二一世紀に入ってスウェーデンから送り出されたスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』三部作は、今世紀初頭を飾る力作であり、これまでのミステリ、ハードボイルド、警察小説、スパイ小説、サイコサスペンスなどの物語ファクターの最良のエキスを集約したシリーズと見なすことができるだろう。三部作のタイトルを示す。早川書房からヘレンハルメ美穂・岩澤雅利・山田美明訳で、『ドラゴン・タトゥーの女』 『火と戯れる女』 『眠れる女と狂卓の騎士』 として刊行されている。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
かつて埴谷雄高だったと思うが、ヨーロッパで誕生した近代小説は時計回りにロシアに移り、日本を飛びこえ、北アメリカを経て南アメリカへ伝わり、一応の完成を見たという意見をもらしたことがあった。それをもじれば、北アメリカで誕生したしミステリは逆回りで日本やイギリスを経て、スウェーデンで完成したという称賛を、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』三部作に与えたくなる。
これらの三部作はそれぞれ前述の物語ファクターのカレイドスコープのような趣向がこらされ、主として『ドラゴン・タトゥーの女』 は正統的孤島ミステリ、サイコ・サスペンス、『火と戯れる女』 は警察、スパイ小説、『眠れる女と狂卓の騎士』 はポリティカル・サスペンスにして法廷小説と見なすことができる。そしてさらに付け加えれば、これらの三作にはいかにも二一世紀のミステリにふさわしい、ハッカー小説といった共通した色彩も有している。このようなカレイドスコープ的な『ミレニアム』は巻が進むごとにさらなる技巧がこらされていったと考えられるが、ラーソンが心筋梗塞で死去したために、第四巻草稿過程で中絶してしまった。それゆえに「ミレニアム」の総タイトルにこめられた意味、第三巻までに散りばめられたいくつかの謎などは解明されずに放置されたままになっている。
しかし第三巻までを読んだだけでも、ラーソンが『ミレニアム』シリーズにこめた意図が伝わってくる。それは現代のスウェーデン社会を生々しく描くことであり、その知られざる現代史と社会構造、コンピュータシステムによる高度な管理社会の実態、特有な男女の関係とセクシュアリティ、政治経済の根底に横たわる深い闇とソ連邦解体との連鎖、パメル首相暗殺の背後に潜むネオナチ・ファシズムの影が書きこまれている。とりわけそのようなスウェーデン社会で起きた数々の謎めいた事件への言及もなされ、政治、経済、現代史状況のみならず、犯罪も含んだスウェーデン全体を浮かび上がらせ、『ミレニアム』シリーズはミステリであると同時に、第一級の社会小説ともなっている。おそらくラーソンは「マルティン・ベックシリーズ」を意識していたはずであり、それから考えれば、少なくとも十作は書くことを想定していただろうし、一九八六年のパメル首相暗殺事件の真相にまで迫っていたかもしれない。
だがここでは三部作のすべてにふれられないので、第一巻の『ドラゴン・タトゥーの女』 にしぼりたい。それにこの作品こそはロス・マクドナルドと「ルーゴン=マッカール叢書」を連想させずにはおかないからである。『ドラゴン・タトゥーの女』 は第一巻ということもあって、月刊誌『ミレニアム』の編集と経営に携わるミカエル・ブルムクヴィストと周辺の人々、及び特異な調査能力を有し、ハッカーの天才ともいうべきリスベット・サランデルの顔見世興行的構成ともなっている。ミカエルは駆けだしのジャーナリストだった頃、当時世間を騒がせていた銀行強盗グループの正体を突き止めたことによって、花形記者になったのだが、その代価として「名探偵カッレくん」というあだ名を拝することになった。いうまでもなく『名探偵カッレくん』 (尾崎義訳、岩波少年文庫)はスウェーデンの児童文学者リンドグレーンによって書かれ、カッレはホームズやポワロと並ぶ名探偵になることを夢見ていて、その冒頭で「カッレ・ブルムクヴィストは、そのなかで、一番えらい探偵になろうと思った」と決意している。つまりミカエルとカッレは姓を同じくしているのである。そしてまたリスベットも同じくリンドグレーンの『長くつ下のピッピ』 (大塚勇三訳、岩波少年文庫)のお転婆少女ピッピに擬せられていることからすれば、『ミレニアム』シリーズは二一世紀のスウェーデンにおけるカッレとピッピの物語と見なすこともできよう。
![]() |
![]() |
そして前述したように、これらのキャラクター造型の上に、先行する多種多様なミステリ様式が接ぎ木され、『ミレニアム』の世界が出現するに至ったのではないだろうか。また「マルティン・ベックシリーズ」がロス・マクドナルドの影響下に、スウェーデン社会の一九六〇年から七〇年代に至る十年間を描いたように、『ミレニアム』も調査報道する私立探偵ミカエルを主人公として、それ以後のスウェーデン社会を直視する試みではなかっただろうか。私は『ドラゴン・タトゥーの女』 にもロス・マクドナルドの影を感じてしまうのだ。
ミカエルはスウェーデンの大企業グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルから依頼され、四十二年前に孤島から失踪した一族の娘ハリエットの調査に携わることになる。密室と化した孤島状況、ハリエットが手帳に記していた暗号などはアガサ・クリスティやドロシー・セイヤーズをただちに思い浮かべるのだが、ハリエットの母親の名前がイゾベラと知ると、否応なくマクドナルドの『縞模様の霊柩車』 が重なってしまうのだ。マクドナルドの作品においても、失踪した娘はハリエットであり、その義母はイゾベルだったではないか。娘の失踪と母娘の同名から考えても、ラーソンが『縞模様の霊柩車』 を読んでいたことは明白で、それが『ドラゴン・タトゥーの女』 へと導入されたと考えていいだろう。
そのような視点から読むならば、この作品は様々な引用から成立しているようにも思われる。一九六六年に失踪したハリエットの手帳に書かれた謎の暗号を解読していくと、四九年から起きていた連続殺人事件に至り着く。最初の犠牲者はレベッカという若い女性で、強姦され、燃え盛る炭の上に頭を置かれ、殺されたのだ。それはレベッカ事件と呼ばれ、死体こそ見つかっていないが、ハリエットの事件とオーバーラップしている。一九四〇年代のレベッカ事件とはスウェーデンにおけるブラック・ダリア事件のように象徴的で、これを始まりとして猟奇的殺人が続き、ハリエットはその犯人を承知していたと思われるのだった。ミカエルはハリエットがおぞましい事件に巻きこまれていて、それが失踪の原因であろうと推測する。
その一方で、ミカエルはハリエットの調査とパラレルにヴァンゲル家の家族史の執筆を進めていく。彼が描いた「ヴァンゲル家系図」がこの作品の冒頭に掲載されているが、これもまたゾラの「ルーゴン=マッカール家系樹」を彷彿させずにはおかない。「一族の“男”側と“女”側が、地理的な意味ですっぱりと分かれているように見え」、「社会的、経済的成功をおさめながらも、日々の営みにおいて明らかに機能不全に陥っている家族の姿が、だんだんと形を現わしてきた」。それをラーソンは次のように記している。
ヘンリック・ヴァンゲルとの対話から浮かび上がってきたヴァンゲル家の物語は、一般に知られているヴァンゲル家のイメージと大きくことなっていた。どんな家族も、戸棚の奥深くに骸骨をしまいこんでいるものである。だが、ヴァンゲル家の場合、骸骨どころか墓地がまるごとひとつしまいこまれているかのようだった。
一族の中には第二次大戦中に極右組織に属し、ユダヤ人排斥論者にしてナチズム信奉者で、女を憎む者たちもいた。この中にハリエット事件に関係している人物がいるように思えた。そしてまたミカエルの「過去」も彼らと重なってくる。彼の父は機械技師で、六三年に一家で島に滞在し、工場の機械の設置をしていた。だから三歳のミカエルは十二歳のハリエットに遊んでもらったことがあるのだ。
このような絶えず「過去」と向かい合う物語設定を読んでいくと、ロス・マクドナルドの小説構造と著書のSelf‐Portrait に掲げたフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』 のクロージングの一節を思い浮かべてしまう。それは「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運びさられながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでいく」という一文だ。『ミレニアム』三部作においても、ミカエルのみならず、二一世紀の新しいヒロイン、サイバーネットの女戦士、もしくは「女を憎む男たちを憎む女」として出現しているリスベットも、「絶えず過去へ過去へと運ばれながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでいく」のだ。
![]() |
![]() |
そしてこれはミステリの体裁にとらわれて言及されないが、『ミレニアム』三部作はスウェーデンの現在の社会の中枢を形成する政治経済体制に抗して闘う月刊誌『ミレニアム』と編集者の物語であり、この雑誌はミレニアムという同名の出版社から刊行されているのである。『ドラゴン・タトゥーの女』 の最後の「エピローグ」の章で、この出版社はミカエルの著書『マフィアの銀行家』を刊行するに至る。六百十五ページの分厚いペーパーバックで、発行部数は二千部だったが、この初版はわずか二日で完売し、急遽一万部の増刷となった。つまり『ミレニアム』三部作は闘う月刊誌、編集者、ノンフィクションライター、小出版社の物語なのだ。それは反ファシズムの雑誌『EXPO』を創刊し、編集長を務めていたラーソン自身の軌跡と重なっている。
だからこのような雑誌ジャーナリズムと出版の視点から『ミレニアム』を読むことも可能である。月刊誌『ミレニアム』は二万一千部発行だが、現在のスウェーデンで最も信頼のおける雑誌で、編集者は調査報道に徹し、強気で禁固刑も辞さず、出版物は社会に衝撃を与え、何らかの変化をもたらすものと想定されている。そしてこれらの言葉は第二巻『火と戯れる女』 に表われているのだが、主人公のミカエルは編集者としても著者としても、「たった一冊の本で何かを変えることができると思っている。またヒロインのリスベットは「たった一人で世界を相手にして戦おうとしているのだ」。それゆえに『ミレニアム』こそは二一世紀の初頭を飾るハードボイルドの、スウェーデンにおける特異にして最高の達成と見なすことができよう。
ここでひとつ書きそえておきたい。一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて、私たちもまた刺青のある戦う女を銀幕に見ていた。その名を緋牡丹お竜という。
それはともかく、ここまで書いてくると、やはりジャーナリストであったゾラのことを想起せざるをえない。とりわけドレフュス事件に対して、『オーロール新聞』に「われ弾劾す」を発表し、この事件に加担したすべての政府高官を列挙し、事件の経緯を明らかにした。その結果、ゾラは禁固・罰金刑を下され、一年近くに及ぶイギリス亡命を余儀なくされる。しかしゾラの尽力によって、ドレフュスは無罪となっている。『ドラゴン・タトゥーの女』 もミカエルが禁固・罰金刑に処せられる場面から始まっている。これも偶然の一致のようには思われない。
『ミレニアム』三部作において、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーへのささやかな言及があるにしても、ロス・マクドナルドやゾラに関しては残念ながら見られない。しかしこれまで書いてきたように、『ドラゴン・タトゥーの女』 はマクドナルドやゾラの影響下に書かれたように推測され、この連載のタイトルである「ゾラからハードボイルドへ」というラインを最も強く継承し、体現してしまった印象が強いのである。
そして繰り返しになってしまうが、『ミレニアム』シリーズがもし二十作書かれたとすれば、二一世紀の「ルーゴン=マッカール叢書」の実現となっていたかもしれず、ラーソンの急逝は惜しんで余りある。
エルロイのアメリカ版「ルーゴン=マッカール叢書」は書き続けられているが、スウェーデン版「ルーゴン=マッカール叢書」は中絶してしまったことになる。誰かその衣鉢を継ぐ者は出現するであろうか。
◆過去の「ゾラからハードボイルドへ」の記事 |
ゾラからハードボイルドへ26 ジェイムズ・エルロイと『ブラック・ダリア』 |
ゾラからハードボイルドへ25 スウェーデン社会と「マルティン・ベックシリーズ」 |
ゾラからハードボイルドへ24 ロス・マクドナルドと藤沢周平『消えた女』 |
ゾラからハードボイルドへ23 マクドナルドと結城昌治『暗い落日』 |
ゾラからハードボイルドへ22 リンダ失踪事件とマクドナルド『縞模様の霊柩車』 |
ゾラからハードボイルドへ21 オイディプス伝説とマクドナルド『運命』 |
ゾラからハードボイルドへ20 ケネス・ミラーと『三つの道』 |
ゾラからハードボイルドへ19 ロス・マクドナルドにおけるアメリカ社会と家族の物語 |
ゾラからハードボイルドへ18 カミュ『異邦人』 |
ゾラからハードボイルドへ17 ジェームズ・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 |
ゾラからハードボイルドへ16 『FAULKNER AT NAGANO』について |
ゾラからハードボイルドへ15フォークナー『サンクチュアリ』 |
ゾラからハードボイルドへ14 フォークナーと「ヨクナパトファ・サーガ」 |
ゾラからハードボイルドへ13 レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』 |
ゾラからハードボイルドへ12 ケネス・アンガー『ハリウッド・バビロン』 |
ゾラからハードボイルドへ11 ハメット『デイン家の呪い』新訳』 |
ゾラからハードボイルドへ10 『篠沢フランス文学講義』と La part du feu |
ゾラからハードボイルドへ9 渡辺利雄『講義アメリカ文学史』補遺版 |
ゾラからハードボイルドへ8 豊浦志朗「ハードボイルド試論 序の序―帝国主義下の小説形式について」 |
ゾラからハードボイルドへ7 トレヴェニアン『夢果つる街』 |
ゾラからハードボイルドへ6 ドライサー『シスター・キャリー』とノリス『オクトパス』 |
ゾラからハードボイルドへ5 IWW について |
ゾラからハードボイルドへ4 ダシール・ハメット『赤い収穫』 |
ゾラからハードボイルドへ3 『ジェルミナール』をめぐって |
ゾラからハードボイルドへ2 『ナナ』とパサージュ |
ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」 |