出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1035 永松定『万有引力』

 ジョイスの『ユリシイズ』の共訳者の永松定は「現代の芸術と批判叢書」のハアバアト・ゴルマン『ジョイスの文学』も翻訳している。永松の名前は高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)などに散見できるけれど、彼に関する言及はほとんど目にしていない。ただ思いがけずに長い立項が『日本近代文学大事典』に見出せるので、それを要約してみる。
f:id:OdaMitsuo:20200403134516j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200519111156j:plain:h120 昭和文学盛衰史

 永松は明治三十七年熊本県生まれの小説家、英文学者で、五高を経て、昭和三年東京帝大英文科卒業後、私立海城中学の教師となる。五年に伊藤整、辻野久憲と『ユリシイズ』を『詩・現実』に翻訳連載し、六年に第一書房からその上巻を刊行する。続けてハックスレー『恋愛対位法』(春陽堂)、ウインダム=ルイス『悪魔主義』、ジョイス『ダブリンの人々』(いずれも金星堂)を翻訳し、日本大学芸術科講師に就任。その一方で、外村繁たちの同人雑誌『文学生活』に加わり、小説を発表し、処女短編集『万有引力』(協和書院)を出版するが、強烈な神経衰弱に陥り、妻とともに郷里に引き揚げ、母校の中学の英語教師となる。戦後は新設の熊本女子大英文科教授。長編小説『二十歳の日記』(河出書房新社)、『永松定作品集』(五月書房)などがある。
f:id:OdaMitsuo:20200520135419j:plain:h120(『悪魔主義』)f:id:OdaMitsuo:20200519113045j:plain:h120

 最後に挙げた『永松定作品集』は入手していて、昭和四十五年に刊行され、十七ページに及ぶ詳細な「年譜」も付されているので、永松の六十六歳までの翻訳を含めた軌跡をたどることができる。昭和初期の東京帝大英文科は「フォービズム、シュールリアリズム、ダダイズム、未来派、構成派、立体派、等々、さまざまの芸術上の新思潮が、第一次世界大戦後に澎湃として勃興した、いわゆる狂瀾怒濤の時代」だったが、「これらの戦後の新芸術の新思潮、新提唱などについては、一言半句の言及さえ耳にすること」がなかったという。ちなみに当時の教授は本連載1012の斎藤勇、市川三喜、それにエドモンド・グラウンデンの三人で、「アカデミシアン、古典派、伝統派的色彩の濃厚な人たち」だった。

 それもあって、同人雑誌『風車』を創刊し、ジョイスの『ダブリン人』の中の数編を翻訳発表する。当時伊藤整たちの『文芸レビュー』が鳴海フィリップ名で、ジョイスの紹介、論評していたが、それは伊藤に他ならず、その関係から伊藤と知り合い、『ユリシイズ』共訳へと至ったのであろう。また『ジョイスの文学』は春山行夫の斡旋、『悪魔主義』は伊藤の世話によるものだった。

 そのかたわらで、やはり伊藤たちと同人雑誌『現実』や『文学生活』に加わり、『文学界』にも川端康成の推薦で小説『万有引力』を発表するが、同じ号に掲載の武田麟太郎の小説のために発禁処分を受けたようだ。この『万有引力』は永松の代表作と見なされているようで、『日本近代文学大事典』の立項にも解説がなされ、また幸いにして、『永松定作品集』にも収録されているので、それを読んでみよう。

 この作品は村山三平という、雑誌や新聞に雑文を書き飛ばし、それで生活している大学出の三十男の話である。かれは「当世インチキ商売」という雑文で、五十円ばかりの金を稼ぎ、銀座に出てビフテキを食べようとする。そしてそれを待ちながら外を見ていると、洋装の近代娘が目に入り、鳳美奈子のことを思い出させた。美奈子は村山が妻の明子と結婚する前からの知り合いで、彼が紹介した友人鴻沼修二と結婚していた。美奈子と鴻沼は絵描きだったが、彼女の方は丸の内の会社の事務員として働いていた。

 美奈子はすでに二十五歳の目立たない女だったけれど、若い日のフリーダ・ロレンスに似ていて、ひそかに村山は「俺のフリーダ」と呼び、明子のような田舎娘ではなく、美奈子と結婚すればよかったと思っていた。そこで村山は美奈子に会いたい気持ちが募り、彼女に電話し、一緒に食事をし、映画を見にいく。それはジャック・フェーデの『ミモザ館』だった。それから二人は新宿に出て飲み回り、村山は車で美奈子を送り届け、家に帰るとバケツの水を浴びせられ、妻から美奈子と一緒だったんでしょうと詰問される。

 その翌朝、村山は明子からあなたの留守中に鴻沼に言い寄られていると告白する。美奈子とは別れるともいうのだ。そこに鴻沼夫妻がひょっこり現われたが、お互いに疑惑も生じ、話に身がいらず、村山と鴻沼は飲みに出かけた。それは「お互いに女房を盗まれかけた男同士が内心はお互いにおっかなびっくりで相手の腹をさぐり合いながら、表面はさも親しげにこうしてビールなどを飲み交わしている姿」に他ならず、「哀しく、滑稽に客観され」るのだった。

 それから夏に入り、焦熱地獄の炎暑の中で、血腥い事件が次々と起き、近所でも二度目の若い細君をもらった男がその先夫から切りこまれ、妻は即死、二人は瀕死の重傷を負い、一面は血の海と化していた。村山はそれを偶然に見て、その事件を小説化しようとしているうちに、自分たち二組の男女も結婚二、三年後で、双方が子供もなく、夫婦生活の倦怠期にあり、万有引力の微妙な法則によって均衡が保たれているが、それが破れれば、三人を死においやった事件のように、まっさかさまに墜落していくかもしれないと考えたのである。まだこの作品は続いていくのだが、タイトルの由来となる「万有引力」なるタームが出てきたので、ここで終えることにしよう。

 ここに描かれているのは昭和十年代初頭の出版社と文学者、及び知識人のパロディといえるだろうし、それがジョイスの『ユリシイズ』をくぐり抜けた一味異なる滑稽小説として評価されたように思われる。しかし「万有引力」の中で最も興味深かったのは、村山が語る丸善の洋書の新刊コーナーである。そこにはジョイス、ロレンス、ハックスレイ、ヘミングウェイ、フォークナー、コールドウェルの単行本が並び、明治大正と異なる昭和十年代の丸善の洋書売場を浮かび上がらせていることだ。ただそのシーンがかなり長いので引用できなくて残念である。


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古本夜話1034 三浦逸雄と『伊太利語辞典』

 ダンテの『神曲』が続いたこともあり、もう一人の『神曲』の翻訳者にもふれないわけにはいかないだろう。しかもそれは本連載1016で『ユリシイズ』翻訳において謝辞を掲げられていた人物で、しかも第一書房の『セルパン』編集長の三浦逸雄によるものだからだ。これも幸いにして、『日本近代文学大事典』に立項を見出せるので、まずは引いてみる。
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 三浦逸雄 みうらはやお 明治三二・二・一五~平成三(1899~1991)イタリア文学者。高知市の生れ。東京外語大卒。「セルパン」に『神曲』抄訳等を発表。同誌編集長となる。同人誌「翰林」にも参加。のち新潮社顧問を経て、日本大学で講師、宣伝科主任を歴任、研究書に『クローチェの研究』、翻訳にパピーニ『二十四の脳髄』『行詰まれる男』、ジェンティーレ『純粋行為としての精神』、ダンテ『神曲』などがある。三浦朱門の父。

 この三浦の『神曲』のほうは近年角川文庫化されているし、そちらにあたってほしいのでここでは言及しない。それよりも、彼が翻訳のために使用したイタリア語の辞典を取り上げてみたい。その辞典に関する証言者も三浦に他ならないからだ。彼は「第一書房のころ」(『第一書房長谷川巳之吉』所収)で書いている。
神曲(角川文庫版)第一書房長谷川巳之吉

 これはあまり知られていないことだが、わが国で最初のイタリア語の辞書が第一書房から出ている。昭和十一年(一九三六年)刊行の井上静一編『伊太利語辞典』 である。大田黒元雄さんが第一書房に持ち込んだもので、カードに書きこまれた原稿が行李にいっぱい詰まっていた。ミラノの領事をしていた井上さんの書きためた苦心の作であったが、いいあんばいに私が東京外語のイタリア語科出身で校正などするのに不都合がないので、ともかく小さなイタリア語の辞書として出版した(三九判、一、〇一三ページ、定価二円五十銭)。どれだけ出たか知らないが、初版は五百部くらいだったと思う。これをつくることは、イタリア語専攻の学生が十人いるかいないかの時代だったから、むろん商売として損をしないで出版できるようなものでなかった。どれだけ世間のお役に立ったか知らないが、私はその後いろんな人からお礼をいわれたし、これがきっかけになって長谷川さんもイタリア政府から勲章をもらったりした。

 この「小さなイタリア語の辞書」=『伊太利語辞典』が手元にある。ただそれは三浦が語っている昭和十一年版ではなく、十七年の増補版で、判型は三九判=菊半截判のままだが、四四ページの「略語表」が付され、定価は値上げされ、三円五十銭となっている。しかし奥付に第一刷は五千部としるされ、わずか六、七年の間に「五百部くらい」しかなかったイタリア語をめぐる日本の需要環境が急激に変化したことを物語っていよう。それは十五年における日独伊三国同盟の成立も作用しているはずだし、増補版の第一刷部数にしても、一定の部数は外務省を始めとする公官庁や軍部の買い上げが約束されていたにちがいない。それでなければ、五千部という部数は成立しなかったと考えられる。

 それらの事情に関して、「略語表の増補について」が次のように述べている。第一書房が本邦最初の『伊太利語辞典』を刊行して以来、「日伊両国間の親善関係、伊太利国に対する朝野の関心は誠に隔世の感があり、この趨勢に付随する伊太利語の研究の盛大さも亦驚嘆に値するものがある」と。またこの「増補」が外務省駐伊日本大使館付の篤学の士、吉浦盛純の手になることも付記されている。

 そしてあらためて、この『伊太利語辞典』を繰ってみると、長谷川巳之吉の名前で「刊行者の序」が巻頭に置かれている。そこには「これが組版にかかりし昭和七年秋より完成を見るまで四ヶ年半の日子を閲した」とあり、本邦の最初の伊和事典の著者の井上が「遂に本辞典の完成を見ずして突如逝去されたこと」で、これが「著者唯一の遺著として遺さるる」とも記されている。それで「増補」を吉浦が担ったとわかる。

 その次には三浦逸雄による「校訂者の序」も続き、この辞典が「大体においてギヤルニエ版の伊語小辞典に準拠して編纂せられたもの」と推測されると述べている。そして著者の井上が長年にわたり、標準正音を有するミラノに在住していたことから、この辞典の特色として、現地収録の語彙、しかも民俗的、慣習的な改訂が加えられ、ギヤルニエ版に生活化したイタリア語を導入したという意味において、「辞典編纂上での新しい試み」として推賞すべきだとも記している。

 私はイタリア語を解する者ではないけれど、これを繰っていると、その洋語の組版のイメージが共通している印象を覚え、大正時代に白水社から刊行された、やはり本邦最初といっていい『模範仏和大辞典』を想起してしまう。こちらは拙稿「白水社『模範仏和大事典』と仏文学者」(『古本屋散策』所収)で既述しているので、よろしければ参照されたい。それらの印象の共通性は、本邦初の外国語辞典編纂の試行錯誤をも伝えているのだろう。
古本屋散策

 なお佃実夫、稲村徹元編『辞典の辞典』(文和書房)によれば、昭和十三年には吉田弥邦、藤堂高紹共著として、『伊日辞典』(伊日辞典刊行会)が出されているようだが、それは未見である。また吉田は三浦が「校訂者の序」で、謝辞を捧げている東京外語学校教授であることを付記しておく。

辞典の辞典


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古本夜話1033 中山昌樹『ダンテ神曲物語』

 前回はふれられなかったが、北川冬彦は『現代訳 神曲地獄篇』のために参照した先行翻訳として、次の三冊を挙げている。
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山川丙三郎 「地獄」 (岩波版)
中山昌樹 「地獄篇」 (洛陽堂版)
生田長江 「地獄篇」 (新潮社版)

f:id:OdaMitsuo:20200516170408j:plain:h120(山川丙三郎訳)

 この際だから、国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)のダンテの項を確認してみると、山川や中山訳は大正時代、生田訳は昭和初期だとわかる。また大正時代には『近代出版史探索Ⅲ』526の新生堂の中山訳『ダンテ全集』は未完に終わったようだが、四冊刊行され、それもあってか、中山とダンテの翻訳が突出している。そこで『日本近代文学大事典』における中山の立項を引いてみる。

中山昌樹 なかやままさき 明治一九・四・一〇~昭和一九・四・二(1886~1944)宗教家、翻訳家。金沢市生れ。明治四三年六月、明治学院神学部卒。賀川豊彦とは同期の友人大正八年八月まで奉天、京都、東京で伝道生活。以後母校明治学院の講師。大正一一年より教授。『文芸復興の三大芸術家』(大四)、ダンテ『神曲』地獄篇、煉獄篇、天国篇、三巻(大六・一、洛陽堂)にはじまり、独力で『ダンテ全集』一二巻(大一三~一四、新教出版)の翻訳を完成。そのほかカルヴァン『キリスト教綱要』(昭和九~一四)の全訳など。

 ここでは『ダンテ全集』完成とあるが、念のために、書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』(八木書店)を見てみると、『ダンテ全集』は新生堂から十冊が刊行とされている。私も未見なので、断言はできないにしても、立項の新教出版は間違いで、やはり新生堂のように思われる。
全集叢書総覧新訂版 f:id:OdaMitsuo:20200515115614j:plain:h120 (『神曲』煉獄篇、新生堂版)

 それはともかく、この立項には見えていない中山のダンテ本が手元にあり、『ダンテ神曲物語』と題され、大正十三年初版で、私が入手しているのは昭和四年第三版である。版元は『近代出版史探索Ⅱ』228の婦人之友社で、同社編「世界文学物語叢書」第一篇として出され、巻末広告によれば、第二篇も同じく中山の『ミルトン失楽園物語』、第三篇は米川正夫の『カラマーゾフの兄弟』が続いている。この「叢書」はその後も続いたのかは不明だけれど、先行するそれぞれの外国文学者と翻訳に関わる入門書、もしくは啓蒙書として刊行されたのであろう。そのことから考えれば、『婦人之友』に連載と推測されるし、それゆえに婦人之友社編となっているのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200513144421j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200516111218j:plain:h120 近代出版史探索Ⅱ

 そうした事情も反映してか、『ダンテ神曲物語』と題されているものの、ダンテの抒情詩人としての生涯、及びベアトリチェとの恋愛などにも多くのページが割かれ、さらに中山とダンテの出会いと社会状況も言及され、それは明治末期の神学生の位相を物語っているようで興味深い。中山は記している。

 私が明治学院の神学部に入学したのは恰度日露戦争の最中であつた。戦争後日本の思想界がまた一般社会が、大なる変動をうけたころ、私達わかき者の頭脳を甚だしく動揺せしめずに措かなかつた、仏蘭西文学、露西亜文学等、謂ゆる大陸文が圧倒的な勢ひをもつて日本に押し寄せてきた。ツルゲニエフの「その前夜」や「煙」を読んでどんなに私達は感激したことであつたらう。断食してまでも食費を節しイプセンの「ブランド」を買つて来て耽読していた友人もあつた。同級にゐた加藤一夫氏のごときは夙くよりトルストイに共鳴し、その信仰と生活とに根本的な変化をうけた。賀川豊彦氏のごときは菜食主義を実行し、非戦論を実行し、無抵抗主義を唱道して、神学生たちから鉄拳制裁をうけた。神とか霊魂とか、人生とか、信仰とか、さういふことを厭でも応でも考へることが仕事であつた私達神学生は、人一倍つよくこれらの思潮の渦巻に動かされざるを得なかつた。

  ここに書かれているのは、明治半ばの丸善二階の洋書売場の風景が、その末になっても続いていたことである。拙稿「尾崎紅葉と丸善」(『書店の近代』所収)で田山花袋の『東京の三十年』を引き、ツルゲーネフやトルストイの洋書を、なけなしの金をはたいて買っていく青年たちの姿を描いておいたけれど、中山の証言はそれが明治を通じて変わらぬ読書をめぐる物語であり続けたことを伝えていよう。
書店の近代 東京の三十年

 それが中山の場合、ダンテだったのであり、彼はロングフェローの英訳で『神曲』を読み始めたと述べ、その冒頭の句を引くのである「人生の旅路なかばに/正しき路をうしなひわが身の/くらきはやしのうちにゐるのを見た。」そうして中山はダンテを「人類の芸術と、宗教と、政治と、生活と、文化とを、永久に正しきに導きゆく真の星」として、その世界へと深く降りていったのである。

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古本夜話1032 北川冬彦『現代訳 神曲地獄篇』

 続けて詩人の北川冬彦の一冊にも言及しておきたい。ただそれは戦後の翻訳であり、昭和二十八年に創元社から刊行されたダンテの『現代訳 神曲地獄篇』である。
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 この一文を書くために、あらためて中央公論社版『日本の詩歌』25所収の北川の『三半規管喪失』(至上芸術者社、大正十四年)、『検温機と花』(ミスマル社、同前)、『戦争』(厚生閣、昭和三年)などのアンソロジーを読んだ。すると、とりわけ処女詩集『三半規管喪失』にはシュルレアリスムというよりも、関東大震災の衝撃に伴うダンテの『神曲』のイメージが重なり合っているように思われた。例えば、「街裏」と題する四行詩「両側の家がもくもく動きよつて/街をおし潰してしまつた/白つちやけた屋根の上で/太陽がげらげら笑ひこけている」にも、それは顕著であろう。
f:id:OdaMitsuo:20200512160549j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200514101956j:plain:h120(『検温器と花』)

 それゆえに北川の『現代訳 神曲地獄篇』は戦後になって唐突に試みられたのではなく、長い前史と敗戦が相乗し、翻訳刊行されたと見なしていい。それに加えて、この「現代訳」は拙稿「北上二郎訳『悪の華』」(『古本屋散策』所収)などでふれた口語訳を想起させ、北上訳がそうであるように、北側の「現代訳」もまた他の訳と異なるインパクトをもたらしてくれるからだ。
古本屋散策

 北川もその「訳者序」で、「現代詩人としての責任」を負うつもりで、「ダンテの『神曲』は是非ともわれわれの現代語で翻訳して読みいゝものにしなければならない」と記し、ダンテのコアに言及している。「それは何か。ギリシア神話やウェルギリウスの詩などによって養われたダンテの詩的映像である。ダンテの『神曲』ことに地獄篇を不朽なものにしているのは、この詩的映像の造型性と感覚の新鮮さにあるのだ。それに、理想精神と現実の醜悪・悲惨の剔抉の苛烈にあるのだ」と。

 かくして一九〇二年のフィレンツェ版極大豪華本から引かれた「憂いの河のアゲロンテの河岸に集まってきている亡霊たち」の挿絵とともに、「第一景」が「荒々しい暗い空の下に、異様な門が立っている。地獄の一(いち)のもんだ」と始まり、その門に記された「われを過ぎれば幽囚の市あり」という著名な言葉へ続いていくのだが、そこはやり過ごし、北川の「現代訳」へと進んでみる。それは次のような言葉として立ち上がってくる。

 行くことしばらくして、
 星のない空に
 嘆き、呻き、叫びの声々が響きわたった。
 得体の知れない国語やおそろしい方言、苦悩の言葉の憤怒の調子、強い声、それに打つ手の音までまじって、それらは、
 永遠にくろずんだ空をめぐり、どよめいている。まるで旋風に巻きあがる砂塵のようだ。
 この声々は何だろう? この苦悩にうちのめされた人々は誰なのだろう?
 この惨めな状態に置かれているのは、何も名誉も、また非難も受けることなく世をおくった人人の悲しい亡霊なのだ。(後略)

 さらに引用を続けたいけれど、とめどがなくなってしまうので、残念ながらここで止める。だがこれだけでも、先行する翻訳と異なる北川の「現代訳」のニュアンスの一端はおわかり頂けるであろう。できれば、どこかで復刻、もしくは文庫化され、広く読まれるようになれば、最も幸いなのだが、現在の出版状況を考えると、それも難しいだろう。

 といって戦後における『現代訳 神曲地獄篇』の出版が容易だったわけではないとも推察される。北川と創元社(東京)の関係は戦後二十八年の『現代詩人全集』全16巻の刊行とリンクしているはずで、それが同年の「現代訳」を実現させたのだろう。しかし二十九年に創元社(東京)は倒産し、東京創元社として再建されるのだが、『現代詩人全集』にしても、『現代訳 神曲地獄篇』にしても、そうした版元の危機と再建の渦中において、無縁だったわけではない。前者はともかく、後者はその過程で、スポイルされてしまったように思われてならない。

 きっと北川はその渦中にあって、自らが「解説」に付した次のような一文を実感として受けとめたのではないだろうか。

 『神曲』三部作のなかで、誰もが観るように「地獄篇」は一等リアリスティックである。こゝには、ダンテ時代の腐敗・堕落した世相がまざまざと現わされているが、これはわれわれの現代のそれに酷似している。邪淫、欺瞞、不誠実、暴虐、反逆、これらの罪悪はわれわれの現実世界に瀰漫している。これらの諸罪悪は黙認されて横行している。ダンテは、これらの諸罪悪を神の正義によつて訴追し、審判している。それは、いさゝかの仮借もない苛烈きわまるものである。ダンテの地獄篇を読むとき、われわれも、現代の邪悪な諸々の罪悪に対して義憤の想いに駆られ、それらを訴追・審判して〈正義の回復〉を夢見ずにはいられないだろう。ダンテは〈神の正義〉によつてそれをおこなつたが、しかし神を認めない者は何によつてそれをおこなつたらよいのか。われわれは、一瞬、この〈神の正義〉を〈人間の正義〉に置きかえることは出来る。が、しかし、人間が人間を新版することは僭越である、とう何者かの囁きが耳元に聞えるのをどうしたらよいのか。
 何にしても地獄に陥されていく人物が現代社会に充満していることはたしかなことだ。

 これは『聖書』を文学、『神曲』を叙事詩として読んだ北川の述懐だが、そのアポリアと現実は二一世紀を迎えてもまったく変わっていないといえよう。


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出版状況クロニクル145(2020年5月1日~5月31日)

 20年4月の書籍雑誌推定販売金額は978億円で、前年比11.7%減。
 書籍は476億円で、同21.0%減。
 雑誌は501億円で、同0.6%減。
 その内訳は月刊誌が422億円で、同1.8%増、週刊誌は78億円で、同11.6%減。
 返品率は書籍が32.5%、雑誌は39.9%で、月刊誌は39.4%、週刊誌は42.6%。
 書店売上は書籍が15%減、雑誌は定期誌13%減、ムック30%減、コミックス12%増で、『ONE PIECE』(集英社)、『進撃の巨人』『五等分の花嫁』(いずれも講談社)の新刊発売、『鬼滅の刃』既刊全19巻の重版が寄与している。
 なお念のために確認しておくが、この出版科学研究所によるデータは、取次出荷金額から、取次への書店返品金額を引いたもので、書店での実売金額ではない。
 そのことから、他業種の売上落ちこみデータとの乖離が必然的に生じてしまう事実を承知されたい。

ONE PIECE 進撃の巨人 五等分の花嫁 鬼滅の刃


1.『日経MJ』(5/22)に衣料品・靴専門店13社の4月販売実績が掲載されている.前回と同様に、リードの書店販売状況と比較する意味で、再び引いてみる。

■衣料品・靴専門店販売実績 4月(前年同月比増減率%)
店名全店売上高既存店売上高既存店客数
カジュアル衣料ユニクロ▲57.7▲56.5▲60.6
ライトオン▲80.2▲79.6▲77.0
ユナイテッドアローズ▲91.1▲91.4▲91.4
マックハウス▲63.6▲60.6▲62.5
ジーンズメイト▲67.9▲72.0▲66.8
婦人・子供服しまむら▲27.9▲28.1▲27.0
アダストリア▲68.3▲67.8▲61.0
ハニーズ▲63.5▲50.7▲52.1
西松屋チェーン1.02.1▲2.6
紳士服青山商事▲70.6▲68.3▲58.8
AOKIホールディングス▲49.0▲37.2▲32.1
チヨダ▲43.7▲43.4▲43.3
エービーシー・マート▲69.3▲45.2▲44.2

 いずれも3月の倍以上のマイナスで、小売業としてはすさまじいばかりの落ちこみというしかない。
 新型コロナウィルスの影響による休業や時短の店舗の拡大によるものだ。ユナイテッドアローズは全242店のうち、4月末にはアウトレットの1店だけが営業という状態で、前年同月比91.1%減となっている。私は3月に駅ビルショッピングセンター内のユナイテッドアローズでシャツを2枚買ったばかりだが、4月はそこも休業となったのであろう。
 ユニクロやアダストリアも同様で、EC売上高はプラスとなったが、それで補うことはできず、マイナスは大きい。
 しまむらは休業店は少なく、時短営業を続けたことで、27.9%減の落ちこみにとどまったことになる。
 紳士服も靴もやはりマイナスは大きく、外出自粛に加え、在宅勤務も影響しているのだろう。5月7日からは営業を再開する動きもあるけれど、どこまで回復するだろうか。
 これ以上のマイナスはないにしても、3月並の売上に戻せれば幸いといっていいかもしれない。
 百貨店の4月売上も1208億円、前年同月比72%減で、3月の33.4%減の倍以上と、過去最大の落ちこみである。
 コンビニ売上高は7781億円、同10.6%減だが、こちらも過去最大のマイナスとなっている。



2.アメリカの新型コロナウィルス影響は、衣料品大手チェーンのJクルー、フィットネスクラブのゴールドジム、高級百貨店のニーマン・マーカス、同じく大手百貨店JCペニーの経営破綻が続出し、日本以上に深刻化してきている。
 またカジュアル衣料のギャップも手元資金を確保するために、北米店舗の賃料支払いを中止し、8万人の従業員を一時解雇すると発表し、リアル店舗の危機も伝わってくる。
 あるコンサルト会社の指摘によれば、ポストコロナ期には、財務的に体力のない小売業はすべて淘汰されるのではないか、また別の調査会社によれば、20年には1万5000店が閉店し、企業の経営破綻が続いていくと予測されている。

 20世紀の戦後日本の小売業はアメリカを範として誕生し、成長し続けてきた。それはスーパーから始まり、外食産業、に挙げた衣料品・靴専門店も同様だったし、書店も例外ではなかった。
 それはアメリカで起きたことは日本でも起きるし、先行するアメリカ消費社会は日本でも反復されると信じられたからである。しかし新型コロナウィルスによって、アメリカ消費社会が崩壊する危機に追いやられているとすれば、日本も同じように危機に見舞われていることになろう。
 その象徴はレナウンの破綻であり、同じくアパレルの三陽商会も赤字で、オンワードホールディングスは1400店を閉鎖するという。コロナだけでなく、国内アパレル市場はバブル期の15兆円から10兆円に縮小しているのに、供給量は20億点から40億点へと倍増していたのである。
 まったく出版業界と重なっているし、アパレル業界の出店と生産の過剰も他人事ではないと考えるしかない。



3.それならば、その先んじたアメリカ消費社会のモデルとしてのスーパーの現在はどういう状況にあるのか。スーパー3団体調査によれば、15ヵ月連続で既存店売上高は下回っていたが、2月からは大きなプラスに転じている。
 これも『日経MJ』(5/11)に「トップに聞く」として、日本スーパーマーケット協会会長で、食品スーパーのヤオコーの川野幸夫会長がインタビューに応じているので、それを要約してみる。
ヤオコーの3月既存店売上高は10%以上の高い伸びで、客単価も増加している。

★ 店は客と従業員の感染を防ぐために大変な状況にある。
★ 従業員の健康管理やストレス管理をしっかりやらなければ、ライフラインとしての役割を果せなくなるので、いかに感染を防ぐかということに細心の注意を払っている。
★ レジでは顧客との間を透明なシートで遮断し、混んではいけないので、特売チラシも配布していないが、それでも混んでしまい、入場制限した店もある。働く人を増やして、各人の作業量を減らしてあげるような策が必要だ。
★ 人手の確保は難しく、本部社員の多くが店に手伝いに行っている。外食産業で休業中の社員に来てもらっている。それは外食の場合、衛生管理などの訓練ができているので、スムーズに働き始められるからだ。
★ 消費動向はその日に食べないといけない総菜よりも、料理の素材となる肉や野菜などの生鮮が伸びている。コロナ前と逆の流れで、消費者はコロナの不安の中で、これからの生活がどうなるのかを一所懸命考え、家で料理したり、生活必需品を少し余裕をもって買っておこうという傾向が見える。
★ 消費者はコロナ情報にものすごく敏感になっているので、行政がコロナ対策で何か方針を発表すると、いきなり米や袋麺、パスタが売切れたりする現象が起きている。行政が緊急事態や外出自粛要請をする場合、前もってスーパー業界などに伝えてくれれば、それなりの準備ができるし、混乱を防げる。
★ 今のような非常事態は、ある意味で客の信頼を得ることができる絶好のチャンスです。長い目で見ると、ちゃんとした理念と志で経営している企業でないと続かない。米国の経済界でも株主第一主義を見直して、従業員や社会など幅広いステークホルダーを重視しようという議論が起きている。今回のコロナでそういう流れが加速しそうです。もうかればいいというわけでない。
★ 先を見れば、消費は低迷せざるを得ないし、収入の減る消費者は生活防衛のために価格にさらに敏感となるし、ネット通販との競争の激化している。スーパーにしても、安いところとライフスタイルを提案していくところに分かれていくだろう。


 拙著『〈郊外〉の誕生と死』でかつての消費社会のイデオローグとしてのダイエーの中内㓛、西武百貨店の堤清二、サミットの安土敏の存在を挙げておいたが、中内と堤はすでに鬼籍に入り、安土は退場してしまった。
 だがまだ川野幸夫が残っていた。前回は元すかいらーくの横川竟の言を紹介しておいたが、スーパーや外食の視点から語られる現状分析とその対策、今後の予測はリアルにして正当だと思える。
 だがコロナ禍の中で、出版業界は彼らに匹敵する言葉を誰も提出できていないし、そこにもまた現在の出版業界の危機が象徴されているだろう。
〈郊外〉の誕生と死



4.『文化通信』(5/18)や「新文化」(5/14)によれば、トーハン取引先書店の休業は700店、日販は640店。連休明けには前者は350店、後者は190店で再開を決めている。
 それらの主な再開店は全店ではないけれど、紀伊國屋書店、三省堂書店、くまざわ書店、丸善ジュンク堂書店、アニメイト、啓文堂書店、スーパーブックス、有隣堂、未来屋書店、文真堂書店などである。
 4月の書店売上はトーハンの場合、営業を継続した書店は前年同月比17%増だったが、休業店を含めると14%減。日販の場合も全体で6.1%減となっている。

 アメリカの場合はとりわけ独立系書店が経営危機にさらされ、それを救済する目的で、様々な寄付や支援キャンペーンがなされているという。
 日本の大型、複合書店の場合、高い家賃コストに加えて、多くのリース経費が相乗しているはずで、これらの長期の休業は書店の資金繰りへとダイレクトに跳ね返り、緊迫した経営状況の只中にあると思われる。
 しかしこれまでと異なり、取次にしても、関連企業にしても、コロナ禍により、体力が失われているので、従来のようなM&Aや再編による救済は難しいと考えられる。
 とすれば、その資金繰りは自己調達や公的資金の導入ということになる。アメリカではないので、先述のような広範な書店への民間支援キャンペーンは期待できないからだ。「ブックストア・エイド基金」も承知しているけれど。



5.広島の廣文館の元運営会社広文館が広島地裁から特別清算開始命令を受けた。負債は25億円。
 廣文館は1915年創業で、広島市を中心に15店舗を展開し、2001年には売上高51億円を計上していた。だが17年には43億円と減少し、しかも長年に及ぶ粉飾決算が発覚し、大幅な債務超過が明らかになった。
 18年には既存事業を継続する新会社と債務を引き継ぐ旧会社とに会社分割するために、トーハン、大垣書店、広島銀行が出資し、新会社「廣文館」を新設し、12店舗を営業。旧会社「広文館」は19年に解散、整理が進められてきた。

 これらの発端は本クロニクル128で伝えてきたが、今回の特別清算開始命令によって、とりあえず幕が降ろされたことになる。それにしても実際の負債や粉飾決算はどれほどだったのだろうか。
 やはり本クロニクル135で、広島を中心とするフタバ図書の粉飾決算、同138などで文教堂GHDの事業再生ADR手続きを伝えてきたが、コロナ禍の中で、それらの行方はどうなるのであろうか。

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6.三洋堂HDの連結決算は売上高199億6500万円、前年比2.1%減、営業利益は1億5100万円、同370.1%増、親会社株主に帰属する当期純損失は13億400万円(前年は3億800万円の損失)。
 その内訳は「書店」部門売上が125億7000万円、同2.6%減、「レンタル」部門が20億4500万円、同12.3%減だが、フィットネスジムなどの「新規事業」、「文具・雑貨・食品」「古本」「TVゲーム」の4部門が健闘した。
 しかし当期は販売管理費の削減もあって、営業利益は伸長したが、繰延税金資産10億1500万円を取り崩した他、減損損失5億2500万円と計上したことで、最終利益は損失となった。

 来期については売上高190億円と予測されている。だが今期の決算はまだ新型コロナウィルスの影響は小さいが、来期は厳しいと判断するしかない。
 「書店」「レンタル」部門の大幅なマイナスは避けられないだろうし、フィットネスジムなどの「新規事業」も直撃されていて、現在の旧店舗以上の導入は難しくなるかもしれない。
 1975年の郊外店出店の嚆矢としての三洋堂も、どこに向かっていくのだろうか。



7.「しんぶん赤旗」(5/19)によれば、世界一の古書街とされる神田神保町の古書店も9割以上が休業となっている。

「書店」と異なり「古書店」は東京都の休業要請の対象となったことも反映されているのだろう。
 靖国通り沿いには128店の中小古書店があるが、大半がシャッターを閉めたままの風景が出現してしまった。
 それらの店は3分の1が自店舗で、その他は賃貸である。家賃は最低50万から150万円ほどで、さらに倉庫代や人件費が加わる。ある古書店は東京都感染拡大防止協力金100万円、国の持続給付金200万円を申請中だという。
 それだけでなく、さらに問題なのは、古書を売り買いする「市場交換会」が開けないことである。それは読者を対象とする古書市も同様で、一日も早い再開が望まれる。



8.昨年から『日本古書通信』に連載されてきた「初版本蒐集の思い出―川島幸希さんに聞く」がこの5月号で10回目の最終回を迎え、そこで「初版本の未来」が語られているので、紹介しておきたい。

★ 今回の新型コロナウィルスによって、古本屋の経営が一層厳しさを増し、廃業をせまられる店も出てくるのは必定です。そのことによって、初版本の未来も大きく変わっていく。
★ 近年初版本の価値は下落の一途を辿り、まだ底が見えていない。ただ泉鏡花・夏目漱石・太宰治のように下落率が低い作家と、島崎藤村・志賀直哉・川端康成・井伏鱒二といった「暴落」している作家に分かれてはいるけれど、「安くなっている」ことは確かで、物価がはるかに安い半世紀前と同じである。
★ これだけ古書価が下がることは初版本需要がないこと、絶望的なまでの現代文学初版本の不人気もあるが、最大の問題は初版本を購入する若い年齢層が薄いことだ。
★ 若いコレクターが育たないのは、近代文学作品を読んでいないこと、また経済的問題も見逃せない。
★ 若い人が参画しない趣味の世界の将来が暗いこと、初版本の世界も同様ではないかと危惧していたが、近年すこしだけ光明が見えてきたし、それは想像もしなかったところから見えてきた。
★ それは5年前の大学祭での太宰治展と翌年の夏目漱石展の開催の告知・宣伝のために「初版道」というカウント名のツィッターを始めたことによる。このツイートのほとんどは珍しい初版や署名本の紹介で、当初からフォロワー数は順調に増え、漱石展が終わる頃には5千人近くになっていた。
★ そこで継続することにし、フォロワーとの交流方法として、初版本プレゼントを考え、近代文学を代表する作家たちの初版本を贈る企画を始めた。しかも送料も含めて無料で。そして今日まで初版本をプレゼントしたフォロワーは約4千人、現在のフォロワー数は1万6千人となった。それらの人々が初版本を買ったり、大学で近代文学を学ぶようになったりもしている。
★ また最後に川島は付け加えている。もちろんこれらの人々が「初版本コレクター」になることは少ないにしても、「初版本の世界の魅力を発信し、サンタクロースのように本を贈り続ける。それが自分にしかできない使命だと思っています」と。


 私は初版本などにまったくの門外漢なので、この川島の「初版本の未来」に何のコメントも付せないけれど、「初版道」だけでなく、蒐集家による「署名本道」「限定本道」などのアカウントも立ちあがってくれればと思う。
 それからこれは奇異に思えるかもしれないが、本クロニクルにしても「出版業界の未来」に関して、現在状況の分析を通じて予測することを目的としているし、「それが自分にしかできない使命だ」と考えているのである。
 もうしばらく「サンタクロースのように」贈り続けることを約束しよう。



9.図書館などの被災・救援サイト「save MLAK」の新型コロナウィルスによる図書館動向調査によれば、対象1626館のうち、88%に及ぶ1430館が休館。
 その内訳は都府道県率図書館43館、市町村立図書館1387館。

 私が使っている市立図書館もずっと休館し、5月半ばに再開したけれど、新聞や雑誌の閲覧はできず、ほぼ貸出だけであるために、閑散としている。
 ただTRCの電子図書館サービスは全国276館に導入されているようだが、3月期の貸出は4万5100件、前年同月比255%増、4月貸出は6万7000件、同423%増となっている。
 これらがコロナ禍の図書館の光景をいえるが、書店や古本屋だけでなく、コロナ後の図書館もどうなるであろうか。



10.TRCの決算は売上高462億7800万円、前年比2.3%増、経常利益は23億7100万円、同12.0%増の増収増益。

 TRCの場合は、やはり公共図書館市場という安定した低返品率、及び出版社との直取引の拡大によって成長を続けていることになろう。
 それにでふれた電子図書館サービスの伸長も加われば、コロナ禍の中にあっても、来期も安定しているかもしれない。
 しかし図書館と読者をめぐる問題は必然的に変わっていくだろう。



11.KADOKWAの連結決算は売上高2046億5300万円、前年比1.9%の減、営業利益は80億8700万円、同198.7%増、経常利益は87億8700万円、同108.9%増
 当期純利益は80億9800万円(前年は40億8500万円の純損失)の減収増益。
 同社は子会社55社、持分法適用会社16社で構成され、出版、映像、ゲーム、ウェブサービスを事業領域としている。
 出版事業売上高は1173億3000万円、前年比1.2%増。電子書籍、電子雑誌は90億円超で、過去最高の売上。ネット書店などの売上も前年比50%増。
 ただ同事業の営業利益は62億4800万円、同13.9%減で、物流費増加の影響とされる。

  その一方で、KADOKWAは『東京ウォーカー』『横浜ウォーカー』『九州ウォーカー』を休刊すると発表。『東京ウォーカー』は1990年のバブル時の若い世代向けの情報誌として創刊されたことを思い出す。
 『東海ウォーカー』『関西ウォーカー』は刊行を続けるとされるが、いずれは休刊となるだろう。
またKADOKWAと角川文化振興財団は7月に予定していた大型文化複合施設「ところざざわサクラタウン」のオープンを11月以降に、6月予定だった「角川武蔵野ミュージアム」のプレオープンも7月下旬から10月に遅らせることを決定している。
 これらも新型コロナウィルスの影響であり、KADOKWAにしても、来期はコロナ禍と直面せざるを得ないだろう。
東京ウォーカー 横浜ウォーカー 九州ウォーカー 東海ウォーカー 関西ウォーカー



12.小学館の決算は総売上高977億4700万円、前期比0.7%増、経常利益55億7700万円、同26.8%増。当期利益39億2600万円の増収増益。
 そのうちの出版売上は497億1000万円、同8.8%減、広告収入は107億2900万円、同1.5%増、デジタル収入は248億5400万円、同21.1%増、版権収入等は124億5400万円、同8.6%増。
 出版物売上の内訳は雑誌が207億200万円、同9.8%減、コミックスが166億6800万円、同9.1%減。書籍が106億8800万円、同0.1%減、パッケージソフト16億5200万円、同33.3%減。

 今期において、小学館のデジタル収入は雑誌売上を上回り、さらにコミックと書籍の売上の合計金額にも迫り、総売上高の4分の1を超える規模になっている。
 来期はそれがさらに推進され、逆に出版売上はコロナ禍と相乗し、後退していくことになろう。



13.メディアドゥHDの連結決算は売上高658億6000万円、前期比30.2%増、営業利益は18億5300万円、同26.3%増、経常利益17億6100万円、同18.0%増。当期純利益は8億8400万円(前期は12億4300万円の純損失)となり、最高益を計上。
 同社は電子書籍流通事業が売上の98%を占め、その売上高は645億2900万円、前年比28.7%増、営業利益は18億6100万円、同15.0%増。

 メディアドゥの設立、株式上場、出版デジタル機構の買収などに関して、必要とあれば、『出版状況クロニクルⅤ』を参照してほしい。
 いずれにしても、11のKADOKAWA、12の小学館で見たように、電子書籍、電子雑誌の成長が好決算を支えていることになる。
 それは今回言及しなかったけれど、インプレスHD、イーブックイニシアティブジャパン、実業之日本社などの決算も同様で、新型コロナウィルスの影響を背景として、さらに推進されていくだろう。そのことが書店にどのような結果をもたらすかはいうまでもない。
出版状況クロニクル5



14.『FACTA』(6月号)にジャーナリストの永井悠太郎の「テレビ・新聞・出版『底なし収入減』」が掲載されている。
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 12で小学館決算における広告収入の微増を見たばかりだが、このレポートによれば、新型コロナウィルスの影響で、テレビと新聞の広告が急減しているようだ。
 とりわけ民放テレビは広告収入が要なのに、イベント収入も壊滅状態となり、20年はローカル局の赤字決算が相次ぎ、ローカル局再編が加速するとされる。
 また新聞も広告収入が激減し、在京4紙の3月の広告掲載段数は朝日新聞の前年同月比19.7%減を始めとして、大幅に下回っている。それは地方紙も同様である。
 新聞販売店の収入の柱であるチラシの減少も深刻で、千葉県では7割減というところも出てきている。
 出版関係にはふれなかったけれど、20年は雑誌広告の激減に見舞われるかもしれない。



15.『現代思想 』(5月号)が緊急特集「感染/パンデミック」を組んでいる。

現代思想

 これは緊急特集ということもあって、玉石混交の印象を否めないけれど、ヴィジャイ・プラシャド+マヌエル・ベルトルディ/粟飯原文子訳「パンデミックで人びとを破滅させはならない」の一読をお勧めしたい。そこでは16ヵ条の提言がなされ、これまで見たなかで最も見事なパンデミック処方箋のように思える。
 この執筆者たちと論考に関するコメントは何も付されていないが、アフリカから発信されたと見なせよう。



16.元小澤書店の長谷川郁夫がなくなった。享年72歳。

 長谷川とはもう30年以上会っていなかった。時の流れはあまりにも早く、毎月のように出版関係者も鬼籍に入っていく。
 残念なのは長谷川が第一書房史として『美酒と革嚢 』(河出書房新社))を上梓したにもかかわらず、自らの小澤書店史を書き残してくれなかったことだ。
 誰かが代わりに書いてくれるだろうか。
美酒と革嚢



17.『近代出版史探索Ⅱ』は5月末発売。
近代出版史探索Ⅱ
 今月の論創社HP「本を読む」52は「コーベブックス、渡辺一考、シュウオッブ『黄金仮面の王』」と奢霸都館」です。