出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話785 河出書房「短篇集叢書」

 「書きおろし長篇小説叢書」や「記録文学叢書」や『シナリオ文学全集』と同様に、やはり同時代に河出書房から「短篇集叢書」が刊行されている。だがこれは『日本近代文学大事典』にも解題や明細は収録されておらず、たまたま手元に二冊あったので、それを知ったことになる。その二冊とはいずれも昭和十五年九月刊行の和田伝『草原』と美川きよ『新らしき門』で、前者は函がなく、後者は函入りだったために、それぞれ独立した単行本だとばかり思っていたのである。

 ところが巻末には「短篇集叢書」が並び、その中に両者もリストアップされていたので、同じ「短篇集叢書」の一冊だと気づいたのである。そのような次第ゆえに、その明細を挙げてみる。

1 井伏鱒二 『鸚鵡』
2 坪田譲治 『村は晩春』
3 上田広 『りんふん戦話集』
4 太宰治 『女の決闘』
5 岩倉政治 『冬を籠る村』
6 張赫宙 『愛情の記録』
7 丹羽文雄 『或る女の半生』
8 中村地平 『小さい小説』
9 荒木巍 『女の手帖』
10 岩倉政治 『若い世代』
11 長与善郎 『幽明』
12 福田清人 『生の彩色
13 宮内寒弥 『秋の嵐』
14 和田伝 『草原』
15 伊藤整 『祝福』
16 美川きよ 『新らしき門』
17 近松秋江 『秋江短篇集』
18 舟橋聖一 『母代』
19 湯浅克衛 『怒涛の譜』
20 壺井栄 『窓』

f:id:OdaMitsuo:20180411151208j:plain:h120(『秋の嵐』)

 前々回も書いておいたが、河出書房もまた全出版目録を刊行していないので、「短篇集叢書」がここに挙げた二十冊限りであるのかは確認できていない。それに昭和十五年の文学状況を考えても、これも本連載782の「書きおろし長篇叢書」ならばともかく、「短篇集叢書」というのは出版販売の現実からしても、目を引く企画とは見なせない。また同時代において、1の井伏、2の坪田、4の太宰はそれなりの人気を集めていたとしても、大半は広範な読者層を期待できるメンバーのようには思われない。ただこれらの作家たちに共通しているのは、河出書房の雑誌『知性』の寄稿者ではないかと推測できる。

 この「短篇集叢書」をめぐって、そのような疑問が生じていたけれど、16の『新らしき門』にはさまれていた投げ込みチラシを見るに及んで、その一端が了解された。それは河出書房の昭和十五年九月の「新刊案内」で、この「叢書」は何と八冊も同月刊行されていたのである。それは11『幽明』、12『生の彩色』、13『秋の嵐』、14『草原』、15『祝福』、16『新らしき門』、17『浮生』(ママ)、19『怒涛の譜』で、既刊分として前掲の他に、岩倉政治の『冬を籠る村』も挙がっている。岩倉は10の『若い世代』に続いて二冊出していることになり、このような一挙配本から考えれば、「短篇集叢書」はさらに続いて出されていたと見るほうが妥当だろう。

 それらのことだけでなく、この「新刊案内」が教えてくれるのは、九月の新刊が「短篇集叢書」八冊以外に六冊あり、そこには太平洋協会『仏領印度支那』と9の荒木巍の『詩と真実』が見え、前者は河出書房も太平洋協会と関係があったこと、また後者は「書き下し長篇小説叢書」とされているので、こちらも続刊されていたことを示唆している。

 さらにまたそこには新刊とは別に、「予約刊行物」も示され、それらは『新世界文学全集』、『世界地理』、矢崎美盛『芸術史論』、岸田国士他『現代戯曲』、土岐善麿他『現代短歌』、『化学実験学』が挙がっている。先の新刊とこれらの「予約刊行物」を合わせれば、河出書房は昭和十五年九月期に、合わせて二十点を刊行していたことになる。
f:id:OdaMitsuo:20180411145942j:plain:h120(『新世界文学全集』第16巻)

 戦後になって河出書房は全集類の大量出版を繰り返し、二度の倒産をくぐり抜け、河出書房新社として存続しているけれど、その倒産の原因をもたらした出版発行システムは戦前にその原型が作られ、戦後もまたそれを繰り返してきたとわかる。その最初の範は昭和初年の円本時代に求められるが、河出書房の場合は、戦時下と小説の時代がクロスしたところで成立したように思われてならない。その大量出版システムもまた総動員体制と照応しているし、そのまま国策取次の日配の買切制度への移行によって、戦後への延命を可能にしたとも判断できよう。いずれにしても、戦時下の出版の謎は多くが出版史の中に埋もれたままになっている。

 その後、やはり昭和十五年十二月の河出書房の『阿部知二自選集』第一輯を入手した。するとその巻末に、ここに掲載した以外の徳永直『結婚記』を始めとする十八冊が並び、これらが「短篇集叢書」として続けて出されていたことを知った。


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古本夜話784 飯島正他『欧米シナリオ傑作集』

 前回の河出書房の「記録文学叢書」の既刊書として、飯島正の『バウンティ号の叛乱』をと挙げておいた。飯島に関しては本連載628などでふれているように、やはり同時期に河出書房から刊行されていた『シナリオ文学全集』の責任編輯者の一人だった。その際に見ていたのは第五巻の『文壇人オリジナル・シナリオ集』だけで、それに基づき、同628を書いたが、最近になって第三巻の『欧米シナリオ傑作集』を入手している。これは映画だけにとどまらず、日本の翻訳史においても興味深く、『シナリオ文学全集』としては本連載で二度目の言及となるけれど、取り上げておきたい。

 『欧米シナリオ傑作集』に収録されているのは次の四作である。訳者とともに示す。

1 ジュールス・ファースマン 『モロッコ』(内田岐三雄訳)
2 ルネ・クレール 『巴里祭』(飯島正訳)
3 ロバート・リスキン 『或る夜の出来事』(清水俊二訳)
4 ジャック・フェデエ、シャルル・スパーク 『女だけの都』(姫田嘉男訳)

モロッコ f:id:OdaMitsuo:20180409152656j:plain:h110 或る夜の出来事 女だけの都

 いずれも戦前公開の欧米の名作であり、私たち戦後世代にとっても、トーキー映画の古典的作品と見なしてかまわないだろう。だが昭和四十年代までは、これらを観るためにはそれを上映する映画館に絶えず注視する必要があった。それを考えれば、昭和五十年代以後のビデオから始まり、DVDに至る映画インフラ環境は夢のようでもあり、私もこの四作はDVDで所持し、繰り返し観ている。

 それゆえに、この一冊を手にして、それぞれのシナリオを参照し、もう一度観てみたいという誘惑に駆られている。『巴里祭』は「七月十三日/パリ/国際日の準備に忙しい……」という「サブタイトル」が示され、「エクラン一ぱいに張つた布地。揺れる。遠離る。(それが旗であることが分る。)下町の建物の中庭である」と始まり、それに伴う音声の指定も記されている。

 現在であれば、それこそただちにDVDをセットして、このイントロダクションを確認できるけれど、昭和十年代の読者たちは自分たちの映画体験を反芻しながら読んだのだろうか。口絵写真にはこれらの四作のモノクロシーンが一枚ずつ使われ、それらが映画とシナリオの架け橋の役割を果たしていたようにも思われる。おそらくは観ることも読むことも、それらのパラダイムが想像以上に変わってしまったことに留意すべきなのはいうまでもあるまい。

 それとともに、これらのシナリオはどのようなテキストに基づいて翻訳されたのかという問いも発せられよう。そのことに関しては飯島が巻末の「跋」において、次のように明言しているし、それがこの巻の特色だと考えていい。

 この四篇のシナリオは、ことごとく、信頼すべきオリジンを持つてゐることを特にこゝに附記したい。これらは、従来日本に於いて行はれた採録(映像を映しながら書きうつした)のシナリオではなく、作者から直送されたシナリオである。それだけに、拠つてもつてシナリオに対する論議をなし得る唯一のテクストであることを誇りたい。

 そして具体的にそれらの「テクスト」の入手経路を挙げているので、簡略に示しておこう。1は内田がニューヨークのパラマウント本社で入手したもの、2はルネ・クレールから岡田真吉に送られてきたもので、多くの鉛筆による書き込みがあるとされる。ちなみに岡田は飯島と同様に、東京帝大仏文科出身の映画評論家、翻訳者である。『或る夜の出来事』はニューヨークの出版社ダブルディ・ドウランの「四つ星スクリプト」シリーズ収録のもの、4はジャック・フェデエから東和商事映画部を通じて贈られたものとされる。

 しかし『巴里祭』に限って飯島も断っているように、フランスでも映画に関する総合的な術語辞典が未刊行のこともあり、アルファベットの頭文字、「遠近」の欄の「大写し」といったもの、「装置」や「影像」などの用語も明確に把握できなかったという。それは『女だけの都』にとっても同様だとされている。やはりシナリオの翻訳は風俗、生活習慣などは映像によって確認するか、もしくは想像ができるにしても、テクニカルタームとしての映画技術用語は、洋画と邦画の相違もあって、その把握と理解が困難だったのであろう。

 シナリオの翻訳に当たっては双方の知識が必要とされるが、フランスにもまだそうした映画術語辞典が出されていなかったことも原因だったようだ。飯島はそれがLa Cinématographie Française から近刊予定だと述べているが、実際に出版され、日本へと送られてきたのであろうか。

 そうした『巴里祭』に比べて、『或る夜の出来事』はハリウッド映画であるからか、映画術語はわかりやすかったようで、用語一覧が掲載されている。そして飯島は「跋」を、「しかし、そんなものはなくても、読者諸君は有能な映画眼に拠つて、正確にこの貴重なる資料を読んで下さることゝ信ずる」と結んでいる。この時代にはそれこそ「映画眼」という用語が使われていたことを教えてくれるのである。


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古本夜話783 「記録文学叢書」、前田河広一郎『サッコ・ヴァンゼッティ事件』、井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』

 前回の井伏鱒二『多甚古村』の巻末広告に、「直木賞受賞作品」と銘打たれた『ジョン万次郎漂流記』が掲載されていることを既述していた。それは一ページジ広告で、菊池寛の「直木賞も井伏君の『ジョン万次郎漂流記』を得て、新生命を招き得たと思ふ」を始めとして、白井喬二、久米正雄、大佛次郎などの絶賛に近いオマージュが寄せられている。
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 この『ジョン万次郎漂流記』は昭和十二年に河出書房の「記録文学叢書」の一冊として出されたものである。これは入手していないけれど、その前に刊行された前田河広一郎の『サッコ・ヴァンゼッティ事件』は架蔵しているので、そこに見える既刊の九冊を挙げておきたい。それは『日本近代文学大事典』にもリストアップされているが、こちらは前田河の著作における記載によるので、8と9は近刊とあるし、その著作を含め、タイトル表記が異なることを付記しておく。

1 豊島与志雄 『メデュース号の筏』
2 木村毅 『ゴールドラッシュ』
3 黒田礼二 『妖姫ロラ・モンテス』
4 綿貫六助 『探偵将軍アカシ』
5 飯島正 『バウンティ号の叛乱』
6 石黒敬七 『写真術発明奇談』
7 前田河広一郎 『サッコ・ヴァンゼッティ事件』
8 井伏鱒二 『ジョン・マンジロウ漂流記』
9 森下雨村 『ガスパール・ハウゼル』

 これは既刊分だが、近刊予定は30まで続いていて、その中には木木高太郎『怪物マルキ・ド・サド』、小栗虫太郎『倫敦塔奇譚』、丸木砂土『サッヘル・マゾッホ』などもあり、異端文学も包括する多彩なノンフィクション集成の企画だったことがわかる。もっともそれゆえにこそ、時代もあって読者も限定され、中絶してしまったのかもしれない。

 まず前田河の『サッコ・ヴァンゼッティ事件』にふれておけば、これは「廿世紀最大不祥事」とサブタイトルが付されているように、アメリカ裁判史上の汚点ともいうべき事件をテーマとしたものである。イタリア移民のサッコとヴァンゼッティはアナキストとして無実に罪に問われ、電気椅子による死刑を宣告される。この事件はその半世紀後の一九七〇年に、ジュリアーノ・モンタルド監督の『死刑台のメロディ』として映画化に至る。だが当時の前田河の「はしがき」によれば、同事件を題材とするシンクレア・ルイスの『ボストン』(未訳)を参照し『サッコ・ヴァンゼッティ事件』を書きあげたようだ。
死刑台のメロディ

 このフォーマットは四六判上製、一三三ページ、定価五〇銭、装幀はモダニズム的な斬新さを感じさせるが、装幀者の名前はない。「記録文学叢書」はこの一冊しか見ていないけれど、おそらくそれを踏襲しているはずだ。『ジョン万次郎漂流記』は『サッコ・ヴァンゼッティ事件』の次回配本として出されたのである。

 それが問題とされたのは猪瀬直樹の『ピカレスク』(小学館、平成十二年)においてだった。猪瀬はこの井伏の「『ジョン万次郎漂流記』には重大な問題が隠蔽されていた」として、その種本の存在を挙げている。そのことにふれる前に、ジョン万次郎をラフスケッチしておく。江戸時代末期に土佐の漁師たちが遭難して漂流し、アメリカの捕鯨船に救出されるが、その中に中浜万次郎という十四歳の少年がいて、英語や数学、航海術や測量術も取得し、ペリー来航の三年前に帰国する。それから万次郎は幕府に取り立てられ、通訳として咸臨丸に乗り、再渡米し、明治維新後は帝国大学の前身の開成学校に教授として迎えられる。
ピカレスク

 猪瀬によれば、万次郎は自伝を書いてはいないが、晩年に息子の中浜東一郎が聞き書きし、記録類を集め、昭和十一年に『中浜万次郎伝』(冨山房)を著した。それと井伏作品との異同が「枚挙にいとまがない」とする。その事情は井伏が「生活のための雑文書きの延長の仕事」として引き受け、その前年刊行の『中浜万次郎伝』を参照しておらず、別のテクストによっていたからだと述べ、詳細を明らかにしていく。

 テクストとは、明治三十三年が五月に博文館刊の「少年読本」シリーズの第二十三巻で石井研堂が著した『中浜万次郎』であった。井伏の『ジョン万次郎漂流記』にある記録との食い違いは、すべて石井研堂の『中浜万次郎』に見られる食い違いと一致する。『明治事物起原』の著者として知られる石井研堂が、ジョン万次郎の評伝を書いたころは伝記的な資料が貧しかった。だから間違いが多いのは仕方がない。息子の中浜東一郎が正確な評伝を著わすのは万次郎の死より三十八年後であった。
 井伏が中浜東一郎の『中浜万次郎伝』を読まずに、石井研堂の『中浜万次郎』を種本としたのは明白であった。

明治事物起原
 そして猪瀬は石井と井伏の書き出しの比較検討から始め、次のように結論づけている、

 ほぼ前篇が文語体の語体に直して仕上がっている。分量的には七割が同一、残りの三割のうちの二割は一般の歴史書に示されている当時の幕末日本の国際環境についての概説である。シーンや会話を創作して読みやすく工夫したところは一割にも満たない。

 猪瀬は『ピカレスク』において、『ジョン万次郎漂流記』だけでなく、井伏の代表作「山椒魚」にしても、ロシアのシチェドリンの「賢明なスナムグリ」だと指摘している。猪瀬はその収録を示していないが、シチェドリンは大正時代に五冊の翻訳が出ている。

 私は石井の『中浜万次郎』もシチェドリンの「賢明なスナムグリ」も未読なので、猪瀬の問題提起にこれ以上踏みこまないが、井伏研究者からの反論は出されているのだろうか。

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古本夜話782 井伏鱒二『多甚古村』、河出書房、「書きおろし長編小説叢書」

 本連載771の『日本語録』で、保田与重郎の著作への言及はひとまず終えるし、しかもそれが「新潮叢書」収録でもあり、これから戦時下の小説叢書類を取り上げてみたい。  
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 本連載767の河上徹太郎の『道徳と教養』において、彼が『東大新聞』(昭和十四年十一月八日)に寄せた井伏鱒二『多甚古村』の書評が収録されている。そこで河上は寒村の若い巡査の駐在日記である『多甚古村』を、「此の作者の近来の傑作」と評し、井伏のセンスについて、「その古風な無学な田舎者めいた扮装にも関らず、都会的で、文学的で、近代人の感覚」を有しているとし、日本的というよりもチェーホフやフィリップと同じ資質を見ている。
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 この『多甚古村』の単行本が手元にあり、裸本だが、『日本近代文学大事典』の書影には、その本扉が掲載されているので、確認してみると、まったく同じだった。昭和十四年七月発行、十一月七版で、毎月のように版を重ねていたとわかる。その下には「外地二円/定価一円八十銭」との記載も並び、昭和十年代にあって、あらためて現代小説も「外地」を流通販売市場としていた事実を喚起させてくれる。

 これは本連載775で少しばかりふれておいたが、『東京堂の八十五年』によれば、ほとんどが東京堂を取次とする満洲書籍雑誌商組合の組合員数は昭和三年に五六店、八年には一一〇店、十五年には二二八店を数え、それらの出版物販売額は日本の全売上高の七、八パーセントを占めたとされる。昭和七年に満州国が誕生してから、ハルピンだけでも日本人の市民人口は昭和十年を境として急増し、十万人を数えるに至り、その他にも軍隊の存在から考えても、昭和十年代には絶好の出版物市場となっていたとわかる。

東京堂の八十五年  

 そのことはさておき、これは奥付を見て知ったのだが、鈴木信太郎の装幀による裸本表紙に版元名が記されていなかったことから、『多甚古村』は新潮社刊行だと思いこんでいた。ところがそれは河出書房で、巻末広告にあるように、井伏はやはり河出書房から昭和十二年に『ジョン万次郎漂流記』、十三年に『さざなみ軍記』を出し、前者で第六回直木賞を受賞している。いってみれば、この時代に井伏は河出書房と併走していたと見なしていい。それに先の河上の絶賛に値する井伏の小説が、多くの「外地」の読者を得たことは想像に難くないし、『多甚古村』のほぼ毎月の増刷はその事実を示しているようにも思える。

 河出書房が社史も全出版物目録も刊行していないために、それらの戦前の文芸書出版に関する具体的な言及を見出せないでいるが、昭和二十年代の『現代日本小説大系』全六十五巻の成立にしても、改造社からの『文芸』を引き継いでいたことに加え、そうした戦前の文芸書出版の蓄積を抜きにして語れないだろう。それも戦前は多くのシリーズや叢書によって支えられていたようで、『多甚古村』の巻末広告にも、「書きおろし長編小説叢書」として、『日本近代文学大事典』に解題と明細がリストアップされているが、その明細は依拠する資料によって異同が生じてしまうし、叢書ナンバーもふられていない。したがってここでのナンバーも便宜的なものである。
現代日本小説大系 日本近代文学大事典

1 島木健作 『生活の探求』
2   〃   『続・生活の探求』
3 阿部知二 『幸福』
4 伊藤整 『青春』
5 林房雄 『太陽と薔薇』
6 村上知義 『新選組』
7 立野信之 『恋愛綱領』
8 室生犀星 『作家の日記』
9 丹羽文雄 『豹の女』
10 葉山嘉樹 『海と山と』
11 石川達三 『ろまんの残党』
12 川端康成 『南海孤島』
13 豊島与志雄 『歴史のない男』
14 武田麟太郎 『空模様』
15 高見順 『肢体』

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 11以後は近刊とされているけれど、刊行されていない。また井伏と同じく「題未定」として、岸田国士、坪内譲治、伊藤永之介、伊藤整、尾崎士郎、石坂川洋次郎の名前も挙がっている。しかし『日本近代文学大事典』にはこの「叢書」に連なるものとして、二十余点が続けてリストアップされているけれど、そこにも伊藤の『典子の生きかた』が見えるだけである。それらはともかく、小説の内容に関して、1と2は本連載141、11は同468で論じていることを付記しておく。

 たまたまやはり河出書房の昭和十五年の和田伝『草原』を入手していて、その巻末には「書き下ろし長篇小説叢書」として、先の十冊の他に、深田久弥『知と愛』、里村欣三『第二の人生』、山本和夫『青衣の姑娘』が挙げられている。確かにナンバーもふられず、装幀も統一されていないので、どこまで「同叢書」に数えるのか難しいと思われる。それに『日本近代文学大事典』にしても、昭和五十年代になっての刊行であり、すでに三十年以上が経過していたことも影響しているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20180407112406j:plain:h120
 それらのことを考えると、河出書房が社史と全出版目録を残してくれなかったことを残念に思うしかない。


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古本夜話781 ロンブロオゾオ『天才論』と辻潤

 前回のノルダウの邦訳『現代の堕落』には献辞名が省略されているが、ダイクストラが『倒錯の偶像』で指摘しているように、チェザーレ・ロンブローゾに捧げられている。それはロンブローゾたちの『女性犯罪者』(未訳)において、女性犯罪者たちが男性的な特徴を有し、それが女性退化の極端な見本、帰先遺伝の徴候にして原初の両性具有状態への没落だと示し、ノルダウに大きな影響を与えたことによっている。
倒錯の偶像

 このロンブローゾも十九世紀末思想において、精神病学者、刑事人類学者として、一つのトレンドをもたらした人物である。彼もノルダウと同じく、『世界文芸大辞典』の立項を引いてみる。
世界文芸大辞典 第一巻(日本図書センター復刻)

 ロンブローゾ Cesare Lombroso (1836-1909)イタリアの精神病学者。彼の功績は刑事人類学を創始したことにある。犯罪の原因を神経中枢の器質的欠陥性と異常性に求めて生来性犯罪者説を確立した。彼の説に基いて今日の罪刑個別化主義が実施されたものである。この外天才と精神病者との類似性に就ての精細な研究を発表した。これが当時の教育学、倫理学更に進んで文学に及ぼした影響は実に大きかった。(後略)

 これを『倒錯の偶像』にならってさらに補足しておこう。ロンブローゾは犯罪者の人類学的研究を通じ、犯罪者における一定の身体的、精神的パターンを発展させ、犯罪の原因としての隔世遺伝論を提唱し、犯罪の個別化主義に根拠を与え、従来の応報的行為刑法から行為者刑法への転回をもたらしたとされる。この学説を引き継いだのがイタリア学派と呼ばれ、彼らはイタリアのファシズムの支持者ともなっていったのである。

 このようなロンブローゾの刑事人類学の著作は翻訳されていないけれど、その代わりのように「天才と精神病者との類似性に就ての精細な研究」は日本でも刊行された。それが「文献」として挙がっている辻潤訳『天才論』で、ここで改造文庫版が示されているが、手元にあるのは大正十五年のロンブロオゾオの同訳の春秋社版である。この『天才論』の結論をいってしまえば、先述の立項に示されているように、天才の生理学と狂人の病理学には多くの共通点が見出され、それは狂人が天才となり、天才が狂人となる事実を証明している。要するに天才にしても狂人にしても、 癲癇性に属する変質的心徴を有するもので、芸術家や文学者もその類似性を帯びている半狂者といえるし、宗教家もまた同様であって人類の進歩の貢献している。そして天才とはたまたま地上に現われ、忽然と消えてしまう流星のような存在なのだと。

 しかしノルダウにしてもロンブローゾにしても、戦後に新訳は試みられておらず、後者の「天才」の比喩ではないけれど、流星のように消えてしまったと見なしていい。ただあらためて辻潤訳の出版史をたどってみると、それが大正から昭和にかけてのロングセラーであり続けたことも事実であるし、辻をめぐる謎めいた出版史も浮かび上がってくるように思われるので、ここではそれをたどってみたい。

 昭和四十五年にオリオン出版社から高木護を編纂責任者とする『辻潤著作集』全六巻と別巻が出され、その別巻の『年譜』を見ていくと、『天才論』は次のように版元を移し、刊行されていたとわかる。
年譜

1 植竹書院「植竹文庫」 大正三年
2 三陽堂書店 同五年
3 三星社  同九年
4 春秋社  同十五年
5 改造社「改造文庫」  昭和五年

 前述したように、手元にあるのは4で、5は『世界文芸大辞典』に資料として挙げられていたが、それ以前に三種類が出ていたことになる。これらはもちろん未見だけれど、1の植竹書院は本連載218、2と3の三陽堂と三星社は同227でふれておいたように、植竹書院倒産後に紙型が特価本業界の三陽堂と三星社に譲渡されていたことを告げている。ちなみにこの三陽堂と三星社が同じ出版社であることも既述している。

 辻と特価本業界の関係は定かでないが、2によってリンクしていたように思われ、ここから大正七年にド・クィンシイ『阿片溺愛者の告白』、スタンレイ・マコゥア『響影〈狂楽人日記〉』という二冊の翻訳を出している。その前者が大正十四年に春秋社から刊行されたことで、4の『天才論』も続き、さらに昭和三年に同社の円本『世界大思想全集』第二十九巻に、同じく辻訳『唯一者とその所有』の収録に至った流れが理解できる。そして5の、昭和四年の『唯一者とその所有』の改造文庫化に続き、5も同様だったと判断できよう。

 このような辻の翻訳出版史は彼が神田の国民英学会出身であることと無縁ではないように思われるし、それの翻訳収入が少ないながらも彼の生活を支えていたのではないだろうか。そうして『唯一者とその所有』を収録した『世界大思想全集』のベストセラー化によって、一年に及ぶ息子のまこととのパリ旅行を可能ならしめたのである。

 なお『唯一者とその所有』のほうは戦後になって、片岡啓治訳で、現代思潮社の「古典文庫」の一冊として刊行されている。
唯一者とその所有


  
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