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混住社会論59 エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)

明日の田園都市


本連載や『〈郊外〉の誕生と死』において既述してきたように、戦後の郊外や混住社会は高度成長期を通じての産業構造の転換、人口増加、それらに伴う都市への人口移動と集中、モータリゼーションの進行と消費社会化といったプロセスを経て出現してきた。これは日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも共通するその歴史構造的ファクターで、現在ではグロバリセージョンとともに同じくアジア全域に起きている社会変容の風景だと思われる。

〈郊外〉の誕生と死

ただ断るまでもないが、これらは工業社会から消費社会へと向かう過程で、しかもそれはW・W・ロストウが『経済成長の諸段階』木村健康他訳、ダイヤモンド社)の中で述べていた、経済的次元における「高度大衆消費社会」とパラレルに造型されてきた現代の郊外や混住社会である。それゆえにここではそれらの起源を探るために時間を巻き戻し、近代の郊外や混住社会の誕生について考えてみたい。
経済成長の諸段階

前々回、グルーエンの『ショッピングセンター計画』にふれ、彼がバウハウスの影響を受けていることから、それがアメリカでのサン=シモンやオーエンやフーリエユートピアプランとイメージ的につながり、郊外ショッピングセンターへと結実していったのではないかという推測を記しておいた。しかしそれらは仮説にとどまってしまうけれど、グルーエンとショッピングセンタービジョンの成立に多大な影響を与えたのはハワードの『明日の田園都市』(長素連訳)だと断言していいように思われる。

例えば、ハワードが唱える田園都市において、「公設市場」が存在する。それは占用する建物部分に使用料を支払い、大半が私的個人によって経営されるもので、それゆえに「半公営企業」と呼ばれることになる。その後に次のような一文が続いている。

 これは〈水晶宮〉に見いだされる。これは記憶されているとおり、〈中央公園〉を取り囲む広いアーケードであり、そのなかには〈田園都市〉で最も魅力のある商品が展示され、これは大きなショッピングセンターでもあり、冬期庭園ともなるが、町の人たちの愛好する遊楽地の一つである。

郊外の田園都市には大ショッピングセンターが当然のように存在しているのだ。このようなハワードの構想にグルーエンが感化され、ビジョンを共有するに至り、『ショッピングセンター計画』へと昇華させていったと考えられる。

またこのハワードの一文はベンヤミンすらも想起させる。「水晶宮」とは一八五一年のロンドン万国博覧会のためにハイドパークに建設された鉄とガラスの建造物であり、それについては松村昌家の『水晶宮物語』(リブロポート、ちくま文庫)が多くの写真と図版を含んで詳細な一冊となっている。ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司他訳、岩波現代文庫)の中で「水晶宮」に言及しているし、「万国博覧会は消費に手の届かない大衆が交換価値への感情移入を学習する絶好の学校であった」と書いている。
水晶宮物語 パサージュ論

ここで水晶宮、パサージュ、ショッピングセンターは消費社会の装置としてつながっていく。それにハワードは「水晶宮」が「アーケード」だと記しているが、ベンヤミン『パサージュ論』の英訳タイトルは『アーケード論』なのだ。だが『パサージュ論』にはハワードも『明日の田園都市』も出てこないのだから、これ以上ベンヤミンに深入りするわけにはいかない。

『明日の田園都市』に戻ると、これはグルーエンやショッピングセンターのみならず、二十世紀に入ってからのすべての都市計画、ニュータウンや団地などの郊外の開発の起源にすえるべき著作ではないだろうか。それらと並走した二十世紀の建築に関してはル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトの名前がただちに挙げられるが、この二人に比べ、ハワードへの言及は少ないどころか、現在ではほとんど語られていないように思える。

しかしハワードは郊外や混住社会に関する理想の共同体を幻視した先駆者であり、『明日の田園都市』はそのカノンたるグランドデザインに他ならないとのオマージュを捧げるべき存在なのではないだろうか。なぜならば、そのハワードの構想が十全に開花し得たわけではないにしても、欧米や日本の多くの人々が彼の描いたグランドデザインの中で暮してきたとも考えられるからだ。

ハワードの『明日の田園都市』は一八九八年にTomorrow のタイトルで最初に刊行され、一九〇二年わずかの改訂が施され、Garden Cities of Tomorrow が出された。だが後者を原書として、タイトルを同じくする邦訳が出されたのはそれから六十有余年を経た一九六八年のことで、建築専門書の鹿島出版会の「SD選書」の一冊としてだった。
Garden Cities of Tomorrow

その邦訳『明日の田園都市』には一九四五年九月付のルイス・マンスフォードによる「田園都市理念と現代の計画」と題された序文が置かれている。そこでマンフォードは「二〇世紀の初めに、二つの偉大な発明がわれわれの眼の前に現われた。飛行機と〈田園都市〉である」とまず宣言し、「〈田園都市〉におけるハワードの独創力はライト兄弟の独創力に対応する」とまで言い切っている。この宣言ともいうべき言葉が発せられたのは第二次世界大戦後であり、この大戦の帰趨を決したのが飛行機戦力の保有差だったように、戦後の世界的問題はハワードが提唱した〈田園都市〉に集約されるのではないかと、建築、文明批評家としてのマンフォードがあえて挑発的に述べているようにも思える。

ただこれはマンフォードだけの見解ではなく、カナダの建築史家と思われるH・カーヴァーも『郊外都市論』(志水英樹訳、鹿島出版会)において「都市計画に関するいかなる研究もハワードをあたかも予言者であるかのような畏敬とともに取り扱わざるを得ない」と断言している。

その問題に入る前に、ハワードのプロフィルと彼が提唱した田園都市とは何かを先に示しておかなければならない。彼の生涯についてはその後継者F・J・オズボーンの「序言」に記されたものを要約しておく。オズボーンの著書として、New Town after the war(1918) があるようだが、これは入手していない。

ハワードは一八五〇年ロンドンに小売商の息子として生まれ、上流階級にも属しておらず、特別な教育も受けなかった。十五歳で店員となったが、二十一歳の時に農民だった伯父の影響を受け、定住するつもりで、二人の友人とともにアメリカへ渡った。そしてネブラスカ州に一六〇エーカーの国有地を取得し、掘立小屋を建て、トウモロコシやジャガイモなどを栽培したが、農民としての経験不足もあり、大失敗に終わった。そのためにシカゴに出て、ロンドンで習っていた速記を生かし、速記事務所に勤め、裁判所と新聞専門の記録係となった。それから七六年にイギリスに帰り、自分の「機械的発明」とその「有名になった運動」、及びアメリカからのタイプライターの初めての輸入の仕事に携わった。この「発明」と「運動」は具体的に述べられていないけれど、これらの仕事と七九年における田舎の宿屋の娘エリザベスとの結婚を通じて、田園都市プランと理念を発展させていったと考えられる。

それらに加え、一冊の読書体験がハワードに大きな影響をもたらした。その書物は八八年にアメリカで出されたエドワード・ベラミーの『顧みれば』 (山本政喜訳、岩波文庫/中里明彦訳、研究社)であり、ハワードはこの小説のイギリスでの出版にも尽力するに至る。ベラミーはアメリカの作家で、『顧みれば』はほぼ一世紀後の二〇〇〇年にアメリカが高度に文明化され、機械と技術の進歩によって労働の苦役から解放され、階級のない社会主義国家になっていることを描いた、所謂ユートピア小説である。この小説からハワードは理想の町の構想を得て、ネブラスカでの農業経験をふまえ、村と町が共存し、農業、工業、商業の混住する都市、すなわち田園都市のプランへと至り、『明日の田園都市』を出版したとされる。

それに基づき、一八九九年には多くの賛同者を集めて田園都市協会が創立され、一九〇三年にロンドンから三十五マイル離れた地域に最初の田園都市レッチワースの創設が始まり、それに続き、一九年には第二の田園都市ウェルウィンが誕生していく。それらの成功によって、多くの国に田園都市協会が設立され、国際田園都市協会(後の国際住宅・都市計画協会)が設立の運びとなり、ハワードはその総裁にすえられたのである。

このように日本も含めた世界各国でハワードと田園都市構想がすみやかに受容されたのは、産業革命による工業社会の成立、都市への人口集中とスラム化、公害、農村の人口減少などといった多くの問題が共通するものとして、農耕社会から工業社会への移行の過程で、大きくせり上がってきたことに求められる。

当時の産業構造を確認してみると、とりわけ一八八〇年から一九二〇年代にかけて、イギリスは第二次産業就業者比率がほぼ五〇%を占めるという突出した工業社会があるゆえに、田園都市計画がいち早く実現したと推測される。一九四六年版原書による『明日の田園都市』の邦訳版にも、成功した田園都市としてのレッチワースやウェルウィンの整然とした景観写真が収録され、ユートピアめいたニュアンスすらも伝わってくるかのようだ。

それらはハワードが都市、農村、都市・農村からなる「三つの磁石」というダイアグラムで示しているように、都市生活と農村生活の二者択一ではなく、実際には活動的な都市生活の全利点と農村の美しさと楽しさが融合した第三の選択をめざしている。すなわちハワードの言葉を借りれば、「都市と農村は結婚しなければならない」のだ。そして男と女が異なる資性と能力によって互いに補っているように、都市と農村も相互に補い合い、相互扶助によって、自由にして共同な生活を営むことを目的とするのである。

ハワードの後継者たるオズボーンが田園都市の本質的要素を集約して挙げ、これらによる新しい多数のコミュニティの創造を提唱しているので、その部分を引用してみる。

 周りの農業的にいなかと密接な接触をもつ頃合いの規模の工業と商業の町々、いずれも健康的で施設の整ったコミュニティ、住宅・職場・店舗と教養施設との間の迅速な接近のための用途地域性、陽光と庭園とレクリエーション空地を保障する密度の制限―それは都市的拡散傾斜を過度に陥らせない―都市の設計は標準化よりはむしろ調和を目指すこと、計画された都市内部および都市外部の交通、選択の自由と企業の自由と交易を一致させること、借地の結合した単一の土地所有。

そしてこの田園都市というタームから都市・農村計画が立ち上がり、田園郊外、衛星都市、農村地帯、緑化帯などの言葉が生まれたのである。しかし戦後のニュータウン提唱者オズボーンはそれらをめぐる議論が混乱し、次第に田園都市にまつわる諸要素が立法と規則制定の目的になり、それらの標準化が進められていく傾向にあることを危惧している。ハワードの提唱からほぼ半世紀たった一九四〇年代において、田園都市構想は彼の理念から離反し始め、法と官僚に支配され始めていることを告げているかのようだ。現在のイギリスにおける田園都市の位相はどのようなものになっているのだろうか。

ハワードの『明日の田園都市』を読んでいると、ベラミーの『顧みれば』の影響を既述しておいたが、それに加え、同時代のユートピア思想、フェビアン協会によった社会主義クロポトキン『田園・工場・仕事場』『相互扶助論』などからの照り返しを感じてしまう。
相互扶助論

そしてまた第二次世界大戦後に、これも世界各国で起きた郊外の誕生、団地やニュータウンの出現、都市計画と土地規制、ショッピングセンターの開発といった流れも、すべてハワードの『明日の田園都市』を起源とし、そこから始まっているように思えてならないのだ。マンフォードはこれらのすべてを予測して、「〈田園都市〉におけるハワードの独創力はライト兄弟の独創力に対応する」とまで称揚したのではないだろうか。

最後に訳者の長素連についてもふれておく。長素は建設省住宅局、東京都建築局、日本住宅公団などを経ていて、「訳者あとがき」の中で、数年前に福岡で三つの宅地開発を計画実施し、田園都市との関連でそれらに言及していることを書きとめておこう。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1