出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1083 中山太郎編著『校註諸国風俗問状答』と東洋堂

 本探索1072で喜多村信節『嬉遊笑覧』を取り上げ、また同1078の博文館「帝国文庫」の校訂者が柳田国男と中山太郎であることにもふれておいた。その関連から、『喜遊笑覧』と同様に柳田が推奨し、しかも中山が編者とし、上梓している一冊に言及してみたい。

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 それは中山太郎編著『校註諸国風俗問状答』で、昭和十七年に東洋堂から出されている。まずはやはり柳田の『郷土生活の研究法』(『柳田国男全集』28所収、ちくま文庫)の「計画的採集の試み」から引いてみる。初版は昭和十年刀江書院からの刊行である。

f:id:OdaMitsuo:20201015152641j:plain:h115(『校註諸国風俗問状答』)f:id:OdaMitsuo:20201015153603j:plain:h120

 (前略)独逸のグリム兄弟などとほぼ同じ頃に、日本でも計画ある民俗の採集に着手にした例があった。江戸期も終りに近い文化の十三四年頃、江戸では屋代弘賢を中心とした一群の学者が、『諸国風俗問状』という小冊子を印刷して、これを各地方の知人に頒ち、その答信を求めようとしたことがある。屋代氏は輪池と号し、書家としてまた蔵書家としても有名な人であったが、一方には幕府に仕えて寺社奉行手付という、かなり田舎の人には押しの利く地位にあったから、多分そういう関係も利用してなるべく全国的に、多くの報告を集めようとの企てがあったと思われる。民間の学者としては石原正明、中山信名などという人もこれに関与し、この人たちも交際が広かったろうから、この帳面はかなり数多く、発送したものであろうと思う。しかし残念なことには、屋代輪池が天保十二年に高齢をもって物故するまでには、その返事はいくらも集まって来なかったらしい。

 それから柳田は残っている『諸国風俗問状答』を具体的に挙げていく。那珂通博(青峯)の『秋田風俗問状答』、菅茶山による備後福山領の『答書』、越後長岡領の『北越月令』、中山美石による三河吉田領の『風俗答書』などである。

 これらの『諸国風俗問状答』の集大成が先の『校註諸国風俗問状答』だといっていいだろう。ここには『奥州秋田風俗問状答』を始めとして、十五の『風俗問状答』が収録されている。『近代出版史探索』49などで中山にふれてきたが、その仕事がこのような『風俗問状答』の校註にまで及んでいることは、同書を古書目録で見つけ、入手するまで知らないでいた。それに柳田よりもさらに詳しく、これだけの『風俗問状答』の「解題」と収録があるのは、中山のこの一冊だけのように思われるので、煩をいとわず挙げてみる。

近代出版史探索
 1『奥州秋田風俗問状答』
 2『奥州白川風俗問状答』
 3『三河吉田領風俗問状答』
 4『越後長岡領風俗問状答』
 5『大和高取藩風俗問状答』
 6『若狭小浜風俗問状答』
 7『丹後峯山領風俗問状答』
 8『備後浦崎村風俗問状答』
 9『淡路国風俗問状答』
 10『阿波国風俗問状答』
 11『和歌山風俗問状答』
 12『伊勢白子風俗問状答』
 13『陸奥国信夫郡伊達郡風俗問状答』
 14『天草風俗問状答』
 15『莉萩邑風俗問状答』

f:id:OdaMitsuo:20201015154421j:plain:h120(『大和高取藩風俗問状答』)

 これらの入手写本先、及び出版者や発見者、掲載誌にもふれておくべきだろう。1の『奥州秋田風俗問状答』と5の『大和高取藩風俗問状答』は柳田国男、4の『越後長岡領風俗問状答』は新潟の彌彦神社文庫、6の『若狭小浜風俗問状答』は京大図書館、7の『丹後峯山領風俗問状答』は丹後峯山の毛呂清春、3の『三河吉田領風俗問状答』と9の『淡路国風俗問状答』は河本正義、8の『備後浦崎村風俗問状答』は『備後史壇』、2の『奥州白川風俗問状答』は安藤菊二、10の『阿波国風俗問状答』、11の『和歌山風俗問状答』、12の『伊勢白子風俗問状答』、13の『陸奥国信夫郡伊達郡風俗問状答』、14の『天草風俗問状答』、15の『莉萩邑風俗問状答』は三井文庫であった。

 中山によれば、ようやく入手した1、4、5、6、7は大正十二年の関東大震災によって烏有に帰し、これらの『風俗問状答』を再入手、あるいは発見するのに四半世紀を経ているという。それらにまつわる様々な機縁から多少の註釈を付して出版したいと考え、昭和十九年に脱稿に至ったとされる。私が入手した一冊は裸本で、背の部分の痛みも目立つけれど、菊判上製六八〇ページに及び、よくぞ戦時下に刊行してくれたという思いも生じさせる。

 中山は「損益を超越して本書の発行をお引受くだすつた、東洋堂の亀井義雄氏」に対して、謝辞を述べているが、奥付を見ると、東洋堂は神田区司町に所在し、発行社は三井八智郎とあることからすれば、後半の六つの『風俗問状答』が見出された三井文庫関係者との推測も成り立つ。東洋堂の出版物はこの一冊しか見ていない。だが配給元として日配の記載があるので、ここにも戦時下の出版の謎が潜んでいるのだろう。


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出版状況クロニクル150(2020年10月1日~10月31日)

 20年9月の書籍雑誌推定販売金額は1183億円で、前年比0.5%増。
 書籍は685億円で、同0.3%増。
 雑誌は498億円で、同0.8%増。
 その内訳は月刊誌が423億円で、同3.6%増、週刊誌は74億円で、同12.7%減。
 返品率は書籍が31.7%、雑誌は37.5%で、月刊誌は36.5%、週刊誌は42.4%。
 書籍は池井戸潤『半沢直樹 アルルカンと道化師』(講談社)初版30万部を始め、馳星周『少年と犬』(文藝春秋)、『会社四季報 業界地図2021年版』(東洋経済新報社)などがヒットし、さらに返品減が加わり、微増となった。
 雑誌は『鬼滅の刃』(集英社)の売れ行きは落ち着き始めたが、『ONE PIECE』『キングダム』『SPY×FAMIRY』(いずれも集英社)や『進撃の巨人』(講談社)などの新刊が続き、返品も大きく改善し、プラスとなった。

半沢直樹 アルルカンと道化師 少年と犬 会社四季報 業界地図2021年版

鬼滅の刃 ONE PIECE キングダム SPY×FAMIRY 鬼滅の刃



1.出版科学研究所による20年1月から9月にかけての出版物販売金額の推移を示す。


■2020年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2020年
1〜9月計
913,739▲2.3508,349▲2.3405,390▲2.3
1月86,584▲0.649,5830.637,002▲2.2
2月116,277▲4.071,395▲3.244,882▲5.2
3月143,626▲5.691,649▲4.151,977▲8.1
4月97,863▲11.747,682▲21.050,181▲0.6
5月77,0131.942,3839.134,630▲5.7
6月96,9827.448,9789.348,0045.5
7月92,939▲2.844,755▲7.048,1841.4
8月84,072▲1.143,3694.640,704▲6.5
9月118,3820.568,5550.349,8270.8

 20年9月までの書籍雑誌推定販売金額は9137億円で、同2.3%減。前年比マイナス217億円である。これは近年にない低いマイナスで、5、6、7月と3ヵ月書籍雑誌のプラスが生じたことによっている。
 18年と19年の数字は本クロニクル126、138にも掲載しておいたが、18年のマイナスは728億円、19年は408億円だったから、それだけ見れば、かなり改善されたともいえる。
 しかしリードでも書いておいたように、1億部に及んだという『鬼滅の刃』を始めとするコミックの好調による要因が大きいと考えられる。
 だが出版科学研究所のデータは取次ルートの送品に基づいていて、書店の実売金額ではない。それにコロナ禍が重なり、このような販売金額となったのか、現時点では判然としない。
 続けて書店決算などにふれていくけれど、その点を了承してほしい。また『出版月報』(10月号)も特集「新型コロナウィルス感染拡大と出版界」を組んでいるが、「前編」なので、来月を「後編」を待って言及するつもりでいる。



2.文教堂GHDは20年8月期に債務超過を解消する見込みを発表。
 19年6月、文教堂GHDと文教堂の2社は「事業再生ADR手続き」を申請し、債務者会議で再生計画案を諮り、東証の上場維持を図った。
 その結果金融機関6行が借入金元本の返済を一時停止し、41億6000万円、日販は5億円を出資し、借入金の一部を債権の株式化によって支援することになった。
 文教堂GHDの第3四半期売上高は166億2800万円、前年比9.8%減だが、純利益は3億3000万円と黒字転換。

 文教堂の「事業再生ADR手続き」に関しては本クロニクル135、その債務超過、大量閉店については同129、132などで既述しておいたので、必要ならば、そちらを参照してほしい。
 しかし文教堂に対して、やはり本クロニクル148でふれておいたように、経済誌で継続疑義の企業に挙げられていた。
 確かにこのような事業再生によるならばば、危機に陥っている小売業の存続はできるが、事業の再建は可能かと問うべきだろう。文教堂の取次とのタイアップ、及び郊外店大量出店によるナショナルチェーン化と上場化というビジネスモデルは、もはや終わっていると考えられるからだ。
 本クロニクル135で、文教堂、日販、金融機関のトライアングルの行方への注視を促しておいたが、まだ最終的決着はついていないと見るべきだろう。
 その後、文教堂GHDは45歳以上の正社員25人の希望退職を募ると発表した。
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3.精文館書店の決算が出された。
 売上高は207億8700万円、前年比7.1%増で、過去最高を記録。営業利益は6億1700万円、同40.5%増、当期純利益は3億4600万円、同26.4%増。
 その内訳は「書籍・雑誌」128億854万円、同11.7%増、「文具」22億7830万円、同7.8%増、「セル(CD・DVD・新品ゲーム・中古ゲーム)」20億8444万円、同1.7%減、「AVレンタル」25億8516万円、同7.3%減、「金券(図書カード、POSAカード)」4億9801万円、同8.3%増、「その他」5億3325万円、同19.4%増。

 前年度の精文館書店の決算は、本クロニクル138で既述しているので、これも必要とあれば見てほしいが、前年は800坪を越える大型店出店にもかかわらず、1.9%減だった。
 今期の出店は366坪のTSUTAYA BOOKSTOREテラスモール松戸の1店だけで、「書籍・雑誌」は11.7%増となっている。
 コロナ禍の影響もあってなのか、釈然としない印象を与える。
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4.2021年3月31日に消費税転嫁対策特別措置法が失効し、出版やムックなどの出版物に適用されていた消費税別価格表示の特別措置も終了となる。それに伴い、4月1日からは総額表示(税込価格)義務が発生する。
 財務省は書協、雑協に対し、特別措置の執行を前提で進めてほしいし、スリップのボウズ、カバー、本体の一ヵ所でも税込価格を表示すれば、総額表示義務を満たすと明示した。
 総額表示義務違反に関して、消費税上の罰則規定は設けられていない。また書協は出版社や書店の負担を懸念し、関係省庁に対し、特別処置の延長を要請してきたとされる。

 この問題に対して、書協は9月18日に、4月1日以降の刊行物が対象で、「総額表示表記のしおり」の挟み込みを提案している。また日本出版者協議会は9月28日付で「消費税総額表示義務の特例の『無期限延長』、『外税表示』許容の恒久化を強く要望する」との声明を出している。
 しかし何よりも問題なのは書店在庫、つまり出版社の社外在庫で、それが半年余りで解決できるとは思われない。書協の消費税対応はその導入時の1989年から失敗の繰り返しで、今回もその轍を踏まないことを望むばかりだ。
 前回の本クロニクルで、この問題が政治マターとされていることを伝えた。そうして水面下で延長化の動きが進められていたようだが、どうも実を結ばなかったと伝えられている。



5.2018年の税制改正で決まった「返品調整引当金廃止」の適用が半年後の21年4月から始まる。
 この制度変更は出版業界特有の「委託販売」「常備委託」の特異性を見直すことにもつながるとして、『文化通信』(9/18)が碇信一郎公認会計士にヒアリングしているので、それを要約してみる。


2021年4月から「収益認識に関する新しい会計基準」の適用に伴い、税法が改正され、その中に「返品調整引当金の廃止」が含まれているので、ほとんどの出版業界関係者に影響が及ぶ。この「廃止」には10年間の経過措置がとられるにしても、出版社の税負担が増えることは間違いない。
例えば、これまでの返品付き販売において、出版社が取次への販売時にすべて収益を計上していた。しかし今後は返品が見込まれる金額(売価ベース)については計上できなくなり、「返品負債」として計上し、また返品が見込まれる分は「返品資産」として計上する。そして決算日に返品負債と返品見積もりが正しかったかどうかを見直す必要がある。
それに照らし合わせれば、出版業界の「委託販売」は「返品条件付き販売」で、一般の「委託販売」とは異なり、再販制に基づいて書店に預けたかたちとなり、出版社にしても書店にしても、主体的に販売しているとは言い難い。
「常備委託」は「預け在庫」だが、売上を計上している。だが実際に出版社には1冊目が売れ、次の本が入った時に初めて売上を計上しているので、本来の売上計上の時期がずれている。このように出版業界の当たり前の取引にしても、この収益認識基準の変更を機とし、新たに考える必要がある。


 ここでは言及されていないが、書店の新規開店に当たり前のように乱発されている「委託販売」や「常備委託」にしても、当然のように見直しを迫られることになろう。しかもその「委託販売」や「常備委託」が書店の資金繰りのための返品となって早期に出版社へと戻されていることも考慮に入れなければならない。
 これらも含めて、すべての問題を先送りして、また出版業界のつけが現実化しようとしているのだろう。



6.流通情報誌『激流』(11月号)が特集「止まらぬ閉店ドミノ 活路はどこに」を組んでいる。
 とりわけジャーナリスト石橋忠子レポート「一等地の空洞化で始まる街と企業の再生モデル構築」は生々しい。そこではすさまじいまでのコロナ閉店が語られている。
 外食産業はジョイフルが200店、コロワイドが196店、吉野家HDが国内外で150店、ペッパーフードサービスが114店、チムニーが72店、ロイヤルHDが70店、ワタミが65店とこの7社だけで約850店に及ぶ。
 アパレルもレナウンの破綻に加え、オンワードHDが700店、ワールドが358店、三陽商会が150店、TSIHDが210店、ジャパンイマジネーションが今年度中に92店と、6社だけで2000店以上になる。
 外食やアパレルだけでなく、ファッション雑貨、眼鏡、生花、スポーツ用品、アニメショップなども次々と閉店し、カラオケボックスはすでに500店が閉店したと見られる。
 さらに赤字店舗続出で、閉店ラッシュはこれから本格化することも確実だとされる。

激流


7.『日経MJ』(9/23)も「モールに迫る空洞化の足音」と題し、1月から6月にかけて、全国2800ヵ所の商業施設の出退店データから、アパレルや外食を中心にテナント1140店が純滅したことをレポートしている。
 施設の飽和感、ネット通販との競合の厳しさ、コロナによる集客力の落ち込みが、巨大なショッピングモールの存在危機を問うていることになる。

 書店の閉店はそこまで目に見えて増えていないが、年末から来年にかけてどうなるのかわからない。
 小出版社の側から見れば、出版協加盟社の3月から5月売上は平均27.8%減、楽天ネットワークの入金は返品相殺され、入金がないところも多いようだ。しかもコロナ休業や閉店の返品はこれから本格化するのではないかとの観測も出されている。
 書店と同じく、出版社のほうもコロナ危機には深刻である。



8.日販とトーハンは雑誌返品業務の物流拠点を統合し、11月から日販グループの出版共同流通蓮田センターで段階的に実施する。
 今後、書籍返品業務、書籍新刊送品業務、雑誌盗品業務も含め、協業の検討を進め、物流作業の効率化を通じ、出版流通網の再構築をめざすとされる。

 このような動向を受けてなのか、10月から中央社が物流をトーハンに業務委託することで、自社の集荷も中止となっている。
 中央社の帖合書店、スタンドは900弱とされるが、これからはトーハンの書店コードが使われることになる。
 この数ヵ月、病院内の書店の閉店が目につくけれど、おそらくこうした中央社のトーハンへの業務委託と関連しているのだろう。



9.出版物貸与権管理センター(RRAC)は第13回(平成31年度分)の貸与権使用料の分配を発表。
 分配額は14億9000万円で、第12回の16億300万円、第11回の21億2000万円という3年連続の減少。ピークは第10回の23億5100万円。
 レンタルブック店は1865店で、16年2172店、17年2069店、18年1973店とこちらも減少が続いている。
 RRACは2007年から貸与権に基づき、コミックを中心としたレンタルブックの貸与権使用料を徴収し、著作者に分配する業務を行ない、第1回(平成10年度分)の分配金額は5億2000万円だった。

 ピーク時から比べれば、9億円近いマイナスで、レンタルコミックももはや下り坂となっていることが歴然である。
 それもあってなのか、ゲオではレンタルコミックが大量に放出され、一冊50円で売られている。
 しかし今年の神風だったといえる『鬼滅の刃』がレンタルコミックとなれば、今一度盛り返すかもしれない。



10.『出版月報』(9月号)が特集「タレント写真集」を組んでいる。
 1990年代前半にヘアヌード写真集がブームとなり、91年の樋口可南子『water fruit』、宮沢りえ『Santa Fe』(いずれも朝日出版社)がそれぞれ55万部、165万部と大ヒットした。それをきっかけとして、92年20点、93年80点、94年には200点超が刊行されたのである。
 それらを追った「タレント写真集と関連本30年の歴史(1990~2020年)」は出版史資料として貴重なものだ。


f:id:OdaMitsuo:20201026191825j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20201026192317j:plain:h120water fruit f:id:OdaMitsuo:20201026180319j:plain:h120

 この30年史を見ていて想起されるのは、本格的な消費社会を迎えての広義の意味における芸能書とスポーツ書の隆盛、及びそれらにまつわるセレブティ出版のこれまでなかった台頭である。ブックオフの棚を眺めると、それらの多くが売れずに棚を占め、残骸のように残っている。
 折しも『週刊ポスト』(10/9)が「ヘア・ヌード完全カタログ」を謳っているので、購入してみると、1994年に刊行された『井狩春男のヘア・ヌード完全カタログ』(飛鳥新社)の転載であった。
 そういえば、鈴木書店倒産以来、井狩とも二十年近く会っていない。お達者であろうか。
週刊ポスト



11.電子ストア「まんが王国」を運営するビーグリーはぶんか社、及びグループ会社(海王社、新アポロ出版、文友社、楽楽出版)の持ち株会社であるNSSK―CCの全株式を取得し、子会社化。買収金額は53億円。

 ぶんか社はかつての日本文華社で、コミックや新書を出し、雑誌の『みこすり半劇場』は岩本テンホーのベストセラーコミックの掲載誌でもあったし、かなり楽しませてくれた記憶がある。海王社はヘア・ヌード写真集の版元、文友社と楽楽出版はぶんか社の会社分割による子会社とされる。新アポロ出版は自動車雑誌関連の編集プロダクション。
 19年のぶんか社単体売上高は45億円、純利益7億円とされるが、この買収は三井住友銀行をメインとする70億円のシンジケートローンによってなされたようだ。
 本クロニクル148で、やはり買収されたKKベストセラーズの現会長が三井住友銀行出身であることにふれておいた。出版社のM&Aとその後の経過を知ると、それが本当に魑魅魍魎としていることに気づかされる。
 このような出版状況下において、そうした事例はいくつもあると推測される。
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12.光文社は女性ファッション誌『JJ』を21年2月で定期刊行を終了。
 同誌は1975年創刊で、若い女性のみならず、服飾関連バイヤーたちの必読誌でもあった。

『JJ』

 のアパレルの大量閉店と必然的に結びついているはずで、それは女性誌全体にも及んでいくのかもしれない。



13.「朝日歌壇」(10/25)にまたしても一首を見つけたので引いておく。

       硝子戸をのぞけばいつも背表紙が
               手まねきしていた三月書房 
    (大和郡山市 四方 護)

 その後の「硝子戸」の向こうはどうなったのであろうか。
 6月に閉店したはずの「三月書房が店を開けてる?」という記事も見出せる。



14.アメリカで三島由紀夫写真集 『男の死』" The Death of a Man ”が出されているようだ。

The Death of a Man 薔薇十字社とその軌跡 f:id:OdaMitsuo:20201026150456j:plain:h110

 これは『薔薇十字社とその軌跡』(「出版人に聞く」シリーズ10で、内藤三津子が未刊に終わった写真集として語っていた一冊である。三島は遺言のように、必ず出してほしいと言い残していたが、『底本三島由紀夫書誌』を出すことを優先したために、未刊に終わってしまった。
 どのような経緯があってのアメリカでの出版なのかは詳らかではないが、半世紀が経っての刊行であるだけに、何らかの事情も潜んでいるにちがいない。



15.論創社HP「本を読む」〈57〉は「岡本太郎とマルモル・モース」です。
 『近代出版史探索Ⅳ』は10月上旬刊行されました。


近代出版史探索Ⅳ

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古本夜話1082『東京書籍商組合員図書総目録』

『一誠堂古書籍目録』に続いて、やはり巌松堂の同じ目録『日本志篇』を取り上げてきたわけだが、これらには範があったと思われる。

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 それは『東京書籍商組合員図書総目録』(以下『図書総目録』)である。この目録は拙稿「図書総目録と書店」(『書店の近代』所収)でふれておいたように、明治二十六年から昭和十五年にかけて、九回にわたり、東京書籍商組合から発行されている。ただ私にしても、手元にあるのは明治三十九年、大正七年、昭和四年、同十一年、同十五年の五冊で、明治二十六年、同三十一年、同四十四年、大正十二年版は入手できていない。

f:id:OdaMitsuo:20201012103450j:plain:h110 (『東京書籍商組合員図書総目録』) 書店の近代

 この二十年間に古書目録で見かけるたびに購入してきただけだけれど、近年はまったく目にしていないので、もはや稀覯本に近いとも考えられる。かなり前に全冊の復刻の話も仄聞しているが、そちらにも出会っていない。ここでは本来ならば、先のふたつの古書目録の直近の大正十二年版を例にすべきであろう。しかしそうした事情もあり、大正七年版のほうに言及してみる。

 まず大正七年版『図書総目録』の判型と厚さから初めてみる。それは菊判で十センチを超え、それぞれの書名リストが「五十音別」で六一七ページ、「発行所別」で五二〇ページ、「類別」で六一〇ページ、「著作者別」で四〇〇ページ、著作権法や出版法などを含んだ「付録」が三三ページ、さらに四〇〇余の「東京書籍商組合員」リストが九ページで、合計で二二〇〇ページ近い大冊なのである。

 その結果、「緒言」によれば、「本著に収載したる図書数は約二万種、此冊数実に三万三千有余冊の多きに上れり」を誇ることになり、明治二十六年第一半の三倍以上に及んだ。それは本探索でも繰り返し記述しているように、明治二十年代からの出版社・取次・書店という近代出版流通システムの誕生と成長、明治末に三千店だった書店が昭和初期には一万店に達したことに支えられていたし、この『図書総目録』のボリュームこそはその成果だったといえるだろう。それにこれは「東京書籍商組合員」の刊行書だけで、さらに非組合員、京阪神の書籍商、主として『近代出版史探索Ⅱ』で見てきた赤本、特価本、造り本業界も含めれば、倍以上の点数に至るであろう。そうはいっても戦後になってようやく『日本書籍総目録』が編まれたのは昭和五十二年だから、この戦前の『図書総目録』の試みの重要性は特筆すべきだと思われる。
 
近代出版史探索Ⅱ
 また忘れてはならないのは近代出版流通システムの誕生と成長は、博文館に象徴されるように、何よりも雑誌を背景としたもので、書籍はそれに相乗するかたちで歩んできたといっていい。その意味において、この『図書総目録』の編輯兼発行者が『近代出版史探索Ⅴ』852の大倉書店の大倉保五郎、専売所が博文館であることは皮肉な組み合わせのように映る。なぜならば、大倉書店は芳賀矢一『言泉』などのロングセラー辞書、夏目漱石『吾輩は猫である』『漾虚集』『行人』を刊行した当時の大手書籍出版社で、東京書籍商組合組長の要職にあり、この「緒言」もその肩書でしたためている。だが関東大震災で罹災し、廃業に追いやられてしまったのである。その一方で雑誌をベースとする博文館のほうは本探索1078で見たように、大震災後も昭和円本時代もしぶとくくぐり抜けていた。

 この『図書総目録』に「序」を寄せているのは東京帝大図書館長の和田万吉で、「見よ此時代に著された書籍は人間の知識のあらゆる方面に亘つて殆ど漏れる所無く、且其数量の多いことも以往五十年乃至百年の間の一時期に於ては曾て無い所である」と述べている。そしてこの編纂者が小林鶯里で、「余は此好目録が出版業者の唯一の参考書たるに止まらず、汎く読書人机上の常什たらんことを切望」し、また「明治大正時代の文化推移の状を大観せんとする人々の為に絶好パノラマとして本編を薦めたい」と書き記している。

 古書ゆえに『一誠堂古書籍目録』『近代出版史探索Ⅳ』623の明治文化研究会の吉野作造、『日本志篇』が柳田国男などを寄り添わせていたように、『図書総目録』は和田という図書館長と同伴させていたのである。

近代出版史探索Ⅳ
 ところで編纂者の小林鶯里だが、彼は『出版人物事典』に小林善八として立項されているので、それを示す。

 [小林善八 こばやし・ぜんぱち]一八七八~没年不詳(明治一一~没年不詳)文芸社主宰者。一九二二年(大正一一)二月、東京牛込区新小川町に文芸社を創立。月刊『文芸』を創刊、文芸・歴史書の単行本、叢書類を発行。鶯里と号し、該博な知識とエネルギッシュな活動で、三〇〇余の著述をし、文芸社からも多数発行した。ことに書誌学に通じ、『出版の実際知識』『世界出版美術史』『日本出版文化史』『日本出版年表』『出版界三十年』『出版法規総攬』など多くの出版関係の著書がある。東京書籍商組合の主事として、多年にわたり組合行政につくした。

 小林の著書は『日本出版文化史』を読んでいるだけだが、ここでいわれている書誌学に通じ、東京書籍商組合の主事として云々は、主として『図書総目録』の編纂の仕事のことをいうのであろう。なお小林と文芸社に関しては稿をあらためたい。

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古本夜話1081 波多野重太郎と『日本志篇』

 前回の『一誠堂古書籍目録』の他にも、少し遅れてだが、同時代に古書籍目録が出されている。それは巌松堂書店古典部が昭和三年に刊行した『古書籍在庫目録日本志篇』(以下『日本志篇』)である。こちらは四六判で、発行者は波多野重太郎となっている。彼も『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。

f:id:OdaMitsuo:20201011163621j:plain:h115 出版人物事典

 「波多野重太郎 はたの・しげたろう」一八七五~一九五八(明治八~昭和三三)巌松堂書店創業者。静岡県生れ。二〇歳で上京、一九〇一年(明治三四)麻布十番で新古書籍の販売をはじめ、〇四年(明治三七)巌松堂と命名。〇八年(明治四一)法律書の出版をはじめ、三書楼を設立した。一九一一年(明治四四)解散して再び巌松堂と改めた。二三年(大正一二)株式会社に改組。法律書に加え、経済・商業書も出版。五五年(昭和三〇)業務を巌松堂出版株式会社(出版)、巌松堂図書株式会社(図書販売)、波多野巌松堂(古書)に分割した。心理学者波多野完治の父。

 この立項によって、『日本志篇』の発行所が巌松堂書店古典部で、そこが古書販売を担っていたこと、一誠堂と比べて、社会科学が多い印象を与えるのは巌松堂がそれらの出版に携わっていたことも影響しているはずだ。それに加えて、タイトルが『日本志篇』とされたのは、日本の歴史、地理、さらに多くの郷土史なども広く収録し、そこに日本史ならぬ「日本志」の意味をこめたことによっているのだろう。それだけでなく、その他の分野分類においても、同様に「志」が選ばれているのであろう。

 そうした古書籍目録の特色をふまえ、柳田国男が「巻頭言」を寄せ、波多野のポジションにまで言及している。

 (前略)巌松堂主人なる者の、近年の進況はどうであるか。彼はつい此間まで、法律経済界の都人の著の、ハシリばかりに目を耀かせている出版家であつた。それが系統を立てゝ微細無力なる地方の古本を分類した迄は商売柄だとしても、其の未だ老いざる精力を蒐集に傾注して、忽ち此様な所蔵目録を、世に誇り示す腕になつたのである。若し国内の古本業者がみんな波多野君たるを得るものとしたならば、以前の私の比較研究などは、甚だ目先の見えぬ話であつたといふべきだ。が負惜みをいふならば此人には、はやり独特の技能と余分の親切とがあるからであらう。

 さらに続いて柳田は波多野が「地の利を得て」、「一廉の新刊書肆としての門戸を張」り、「何時売れるといふ当ても無い雑書どもを、近い郷里の土蔵に運んでしまつて置ける」一得にもふれている。本探索でもお馴染みの岡書院の岡茂雄に関して、「本屋風情」とあげつらった柳田の性格から考えると、これは他でもほとんど見られない最大のオマージュだといっていい。

 柳田はその前年に砧村の書庫を兼ねた書斎が完成し、昭和二年九月に蔵書ともども転居していた。おそらくそうした経験を通じて、柳田はあらためて資料の収集と蔵書の在り方、分類方法などについて、波多野の収集への情熱と『日本志篇』の編纂から大いなる示唆を得たのではないだろうか。柳田の「巻頭言」にはそれらの思いが表出していると感じるのは私だけであろうか。それはここに柳田は『近代出版史探索Ⅴ』973の『民間伝承論』へとリンクしていく一国民俗学の「想像の共同体」を幻視していたのかもしれないからだ。

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 それはともかく、この『日本志篇』の構成は一〇九六ページの「古書籍在庫目録」に二四ページの「索引」が付され、さらに新入品の「速報篇」一八八ページ、また巌松堂書店の「発兌図書目録」六四ページも加えられ、柳田をして感嘆せしめた波多野の「独特の技能と余分の親切」を実感させてくれる。それにこの『日本志篇』には前史があり、こちらもまた一冊の五六〇ページの『古書籍在庫目録』としてまとまり、前年の昭和二年にやはり巌松堂書店古典部から刊行されている。この一冊は昭和に入ってからの「在庫目録」と「入庫目録」を合本化したもので、『日本志篇』が五六一ページから始まっているのはそのためである。

 したがって、『一誠堂古書籍目録』は五万冊を下らないだろうと既述したが、この『日本志篇』『古書籍在庫目録』を合わせれば、それ以上に及ぶことは確実であろう。そして巌松堂書店古典部の何よりの特色は、これも柳田のいうところの「雑書」にも早くから目をつけていたことだろう。『古書籍在庫目録』の奥付裏一ページ広告には「和漢洋古書籍高価買入」より大きく、「雑本と珍本 探集業開始」とのキャッチコピーが躍っている。さらに「日本全国、樺太・鮮満・台湾等御報参上」ともある。これらもまた波多野の「独特の技能と余分の親切」に他ならないだろう。


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古本夜話1080 酒井宇吉と『一誠堂古書籍目録』

 前回の水谷不倒の『明治大正古書価之研究』の背景にあるのは、明治二十年代における近代出版業界の誕生と成長による古典類の復活だった。それらを通じての近代古書業界も形成され、そうした動向は古書展覧会や古書販売目録に支えられ、大正九年の東京古書籍商組合の成立へと結びついていったことは明白である。

 また水谷がいうように、「古書価の黄金時代」のピークが「昭和二年の暮れ」あったとの証言は、「典籍の廃墟」(内田魯庵)をもたらした関東大震災から昭和円本時代のとば口にかけてで、出版業界が円本の企画のために古書を必要としていたこと、それに古書業界もコラボレーションしていたことを伝えていよう。内田のいう「典籍の廃墟」、拙稿「地震と図書館」(『図書館逍遥』所収)を参照されたい。また古書需要の詳細は浩瀚な『東京古書組合五十年史』をたどってほしいので、これ以上の贅言は慎み、ここでは古書販売目録にふれてみたい。

図書館逍遥
 それは『一誠堂古書籍目録』で、酒井宇吉を編集兼発行者として、大正十四年十一月に刊行されている。奥付には「実費五円五十銭」という赤字の判が打たれ、一誠堂書店の検印も押されていることからすれば、目録であると同時に、一巻の書物として出版されたことになろう。それを象徴するように、上製クロス装のブラウンの表紙には古代ギリシアかエジプトの壁画と思しきイラストが金の箔押しで描かれている。それは目録にある洋書の『古代美術史』『古代埃及風俗誌』『希臘古匋』などから引かれた図版だったのかもしれない。

 この『一誠堂古書籍目録』は菊判、七八二ページに及び、「叢書類及大部数書類之部」から始まり、「欧米原書類之部」までの三〇部門に分類され、さらに「追加書類之部」五部門が加わっている。それらを合計すれば、全集類、通巻類、シリーズ物、雑誌バックナンバー揃いも多いので、概算だけれど、五万冊は下らないように思われる。酒井は一誠堂店主口上として、「大震災以来日や復興に鋭意致し在庫品の充実を図ると共に傍ら目録の編製に着手し茲に高覧に供するを得候事偏に江湖諸賢の御厚情に外ならす(ママ)と奉深謝候」と述べている。これは関東のみならず、全国卯的なルートでの和書洋書も含んだ大がかりな仕入れ収集を物語っているのだろう。

 酒井は幸いにして、古本屋にもかかわらず、『出版人物事典』に立項されているので、そのプロフイルを引いてみる。
出版人物事典

 [酒井宇吉 さかいうきち]一八八七~一九四〇(明治二〇~昭和一五)一誠堂書店創業者。新潟県生れ。一九〇六年(明治三九)上京して文陽堂書店を創業、一三年(大正二)神田に移り一誠堂書店と改称、古書販売に努めた。関東大震災で罹災したが仮営業所を建て復興、書物に飢えた人々が殺到、大きく営業を伸ばし、さらに古書店としては稀有の四階建ビルを完成した。店員の独立を奨励し、神田に多くの出身者の店を出した。反町茂雄も出身者の一人である。また、古書目録を作って通信販売を広めるなど新しい商売をはじめ、神田を全国的に知らせる役目を果たした。東京書籍商組合評議員をつとめた。

 その「復興」を物語るように、『一誠堂古書籍目録』の巻頭には本郷会館における「一誠堂古書籍展覧会開催日誌」が写真入りで示され、関東大震災の翌年の大正十三年には三回、十四年には十二回が開かれた事実を伝えている。それとパラレルなかたちで、『目録』も編まれつつあったはずで、酒井の「復興」努力は抜きん出ていたと考えられる。

 それらをふまえた上で、序文として、「一友人たる」吉野作造が「本屋との親しみ」を寄せ、中山太郎は「序文に代へて」で、「君が創業二十三年を記念するため古典籍の目録」の発行に、「その初めから計画に与つていた」と述べ、「此目録が古典籍界のエポツクメーキングとして、永く読書界に尊重され保存されることを信す(ママ)る」と語っている。また神代種亮は「雑感」で、関東大震災の焼野原に出現したテント張りの一誠堂こそは、震災後の読書界の古本熱に火をつけたという意味のことを述べている。その古本熱は旧物懐古の情と学術研究の必要上から発生したと思われるが、それはかつて見なかった現象で、さらに広範に拡がり、現在でもその勢いは衰えていないと。これらは前回の水谷の証言を肯うものであろう。

 さて膨大な目録から一冊を選んでふれてみようと思っていたが、やはり巻頭にカラー口絵写真として挙げられた一冊がふさわしいと目される。そこにある文言、体裁、古書価も合わせて示してみる。

 本書は一三六〇年自耳義人の筆写したる拉典文祈祷書にして、獣皮を四六判形に薄く削りたるもの八十三葉に古典的ゴチツク体以て揮毫し、内七枚は金泥極彩色の美麗なる聖画を描きあり。実に古雅掬すべく、書史学研究の一資料として稀覯の珍品なり。
 四六判総皮綴厚サ九分全一冊 売価一千五百円

 これは現物を見てもらうしかないが、どこの誰が購い、現在はどこに架蔵されているのだろうか。


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