出版状況クロニクル94(2016年2月1日〜2月29日)
16年1月の書籍雑誌の推定販売金額は1039億円で、前年比4.5%減。
その内訳は書籍が540億円で、前年比0.1%増、雑誌は498億円で、同9.1%減、そのうちの月刊誌は398億円で、8.0%減、週刊誌は100億円で、13.2%減。
返品率は書籍が35.5%、雑誌が44.0%で、もはや雑誌のほうが高返品率という状況が定着しつつある。
今年もこのような出版状況が続いていくだろうし、16、17年の全体のマイナスが5%とだと想定した場合、16年は1兆5000億円を割りこみ、17年は1兆3000億円台という事態を迎えると考えらえる。
そうなるとピーク時の1996年の半分という出版物売上状況に直面する。大阪屋、栗田出版販売にしても、2月の太洋社にしても、いずれもが売上高を半減させたところで、ほとんど資産を失いながら破綻となっている。
そうした現実に照らし合わせれば、これからどのような出版危機状況に入っていくのかはいうまでもあるまい。
1.太洋社は2月5日付のファックスで、取引先出版社と書店に対し、「今後の弊社事業の行く末を見据えますと、いずれ、自主廃業を想定せざるをえない」とし、全資産精査を伴う自主廃業に向けての事業整理を発表。
そこに至った経緯と事情を要約抽出する。
* 2005年売上高487億円が15年には171億円まで激減し、営業損失7億円を計上するに至った。それは出版業界の市場規模の縮小に伴う取次競合と帳合変更によるもので、複数の主要書店を失ったことに起因している。
* それに加え、財務内容に大きな悪影響を与えかねないのが、一部の取引書店に対する売掛金の焦げ付きで、これは書店の売上不振と帳合確保の条件提示として生じたものである。
「売掛金入金の滞りがちな一部のお取引書店様に対しても、最大限の支援を申し挙げて参りました。しかし、結果としては、このような一部のお取引書店様に対する売掛金につき、多額の延滞が生じ、その回収の可能性を慎重に検討すべき事態に直面することになりました。」
* このまま漫然と経営を維持しますと、早晩全資産をもってしても、出版社に対する買掛金支払に困難をきたす事態が生じかねない。
* そのための全資産精査に際して、出版社の書籍雑誌の継続供給、常備寄託の取次伝票切替、書店の帳合変更をお願いしたい。
続けて、2月8日に太洋社は出版社と書店向けに説明会を開き、その「議事録」や「配布資料」も出されているので、こちらも抽出してみる。
* まずは不動産を売却しての現金捻出に着手している。埼玉県戸田市の物流センターが11億3000万円、神田商品センター2億1800万円、四国支店と長崎市の不動産が6000万円で、これらも借入金のために担保設定されているが、それらは合計7億円だから、相当程度残るはずだ。また換金価値を有する有価証券もあり、それらも1億数千万円に及ぶ。これらを併せ、債務弁済に充当させる。
* 書店への売掛金は47億円だが、これは速やかな返済をお願いしている。取引支援書店に対しては焦げ付きが予想されるが、不動産担保や連帯保証金などの保金措置を講じているので、それらの手続きを進めることになる。
* 当社の貸借対照表では、負債84億8000万円に対し、資産は92億2000万円で、7億4000万円の資産超過なので、書店からの売掛金回収が想定どおりに実現すれば、自主廃業は可能だと考える。
* 現在の取引書店は300法人、800店舗で、帳合変更は3月を目途としている。
* 出版社に対する買掛金残高は、こちらも書店売掛金とほぼ同じ47億円であるが、2月末の支払分に関しては資金繰りの手当てはついている。ただ3月以降の支払いはあらためて報告する。
* 以上のような状況下であり、現在は自主廃業をめざしているが、その前に実質的な営業停止となるわけで、その後はどのようになるかについては確定的な話をすることは難しい。
また22日付で、中間決算、書店売掛金回収と帳合変更、資産売却状況に関して、文書報告がなされている。それによれば、中間売上高は63億円、経常損失3億円、12億円の売掛金のある書店に大きな焦げ付きが生じるようで、「極めて由々しき事態」を迎えている。
帳合変更は300法人、800店舗のうちの50法人、350店舗にとどまり、それに伴う2月末時点の売掛金回収は9億4000万円。保有株式は1億円の現金化は確実だが、不動産売却はどれも売買契約に至っていない。
[この半年ほど、太洋社に関しては月末になると様々な情報が流され、それが1月はより具体的なものだったが、1月分の支払いは確実とのことであった。それらもあり、前クロニクルでは太洋図書FC店180店の帳合変更を伝え、Xデーの近いことだけは暗示しておいたけれど、ここまで急速に事態が流動していくことは予想外であった。それはひとえに太洋社の自主廃業という選択によるものだろう。
これはまったく私見だが、これまでの鈴木書店、大阪屋、栗田出版販売の破綻処理スキームと異なり、このような太洋社の自主廃業スキームは、きわめてまっとうなものではないかと思われる。太洋社の歴史をふまえた取次と書店の関係と構造に関する現状認識、それに基づく資産超過のうちに自主廃業とした決断は、これまでほとんど実行されてこなかった。それは何よりも弁護士などに丸投げしていない、これらの文書と説明にもよく表われている。
しかしその一方で、それはこれまでなかった取次からの一斉的な書店の売掛金の精算という、いわばパンドラの箱が開かれたことを意味していよう。それゆえに「この売掛金の焦げ付き額は、極めて重要なポイントです」と述べているように、太洋社の自主廃業の行方はこの問題の処理に左右されるであろう]
2.太洋社の自主廃業発表によって、取引先書店の閉店が続いている。
それらはつくば市の友朋堂我妻店、梅園店、桜店の3店、鹿児島市のひょうたん書店、豊橋市のブックランドあいむ、熊本市のブックス書泉、八重洲書店江津店、さいたま市の愛書堂、長崎市のBooks 読書人、北九州市のアミ書店、四街道市マキノ書店。とりわけ徳島県は顕著で、小山助学館鳴門店など4店である。これはさらに続くだろう。
『大海原―さらなる発展に向けて』
[戦後出版史においてもほとんど取り上げられていないが、太洋社の社史を兼ねる一冊として、1996年に『大海原―さらなる発展に向けて』(藤野邦夫著、太洋社)が出されている。これは「創業者・國弘直と太洋社50年のあゆみ」をサブタイトルにするもので、戦後に國弘が古本屋から始め、インディーズ系雑誌取次としての太洋社を創業し、地方の小書店を中心にして、太洋社が成長していった「50年のあゆみ」が記されている。かつて國弘晴睦から恵送されたことを思い出す。
他の取次が戦前の東京堂や日配の流れをくむ大手出版社や大手書店を背景とするものであったことに対し、太洋社はアウトサイダー的に取次をスタートさせたことになる。もちろんそうした立ち上げの位置からして、取引先が中小出版社、地方の小書店を対象としたのは必然的な成り行きだった。それらの中小出版社や地方の小書店が成長することによって、太洋社も同様に成長を遂げたといえる。
だが今世紀に入っての地方の商店街の小書店の壊滅的状況や、大手チェーンとなった取引先書店の帳合変更などにより、太洋社は長きにわたる急激な減収と連続赤字に追いやられたことになる。
ただこれは社史に記されているわけではないが、そのような太洋社の取次事情から、アダルト系出版社、それらを主とする小書店との関係において、最大の取次であった。そのことを考えると、太洋社の自主廃業はこれまで出版業界を底辺で支えてきた、それでいて新しい分野、著者や編集者といった人材を生み出してきてエロ本業界を、これも壊滅的状況へと追いやってしまうかもしれない。
それは何よりも、1でふれた250法人、450店舗の帳合変更の見通しがたっていないとされる太洋社帳合書店の現在状況が告げていよう]
3.2月26日になって芳林堂書店が自己破産。負債は20億円。
1948年に創業され、71年には池袋西口に芳林堂ビルを建設して「池袋本店」とし、また都内を中心に出店を進め、99年には売上高70億円に達していた。
しかしその後、大型店との競合により、03年に池袋本店を閉店し、ビルも売却、近年は津田沼店、センター北店、汐留店、鷺ノ宮店の閉店に至っていた。
現在は高田馬場店、コミック専門店「コミックプラザ」などの都内4店、埼玉県5店、神奈川県1店の10店の直営店の展開となっていたが、15年売上高は35億円と半減していた。
[私が聞いていたのは太洋社に対する未払い買掛金が5億円あり、その捻出は不可能なので、自己破産するしかないというものだった。
今回の自己破産で明らかにされた20億円の負債のうちのどのくらいを太洋社が占めているのか、まだ確認できていないが、1でふれたように12億円とすると、太洋社の自主廃業スキームも大きな修正を迫られることになろう。
また芳林堂は9店の書店事業をアニメイトグループの書泉に譲渡するとしているので、太洋社との清算はどうなるのか、これも不透明な状況にある]
4.河出書房新社から本橋信宏、東良美季の『エロ本黄金時代』が刊行された。
[これも前回ふれた藤脇邦夫の白夜書房レポート『出版アナザーサイド』(本の雑誌社)と併走するもうひとつの「出版アナザーサイド」であり、さらなるエロ本業界のカレードスコープのような仕上がりになっている。
この一冊を読んだことで、様々なミッシングリングがつながり、1980年代の自販機本とビニール本に始まるアンダーグラウンド的出版人脈が浮かび上がってくる感慨に捉われた。
ここでこの本を取り上げたのは2でふれたように、エロ本業界の最大の取次としての太洋社の存在が大きかったのではないかと思ったからである。
80年代の雑誌の時代にあって、『本の雑誌』や『広告批評』が地方・小出版流通センターを流通販売の窓口にしていたように、「エロ本黄金時代」のベースを支えていたのは、太洋社とその帳合書店だったのではないだろうか。
やはり同じ役割を果たしたと見なせる協和出版販売が、最近トーハンへと吸収された際に、オリンピックを控えたコンビニにも不要なので、アダルト系出版社は切られたと伝えられている。太洋社ばかりでなく、そのようにして「エロ本黄金時代」も終わっていくのであろう]
5.群馬県の文真堂書店が地域経済活性化支援機構により、取引金融機関の金融支援とトーハンの増資を受け、トーハンの100%子会社化。
文真堂書店は1967年設立で、群馬県を中心に40店舗を展開し、売上高は92億円。
[本クロニクルで既述してきたが、この文真堂こそはかつて太洋社の主要帳合書店で、貸本屋から大手チェーンへと成長している。
同じくトーハン傘下に入った明屋書店も元は貸本屋で、当初は後に合併して協和出版販売となる神田図書を取次としていた。
おそらく太洋社にしても、戦後の成長の過程で、貸本屋や古本屋、小さな雑誌店、雑貨なども兼ねた複合店などとも取引があり、出版物の販路の裾野を広げることに貢献していたのだろう。
その太洋社と文真堂が時を同じくしてそれぞれこのような状況に追いやられたことは偶然ではないし、ここまでくれば、大手取次による「囲い込み」の果てに起きることすらも想定すべきであろう]
6.1から5の背景にあるのは日本の出版業界、及び出版社・取次・書店という近代出版流通システムの要といえる雑誌の凋落に他ならない。
2015年まで含めたその雑誌推定販売金額と販売部数の推移を示す。
[15年の雑誌販売金額、販売部数はいずれもが、この20年間のうちで最大の落ちこみとなっていることを突きつけている。
■雑誌推定販売金額(単位:億円) 年 雑誌 前年比 月刊誌 前年比 週刊誌 前年比 1997 15,644 0.1% 11,699 0.1 3,945 0.1% 1998 15,315 ▲2.1% 11,415 ▲2.4% 3,900 ▲1.1% 1999 14,672 ▲4.2% 10,965 ▲3.9% 3,707 ▲5.0% 2000 14,261 ▲2.8% 10,736 ▲2.1% 3,524 ▲4.9% 2001 13,794 ▲3.3% 10,375 ▲3.4% 3,419 ▲3.0% 2002 13,616 ▲1.3% 10,194 ▲1.7% 3,422 0.1% 2003 13,222 ▲2.9% 9,984 ▲2.1% 3,239 ▲5.3% 2004 12,998 ▲1.7% 9,919 ▲0.6% 3,079 ▲4.9% 2005 12,767 ▲1.8% 9,905 ▲0.1% 2,862 ▲7.1% 2006 12,200 ▲4.4% 9,523 ▲3.9% 2,677 ▲6.5% 2007 11,827 ▲3.1% 9,130 ▲4.1% 2,698 0.8% 2008 11,299 ▲4.5% 8,722 ▲4.5% 2,577 ▲4.5% 2009 10,864 ▲3.9% 8,455 ▲3.2% 2,419 ▲6.1% 2010 10,536 ▲3.0% 8,242 ▲2.4% 2,293 ▲5.2% 2011 9,844 ▲6.6% 7,729 ▲6.2% 2,115 ▲7.8% 2012 9,385 ▲4.7% 7,374 ▲4.6% 2,012 ▲4.9% 2013 8,972 ▲4.4% 7,124 ▲3.4% 1,848 ▲8.1% 2014 8,520 ▲5.0% 6,836 ▲4.0% 1,684 ▲8.9% 2015 7,801 ▲8.4% 6,346 ▲7.2% 1,454 ▲13.6%
■雑誌推定販売部数(単位:万冊) 年 雑誌 前年比 月刊誌 前年比 週刊誌 前年比 1997 381,370 ▲1.3% 229,798 ▲0.4% 151,572 ▲2.5% 1998 372,311 ▲2.4% 226,256 ▲1.5% 146,055 ▲3.6% 1999 353,700 ▲5.0% 215,889 ▲4.6% 137,811 ▲5.6% 2000 340,542 ▲3.7% 210,401 ▲2.5% 130,141 ▲5.6% 2001 328,615 ▲3.5% 203,928 ▲3.1% 124,687 ▲4.2% 2002 321,695 ▲2.1% 200,077 ▲1.9% 121,618 ▲2.5% 2003 307,612 ▲4.4% 194,898 ▲2.6% 112,714 ▲7.3% 2004 297,154 ▲3.4% 192,295 ▲1.3% 104,859 ▲7.0% 2005 287,325 ▲3.3% 189,343 ▲1.5% 97,982 ▲6.6% 2006 269,904 ▲6.1% 179,535 ▲5.2% 90,369 ▲7.8% 2007 261,269 ▲3.2% 172,339 ▲4.0% 88,930 ▲1.6% 2008 243,872 ▲6.7% 161,141 ▲6.5% 82,731 ▲7.0% 2009 226,974 ▲6.9% 151,632 ▲5.9% 75,342 ▲8.9% 2010 217,222 ▲4.3% 146,094 ▲3.7% 71,128 ▲5.6% 2011 198,970 ▲8.4% 133,962 ▲8.3% 65,008 ▲8.6% 2012 187,339 ▲5.8% 127,044 ▲5.2% 60,295 ▲7.2% 2013 176,368 ▲5.9% 121,396 ▲4.4% 54,972 ▲8.8% 2014 165,088 ▲6.4% 115,010 ▲5.3% 50,078 ▲8.9% 2015 147,812 ▲10.5% 105,048 ▲8.7% 42,764 ▲14.6%
販売金額は前年比8.4%減、その内の月刊誌は7.2%減、週刊誌は13.6%減、販売部数は10.5%減、そのうちの月刊誌は8.7%減、週刊誌は14.6%減といずれも大きなマイナスで、まったく下げ止まりは見られない。とりわけ週刊誌は双方が二ケタマイナスである。
販売金額は1997年の半分の7801億円、販売部数は2004年のこれも半分の14億7812万冊となり、販売金額以上に販売部数がこの10年間で急速に減少しているとわかる。
しかもその一方で、雑誌やコミックスの電子書籍化は進んでいるわけだから、さらに今年も雑誌の凋落は加速していくと考えるしかない]
7.旧栗田出版販売が裁判所による再生計画・確定証明を得て、新しい栗田出版販売としてスタートし、4月1日をもって、大阪屋と合併し、大阪屋栗田として発足。
それに向けての「報告文書」にはつぎのような「目指すべき方向について」の一節が見える。
「両社の持ち味である独自の小回り力と取引先(出版社様・書店様)に寄り添った視点で共に考える、自由度と柔軟性に富んだ取次を実現し、街ナカに本のある空間の存続と創立にチャレンジングな会社であること」。
[太洋社の自主廃業、それに伴う「街ナカ」書店の多くの閉店、廃業のかたわらで、大阪屋栗田は発足することになる。
旧知の人たちが経営陣にいるので、はなむけのことばのひとつもかけてやりたいが、そのような出版状況下でないことは、ご当人たちもよく承知しているだろう]
8.このような出版状況の中で、『ユリイカ』(3月臨時増刊号)が総特集「出版の未来」を組んでいる。
その中の「鼎談」の115ページで、永江朗が次のような発言をしている。
(引用者注―見やすくするために漢数字をアラビア数字に変換)
出版不況ということを前提に業界の人は語りますけど、私は出版不況ではないと思っています。
生産年齢人口(15歳〜64歳)の推移を見ると、2015年の推計は7682万人で、それはだいたい1975年(7581万人)と同じレベルなんです(厚生労働省「人口動態統計」)。
一方、2014年の書籍の年間推定販売冊数は6億4461万冊で、これもだいたい1975年(6億3222万冊)と同じレベルなんですよ。
ということは国民ひとりあたりの書籍の購買数というのはほとんど変わっていなくて、唯一変わったのは、新刊発行点数が1975年の4倍弱(1万9979点→7万6465点)になっていることで、その4倍に水ぶくれしたのが不況感の原因。
出版社側からすると「新刊書が売れない」という実感があるかもしれないけれど、読者の側からすると、これだけ情報の選択肢が多くなったにもかかわらず本は40年前と変わらず買われている。
ということからすると、なんら悲観することはなくて、1975年のレベルに合わせた商売をすればいいだけのことだと思います。
[まったく出鱈目な発言であるし、永江特有の「その場しのぎ言説」で、エピゴーネンたちが反復するかもしれず、批判しておくべきだろう。
「出版不況ではない」という根拠が生産年齢人口にあるというのは、単なる思いつき発言以外の何ものでもないからだ。煩わしさは承知の上で、1975年から2014年までの出版物販売金額、書籍売上、売上冊数の推移、同じく15年までの生産年齢人口推移を示してみる。
■出版物販売金額、書籍売上、売上冊数、生産年齢人口の推移 年 出版物販売金額
(億円)書籍売上
(億円)売上冊数
(万冊)生産年齢人口
(万人)1975 9,765 4,889 63,222 7,581 1980 14,523 6,724 76,450 7,884 1985 17,399 7,273 89,177 8,251 1990 21,298 8,660 91,131 8,590 1995 25,896 10,469 89,371 8,717 2000 23,966 9,705 77,364 8,622 2005 21,764 9,197 73,944 8,409 2010 18,748 8,212 70,233 8,103 2014 16,064 7,544 64,461 7,682
(*2015)出版物販売金額と書籍金額は1975年の9765億円、4889億円に対して、95年はその2倍以上に達し、この20年間の出版業界の成長を示している。またその後のマイナスがどのようにして起きてきたのかは本クロニクルでずっと実証してきたように、出版業界の歴史、及び再販委託制に基づく出版社・取次・書店という近代出版流通システムの崩壊とその帰結に求められる。それは書店数の半減という事実に象徴的に表出しているものだ。
この出版業界の40年間の成長と衰退の売上状況に対して、生産年齢人口は7500万人前後から8500万人前後の推移であり、出版物販売金額、書籍売上の動向との明確な関係は抽出できない。まったく関係ないとは言い切れないにしても、ことさら比較対照すべき例とするものではない。それに75年と異なる現在の高齢化社会を考えれば、老人人口(65歳以上)を含めない論は成立しないであろう。
それに加え、もし出版と人口関連を挙げるのであれば、生産年齢人口ではなく、年少人口(0〜14歳)に言及すべきで、こちらは1975年の2722万人に対し、2015年には1583万人になっている。戦前、戦後の出版史をたどると、講談社や小学館などはこれらの年少人口に向けての学年誌、少年少女雑誌、コミック誌、コミックと児童書をコアとして成長してきたのである。そしてそれらのマス雑誌をベースにして、流通販売システムも整備されていったのだが、その中心だった町の小書店と読者としての年少人口の減少が、出版業界の危機を招来させた大いなる要因でもあるからだ。
ただ確かに売上冊数は販売金額ほどの増減は示していないが、1975年と現在ではこれも同列に比べることはできない。それは当時カウントするまでもなかった公共図書館の貸出冊数とブックオフの販売冊数で、前者は7億冊、後者は3億冊に及び、それらも含めれば、実質的に売上冊数は20億冊近くあるのではないかとも考えられる。公共図書館貸出数は今世紀に入って、5億冊から7億冊へと増え、売上冊数を超えていることもすでによく知られていよう。
推測するに、永江はいつもこれみよがしに持ち歩いている年度版の『出版指標年報』の書籍のところで、たまたま1975年と2014年の売上冊数がほぼ同じ6億冊半ばという数字を目にし、それにこれもほぼ同じだが、何の根拠もない生産年齢人口と結びつけているだけだ。そして売上冊数も生産年齢人口も同じなのに、新刊点数だけは4倍になっているので、これがバブルであり、「出版不況ではない」ということになったのではないか。
『同年報』には公共図書館貸出冊数の推移も掲載されているにもかかわらず、それを考慮しない、まさに手前勝手な「その場しのぎ言説」というしかない。どのような状況分析にしても、点ではなく、線で、面でという視点が不可欠なのに、永江は1975年と2014年の数字をピックアップしているだけなのだ。要するに出版史にしても読書史にしても、何もわかっていないのである。
このような発言を繰り返すのであれば、まずは『その場しのぎ言説のための読書術』の刊行をお勧めしよう]
9.長野の郷土出版社が廃業。
[郷土出版社は全国の地域の写真集を刊行し、それらは地場の書店との連携で販売され、また必ず図書館に入っているので、地方の出版社ではあるけれど、書店や読者にとってはよく知られていたと思われる。
1999年には「地方出版25年総目録」も兼ねた『私たちの全仕事』という社史も出していて、それをあらためて見ると、地域写真集はその一部であって、多くのジャンルにわたっているとよくわかる。現在までの刊行点数は4千点に及んでいるという。
買っておけばよかったと思われるのは『熊谷元一写真全集』であり、彼の復刻版『会地村』しか持っていないからだ]
10.『新文化』(2/18)が「デアゴスティーニのパートワーク戦略」を掲載している。
パートワーク誌に特化したデアゴスティーニ・ジャパンはイタリアに本社があり、その前身は地理学者ジョバンニ・デ・アゴスティーニがローマで創設した地理学研究所だったという。
同社が日本に参入したのは1988年に省心書房としてで、97年に現在の社名となり、これまで日本でも大ヒットしたのは初期の「クラシック・コレクション」だが、8割以上が日本独自のオリジナル企画である。それらは4つのカテゴリーにわかれている。
* 教育・趣味分野の技術などが習得できる「学べるコース」 * 集めると百科事典になる「マガジンもの」」 * グッズやDVDを集める「コレクションもの」 * 毎号付属のパーツを組み立てる「組立てもの」
同社は日本参入以来、これらを5億4000万部発行してきたとされる。
[創刊号の商品告知の重要性、書店定期立などは省略したが、実は私も「コレクションもの」を買っていて、現在も「東映任侠映画傑作DVDコレクション」を定期購読しているのである。
「パートワーク誌」は『出版月報』などでは「分冊百科」に分類されていて、15年創刊は25点で、講談社なども参入している。雑誌というよりも、付録を主とする雑誌の継子のようなものと見ていたが、このような企画カテゴリー分類を知ると、この分野も雑誌ジャンルを横断して、様々なアイテムを出版物として流通販売できる器だということを教えられる。
自分も買っているので、ここで言及してみた]
11.ゲオチャンネルが始まった。
これはゲオホールディングスとエイベック・デジタルの連携による、590円という月定額動画配信サービスで、映画やドラマなどの13チャンネル、8万タイトルが見放題とされる。
[本クロニクルでも、アメリカのネットフリックスの上陸を伝えてきたが、ゲオチャンネルもそのような動向に抗するサービスとして始まっている。
だがこのようなサービスが成功すれば、自社やTSUTAYAのレンタル市場にダイレクトな影響が及ぶわけだから、まさにDVDレンタルと動画配信の関係も、紙と電子書籍配信のそれと同様なものと考えられる。
これらの本年のストリーミングビジネスの展開はどうなるのであろうか。それらをにらんでか、日販の副社長に、かつてのMPD社長の吉川英作が就任している]
12.アニメイトJHAがタイのバンコク店180坪を開店。
同社はアニメイト、KADOKAWA、集英社、講談社、小学館の5社が昨年設立したジャパンマンガアライアンスのバンコクにおける100%子会社で、日本のアニメや漫画の宣伝や普及も兼ねている。
[これはいささか旧聞に属するのだが、永井浩の『見えないアジアを報道する』(晶文社、1986年)の中に、「バンコク書店戦争」という章があったのを思い出した。
それは80年代のバンコクの日本「デパート戦争」に続き、谷島屋書店が開店したことで、その背後には谷島屋=日販と、紀伊國屋書店=東販の取次も含んだ海外市場の熾烈な競争が絡んでいるとされる。
その影響をもろに受けたのはバンコクの地元書店であり、また「ドラえもん」はタイ人のアイドルにまでなってしまったという。
そのようなブームに対して、バンコクの書店主は語っている。
「日本のマンガはたしかに美しく、すぐれている。だが、わが国にだって、ドラえもんに匹敵するようなすぐれた作品を描ける才能を秘めた作家がいることを忘れてはいけない。ただ、残念ながら、いまのタイのビジネスの体質は、そういう自国の有能な才能を時間をかけて育てあげようとはしない。それよりも、外国資本と結びついていかに手っとり早く目先の利益をできるだけ多くあげるかに急だ。それがドラえもんブームを生みだすと同時に、自国のすぐれた文化を育めない大きな要因のひとつとなっている」
それからアニメイトJHAの出店は30年を経ていることになるが、タイの文化状況はどのようなものになっているのだろうか。またその後の静岡の谷島屋にふれておけば、この海外出店による赤字が原因で、浜松の谷島屋に吸収合併されることになったのである]
13.本クロニクル90で、田中英夫の『洛陽堂河本亀之助小伝』(燃焼社)を紹介し、近代文学、出版研究者必読の一冊として、推奨しておいた。
その後日譚を記しておく。
[実は編集者から教えられたのであるが、同書は初版400部の自費出版ということだった。その著者献本冊数は確認していないが、これを連載していた小冊子『洛陽堂雑記』からすると、100部ほどだったのではないかと推測される。したがって版元在庫は300部だったのではないだろうか。
それが幸いなことに保阪正康によって『朝日新聞』(1/31)で書評され、私もよかったなと思っていた。ところがその300部が売れないとの話が聞こえてきた。これを書くために燃焼社に問い合わせると、その後とりあえず在庫はなくなったけれど、返品があり、それで注文は間に合っているし、とても重版はできないとのことだった。
著者の田中は在野の研究者だが、みすず書房などから手堅い著作を何冊も出しているし、今回の著書は近代文学や出版研究に不可欠な労作である。それが『朝日新聞』の書評を得ても、300部も売れないとは。公共図書館と大学図書館は4500館あるのに、ほとんど入っていないのだろう。そして研究者も買わないし、読まない。そのような状況の中に研究書出版は置かれていることになる]
14.『ニューズウィーク』日本版(1/26)にコラムニストのローラ・ミラーによる、英訳ベストセラー“The Life-Changing Magic of Tidying Up”(日本版、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』、サンマーク出版)の「こんまり魔法に見る『生と死』」という3ページ書評が掲載されていた。
ローラによれば、読んでときめく本ではなく、人生がときめく片づけの魔法を語っていながらも、「物に対する拒食症」という病気ではないかという印象を与える。
ときめかない物は捨てる、ときめく物は大切にというその二つしかなく、第三の道はない。近藤の本は人間の死すべき運命を執拗に言いたて、やがて故人になるのは読者で、「死こそ最大の欠乏の魔法」だと訴えているかのようだ。
そしてローラはいう。がらくたの意味は嘘であるかもしれない。「でも生きていくには必要な嘘だ。そう、がらくたの山にこそ生の歓びはある」と。
[私も雑書に囲まれ、本クロニクルを書いている。名著などではなく、まさにがらくたの山だといっていい。しかし馬齢を重ねてくると、谷沢永一ではないけれど、雑書の中にこそ本当の意味があることも見えてくる。「そう、がらくたの山にこそ生の歓びはある」のだ]
15.最後にとても楽しく読んだ一冊を紹介しておく。
それは山田航著 『桜前線開架宣言』(左右社)である。
[これは70年代以降生まれの40人の歌人たちの作品のアンソロジーであり、また俵万智以後の大学短歌会の隆盛、歌集専門出版社の紹介、自費出版歌集のブックオフでの入手法なども書かれている。そういえば、ブックオフにはそうした歌集がいつまでも売れずに残っていることなどを思い出させた。
それにちなんで、杉本秀という歌人の二首を引いておこう]
ブックオフの百円コーナーだけだろう 逸見政孝を忘れないのは
わが街にもやっとTSUTAYAができました これからは荒廃しそうです
16.3月末に『出版状況クロニクル』4、5を同時刊行する。このような出版状況でもあり、近年は自著の刊行を慎んでいたが、これ以上の分量になるとそれも困難になると判断したことによっている。
なお刊行に合わせたわけではないけれど、論創社のHPで、2月から「本を読む」という連載を始めた。第1回は「ホルモン焼きとゴルフ」で、こちらは本クロニクルと異なり、楽しんでもらえるかもしれないので、よろしければのぞいてみられんことを。