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古本夜話416 岡田村雄編『紫艸』

林若樹は明治四十四年に亡くなった岡田村雄の五年忌にあたる大正五年に、岡田編『紫艸』を刊行している。その広告が『風俗』第二号の巻末に「集古叢書第二編」の『紫草(ママ)』として掲載され、「此書も亦集古会誌へ続載せるもの江戸時代に於ける高名なる商標を模刻しこれに解説を付せり以て江戸を偲ぶ一端たるべきなり」とのコピーがある。

「集古叢書第一編」はその横に並ぶ三村清三郎、横尾勇之助編輯の『蔵書印譜』で、案内によれば、両書とも集古会を発行所、東京の下谷区の横尾文行堂、吉田書店、神田区の村口書店、酒井好古堂、浅草区の浅倉屋書店を、取次・書肆として、流通販売していたとわかる。この広告で初めて知ったのは定価のことで、両書とも極上和紙使用、色刷ページも含まれているのに、「第一編」が一円七十銭、「第二編」が一円三十銭とあった。これは意外な定価で、もっと高いと思っていた。

私は『紫艸』を二十年近く前に川崎の近代書房から一万円を超える古書価で求めたし、別の古本屋で『蔵書印譜』も三万円だったことを覚えているからだ。それで後者は買いそびれてしまった。このような定価の理由は、当時の和本仕立てと装丁の限定版であるにしても、「出版業」ではなく、集古会の純然たる「出版」に属する企画だったことにあるのだろう。

この『紫艸』について、内田魯庵はやはり「『杏の落ちる音』の主人公」(『明治文学全集』98所収、筑摩書房)の中で、次のように言っている。
明治文学全集 98

 紫男は江戸の繁盛を偲ぶ料に江戸名物の商牌を集めた。商牌の蒐集家としても紫男の名は好事家間に聞こえてゐた。若樹は紫男の記念として紫男が嘗て考証した商牌集『紫艸』を出版した。明治大正年間を通じて凝つた出版の一つで、後世珍本としてもてはやされ(ママ)べきものだ。其巻頭に若樹の筆に成つた紫男の小伝と百穂が描いた肖像がある。江戸前のスツキリした紫男の風丰が躍如としている。

残念なことに私の所持する一冊にはジャケットまでついているのに、「紫男の小伝と百穂が描いた肖像」が欠けていて、「江戸前のスツキリした紫男の風丰」を見ることができない。おそらく小伝と肖像は投げ込み的な一枚で、散逸してしまったのだろう。『紫艸』のタイトルには「紫男が蒐集した江戸商標集」との意味がこめられ、「江戸商標」を町の「艸」と見なし、紫男の一字を冠してつけられたと思われる。

この本は菊判を横にしたような判型の和本仕立てで、表紙は濃い藍色である。その左上に『紫艸』の白い題簽が付され、右下に小さく「江戸商標集」との記載もある。巻頭に林若樹による、これは『集古』に明治三十八年から四十三年にかけて連載したもので、「大正五年著者五年祭の当日を機して発行す」という言葉が記され、四十三種に及ぶ江戸の商標がすべて図版入りで紹介され、それぞれに解説が施されている。

『紫艸』は稀覯本でもあり、ほとんど読者の目にふれていないと思われるので、それらの商売を列挙してみる。
入歯師小野玄入、団十郎もぐさ、大和屋のうなぎ、唐豆腐、読書丸、隅田川諸白、長命寺桜餅、越川屋の袋物、竹村の巻せんべい、お鉄牡丹餅、中島屋の蘭物、金龍山浅草餅、根岸の笹の雪、萬久の幕の内、幾世餅、下村の油、名酒剣菱山東庵の煙管、釜屋もぐさ、鍵屋の花火、亀屋の飛んだり刎ねたり、藤八五文薬、大佛守、深川屋の蒲焼、永代団子、御用箒、御所おこし、梅か枝でんぶ、松ケすし、助惣焼、めうがや軽焼、桐屋の飴、萬文加増餅、亀屋の時雨、平清の会席料理、豊島屋の白酒、氷室、浅草門跡前の甘酒、笹屋の栗焼、山屋の色豆腐。

これらを商標を見ながら書いていくと、江戸の町を歩いているような気になる。またこれが江戸のグルメマップを形成していることにも気づく。そして町の形成において、飲食と見物、もしくは遊民の発生と散策が重要な役目を果たすように思えてくる。

それはともかく飲食ではないが、商標の解説をひとつ引いておこう。それは山東京伝の売薬「読書丸」である。中華風様式の商標で、二人の中国人が本を読んでいる絵柄の上に「読書丸」の文字が置かれている。

読書丸は山東庵京伝店の売薬なり当時の戯作者は小説を似て生計を為すことを得す(ママ)僅かに薬品化粧品等を鬻き或は他の業によりて糊口となし小説は一の余業に過ぎざりき例へば式亭三馬の売薬山東京伝の印刻の如きこれなり此読書丸は気根を強くすと称し当時一袋一匁五分の売価なりしと云其他京伝の店にて煙管袋物奇応丸京伝自画賛等を商ひしとぞ

そしてあらためて江戸時代において、まだ専業の作家が出現していなかったことを知るのである。

実はこの紫男の商標蒐集は集古会の創立者の一人で、日本人類学の開祖とされる坪井正五郎の跡を継いだものと思われる。坪井は明治二十年に『工商技芸看板考』(哲学書院)を刊行していて、山口昌男『内田魯庵山脈』晶文社)の中に扉と挿絵に掲載されている。私は坪井の同書を持っていないが、これは屋外広告研究所編『日本の看板』マール社)に「資料『看板考』(坪井正五郎著)要約」があり、七枚の坪井の描いた看板図が含まれているので、それで『工商技芸看板考』の内容をうかがうことができる。
内田魯庵山脈(晶文社)  

このような坪井正五郎と岡田紫男につながっていく看板、商標収集の関係は二人だけのものではなく、集古会に参加した人々がそれぞれに多方面に及んで伝承し、交換し、『集古』にそれらを発表することで、収集の連鎖が引き起こされていったのである。そしてそのような広範な収集の軌跡こそが、五十年間にわたって全百八十九冊が刊行された『集古』の歴史を物語っていると思われる。

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