出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1267 天人社「世界犯罪叢書」と松谷与二郎『思想犯罪篇』

 前々回の天人社に関して、もう一編続けてみる。この版元に関しては拙稿「小田律と天人社」(『古本探究Ⅲ』所収)で、ヘミングウェイ、小田律訳『武器よ・さらば』の初訳などに言及し、不完全ながら『現代暴露文学選集』や「新芸術論システム」の内容を紹介しておいたけれど、その全貌は定かではなかった。しかし最近になって股旅堂の古書目録で、やはりシリーズの「世界犯罪叢書」の一冊である松谷与二郎の『思想犯罪篇』を入手し、これも昭和五年の『現代暴露文学選集』に続く同六年の企画だし、リンクしていると考えられる。何よりも『同選集』にちなんでか、『日本近代文学大事典』においても、「小説の仮定よりも、生々しい現実の魅力だ。エログロも、その極端(ウルトラ)は犯罪だ」という広告コピーも引かれているので、ここで書いておきたい。その前にこの「世界犯罪叢書」の明細を示しておく。

 (「新芸術論システム」) 

1 松谷与二郎 『思想犯罪篇』
2 江戸川乱歩 『変態殺人篇』
3 大佛二郎 『スパイ篇』
4 松本泰 『情痴殺人篇』
5 千葉亀雄 『復讐・陰謀篇』
6 小牧近江 『暗殺篇』
7 前田誠孝 『謎の殺人篇』
8 永松浅造 『性欲殺人篇』
9 松本泰 『欲の殺人篇』
10 大佛次郎 『大盗伝』

 

 ただしこのリストは1を入手したことによって、その巻末広告で判明したものであり、『全集叢書総覧新訂版』で確認してみると、このうちの五冊は刊行されたが、中絶してしまったようだ。そのうちの既刊は1、2、3、4、7の五冊だが、未見であり、3は『軍事探偵篇』とタイトルが代わっているようだ。それもあって、「世界犯罪叢書」は松谷の一冊だけに言及するにとどめる。

全集叢書総覧 (1983年)

 この『思想犯罪篇』はタイトルからもうかがわれるように、「難波大助大逆事件」「高松小作争議事件」「無政府主義爆弾事件」「日本共産党史」「幸徳秋水大逆事件」「大本教事件」などの、明治末から昭和初期にかけての思想にまつわる事件を個別に取り上げている。それらの事件の当事者たちの口絵写真は付されているのだが、「まえがき」「あとがき」もないので、読んでいくと、「私」が立ち会った事件に関するレポートであることが伝わってくる。

 そこで松谷を『近代日本社会運動史人物大事典』で引いてみると、立項されていたので、それを要約しておく。松谷は明治十三年金沢市生まれで、苦学して明治大学法科を卒業し、大正三年頃から社会運動の弁護士としての活動を始め、同十年に自由法曹団の創立に参加する。そして十二年の難波大助虎ノ門事件に花井卓蔵などとともに官選弁護人に選ばれ、翌年の香川県伏石の小作争議主任弁護士を務めている。また日本労農党などの幹部ともなり、昭和五年には衆議院議員に当選している。

近代日本社会運動史人物大事典

 これが『思想犯罪篇』上梓時の松谷のプロフィルということになり、かれは国会議員兼弁護士として、この一冊を刊行したといえる。しかし『同大事典』には著者や参考文献として挙げられていないことからすれば、この『思想犯罪篇』は代作に位置づけられているのかもしれない。

 それでも松谷が直接弁護士として裁判に立ち会った「難波大助大逆事件」や「高松小作争議事件」はリアルな記述に充ちているし、ここでは前者にふれてみよう。この事件は関東大震災後の大正十二年十二月に起きた虎ノ門における天皇への銃撃で、「全国民を震駭せしめたいわゆる山口藩士難波大助にかゝる一大不敬事件」だった。松谷は記している。「明治の幸徳秋水一味のそれに継ぐ重大事件で、直ちに特別事件として司直の手に委ねられ、私は花井卓蔵、今村力三郎、岩田重三氏とともに、この大逆犯人難波大助の官選弁護人を命じられたので、此の事件の経過を、親しく此の眼で視、此の耳で聴いた」と。

 そして松谷は事件の翌年、すなわち大正十三年における大助との最初の面会について語り出す。何と驚くことに初対面の弁護士に大助は、「松谷先生ですか」と呼びかけたのである。彼は以前から松谷を知り、その演説も聞いていたし、社会運動に理解を持つ弁護士を望んでいたのである。これが最初の会見で、続いて松谷は大助の家庭、犯罪の動機、刑死に至までの経路を詳説していく。それは『思想犯罪篇』の四分の一以上を占める一一五ページに及び、この「難波大助大逆事件」がこの一冊のコアに他ならなかったことが伝わってくる。「世界犯罪叢書」の企画そのものも、その最初の巻における「難波大助大逆事件」を目玉として成立したのではないだろうか。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1266 牧野信一『鬼涙村』

 前回に下村千秋に言及したこともあり、ここで牧野信一にもふれておきたい。牧野は下村や浅原六朗と異なり、『現代暴露文学選集』には名前を連ねていないけれど、彼らは大正八年創刊の同人誌『十三人』の中心メンバーだった。しかも下村や牧野ほどではないけれど、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」の解題において、意外なことに半ページが割かれ、大正時代の早稲田系同人誌の中でも評価が高いことを教えられた。下村や牧野も『十三人』発表の作品を通じ、志賀直哉や島崎藤村に認められ、新進作家の道を歩んでいったとされる。それに『近代出版史探索Ⅴ』821の新潮社『現代仏蘭西二十八人集』の訳者谷口武にしても、『十三人』の同人に加わっていたのである。

 (『現代仏蘭西二十八人集』)

 またそれらに加えて、最近続けて八木書店の地下で、沖積舎の復刻版の牧野信一『鬼涙村』『酒盗人』を入手し、かつて人文書院版『牧野信一全集』全三巻をそれなりに愛読していたことを想起してしまった。『鬼涙村』『酒盗人』はいずれも初めて手にするもので、牧野の自死と時期を同じくする昭和十一年二月と三月に自選作品集として、『近代出版史探索Ⅳ』762の芝書店から刊行されている。この二冊の出版は牧野の没後の昭和十二年の第一書房版『牧野信一全集』全三巻に先駆ける作品集でもあった。

  (第一書房版)

 ここでは両書にふれられないので、牧野の代表作とされる『鬼涙村』のほうを取り上げたい。その前に『鬼涙村』の函に関して述べておけば、黒一色でタイトルと著者は白抜きで示され、そこに縦に白いのしがかかっているような装幀で、不吉というしかない。同書は「月あかり」から始まる十六編が収録されているが、そのうちの「城ヶ島の春」などの四編は随筆であり、『酒盗人』と同じ純然たる短編集ではない。それに昭和十年の「文学的自序伝」(『新潮』)まで含んでいることを考えれば、短編だけの『酒盗人』と異なる意味での牧野の晩年を集成した自選作品集といっていいのかもしれない。あらためて『鬼涙村』を読み、それを実感してしまう。

 同書には世評に高いギリシア的物語「ゼーロン」から幻想小説「鬼涙村」まで十二の短編の集積だが、ここではタイトルとなった後者を論じてみる。この「鬼涙」というトポスは小田原駅から見える山峡の沼の名前として、すでに「ゼーロン」でも出現していたし、「鬼涙村」もその一帯を舞台としていると見なせよう。「鬼涙村」は「鵙の声が鋭くけたたましい。萬豊の栗林からだが、まるで直ぐの空でもあるかのやうにちかぢかと澄んで耳を突く。けふは晴れるかとつぶやきながら、私は窓をあけてみた」と始まっている。語り手の「私」は御面師の水流(つる)と鬼涙村の酒倉の二階に同居し、萬豊の芋畑で開かれることになっている音頭小唱大会のあめの鬼、天狗、ひよつとこ、狐、将軍などの御面作りに励んでいた。それは大会出場が「素面」ではなく、「仮面をかむつて、――といふ智恵がつくと、われもわれもと勇み立つた」のであり、村の名誉職、分限者、教職員たちも乗気になり、出場を決意したのである。なぜならば、鬼涙村の「永年の弊風」として、反感を買った者は「擔がれる」というリンチに処せられたので、御面をかぶることでそれを逃れられると考えたからである。

 ところが村の雲行からすると、「私」がその対象と目され、すでに花見の夜に萬豊が御面をかぶった連中に「擔がれる」光景を目の当たりにし、「支那かアフリカの野蛮人のやうな」「残酷なる処刑」を見ていた。それを目撃し、立ち去らなかったことも「リンチの候補者」に挙げられる理由となっていたのだ。その他にも狙われている「法螺忠」「スッポン」「親切ごかし」「障子の穴の猿」といった人々に「私」と御面師は御面をとどけながら、彼らの「憎むべき人物」としての「さまざまな諸行の不誠実さ」をうかがうことができるのであった。外来者の目に映る鬼涙村が内包する無気味さが滲み出てくるようで、「ゼーロン」のギリシア的社会からいきなり日本の土俗的な共同体へと連れ戻されたイメージを突きつける。それは昭和十年代に入っての日本の社会のイメージの変容、もしくは牧野の自死とも連鎖しているのだろうか。

 私は『牧野信一全集』を読んでいた頃、同時に『吉行淳之介全集』(全八巻、講談社、昭和四十六年)を愛読していて、その吉行が『牧野信一全集』の「月報Ⅰ」に「牧野信一ファン」と題する一文を寄せていたことを思い出す。彼も芝書院版『鬼涙村』を読んでいたにちがいない。その牧野の「自虐と自恃の心象風景」に対する吉行のオマージュのコアの部分だけを示す。

牧野信一全集〈第1巻〉創作 (1962年) (人文書院)

 地上はカーキ色の軍服と国民服の氾濫で、空は日夜B29で覆われている日常生活においては、老馬「ゼーロン」にまたがって「鬼涙村」へ出発することは、けっしてたわいのない夢でも、また逃避でもなくて、むしろ積極的な行動であった。ここに、牧野信一が戦争中私たちの年代の一部を熱烈に惹きつけた理由がみられるとおもう。

 しかもというべきか、戦後を迎えて吉行は大学を中退し、新太陽社に勤め、『モダン日本』などの編集者となるのだが、その社長は牧野信一の弟で、後に『牧野信一全集』を川上徹太郎、山本健吉とともに編むことになる牧野英二だったのである。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1265 下村千秋『ある私娼との経験』と平輪光三『下村千秋 生涯と作品』

 前回、天人社の『現代暴露文学選集』をプロレタリア文学シリーズのひとつとして挙げたが、これはすでに『近代出版史探索Ⅱ』394で取り上げていることを思い出した。

 そこで言及したのはその一冊の中本たか子『朝の無礼』で、彼女がプロレタリア文学者にして蔵原惟人の夫人であり、『現代暴露文学選集』の編集者がやはり『同Ⅱ』392の鎌田敬止だとも指摘しておいた。ただその際にはまたの機会もあるはずだと考え、全十巻の明細をリストアップしておかなかったのだが、残念ながら、その後再び『現代暴露文学選集』に出会っていないのである。

 しかしこのような機会を得たこともあり、『現代暴露文学選集』の興味深いメンバーと各作品集のタイトルをラインナップしてみよう。『日本近代文学大事典』第六巻「叢書・文学全集・合著集総覧」の解題によれば、「昭和の初期、暴露もの、ルンペンものなどは一種の流行現象でもあった。とくに下村千秋はその中心人物」で、「これ正に現世の地獄絵巻」「或る売笑婦の、或は農民の、或は鉱山の、或は工業の、或は軍隊の、或はサラリーマン、或は労働者の、それぞれの暗澹、悲惨、奇怪、醜悪なる内幕を描いたシリーズとされる。

1 浅原六朗 『或る自殺階級者』
2 岩藤雪夫 『工場労働者』
3 黒島伝治 『パルチザン・ウオルコフ』
4 佐々木俊郎 『熊の出る開墾地』
5 下村千秋 『ある私娼との経験』
6 武田麟太郎 『暴力』
7 橋本英吉 『炭坑』
8 中本たか子 『朝の無礼』
9 藤沢桓夫 『生活の旗』
10 細田源吉 『巷路過程』

3 5  7

 このうちの8の中本たか子『朝の無礼』しか購入していないけれど、7の橋本英吉は『近代出版史探索Ⅴ』855、9の藤沢桓夫は本探索1262でふれたばかりだし、他の作家や作品も、新日本出版社の『日本プロレタリア文学集』(全四十巻、別巻、昭和六十年)において、多くを読むことができる。それに中心人物とされる5の下村に関しては、かなり以前に平輪光三『下村千秋 生涯と作品』(崙書房、昭和五十年)を入手している。同書には下村の「流行作家時代」という一章も設けられ、『ある私娼との経験』への言及も見出されるので、それをたどってみる。

日本プロレタリア文学集 2 初期プロレタリア文学  

 その前に下村の「流行作家時代」に至る簡略なプロフィルを示しておこう。明治二十六年茨城県生まれ、大正八年早大英文科卒。読売新聞記者を経て、牧野信一、浅原六朗たちと同人誌『十三人』を創刊し、小説を発表する。昭和に入って興隆してきたプロレタリア文学の社会悪暴露の風潮に刺激され、同伴者作家としてルンペンや私娼を取り上げ、「ある私娼との経験」(『文藝春秋』)や「浮浪児」(『中央公論』)などを発表し、ルンペン文学の先駆となった。

 意外なことに『日本近代文学大事典』における下村の立項は一ページを占め、代表作とされる『天国の記録』(中央公論社、昭和六年)などがもたらした波紋と影響、「流行作家時代」の名残りを伝えているようで、戦後の筑摩書房『昭和小説集(一)』(『現代日本文学全集』)86、昭和三十二年』にも収録されている。

(『天国の記録』)現代日本文学全集〈第86〉昭和小説集 (1957年)

 天人社の『ある私娼との経験』は未読だが、この短篇は平輪の著作に要約が提出されているので、それを示す。主人公の「私」は悪友のKに誘われ、私娼のとみ子を知り、その身の上話を聞く。すると彼女は女工として働いていたが、十七の春に父のために料理屋に売られたのが始まりで、だるま屋、女郎屋、カフェーを転々とし、最後にこの私娼窟に流れてきた。ところが私娼特有の病気も重く、入院したので、「私」は訪ねていくようになり、彼女を私娼窟に帰す気になれず、身受けし、東京から離れた鉱泉宿へと連れ出した。それから「私」は彼女を東京へと戻し、学生時代の下宿屋に頼み、隠れているように伝えたが、そのうちに下宿から姿を消してしまった。そこでKに頼み、元の私娼窟に見にいってもらった。やはり彼女はそこに舞い戻っていたのであり、Kはいうのだった。「僕から見れば地獄のやうな所でも、彼女たちには案外極楽かも知れんぞ」と。

 これはラフスケッチにすぎないが、平輪のほうはより丁寧な要約の後で、次のように述べている。

 千秋は、この小説の中で、業者がどんな風に女達から搾取するか、警察と業者との馴れ合、女を食い物にする男などを計数的に暴露している。随って報告文学的な傾向もあって文学的感銘に迫力を欠くばかりでなく、描写も平面的なのが気になる。しかし、この短い小説が、所謂暴露文学のひとつの発端となったことの意義は少なくない。この小説は二年後の昭和五年、プロレタリア文学の諸作家と共に、天人社が出版した「現代暴露文学全(ママ)集」の中の一冊として『ある私娼との経験』の書名で発刊されたが、風俗描写のため発禁となり、収録作品を替え、『明るい暗黒街』と改称して再刊した。

 

 そこで『発禁本Ⅲ』(「別冊太陽」)を見てみると、確かに『ある私娼との経験』が書影入りで見出される。それもあって、『近代出版史探索Ⅵ』1098の『明治大正文学全集』52の『細田民樹・細田源吉・下村千秋・牧野信一』(昭和六年)の下村作品が「ある私娼との経験」ではなく、同書の「ドナウ・ホテルの殺人」のほうが収録となっていることを了承するのである。

発禁本 (3) (別冊太陽)

odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル168(2022年4月1日~4月30日)

22年3月の書籍雑誌推定販売金額は1438億円で、前年比6.0%減。
書籍は944億円で、同2.7%減。
雑誌は494億円で、同11.7%減。
雑誌の内訳は月刊誌が419億円で、同12.4%減、週刊誌は75億円で、同7.5%減。
返品率は書籍が23.8%、雑誌は39.3%で、月刊誌は38.9%、週刊誌は41.4%。
雑誌のマイナスは10ヵ月連続で、週刊誌も同様であり、月刊誌のほうは9ヵ月連続だが、返品率に至っては書籍と異なり、まったく改善が見られず、ほぼ40%を超えたままで推移している。
書店売上も21年秋以降、きびしい状況下にあり、さらにこのような書店売上が続けば、どのような事態が生じていくのだろうか。


1.『出版月報』(3月号)が特集「文庫本市場レポート2021」を組んでいる。
 その「文庫本マーケットの推移」を示す。

■文庫マーケットの推移
新刊点数推定販売部数推定販売金額返品率
増減率万冊増減率億円増減率
19995,4612.3%23,649▲4.3%1,355▲1.0%43.4%
20006,09511.6%23,165▲2.0%1,327▲2.1%43.4%
20016,2412.4%22,045▲4.8%1,270▲4.3%41.8%
20026,155▲1.4%21,991▲0.2%1,293 1.8%40.4%
20036,3733.5%21,711▲1.3%1,281▲0.9%40.3%
20046,7415.8%22,1352.0%1,3132.5%39.3%
20056,7760.5%22,2000.3%1,3392.0%40.3%
20067,0253.7%23,7987.2%1,4165.8%39.1%
20077,3204.2%22,727▲4.5%1,371▲3.2%40.5%
20087,8096.7%22,341▲1.7%1,359▲0.9%41.9%
20098,1434.3%21,559▲3.5%1,322▲2.7%42.3%
20107,869▲3.4%21,210▲1.6%1,309▲1.0%40.0%
20118,0101.8%21,2290.1%1,3190.8%37.5%
20128,4525.5%21,2310.0%1,3260.5%38.1%
20138,4870.4%20,459▲3.6%1,293▲2.5%38.5%
20148,6181.5%18,901▲7.6%1,213▲6.2%39.0%
20158,514▲1.2%17,572▲7.0%1,140▲6.0%39.8%
20168,318▲2.3%16,302▲7.2%1,069▲6.2%39.9%
20178,136▲2.2%15,419▲5.4%1,015▲5.1%39.7%
20187,919▲2.7%14,206▲7.9%946▲6.8%40.0%
20197,355▲7.1%13,346▲6.1%901▲4.8%38.6%
20206,907▲6.1%12,541▲6.0%867▲3.8%35.3%
20216,639▲3.9%11,885▲5.2%831▲4.2%34.3%

 新刊点数は7年連続、販売部数と金額はいずれも9年連続のマイナスで、返品率は多少改善されているように見えるが、新刊と発行部数の減少によっているのだろう。
 2000年に比べて、すでに販売部数は半減しているし、販売金額にしても、来年は800億円を下回り、こちらも半減に向かっている。雑誌と同じ道をたどっているのである。
 本クロニクルで繰り返し記述してきたように、書店売上は雑誌、文庫、コミックによって支えられてきた。その雑誌と文庫が凋落し、コロナ禍において神風のごときベストセラーが続いたが、その反動で、コミックもマイナスになっている。
 つまり、雑誌、文庫、コミックの3分野がマイナスという事態が書店を直撃しているし、それは取次のポスレジ売上調査データに明らかだ。
 書店の破産や閉店が増えていくことが予想される。



2.焼津谷島屋が民事再生を申請。
 同社は1935年創業で、書店4店、雑貨店の「スワンキーマーケット」16店を展開していた。負債は16億円。
 浜松の谷島屋が資本、人的関係はないが、書店事業を継承すると表明。

 まさにを書き終えたところに、このニュースが伝わってきたので、続けて取り上げた次第だ。この浜松の谷島屋による支援スキームは静岡、磐田谷島屋に続く三度目のもので、教科書販売などの地域への影響を考慮してとの表明だが、日販による根回しがベースになっているのだろう。
 例によって問題の先送りスキームに他ならない。マルクスではないけれど、「三度目の正直」「仏の顔も三度」という使い古されたタームを思い浮かべてしまう。
 しかし20店で売上高15億円、負債16億円という状態では、雑貨店はもちろんのこと、書店事業も赤字だったと見なすしかない。
 本クロニクルの観測としては、学参期の4月、5月以降の書店状況が問題だと考えていたが、焼津谷島屋の場合、大きな売上が確実に予測できる学参期すらも越えられなかったことになろう。



3.日販GHDの小売事業を担うNICリテールズは、ホビーやメディア商材のリユース業のエーツーと、駿河屋ブランドの店舗開発と運営支援のための合弁会社「駿河屋BASE」を設立。
 設立に先がけ、2020年からNICリテールズ傘下のグループ書店と駿河屋を複合した店舗展開をする一方で、日販はエーツーの複合メディアリサイクルストア「ブックマーケット」の新刊文庫やコミックの取次となっていた。
 NICリテールズと駿河屋は「駿河屋BASE」を通じて、「持続可能な書店」のパッケージを開発し、26年度までに70店の店舗開発を計画している。
  NICリテールズ傘下のグループ書店はリブロプラス、ブラス、いまじん白揚、積文館書店、Y・space、クロス・ポイントで235店。

 NICリテールズ傘下書店内の駿河屋は見ていないけれど、静岡絡みでいうと、戸田書店本店の道を隔てた真向かいにあり、かつては戸田書店との関係も囁かれていた。しかし戸田書店は閉店へと追いやられたが、駿河屋のほうは健在である。
 その印象からすると、駿河屋は確かにホビーやメディア商材の総合的リユース業で、DVDに関しては限定版セットも売られていて、明らかにメーカーの在庫処分販売のように思われた。半値以下だったので、私もかなり買い求めている。
 だが日販の新たなリユース事業ということであれば、日販とCCC=TSUTAYA、ブックオフの関係はどうなっていくのだろうか。



4.日販は日販GHDの中三・エス・ティから文具仕入機能、書店販売事業を吸収分割により承継し、合わせて文具雑貨商品部を新設し、本部体制として文具雑貨の営業、流通機能を強化する。
 奥村景二社長は今年を「日販のマーケティング元年」と位置づけ、「文具雑貨の書店マーケットのさらなる拡張を目指す」と表明。
 同時に新設となったのは、マーケティングを通じ事業活動を推進する体制としてのマーケティング本部、生活者起点の新たな価値創造を実現する体制としてのプラットフォーム創造事業本部である。

 皮肉なことに、その文具雑貨商品本部がスタートした矢先に、焼津谷島屋の民事再生が申請されたことになる。
 しかも焼津谷島屋の民事再生は書店よりも雑貨店の「スワンキーマーケット」の多店舗展開が主たる要因とされているし、粗利益は高くても、出版物と異なり、委託商品ではないことも重なっていよう。
 結局のところ、閉店を上回る出店が続けば、文具、雑貨在庫のローリングも可能だが、出店できなくなれば、たちまち不良在庫が積み重なってしまう。
 近年のTSUTAYAの大量閉店でも同じことが起きていたであろうし、その問題と3の「駿河屋BASE」も無関係ではないと推測される。



5.CCCの21年書籍雑誌販売金額は1376億円、前年比4%減。
 新規店、新規加盟店はフタバ図書など38店舗。

 本クロニクル164で、CCCの20年書籍雑誌販売金額が過去最高の1427億円、店舗数は1060店で、1店当たりの月商にも言及しておいた。
 今回の発表で、新規店数などは明らかだが、現実の店舗数は出されていない。最近でも相変わらず閉店は続いているし、どのように操作しても、20年の過去最高を上回ることはもはやないだろう。
 レンタル複合店とFCシステムをコアとするCCC=TSUTAYAのビジネスモデルの再生は不可能だろうし、文具、雑貨売場併設にしても、難しいことは焼津谷島屋の例を見たばかりだ。
 それよりもここで気になることを書いておきたい。これは本クロニクル163で、近隣にあるTSUTAYAの昨年の閉店を既述しておいた。それは300坪ほどの店舗だったが、何とその後のテナントはゲオの2nd STREETであり、この5月に開店するという。
 物件がサブリースシステムによるのかは不明だけれど、取次的にいえば、日販帖合の書店がトーハンと連携するゲオの子会社へと移行したことになる。かつてであれば考えられなかったように思えるし、どのようなメカニズムが働いているのかわからないにしても、これは日販の「駿河屋BASE」と異なるトーハンのリユース事業を象徴しているのかもしれない。
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com



6.ノセ事務所より「2020年出版社の実績」が届いた。
 それを示す。

■出版社の実績(単位:百万円)
出版社2020年2019年2018年2017年2016年
1集英社201,014152,904133,341116,497117,521
2講談社144,999135,835120,484117,957117,288
3KADOKAWA119,82184,049113,183112,231
4小学館91,31697,74797,05294,56297,309
5日経PB37,00037,00038,00038,00038,130
6東京書籍32,46723,38123,66322,78427,411
7宝島社32,40929,47726,27934,01929,303
8文藝春秋20,40521,91521,91521,69823,887
9光文社16,85020,35620,35621,72422,141
10新潮社20,00020,20020,00020,00020,500

 このデータは1447社が対象となっているが、便宜的に16年からの上位10社だけを挙げている。20年度は8位に学研プラス、9位にぎょうせいが入り、新潮社は11位、光文社は12位となっている。
 総じて大手出版社を始めとして、売上、利益ともに回復しつつあり、取次や書店と異なる状況を迎えているとわかる。
 それは電子コミック、版権収入、アマゾンやTRCとの取引などの様々な要因が含まれているのだろうが、この「出版社の実績」からはつかめない。
 ただこのデータと紀伊國屋の出版社売上額とデータを照らし合わせると、さらなる細部も浮かび上がってくるので、これからもこのふたつのデータを手離さないようにしたい。



7.講談社、小学館、集英社と丸紅、丸紅フォレストリンクスの5社が新会社「パブテックス」を設立。
 「AI等を活用した出版物の発行、配本最適化ソリューション事業」とICタグ装着に基づく「RFIDソリューション事業」を手がける。
 「パブテックス」出資比率は丸紅34.8%、他の4社は16.3%で、代表取締役は丸紅の永井直彦、取締役会長は小学館の相賀信宏専務。

 この計画は本クロニクル157ですでに伝えているが、ようやく1年後に正式発表となった。
 「AI等を活用した出版物の発行、配本最適化ソリューション事業」は来年4月、「RFIDソリューション事業」は同じく7月に始動とされるが、果たしてどうなるのか。
 売上のマイナスがさらに深刻になっている現在の書店市場において、前者はともかく、後者のICタグ装着のコストを負担することが困難であることは自明であろう。
 書店状況が先を読めなくなっている中での、新会社による「ソリューション事業」が、現実的なのかを見極めた上でのプロジェクトだと判断することはできない。
odamitsuo.hatenablog.com



8.学研HDは完全子会社の学研プラス、学研教育みらい、学研メディカル秀潤社、学研出版サービスの4社を統合合併する。
 学研HD3ヵ年計画に挙げられた「オンラインとオフラインの顧客体験を融合深化させ、顧客への提供価値拡大を図る」に際し、中核会社の再編が不可欠で、今回の4社合併が決定となった。

 で学研プラスの業績を示しておいたし、折しも南條達也社長が『新文化』(3/31)で、「出版コンテンツ・ビジネスの成長戦略」を語っている。同じく学研HDの介護事業にしても、トーハンとのコラボレーションも進み、いずれも好調なようだ。
 新会社は学研教室などの運営、学校向け事業、出版事業なども包括するかたちでの戦略的合併ということになるのだろう。
 20世紀末に学研は創業者の古岡一族体制下にあって、疲弊を極めていたが、新たな経営陣へと移行していくことで、完全にリバイバルしたといえよう。
 それは一方の学参の雄だった旺文社と対照的である。



9.藤久HDは日本ヴォーグ社の完全会社化を決定。
 日本ヴォーグ社の22年売上高は30億7500万円、前年比2.3%減、営業益3000万円、同53.9%減。

 藤久は男性には馴染みが薄いかもしれないが、手芸専門店のナショナルチャーンで、1990年代からのロードサイドビジネスの雄である。
 「クラフトハートーカイ」をベースとする生地、手芸用品、編物用毛糸、衣料品、服飾品を販売し、小中学生の備品作りなどには欠かせない郊外店とされていた。
 日本ヴォーグ社との業務提携は昨年からのようだが、日本ヴォーグ社にしてみれば、商品の企画や手芸教室などの提携の他に、減少する書店の代わりとしての販売の協業が主たる目的だと考えられる。
 各分野の実用書にしても、売り方だけでなく、流通や販売も否応なく変わっていかざるをえないことを示していよう。



10.紀伊國屋書店は初めての公共図書館融合型店舗の概要を発表。
 熊本県荒尾市の「あらおシティモール店」に隣接し、同社が指定管理者として運営する荒尾市立図書館である。
 規模は1000坪、蔵書は10万5000冊、それに電子書籍7000点を有する本格的なデジタルライブラリーを備え、座席数は250席。「あらおシティモール店」をL字型で囲む設計となっている。


11.TRCと富士山マガジンサービスは電子雑誌読み放題サービス「TRC—DLマガジン」を開始。
 TRCの電子図書館サービス「LibrariE&TRC—DL」を導入している図書館がオプションで利用できる。
 105タイトル、バックナンバーを含む1020冊の電子雑誌を搭載し、38自治体の公共図書館に導入され、利用者は無料で閲覧可能。

 中村文孝との対談『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で、図書館に関しては戦後の歴史、GHQとの関係、子ども図書館、TRCの誕生、公共図書館と出版業界、書店への影響など様々に論じているので、ここではついに出現した公共図書館融合型店舗と「TRC—DLマガジン」の事実を挙げるだけにとどめておく。
 『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は早ければ、5月下旬に発売となるかもしれない。



12.『キネマ旬報』(4/上)が「映画本大賞2021」を発表している。
 1位は樋口尚文編集『大島渚全映画秘蔵資料集成』(国書刊行会)、2位は遠山純生『アメリカ映画史再構築』(作品社)、3位は伊藤彰彦『最後の角川春樹』(毎日新聞出版)。

キネマ旬報 2022年4月上旬号 No.1890 大島渚全映画秘蔵資料集成 〈アメリカ映画史〉再構築: 社会的ドキュメンタリーからブロックバスターまで 最後の角川春樹

 今回は3位の『最後の角川春樹』を読んでいた。だがそれは映画ではなく、1980年代の出版史の確認のためだった。
 同書はこれまでの角川春樹の自著、インタビューなども含め総集編といえよう。しかし角川の現在の出版状況認識と書店フォローに対しては、疑問があるし、1987年の俵万智『とれたての短歌です』に続く、書籍買切制への移行提案をどうして持続させなかったのかも語っていないのである。
 ひとつだけ教えられたのは青樹社の編集者が那須英三という人物だったことだ。彼が森村誠一だけでなく、藤沢周平も見出したのかもしれない。『三一新書の時代』(出版人に聞く)16でふれているように、ちょうど三一書房の井家上隆幸が片岡義男と併走していたように。
 それらはともかく、私の1位は佐伯俊道『終生娯楽派の戯言』(『シナリオ別冊』上下、日本シナリオ作家協会)である。同書は22年に入っての刊行なので、21年の対象に選ばれていないのかもしれないが、雑誌としての出版なので、品切になれば、重版されないと思われる。それゆえにここで書いておく。

とれたての短歌です 三一新書の時代 (出版人に聞く) シナリオ別冊 終生娯楽派の戯言 上 フット



13.『群像』(4月号)読了。

群像 2022年 04 月号 [雑誌]

 前回の本クロニクルで、雑誌のほうが私から遠ざかっていくようだと記したが、この『群像』は雑誌のほうが私に近づいてくるような思いに捉われた。
 吉増剛造、郷原佳以「デッドレターの先に・・・」、尾崎真理子「『万延元年のフットボール』のなかの『夜明け前』2」、藤井光「翻訳と『裏切り』をめぐって」は、こちらに引きつければ、近代文学史、読書史、出版史、翻訳史に関する重層的な森を形成しているかのようで、大いなる刺激と教示を受けた。
 このような対談や論考の出現は、同じく『群像』連載中の安藤礼二「空海」などの近年の仕事と交錯しているようにも思われた。



14.『週刊読書人』(4/22)で、千葉雅也と小泉義之が「現代思想の輝きとアクチュアリティ」という対談をしている。

 この対談は千葉の売れ行き好調な『現代思想入門』(講談社現代新書)をめぐってのものだが、二人とも現代思想のふれあいに関して、書店のことを語っているのである。
 1990年代に千葉は宇都宮の高校生、小泉は宇都宮大学の教師で、千葉は「宇都宮のオリオン通りにかつてあったアムスというデパートは、地下にリブロがあり、そこでいろんな本に出会ったんです」。小泉は「リブロは見識のある本屋で、大変お世話になりましたね」と語っている。小泉は松野孝一郎『プロトバイオロジー 生物学の物理的基礎』(東京図書)という書名まで上げている。
 90年代のリブロ池袋店はいうまでもないが、地方のリブロにしても、バブルだったとしても、現代思想に寄り添っていたのである。
 たまたまレベッカ・ソルニット『私のいない部屋』(東辻賢治郎訳、左右社)を読んでいたのだが、その「謝辞」にサンフランシスコの独立系書店のモーズ書店、グリーンアップル書店、グリーンアーケード書店の名前が書きこまれていた。
 だが日本でリブロの時代は終わってしまったし、本当に独立系書店は出現しつつあるのだろうか。


現代思想入門 (講談社現代新書)   私のいない部屋



15.『世界』臨時増刊が「ウクライナ侵略戦争—世界秩序の危機」を一冊特集している。

『世界』臨時増刊 ウクライナ侵略戦争――世界秩序の危機

 ロシア、旧ソ連研究者5人員よる座談会「この戦争は、どこから来て、どこへいくのか」を始めとして、教えられ啓発されることが多い。
 しかしトータルな印象をいえば、これからの21世紀の国際秩序は欧米とロシア、中国をめぐる「主権」のイメージのズレが拡大するばかりで、さらに無秩序になっていくのではないかという基調低音が感じられた。
 まさに文明の果てのグローバリゼーションとポストモダニティの世界の果てに待ち受けていたのが、ロシアによるウクライナ侵略戦争に他ならなかったことは21世紀の逆説といえるのかもしれない。世界の消費社会化は平和が不可欠だからだ。ところが、20世紀が「戦争と革命」の時代であったことに対し、21世紀は「新たな戦争」の時代となっていくのだろうか。
 この特集は早いうちに売切状況になったようで、残っていた書店をようやく見つけ、入手した次第だ。
 師岡カリーマ・エルサムニーが冒頭の「それでも向き合うために」で、アルジャーラのアラビア語放送の終日の戦争報道にふれているが、「特集」の続刊を期待したい。
 なお『FACTA』5月号がウクライナの動画配信に関して、「プーチンの足元を掬った『フェドロフ』」、31歳のデジタル変革担当大臣を取り上げていて、ウクライナのSNSプロパガンダの内実を伝えている。

facta.co.jp



16.論創社HP「本を読む」〈75〉は「かわぐちかいじ『死風街』」です。
ronso.co.jp

 『近代出版史探索Ⅵ』は4月に見本はできていたが、配本は連休明けの5月半ばとなってしまった。
 おそらく続けて『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が出ることになろう。

古本夜話1264 新日本出版社『プロレタリア詩集』、松永伍一『日本農民詩史』同『農民小学校』

 前回、昭和に入ってからのプロレタリア文学書シリーズの刊行リストを挙げ、それらの中に小説だけでなく、年刊日本プロレタリア詩集』『労農詩集第一輯』『ナップ7人詩集』『詩・パンフレット』などの詩も出版されていたことを確認しておいた。これらの年刊アンソロジー出版はその時代における詩のポジションの重要性を物語るものであった。実際に『戦旗』を始めとするプロレタリア文学運動雑誌にも詩は不可欠で、詩人も重要な役割を果たしていたし、それは本探索1257の壺井繁治にも象徴されていよう。

f:id:OdaMitsuo:20220406140417j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20220406140642j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20220406145442j:plain:h120(『詩・パンフレット第三集』)

 その事実をふまえてであろうが、新日本出版社『プロレタリア文学集』38、39は『プロレタリア詩集(一)』『プロレタリア詩集(二)』に当てられ、ほとんど知られていない人たちも含め、多種多様なプロレタリア詩と詩人たちを召喚して、壮観であるといっていい。それでなければ、まさにこの『プロレタリア文学集』ならではの、前、後編二七七人に及ぶ『プロレタリア詩集』の編纂刊行は不可能であったろう。

f:id:OdaMitsuo:20220407154020j:plain

 この二冊は大正元年の石川啄木「はてしなき議論の後」から、昭和十二年の国見善弘「死の凱旋兵」までを収録しているけれど、そのうちの一〇〇人近くがまったくプロフィルも不明だという。この全集のコンセプトは先行する三一書房の『日本プロレタリア文学大系』(全九巻、昭和三十年)に範を仰いでいたはずだが、こちらは詩の巻を独立させていないので、このような二巻本が編まれたのであろう。

f:id:OdaMitsuo:20220409162750j:plain:h120

 それは先に挙げたアンソロジーの詩人のみならず、『戦旗』『文芸戦線』『ナップ』などへの投稿者たち、また全国に散在していたプロレタリア的同人誌『前衛詩人』『新興詩人』『前衛評論』『工場』『鎌』『衆像』『地下鉄』『赤蜂』に寄稿していた多くの無名の詩人たちをも収録したことによっている。なおこれらの同人誌群は昭和五年にプロレタリア詩人会として統一的結合を見て、六年に機関詩誌『プロレタリア詩』を創刊するに至る。プロレタリア文学運動において、まさに詩も時代の叫びようにしてどよめいていたのである。

 『プロレタリア詩集』二巻の編集事情は詳らかにしないが、それぞれの単行本詩集だけでなく、年刊アンソロジー、雑誌投稿、同人誌などの広範な分野から収集されたことは明らかで、大正から昭和にかけてが、プロレタリア詩の時代に他ならなかったことを浮かび上がらせている。そのことに関して、ここで二十年ほど前のエピソードを記しておこうと思う。

 それは初版『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版、平成十六年)にまつわるもので、編集委員の冨板敦から、東海地方のアナキストの情報や資料の収集と確認を依頼されたのである。そのひとつは昭和五年創刊の詩誌『農民小学校』のメンバーの古山信義、鈴木武、鈴木致一、石川和民に関してだった。『農民小学校』とその同人たちは松永伍一『日本農民詩史』(中巻(一)、法政大学出版局)の口絵写真に掲載され、『農民小学校』とともに各人の詩集の書影もまた紹介されていた。

日本アナキズム運動人名事典  f:id:OdaMitsuo:20220409210537j:plain:h110

 そして同書の第三編は「アナキズムの土壌その一」、その第十一章は「『農民小学校』の友情」と題され、静岡県天竜川河口に近い磐田郡における、四人による『農民小学校』の軌跡がたどられていく。それは同人持ち回りの編集で十号まで出され、各人が自らの詩集も刊行し、古山は『農民』や『弾道』にも詩を掲載し、その詩集『土塊の合掌』は東京の詩人時代社から出版されたこともあって、静岡の農村の詩誌『農民小学校』は読者の記憶に残されたようだ。

 これらが松永の『日本農民詩史』に示された『農民小学校』と同人たちのアウトラインだが、まずは書誌的なことから始めて、古山の詩集の版元名と重なる、東京ならぬ浜松の時代舎に問い合わせてみた。すると『農民小学校』はずっと未見のままで、もし全冊揃って出れば、古書価はとんでもなく高いものになるだろうし、各人の詩集に関しても同様だということだった。

 そこで息子と小山の孫が中高と同級だったことを思い出し、古山家に訊ねてみたところ、古山はその後農業組合役員、村の収入役に就任し、戦後は農協組合長、農業委員、農業共済組合理事を兼任したこともあり、若き日の詩人活動はすべて廃棄され、まったく語ることもなかったという。

 もう一人の鈴木武のほうは、クロポトキンを読んでいた兵士として、中国から復員し、戦後蜜柑栽培と乳牛の飼育に携わり、逆境にある子どもたちを集め、「草の実牧場」を営み、戦後を生きたとされる。この鈴木の近辺に旧知の図書館員が住んでいたので、やはり問い合わせてみると、昭和三十年代まではその「草の実牧場」を目の当たりにしていたとのことだった。

 しかしすでに今世紀を迎えていたし、『農民小学校』も入手できず、当然のことながら、同人の四人も鬼籍に入り、松永の『日本農民詩史』でたどった消息以外のことは見出せなかった。そうしたわけで、冨板の依頼には応えられなかったことになるし、それは現在においても変わっていない。

 なお古山信義、鈴木武、鈴木致一の三人は『日本アナキズム運動人名事典』に立項されていることを付記しておく。


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら