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古本夜話1171 松本苦味、ツルゲーネフ『春の水』、文正堂書店

 前回の『ツルゲネエフ全集』の生田春月訳『春の波』は入手していないが、それにあたる松本苦味訳『春の水』は見つけている。『近代出版史探索Ⅱ』249で、金桜堂の「パンテオン叢書」と松本苦味訳、ゴオリキイ『どん底』を取り上げ、内藤加我の金桜堂の前身が草双紙屋で、大正時代には取次も兼ねていたことを既述しておいた。また「パンテオン叢書」の監修者でもある松本の『日本近代文学大事典』における立項も挙げ、明治二十三年東京生まれの東京外語露語専修出身の翻訳家、劇作家だが、関東大震災以後の消息が不明であることも。

 そこで松本のツルゲーネフ『春の水』が名訳だと述べられ、紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』においても、「パンテオン叢書」の一冊に挙げられているので、そのリストをあらためて示す。

大正期の文芸叢書

1 チエーホフ 松本苦味訳 『農夫』
2 ソログーブ 昇曙夢訳 『死の勝利』
3 ゴオリキイ 松本苦味訳 『どん底』
4 メーテルリンク 秋田雨雀訳 『アグラヴエヌとセリセツト』
5 アルツイバーセフ 中島清訳 『労働者セヰリオフ』
6 アンドレーエフ 小山内薫訳 『星の世界へ』
7 ザイツエーフ 昇曙夢訳 『静かな曙』
8 ツルゲーネフ 松本苦味訳 『春の水』


このうちの8に関しては「未刊行か」「別の単行本として刊行」との注記がある。この「別の単行本として刊行」の『春の水』を入手している。「パンテオン叢書」と同様の菊半截判、フランス装で、三〇四ページの一冊だが、背ははがれ、本体も三つに裂けていて、保存状態はよくない。それでもよく廃棄されず、私のところに届けられたのは僥倖というしかない気にさせられる。

 刊行されたのは大正四年十月で、「パンテオン叢書」の1から6が大正三年、7が同四年一月だったことからすれば、「パンテオン叢書」は7で中絶したと推測される。ツルゲーニェフ(以下ツルゲーネフとする―筆者)の翻訳は松本だが、出版社は金桜堂ではなく、文正堂書店で、奥付を見ると、その住所は日本橋区本銀町、発行者は村山庄三郎とある。ちなみに松本の住所は本所区松井町で、検印紙にはエジプトの女神をあしらい、その横に「苦味」の印が押されていることから、印税が支払われる出版だとわかる。

 この『春の水』の「序文」は昇曙夢が寄せ、ツルゲーネフの晩年の『その前夜』と『処女地』の間に発表された「彼の最も得意とする恋愛小説の内でも、嶄然頭角を顕してゐる名篇」と評している。前述の「パンテオン叢書」リストからしても、松本と昇がそれぞれ三冊を担当していることからすれば、それらの作品は重訳ではなく、ロシア語からの翻訳を意味していたし、実質的に監修には昇も加わっていたことになろう。

 明治二十一年に『国民之友』に発表された二葉亭四迷訳による「あいびき」(後に『片恋』所収、春陽堂、同二十九年)が日本近代文学に与えた大きな影響に関しては、国木田独歩の『武蔵野』(民友社、同三十四年)をめぐる拙稿「郊外風景論の起源」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』』所収)で論じているので、ここでは言及しない。

  

 さてこの「名訳」とされる『春の水』だが、この小説は「よろこばしき年も、/嬉しき日も、春の水のごと、/はや過去りぬ!」という「古き民謡」の一節をエピグラフとして始まっている。そこで深夜に帰宅し、書斎に戻った「彼はこんなに軀も心も疲れを感じたことがなかつた」。五十二歳の「彼」は「人生の嫌悪」に圧迫され、老年と死の恐怖が訪れる中で黙想していた。そして机の抽斗の古い文反古をあさっていると、さほど大きくない手箱が出てきて、それを開いた。するとその中には小さな柘榴石の十字架が見出され、「今や昔となつたことの数々を想い起した」のであり、そこで「彼」の名前がサアニンだと明かされる。

 一八四〇年にサアニンは二十二歳で、イタリアからロシアに帰る途中でフランクフルトに立ち寄った。彼は係累もほとんどなかったけれど、遠い親戚の遺産が入ったので、糊口をしのぐ仕官に就く前に、外国でその金を使ってしまおうと思い、その目的を実行した帰りだった。もはやペテルブルグに帰るだけの金しかなかった。そのフランクフルトのイタリア風菓子舗にサアニンが入ると、十九になるジエンマという娘が飛び出してきた。彼は「生れてから未だこれほどの美しい代物を見たことがなかつた」。奥で弟のエミリオが倒れていたので、サアニンは少年を助け、それを通じてその一家と親しくなり、ジエンマに婚約者がいたにもかかわらず、二人は恋に落ちてしまう。

 サアニンも彼女も、初めて恋を味わつたので、初恋のあらゆる奇蹟は、遺感なく二人の身内に行はれてゐた。初恋といふ奴は、てもない革命のやうなものである。何時も変らぬ、四角四面な、几帳面な生活は瞬時に突潰されてしまつて、その替りに、若やかな生(いのち)は砦の上に攀昇り、ヒラゝゝと高くその鮮かな旗を翻す。で、例へば前方に待つてゐるものが死であらうが、新しい生であらうが、一切お構いなしに、喜んで出迎へに行くのである。

 かくして二人はジエンマの家族も説得し、結婚を許されるところまでこぎつける。しかしそのための仕事や「金銭上」のこともあり、サアニンは一度ロシアへと帰らなければならない。ジエンマはサアニンに自分がかけていた柘榴石の十字架を手渡し、愛を誓うのだった。その一方で、サアニンは同窓のポロゾーフに出会う。彼は金持ちの娘マアリヤと結婚し、海外生活を送り、今度はパリに行こうとしていた。サアニンは結婚のために金が入用であり、そのマアリヤに自分の所有地を買ってくれないかと頼んだ。
 
 そこでサアニンはポロゾーフとともにウイスパーデンへと赴き、「金満家」の伯父から全財産を譲り受けたマアリヤと交渉することになり、フランクフルトを出立する。ジエンマに「僕はあなたのものです……僕は屹度帰つてきますよ」と言いながら。

 ポロゾーフ夫人のマアリヤはフランス語を達者にあやつり、コケットリーあふれる女で、不動産事情へも通じていたし、それに加えて、サアニンを意のままにしようとした。パリに一緒にいこうというのだ。ヨーロッパ文学における世紀末の宿命の女として、マアリヤは現前する。サアニンは思う。「蛇だ! あゝこの女は全く蛇だ。(中略)けれども何といふ魅力に満ちた蛇だらう!」。マアリヤとサアニンの馬車での道行は『近代出版史探索』186のフローベールの『ボヴァリー夫人』のエンマとロドルフの馬車内での情事を彷彿とさせる。 最終的にサアニンはフランクフルトのジエンマのもとに戻らず、マアリヤとパリに向かうのである。

 「さて、それからの巴里の生活。ありとあらゆる屈従。嫉妬も哀訴も許されず、終には着古した着物のやうに投げ棄てられた奴隷の生活の果無さ」、が待っていたのだ。そして最後にジエンマの運命はどうなったのかが明かされる。


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