これは昭和初期円本時代ではなく、昭和九年に刊行されているが、やはり一連の漫画シリーズと見なせるので、続けて書いておくべきだろう。
それは建設社の「漫画講座」第四巻で、例によって浜松の時代舎で入手した一冊であり、日本漫画会編と銘打たれている。細木原青起の『日本漫画史』(岩波文庫)によれば、大正十二年に東京漫画会のメンバーを中心として、日本漫画会が設立された。その同人は池田永治、池部鈞、服部亮英、細木原青起、岡本一平、小川治平、中西立頃、山田実、前川千帆、近藤浩一路、寺内純一、在田稠、北沢楽天、水島爾保布、宮尾重男、代田収一、清水勘一、下川凹天、宍戸左行、森島直三、森火山だった。これらのメンバーからすると、前々回と前回の「漫画家六家撰」「現代漫画大観」にしても、日本漫画会が中心となって編まれたと考えられる。
またそのような視点から見れば、この「漫画講座」は日本漫画会による実作も含めた啓蒙と専門書を兼ねた漫画総集編のようにも思える。第四巻には第一、二、三巻の目次も掲載されているが、同巻の目次のほうがその啓蒙と専門書の内容を強く反映しているので、それらを示しておこう。
*水島爾保布「絵巻物とその漫画的場面」
*細木原青起「文芸作品の漫画化研究」
*服部亮英「観賞及展覧会漫画の描き方」
*池部鈞「展覧会漫画の描き方」
*代田収一「動物漫画の描き方」
*スギタ・サンタロ「流行漫画の描き方」
*加藤悦郎「現代日本漫画壇の展望」
*矢崎茂四「西洋漫画の要領」
*池田永治「俳漫画の要領」
この中からどれを紹介するべきか迷ったのだが、当時の漫画状況を把握するためには加藤悦郎の「現代日本漫画壇の展望」をまず見ておくべきだろう。それを加藤は次のように始めている。
つい二三年以前までの、我国の漫画壇には、わづかに、一二の団体が存在したに過ぎなかつた。まづ、最古の歴史と、最大のメムバアとを擁する『日本漫画会』を筆頭とし、『新漫画派集団』『三光漫画スタヂオ』『新鋭マンガ・グルウプ』『日本児童漫画家協会』『ユモリスト・クラブ』等、その他、旧ヤツプ(日本プロレタリヤ美術家同盟)漫画部の一群――これは現在対外的にはまだハツキリとした団体行動を示して居ないが、――或は岡本一平氏の門下生によつて組織されてゐる『漫画自由研究会』(元一平塾)、時事新報漫画投稿家を中心とした研究会・・・等、等、等、今、何の資料も持たぬ僕の記憶のみによつてさへも、ざつと、以上の如き多数の団体或はグルウプを算へ挙げることが出来、更に、これに地方的存在を加へたらおそらく、数十に及ぶ団体或はグルウプを見る事が出来るだらう。
このような昭和初期漫画状況に関して、加藤はそれが「新登場者の激増」と「活躍舞台の拡大」を意味し、漫画壇の「異常な発展ぶり」を示しているが、これだけで「漫画の黄金時代」だと「有頂天」になってはならないと戒めている。
そして日本漫画会による「漫画の大衆化」と「漫画家の社会的な存在性の確保」のための努力や功績は認めるにしても、この数年来の活動はなきに等しいとして、岡本一平を始めとする会員たちへの批判、及び現在の動向が紹介されていく。またそれは日本漫画会だけでなく、加藤が先に挙げている他の「団体或はグルウプ」にも向けられ、そうした若い漫画家たちの「団結の力」「商業主義」、「ナンセンス漫画」傾向が指摘され、そこに芸術団体の「正統な成功」ではなく、単なる「職業団体」としての「商業的成功」を見ている。
また現在時点で具体的に挙げられていないが、「商業活動」ではに「研究活動」も実践され、それが「現代日本漫画壇の更生を促進せしめる一服の強壮剤」としての「悦ぶべき消息」だとしている。こうした記述はこの時代に漫画家たちの新旧の対立、漫画市場拡大に伴う商業主義とナンセンス漫画の流行、芸術としての漫画の問題と新しいムーブメントの始まりがあったことを教えてくれる。
これらのことをふまえ、あらためて『名作コミック集子どもの昭和史・昭和元年―二十年』(「別冊太陽」)を見てみると、田河水泡の時代を迎えていたようで、その三分の一が「田河水泡の世界」の特集となり、それに加えて、表紙からもうかがわれるように、『近代出版史探索Ⅱ』289などの中村書店の「ナカムラマンガ・ライブラリー」の紹介である。加藤の「現代日本漫画壇の展望」が書かれたのは昭和九年と推測されるので、それ以後の「日本漫画壇」も急速に変容していったことになるのだろう。なお加藤悦郎は昭和九年に結成された「ユモリスト・クラブ」のメンバーだったようだが、『名作コミック集子どもの昭和史・昭和元年―二十年』にはその名前も作品も登場していない。
(「ナカムラマンガ・ライブラリー」)
建設社に関しては『近代出版史探索Ⅴ』817を参照されたい。
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