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古本夜話771 保田与重郎『日本語録』と「新潮叢書」

 続けて保田与重郎の著書を取り上げてきたし、昭和十年代が保田と日本浪漫派の時代だったのではないかと既述しておいたように、彼と『日本浪漫派』同人の著作を合わせれば、かなりの量になると思われる。

 それらを刊行したのは新潮社も例はなく、昭和十七年に保田の『日本語録』という一冊がある。これは五十人の古人の言葉を選び、その言行保田のにかなり長い注を施し、一冊に編んだもので、ひとつの大東亜戦争下における古典アンソロジーといっていいだろう。保田もそれをふまえ、「はしがき」において、「かゝる書物の性格として、多分に時代的色彩を帯びることが当然ではあるが、(中略)それは、現代に対する著者の思想」だと断わりを入れている。
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 それは倭姫命の「慎んで怠ること勿れ」から始まり、大友家持の「海行かば 水漬く屍…」、北畠親房の「大日本は神国なり」、などを経て、岡倉天心の「Asia is One…」へと至るものである。最後の天心のところで、保田は天心の思想は「所謂南進論や北進論」と同一のものではなく、「神話」としての「東洋が日本に於て一つである」との発見によるとし、『日本語録』のクロージングの一文を次のように結んでいる。

 東京美術学校庭に立つてゐる六角堂内の天心の像の背後には、この『アジアは一つだ』という文句が/Asia is Oneと原文のまゝ刻されてゐる。

 『日本語録』は新潮社が昭和十七年七月に刊行し始めた「新潮叢書」の第一冊目に当たるもので、そこには「刊行の辞」も記されて、「御稜威の下大東亜建設の偉業に挺身する我々にとつて今日ほど日本文化の精髄の闡明と日本国民の偉大なる可能性の計算を必要とする時代はない」と始まり、これらの「重要なる諸問題に対して極めて親しみ易く且、興趣豊かなる方法を以て適切有数なる解答を与へんがために我が新潮叢書は生れた」とある。

 それが保田の『日本語録』から始まったのは象徴的で、「大東亜建設の偉業に挺身する」出版企画に他ならなかったことを告げている。巻末には続刊も含めて「新潮叢書目次」も示されているので、それらを挙げてみる。これも番号は便宜的にふったものである。

1 保田与重郎 『日本語録』
2 三好達治 『諷詠十二月』
3 和田伝 『農村生活の伝統』
4 佐藤通次 『学生訓』
5 芹沢光治良 『新しい家庭』
6 佐藤春夫 『古典の読み方』
7 浅野均一 『青年と体力錬成』
8 富塚清 『日本人の科学性』
9 綿貫勇彦 『日本の風物』
1 0緒方富雄 『人体の強みと弱み』
11 河盛好蔵 『音楽と創造』
12 江沢譲爾 『国土の精神』
13 藤沢桓夫 『大阪人』
14 火野葦平 『九州人』
15 奥野新太郎 『支那詩選』
16 片山敏彦 『ドイツ詩集』
17 浅野晃 『日本的日本人』

 f:id:OdaMitsuo:20180314144810j:plain:h120 ドイツ詩集
 
実はこの和田伝『農村生活の伝統』|も入手していて、それらも見ると、この他にも三好達亊『続諷詠十二月』、中野好夫『アメリカ』、吉川幸次郎『支那人』、高橋健二『国民的教養』、生島遼一『日本の小説』、亀井勝一郎『日本人の死』なども予告されていた。

それでも幸いなことに『日本近代文学大事典』にはこの「新潮叢書」の立項と刊行明細があるので、刊行書を照合してみると、タイトルどおり出版されたのは、1、2、3、12、16の五冊である。6の佐藤は『日本文芸の道』|、17の浅野は『明治の精神』とタイトルが代わり、それに生島の『日本の小説』と亀井の『日本人の死』が加わり、昭和二十年四月までに合計九冊が刊行されたことになり、予告されたものの半分にも達しなかったことを示している。中野の『アメリカ』、吉川の『支那人』、片山の『ドイツ詩集』などは読んでみたい気になるが、未刊に終わったことは当人にはよかったのかもしれない。
日本文芸の道

これはもはや数えることもできないけれど、「新潮叢書」のみならず、大東亜戦争下に企画されたシリーズや全集類などは敗戦を迎え、刊行を続けることができず、中絶してしまったものがかなりの数に及ぶのではないだろうか。

それでいて、それらがひっそりと戦後の叢書や選集などに収録されていたことに気づかされる。「新潮叢書」も同様で、生島の『日本の小説』は朝日選書で読んでいるが、ここでこの時代に出されていたことを知ったし、実業之日本社の中村光夫の『戦争まで』も「筑摩叢書」に収録されていたが、これも同時代の出版だったのである。そのような著作は数多くあると考えられるが、それこそ発掘したりすることは難しいと実感するしかない。


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