出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル154(2021年2月1日~2月28日)

21年1月の書籍雑誌推定販売金額は896億円で、前年比3.5%増。
書籍は505億円で、同1.9%増。
雑誌は391億円で、同5.7%増。
前月の20年12月に続くトリプル増である。
雑誌の内訳は月刊誌が321億円で、同8.9%増、週刊誌は69億円で、同7.2%減。
返品率は書籍が31.9%、雑誌は42.3%で、月刊誌は42.2%、週刊誌は42.5%。
月刊誌の大幅プラスはコミックス『呪術廻戦』(集英社)、『進撃の巨人』(講談社)、『鬼滅の刃』(集英社)の爆発的売れ行きによるものだが、返品率は書籍よりも高く、週刊誌とともに高止まりしている。
コミックスの書店店頭の売上は30%増で、20年10月からのアニメ放送の『呪術廻戦』はシリーズ累計で3000万部を突破したようだ。
20年に続き、コロナ禍の中でも、販売状況はコミックス次第ということになるのだろうか。

呪術廻戦 1 (ジャンプコミックス) 進撃の巨人(32) (講談社コミックス) 鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)



1.出版科学研究所による20年度の電子出版市場販売額を示す。
 
■電子出版市場規模(単位:億円)
2014201520162017201820192020前年比
(%)
電子コミック8821,1491,4601,7111,9652,5933,420131.9
電子書籍192228258290321349401114.9
電子雑誌7012519121419313011084.6
合計1,1441,5021,9092,2152,4793,0723,931128.0

 20年の電子出版市場は3931億円で、前年比28.0%増。それらの内訳は電子コミックが3420億円、同31.9%増、電子書籍は401億円で同14.9%増、電子雑誌は110億円、同15.4%減。
 電子コミックの占有率は18年の80.8%、19年の84.4%から20年は87.0%に達し、20年の電子出版市場は電子コミック市場といっていいシェアとなり、21年は90%を超えてしまうかもしれない。
 それに対し、電子雑誌は3年連続のマイナスで、「dマガジン」の会員数も17年から減少が続いている。電子出版市場においても、雑誌の凋落があらわになってきている。電子書籍にしても、20年はコロナ禍と人気作家の電子化解禁によって400億円を超えたけれど、さらに伸びるのか、難しいところにきているように思われる。

 紙と電子を合わせた出版市場は1兆6168億円で、前年比4.8%増となり、電子出版占有率は前年の19.9%から24.3%となり、ついに4分の1を占めるに至った。
 だがそれは90%近くが電子コミックによるもので、コミックを刊行する大手出版社の業績に結びつくことはあっても、ダイレクトに取次や書店に利益をもたらすものではない。
 電子コミック市場の成長がこれからも続いていけば、取次や書店の苦境はさらに深まっていくばかりだし、週刊誌の衰退と紙のコミック誌の行方も気になるところだ。



2.本クロニクル144と145で、コロナ禍の中にある衣料品・靴専門店13社の20年3、4月の売上状況を示しておいたが、『日経MJ』(2/19)による21年1月の販売実績も見ておこう。

■衣料品・靴専門店販売実績 1月(前年同月比増減率%)
店名全店売上高既存店売上高既存店客数
カジュアル衣料ユニクロ1.82.0▲0.3
ライトオン▲24.8▲23.2▲26.1
ユナイテッドアローズ▲44.1▲45.2▲44.9
マックハウス▲22.1▲20.0▲26.7
ジーンズメイト▲35.8▲35.0▲22.1
婦人・子供服しまむら7.57.64.1
アダストリア▲20.1▲20.0▲17.3
ハニーズ▲21.0▲21.5▲20.8
西松屋チェーン0.5▲0.8▲2.7
紳士服青山商事▲34.0▲31.2▲27.7
AOKIホールディングス▲26.9▲26.0▲17.1
チヨダ▲15.8▲13.9▲10.2
エービーシー・マート▲24.2▲25.2▲19.7

 緊急事態宣言の再発令を受け、外出自粛の影響で、都市部を中心として客足が落ちこみ、11社が減収となった。
 ユニクロとしまむらを除いて、厳しい状況が売上高や客数に顕著である。総務省の20年「家計調査」によれば、コロナ禍での2人以上世帯の消費支出は月平均27万7926円で、前年比5.3%減となり、マイナスは2001年以降で最大である。
 その10ある品目分類のうちの「被服及び履物」「教養・娯楽」「交通・通信」などの7つの支出が減っていることから、衣料・靴専門店を直撃しているとわかる。
 現在のコロナ禍の中で、消費の行方は見通すことができないし、前回の本クロニクルで青山商事を例に挙げておいたけれど、店舗閉鎖や社員の希望退職募集といったリストラ、あるいはM&Aによる再編が進められていくことは必至だ。
 「教養・娯楽」も落ちこんでいるのだが、それに該当する書店売上は『鬼滅の刃』の神風のようなミリオンセラーによって救われたように見える。
 しかし書店にしても、店舗と社員のリストラと、M&Aによる再編は避けられないだろう。



3.楽天ブックスネットワーク(RBN)は書店向け書籍、雑誌の仕入れから出荷業務までを日販に委託し、両社の協業範囲の拡大を検討すると発表。
 それに関して、川村興市社長が『文化通信』(2/22)のインタビューに応じているので、要約してみる。


*当社は旧大阪屋と旧栗田が経営統合して以来、赤字が続いてきたが、これからは黒字転換するために日販との協業拡大などを進める。
*これまで取次として物流施設などのシステムインフラに関して大手取次と同じように維持してきたが、日販に業務を委託し、協業を進めるほうがローコストで取次事業を継続できる。
*現在も返品業務は出版共同流通、新刊返品業務は日販に委託してきたが、これからは一般書店向けの書籍、雑誌の仕入れから返品までを日販へ業務委託する。ただ書店への請求書などの商流、ネット通販(EC)向け仕入窓口機能は自社に残す。
*丸善ジュンク堂書店の帳合変更は採算に合わない取引条件を見直す中で起きたケースで、売上高は減少しても、経営的には筋肉質になるし、22年度からは黒字経営となる見通しだ。
*大阪と東京2本社体制も、楽天フルフィルメントセンター内「関西流通サンダー」に関西オフィスを開設して統合し、人員も200人から150人へと減少する。また採算割れしてきた図書館事業も22年3月で終了する
*経営改革を進めながらEC向けを伸ばし、リアル書店との取引規模は維持しつつ、現在30%ほどのEC売上比率を60~70%に引き上げたい。
*当社は親会社に楽天ブックスがあり、他の取次に比べて強みはECであり、ソーターなどのCD用出荷設備を増強したことで、楽天ブックスの「あす楽」の西日本の対合エリアを拡大し、売り上げも同様である。
*このECインフラを使い、リアル書店向けの客注、商品企画、ポイント連動などのサービスを提供していく。


 結局のところ、RBNは書店取次から撤退し、アマゾンのようなECに特化していくと表明していることになろう。
 本クロニクル151で、楽天の市川市物流センターにオンライン書店「楽天ブックス」が稼働したことやRBN帳合の書店の閉店にふれ、「大阪屋や栗田からつながる書店の清算を進めているかのように思える」と既述しておいたけれど、それは丸善ジュンク堂も例外ではなかったのである。
 大阪屋がOPLをマーク提供する図書館事業を始めたのは1990年代で、その担当者と話したことがあったが、ECによる時代の変化にはすさまじいものだとあらためて実感してしまう。
 それこそRBNの少額取引専用サービス「ホワイエ」はどうなるのだろうか。
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4.丸善ジュンク堂書店は出版社に5月1日からメイン取次をRBNからトーハンと日販に変更することを通知。
 同書店は93店舗(FC店を除く)と外商拠点10ヵ所、書籍流通センター(SRC)を運営しているが、今回の帳合変更で、トーハンは直営FCを合わせて53店舗と外商拠点、SRC、日販には海外(台湾)を含めて16店舗が移る。
 それにより、トーハン帳合は店舗85店と外商10拠点とSRC、日販は店舗30店となる。現物返品はなく、伝票切り替えで対応する。

 この帳合変更によって、RBNの売上高がどれだけ減少するのかは不明だが、面白い偶然の一致が本クロニクルに見出されるで、それを伝えておこう。
 本クロニクル148で、20年の丸善ジュンク堂の売上高740億円あることを示したが、同136のRBNの前身の大阪屋栗田の売上高も同じく740億円とまったく同じなのだ。だからそれをそのまま当てはめれば、RBNが丸善ジュンク堂と取引を中止すると売上がゼロになってしまうということになる。
 だがそれは大阪屋とジュンク堂の蜜月時代のことで、現在ではRBNは丸善ジュンク堂において、そのシェアをかなりトーハンに奪われ、そうした取次状況も含め、既存の取引条件では赤字が続いてしまうために、今回の処置となったのであろう。
 しかしトーハンや日販であれば、まだそうした特販取次条件に耐えられるということなのか、それとも取引条件の見直しも含めての帳合変更だったのか、そうした疑念がつきまとう。
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5.フタバ図書に関しても前回ふれているが。あらためてレポートしておこう。
 フタバ図書は株式会社ひろしまイノベーション推進機構の「ふるさと連携応援ファンド投資事業有限責任組合」が設立する新会社に事業譲渡する。
 新会社に9億円を出資するのはその他に日販、蔦屋書店、もみじ銀行、エディオン、広島マツダで、フタバ図書と関連会社6社から39店舗とメディアマックス事業(レンタル部)などを承継する。
 新会社もフタバ図書の称号を続用するが、TSUTAYAのFCとなり、TSUTAYA BOOK NETWORK(TBN)に加わる。
 資本金は5億円、CEOは日販の横山淳、COOはTSUTAYAの土橋武とされ、もみじ銀行がCFOを派遣する予定となっている。

 この概要がリリースされたのは1月28日で、その当日の午後5時にフタバ図書のオンライン会見が始まった。
 それを『新文化』(2/27)が「社長室」欄で「答えたくないオンライン会見」として、次のように述べている。
 「新聞社やテレビ局などメディアから質問が寄せられた。(中略)質問が相次ぎ、緊張感が高まっていく様子がパソコンの画面ごしにも伝わってきた。とくに、40年間続いたと報じられたフタバ図書の「粉飾決算」「近年の決算情報」「金融機関の債権放棄」などについては、質疑応答の攻防が続き、平行線を辿った」として、「知りたいマスコミと、答えたくない当事者」の構図を伝えている。

 本クロニクルから見て、ずっと指摘してきたように、20年の書店問題として、文教堂、フタバ図書、戸田書店の行方に注視してきた。ようやく21年になって、フタバ図書も文教堂と同じ「産業競争力の強化に基づく特定認証紛争解決の手続き」(ADR手続き)による新会社への事業譲渡ということになった。ただそのオンライン会見は前述のように、「知りたいマスコミと、答えたくない当事者」に終始し、きわめて不透明、説明責任を欠くものだったと見なすしかない。

 これらのことを考えると、取次にとって、書店問題はメガフランチャイジーとしてのナショナルチェーンの処理に向かうしかない状況にあると判断できよう。しかもそれらは赤字や負債が積み上がり、民事再生や破産は取次やFC本部に大きく跳ね返るので、ADR手続きによって、とりあえず延命させるというスキームである。
 その受け皿としてのTSUTAYAだが、静岡の谷島屋に続いて、フタバ図書もTBNに加えたとしても、そのかたわらで、1月の閉店は7店2000坪に及んでいる。日販の最大のメガフランチャイジーTSUTAYAの大量大型閉店は21年の始まりを象徴するものになるかもしれない。
 戸田書店の静岡本店跡地しても、デベロッパーに売却とされていたが、駅前一等地にもかかわらず、まだ埋まっていない。支店やFCは丸善ジュンク堂などに移ったけれど、静岡本店の場合、それこそRBNなどとの清算に至っていないのだろうか。

 それに大手取次とナショナルチェーンを成立させていたのは、逆説的だが、中小書店に他ならず、それがベースとして出版業界を支えていたからだ。それらの中小書店が壊滅的状況を迎えている中で、大取次の存立すらも問われていくだろう。その最終的段階として、戦前の国策取次の日配の再現も予想できるようにも思われる。



6.取協の発表によれば、2月13日の福島沖震度6強の地震で、福島、宮城県の書店97店に被害があり、そのうちの「甚大な損害により再開未定」とする書店は10店に及ぶとされる。
 その中でも、チェーン店は未来屋が3店、TSUTAYAが2店である。

 まだ今年も始まったばかりなのに、コロナ禍に加えて地震が起きてしまった。
 ただ地震発生が午後11時8分ということもあって、本の落下、ガラス破損、什器のずれ、スプリンクラーによる水濡れ被害などで、人身被害がなかったことは何よりだ。
 早く再開でき、学参期に間に合わせられることを願おう。



7.『日経MJ』(2/5)の「米国流通現場を追う」のアメリカの商業不動産業界の調査によれば、20年のパンデミックとロックダウンの影響を受け、業績が急速に悪化し、大手小売企業40社が破綻し、1万1157店舗が閉店し、年間記録となった。それは大手だけなので、氷山の一角とされる。
 1月にはフランス化粧品ロクシタンの米国法人が連邦破産法11条の適用を申請し、チョコレート専門チェーンのゴディバも全128店舗を閉鎖する計画を発表。
 またモール運営企業も同じく破産法11条適用申請が相次ぎ、全小売面積は2025年までに20%減るとの予想も生じている。

 これはの衣料品や靴とも密接にリンクするけれど、書店のメガフランチャイジーも同様であるし、のフタバ図書もしかりだろう。ロクシタンは家賃とリース契約の破棄を目的とした適用申請とされる。
 日本の場合にしても、郊外消費社会のロードサイド店を始めとして、建物はサブリース家賃システム、店のオペレーションにも多くのリースが採用されているので、それらにも及んでいくことになる。
 まさに冗談ではなく、空き店舗が連なるゴーストタウンのような郊外消費社会の風景が出現するかもしれないし、すでにその兆候は現れているという声も聞こえてくる。



8.アマゾンの創業者でCEOのジェフ・ベゾスが21年7~9月期に退任し、取締役会長となる。 
 クラウド部門を率いるアンディ・ジャシーがCEOに昇格する。
 2020年10~12月期売上高は初めて1000億ドル(約10兆5000億円)を超え、通期では3860億ドルに達した。

 本クロニクル152で、コロナ禍の中にて、アマゾンが売上を4,5割伸ばしたとされることから、「不公正に利益を得ている」として、フランスでアマゾン不買運動が起きていることを既述しておいた。先の売上高も、それを裏づけているかもしれない。
 アマゾンによる日本での出版物販売金額も伸びていることは確実だ。それによって取次シェアも変わっているはずだし、KADOKAWAは早くからアマゾン直取引へと移行しているので、そのシェアはかなり高いと推測される。
 このほどKADOKAWAはサイバーエージェントとソニーを引き受け先とする第三者割当による新株式の発行で、100億円に迫る巨額の資金調達を決議している。「グローバル・メディアミックス」に加え、2社との協業でゲーム開発や運用、アニメコンシューマーゲームの世界的展開をめざすとされる。それに電子コミックのこともあり、このコロナ禍の1年で、KADOKAWAのアマゾンにおける売上高は予測する以上に伸びていて、ポスト取次時代もふまえ、今回の資金調達とも無縁ではないようにも思われる。
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9.枻出版社が民事再生法を申請。
 同社は1973年設立で、バイク、釣り、写真、サーフィン、ゴルフ、旅などのアウトドア系の趣味やライフスタイルをテーマとする雑誌、書籍、ムックを手がけていた。
 それらの雑誌は『Lightning』『RIDERS CLUB』『PEAKS』『NALU』『湘南スタイル』『世田谷ライフマガジン』などである。
 20年3月 は雑誌176点、ムック249点など459点を出版し、その他も広告事業、飲食店、ゴルフショップといった事業を幅広く展開していた。
 17年には売上高102億円を計上していたが、20年には53億円と半減し、3期連続赤字となり、一部の雑誌の権利や不動産の売却、不採算事業の整備を進めたが、自主再建を断念し、今回の措置となった。
 負債は62億7400万円。

 枻出版社はかつて本クロニクルも言及したことがあり、書店でも雑誌出版社としての認知度は高く、TSUTAYAなどの大型複合店でもよく売られていた。
 しかしその趣味やライフスタイルのトレンドも、スマホ時代の到来によって、賞味期限切れとなったように思われる。それに加えて、本クロニクル146で見てきたが、近年の50%を超えるムックの返品率は、枻出版社へのボディーブローとなり、連続赤字の大きな要因だったであろう。
 いくつかの雑誌は実業之日本社やヘリテージに事業譲渡が決まったとされるが、負債金額は大きく、売れないムックを抱えての民事再生申請の行方はどうなるであろうか。
RIDERS CLUB ライダースクラブ 2021年3月号 PEAKS(ピークス) 2021年2月号【特別付録◎フィンガーレスミトン【改】】 NALU(ナルー) 2021年1月号 湘南スタイルmagazine 2021年2月号 世田谷ライフMagazine 2021年3月号 NO.76
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10.自己御啓、ビジネス、仏教書などのサンガが自己破産。
 サンガは1998年に設立され、宮城県仙台市に本店、東京千代田区にオフィスを置き、12年後に年商1億4100万円を計上していたが、20年には1億円に減少し、新刊も少なくなっていた。
 負債は1億円以上になるとの見通し。

 本クロニクル148で、サンガが仏教誌『サンガジャパン』を刊行し、佐藤哲朗の好著『大アジア思想活劇』を出していることも記している。
 だが経営者の島影透が亡くなり、「経営者の死で、その行方が気にかかる」と書いておいたばかりだった。やはりその死で事業継続は断念され、また後継者も現れなかったことで、今回の措置となったのであろう。
 近年、報道されていないし、本クロニクルでもあえてふれていないけれど、そのような例をいくつも知っているし、まだこれからも起きてくることは避けられないだろう。
Samgha JAPAN(サンガジャパン) Vol.36 (2020-11-25) [雑誌] f:id:OdaMitsuo:20210225170256j:plain:h115



11.東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)を読んだ。

ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる (中公新書ラクレ)

  これはゲンロンいう出版社と併走した10年の歩みの告白で、近年にない出版ドキュメントとしての好著である。それは東が「ひとは40歳を過ぎも、なおも愚かで、まちがい続ける」ことを自覚し、「恥を晒し」ても、「その事実がもしかりに少なからぬひとに希望を与える」かもしれないと考え、この1冊を上梓しているからに他ならない。
  それは多くの出版関連書が失敗にもかかわらず、成功をよそおっているし、そのことが少なからぬ人たちに間違った認識を与えていることを身に沁みて感じているからだ。

 またさらに、東はサブタイトルに示された「知の観客」をつくるという営為に一貫して寄り添っていることも特筆すべきだし、それは私などが及ばない啓蒙と教育の視座に基づいている。彼の言葉を引いてみよう。


ほんとうはむかしは出版社もそういうことをやってきたのだと思います。小説であれば、作家を育てるだけでなく、読者を育ててきた。文芸誌も読者とともに育ってきた。けれどもいまの出版社は、売れる作家をどこから探し出してきて、一発当てるしか考えていないように感じます。読者=観客を育てるという発想を、出版人は忘れてしまったのではないでしょうか。

 この『ゲンロン戦記』は石戸諭の「聞き手・構成」による一冊で、私がずっと手がけてきた「出版人に聞く」シリーズを想起させる。このシリーズが『ゲンロン戦記』の成立に少しばかりヒントになったとすれば、本当に幸いに思う。



12.『文学界』(2月号)の「創刊1000号記念特別号」の創刊特集で、島田雅彦が「散歩者は孤児ではない」という一編を書いている。

文學界(2021年2月号) (創刊1000号記念特大号)

 これは「創作」とあるけれど、まぎれもなく島田を主人公とする「私小説」として読めるし、思いがけない人物も登場しているので、要約紹介してみる。

 島田は1981年のロシア語研修付きソ連ツアーで、老紳士と一緒になる。彼は野田開作と名乗り、鎌倉で独り暮らしをしている61歳の際の文筆家だった。
 野田は島田に小説を書いているなら読ませてほしいし、どこかに紹介もすると申し出て、実際に島田の処女作『優しいサヨクのための嬉遊曲』は野田を通して、『海燕』に持ちこまれ、デビュー作となった。つまり野田はプロモーターを務め、島田を「物書きとして世に送り出した恩人」だったことになる。
 野田は三田文学系の作家だったが、南方戦線に送られ、戦地では飛行機乗りとなり、慰安婦たちとつき合った。戦後はエロ小説家、児童書のリライトなどの仕事に携わり、出版界のマイナーな領域で生きてきたようなのだ。
 もし野田が生きていれば、現在は百歳になると気にかかり、島田はつてをたどって調べた自宅へ電話をすると、本人が出た。「百歳の恩人」は存命だったのである。野田のことだから、「実話」と信じたい。

 さてこの野田だが、塩澤実信『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」シリーズ13)に出てくる。野田は倶楽部雑誌のゴシップやエロを扱う「色頁」の書き手として有名で、「彼は今でいえば、コラムニストというのかな、当時の雑誌に欠かせないライターで、人柄も学識も申し分なかった」と塩澤は証言している。
 その野田が島田を「物書きとして世に送り出した恩人」だったのであり、1980年代まではそうした出版界の人脈と系譜が保たれていたことを伝えていよう。

f:id:OdaMitsuo:20210226104919j:plain:h120 倶楽部雑誌探究―出版人に聞く〈13〉 (出版人に聞く 13)



13.森功の『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』(幻冬舎)が出された。

鬼才 伝説の編集人 齋藤十一

  新潮社の影の天皇と称されてきた齋藤の初めての評伝である。
 齋藤の個人史、家族史、彼が齋藤家の家長であった事実などは初めて知るものだが、編集者としての軌跡はこれまでも断片的に書かれてきたし、それらの集成ともいえるし、とりたてて驚きはない。
 私見によれば、齋藤は新潮社の「文壇照魔鏡」事件、中村武羅夫の「誰だ? 花園を荒らす者は!」、河盛好蔵の「フランスモラリストとゴシップ文壇史好み」といった新潮社のDNAを、戦後の『週刊新潮』へと還流させ、そのことで戦後そのものを体現させたと考えらえる。
 またそれを実現させるために、『週刊新潮』のスタッフとして、12の野田開作を始めとするライターや作家を、マイナーな倶楽部雑誌などから召喚してきたこと、及び週刊誌ならではの高い原稿料によって、影の天皇の地位を占めたように思われる。



14.論創社HP「本を読む」〈61〉は「『ロルカ全集』と五木寛之『戒厳令の夜』」です。
 『出版状況クロニクルⅥ』は編集中。

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