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古本夜話1088 河竹黙阿弥と「狂言百種」

 本探索1068において、久保田彦作が江戸生まれの狂言作者、戯作者で、河竹黙阿弥門下だったが、黙阿弥と親しかった仮名垣魯文に引き立てられ、『仮名読新聞』にも関係し、明治十一年に『鳥追阿松海上新話』を上梓するに至ったことを既述しておいた。

 黙阿弥は安政期に白浪毒婦物の名作を発表し、明治に入って新富座の座付き作者となり、終生を歌舞伎作者として通し、江戸歌舞伎から近代歌舞伎、近代日本演劇への橋渡しの役を務めた最後の狂言作者だった。その没年は明治二十六年だが、その前年に黙阿弥の「狂言百種」全八号が春陽堂から刊行されている。そのうちの第二、第三号を、本探索1085の三角寛『縛られた女たち』と同様に、浜松の典昭堂で見つけ、入手したばかりなのである。

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 菊判和綴じ、双方とも一五〇ページほどの和本といってもかまわないだろう。私は狂言や歌舞伎には通じていないので、「狂言百種」全八号の明細は挙げないけれど、この二冊は第二号が『茲江戸小腕逢引』三幕、『怪説月笠森』三幕、第三号が『島鵆月白浪』第五幕、『浄瑠璃』一幕を収録していることを記しておく。これらの作品だけでも、近世文学のコアである狂言、歌舞伎、浄瑠璃の織りなす江戸のコスモスが現前しているのだろう。このうちの『島鵆月白浪』は『日本近代文学大事典』の黙阿弥の立項に解題が見つかるので、それを示す。

 [島ちどり]しまちどり 世話もの狂言。本名題『島鵆月白浪』(しまちどりつきのしらなみ)。散切もの。明治一四、新富座初演。白浪作者の一世一代として単独執筆した記念作だけに、五人の主要人物(明石の島蔵、松島千田、望月輝(あきら)、弁天お照、車夫徳蔵)全部が前科者という設定。眼目はすでに前非を悔いて堅気となった島蔵が、千太を説得して改心させる大詰「招魂社」鳥居前の場で、現在まで何度も復演されている。

 ちなみに「白浪」とは盗賊、「白浪物」とは盗賊を主人公とする歌舞伎劇のことである。これらの黙阿弥の「狂言百種」の出版は本探索1079の水谷不倒が証言しているように、明治二十年代を迎えての古典の復活の気配だし、同1078の博文館「帝国文庫」に代表される様々な叢書の刊行のひとつに数えられるだろう。

 そうしたトレンドに照応し、「明治廿五年皐月」の「識」として、饗庭篁村が「昔し近松門左衛門。狂言綺語の道をかりて」と始まる「狂言百種序」を寄せている。これはなぜか第二号にはなく、第三号巻頭に見出され、続けて黙阿弥の栄光にふれ、篁村はいっている。句点はママだが、一部を除き、ルビは省略。

 黙阿弥翁の出世あり。劇場大に光明を放ち。世話狂言新たに面目を開く。神儒仏の教へを仮名に和らげ。愛悪欲の謎を眼前に諭す。面白く楽しく哀しく可笑しく。世態人情一として。筆に洩れたるものはなし。これまことに文人の舌。慧にして窮らざるものか。看客(みるひと)感嘆せざるなし。淵黙にして雷声の響き渡つた名作の。多かる中より百番を選出し。今回春陽堂より出版す。我輩翁の作にもつとも信心厚き者なり。先年講頭の春の屋と語り。翁の作を新聞へ出して。世に其妙味を伝へしも。わずかに一二種なるを遺憾とせしに。此事あるいは本意にかなへり。演劇脚本新技の。悦びのあまりに門外漢(まくそと)の篁村(それがし)。わなゝく声に口上云爾。

 これは黙阿弥ルネサンスの喜びを伝えてあまりあるオマージュだと思われる。とりわけこの『島ちどり』は一三七ページに及び、明治十四年十一月新富座においての興行で、黙阿弥の後記によれば、「小生一世一代の折賊の狂言の作納(かきおさ)め」とされる。そしてこのような狂言が講談や新講談、大衆文芸にまで引き継がれ、時代小説を誕生させたように思われる。それは「狂言百種」が円本時代を迎えて、同じ春陽堂から『黙阿弥全集』として結実し、そのかたわらで平凡社の『現代大衆文学全集』が刊行され始めたことに象徴されているのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20201019172345j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200717104540j:plain:h120(『現代大衆文学全集』)

 それと同じく指摘しておかなければならないことがある。「狂言百種」の二冊の奥付にはいずれも「版権興行権所有」との文字が大きく躍り、検印部分には春陽堂の印が押されている。これは春陽堂が黙阿弥から「狂言百種」の全作品の版権ばかりか興行権までも買い取っていて、印税が発生しないことを意味している。篁村の祝している「今回春陽堂より出版す」の背景にあったこの事実は、幕末から明治にかけて、三六〇の作品を世に送り、江戸歌舞伎の最後の狂言作者だった木阿弥にしても、経済的には恵まれていなかったことを伝えていよう。

 黙阿弥はまさに晩年の出版にあたって、春陽堂に版権に加えて興行権も売却するしかなかったのであり、それも驚くほど安かったのではないかとも思われる。おそらく大正末期の『黙阿弥全集』にしても、春陽堂が版権を所有していたことは同様で、それゆえに全集出版も可能だったと推測される。そしてこの「狂言百種」の出版を見納めとして、黙阿弥は明治二十六年に鬼籍に入ったことになろう。


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