「自治会、宗教、地方史」
前回で【自治会、宗教、地方史】の掲載が終わり、いよいよブログを終了いたします。 最後に、小田光雄の文字通りの遺稿となりました2024年2月29日号『新文化』第一面記事を転載したいと思います。 これは末尾に書かれていますように、2024年1月…
ここまでお付き合いくださった読者の方々は、未完原稿の『自治会、宗教、地方史』が、戦後社会論(郊外論)と近代出版論という小田光雄のふたつの大きな主題を、生まれ故郷の自治会というきわめてローカルな文脈で論じたものであることが、おわかりいただけ…
老人憩の家の改修をめぐる顛末 土地を担保にして自治会が法人として銀行から資金を借り入れ、市からの助成金とあわせて、老朽化した老人憩の家を改修する。それが、小田光雄が自治会長として構想した計画でした。この改修計画は自治会の総会の承認を得て、建…
ロマン主義的想像力のある偽史/個人の欲と箔付けのための偽史 小田 : 確かにそうだ。『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)のことで思い出されるのは奥野健男が刮目していて、新たな東北史の発見だと述べていたのを覚えている。彼は太宰治論でデビュ…
地方史・郷土史ブームと地方出版と地方開発の連動 A : 『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)の内容を簡略に説明してみる。 江戸時代半ばに蝦夷の後裔である東北の覇者安藤(東)の系譜を引く羽州土崎の浪人秋田孝季が、その妹婿の津軽飯詰の庄屋和田長…
あまりにもお粗末なでっち上げ A : それは笹沢左保の『木枯し紋次郎 さらば手鞠唄』(新潮社、平成10年)だ。これは『小説新潮』に連載された「帰って来た木枯し紋次郎シリーズ」の一冊で、その中に「顔役の養女」という一編があった。あなたは読んでいない…
疑問だらけのT応寺の由緒 小田 : いや、B4判2枚で、先の家康眼病云々に続いて、これまた史資料の提示もなく、T応寺の幕末から昭和57年までが語られ、それに明治18年のT応寺の「伽藍堂宇」と「伝承宝物」「寺禄」のリストが示されている。それがやはり2ペ…
独断専行を看過してきた地区住民、O寺と仏像のお開帳の歴史(続き) 小田 : 私も同感で、登記簿などを調べてみると、3ヵ所の土地は同じ昭和52年に売られている。それは同年に自治会エリアが市街化区域と市街化調整区域に分断され、この3ヵ所はいずれも農…
市政による偽史の肯定、O寺と仏像のお開帳の歴史 小田 : それらのことはひとまずおくにしても、現実的には先代からの申請が出され、T王寺とT應寺=T応寺は同一であり、薬師如来は藤原仏で、定朝の真作として、市の指定文化財として認められてしまった。A…
推測の話(続き)——行政・ゼネコン・設計事務所の三位一体 小田 : だが後になって、T王寺問題を調べていくうちに、市とゼネコンと設計事務所が三位一体のようなかたちで、昭和40年代の開発に取り組んでいたことがわかり、それに先代もかかわっていたはずだ…
推測の話——ゼネコン社長の思いつき 小田 : これは私の推測だけど、我々が想像する以上に市議会議長というのは権威のあるポストだったんじゃないのかな。市会議員のトップに立つわけだから、市長と比肩するようなポジションと見なされていたのかもしれない。…
失われた多層的な信仰世界、歴史意識なき短絡的な捏造 A : これは先にふれなかったが、薬師(やくし)は薬師寺、薬師堂薬師如来として使われていくけれど、一方では薬売りの薬師(やし)にもつながっている。 ちょうど年代のことが出たからいうけれど、10世…
文化と宗教と開発の三位一体? 小田 : 『市誌』の刊行は昭和29年で、T王寺とT應寺が同じだと誰も思わなかったし、まして地区の薬師如来像が『市誌』にある「古文化財」だと誰も認識していなかった。それが20年後に市の指定文化財として申請されたわけで、…
県市町村誌/史の衰退、または残り続ける錯誤 A : それはどこでも同じじゃないかな。先に名著出版が昭和43年に創業し、全国の県市町村などの復刻を始めているが、それは43年の明治百年を迎えての近代日本の見直しというか再考のトレンドとなり、多くの関連…
文化事業出版になりきれなかった行政主導の市誌編纂 小田 : 「古文化財」のうちで、その対象となったものをもう一度示してみます。 「木造薬師如来立像 一木造 四尺三寸 T王寺」 これは他のものと異なり、指定文化財にはなっていなかったが、先述したよう…
国家のミクロコスモスとしての自治会、意に反して片棒を担がされた歴史家 小田 : それと自治会と市の関係に留意するようになってあらためて認識したのは、行政におけるお上意識、肩書重視、官僚的対応であり、戦後のこの時期においては文部省、博士、文化な…
発掘調査-特別史跡指定-『市誌』刊行、または戦後社会における文化の有用性 小田 : まず『市誌』と国分寺発掘のキーパーソンの石田茂作から始めてみます。これは『遠江国分寺の研究』(昭和37年、後に『遠江国分寺』所収、同53年)における著者紹介を示し…
戦後における文化の箔付け、または歴史の真相の捉えがたさ 小田 : でも気になるのは先の引用文へとつながっていかないことで、『市誌』においては「木寄法」ではなく、「古風な一木彫式のもの」に焦点が当てられていることだ。先の引用文は次のように続いて…
郷土史と柳田民俗学のリンク 小田 : これは初めて話すことだけど、実は曽祖父が郡会議員をつとめ、編纂委員に名前を連ねていたこともあって、『郡誌』が家に残されていたわけなんだ。A : そうか、それで納得した。あなたにいうまでもないけれど、名著出版…
指定文化財化のプロセスの信頼性、または地方の非専門家による権威の引き写し 小田 : そのことに関連して、実は奈良国立博物館特別展『仏像修理100年』(平成22年)を見ている。 この図録の最初に西川杏太郎「仏像の保存修理とその技術」が寄せられており、…
指定文化財の仏像、または行政の拙速な お墨付き 小田 : まさにそういうことで、その指定文化財となる経緯と事情を確認する必要があると考えた。それで教育委員会に情報公開条例に基づき、昭和50年における指定文化財への経緯の公開を求めた。A : おもしろ…
О寺の仏像にたいする疑い 小田 : そのきっかけというか、発端は昭和50年にО寺の仏像が市の指定文化財となったことだった。しかしこれまで厨子に納められていて、戦後になって昭和37年と49年のお開帳の時しか見たことのない仏像がどうして指定文化財とされた…
当事者になるまで気づいていなかった政教一致 小田 : 私もそれが引っかかっていた。これも昭和31年にО寺と土地はJ寺として所有登記されているのに、どうしてあらためて薬師堂として登記したのか。つまり薬師堂としなければならない理由があったのかという…
編者からの言葉 『自治会、宗教、地方史』の第一部は、自治会長として老人憩の家の建て替えプロジェクトを進めるなかで立ち上がってきた法律的な問題をめぐるものでした。当事者たちの死去によって真実が失われたなか、現存する文書にもとづいて土地の所有権…
昭和50年代後半における新住民の急増、または郊外社会の誕生と地域の祭の始まり [編者註:今回は、第一部の No. 5 に挿入することを意図して書かれたものの、破棄されたらしい別稿を掲載します。まず、No. 5 の関連箇所をあらためて提示し、その後、別稿を…
自治会法人 vs 宗教法人、または有名無実化される「社会通念」 A : でも話を聞いて、あなたが自治会と老人憩の家などをめぐるトータルな話をしているにもかかわらず、弁護士のほうは何か誠実な対応をしているような感じはしない。 不動産屋の証言にしても、…
秘匿された「形式的」な文書 A : おそらくそうした事実は都市部や市街地では考えられないかもしれないが、『焼肉ドラコン』という映画を観ると、何となくわかるような気がする。 これは在日韓国人一家の物語なのだが、舞台は郊外の部落で、そこで両親は焼肉…
当時の社会的通念 小田 : そうした事柄に加えて、この「貸借証書」を入手したことによって、新たな事実が浮かび上がってきた。 ひとつはこの文書を作成した人物が判明したことだ。以前 、図書館側が棚や什器などの出入りの民間企業を「業者」とよんでいるこ…
過去の経緯の文書の曖昧さ 小田 : そう、問題はそこなんだ。私の遺族に肩代わりさせるわけにはいかないので、やはり自治会長に引き受けてもらうしかない。だがそこで効いてくるのは450坪の担保で、自治会としても実績のない最初の借り入れだから、保証人を…
自治会の高齢化と資金集めの難しさ 小田 : でもそれは勘弁してほしいと思うわけだ。それだけ広い土地だから、新公会堂の建設に合わせ、ゴミ置き場も整備し、プラスチックゴミや空きビン、空き缶の回収などもスムーズに処理できるようにしたいと考えていたか…