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古本夜話144 三井甲之と『手のひら療治』

大正時代に百花斉放したかのような多様な健康法について言及していくときりがないのだが、手元に本があるので、もうひとつだけふれてみたい。

それは三井甲之の『手のひら療治』である。ただし同書は昭和五年にアルスから刊行されたものでなく、二〇〇三年にヴォルテックス有限会社が復刻した本で、この復刻版にはさみこまれた紹介と解説を兼ねたパンフレットによれば、この会社は実質的に手のひら療治の始まりと見なせる臼井電気療法学会と江口俊博を継承するレイキ・ヒーリング・システムと同じであり、七十年以上も前の療治法が現在でもその命脈を保っているとわかる。
手のひら療治

三井甲之の『手のひら療治』の序文にあたる「出版についての著者の言葉」を読むと、政教社の『日本及日本人』が昭和四年六月に臨時増刊『手のひら療治号』を発行し、東京増上寺や大阪仏教会館から全国各地で、その実修会が開かれた事実が浮かび上がってくる。この時期に『日本及日本人』の編集の中心にあった開明ナショナリスト三宅雪嶺はすでに去り、ウルトラ・ナショナリズムの色彩に染まりつつあった同誌と三井の存在の緊密な結びつきが、このような特集号へと表出したのだろう。さらに三井の言に示されているように、同時代の催眠術や心霊研究の影響も明らかだ。そしてシキシマノミチ=タナスエノミチ=手のひら療治が高らかに称揚される。

かくして自らの実践ポートレイトなども含む二十二枚の手のひら療治の口絵写真が掲載され、それこそカムナガラノミチ的雰囲気に包まれた手のひら療治の実際を伝えんとしている。

ここで三井の生涯について、『日本近代文学大事典』『[現代日本]朝日人物事典』などを参照すると、明治十六年山梨県生まれ、東大国文科卒、伊藤左千夫を中心とする根岸短歌会の『馬酔木』に宗教的な歌を発表し、抒情的ナショナリストとして、伊藤たちに大きな影響を与えた。その後大正十四年に蓑田胸喜たちと原理日本社を結成し、また昭和三年には しきしまのみち会を始め、皇室中心主義を喧伝し、大正デモクラシー吉野作造などを批判する右翼イデオローグの先駆けでもあった。つまり三井の唱える手のひら療治には『日本及日本人』のみならず、右翼活動とも併走していたことになる。

日本近代文学大事典 [現代日本]朝日人物事典

『手のひら療治』の大半はその実施法、体験録、実修会記録、研究や修行細目で占められ、ありとあらゆる病気の療治に役立つとされている。しかしそれらの記述は口絵写真よりもリアリティに欠けている気がする。

この療治法を創唱したのは甲府中学校長の江口俊博で、これは未見であるが、昭和六年に同じアルスから三井と共著で『手のひら療治入門』を出している。その江口の伝授を受けて、三井も妻とともに実修に及び、これまた手のひら療治の全国的なイデオローグとなっていったようだ。手のひら療治を一言でいってしまえば、節食や断食、身体の清潔とみそぎの儀式を通じて、手のひらの感触律動を敏感ならしめ、そこで手のひらを静かに患部に当てれば、それで病気が治るというものである。この修行を多人数が一堂に集まり、長時間にわたって行なえば、宗教、政治、軍事、実業のすべてに効果が及ぶとされる。

三井がこのような境地に至った背景には、明治末期から大正時代にかけて、跳梁跋扈した霊術家たちの存在があるのだろう。それは前述の江口と臼井電気療法学会の関係が証明しているし、三井も次のように述べている。

 自分が伝授された「手のひら療治」もこの太霊道その他と脈絡のあるもので、ただそれらから迷信的付加物を排除し、奇跡的異常行為成立条件としての無理の緊張をその心身に加えることをせず、また秘密伝授の煩瑣形式とそれに結合すべき私曲動機を遠離し、国民習俗を現代国民宗教儀礼化したものである。

奇怪な右翼イデオロギー太霊道などの合一が手のひら療治を触媒として語られている。これも簡単に言い換えれば、太霊道などから迷信、奇跡、秘密などの固有の要素を取り除き、本来の霊術に基づく手のひら療治は国民習俗に他ならないので、それを現代国民宗教儀礼に高めようと主張していることになろうか。

そしてそのような実践が「精神界の物質的大量悪風を矯正する日本精神と日本主義」であり、マルクス主義や資本主義とは別の道を用意するものだとの主張につながっていく。これらの三井の見解は彼が具体的に挙げているように、既述した川合(肥田)式強健術や岡田式静坐法といった健康法も研究した上で得られたものなのだ。

短かった大正時代には日露戦争後の虚脱感に襲われ、世界的には第一次世界大戦ロシア革命、国内では大正デモクラシーが唱えられる一方で、米騒動関東大震災が起き、明治時代とは異なる社会状況の中にあった。それらとパラレルに西洋からはメスメリズム、催眠術、心霊研究などが伝わり、それらに関する出版物の刊行とともに、『世界聖典全集』や多彩な仏教原典や宗教書が刊行された。それを受けて、日本の近代的土着的深層から大本教に代表される新興宗教太霊道を始めとする霊術家たち、それらから派生したと見なしうる多くの治療術、健康法が殷賑を極め、手のひら療治の三井に見られるように、右翼イデオローグの奇怪な思想の中に取りこまれていたった。

これらの全体的な俯瞰と構図の作成はできないけれど、あらゆる社会的地平へと大なり小なり散っていったはずであり、それらが引き継がれていった痕跡は現在でも至るところに見出すことができる。そのような意味において、大正時代からすでに一世紀を経ているにもかかわらず、それほど遠く離れておらず、依然として同様の状況の中におかれているのかもしれない。

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