出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル162(2021年10月1日~10月31日)

21年9月の書籍雑誌推定販売金額は1102億円で、前年比6.9%減。
書籍は659億円で、同3.8%減。
雑誌は442億円で、同11.1%減。
雑誌の内訳は月刊誌が372億円で、同12.1%減、週刊誌は70億円で、同5.6%減。
返品率は書籍が31.6%、雑誌は41.2%で、月刊誌は40.6%、週刊誌は44.0%。
前年のコロナ禍巣ごもり需要や『鬼滅の刃』の神風的ベストセラーの余波も止んだようで、
再び6月から前年比マイナスが4ヵ月にわたって続いている。
10月から緊急事態も蔓延防止処置も解除され、年末へと向かっていくが、果たしてどうなるであろうか。


1.出版科学研究所による21年1月から9月にかけての出版物販売金額の推移を示す。

 

■2021年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2021年
1〜9月計
917,9260.5520,5572.4397,370▲2.0
1月89,6513.550,5431.939,1085.7
2月120,3443.571,8550.648,4908.0
3月152,9986.597,0185.955,9807.7
4月107,3839.758,12921.949,254▲1.8
5月77,5200.742,006▲0.935,5152.6
6月96,623▲0.449,0740.247,548▲0.9
7月82,077▲11.742,677▲4.639,400▲18.2
8月81,109▲3.543,333▲0.137,776▲7.2
9月110,221▲6.965,922▲3.844,299▲11.1

 幸いにして、9月までは9179億円で、前年比0.5%増となっているが、6月からは連続4ヵ月マイナスであることからすれば、21年も前年比減は避けられないだろう。そうなると1兆2000億円を割ってしまうことになるかもしれない。
 それに加えて、コロナかとコミックの好調の中にあって、一時的に保たれていた書店状況が、さらにドラスチックに悪化していく可能性もある。その要因は本クロニクルでもたどってきたように、大手出版社を中心とするコミックのデジタル化とその配信、アマゾンとの直取引なども相乗していくだろう。
 またすでにアマゾン直取引は3600社に及んでいるとされるので、取次ルートの数字に基づく出版物販売金額の数字に強くはね返っていくかもしれない。
 9月の書店閉店は40店を超え、またしても増え始めたように感じられる。今年も余すところ2ヵ月となった。



2.インプレス総合研究所によれば、2020年度電子書籍市場規模は4821億円、前年比28.6%増。
 その内訳はコミックが4000億円を超える83.0%に及ぶが、写真集なども含む非コミックも556億円、同14.9%増となっている。

 本クロニクル154で、出版科学研究所による20年電子出版市場が3931億円であることを既述しておいたが、インプレス総合研究所データは20・4・1から21・3・31と時期が異なるにしても、900億円近くの上乗せとなる。
 それは「kindleストア」(アマゾン)、「楽天kobo電子書籍ストア」(楽天グループ)、「ebookjapan」(イーブックイニシアティブジャパン)などの大手電子書籍ストアの成長、200を超えた電子図書館の増加も影響しているのだろう。
これも本クロニクル153で、20年の出版物推定販売金額として、書籍が6661億円、雑誌が5576億円であることを示したが、インプレス総合研究所の電子書籍市場規模に従うならば、おそらく数年内に雑誌だけでなく、書籍も上回ることになる。 
 前回、集英社の決算にふれ、書籍雑誌の売上高380億円に対して、デジタル・版権収入が936億円に及んだことをレポートしておいた。それに小学館や講談社も続いていくであろうことも。
 そうなれば、取次と書店はどうなるのか。そうした電子書籍市場に、取次と書店は対峙していかざるを得ないところまできてしまったのである。

odamitsuo.hatenablog.com

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3.精文館書店の決算は売上高220億9500万円で、前年比6.3%増と過去最高で、当期純利益4億900万円、同17.3%増の2期連続増収増益決算。

4.大垣書店の決算は売上高132億5000万円で、前年比9.3%増で、3と同様に過去最高とされる。

5.11月に丸善が大阪松原市にセブンパーク天美店を282坪、紀伊國屋書店が山口県下松市にゆめタウン下松店を250坪オープン。

6.日本経営センター子会社のフローラル出版の姉妹会社BRCが、ふたば書房の京都駅八条口店を共同運営。
 BRCは55坪のうちの10坪を「売場の広告化」し、同店の家賃や人件費などを負担し、売上はBRCに計上する。ふたば書房は日販から仕入れ、BRCに卸す2次取次という立場になる。

7.楽天BN帖合の一般書店が日販へと変更。
 その書店数が800に及ぶ「楽天→日販への移行表」は地方・小出版流通センターの「取引出版社様」にあるので、ダウンロードできる。

8.那須ブックセンターが12月末で閉店。

9.日書連は加盟書店に対する21年度一般賦課金7400円を5400円に減額。

 明暗こもごもの書店状況を列挙してみた。
 3、4、5の大手書店、及び取次傘下グループは出店を続け、異業種も組みこむことで、売上を維持し、伸ばすという構図だが、どこまで続くのか。
 は他業種とのコラボレーションだが、立地の問題が大きく、どの書店にも応用できるものではない。おそらく店舗貸借契約期間がまだ残っているので、その間のつなぎのようなかたちで試みられたのであろう。
 の日販への帳合変更が数も多く、すべての書店がスムーズに移行するのかが気にかかる。 日販にしても、取引選別は不可欠だと考えるからだ。


 の那須文化センターは『出版状況クロニクルⅥ』で危惧しておいたとおりの結果となった。
 同センターは株式会社書店と本の文化を拡める会が栃木県那須市で55坪のコンビニ閉店店舗を安く借り、2017年に開店している。
 代表取締役を務めるベレ出版の内田眞吾会長が私財から3000万円の初期費用を負担して始まったが、赤字続きで、さらに持ち出しとなったと推測される。
 当初はマスコミの取材や露出も多く、売れると思いこんでしまったのだろう。『本の雑誌』(5月号)が「本屋がどんどん増えている!」という無責任な特集を組んでいたが、「本屋」と「書店業」の区別も弁えていないことは明白である。

 は現在の日書連加盟書店の窮状を示す象徴的な減額であろう。2000円といえば、1万円の売上の粗利だから、そこまで追いつめられていることになろう。
 コロナ禍の中で、書店閉店は減少気味であったけれど、9月はTSUTAYAを始めとして増加しつつある。それはこれからも続いていくだろう。

出版状況クロニクルVI: 2018.1~2020.12 本の雑誌455号2021年5月号



10.出版物貸与権センターは20年度分貸与権使用料として、17億円を54の契約出版社に分配した。出版社を通じて、著作権者にさらに分配される。
 昨年の分配額は14億9000万円だから、前年比14%増、レンタルブック店は1781店で、こちらは同75店減。

 レンタルブック店は減っていても、貸与権使用料は増えたわけだから、コロナ禍の巣ごもり需要とコミック人気が結びつき、このような増になったのだろう。
 レンタルブック市場規模はわからないけれど、貸与権使用料17億円を考えれば、かなりの規模になるし、現在のDVDなどのレンタル複合店にしても、動画配信の影響によるDVDの落ち込に対し、コミックは前年を上回っているので、他の売場に替えられることはないはずだ。だがこれ以上電子コミック配信が増えていけば、当然のことながらレンタルコミックにも影響が出てくると思われる。



11.新聞や出版などのマスコミ業界専門誌『新聞展望』が休刊。
同誌は1952年創刊で、令和とコロナ禍を迎え、「真実・自由・勇気」を信条とする業界紙としての一定の役割を終えたとの判断からとされる。

 かつてはよく『新聞展望』も見かけたが、近年はまったく目にしていなかった。『出版ニュース』に続く「業界紙」の休刊で、これまでの所謂「業界」すらも消滅していくことを問わず語りに伝えているように思われる。
 いずれにせよ、近代出版業界は終焉しようとしている。



12.岩波書店の坂本政謙社長が『文化通信』(10/19)のインタビューに応じているので、それを要約してみる。

 これまで通りでは立ち行かなくなるので、「岩波書店」の看板以外はすべて変えるという思いがなければ、外部環境に対応できず、淘汰されていく。
 「岩波書店」の看板を裏切らずに、書籍をトータルにプロデュースし、営業も編集者もそれを実践していく。
 電子書籍化は文庫、新書が中心で、単行本はほとんどなかったけれど、コロナ禍で電子版ニーズもあるとわかったので、その対応も進めていく。
 新卒採用はしばらくやっておらず、社員の年齢は日本社会と同じ高齢化だが、自分が56歳、執行役員の書く編集、製作、営業担当の3人は40代である。
 昨年は『宮崎駿とジブリ美術館』、桐野夏生『日没』、梨木果歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』『岸恵子自伝』がよく売れた。
 買切はこの出版状況下で、積極的に変えなければならないと思っていない。


宮崎駿とジブリ美術館  日没  ほんとうのリーダーのみつけかた  岸惠子自伝

 結局のところ、新社長として何も言っていないに等しい。現在の出版状況下において、看板と買切制は変えずに、営業も編集も一丸となって、現在に見合う書籍を送り出し、売っていくしかないということに尽きる。とても「業界全体の問題として対応を考えて」いるとは思えない。

 この一年間に二度、岩波文庫が棚一本分、ブックオフで売られているのを見た。一方は青帯の哲学系、他方は緑帯の日本文学系で、いずれも110円であった。それはもはや驚くべきことでもないが、それだけの分量が地場の古本屋に売られず、ブックオフに持ちこまれてしまったことに問題が凝縮しているのではないだろうか。 
 かつての岩波文庫の読者であれば、親しい古本屋がいるのが当たり前で、読者、書店、古本屋の三位一体が成立していた。しかしもはやそのようなコミュニティは崩壊してしまったのである。
 これからはそれが常態になるだろうし、そのことも淘汰の原因となるかもしれない。



13.「岩波ブックレット」(No.1052)の駒込武編『「私物化」される国公立大学』を読んだ。

「私物化」される国公立大学 (岩波ブックレット NO. 1052)

 私はアカデミズムに属していないので、日本学術会議問題にしても、ほとんど関心がなかった。
 しかし直販誌などでは毎月のように法人化された大学と病院の不祥事がレポートされ、それにこのブックレットが提起している問題を重ねると、私がこれから出していくつもりのいくつかのコモン論とリンクする病巣のように見えてきた。
 ここではこうした国公立大学の「私物化」が政府自民党による新自由主義的改革に起因すると述べられているけれど、グローバリゼーションとインターネット環境に包囲されつつある中での、日本社会の大政翼賛会化と見なすべきではないだろうか。



14.アマゾンが個人の紙の書籍をネットの「キンドルストア」で出版・販売できるサービスを発表。
 サービス名は「キンドル・ダイレクト・パブリッシング」で、これまでは電子書籍だけが可能だったが、コミックも含む全ジャンルが紙でもできるようになる。
 注文に応じての印刷であり、著者は在庫を抱えることはなく、販売価格も自分で決められ、印税も最大60%受け取れる。

 これはアマゾンによる自費出版の取りこみということになろう。
 自費出版市場規模は不明だが、大手出版社の場合、その経費は数百万円に及ぶらしく、誰でも出すことができるものではないようだ。それは地方新聞社も含めて、新聞社の自費出版も同様で、ブランド料が高いのである。
 そうした自費出版だけでなく、学術書、研究書、翻訳書などにしても、助成金付きのものが多いので、それらを含めると、トータルとしての自費出版市場はかなり大きなものになると推測される。
 それらのすべてをアマゾンが囲い込んでいけば、そうした自費出版の分野でも、アマゾンが一人勝ちということになってしまうかもしれない。



15.落合博『新聞記者、本屋になる』(光文社新書)を読了。

新聞記者、本屋になる (光文社新書)

 私はこうした本を読むことはほとんどないのだが、書店で見て、巻末の[本屋を始めるにあたって参考にした本と雑誌]リストに、このような本にしてはめずらしく、拙著と「出版人に聞く」シリーズ6冊が挙がっていたので、購入してきたのである。
 この本を読み、現在の「本屋」をめぐる状況と環境、情報と人脈が、私が試みた「出版人に聞く」とはまったく異なることを教えられた。
 そしてまた本屋にはイベント、カフェ、雑貨がつきもので、それでいてどのように採算がとれているのか不明であることも。
 台東区寿の落合が店主を務めるReadin `Writin′ BOOKSTOREは2017年に始まり、現在まで営まれている。ご自愛をと祈るしかいいようがない。
 この本にも出てくるマルジナリア書店の小林えみが『人文会ニュース』(No.138)に、「置いてある本が売れる」という一文を寄せ、2021年1月に開店した同書店で、100冊以上販売した書籍が7点あると書いていた。それはどのような本なのであろうか]
jinbunkai.com



16.『東京人』(11月号)が特集「谷口ジロー」を組んでいる。

東京人 2021年11月号 特集「谷口ジロー」描かれた風景を「歩く」愉しみ[雑誌]

 谷口が2017年に亡くなった際には、『出版状況クロニクルⅥ』において、『LIVE ! オデッセイ』(双葉社)のレゲエシーンを引き、追悼に代えたことがあった。
 この特集でも夏目房之介によって『LIVE ! オデッセイ』は「ロックやレゲエの音に満ちた場面を、擬音や動線・効果線も入れずに描く試みを成功させた。これは音楽描写の革新であった」と評されている。
 谷口がフランスの「バンド・デシネ」を愛し、また彼がフランス語圏の「バンド・デシネ」作家として著名であることも知られていて、この特集でも原正人「バンド・デシネ作家として欧米で愛される理由」が寄せられ、フランス語訳された書影も掲載されて楽しい。
 『遙かな町へ』はフランスで映画化され、私もDVDで観ている。そのフランス語訳は25ユーロながら30万部を超えているという。
 これは今年になって読んだのだが、やはり原訳、グヴィッド・ブリュドム『レベティコ』(サウザンブックス)の一冊がある。これはギリシャのスラム街のブルースをテーマとするもので、『LIVE ! オデッセイ』の音楽シーンを彷彿とさせた。
私は「バンド・デシネ」のファンというわけではないけれど、すっかり感心してしまった。ブリュドムも谷口を読んでいたかもしれないのだ。
 今年は『ベルセルク』(白泉社)の三浦建太郎、『ゴルゴ13』(リイド社)のさいとうたかをも鬼籍に入ってしまった。かつて私は船戸与一=外浦吾郎原作の『ゴルゴ13』を論じてもいたのである(拙著『船戸与一と叛史のクロニクル』所収)
 この二人も谷口のような特集が組まれるといいのだが。
LIVE!オデッセイ (上) (双葉文庫―名作シリーズ) 遥かな町へ (上) (ビッグコミックススペシャル) レベティコ-雑草の歌 (サウザンコミックス) ベルセルク (1) (ヤングアニマルコミツクス) ゴルゴ13 202 アデン湾の餓鬼 (SPコミックス) 船戸与一と叛史のクロニクル

 ここまで書いている時に白土三平の死が伝えられてきた。
 拙著『近代出版史探索外伝』のタイトルの「外伝」が『カムイ外伝』に由来するのはいうまでもないだろうし、私は戦後の漫画として、白土の『忍者武芸帳』を一番に挙げたいと思う。いずれ「神話伝説シリーズ」も含んだ白土論を書くつもりだ。
カムイ伝全集 カムイ外伝 (1) (ビッグコミックススペシャル) 忍者武芸帳影丸伝 1 復刻版 (レアミクス コミックス)



17.『韓流スター完全名鑑2022』(コスミック出版)を購入。

韓国スター完全名鑑2022 (COSMIC MOOK) 韓国ドラマ「愛の不時着」TV版 全話収録 16枚組 正規品

 これは1211名の男優、女優の詳細データを収録した一冊で、2000円のムックとして、高い平積みとなっていたことからすれば、初版は10万部近かったのではないだろうか。
 本クロニクルでも既述してきたけれど、昨年ネットフリックスで『愛の不時着』を観て以来、すっかり韓国の映画とラブコメドラマにはまってしまい、DVDと動画配信で毎日のように楽しんでいる。
 するとわかってきたのは、韓国の映画やドラマはかつて日本の映画全盛時代のプログラムピクチャーのように生み出され、それを多彩な主演男優、女優たちだけでなく、きわめて層の厚いバイプレイヤーたちが支えているという事実だった。その典型が『愛の不時着』であろう。
 ところがなかなか俳優名を覚えられないので、格好の一冊をと思っていたところに『韓流スター完全名鑑2022』が出されたのである。これを手元に置き、俳優名をたどっていくのは楽しい。
 私は映画の確認のために、キネマ旬報社の『日本映画俳優全集・男優編』『同女優編』のシリーズを常備しているが、それにこの一冊を加えることにしよう。
日本映画映画俳優全集・男優編 キネマ旬報増刊 10.23号 創刊60周年記念出版 キネマ旬報 増刊 12・31号 日本映画俳優全集 女優編



18.書店のバーゲン雑誌コーナーに21年の『映画秘宝』(双葉社)2月号5月号があったので、購入してきた。
 前者は50%OFF、後者は20%OFFからさらに80%OFFとなっていたけれど、いずれも100円だった。


映画秘宝 2021年2月号 [雑誌]  映画秘宝 2021年5月号 [雑誌]

 定価は1320円だから、1220円引きとなる。返品されたバックナンバーがTSUTAYA系傘下書店に放出されたのであろうが、出版社出し正味は定価の10%ほどなのであろうか。
 同じコーナーには十種類以上の雑誌が並んでいたが、『映画秘宝』のような趣味性の強い雑誌であればともかく、一般的な雑誌などは安くとも売ることは難しいだろう。
 それで思い出したのは塩澤実信の『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」13)における証言で、双葉社は返品された十種類以上の「倶楽部雑誌」をすべて全国卸商業協同組合へと放出し、特価本として全国で売り捌いていたというエピソードである。
 何か時代が巻き戻されていると思うのは私だけだろうか。
倶楽部雑誌探究―出版人に聞く〈13〉 (出版人に聞く 13)   



19.『近代出版史探索外伝』に続いて、中村文孝との対談集『全国に30万ある「自治会」って何だ!』が11月中旬に刊行予定。
 さらにコモン論第二弾としての『図書館について知っている二、三の事柄』の対談も終えているので、来年早々に出せるであろう。
近代出版史探索外伝 全国に30万ある「自治会」って何だ!

 論創社HP「本を読む」〈69〉は「あぽろん社と高橋康也『エクスタシーの系譜』」です。

ronso.co.jp

古本夜話1203 「海外文学新選」とスキターレッツ『笞の下を潜つて』

 新潮社は海外文学翻訳シリーズとして、「ヱルテル叢書」に続き、「海外文学新選」を刊行している。これは前者の倍以上の三十九冊が出され、長篇、短篇、戯曲集など多岐に編まれ、その「趣旨」は奥付の上部のところに次のように謳われている。

 近代文学の未だ紹介せられざる名篇と共に時代に先駆けする最新の作品を網羅し、パンフレット型の廉価版として公にする。
 全然原語より移して一切の重訳を避けるは勿論、編纂者に於いて十分の信用を置き得可き訳と認めたものゝみを収める。
 第一期刊行として既に決定せるもの百五十冊。毎月三冊を随時出版する。

 編纂者と担当分野を示せば、有島生馬が全装幀とイタリア、千葉勉と横山有策が英米、田代光雄と山岸光宣がドイツ、山内義雄と吉江喬松がフランス、片山伸と米川正夫がロシア、笠井鎮夫がポルトガル、永田寛定がスペイン、ルビエンスキイがペルシャとなっている。実際に永田の1のイバニエス『死刑をくふ女』、米川は3のアンドレェエフ『イスカリオテのユダ』、山内は5のフランス『影の弥撤』、横山は6のドリンクウォータ『エブラハム・リンカーン』、笠井は13のベローハ『バスク牧歌調』の訳者も兼ねている。

f:id:OdaMitsuo:20210902095821j:plain:h125 (「海外文学新選」15、『卵の勝利』)

 これらの編纂者と訳者には未知の人物たちも見えているけれど、『大正期の文芸叢書』の紅野敏郎によれば、早稲田と東京外語の関係者だとされているので、ただひとりの外国人編纂者のペルシャ担当のルビエンスキイは東京外語の教授だったのではないだろか。

大正期の文芸叢書

 この大正十三年から刊行され始めた「海外文学新選」の全書影は『新潮社四十年』に掲載されているけれど、端本はともかく、全冊を揃えるのは難しいようだし、ここでしか読むことができない海外作家と作品も多いと思われる。これらの明細は『日本近代文学大事典』第六巻や紅野の前掲書に収録されているので、必要とあれば、それらを見てほしい。私が入手しているのはまさに端本で、その24のスキターレッツ『笞の下を潜つて』である。四六判並製、一四九ページの佇まいはその「パンフレット型の廉価版」を表象していよう。訳者の関口弥作は編纂者の八杉貞利の教えを受けたとされるので、東京外語出身だと思われる。

f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110 

 ただ幸いなことに著者のスキターレッツは中央公論社版『世界文芸大辞典』に立項されているので、それを引いてみる。『増補改訂新潮世界文学辞典』には立項されておらず、ここでしか見出されないと考えられるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20200107101338j:plain

スキターレッツ Stepan Gavrilovitch Skitalets (1868~1941)ロシヤの小説家。サマーラ県の農家の出身。グースリ(絃楽器の一種)弾きの父と共に門付芸人として諸所を放浪す。後旅廻りの劇団のコーラス唄ひとなる。三十歳にしてサマラ市の新聞に詩を寄稿し、ゴーリキイの知遇も得、一九〇〇年短篇『オクターブ』を以て文壇にデビューし、多くの作品を公けにした。第一次革命の同情者として数次補導されたが、一七年のボルシェヴィズムと相容れず、ために国外へ亡命した。日本へもトライしたが、偶々関東大震災に遭つて倉皇として去る。数年前転向を声明してソヴェート連邦に復帰した。彼は二十世紀初頭ロシヤ文学に一勢力をなしてゐたゴーリキイを中心とする「ズナーニエ」派の作家として、この派の特色(欠点も含めて)を明瞭に体現してゐる。即ち、素笨な革命的犯行思想を克明な自然主義的手法で包んだものが、彼の作品の大部分をしめている。代表作『野戦裁判』。

 ここに「グースリ(絃楽器の一種)弾きの父と共に門付芸人として諸所を放浪」とあるように、また関口が「はしがき」でスキターレッツがペンネームで、「放浪者」を意味していると書いていることからうかがわれるように、『笞の下を潜つて』はそれらを描いた著者の自伝として読むことができる。そのタイトルは農奴として父や祖父が通り抜けてきた笞を伴う生活、主人公の少年の半生を象徴していよう。父は農奴から居酒屋の雇われ店主、放浪のグースリ弾き、指物屋などの生活を送り、それに同伴する少年の眼を通じて、ロシアの十九世紀末の社会が描かれていく。

 そうした中で、少年は行商人が売りにくる絵双紙本を父にほしいと哀願したが、金がないといって買ってくれなかった。そのために少年は父の金を盗み、薔薇色の表紙に騎士が描かれた『ドン・キホーテ』を入手し、騎士の苦悶を読みながら、父や自らの運命と共通するものを見出していた。頭上から「お前もドン・キホーテのやうになるのだ・・・・・・ドン・キホーテのやうに!」という囁きが聞こえてくるようだった。

 それは安い絵入り本だと推測され、イワン・スイチンが『本のための生涯』(松下裕訳、図書出版社)の中で、大衆のためのニコーラ市場向けの本とよんでいるものだったように思われる。スイチンはロシア最大の出版者のひとりで、一九一四年にはロシア出版物の四分の一を発行していたとされ、ニコーラ市場とはモスクワのニコーラ門にあった身近な大衆市場をさしている。そこでスイチンによって出版され、仕入れられた大衆本が行商人によってロシア中に売られていたし、『笞の下を潜つて』の少年が買い求めたのもそれらの一冊だったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20210902120036j:plain:h120 (『本のための生涯』)

 このニコーラ市場の作者たちについて、スイチンは「文学界から離れたところで、だれにも知られず、世間の人びとからさげすまれながら、自分の『文学活動』にはげんだ」と述べ、彼らが次のような人たちだったと書いている。

 書物の底知れぬ知恵におじけづいて学業なかばで退いた神学校生徒、あらゆる種類の放校者、飲んだくれの役人、酔いどれ司祭、職を失い評判を落とし希望をなくしてしまった総じてあらゆるたぐいの敗残者たち。(中略)
 だがこれらの人びとは、ある意味では「巨星群」で、目もくらむような冒険を信じがたいような恐怖のくりひろげられる「大衆」小説の型をつくりだしたのだ。

 スキターレッツにしても、この系譜上に位置するように思われる。来日の事実も含め、これらは日本の近代文学と併走していた『近代出版史探索Ⅱ』275などの立川文庫を始めとする無数の講談作家たちの存在を彷彿とさせてくれる。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1202 奥栄一と奥むめお『婦人問題十六講』

 前回、「ヱルテル叢書」のゴーチエ『金羊毛』の訳者の奥栄一をプロフィル不明の人物として挙げなかったのは、『日本近代文学大事典』で次のように立項されていたからである。

 奥 栄一 おく えいいち 明治二四・三・二七~昭和四四・九・四(1891~1969)詩人、評論家。和歌山県生れ。早大英文科中退。奥むめおの前夫。新宮中学同級の佐藤春夫とともに「はまゆふ」(新詩社門和貝夕潮主宰)同人の歌人奥愁羊として出発した。詩、小説、文芸および映画批評、翻訳も手がけ、「民衆の芸術」を創刊(大七)、大杉栄などの寄稿をうけた。生涯を通じて作家への望みを純粋に抱き続けたが志を得なかった。訳書数冊。没後、夫人浜子との共著詩歌集『蓼の花』(昭和四七・六 私家版)がある。

 どのような経緯があって、奥が立項されたのかは詳らかにしないけれど、主たる作品や著書も挙げられず、「生涯を通じて作家への望みを純粋に抱き続けたが志を得なかった」人物がこうして立項されているのも、『日本近代文学大事典』において異例だと思われる。その理由として「奥むめおの前夫」、もしくは『民衆の芸術』が考えられる。そこで双方を引くと、奥むめおは見えないが、後者は紅野敏郎によって解題されていたので、それも引いてみる。

 「民衆の芸術」みんしゅうのげいじゅつ 文芸雑誌。大正七・七(推定)~一一、二号より五号まで確認。編集兼発行者大石七分。民衆の芸術者発行。大石七分、奥栄一らに西村伊作が加わり、東雲堂の西村陽吉が応援して創刊。大逆事件に縁が深かった紀州新宮の関係者と東雲堂主のかかわりが濃厚。表紙には「The Propounder of the Collective in Arts」の語が記されている。民衆詩派的傾向も強い。堺利彦、大杉栄、伊藤野枝(小説『白痴の母』)らのほか荒川義英、和田信義らも寄稿。ブレークやゴーガンの絵も挿入されている。

 ここで奥栄一はキーパーソンとして扱われておらず、やはり「奥むめおの前夫」がその立項の主たる要因のように思われる。しかし『日本近代文学大事典』における立項はその後の人物事典などにも影響を及ぼしたようで、彼は『近代日本社会運動史人物大事典』『日本アナキズム運動人名事典』にも奥むめおと並んで立項されている。それらによれば、奥栄一は堺利彦の売文社の翻訳係を務め、大正八年にむめおと結婚し、一男一女をもうけた後、離婚に至り、静岡や埼玉で農場開墾に従事したとされる。

近代日本社会運動史人物大事典  日本アナキズム運動人名事典

 奥むめおのほうは栄一よりもはるかに長いので、要約してみる。彼女は明治二十八年福井市に生まれ、大正元年日本女子大家政科に入学し、『婦人週報』の編集を手伝い、『青踏』の茅野雅子や長沼千恵子を知る。卒業後、『労働世界』の記者となり、大正九年には平塚らいてう、市川房枝たちと新婦人協会を結成し、婦人参政権運動に取り組む。同十二年平凡社の下中弥三郎に勧められ、職業婦人社を設立し、機関誌『職業婦人』(後に『婦人と労働』『婦人運動』と改称)を発行する。その一方で、昭和三年には婦人消費組合設立、五年には本所で婦人セツルメントも開設し、さらに保育園、和・洋裁講習会、夜間女学部などの日常生活に根を張った社会運動に従事していく。戦時中は大政翼賛会の委員となったが、戦後は日本協同組合同盟を設立し、昭和二十二年には参議院議員に当選し、二十三年には主婦連合会を結成し、初代会長として生活に密着した婦人運動を日本に定着させた。

 私が奥むめおを再認識したのは、関根由子『家庭通信社と戦後五〇年史』(「出版人に聞く」シリーズ 番外編)のインタビューに際してだった。関根は日本女子大出身で、社会福祉、女性問題研究者の一番ヶ瀬康子に師事していた。そこで奥との関係を尋ねたのだが、関根によれば、社会事業専攻の一番ヶ瀬の三年先輩に奥の娘の中村紀伊がいた。社会福祉事業を推進するためには政治との結びつきが必要だったし、紀伊は主婦連合会長も務めていたので、彼女を通じて奥と関係があったということだった。蛇足ながら、この紀伊こそは奥栄一との間にもうけられた一女に他ならない。

家庭通信社と戦後五○年史

 そのしばらく後で、奥むめお『婦人問題十六講』を入手したのである。これは『近代出版史探索』181,182などで取り上げた新潮社の「思想・文芸講話叢書」の一冊で、大正十四年に出版されている。年代を少し戻してみると、奥栄一は同九年に新潮社の「ヱルテル叢書」;のゴーチエ『金羊毛』を翻訳刊行しているが、それは奥むめおと結婚した翌年である。むめおはその年に新婦人協会を結成して婦人参政権運動に参加し、十二年からは職業婦人社を設立し、婦人労働問題に取り組んでいる。

f:id:OdaMitsuo:20210901104703j:plain:h120(『婦人問題十六講』)

 『婦人問題十六講』はこのシリーズのフォーマットに従い、第一講「原始時代及び歴史上に於ける婦人の地位」から始まり、第十六講「婦人問題と我婦人界の現状」に及んでいるが、第十二講は「婦人参政権運動」、第十五講は「婦人労働問題」に当てられ、それらの章に、奥むめおの当時の直面していた問題とその意識が投影されているのだろう。ただ同書の広範なパースペクティブを考えると、彼女ひとりの仕事とは見なせないし、新婦人協会や職業婦人社の人々の協力を得ていることは確実で、「序」にはその中でも「特に起稿に際して学友岡田俊子氏」を煩わせたとの謝辞が記されている。

 それらに加えて、「思想・文芸講話叢書」十六冊のうち、女性の著者は奥むめおだけであることを考慮すれば、夫の奥栄一を通じて、『婦人問題十六講』の企画も成立したのではないかとも推測されるのである。

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古本夜話1201 新潮社「ヱルテル叢書」と秦豊吉訳『若きヱルテルの悲み』

 『近代出版史探索Ⅵ』1199などの『世界文芸全集』や同1170の『ツルゲエネフ全集』に先駆け、しかもパラレルに新潮社から「ヱルテル叢書」が刊行されていた。ただ私の所持しているのはケルレルの『村のロメオとユリヤ』の一冊だけで、菊半截判、柿色の鮮やかな装丁である。巻末の「『若きヱルテルの悲み』の如き泰西の高名なる恋愛文学の傑作を網羅する叢書也」と謳われている紹介には十三冊が掲載されている。だが紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』には十八冊までが示され、最後の一冊は昭和に入っての刊行だったとわかる。そのリストを挙げてみる。

大正期の文芸叢書

1 ギヨオテ  秦豊吉訳 『若きヱルテルの悲み』
2 サン・ピエル  生田春月訳 『海の嘆き』
3 ベチエ  後藤末雄訳 『恋と死』
4 ツルゲーネフ  後藤利夫訳 『薄幸の少女』
5 シヤトオブリアン  生田春月訳 『少女の誓』
6 ビヨルンソン  三上於菟吉訳 『森の処女』
7 ゲエテ  久保正夫訳 『ヘルマンとドロテア』
8 メリメ  布施延雄訳 『カルメン』
9 アベ・プレブオ  広津和郎訳 『マノン・レスコオ』
10 ミュッセ  佐々木孝丸訳 『二人の愛人』
11 ゴーチエ  奥栄一訳 『金羊毛』
12 シユニツツラア  三上於菟吉訳 『悲しき寡婦』
13 ケルレル  牧山正彦訳 『村のロメオとユリヤ』
14 ハウフ  谷茂訳 『ラウラの絵姿』
15 フィリップ  前田春声訳 『四つの恋物語』
16 ラマルチイヌ  高橋邦太郎訳 『青春の夢』
17 フェルディナン・ファブル  山内義雄訳 『美しき夕暮れ』
18 ヂョヴアンニ・ヴェルガ  千葉武男・井村成郎訳 『山雀の一生』

f:id:OdaMitsuo:20210831104330j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210831120559j:plain:h120(『山雀の一生』)

  訳者の多くが本探索で取り上げてきた人たちであり、 ここでは手元にある13の『村のロメオとユリヤ』に言及するつもりでいた。しかし現在では作家にしても作品にしても馴染みが薄いし、訳者もベーベル『婦人論』(岩波文庫)の訳者の草間平作の本名だったりするので、あえて「叢書」命名先である1のギヨオテ『若きヱルテルの悲み』にふれてみたい。同書は入手していないけれど、『近代出版史探索Ⅴ』827などの『世界文学全集』7にゲエテ『フアウスト其他』として収録されているからだ。それに私も拙稿「ゲーテとイタリアの書店」(『ヨーロッパ本と書店の物語』所収)で、「若きヴェルテルの悩み』の出版によって、ゲーテが世界文学のスターとなったことに言及しているのである。

婦人論 上巻 (岩波文庫 白 132-1) f:id:OdaMitsuo:20210831115633j:plain ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)

 訳者の秦に関しては『近代出版史探索』50で丸木砂土として紹介し、『近代出版史探索Ⅴ』822でルマルクの『西部戦線異状なし』の訳者、エッセイスト、帝国劇場社長として、新宿の帝都座で戦後の日本最初のストリップ「額ぶちショー」を開いたことなどにふれている。その秦と『若きヱルテルの悲み』の組み合わせは何となくおかしいが、翻訳史をたどってみると、秦こそがその「高名なる恋愛文学」の伝道者に他ならなかったことがわかるし、それゆえに「ヱルテル叢書」の幕開けの訳者にすえられたと考えられよう。
(中央公論社)などを出している。

f:id:OdaMitsuo:20180902201601j:plain:h120(『西部戦線異状なし』)

 『新潮社四十年』や『明治・大正・昭和翻訳文学目録』を確認してみると、秦訳『若きヱルテルの悲み』は大正六年の「ヱルテル叢書」が原典からのほぼ最初の完訳に位置づけられ、大正後半のロングセラーだったと推測される。そして秦訳は新潮社だけでも、昭和二年に『世界文学全集』、同十年に「世界名作文庫」、十一年に新潮文庫に収録され、二十年に及びロングセラーだったとわかる。本探索1149の茅野蕭々訳による『若きヱ゛ルテルの悩み』(岩波文庫)が出されるのは昭和二年である。

f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110  f:id:OdaMitsuo:20210801151015j:plain:h112 f:id:OdaMitsuo:20210831095514j:plain:h113 (新潮文庫復刻)

 その一方で、『ゲーテ全集』が本探索1156の大村書店、拙稿「聚英閣と聚芳閣」(『古本屋散策』所収)の聚英閣から刊行され始めている。前者は鼓常良訳『若きヱルテルの悩み』として全十九巻で、大正十二年、後者はやはり秦訳で全十三巻、同十三年からだが、いずれも未見である。このように大正から昭和にかけての『若きヱルテルの悲み』の翻訳出版史をたどってみると、聚英閣の全集版が広く読まれたとは考えられないので、秦訳を通じて、それも「ヱルテル叢書」や『世界文学全集』、新潮文庫によって、後のゲーテ『若きヴェルテルの悩み』は読書社会ばかりでなく、人口に膾炙していったと思われる。

 そうした意味において、秦の『若きヱルテルの悲み』の訳書は『西部戦線異状なし』のベストセラー化の陰に埋もれがちだが、あらためて翻訳史に位置づけられるべきかもしれない。それだけでなく、大正時代における新潮社の翻訳出版史も同様であろう。その企画は大正元年の「近代名著文庫」、『ニイチェ全集』、同六年の『ドストエーフスキイ全集』、同七年の『ツルゲエネフ全集』、同八年の『チエホフ全集』、『泰西名詩選集』、同十年の『世界文芸全集』『泰西戯曲選集』「最新文芸叢書」、同十二年の『ストリンドベルク全集』「ロシヤ文芸叢書」、同十三年の「フランス文芸叢書」「バルザック叢書」「海外文学新選」などである。

 しかし「ヱルテル叢書」の秦、生田春月、衛藤利夫、三上於菟吉、広津和郎、佐々木孝丸、山内義雄、布施延雄などは、『世界文芸全集』や『ツルゲエネフ全集』の訳者だったり、本探索で言及してきた人々だが、7の久保正夫、14の谷茂、15の前田春声、18の千葉武男、井村成郎などは『日本近代文学大事典』の「索引」にもその名前を見ていない。それでも久保正夫は久保天随の弟、前田春声は詩人の前田鉄之助のペンネームのようだ。谷は千葉や井村はわからない。かれらだけでなく、近代文学史だけでも少しだけ登場し姿を現わしているにもかかわらず、そのプロフィルがつかめない多くの人々が存在する。それを近代翻訳史や出版史にまで拡げると、その数はさらに多くなり、それは作家も同じであり、そうした事実は「海外文学新選」へもリンクしていくことになる。


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古本夜話1200 メレジュコーフスキイ『神々の死』と折口信夫

人類最古の記録はすべて神話と歴史が区別されてゐないのが
実際でないか? 且、さういふ神話的歴史もしくは史詩に於
て、僕等は古代人の思想と生活とを窺ふことが出来るのだ。
岩野泡鳴『悲痛の哲理』(『泡鳴全集』
第十五巻所収、国民図書、大正十一年)


                    
 本探索1191などのダンヌンツィオではないけれど、大正時代にどうして彼が人気を集めていたのか、現在から見るとよくわからないところがある。それはメレジュコーフスキイも同じで、このロシア作家は前回の『世界文芸全集』のうちの三巻を占めている。それらは『神々の死』、『神々の復活』前後編で、「基督と反基督」三部作の第一、二部に当たる。

 f:id:OdaMitsuo:20210830102614j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210830102826j:plain:h120(『神々の死』)

 しかしダンヌンツィオの『死の勝利』は『世界文学全集』へと引き継がれ、戦後に至って、三島由紀夫訳『聖セバスチャンの殉教』の翻訳まで見ているが、メレジュコーフスキイは『世界文学全集』にも収録されず、大正時代だけで終わってしまったようにも映る。もちろん昭和十年代における『神々の死』の新潮文庫、『神々の復活』の岩波文庫化は承知しているけれど。

f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 (『世界文学全集』) 聖セバスチャンの殉教 (クラテール叢書) (『聖セバスチャンの殉教』)
 f:id:OdaMitsuo:20210830105501p:plain:h120(『神々の死』)f:id:OdaMitsuo:20210830105024j:plain:h123(『神々の復活』)

 そこでメレジュコーフスキイ(メレジュコフスキー)を、その時代のニュアンスを反映させている『世界文芸大辞典』で引いてみた。すると写真、自筆原稿の掲載を含めて三段一ページに及び、重要な作家の位置づけにあるとわかる。ただ長いこともあり、引用できないので抽出し、新たなデータも補足してみる。彼は一八六五年貴族の家に生まれた文学者で、ペテルブルグ大学時代は実証主義に傾倒したが、家族の不幸も重なり、生来の神秘主義的傾向ゆえに芸術的意識と宗教的意識の相克に悩まされ、キリスト教と異教(ギリシア思想)の問題に取り組んだ。それが先述の三部作で、その第一部の『神々の死』はキリスト教と異教の闘争が最も激しく表出していた四世紀のローマを舞台としている。

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 主人公のジュリアンはローマ帝国の皇帝の家に生まれながら、背信と奸計に充ちた宮廷生活の犠牲となり、生への呪いと死の恐怖の中で過ごすばかりだった。そうした中でギリシア的な美と力と英智と悦びに包まれた世界を憧憬するようになった。その一方で、キリストの有する様々な偉大さにも心を惹かれたが、周囲の力は彼をキリストから離れさせ、古い神々のほうへと走らしめ、反キリストとして戦いを続けるが、破れ去る運命にあった。

 これは安藤礼二の『光の曼陀羅』(講談社)で教えられたのだが、この『神々の死』は明治四十三年一月の『ホトトギス』増刊第三冊に、島村苳三訳『背教者じゆりあの―神々の死』として刊行されていたのである。しかもエピグラフのように引いておいた泡鳴の『悲痛の哲理』も『文章世界』の同年一月号に発表されている。これらの双方をリアルタイムで読み、衝撃を受けたのは折口信夫であり、彼は昭和十三年の「寿詞をたてまつる心々」(『折口信夫全集』第二九巻所収、中公文庫)で、次のように書いていた。

光の曼陀羅 日本文学論 折口信夫全集 第29巻 雑纂篇 1 (中公文庫 Z 1-29)

 故人岩野泡鳴が『悲痛の哲理』を書いたと前後して、『背教者じゆりあの―神々の死』が初めて翻訳せられた。此の二つの書き物の私に与へた感激は、人に伝へることが出来ないほどである。私の民族主義・日本主義は凛としてきた。
 じゆりあん皇帝の一生を竟へて尚あとを引く悲劇精神は、単なる詩ではなかつた。古典になじんでも、古代人の哀しみに行き触れない限りは、其は享楽の徒に過ぎない。(後略)

 安藤はこの「寿詞をたてまつる心々」「死者の書 初稿」の「真の序文」と捉え、「じゆりあん皇帝」は「ローマの国教キリスト教を廃し、オリエント起源の『光の神』ミトラを崇拝し、わずか三十二歳で、戦いのなかに死んだ『背教』の皇帝」=「背教者ユリアヌス」と見なす。

 そしてメレジュコーフスキイがユリアヌスに仮託して求められた神の位相が語られている。

 古代の神々(「ギリシア」)と異教の神々(「ミトラ」)によって、キリスト教をまったく新しく甦らせることなのである。「古代」と「異教」は結合する。ペルシアの沙漠に生まれたゾロアスター教が発展し、戦闘的な太陽神ミトラへの信仰が生まれる。その沙漠の太陽神ミトラが、ユリアヌスにおいては、地中海の陶酔の神ディオニュソス、そして太陽神ヘリオスと固く結び合わされるのだ。ミトラ―ディオニュソス、そしてミトラ―ヘリオス、輝きわたる光となった猛きディオニュソス。この神々の結合によって、一神教は新たな局面を迎える。

 そして安藤は『背教者じゆりあの』における「神」への言及部分を六ヵ所挙げている。島村訳は未見なので、ここでは米川正夫訳からひとつだけ引いてみる。師の新プラトン主義者ヤムヴリコスとジュリアンの会話からである。

 思索は光の探究である。所が、『彼』は光を探究しやしない。何故と言つて『彼自身』光だからである。『彼』は人間の魂を滲透して、それを自分の中に摂取するのだ。其時人間の魂は一切の私情を離れて、理智も、善行も、思想の王国も、美も―すべての物を超越して只一人、『光の父』の無限無窮な懐の中に憩らふのだが。つまり魂が神となる—と云ふより寧ろ、魂が永劫に亘つて己れは神である(後略)。

 これがメレジュコーフスキイがたどりついたキリスト教とギリシア異教の神が一体化する地平、及び「神」の概念ということになる。そこに泡鳴が『悲劇の哲理』で示唆した日本の「神話的歴史もしくは史詩」もオーバーラップされ、折口は昭和十四年に『日本評論』で『死者の書 初稿』を連載し、同十八年に青磁社から『死者の書』を上梓に至るのである。

f:id:OdaMitsuo:20210830203542j:plain:h120(『死者の書』)

 その一方で、メレジュコーフスキイはロシア革命後の一九二〇年にパリに亡命し、反共主義者として活動し、晩年はファシズムを擁護し、ヒトラーのロシア侵攻までも歓迎するようになっていた。『世界文芸大辞典』がいうごとく、彼の神秘主義は「露西亜資本主義の急激な発達と、これに伴う労働運動の激化に怖れをなして、現実の世界を逃避し別の世界―基督と反基督の闘ひによつてもたらされる第三帝国を願望する崩壊貴族インテリゲンチャの心理」だったことになる。それは現実的にヒットラーの「第三帝国」として実現したのである。


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