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古本夜話1349 八木麗子と宮嶋資夫『坑夫』

 神近市子の夫の鈴木厚の陸軍画報社との関係から、少しばかり迂回してしまったが、『神近市子自伝』に戻る。八木麗子に言及しなければならないからだ。神近は八木麗子、佐和子姉妹に関して『蕃紅花』の同人で、姉は『万朝報』の記者、妹は神田の英仏和高女の仏語高等科を出て、そのまま母校の教師をしていると述べていた。

 この妹の佐和子は本探索1320の『女人芸術』創刊号にドーデの翻訳「アルルの女」を寄せている八木さわ子のことで、私も本探索1205でふれておいたように、戦後にハンナ・アーレント『全体主義の起原』(みすず書房)などの翻訳者となる大久保和郎の実母である。一方で姉のほうはプロレタリア作家の宮嶋資夫と結婚し、この二人を通じて、神近は山川均や堺利彦などの社会主義人脈へと接近していき、アナキズム研究会にも出席し、大杉栄とも知り合うことになる。

 (『女人芸術』創刊号) 全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】

 なぜ八木麗子のほうを知らなかったかというと、『日本アナキズム運動人名事典』では八木姉妹は立項されておらず、同姓の八木秋子のほうが女性アナキストとして著名で、長く立項されていたことによっている。しかもさらにややこしいことに、彼女も『女人芸術』編集者と執筆者と兼ねていたので、これまで混同していたともいえる。そこであらためて八木麗子は宮島麗子として立項されていたことを確認した次第だ。また『日本近代文学大事典』の宮嶋の立項では八木うら子、『婦人公論』記者とあり、妹と同様に混乱が見られる。これは『日本アナキズム運動人名事典』に見える万朝社の『婦人評論』が正しいと思われるし、自伝などを残していない人物の職歴をたどることも難しいと実感してしまう。

日本アナキズム運動人名事典

 さてその宮嶋のほうだが、彼の代表作『坑夫』を読んだのは、本探索1341でふれたばかりの『全集・現代文学の発見』第一巻『最初の衝撃』(昭和四十三年)においてだった。十代の終りの頃で、それはすでに半世紀前のことでもあり、やはり『最初の衝撃』で再読してみた。するとかつての記憶が少しずつ蘇ってきた。イントロダクションを引いてみる。

 

 涯しない蒼空から流れてくる春の日は、常陸の奥に連なる山々をも、同じように温め照らしていた。物憂く長い冬の眠りから覚めた木々の葉は、赤子のようなふくよかな身体を、空に向けて勢いよく伸していた。いたずらな春風が時折そっと柔い肌をこそぐって通ると、若葉はキラキラと音も立てずに笑った。谷間には鶯や時鳥の狂わしく鳴き渡る声が充ちていた。

 この書き出しは同じように坑夫と炭鉱をテーマとするゾラの『ジェルミナール』、『木芽立』を想起してしまうのだが、『近代出版史探索Ⅳ』1180で既述しておいたように、堺利彦訳『木芽立』(アルス)が刊行されるのは大正十年で、宮嶋の『坑夫』のほうが先行していたのである。それだけでなく、本探索1255の小林多喜二『蟹工船』(戦旗社)、同1270の葉山嘉樹『海に生くる人々』(改造社)の出版が、前者は昭和四年、後者は大正十五年であることを考えれば、『坑夫』のプロレタリア文学としてのオリジナリティと先駆性が際立ってくる。だが小林や葉山と異なり、宮嶋の作品は同1261の改造社の円本『現代日本文学全集』には収録されることはなかった。それは大正五年に近代思想社から自費出版され、「全体が残忍」だという理由で発禁処分を受けたことに起因しているのであろう。

ジェルミナール (『木の芽立』)

 『坑夫』は水戸に近い高取鉱山での自らの体験と足尾銅山の暴動を反映させ、渡り坑夫の石井金次の「酒、喧嘩、嬶盗人」としての生活を描き、惨死していく姿を追っている。彼は「野州の山に大暴動や起った時も、暴動の主唱者よりも勇敢にたたかった」が、そのために「日陰者になって、山から山へ」と渡り歩くことになったとされる。最もよく戦った者が改革の後には日陰者扱いされ、ならず者と同様の死を迎えるという設定は確かに残忍な印象を与えるし、『ジェルミナール』に見られるクロージングにおける希望の気配はない。しかし冒頭に見られるような「木芽立」の描写は繰返し挿入され、それが『坑夫』の中の慰めのようにも思える。

 宮島は大正二年に露店で、大杉栄と荒畑寒村の『近代思想』を見出し、ただちに彼らのサンジカリズム研究会に参加する。やはり近代文学館編「複刻 日本の雑誌」の中に、大正元年十月の創刊号『近代思想』もあり、宮嶋が見つけたのはまさにこれだったのかもしれない。しかもこの薄い菊判、本文三二ページの創刊号は近代思想社として東京堂などの四大取次に口座があり、書店へと流通販売され、そのために『坑夫』の自費出版も可能だったと了解される。それに「九月の小説(批評)」は『青踏』の神近市(ママ)の「手紙の一つ」への寒村の「新らしい女の反抗的な一面の窺はれる作」との評が掲載され、後の宮嶋、神近、大杉の関係を予兆させてもいよう。

 さて宮嶋のほうは続けてゴーリキーの『三人』を読み、『坑夫』の原型となる短篇「坑夫の死」を書いた。それを窪田空穂に読んでもらい、空穂の勧めで長編とし、書き直すことになったのである。ゴーリキーの『三人』は吉江喬松訳で大正三年に早大出版部から刊行された一冊だと思われる。拙稿「出版者としての国木田独歩」(『古本探究Ⅱ』所収)で記しておいたように、それ空穂や吉江も明治末期の独歩社の雑誌編集者であり、ここに『青踏』や『近代思想』も連続するリトルマガジン人脈を想像することができる。

古本探究 2
 なお『最初の衝撃』に関しては拙稿「学藝書林『全集・現代文学の発見』と八木岡英治」(『古本屋散策』所収)を参照されたい。

古本屋散策

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