出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル149(2020年9月1日~9月30日)

 20年8月の書籍雑誌推定販売金額は840億円で、前年比1.1%減。
 書籍は433億円で、同4.6%増。
 雑誌は40億円で、同6.5%減。
 その内訳は月刊誌が335億円で、同6.8%減、週刊誌は71億円で、同5.1%減。
 返品率は書籍が37.2%、雑誌は40.1%で、月刊誌は39.9%、週刊誌は40.8%。
 書籍のプラスは前年が13.6%減だったことと、返品の改善によるが、雑誌のマイナスはコミックスの伸びが止まり始めたことや、女性誌部数減が大きな要因となっている。
 それらに加え、8月は土曜日がすべて休配、取次返品稼働日数が前年よりも5日少なかったことも影響している。

 *なお2021年3月31日に消費税転嫁特別措置法が失効し、出版物にも適用されていた消費税別価格表示の特別措置の終了が予定されている。それに伴い、総額表示義務が適用される。
 これをめぐって、書協、雑協は財務省に特別維持を求めているとされる。
 これは政治マターとなっているという話も伝えられ、様々に錯綜しているようなので、今回のクロニクルでは現段階でのコメントは付け加えないことを断っておく。


1.8月の書店閉店は49店で、7月の14店に比べ増加していく気配の中にある。

 本クロニクル137でも、19年同月のTSUTAYA、未来屋、フタバ図書、文教堂、戸田書店、くまざわ書店、とらのあなの複数の閉店を既述しておいた。
 それは今年も同様で、TSUTAYA(蔦屋書店)2店、未来屋3店、文教堂2店、くまざわ書店2店、とらのあな4店と続いている。フタバ図書は1店だが、GIGA本通店750坪、今月戸田書店はないが、7月に静岡本店850坪を閉店している。
 今後の動向として気になるのは未来屋で、イオンとマックスバリュー内書店を加えれば、6店となる。これはスーパーやショッピングセンターにおいても、もはや書店が必要とされなくなっていることを告げているのではないだろうか。それに前回示したように、未来屋も赤字である。またユニーのアピタ内書店も2店閉店している。
 前回の書店売上高ランキングを補足する意味で取り上げてみた。
odamitsuo.hatenablog.com



2.MPDのHP「決算情報」に「貸借対照表」「損益計算書」だけが公開されているので、それらを見てほしい。

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 本クロニクル147で、日販GHDと日販の決算に言及したが、MPDについては発表されていなかったので、ここに示しておく。
 MPDの20年度売上高は1572億円、前年比6.6%減である。個々の数字と内実についての言及は差し控えるが、この3年間のマイナスだけを見ても、売上減少はさらに続いていくだろうし、CCC=TSUTAYAの行方と併走するしかないと思われる。
odamitsuo.hatenablog.com



3.ゲオホールディングスの売上高は3050億円で、前年比4.3%増。
 グループ店舗数はゲオ、ジャンブルストア、セカンドストリートなど1938店。

 でふれなかったが、書店としてのゲオも多くはないが、コンスタントに閉店が続いていて、8月も群馬県の太田店343坪が閉店している。
 トーハンとのコラボレーションの内実は伝えられていないが、書籍、雑誌とDVDなどのレンタルというアイテムの書店出店は後退していくことは確実だ。
 レンタルを手がけているゲオ店舗は1100店に及ぶようだが、2015年に833億円あったレンタル売上は、20年には579億円まで減少し、ネットフリックスなどの配信市場の影響をもろに受けている。
 それに伴い、セカンドストリートなどのリユース事業は、15年の808億円が20年には1222億円と増加しているので、今期は70店の出店をめざすとされる。
 トーハンもゲオのリユース事業に関係しているのだろうか。



4.『日経MJ』(8/26)に「2019年度コンビニ調査」が掲載されている。
 店舗数は5万8250店で、前年比0.5%減となり、初めての店舗数減少。
 新規出店も1914店で、過去20年間で初めての2000店割れ。
 全店売上高は12兆円弱で、前年比1.3%増だが、1店当たりの1日の来客数は平均932人で、2.3%減となっている。

 コンビニ数の推移と書籍雑誌販売金額に関しては、本クロニクル141を見てほしいが、コンビニもフランチャイズシステム、大量出店、24時間営業というビジネスモデルが飽和状態に達したことを告げているのだろう。
 それはともかく、1980年代から90年代にかけてはコンビニの雑誌売上の増加が出版社の成長を支えていたのであり、まさにコンビニバブル出版経済といってもよかった。
 しかもそれは取次と書店の関係をモデルとして構築されたもので、『出版状況クロニクル』シリーズにおいても、しばしば言及してきている。
 ただ21世紀に入って、コンビニと雑誌の蜜月は明らかに低迷し始めていた。それは本クロニクル141の売上高推移に示しておいたように、2005年は5059億円だったのに、2018年には1445億円と3分の1を下回ってしまった。19年度の数字はまだ出されていないけれど、18年をさらに割ることは確実で、雑誌の凋落もコンビニ売上の減少とパラレルだとわかるであろう。
 それに1におけるスーパーやショッピングセンターに書店がなくなっているように、いずれコンビニからも雑誌が不要のものとなっていくかもしれない。
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5.アマゾンジャパンは府中、上尾、久喜、坂戸に4つの物流拠点のフルフィルメントセンター(FC)を開設し、合わせてFCは21拠点となる。
 久喜はすでに稼働し、4万5800坪、府中は9400坪、坂戸は2万3500坪、上尾は2万2600坪で、それらはいずれも10月から稼働予定。

 たまたま『文化通信』(9/14)で、「出版倉庫ガイド特集」が組まれ、その物流チャートと昭和図書などの出版物流などが紹介されている。
 おそらく想像する以上に近年、倉庫と出版流通は進化したと思われるし、それはアマゾンの存在を抜きにして語れないのではないか。
 それらを含めて、この10年はアマゾンが一人勝ちのディケードだったと見なすしかない。
 だがそのかたわらに、本クロニクル139でふれた横田増生『潜入ルポamazon帝国』(小学館)を必読の一冊としておかなければならない。
 幸いなことに横田のこの一冊は今年の新潮ドキュメント賞を受賞した。さらなるルポを続けてほしい。
潜入ルポamazon帝国
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6.集英社の決算が出された。
 売上高は1529億400万円、前年比14.7%増、営業利益は243億200万円、同175.7%増。当期純利益は209億4000万円、同112.0%増。
 その内訳は雑誌が638億9700万円、同24.4%増、書籍は103億2300万円、同16.4%減、広告は96億800万円、同0.7%減、その他は690億7600万円、同15.2%増。

 売上高や純利益は近来にない数字で、まず『鬼滅の刃』の大ヒットを挙げなければならない。20巻で5000万部を発行し、シリーズ物のコミックスの威力を見せつけた。
 そのことで、雑誌の内の「雑誌」は207億8300万円、同9.8%減にもかかわらず、「コミックス」はその倍の431億1400万円、同52.3%増となり、コロナ禍を物ともしない好決算の原動力となっている。新人の作品であっても、コミックスは当たれば大きいことを実証したことになろう。
 だが問題なのは『鬼滅の刃』のような大ヒットが来期も出るかであろう。
鬼滅の刃



7.光文社の決算も出された。
 総売上高は184億7700万円、前年比9.0%減、経常損失は13億9900万円(前年は7億6500万円の損失)、当期純損失は24億200万円(前年は36億2400万円の利益)となった。
 販売部門のうちの雑誌は60億7900万円、同8.1%減、書籍は27億7800万円、同9.3減、広告は56億9600万円、同11.3%減となっている。

  光文社は6の集英社と異なり、コロナ禍による多大な影響を受け、2年ぶりの損失となった。
 とりわけ『HERS』『美ST』『JJ』『Mart』『CLASSY』の5月号の発売ができず、合併号に加えて書店休業も相乗し、出広も減少してしまったのである。『HERS』は8月号で月刊発行終了となっている。
 コロナ禍の決算において、集英社と明暗を分けてしまったことになろう。
HERS 美ST JJ Mart CLASSY



8.『出版月報』(8月号)が特集「パズル誌大研究」を組んでいて、その市場規模が113億円であることをレポートしている。

 20年5月の週刊誌販売金額は59億円だから、パズル誌はその倍近い市場ということになり、週刊誌の編集コストに比べれば、利益率の高い雑誌に分類されるだろう。
 ちなみに5月の週刊誌販売部数1598万冊に対し、パズル誌の19年発行銘柄数は158、発行部数は3442万冊とされる。
 ピーク時は2006年の130億円だったが、コロナ禍の中にあって、発行銘柄は過去最高となり、定期誌刊行出版社は19社に上るという。
 とても参考になったのは、1980年から現在までのチャート「パズル誌の動き」で、80年の『パズル通信ニコリ』(魔法塵)から始まっていることだった。これは確か、最初は地方・小出版流通センターを経由して流通販売されていたはずだ。83年の『パズラー』(世界文化社)は記憶にないが、これが最初の雑誌コード付きパズル誌だった。
 パズルは雑誌の巻末や新聞の片隅の懸賞に使われていたが、80年代を迎えて、市場を形成していったことは興味深い。それは日本の消費社会の成熟と見合っているからだ。
パズル通信ニコリ



9.三省堂書店が子会社の創英社を吸収合併。
 創英社は出版事業と出版営業の代行業務を手がけていた。

 かつての岩波ブックセンターも出版事業=自費出版を手がけ、書店業の一助にもなっていた時代もあったと仄聞しているが、書店と自費出版のコラボも終わったと考えるべきだろう。
 そういえば、ブランド力を冠として大手出版社、老舗出版社がこぞって自費出版部門を立ち上げた時期があったけれど、それらはどうなっているのだろうか。



10.あさひ産業が自主廃業。同社は1993年に元太洋社の南外茂が創業し、書店のブックカバーや雑誌袋などの備品や出版社の販促物などを扱ってきた。
 2008年からは書店用品オンラインショップも開設していたという 。

 あさひ産業のことは私も知らず、業界紙の報道で教えられたが、レジ袋廃止も影響しているのだろう。それでも同種のビジネスが出版業界関係者によって営まれていたことは想像できる。
 それと9の創英社のことで連想されたが、やはり1990年代から元出版社や書店の人たちによって、出版営業代行会社がいくつも設立されたことがあった。それらも創英社ではないが、コロナ禍の中にあって、どのような状況に置かれているのだろうか。



11.楽譜出版の企画、編集、印刷製本のアルスノヴァが破産。
 同社は1982年創業で、楽譜の浄出、採譜、出版企画、編集業務に携わり、小学校音楽の文科省指定教科書の楽譜制作の受託や大手音楽教室の教本を引き受けていた。
 2009年には年商3億1600万円を計上していたが、楽譜出版社からの受注が減少し、資金繰りが悪化し、15年には事業を停止していた。負債は3億7800万円。

 本クロニクル147で、中南米音楽誌の『ラティーナ』の休刊にふれたばかりだが、一部を除き、音楽書の世界にも危機は押し寄せているのだろう。
 そういえば、現在はどうかわからないけれど、かつて春秋社は楽譜出版社の大手だったはずで、アルスノヴァの楽譜出版社からの受注の減少も、それらの動向と関係しているのであろうか。
ラティーナ



12.展望社から、市原徳郎『雑誌王は不動産王 講談社野間清治の不動産経営法』を恵送された。

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 野間清治が小原国芳の玉川学園開発のスポンサーであったことは承知していたけれど、このような「不動産王」の実態は初めて知らされたといっていい。
 戦前の出版史を調べていくと、見え隠れするのは出版社、取次、書店を問わず、不動産取得の問題で、それは野間清治だけでなく、岩波茂雄などにもうかがわれる。
 また出版社の場合、成長するにしたがって、在庫と返品のための倉庫を必須とするので、利益が上がれば、まずは不動産取得と自社ビルの建築へと向かったのであろう。
 また高度成長期まではベストセラーを一冊出せばビルが建ったといわれていたことも、そうした出版伝承から引き継がれてきたのであろう。
 最後の例のようにして、竹書房本社が「フリテンくんビル」と呼ばれていたことを思い出す。



13.ぱる出版の常塚嘉明社長が67歳で急逝した。

 実は拙著『ブックオフと出版業界』(現論創社)の企画は、当時の常塚営業部長から出されたもので、ぱる出版から刊行されたのは2000年のことだった。
 それから20年が過ぎ、この10年は会うこともなく、突然死を知らされた次第だ。
 謹んでご冥福を祈る。
ブックオフと出版業界(ぱる出版)  ブックオフと出版業界(論創社)



14.ヤン・ストックラーサ『スティーグ・ラーソン 最後の事件』(品川亮+下倉亮一訳、ハーパーBOOKS)を読了。

スティーグ・ラーソン 最後の事件』( ミレニアム

 これは出版情報を得ていなかったし、書評も見ていなかったので、書店の文庫コーナーで翻訳刊行を知り、購入してきた一冊である。
 帯文にあるように、まさに「もうひとつの『ミレニアム』」とよんでいいし、著者はラーソンの残した未公開資料のアーカイヴと出合うことで、1986年のスウェーデンのパルメ首相暗殺事件の謎が追跡され、暴かれていく。
 ラーソンが急逝し、『ミレニアム』(ハヤカワ文庫)連作において、首相暗殺事件の解明は途絶えたかに思えたが、ラーソンの遺志はここにその一端が実現されたことになろう。



15.論創社HP「本を読む」〈56〉は「クロソウスキー『ロベルトは今夜』」です。
 『近代出版史探索Ⅳ』は10月上旬発売となります。
近代出版史探索Ⅳ

ronso.co.jp

古本夜話1072 喜多村信節『嬉遊笑覧』と近藤出版部

 喜田川守貞の『近世風俗志』に関して、続けて三回書いてきたので、ここでそれと同時代の、やはり百科全書的な風俗考証の書である喜多村信節の『嬉遊笑覧』にもふれておくべきだろう。喜多村は江戸後期の市井の国学者で、その随筆集成は山東京伝の『骨董集』や柳亭種彦の『用捨箱』の系譜に連なっているし、『近代出版史探索Ⅲ』423などの集古会の人々も同様だと考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20200911150305j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200915114310j:plain:h110(『用捨箱』)近代出版史探索Ⅲ

 『嬉遊笑覧』『世界名著大事典』や本探索1060の『日本文学大辞典』にも解題が見出せるけれど、ここでは柳田国男の『郷土生活の研究法』(『柳田国男全集』28所収、ちくま文庫)をまず参照してみよう。そこで柳田は日本の郷土研究の沿革にふれる中で、『嬉遊笑覧』にも言及している。

世界名著大事典 f:id:OdaMitsuo:20200911105911j:plain:h120

 こういう中でも私たちの推服して措かぬのは喜多村筠庭の『嬉遊笑覧』であった。この一著のみはほぼ随筆・漫談の域を脱して、系統ある一個の専門書と目することができる。明治以後この書を活版にして世に行う企ては何度かあったが、どれも校訂が粗末で、誤脱があり、また引用文と細註を混同したりしているので、愛読を妨げていることが甚だしい。そのために著者の功績が埋もれているのは残念である。「嬉遊」は元来小児の生活という意味で、最初は主として彼等の遊戯と玩具、もしくは童言葉や歌や昔話等を中心にして始めた研究らしかったが、それがだんだん出て行って菓子・餅その他の食物、住居の結構から衣服、女の髪かたちにも及び、または市街の物売り・見せ物、劇場・色町の事も取り入れるようになり、後にその順序を立て直したらしいために、著者の本位は署名にしかこれを窺い得ぬようになったが、とにかくにいわゆる大人君子等の歯牙にかけぬ事項のみを、選りに選って、わざと問題にしたことは争われぬのである。

 この柳田の『郷土生活の研究法』(刀江書院)の刊行は昭和十年なので、明治以後から昭和初期までの『嬉遊笑覧』を「活版にして世う行う企て」をたどってみた。するとそれは『日本文学大辞典』によれば、甫喜山の「我自刊我書」、及び近藤圭造の「存採叢書」に編入され、前者は不明だが、後者は明治三十年の刊行とある。また『世界名著大事典』によれば、少し異なり、近藤瓶城校訂「「我自刊我書本」二冊、六合館の「日本芸林叢書」、吉川弘文館の『日本随筆大成』第2期別巻として刊行されているようだ。ただ柳田もいうように、いずれも校訂は不備とされている。

f:id:OdaMitsuo:20200911113431j:plain:h120 (『郷土生活の研究法』)f:id:OdaMitsuo:20200912115743j:plain:h120

 私はそれらの書誌に通じていないし、校訂に関しても語る素養もないけれど、近藤圭造が刊行した『嬉遊笑覧』を入手している。これはやはり山中共古と集古会のための参考資料として、二十年以上前に古書目録で見つけ、購入したものだ。明らかに新たに製本されたとわかる四六判上下本で千五百ページ、分類ラベルが貼られ、見返しの右上部には「中嶋蔵印」とある書票が見られる。私設図書館、もしくは蔵書家の架蔵するものだったと思われる。

 奥付を確認すると、明治二十年初版、三十六年再版、四十一年三版、著者故人喜多村信節、校訂発行兼印刷人は近藤圭造、発行所は近藤出版部で、いずれも住所は牛込区赤城下町とある。先述の「存採叢書」との関係は不明だが、奥付の右ページに近藤による明治三十六年再校の付記が掲げられているので、それを引いてみる。

 この書ハもと巻首に総目を掲けありしも細目に至りてハ更になかりき又章ハ随筆なるをもて事に臨みてやゝ不便の感も少からさりきよりてコノ再版にハ夫等の不便を補はんがために巻首に細目を出し頁数を付していさゝか見る人の便りとなしたりまた各條の冒頭其の要目を漂記したる標記したる八巻首の細目と相対照して専ら索引の面を計らむか為めなり其の要目の文字の如きハ巳を得ざるものゝ外ハつとめて原文に従へり

 それらの再校に付された「細目」は上巻だけでも四十ページ近くに及ぶので挙げられないし、この混同出版部版に直接当たってもらうしかない。だが、その「総目」だけでも紹介しておくべきだろう。その十二巻は1居処、容儀、2服飾、器用、3書画、詩歌、4武亊、雑伎、5宴会、歌舞、6音曲、翫弄、7行遊、祭祀(仏会)、8慶賀(忌諱)、方術、9娼妓、原語、10飲食、火燭、11商売、乞士(化子)、12禽虫(魚猟)、草木という構成である。

 ちなみに少しばかり「細目」によって「総目」の言葉を補足すると、「容儀」は髪型や化粧、「器用」は日常の生活用品と道具、「翫弄」は遊び全般、「方術」は民間信仰、「乞子」は乞食や遊芸人などを広範に取り上げている。このような「細目」を見ていて連想されるのは、ミシェル・フーコーが『言葉と物』(渡辺一民、佐々木明訳、新潮社)の「序」において、ボルヘスの「シナのある百科事典」からの引用を示し、「まったく異なった思考のエクゾチックな魅力」と「われわれの思考の限界」について述べている部分である。
言葉と物

 いってみれば、『嬉遊笑覧』は『近世風俗志』と異なり、挿絵がまったくなく、すべてが言葉だけで成立しているので、かえって想像をたくましくする「細目」が無数にみつかる。しかもしれは「古書をもて徴とするをいとひて別に一種の学を立てるものあり杜撰といふべしといへり」と始まっているように、古書からの引用と例証に満ちあふれ、まさに江戸後期の百科全書的色彩に包まれている。

 ただ残念なのは私に漢文の素養がないことで、柳田のように、その「序」や文中の多くの漢文を自在に読めれば、さらなる発見へと結びついていくように思われる。さらに私見によれば、柳田の『嬉遊笑覧』体験は後に『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、昭和四年)として結実していったのである。なお『明治大正史世相篇』に関しては、拙稿「田園都市の受容」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)を参照されたい。

(講談社学術文庫) 郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』)

 この拙稿を書き終え、しばらくしてから念のために『出版人物事典』を引いたところ、何と驚くべきことに近藤瓶城が圭造も含めて立項されていたのである。それゆえに最後に示しておく。
出版人物事典

近藤瓶城 こんどう・へいじょう 旧姓・安藤、本名君元
 一八三二~一九〇一(天保三二~明治三四)近藤出版部創業者、『史籍集覧』刊行者。愛知県生れ。儒学を学び、岡崎藩に仕えた。一八七二年(明治五)上京、事業も行うが著述に専念。七八年(明治一一)深川公園の邸内に養嗣子圭造とともに近藤活版所(明治二一、近藤出版部と改称)を開業、主に歴史・地誌の復刻出版をはじめた。八一年(明治一四)には『史籍集覧』の刊行をはじめた。これは塙保己一の影響をうけ古代から近世までの国書を収めたもので、八五年(明治一八)までに正編四六五冊、さらに続編が刊行され、『国史大系』『辞書類従』とともに国史関係の三大叢書といわれる。近藤出版部は大正時代までに百数十点出版したという。


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古本夜話1071 東京出版同志会と『類聚近世風俗志』

 前回書いたように、『類聚近世風俗志』の東京出版同志会版を入手しなければならないので、「日本の古本屋」を検索してみた。すると、東京の文生書院に一冊だけ在庫があり、幸いにして購入できた。しかもそれは『近代出版史探索Ⅲ』545の田中貢太郎の旧蔵書で、送られてきた本の見返しには田中の蔵書印が貼られていたのである。
近代出版史探索Ⅲ

 まず明治四十一年の国学院大学出版部初版との相違を挙げれば、大正二年の再版で一冊本、正価四円であること、表紙には本文の挿絵に似た三人の人物が描かれていること、著者名が喜田村季荘ではなく、守貞となっていること、奥付の編輯者は室松岩雄とそのままだが、発行者は日本橋区檜物町の東京出版同志会代表者の西村寅次郎、発行所は同じく東京出版同志会、検印も同様である。
f:id:OdaMitsuo:20200831115127j:plain:h105(国学院大学出版部)

 その奥付は裏の最終ページには「東京出版同志会発行書籍発売所」リストが掲載されているので、それらをそのまま挙げてみる。もちろんこのリストは国学院大学出版部版にはなかったものである。

*日本橋区通三丁目  成美堂
*  〃  通四丁目  公文書院
*  〃  檜物町   東雲堂
*  〃  数寄屋町  集文館
* 京橋区中橋和泉町  藍外堂
*   〃 本材木町三丁目  求光閣
*浅草区下平右衛門町  盛花堂
*  〃  三好町   大川屋
*横浜市松ヶ枝町  弘集堂

 おそらくこの九店が東京出版同志会を結成し、その経緯と事情は前回の推測の域を出ないけれど、国学院大学出版部から『類聚近世風俗志』の版権と紙型を譲り受け、共同出版したと考えられる。この共同出版形式は『近代出版史探索Ⅱ』226で六盟館の例を取り上げておいたように、複数の出版社が共同で同じ書籍を発行するもので、江戸時代には相合板(あいあいばん)、もしくは合板(あいはん)と呼ばれていた。明治後半からは六盟館のように、合資会社による共同出版も多く見られるようなったのである。

近代出版史探索Ⅱ

 そのことによって製作費と出版リスクの分散、初版をはるかに上回る再版部数、及び流通販売の多様なルートが確保されたはずで、それは初版の六円に対して、再版が四円だったことに反映されえいよう。またさらに付け加えれば、初版は「定価」表示されていたが、再版は「正価」となっていることで、これは東京出版同志会版が印税の発生しない「造り本」であったことを意味している。

 それを確認するために、『出版人物事典』からその代表者の西村寅次郎を引いてみる。
出版人物事典

 【西村寅次郎 にしむら・とらじろう】一八五五~没年不詳(安政二~没年不詳)東雲堂創業者。岐阜県生れ。名古屋で書籍販売業を営むが、一八九〇年(明治二三)上京。京橋区中橋和泉町に東雲堂書店を創業。出版をはじめた。斎藤茂吉の処女歌集『赤光』、石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』、北原白秋『思ひ出』、阿部次郎『三太郎の日記』など、後世に残る名著を出版した。また、一八九六年(明治二九)には、木田吉太郎らと東京日本出版合資会社を設立。実務担当社員となり、『当用日記』『懐中日記』『帝国人名辞典』などを出版した。

 立項の最後のところにある各日記、辞典なども共同出版の試みで、『類聚近世風俗志』もその延長線上に成立しているのだろう。この立項に加え、東雲堂書店には拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)や『近代出版史探索』74でもふれているので、よろしければ参照されたい。ちなみに西村陽吉は寅次郎の養子で、後の長嶋茂雄夫人の祖父にあたる。
古本探究 近代出版史探索

 東雲堂以外でわかっている版元を挙げておくと、成美堂は河出書房の前進、集文館は先の立項に見える木田が設立した版元、盛花堂は後の学参などの岡村書店、大川屋は赤本業界の雄である。弘集堂は明治二十三年創業で、現在でも横浜の伊勢佐木町で書店を営んでいる。公文書院、藍外堂、求光閣は不明だが、東京出版同志会は専門書や文芸書から赤本までを含んだ版元によって成立していたことがわかる。

 それゆえにこれらの版元は取次や書店も兼ねていたことから、流通販売の多様性がうかがわれる。つまり書店や古本屋で販売される一方で、特価本として縁日の露店や夜店などでも売られていたと推測される。しかし当時の出版業界において、『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』にも述べられているように、赤本や特価本は一般的に「低級な本」と見られていたのである。

 それが前回ふれた幸田成友による東京出版同志会版『類聚近世風俗志』と編輯者室松岩雄への非難の大きな要因となったと考えられる。しかも幸田はその実物をよく見ていなかったか、もしくは伝聞によって書いたのかもしれない。幸田の『書誌篇』(『幸田成友著作集』第六巻所収)における綿密な書誌のたどり方からすれば、国学院大学出版部版と東京出版同志会の双方を見て、テキストを参照し、さらに後者の「東京出版同志会発行書籍発売所」リストの検証を経るべきである。しかしそれらはまったくなされず、赤本や特価本ゆえの「低級な本」という先入観に捉われ、これも前回ふれた「外題替」のような一文を書くに至ったのではないだろうか。
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 さらにまた東京出版同志会版以後も、同じ赤本や特価本業界の「造り本」として、『類聚近世風俗志』が、文潮社書院(大正四年)、朝陽舎書店(同五年)、榎本書房(昭和二年)、魚住書店(同三年)、更生閣書店(同九年)と繰り返し出版され続けたことにも起因しているのかもしれない。

f:id:OdaMitsuo:20200913204729j:plain:h120(文潮社書院版)


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◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1070 幸田成友と『守貞謾稿』

 国学院大学出版部から刊行された『類聚近世風俗志』に対して、編者の室松岩雄が「序」で挙げていた「学会若しこれによって其の闕を補ひ、其の漏を充すことを得ば、吾人の幸又何ぞこれに過ぐるものあらん」との思いは通じたのであろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200831115127j:plain:h110(『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』、国学院大学出版部)

 その出版に先駆け、幸田成友は書いている。彼は『大阪市史』の資料収集のために、上野の帝国図書館を訪れ、挿絵も本文も自筆である「細字の筆与本」「一大風俗志の稿本」に出会い、「守貞謾稿とその著者」(『幸田成友著作集』第六巻所収、中央公論社)を披露している。そこで守貞の「目録」も挙げ、「本書の特色」は「大阪、京、江戸三都を比較して記述した点」で、その例として「巻五飛脚屋」の部分を引用している。ちなみにまったく偶然ながら、昨夜DVDで、丸根賛太郎監督、市川右太衛門主演『天狗飛脚』(「日本名作映画集」39、Cosmo Contents)を観たばかりだ。

f:id:OdaMitsuo:20200901112323j:plain:h120 天狗飛脚

 それはともかく、幸田は「今之を謄写しようとすると、挿画の多いため、大略百五十円以上もかかると云ふ見込なので、『大阪市史』編纂掛に欲しいことは山々であるが、また謄写に着手する交渉になつて居ない」と述べている。これは『図書館雑誌』第四号(明治四十一年十月)に掲載されたもので、まだ国学院大学出版部の『類聚近世風俗志』は出ておらず、幸田にしても、その出版企画や近刊情報をつかんでいなかったことになる。知っていれば、「大略百五十円以上」ではなく、わずか上下巻六円で入手できるのだから、ただちに発注し、『大阪市史』編纂の寄与としたであろう。

 ところが編者の室松は幸田の「守貞謾稿と著者」を読んでいて、「序」に幸田の「守貞と云ふのは著者の名で、喜田川は北川を同君の美しい文字に改めたものと思はれる」の言を引用している。そしてその「序」と「緒言」はいずれも明治四十一年十一月付で記されていることからすれば、室松は幸田の同文を読み、ふまえた上で両者を書いているとわかる。

 それから四半世紀が過ぎ、幸田は「外題替」(『同著作集』第七巻所収)の中で、『類聚近世風俗志』に再び言及している。こちらは『書物展望』第五巻第一号(昭和十年一月)に掲載である。そこで幸田は徳川時代に外題替の実例が少なくなく、それは「不真面目な本屋が既刊の書物を新版の如く見せかけて、顧客を索かうとする計略で、その目的は射利以外に無い」とし、次のように続けている。

 かういふ悪弊が残つてゐるとすれば、それは現代の出版界の恥辱である。果して射利を目的としたか、どうか、そこまで言へぬが、(中略)明治四十一年に東京出版同志会なるものが『守貞謾稿』を出版し、『類聚近世風俗志』と改題した。(中略)然も同書の奥付を見ると、編輯者室松岩雄とある。故人の著者を復刻しながら、室松氏が自ら編輯者と称するのは甚だ奇怪である。室松氏は抑も何を編輯したのであるか、原本の巻数を分合し、順序に変更したのが編輯であるといふなら、我等はまた何をか言はんやである。

 幸田は『近代出版史探索Ⅲ』420の欣賞会のメンバーで、その著作集の第六巻が『書誌編』と銘打たれているように、彼の書誌学者としての業績、及びその碩学を認めるにやぶさかではないけれど、室松がここまでけなされると気の毒に思われる。それもあって、前回室松の「序」と「緒言」におけるまったく「射利」的でないエディターシップを紹介しておいたのである。
近代出版史探索Ⅲ

 もちろん私も『守貞謾稿』の実物は見ていないが、幸田にしてもその稿本を手にしたのはかなり前で、両者を比較検討した上でのものではない。なぜならば、「細字の筆写本」に加え、多くの挿絵がある「一大風俗志」の編輯と校丁は、「大略百五十円以上もかかる」「謄写」どころではない労力を必要とすることは自明のことだからだ。それを無視して、著者と自分の意図する『守貞謾稿』として出されなかったことに起因する非難は、編輯者室松への強い偏見と思いこみによるものと見なすべきではないだろうか。

 それらの事情を推理してみると、幸田は見たのは国学院大学出版部版ではなく、東京出版同志会版だったことに端を発しているように思われる。それに幸田のポジションからしても、大学出版部に対して、「現代の出版部の恥辱」という発言はなされないであろう。それならばその真相は何か。江戸を再見するエンサイクロペディアとも称すべき『類聚近世風俗志』の出版は時期尚早の企画で、それに長期の編集費、また流通販売の不得手な国学院大学出版部ということも重なり、まったく売れなかったし、それは幸田にしても編集や出版の企画情報をつかんでいなかったことに示されていよう。その結果、編集製作費も含め、原価回収もおぼつかなった。あるいはまた大学出版部として、ふさわしくない書物という評判も立ったのかもしれない。

 そこでその資金を捻出するために、東京出版同志会なる特価本業界に紙型が売られ、明治四十一年の初版日付と編輯者室松岩雄はそのままで、発行所が東京出版同志会と変えられた。そして様々な版が、書店というよりも特価本ルートによって流通販売されていく。その際にクローズアップされたのは第十八編の「妓扮」=遊女、第十九、二十編の「娼家」で、これらはとりわけ大きな挿絵も多く、『守貞謾稿』は「近世性風俗史」として受容されていったように思われる。

 それによって『類聚近世風俗志』も幸田の思いだけでなく、その内実とかけはなれ、赤本的イメージが付着してしまった。そのために幸田による「外題替」のような、編輯に対する誤解も生じてしまったのではないだろうか。それを確認するためには東京出版同志会版を入手しなければならない。


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古本夜話1069 室松岩雄、国学院大学出版部、喜田川季荘『類聚近世風俗志』

 前回既述したように、 久保田彦作『鳥追阿松海上新話』を読むに際し、前田愛の「注釈」を参照している。それで気づいたのだが、その主要な部分は多くが喜田川季荘の『近世風俗志』、別名『守貞漫稿』を出典とするもので、前田はそのタイトルとして、後者を挙げている。しかし巻末の「参考文献」にその書名は含まれていない。
鳥追阿松海上新話(『鳥追阿松海上新話』国文学研究資料館、リプリント版)

 『守貞漫稿』は『世界名著大事典』(平凡社、昭和三十六年)で、著者を喜田川守貞として立項されているが、その解題は一ページ近くに及ぶ長いものなので、簡略に抽出してみる。著者の喜田川は江戸時代の人物で、文化七年大坂に生まれ、天保十一年に居を江戸に移したことは判明しているけれど、経歴、家職、没年などは定かでない。『守貞漫稿』は幕末期における江戸、大坂などの市井風俗、民間生活の見聞筆録、風俗史的考証研究で、それは天保八年に稿を起こし、嘉永六年に至るまでの十七年間に及び、さらに慶応三年の追記も含まれている。
世界名著大事典

 明治三十四年に浅草の書林の朝倉屋を通じて八十円で東京帝国図書館に納められた。そして稿本のまま収蔵され、貴重書に数えられていたが、松本愛重、山本信哉の監修、室松岩雄、古内三千代、保持照次の編集、校訂により、新たな目録を付し、上下二冊の体裁を整え、刊行された。ただ『世界名著大事典』はそれが『守貞漫稿』だけのタイトル出版でなかったことからなのか、版元などの書誌情報を記載していない。

 実はこれが手元にある。三十年ほど前に山中共古のことを調べるに当たって入手したもので、後に の編集参考資料となっている。現在であれば、宇佐美英機校訂『近世風俗志』 (全五巻、岩波文庫)が便利なのだが、当時はこの最初の版か、朝倉治彦編『守貞漫稿』(全三巻、東京堂出版)しかなく、古書目録で前者を見つけ、入手したのだと思う。前田愛注釈の『鳥追阿松海上新話』収録の『明治開化期文学集』は昭和四十五年刊行だから、彼の使用した『守貞漫稿』も同じだと見なしていい。

見付次第/共古日録抄 近世風俗志(岩波文庫版) f:id:OdaMitsuo:20200831145535j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200825091852j:plain:h110

 同書の正式なタイトルは『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』で、明治四十一年に発行所を東京市麹町区飯田川五丁目の国学院大学出版部、発行者を目黒和三郎、編輯者を村松岩雄として、上下巻で刊行されている。本扉裏には「国学院大学出版部〓(一字不明)」の朱印が大きく印刷され、同書が国学院大学出版部の嚆矢、もしくは満を持しての刊行であることを示しているかのようだ。同大学出版部の書籍はこの『類聚近世風俗志 』しか見ていないけれど、「国学院大学叢書」第一編の芳賀矢一編『日本趣味十種』(文教書院、大正十四年)は所持している。これにもやはり山中共古の「古銭の話」が収録されているからだ。このような事柄から推測すると、国学院大学は明治末期に出版部を立ち上げたが、長く続かず、大正時代に入って、出版物の流通と販売は、『日本趣味十種』を例とする文教書院などの外部の版元へと委託するようになったのかもしれない。
f:id:OdaMitsuo:20200831115127j:plain:h110(『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』、国学院大学出版部)f:id:OdaMitsuo:20200831120225j:plain:h110

 それらのことはさておき、『類聚近世風俗志』上下巻を見てみよう。私の架蔵本は菊判上製の裸本だが、それぞれ定価三円であるので、おそらく函入だったはずだ。編者はその序で、徳川の文化文政以後の泰西文物を詳述した記録はないと思っていたという前文に続けて、次のように述べている。

 然るに頃日図らず一書を得たり、守貞漫稿と云ふ。故喜田川季荘の筆になりて、其の載せたる所の編目は、先づ筆を時勢地理、人事家宅、生業通貨に起し、男女の扮粧、服装染織の変遷、華街狭斜の風情、歌舞音曲、梳沐傘屣、四季の慣例、日用の雑貨、童謡遊戯車駕に至るまで、洽く当時の社会の状態を写し来つて、前後三十余巻に及べり。殊に文化文政以後の情況を叙すること、頗る詳密を極む。盖しこれ著者深意の存する所こゝにあらむ。

 そして判明した限りでの喜多川と本稿の紹介を終えた後、「かく著者が一代の心血を注ぎ、畢生の脳漿を絞りしにも係らず、稿本の空しく筐底に納められて、徒らに蠧魚の巣窟に委せられんことを遺憾とし、茲に類聚近世風俗志と題し全編を刊行して之を江湖に分たむとす、学会若しこれによつて其の闕を補ひ、其の漏を充すことを得ば、吾人の幸又何ぞこれに過ぐるものあらん」と結ばれている。

 また「緒言」においては東京帝国図書館の貴重書のひとつである。ただ前集三十巻、後集四巻追補一巻の計三十五巻だが、そのうちの第二巻と第十七巻を欠いていると明記され、それを喜多川作成の「目録」で確認すると、「地理」と「女服」の二巻だとわかる。また「挿入せる絵画は一旦原書のまゝに謄写し、さらに之を写真により縮写彫刻して一も漏さず」とあり、挿絵がそのまますべて転載されたことも了解される。それから「巻首に細密な目録を付し索引に便ならしめたり」は新たに起こした目次を意味している。これは随筆であるから、表題もない場合も多く、それらを「要所」、もしくは「見出し易き語句」を抽出し、上巻だけでも五百を超える「目録」としたとの断わりも付されている。

 これらの「序」と「緒言」は、奥付に編輯者としてある室松岩雄の手になると判断できよう。先に監修者として松本愛重、山本信哉、編集、校丁者として、室松の他に古内三千代、保持照次の名前を挙げておいたけれど、主たる室松のことも消息がたどれない。監修者の松本に関しては、昭和十年の集古会名簿『千里相識』(書肆研究懇話会編、『書物関係雑誌細目集覧一』所収、日本古書通信社)に見出すことができる。それによれば松本は賛助会員で、安政四年生まれ、元学習院教授、現在同学院大学教授、「多年古事類苑編纂に従事」とある。また山本も同様で、国学院教授も務めている。ちなみに『世界名著大事典』の『古事類苑』を引くと、松本が明治十二年から四十年にかけての、主たる編集者だったことが述べられている。

 これらのことを考えると、室松たちの名前は『千里相識』にはないので、彼らは集古会関係者というよりも、『古事類苑』編集者で、『守貞漫稿』の単独出版を企画し、それが松本や山本を通じて国学院大学出版部の設立へともつながっていったのではないだろうか。


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