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古本夜話46 折口信夫「口ぶえ」

前回に引き続き、宮武外骨と男色文献の関連を書いてみる。大正二年に外骨は小林一三の社屋提供と資金援助を受け、日刊新聞『不二』を創刊する。その一面論評主任が天王寺中学の元教師の大林華峰であったことから、彼の友人で今宮中学校の教師を務める折口信夫が文芸欄に短歌や文芸時評や評論を寄せ、大正三年三月から四月にかけては小説「口ぶえ」を二十五回にわたって連載した。外骨はこの二十七歳の無名の青年の文学的センスにただ者ではない印象を抱いたという。

釈迢空の名前で発表された「口ぶえ」は自伝的な最初の小説とされ、旧『折口信夫全集』 第二四巻の巻頭に初めて収録されたと思われるが、「不二新聞」掲載とあるだけで、解題はまったく施されていない。「口ぶえ」は中学三年生の漆間安良を主人公とし、ホモセクシャルな陰影に充ちた性的衝動、及び生と死をつかさどるかのような大和の山行きを描いている。安良は兄はいるにしても、不在なために女系家族に囲まれ、その自画像は折口信夫とまったく重なっている。しかしこの大正二年に描かれたと推測される「口ぶえ」は、安良とその恋人渥美がともに死を憧憬し、抱き合ったままで崖の岩角へ身を乗り出すところで、「前篇終」となっていて、後篇は書かれていない。

最初に読んだ時、最も印象に残ったのは安良の山行きがもたらす性的なメタファーで、それは次のような場面に表出していた。

 彼は磧におりて、心ゆくまで放尿した。光はまともに、白い下腹を照らす。その瞬間、彼は非常な力の湧きのぼつて来るのを感じた。

そしてこの後に安良は二度にわたって、「淡紅色の蛇」の幻覚を見る。

岡野弘彦『折口信夫の晩年』 中央公論社)によれば、この「口ぶえ」の渥美のモデルは折口が中学生の頃、深く憧れていて、若くして亡くなった辰馬桂三であり、『死者の書』 (中公文庫)もまた彼のために書かれたと目されてきた。また同書の中には、岡野が何気なしに時々「蛇の夢」を見ると言うと、折口が「それは性欲だよ」と確信に満ちた答えが返ってくる場面が書きこまれていた。それで折口固有の聖なる山のもたらす性的メタファーと「淡紅色の蛇」の幻覚の通底を確認したように思った。

死者の書・身毒丸

しかし二〇〇〇年になって、富岡多恵子『釈迢空ノート』 岩波書店)が刊行され、「口ぶえ」に秘められた謎と釈迢空の筆名の由来が突き止められ、その命名者である藤無染が折口の人生を決定した存在として浮上するに至った。そして「口ぶえ」にあって、渥美=辰馬はダミー的な存在で、山行きの途中で出会った渥美の従兄と称する若者が、渥美の存在も兼ねた安良の真の恋人、すなわち藤無染ではなかったかと富岡は推理する。渥美の従兄は一高生の柳田と名乗り、柳田国男を明らかに想起させるが、「その若者は骨々しい菱形の顔をした男」とあるので、彼の風貌とまったく似通っていない。なぜか富岡はそのことに言及していないが、『釈迢空ノート』 の中に写真を掲載している藤無染を彷彿させる。
釈迢空ノート

藤無染とは何者なのか。折口の「自撰年譜」(旧『折口信夫全集』 第三一巻所収、中公文庫)の明治三十八年のところに、藤無染の名前が出てくる。折口は同年に天王寺中学を卒業し、国学院入学のために上京し、「新仏教家藤無染の部屋に同居」し、「年末、藤氏に具して、小石川区柳町に移る」とある。岡野は前掲書の中で、「藤氏の名前は其の年譜に一度出てくるだけで、経歴や先生がどういう接し方をされた人なのかは、まったくわからない」と書いている。

富岡は藤が一時養われていた吹田市にある西宝寺を訪ね、彼の「得度願」を見せてもらい、それを引用した後で、藤が折口より九歳上で、西本願寺文学療を卒業し、中学の英語教師だったこと、折口上京時、二十七歳であり、明治三十九年にやはり吹田市の宋名寺に養子に入って結婚し、四十二年に三十歳で死去したことを突き止める。そしてまた折口が十三歳で、中学二年生の夏に初めてひとり旅をし、「口ぶえ」に描かれているように、無染=渥美の兄に出会い、その後も無染に誘われ、山の寺へ出かけたり、一緒に大和を旅行したのではないかと推量する。またそのような二人の前史があったゆえに、上京するに至って、無染と同居することになったとも推量している。

富岡はさらに折口の短歌の解題を進め、二人の性的な関係を次のように記している。

 十三か四の時に、なにか問われても口ごもっているような内気な少年(をじなきわらわべ)に対して「可愛い」(愛し)といってくれた若者(年上の男)への思慕、さらにすすんで、その若者との恋の日々のなかでの少年は「快楽の客体」である。年長者から誘いかけられ、問いかけられ、教えられる立場である。社会的にも性的にも主体ではなく客体である。

「口ぶえ」の中で、渥美の従兄と安良は性的なメタファーがこめられた「磧」(かわら)で語り合い、その夜 安良は「淡紅色の蛇」の幻覚を見る。だから富岡が言うように、二人の間に「なんらかの性的な体験」が持たれたことを暗示しているのだろう。

だが藤無染の話は折口の秘められた恋人だったことだけでは終わらない。〇四年になって、安藤礼二による「口ぶえ」も収録された『初稿・死者の書』 国書刊行会)が編まれ、『死者の書』 も「口ぶえ」と同じ物語構造を有し、同じように藤無染の供養のために書かれたことが明らかになった。そして安藤は二人の関係の背後にある『世界聖典全集』、雑誌『新仏教』、藤の著作『二聖の福音』などの存在をも指摘している。それらにも言及したい誘惑に駆られるが、この連載の意図から外れてしまうので、断念するしかない。
初稿・死者の書

なお今年の五月に、やはり安藤礼二編による『死者の書・口ぶえ』、七月には富岡多恵子『釈迢空歌集』 (いずれも岩波文庫)が出された。

死者の書・口ぶえ 釈迢空歌集
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