したことのない新旧の交代のめまぐるしい反復であり、それは近代の宿命ともいうべきで、文学も例外ではなかったのである。昭和円本時代こそは円本全集群を通じて、それらがトータルに露出した時代だったともいえるかもしれない。

 結局のところ、蛯原は弦斎の代表作『小猫』『日の出島』『食道楽』を読んでいなかったことから、まずは『小猫』を読み、書いている。

 『小猫』(二十四年)は思ひの外面白かつた。一少年が世に名を成すまでの多彩な経歴を、極めて小説的に扱つたものであるが、何しろ新聞小説の定石通りにすらゝゝと筋が運んであつて、隙といふものが殆どなく、茲に於て私は弦斎の本領を見たやうな気がした。もちろん深いものではないが、新聞小説としては、恐らく上乗の作であろう。或は他の諸作が好評を博し得たのは此作の成功の惰性が預かつて力あつたものかも知れないともおもつた。

 『小猫』は明治二十四年に『郵便報知新聞』に連載され、先の『歴史・家庭小説集』の「年譜」の同年には「『小猫』を出す。文名漸く高し」とある。単行本化は三十年で、春陽堂から上下二冊で刊行されているが、これも未見で、私が読んだのは、やはり『近代出版史探索Ⅱ』277、278でふれている中央公論社の円本『日本近世大悲劇名作全集』第四巻の『小猫』である。
近代出版史探索Ⅱ

 「秋とはいへ、風穏に天朗なる小春日の好日和、海は一面に凪ぎ渡り、名にし負ふたる鏡が浦、実に千尋の鏡を敷ける如し」と始まる『小猫』は、本連載1067、1068の明治十年代の『高橋阿伝夜刃譚』『鳥追阿松海上信話』などの新聞小説の文法や形式が変わってしまっていたことを告げている。それは蛯原の先のいう明治二十年頃からの近代ジャーナリズムと弦斎の台頭を肯うに足るし、短かったにしも、弦斎の時代もあったことを伝えてくれる。
高橋阿伝夜刃譚 高橋阿伝夜刃譚

 また蛯原も黒岩も『日本近世大悲劇名作全集』に言及し、前者は「悲劇」というよりも「喜劇」、後者は「家庭小説」とよんでいるのだが、私はこれを『日本家庭小説全集』と言い換えていることを付記しておこう。


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