出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話910 刀江書院、小田内通敏『田舎と都会』、関根喜太郎

 刀江書院から昭和十一年に小田内通敏の『田舎と都会』が刊行されている。その区付けには普及版とあるので、「はしがき」を確認してみると、昭和九年に元版が出されたようだ。しかもそれは「最初日本児童文庫の一篇として書かれたものであるが、今回刀江書院の請に応じ、挿絵や写真を精選し、内容にも新しく手を入れて出すことになつた」との言も記されていた。
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 『日本近代文学大事典』のアルス版『日本児童文庫』の明細を見てみると、確かにその第六二巻が小田内の『田舎と都会』であった。それらの全七七巻に及ぶリストは同じ昭和円本時代に出され、販売合戦となった興文社の『小学生全集』に劣らず、各分野から多彩な人々が召喚されていたことを伝えている。そのような一人として、小田内も加わり、それが刀江書院により再刊となったのである。

f:id:OdaMitsuo:20190405111232j:plain:h120(『日本児童文庫』62、『田舎と都会』)

 小田内については拙稿「郊外に関する先駆的一冊―小田内通敏『帝都と近郊』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)でも言及しているけれど、あらためてこの『田舎と都会』『帝都と近郊』(大正七年)の児童版だとわかる。それは表紙や口絵写真に「飛行機上より見た東京郊外」が使われていることにも明らかである。しかしここではタイトルに「田舎」が採用されているように、田舎が郷土や農村として、その四季の生活や風景などを通じて描かれ、戦前の日本のバックヤードが農耕社会だったことを浮かび上がらせ、そこから生み出されたものが「都会」であるとの視座を提出している。おそらくその一方において、ナショナリズムに基づく時代の要請としての郷土や農村のイメージ造型も必要とされていたのだろう。
郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』) (有峰書店復刻版)

 そのことは前回の『[現代日本]朝日人物事典』における刀江書院の尾高豊作の立項も明らかだ。尾高は昭和五年に小田内たちと郷土教育連盟を結成し、それをベースとして子どもの成長と発達研究を科学的に進めるために、日本児童社会学会と創立し、雑誌『児童』を創刊している。つまり『田舎と都会』はそのような尾高と小田内たちの運動のための教科書的な一冊で、まとまった採用を前提として刊行されたと考えられる。ちなみに巻末広告には東京日日新聞経済部編、及び大阪毎日新聞経済部編による、それぞれの地域別『経済風土記』が並んでいるが、これらもそうした郷土教育のためのシリーズと見なしていいだろう。それらのことから判断すると、尾高は出版界や実業界だけでなく、昭和十年代には教育界でも活躍していたと推測される。またさらに続けて昭和十二年には日本技術教育界会長も務め、野口援太郎の新教育協会にも関わっていたようだ。
[現代日本]朝日人物事典

 だがそれは一方で、刀江書院の仕事から離れざるをえなかったことを意味し、『田舎と都会』の奥付発行者が尾高でなく、関根喜太郎となっているのはその事実を伝えていると思われる、そしてまたこの関根喜太郎が近代出版史のおいては重要な人物で、かつて拙稿「関根康喜=関根喜太郎=荒川畔村」(『古本屋散策』所収)を書いているけれど、もう一度ふれてみる。

古本屋散策

 最初に関根喜太郎の名前を目にしたのはゾラの拙訳『大地』の資料として購入した、やはり刀江書院の池本喜三夫『仏蘭西農村物語』の奥付においてで、このことに関しても拙稿「池本喜三夫と『仏蘭西農村物語』」(同前)を既述している。これは『田舎と都会』の巻末にも一ページ広告の掲載がある。それからしばらくして、出されたばかりの『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)の最初の部分を読んでいると、「荒川畔村 あらかわ・はんそん」の立項に「本名・関根喜太郎、別名康喜」とあるのを見つけた。生没年、出身地も定かではないが、大正七年頃に新しき村に加わった後、堺利彦の『新社会』や本連載878の土岐哀果の『生活と芸術』などに短歌を投稿し、同九年には日本社会主義同盟に参加し、それとパラレルに出版界に入ったようで、十三年には関根書店として、宮沢賢治の自費出版『春と修羅』を出しているとあった。そこで近代文学館の復刻を見てみると、確かに発行人は関根喜太郎で、関根書店の住所は京橋区南鞘町と記されていた。
大地 日本アナキズム運動人名事典 f:id:OdaMitsuo:20190207212215j:plain:h112

 この関根書店のことはここで初めて知ったのだが、関根康喜のほうは成史書院の『出版の研究』(昭和十四年)の著者として熟知していたといっていい。そこでもう一度『出版の研究』の奥付を確認すると、発行者は関根喜太郎となっていた。確かに両者は同一人物であった。関根喜太郎の出版者としての軌跡を確認すると、最初に手がけていた出版社を関東大震災で失い、それから大正十三年には関根書店として再起し、十四年には辻潤と知り合い、関根を発行人として『虚無思想研究』(復刻版、土佐出版社)、続いて翌年には吉行エイスケをスポンサーとして『虚無思想』を創刊に至る。
f:id:OdaMitsuo:20190405142900j:plain:h120(『虚無思想研究、土佐出版社版)

 昭和に入ってからの関根の出版活動はつかめないけれど、昭和十年頃になると刀江書院に入り、尾高の代わりに発行者となっていることからすれば、この時代に刀江書院の経営をまかされていたと推測していいだろう。そしてその後、再び独立し、成史書院を初め、昭和円本時代をくぐり抜けてきた自らの経験をベースにして、『出版の研究』を著わすに至ったと考えられる。尾高や刀江書院との詳細な関係はつかめないが、この時代の出版界の入り組んだ人脈の一端を覗くことができよう。


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古本夜話909 ヴォルフ『民族文化史』、間崎万里、尾高豊作

 前回のヴント『民族心理学』というタイトルにちなんでなのか、昭和九年に刀江書院からヴォルフの『民族文化史』という一冊が出されている。翻訳者は慶應大学教授で西洋史研究者の間崎万里である。彼は同書の巻末広告に見られるように、すでにシャール・リシェ『綜合文化史論』とプレステド『古代文化史』を翻訳しているので、それらとの関連も考えられるけれど、『民族文化史』の原タイトルが『応用歴史』だと知ると、やはりヴォルフもドイツの歴史家であり、邦訳はヴントの著作名に由来すると考えざるをえない。
f:id:OdaMitsuo:20190403172657j:plain:h120(『民族文化史』) f:id:OdaMitsuo:20190403174447j:plain:h115

 ちなみに間崎はその「はしがき」によれば、本連載725の田中萃一郎の弟子で、『民族文化史』の講述を受け、幸田成伴の発案により、翻訳が進められ、先の二冊と合わせ、欧米における特色のある史書三部作としての刊行が意図されたようだ。そのことは次のような一文にも表われている。

 プレステド氏は、得意の彩筆を揮つて、興味ある古代文化のパノラマを我等の眼前に彷彿たらしめたが、リシェ氏は個人の尊厳と科学の信仰といふ二大観点から歴史を解釈して、民主主義、平和主義、国際主義を力説したのであつた。しかるに、ヴォルフ氏の本書に於ては、之とは正反対に人類不平等主義、軍国主義、民族、国家主義が主張せられてゐる。人類の理想としての快感を催うさしめる平和論の後に、陰鬱なる尚武的国家論を加へたことは、之によつて両者の得失を明かならしめ、一方に偏することなからしめんがためであつて、歴史は種々なる角度から之を批判し検討することによつて、初めて真の正しい認識に達し得るものだからである。

 といいながらも、ヴォルフの著作は「大戦後の今日を予想せるかの如く、ヒットラー出現以前、既にヒットラーの思想を映写して居るかの如き観がある」と述べ、これらの三冊を「併読せられんことは、訳者の最も翼望する所である」とも記している。間崎の立場がリシェの『綜合文化史論』の側に置かれていることは明らかだろう。『民族文化史』の第四章の「人類と民族と宗教による世界の分割」にはあからさまに、白色人種の「ゲルマン・アリヤン人種」がたたえられ、日本人も含むモンゴル人種やユダヤ民族は蔑視と敵視を受け、まさに「人類不平等主義」に基づく、「軍国主義、民族・国家主義」が充満している。それは「既にヒットラーの思想を映写」している。

 だが訳者の間崎がこのような見解や意見を表明できたのは、まだ昭和十年代に入っておらず、出版界にしてもアカデミズムにしても、『民族文化史』を反面教師に翻訳することが許容されたことを示しているように思われる。実際に間崎は「訳者の趣旨に賛成して本書に出版に好意を寄せられた刀江書院主尾高豊作氏」への謝辞もしたためている。本連載150で、主として戦後の高山洋吉によって設立された別会社といっていい刀江書院にふれているが、ここであらためて戦前の刀江書院を取り上げてみる。

 まずはその創立者尾高豊作を『出版人物事典』から引いてみる。
出版人物事典

 [尾高豊作 おだか・とよさく]一八九四~一九四四(明治二九~昭和一九)刀江書院創業者。秋田県生れ。東京高等商業学校卒後、古河商事に入社、渡英、帰国後、一九一九(大正八)、刀江書院を創業。学術出版に力を注ぎ、鳥山喜一『黄河の水』、滝川政次郎『日本社会史』、本庄栄治郎『日本経済史概説』、松岡静雄『日本古語大辞典』などを出版。また、日本児童学会を創設。三四年(昭和九)六月、月刊『児童』を創刊した。実業界にもは進出、多くの会社に関係した。著書に『学校教育と郷土教育』のほか、子どもの問題に関する編著が多い。法哲学の尾高朝雄、社会学者の邦雄、作曲家の尚忠は実弟。

黄河の水 (『黄河の水』)

 この日本児童学会や月刊『児童』のことは知らなかったので、『[現代日本]朝日人物事典』を確認してみると、そこにも立項があった。それによれば、昭和五年に地理学者の小田内通敏たちと郷土教育連盟を結成し、八年にこの運動からさらに子どもの成長と発達研究を科学的に進めるために、日本児童社会学会を創立し、雑誌『児童』を創刊とある。つまり『児童』とは『出版人物事典』のいう「日本児童学会」の雑誌ではなく、日本児童社会学会のためのものだったことになる。それを受けて、十年には新教育協会理事、十二年には日本技術協会会長となり、教育界でも活躍とあるので、先の『学校教育と郷土教育』はそうした昭和十年代の尾高の刀江書院以外の軌跡を物語っている。
[現代日本]朝日人物事典

 奇しくも『民族文化史』の出版は昭和九年であり、その一方で、尾高は日本児童社会学会を設立し、『児童』を創刊していたのである。それらをめぐって、続けてもう一編を書いてみよう。


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古本夜話908 ヴント『民族心理より見たる政治的社会』

 前回の比屋根安定によれば、タイラー『原始文化』の所説はヴントの『民族心理学』へと継承されたこともあって、比屋根は後者も誠信書房から翻訳している。ただこれは全十九巻からなる『民族心理学』を要約した『民族心理学要論』の翻訳であるようだ。
f:id:OdaMitsuo:20190331151211j:plain:h115(誠信書房版)

 『世界名著大事典』の解題に従うと、『民族心理学』は一九一一年から二〇年にかけて出版され、第一、二巻が言語、第三巻が芸術、第四巻から六巻までが神話と宗教、第七、八巻が社会、第九巻が法律、第十巻が文化と歴史という構成で、そのうちの第八巻だけが日本評論社から平野義太郎訳で刊行されている。本連載582ではないけれど、またしても平野義太郎と日本評論社の組み合わせで、日本評論社も全出版目録を残していないことが残念でもある。日本評論社から出た同604の千倉書房のように全出版目録を出していれば、支那事変以後の出版物の明細を知ることができるのだが、それは現在からすると、収集が難しいだろう。
世界名著大事典

 それでもこの平野訳『民族心理より見たる政治的社会』は入手している。菊判函入、上製四二八ページで、『民族心理学』を全訳するならば、五千ページに及んでしまうと推測され、製作費や販売のことを考えても、全訳の難しさを教えてくれる。それらのことはタイラー『原始文化』にも共通しているし、民俗学や人類学の古典の全訳の困難さは今世紀に入っても解消されるどころか、さらに難しくなっているといえよう。そうした意味において、『民族心理学』がその一巻だけでも翻訳出版されていたのは僥倖だったかもしれない。しかも手元にある同書は昭和十三年発行、同十六年五刷とあり、順調に版を重ねているとわかるし、それは翻訳が待たれていたことを示しているように思われる。
f:id:OdaMitsuo:20190401154356j:plain:h120(『民族心理より見たる政治的社会』)

 『民族心理より見たる政治的社会』は口絵写真としてヴントの肖像を掲げた後、一九三二年にライプチヒ大学でヴント生誕百年祭がもたれたが、時を同じくして、東京帝大心理学教室にてヴント祭を催したとあり、その後に「訳者序言」が続いている。そこで平野はヴントの民族心理学に関して、次のように述べている。

 民族心理学は、民族の生成・発展・継起するその連関・共通所産なる言語・習俗・宗教・神話・芸術・法律・親族形態・社会結合の諸形態、文化・歴史における発展の普遍的法則を明かにし、精神発達の内面的心理法則を究明するのであるが、「諸民族生活の広範な諸連関にわたる発展を、その普遍的な合法則性の下に理解せんとする方法」(本訳書三八五頁)、民族心理の発展に貫徹するその原理こそは、史学・民族学・人類学といはず、あらゆる科学の原理たるべきものに外ならない。

 またその民族とは血縁に基づく出自、祖先、言語、礼拝、宗教、習慣、法律生活などの歴史と文化の共通性を基礎とし、連繋して保たれ、協同体意識による担われる「人間の社会結合集団(族)」とされ、ここでは民族と国民は区別されている。

 その心理学の体系も包括的で、方法は構成的で、それをベースにして、十九世紀から二十世紀にかけての民族学、民俗誌、人類学、法律学、史学、経済学の成果を網羅するものとなり、その心理学的発展法則を樹立するのである。

 このようなヴントの『民族心理学』の第八巻『政治的社会』が『民族心理より見たる政治的社会』として翻訳されたことになる。具体的に八章からなるタイトルを示したほうが解説を試みるよりも有効であると思われるので、それらを挙げてみる。

1 部族より国家への転換過程
2 政治的発展の時代における婚姻と家族
3 所有権の進化
4 所有物転換と経済的交易
5 国家と宗教
6 政治的社会の諸編制 民俗、民族学的
7 都市の創建と身分の区分
8 国家諸形態に関する民族心理学法則

 先述の「民族」や「心理学」についての説明、及びこれらの章タイトルを見ただけでも、この一冊の奥行きをうかがえるだろう。また原書にはない訳者が付した三一の挿図はそれらをフォローしている。そのことからも、『民族心理学』の全体がいかに広範にして個別的で、しかもそれらを連関させる体系として提出されているかが推測できる。

 ただ残念なのは、同書にはタイラーの『原始文化』への言及が一ヵ所しか見られないことで、それは死者の占有物を侵奪する恐怖に関しての原始的動機を説明した「註」としてだけである。やはり「政治的社会」ということもあって、『原始文化』からの継承はわずかしか見られず、第四巻から六巻にかけての「神話と宗教」のところに表出しているのだろうか。

 しかし『原始文化』は洋書のペーパーバック版を入手しているが、『民族心理学』のほうは、最初に挙げた、その要約とされる比屋根訳『民族心理学』を読むことで確かめるしかないだろう。

Primitive Culture


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古本夜話907  タイラー『原始文化』

 前々回、画期的な写真集である熊谷元一『会地村』に関し、柳田国男からの言及がなかったことにふれたが、それは民俗、民族学の翻訳書も同様だと思われる。
 f:id:OdaMitsuo:20190326172750j:plain:h115(朝日新聞社版)

 本連載755の棚瀬襄治『民族宗教の研究』や同758の南江二郎『原始民俗仮面考』には重要な基礎文献として、エドワード・タイラーの『原始文化』が挙げられている。この翻訳は両書に記載されていないし、それは『世界名著大事典』(平凡社)なども同様なので、戦前には邦訳が出ていないと思っていた。ところが数年前に古書目録のアカシヤ書店の欄に、明治三十五年刊行のタイラー『原始文化』を見つけ、申しこんだのだが、外れてしまったのか送られてこなかった。そこで国会図書館を確認してみると、こちらにも架蔵がなく、目録の明治三十五年の翻訳は出版社も訳者も不明のままで、いまだもって未見である。
f:id:OdaMitsuo:20190331151211j:plain(誠信書房版)

 そのために『原始文化』の邦訳を読むとすれば、昭和三十七年に出された比屋根安定による誠信書房版しかない。ただこれは比屋根も断っているように、原書は上下巻千ページ近い大冊であることから、抄訳というかたちを採用している。しかしそれは賢明な選択だといえるし、かえってコンパクトに原書のエッセンスを伝えていよう。

 『岩波西洋人名辞典増補版』にタイラーの簡略なプロフィルの紹介が見られるので、まずはそれを引いてみる。
 岩波西洋人名辞典増補版

 タイラー Tylor, Sir Edward Burnett 1832.10.2―1917.1.2
 イギリスの人類学者、民族学者、メキシコおよびキューバに旅行し(1856)、その後先史時代人や未開人の文化に関する広い知識をもつにしたがって、文明の進歩と文化の地理的公布ならびに伝播の研究に向った。やがてオクスフォード大学における人類学研究の指導者となり(84-95)、同大学人類学初代教授をつとめた(95-1909)。彼の業績として最も注意すべきものは宗教の起源と進化に関するアニミズム(animism)の論であり、また人類学研究の対象を文化として、研究方向を示した点である。彼はこの観点から現在の未開の民族中にわれわれ文明人の先祖が通過した太古の文化要素の〈残存 survivals〉を認め、これによって人類文化史を再構成しようと試みた。(後略)

 後半の部分は書名が挙げられていないけれど、『原始文化』Primitive Culture)の要約といっていいだろう。同書は文化の科学から始まり、その発展と残存、言語問題、計数技術、神話、アニミズム、儀礼などの九章仕立てである。だがその半ば以上がアニミズムと神話で占められていることから、比屋根訳はそれに新たな章題を付し、十八章構成となっている。

Primitive Culture

 それを読んでいくと、「神話・哲学・宗教・言語・芸能・風習に関する研究」というサブタイトルの意味が浮かび上がってくるし、『原始文化』が先史学、人類学、民俗学、宗教学の先駆けの著作だったことが伝わってくる。想像するに、国民国家としての英国のルーツ探究の書であり、本連載101などの英国心霊研究協会や同514などのマックス・ミュラーの『東方聖書』、同83のプラトンの発見ともリンクしているように思える。また同書に大いなる感動を受け、フレーザーが『金枝篇』に向かうきっかけとなったことも了解される。

金枝篇 (『金枝篇』) 

 そうした入口のような部分が第七章「神話と生気説」に見えている。そこでタイラーは人間の想像の過程を研究する主題としての神話に言及し、神話が文明の各時期や異なる民族を通じて、どのような構造を有しているかを問うことが重要だと述べている。その神話研究には広範な知識に基づく広きにわたる分野を視野に入れるべきで、それらによって精神の法則と想像の過程が明らかになり、神話のほうが歴史よりも一貫しているとされる。

 だが神話解読の秘儀は忘れられてしまっているので、それを回復するために古代の言語、詩、民間伝説の探究が必要となり、グリム兄弟の採集やマックス・ミュラーのリグ・ヴェーダ編集に至る。「アーリア民族の言語と文学とは、初期の神話段階を明らかにし、自然を歌う詩の発生を示している」からでもある。

 しかしタイラーはそのままアーリア神話学に向かわず、未開人の神話と文明諸国との神話の関係に視座を定め、「未開な神話を基礎として取り上げ、それから文明の進んだ民族の神話を考え、これが未開の神話と似た起源より生じたことを、明らかにしよう」とする。そのためにタイラーは「生気説」=アニミズムのコンセプトを導入していく。それによれば、人間と同様にすべての動植物、無生物に至るまでアニマを有し、生きている。それゆえに原始未開民族は自然物を崇拝し、自然物のアニマは人間と同じく、一時的、もしくは永久にその物から遊離して存在すると目されるので、アニマは精霊であり、それが後代には霊魂、あるいは神の観点まで発達していく。そしてタイラーはこのアニマ観念の発生が未開民族の夢、病気、死の観察などから始まり、人間の霊魂と万物の霊魂から類推して、これを生きた人格のある在者、すなわち神と見なすに至る。それらのプロセスは現代の文明民族の文学、風習、信仰のうちにも現れているし、宗教の根源も原始民族のアニミズムそのものに見出される。

 このタイラーの『原始文化』は本連載745などの東大人類学教室の人々に大きな影響を与えたにちがいない。その創立者の坪井正五郎は明治二十五年に英国人類学会会員に選出されているし、坪井の著作集『うしのよだれ』(国書刊行会)にはタイラーへの言及は見られないけれど、タイラーに会っていたとも考えられる。そして東大人類学教室の様々な活動と研究も、『原始文化』を抜きにして語れないつぃ、集古会にしても、山中共古は『原始文化』を読んでいたとどこかで語っていたように記憶している。それらもあり、最初に戻ると、誰が翻訳者だったのだろうか。

うしのよだれ (『うしのよだれ』)

 最近になって、『原始文化』(松村一男訳、国書刊行会)の全訳が出され始めた。
原始文化


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古本夜話906 熊谷元一と板垣鷹穂『古典精神と造形文化』

 前回の『会地村』の出版に関して、熊谷元一は写真については板垣鷹穂、編集において本連載580の星野辰男を始めとする朝日新聞社出版局の人々に謝辞をしたためている。
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 だがそれだけでは『会地村』の成立と出版に至詳細な事情を把握できなかったといっていい。その経緯が判明したのは、熊谷が郷土出版社の『熊谷元一写真全集』第一巻に寄せた「記録写真をめざして」においてだった。これは前回既述しているように、昭和九年に熊谷は師事していた童画の武井武雄の要請により、伊那谷の案山子の写真を撮った。それが発端で、同十一年に自分のカメラを入手し、村人の生活を取り、一冊の写真帳を作ろうと考えたのである。その時、想起されたのは以前に読んだ板垣の『芸術界の基調と時潮』(六文館)に収録された「グラフの社会性」だった。これはプロレタリア美術の小作争議絵巻に関するもので、古い絵巻形式よりも、写真と文字と絵画のモンタージュという力強い特有の形式の創案の提起といえた。そこから熊谷はこのような「記録写真」に取りかかったのである。
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 そして経費を節約するために、フィルムの現像や焼付は自分の手でこなし、夜間撮影用の閃光器も入手し、自転車で村を回り、取材し、写真を撮った。すると半年ほどで六百余枚のネガができたので、その頃板垣が『アサヒカメラ』で写真展月評を書いていたこともあり、送ったところ、「従来のアマチュアの仕事にない意義がある」との評価を得た。それに力を得て、熊谷はさらに題材を求め、村を回り、板垣の評を知った村人たちも協力してくれるようになり、昭和十三年に千五百枚のネガから六百枚余を選び、上下二冊の写真帳『会地村』を作り、再び板垣に送った。それに対し、板垣は「写真帳を終始非常に興味深く拝読しました。私の知る限りでは、世界のどこにも見出すことのできないほど、独特の意味と価値をもつものと思います」との返事が届いた。これは私が復刻版を手にした時の思いと同様である。

 その板垣を通じて、朝日新聞社から「まったく驚嘆に値する仕事で、時局下農村研究の貴重な資料」であり、出版したいとのオファーが出され、四六倍判、グラビア一七六頁、定価二円、初版三千部が、昭和十三年十二月に刊行の運びとなったのである。この出版によって、熊谷は朝日新聞記者の世話で、拓務省の嘱託となり、満州移民と青少年義勇軍の写真を撮ることになった。これらの満州や開拓地の写真はネガの多くが空襲で焼失したが、それらの一部は『熊谷元一写真全集』に収録されている。

 このように熊谷は板垣という触媒を通じて、『会地村』出版の実現を見たのだが、その板垣のプロフィルを『[現代日本]朝日人物事典』から引いてみる。
[現代日本]朝日人物事典

 板垣鷹穂 いたがき・たかほ 1894・10~1966・7・3 
 美術評論家、美術史家。東京都生まれ。1921(大10)年東大哲学科中退。在学中の20年東京美術学校(現・東京芸大)で西洋美術史を講義。24年文部省在外研究員としてヨーロッパ留学。22年『新カント派の歴史哲学』を著わして以後、西洋美術史に関する著作を多数発表。のちには建築、写真、映画などの分野にも幅広い関心を示し、評論、著作活動を展開した。(中略)著書に『建築』『芸術概論』『肖像の世界』『芸術と機械との交流』『肉体と精神』ほか。妻は文芸評論家の板垣直子。

 この立項には挙げられていないけれど、板垣の『古典精神と造形文化』が手元にある。これは本連載831などの今日の問題社から、昭和十七年十二月に初版三千五百部が刊行されている。その巻末広告には「姉妹篇」としての『写実』も見え、そこでは「カメラの写真性」が論じられているようで、『会地村』への言及もあると考えられる。
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 それはともかく、おそらく『写実』と同様に、『古典精神と造形文化』も多くの写真と図版を収録し、ギリシャ、ローマ時代の造形文化からドイツとイタリアにおける革新的建設計画、そこに表出している民族精神涵養の方策、東亜文化圏の建築精神までが「古典」と密接に関係づけられ、言及されている。だが同書にあって、突出しているのは口絵写真に集約されているように、ナチスが体現している建築精神への注視であろう。第四部の「現代に於ける造形文化政策と伝統」においてはナチス・ドイツ、ファッショ・イタリア、東亜建築史と南方政策が三位一体のようにして提出されている。そこでナチス・ドイツが次のように論じられる。ナチスはギリシャ・ローマの根本精神―ゲルマンアーリア民族の国粋的造形性という「過去の優れた伝統」に基づき、新しい社会目的と国家精神を実現させようとしている。それは日本でも公開された記録映画『意志の勝利』『民族の祭典』、各国に配布された大がかりな写真帳『ドイツ』などに明らかとされる。リーフェンシュタールのベルリンオリンピックのドキュメンタリー『民族の祭典』は見ているが、『意志の勝利』と『ドイツ』は未見なので、いずれ見てみたいと思う

意志の勝利 民族の祭典

 ここでいささか唐突だが、『会地村』に戻ると、先述したように、これらの映像や写真に先駆ける昭和十三年に、板垣はこの写真集を送られ、「世界のどこにも見出すことができないほど、独特の意味と価値」を発見したのである。それはそこに「ゲルマニア民族」ならぬ「日本民族」の原郷を幻視したにちがいない。しかし大東亜戦争下を通じて、板垣などの思想も含め、そうした原郷がいかなる変遷を経ることになったのかはまだ明らかにされていない。


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