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古本夜話1368 『長谷川利行展』と「カフェ・パウリスタ」

 もう一冊、展覧会カタログを取り上げてみよう。浜松の典昭堂で『長谷川利行展』(一般社団法人 INDEPENDENT 2018)を見つけ、買い求めてきた。これは利行の最新の展覧会本で、一四四点の絵がカラーで掲載され、その「年譜」や「長谷川利行が歩いた東京」「参考文献目録」「長谷川利行自筆文献再録」も充実し、思いがけない一冊であった。

 以前にも別の展覧会目録を見ているし、『近代出版史探索Ⅱ』208などの矢野文夫による『長谷川利行』(美術出版社、昭和四十九年)も読んでいたけれど、あらためて大下藤次郎や『みづゑ』との深い関係を認識させられた。その小林真結編「年譜」を辿っていくと、中学時代に絵葉書流行があって、長谷川は多くの風景画絵葉書を買い求め、水彩画を描くようになった。そして明治四十一年頃から『みづゑ』の読者、寄稿者となり、翌年には中学も中退し、同人誌『水彩鳥』も刊行し、紀州の山奥や奈良に滞在し、水彩画の修練に明け暮れる。

長谷川利行 (1974年) (美術選書)

 明治四十三年の『みづゑ』(No.60)に「画家―芸術家になるのは天職だと信じるやうになる」と書き、大下藤次郎から年賀状が届いたことへの喜びも記しているようだ。続いて四十四年のところには「8月21日から一週間、敦賀にて『みづゑ』主催水彩夏期講習会に参加」とあり、その集合写真が掲載されている。大下は少しばりやつれた感じで中央に写っているが、四十人以上ということもあり、長谷川は特定できない。しかしその女性も含んだ写真から、明治三十年代後半から四十年代にかけての水彩画や絵葉書の流行をうかがうことができるように思われる。

 これを森清涼子編「大下藤次郎年譜」(『みづゑ』No.900)から見てみる。それによれば、明治四十四年八月、「敦賀水彩画講習会を松原尋常高等小学校図書教室で開く(21日~27日)」とある。これで写真の背景がその小学校だと判明する。しかも九月に入ると「健康がすぐれず、月の半分は病床にある」と述べられ、十月「午後4時没(10日)」とされる。それゆえにこの敦賀での水彩画講習会が大下の最後の旅で、しかも長谷川との最初にして最後の出会いだったことを伝えていよう。

みづゑ NO.900 1980年3月号 創刊900号記念特集|水彩画家・大下藤次郎|総目次 ( 900号)

 その後数年、長谷川は『みづゑ』に寄稿していたようだが、短歌を詠み始め、大正七年に『近代出版史探索Ⅲ』425、426の生田蝶介編集の『講談雑誌』に投稿し、生田の選により短歌が掲載され、私家版歌集『長谷川木葦集』を刊行する。博文館の『講談雑誌』への投稿は続けられ、生田との関係も生じたようで、生活の拠点を東京へと移し、大正十年からは『講談雑誌』に大衆小説「浄瑠璃坂の仇討」などを発表していく。残念ながら講談社の『大衆文学大系』別巻の「主要雑誌目次」に『講談雑誌』の収録はないので、それらの詳細は確認できないが、やはり同誌の挿絵画家岩田専太郎などとも知り合ったようだ。またその頃、生田の門下にあった植字工の千葉文二(青花)を通じ、矢野文夫を紹介された。すでに長谷川は水彩画から油絵へと移っていた。矢野は『長谷川利行』において、次のように最初出会いを記している。

 初対面の利行はすでに三十近い年齢で、陰気で口数も少なく、東海道五十三次をテント旅行でスケッチして歩いた、などと話した。一緒に駿河台下の『カフェ・パウリスタ』でコーヒーを飲んだのであるが、利行は一隅に十五号位のカンバスを画架に立てかけ、一瀉千里の勢いでカフェの内部を描いた。それは嵐のような激しい筆勢であった。その時は、三原色だけでなく、ガランスやエメラルドやブラックをふんだんに使用していたように思う。

 カフェ・パウリスタは移民の父とよばれる水野龍による創業で、「パウリスタ」は「サンパウロっ子」を意味するという。明治四十四年に箕面に第一号店が開店し、その後銀座、人形町、道頓堀、浅草と出店している。だが『近代出版史探索Ⅱ』348の『写真集 失われた帝都東京』には見出せないので、どのようなカフェなのか不明である。それでも本探索1352などの宮嶋資夫『遍歴』には数寄屋橋通りのカフェ・パウリスタが出てくるので、社会主義陣営がよく利用していたとわかる。

 この『長谷川利行展』にも、昭和三年、四年付の「カフェ・パウリスタ」の油絵二点が収録されているけれど、いずれも矢野のいうところの長谷川の「一瀉千里の勢い」でカフェの内部を描いた」「嵐のような激しい筆勢」ゆえに、どこの店かは特定できない。それに矢野の証言に従えば、すでに大正時代からこの他にも「カフェ・パウリスタ」は描かれているようで、私もテレビの「開運!なんでも鑑定団」において、「カフェ・パウリスタ」に類似した作品を見ている。これは国立近代美術館に買い取られ、その所蔵となっている

 それにしても、大下藤次郎、長谷川利行、生田蝶介のラインが矢野文夫へとつながっていくのは意外でもあった。


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