出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1132 気賀林一『編集五十年』と『頭註国訳本草綱目』補遺

 二回ほど飛んでしまったが、ようやく気賀林一『編集五十年』(医道の日本社、昭和58年)が出てきたので、『頭註国訳本草綱目』にまつわる補遺編を書いておきたい。この気賀の著書の版元は月刊『漢方の臨床』や『医道の日本』を刊行する横須賀市の漢方雑誌社であり、内容も春陽堂の『本草』と『漢方と漢薬』という馴染みの薄い月刊雑誌の編集時代に大半が割かれているために、編集者の回想としての言及を見ていない。しかし気賀は春陽堂の特異な編集者で、しかも『頭註国訳本草綱目』の担当者だったのだ。

国訳本草綱目〈第1,3-5,8-15冊〉―頭註 (昭和4至9年) (『頭註国訳本草綱目』)医道の日本 2020年7月号 (これからの鍼灸を考える)   

 気賀は昭和六年に慶応義塾大学英文科を卒業し、春陽堂に入社する。それは本探索1098の『明治大正文学全集』の成功によって、春陽堂が東京駅八重洲口前に六階のビルを建てた時代であった。彼は回想している。「その頃は、著者もいろいろな方が入れ替り立ち替り社へ出入りされて、(中略)春陽堂がもうかると同時に著者の方も印税、印税でふところ具合がたいへん温かく、お互いに和気藹々たる空気がみなぎ」り、印刷屋や製本屋なども含めて、「まるで春陽堂は銀行のような存在であった」と。まさに昭和円本バブル時代を迎えていたのである。

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 そうした中にあって、「後世に残るような意義ある出版」として、第一に企画され、昭和四年に着手されたのが「世紀の難出版」とまでいわれていた『頭註国訳本草綱目』だった。やはり気賀の証言を引いてみる。

 いくら採算を度外視した企画とは申しましても、この出版については賛否両論相半ばしまして会議で容易に決まりませんでしたが、漢学者鈴木真海先生の自信のあるつよい一言で出版に踏み切ったのでございます。
 (中略)それに要する諸経費を計算しますと、じつに莫大な出版費がかかり、常識では考えられないほどの額にのぼりますので、もし二百や三百しか売れないということになりますと、出版社の命とりになりかねない無謀に近い企画だったからでございます。

 ところが新聞の予約募集広告を出すと、たちまち四千部の申し込みがあり、第一巻刊行時には六千部に達していた。「出版はまことに水ものと申しますが、この国訳本草綱目の出版などではまさに大ばくちを打ったようなもの」だったといえよう。その予約者たちはやはり医師や薬剤師が圧倒的に多かったけれど、中国文化史研究者、史実家、好事家に加えて、吉川英治や直木三十五、画家の津田青楓といった思いがけない人たちもいたという。この津田は『頭註国訳本草綱目』の装幀者でもあった。

 『頭註国訳本草綱目』の編集は当初五、六人だったが、刊行が進むにつれ、気賀が一人で担当することになる。そして毎日のように国訳者の鈴木真海、考定者の白井光次郎や牧野冨太郎の自宅に通ったことから、彼らに関する興味深い様々なエピソードなども語られている。だがここでは前々回「駒込桔梗艸盧」に住む国訳者としか記せなかった鈴木のプロフィルだけを浮かび上がらせてみたい。気賀はその写真を示し、その後の交際も含め、鈴木の生涯に寄り添っていたと見受けられるからだし、気賀の明らかな間違いは訂正しながら、それをたどってみる。

 鈴木真海は明治二十一年福島県東白河の機屋に生まれ、小学校卒業後、家を飛び出し、白河の長寿院の住職長野普観師に弟子入りをした。この小僧時代に猛勉強し、かたっぱしから仏典を読み、また塾に通って漢学も学んだ。その後、この住職について越後の慈光寺に行き、そこで立職という僧侶の資格を得たが、明治四十年、十九歳で上京し、語学、印度哲学、西洋哲学などを独学した。あちこちの寺をわたり歩いた放浪時代だったけれど、向学心は最も旺盛であった。

 それから新聞記者時代が始まり、毎夕新聞社、新潟時事新報社、毎日新聞社と移り、従軍記者などの活躍をしたようで、毎夕新聞社で『本草綱目』原本を架蔵していた澁川玄耳の知遇を得たと思われるし、主筆でもあり、吉川英治は部下だったとされる。この新聞記者時代の後に、病気の夫人とともに楽でない生活の中で、『頭註国訳本草綱目』に取りかかり、原稿料の前借りを限界まで重ねていた。そこに気賀は毎日のように「お百度をふんでいた」のである。その仕事ぶりについて、「先生は漢文を読むに返るよみ方はなされないで頭から棒よみによみ下され、そのスピードも四百字詰原稿用紙七十枚を一日に訳された」という記録があると述べている。ここには『近代出版史探索』104などの『世界聖典全集』の翻訳者たちと共通するイメージが生じるし、鈴木もまた近代出版界のトリックスター的独学者に位置づけられよう。

近代出版史探索   世界聖典全集 (前輯 第7巻) (『世界聖典全集』)

 しかし鈴木は四十歳を境として仏法に再び戻り、白河の長寿院住職を経て関川寺へ映る。この関川時代が学識的に最も円熟して意気軒高で、最後は新潟慈光寺住職で終わった。慈光寺は非常に格式が高く、永平寺と同格で、鈴木の入山式は界隈あげての厳粛なものだったが、鈴木は高位の色衣ではなく、粗末な黒染の衣のままで入山したという。

 気賀にとっても、この真海との出会いは決定的であった。それは彼自身に語らせよう。

 私はこの「本草綱目」が御縁で鈴木先生との交りは次第に深まってまいりまして、この「本草綱目」が終わりますと、月刊雑誌「本草」の編集に移り、さらに「漢方と漢薬」誌、さらに現在の「漢方の臨床」誌の編集へとつながりまして、以来かれこれ四十五年、私が妙な畑ちがいの方向に足を踏み込んでしまいましたのも、動機はといえば、「本草綱目」の出版であり、鈴木真海先生との出会いということが、大げさに申せば、私の生涯の岐れ道だったのでございます。

 それは春陽堂にしても同様で、『頭註国訳本草綱目』がなければ、その後の一連の企画、『本草』や『漢方と漢薬』といった「畑ちがい」の雑誌創刊はなかったのである。


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◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル155(2021年3月1日~3月31日)

21年2月の書籍雑誌推定販売金額は1203億円で、前年比3.5%増。
書籍は718億円で、同0.6%増。
雑誌は484億円で、同8.0%増。
20年12月、21年1月に続く3ヵ月トリプル増で、かつてない連続プラスとなっている。
雑誌の内訳は月刊誌が412億円で、同11.5%増、週刊誌は72億円で、同8.4%減。
返品率は書籍が29.7%、雑誌は37.4%で、月刊誌は36.1%、週刊誌は44.0%。
雑誌のうちの月刊誌の好調は前月に続いて『呪術廻戦』の既刊、『鬼滅の刃』の全巻、『ONE PIECE』の新刊などのコミックスの売れ行きによるものである。
だが週刊誌と同様に、定期誌とムックは相変わらずマイナスが続いている。
書籍は芥川賞の宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)が45万部に達し、児童書の好調さと相俟って、書籍のプラスの要因となっている。

呪術廻戦 1 (ジャンプコミックス) 鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL) ONE PIECE 98 (ジャンプコミックス) 推し、燃ゆ


1.『出版月報』(2月号)が特集「コミック市場2020」を組んでいる。
その「コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移」と「コミックス・コミック誌推定販売金額推移」を示す。


■コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移(単位:億円)
電子合計
コミックスコミック誌小計コミックスコミック誌小計
20142,2561,3133,56988258874,456
20152,1021,1663,2681,149201,1694,437
20161,9471,0162,9631,460311,4914,454
20171,6669172,5831,711361,7474,330
20181,5888242,4121,965372,0024,414
20191,6657222,3872,593コミックス
コミック誌統合
2,5934,980
20202,0796272,7063,420コミックス
コミック誌統合
3,4206,126
前年比(%)124.986.8113.4131.9131.9123.0


■コミックス・コミック誌の推定販売金額(単位:億円)
コミックス前年比(%)コミック誌前年比(%)コミックス
コミック誌合計
前年比(%)出版総売上に
占めるコミックの
シェア
(%)
19972,421▲4.5%3,279▲1.0%5,700▲2.5%21.6%
19982,4732.1%3,207▲2.2%5,680▲0.4%22.3%
19992,302▲7.0%3,041▲5.2%5,343▲5.9%21.8%
20002,3723.0%2,861▲5.9%5,233▲2.1%21.8%
20012,4804.6%2,837▲0.8%5,3171.6%22.9%
20022,4820.1%2,748▲3.1%5,230▲1.6%22.6%
20032,5492.7%2,611▲5.0%5,160▲1.3%23.2%
20042,498▲2.0%2,549▲2.4%5,047▲2.2%22.5%
20052,6024.2%2,421▲5.0%5,023▲0.5%22.8%
20062,533▲2.7%2,277▲5.9%4,810▲4.2%22.4%
20072,495▲1.5%2,204▲3.2%4,699▲2.3%22.5%
20082,372▲4.9%2,111▲4.2%4,483▲4.6%22.2%
20092,274▲4.1%1,913▲9.4%4,187▲6.6%21.6%
20102,3151.8%1,776▲7.2%4,091▲2.3%21.8%
20112,253▲2.7%1,650▲7.1%3,903▲4.6%21.6%
20122,202▲2.3%1,564▲5.2%3,766▲3.5%21.6%
20132,2311.3%1,438▲8.0%3,669▲2.6%21.8%
20142,2561.1%1,313▲8.7%3,569▲2.7%22.2%
20152,102▲6.8%1,166▲11.2%3,268▲8.4%21.5%
20161,947▲7.4%1,016▲12.9%2,963▲9.3%20.1%
20171,666▲14.4%917▲9.7%2,583▲12.8%18.9%
20181,588▲4.7%824▲10.1%2,412▲6.6%18.7%
20191,6654.8%722▲12.4%2,387▲1.0%19.3%
20202,07924.9%627▲13.2%2,70613.4%22.1%

 20年のコミック全体の推定販売金額は6126億円、前年比23.0%増。その内訳は紙のコミックスが2706億円、同13.4%増、電子コミックスが3420億円、同31.9%増。
 「コミックス・コミック誌推定販売金額推移」にはもれているが、そのピークは1995年の5864億円だったので、コミック市場全体では過去最大の販売金額となった。
 しかも20年の出版物推定販売金額は1兆2236億円だから、その半分に及ぶ。コロナ禍と『鬼滅の刃』の超ベストセラー、電子コミック31.9%増という高い伸び率がトリプル相乗してのものであるにしても、この販売金額は突出している。これからの出版物の生産、流通、販売状況の行方では浮かび上がらせているように思われる。

 1995年のコミック市場のピークは『週刊少年ジャンプ』600万部、『週刊少年マガジン』400万部台のコミック誌に支えられ、3357億円であったが、20年は627億円と5分の1になってしまった。それは発行部数も同様で、返品率に至っては43.2%と高止まりし、95年の18%の倍以上である。
 したがって20年のコミック市場は『鬼滅の刃』に象徴されるコミックス、電子コミックスの大幅な伸びによって最大の販売金額を記録したことになる。
 しかしその販売インフラの変化も視野に入れれば、書店、コンビニ、キオスクなどから電子ストアと移行していることが歴然で、さらに電子コミックも伸びていくだろう。
 その過程で、電子コミックそのものが『鬼滅の刃』のような作品を生み出して行くかもれない。そうしたコミック市場を迎えた場合、出版社はともかく、コミックにおける取次や書店の流通販売はどうなっていくのだろうか。

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス)



2.講談社の決算が出された。
 売上高は1449億6900万円、前年比6.7%増。デジタル版権分野を中心とする「事業収入」が、初めて紙媒体の売上を上回った。利益面では営業利益160億円、同79.8%増、経常利益163億円、同44.2%増、当期純利益108億7700万円、同50.4%増。
 売上高内訳は「製品」635億900万円、同1.2%減、「広告収入」55億2200万円、同6.8%減、「事業収入」714億5700万円、同16.4%増となっている。
 「広告収入は全体の6割近くがデジタル媒体広告。「事業収入」のうち、「デジタル関連収入」は544億円、同16.9%増、「国内版権収入」は82億円、同0.3%増、「海外版権収入」は88億円、同32.9%増。

 講談社の決算にしても、『鬼滅の刃』の集英社ではないけれど、のコミック市場において、電子コミックが紙の売上を上回ったこととコミックスの好調な動向が反映され、連動していよう。
 講談社も電子コミックを中心とする電子書籍の伸長、コミック・書籍原作の映像化、ゲーム化、商品化のアジア・北米での積極的展開によって、収益構造が変わりつつあることを示している。
 それはコミックを有する小学館や集英社も同様であろうし、で書いているように、そのようなシフトが加速した場合、取次や書店の流通販売はどうなっていくのだろうか。



3.ここで続けて魚住昭『出版と権力』(講談社)にもふれておくべきだろう。

 出版と権力 講談社と野間家の一一〇年

 すでに過褒的な書評が『朝日新聞』(3/20)や『文化通信』(3/22)にも出始めているが、かつての佐野真一の『だれが本を殺すのか』(プレジテント社、2001年)のように、読まれかたによっては現在の出版危機を別の方向へとミスリードしていく懸念を孕んでいるからでもある。
 『出版と権力』はサブタイトルの「講談社と野間家の一一〇年」に示されているように、講談社というよりも、野間清治に始まるオーナー一族の軌跡をたどり、そこに集った人々の群像ドラマとして読まれるべきだろう
 しかもそれは講談社ウェブサイト『現代ビジネス』に連載されたものである。1959年の社史『講談社の歩んだ五十年』の編纂に際しての、秘蔵資料150巻を発見しての大河ノンフィクションと謳われている。
 だが『出版と権力』は野間一族の物語として読まれるべきで、出版業界の「一一〇年」を描いているわけではない。それでも魚住の優れた着眼は創業者の野間清治の出版、株、土地が三位一体の投機のような特異なかたちで結実していったことに注視しているところであろう。
 それと私は『日本出版百年史年表』『日本近代文学大事典』を毎日のように使っているのだが、この二冊は戦後の講談社を含めて、野間省一の存在なくして成立しなかったと実感していることを付記しておく。
 だれが「本」を殺すのか 日本近代文学大事典



4.『日刊工業新聞』(2/26)にCCCによる「合併及び吸収分割公告」が出された。
 蔦屋書店などの連結グループ会社20社を吸収合併し、権利・義務を承継し、解散させ、CCCに一本化する。
 公告にはそのうちの14社の貸借対照表も示され、6社の債務超過が明らかになっている。

 これはCCCによるADR=私的整理と見なすべきだろう。20世紀末にCCCは各地のFC本部を吸収合併していたはずで、その再現とも考えられる。
 しかし当時はまだ出版物販売金額も2兆5000億円をキープし、CCCの複合大型店出店も活発になり、レンタルも全盛だった。まだアマゾンも上陸しておらず、電子コミックも開発されていないし、ネットフリックスなどの動画配信も始まっていなかった。おなじようなADRにしても、出版と書店状況がまったく異なっている。
 
 文教堂やフタバ図書のADRにしても、前者は相変わらず経済誌で存続疑義とされているし、後者の場合も不透明のままである。
 それは出店に際しての店舗契約だけにとどまらない複雑なサブリースが幾重にも張り巡らされ、清算や民事再生が困難になっているのではないだろうか。そうした事情は取次や銀行との関係も同じだと思われるし、戸田書店と楽天BNの清算の問題へともリンクしているのではないだろうか。
 このCCCの合併及び吸収分割については、『FACTA』の細野祐二による専門的分析「会計スキャン」を期待したいところだ。  



5.日販GHDの役員体制が発表された。
 吉川英作代表取締役副社長が代表取締役社長、平川彰社長は取締役会長となる。

 今回の役員体制によって、日販GHDが出版社や書店というよりも、明らかにCCC=TSUTAYAに寄り添うかたちで転回しているとわかる。
 吉川社長、及び日販社長を兼ねる奥村景二専務取締役が、いずれもMPD社長であったことは象徴的だ。それに増田宗昭社外取締役がCCCや蔦屋社長などのCEOであることはいうまでもないだろう。
 それから執行役員、日販アイ・ピー・エスの佐藤弘志社長、同、NICリテールズの近藤純哉副社長が元ブックオフであるという事実は、日販、CCC、ブックオフの関係がまだ深く続いていたことを浮かび上がらせている。 
 それに対して、出版社としては社外取締役としての講談社の野間省伸社長がいるだけだ。これらの従来の出版業界とは異なる日販GHDの役員体制は、4のCCCのグループの「合併及び吸収分割」と密接に連鎖していると考えられる。
 日販も含めて、日販GHDもどこに向かいつつあるのだろうか。



6.トーハンは東部支社と中部支社を統合して、東日本支社、名古屋支社と近畿支社を統合して東海近畿支社、中国四国支社と九州支社社体制は4支社体制となる。

 これらの理由として、マーケットイン型出版流通の実現のためとされている。だがやはり挙げられているように、2019年の書店主って99店に対して、閉店は650店に及び、1万店を割ろうとしている書店の減少が、支店の統合を促していることは歴然である。
 1990年代の書店が2万店を超えていた当時、トーハンは支社の他に多くの支店を有し、それなり在庫も持ち、書店に対する転売と補充機能も果たしていたが、そのような視点の光景も消えていくのだろう。
 実際に今回も大阪支店と神戸支店が統合され、大阪神戸支店となっている。
 本クロニクル146で既述しておいたように、リストラ後の支社、支店はトーハン跡地と同じく、開発の対象にされていくのであろう。
 それは日販も同様だと思われる。
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7.「地方・小出版流通センター通信」(3/15)が、M&J(丸善&ジュンク堂・戸田書店も含む)チェーンの楽天BN(旧大阪屋栗田)からの帳合変更によって、つぎのような返品と変化が生じるとしている。

 これまで楽天経由の場合は当方を通していながらも、トーハンや日販と直接取引ある出版社の書籍につきましては、変更時までに楽天に原則返品されると予想されます。現在届いている返品予定額は本体価格で約800万円になります。各出版社さんにはご迷惑をおかけすることになります。申しわけありません。
 いままで、楽天の出版分の80~90パーセントがM&Jチェーン分でした。今後、楽天の扱いは少額になるものと予想されます。取次の楽天は、ネット関係於仕入れを残し、リアル書店への流通は日販と協業する(委託する)と発表しています。今まで、M&Jチェーン分以外の「楽天扱い」であった書店の出荷は、いままで通り楽天扱いですが、物流は日販に移行ということになる模様です。そこから抜け落ちるものも一定程度あると思いますが、予想がつきづらいのが実情です。悩ましい限りです。このような大規模の取次変更と既存取次の規模縮小はかつてないことです。独占禁止法の問題はありますが、現状の出版売上では、公正取引委員会も追認するしかないように思います。


 この楽天BNの返品に関しては、他の中小出版社からも懸念の声が挙がっている。
 楽天BNは前身が大阪屋栗田であり、膨大な返品不能品を抱えているはずで、それらがこの機会に返品となって戻ってくるのではないかというものである。
 本クロニクルでも、20年からの楽天BNの書店の大量閉店による返品のために、入金ゼロが続いている中小出版社の状況を伝えておいたが、さらなる返品に見舞われないことを願うばかりだ。



8.アルメディアが書店調査事業を中止したことで、『文化通信』などに掲載されてきた書店の出店、閉店などのデータ集計が追跡できなくなった。6の出店、閉店数もそれによっているのである。

 『新文化』の元編集長だった加賀美幹夫雄がアルメディアを立ち上げたのは1990年代半ばであり、『ブックストア全ガイド』などの書店情報と調査事業、それに関連書の出版にも携わってきた。
 彼も年齢のことばかりではなく、書店調査事業の中止を決定したのは出版業界の凋落の中で、そうした仕事に対しての採算が難しくなったことも、原因ではないだろうか。
 JPO(日本出版インフラセンター)の共有書店マスタもあるけれども、本クロニクル146に示しているように、ずっとアルメディアのデータによってきたので、終了はとても残念である。そういえば加賀美とも20年ほど会っていない。お達者であろうか。
 アルメディアの書店調査事業の終わりは『出版ニュース』の休刊を想起させる。それによって出版物実売金額、リアルタイムでの出版や図書館情報、海外出版ニュースなどが届かなくなって久しい。
 いってみれば、出版業界がアルメディアや出版ニュース社のデータベース仕事を支えられなくなった事実を浮かび上がらせていることにもなろう。
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9.『朝日新聞](3/7)の「朝日歌壇」に佐佐木幸綱編として、次の一首があった。

    「書店から消えた海外ガイド本
         空っぽの棚に表示残して」
                   (札幌市) はづきしおり

  これはダイヤモンド・ビッグ社の「地球の歩き方」シリーズなどをさしているのだろう。
 本クロニクル151で、同社の海外ガイドブック「地球の歩き方」を主とする出版が学研プラスに譲渡され、市中在庫はダイヤモンド社が返品を受けることを既述している。
 それを受けて、書店が返品し、棚が空っぽになったことを詠んでいるのである。
 だがこれは意外でもないけれど、ブックオフの一本棚にそのまま移されていたのを見たばかりだ。
 返品はただちにブックオフに売られ、そのような棚となって再現されたことになる。もちろん「表示」はなかったけれども。

W01 地球の歩き方 世界244の国と地域 2021~2022 (地球の歩き方W)
odamitsuo.hatenablog.com



10.コロナ禍の中で、図書館などの出版物へのインターネットによるアクセスや送信をめぐって、著作権法の一部改正案が閣議決定された。
 この問題に関して、日本出版著作権協会代表理事、緑風出版の高須次郎が「著作権法の一部改正案に反対する声明」を出している。
 同じく日本ペンクラブでも、文化審議会著作権分科会法制度小委員会「図書館関係の権利制限規定の見直し(デジタルネットワーク対応)に関する中間まとめ」について、「図書館デジタル送信についての日本ペンクラブの基本的な考え方」を発表している。

 本クロニクルは基本的に高須の「声明」を支持するポジションにある。
 それに何よりも、高須がいうように、「出版関係者が審議会委員にいない」し、「論議の公正さに疑義がある」からだ。
 この問題に関しては取り上げなければならないと思っていたので、これを機会として高須と連携し、本クロニクルでも追跡していくつもりだ。



11.ユニクロが村上春樹とのコラボレーションによって、T シャツを発売。
 『ノルウェーの森』や『海辺のカフカ』などの8種類。

 『村上T』(マガジンハウス)やDJ「村上RADIO」に連なる企画であろう。
 私見によれば、インターナショナルな郊外消費社会をベースとして、ずっとユニクロと村上は通底していると思っていたけれど、これらのTシャツ企画だけでなく、近年さらにその関係は顕著になってきている。
 21年開館予定の早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)はユニクロの柳井創業者の寄付金によるものだし、ユニクロの『LifeWear magazine』は「Hello, Haruki」というタイトルで、インタビューを掲載している。
 ユニクロの村上Tシャツはベストセラーとなるだろうか。

村上T 僕の愛したTシャツたち

www.uniqlo.com



12.『キネマ旬報』(3/下)が「映画本大賞2020」を発表している。ベスト3だけを挙げておく。
 野村芳太郎著、小林淳他編『映画の匠 野村芳太郎』(ワイズ出版)、秋吉久美子、樋口尚文『キネマ旬報』『秋吉久美子調書』(筑摩書房)、大林宣彦『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』(立東舎)。

キネマ旬報 2021年3月下旬映画業界決算特別号 No.1861 映画の匠 野村芳太郎 秋吉久美子 調書 (単行本) A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る (立東舎)

 今年はベスト10のうちの一冊も読んでいなかったし、そのうちの半分は刊行も知らずにいて、本クロニクル153のコミックの「BEST10」と同様に、不明を恥じるばかりだ。
 それでもベスト10のデイヴィッド・リンチ他『夢見る部屋』(山形浩生訳、フィルムアート社)の刊行を教えられたので、早速読むことにしよう。
 それに続いて、『キネ旬』同号にケネス・アンガー『マジック・ランタン・サイクル』HDリマスター版の発売に際し、後藤護、工藤遙対談の「ケネス・アンガー・ライジング」が掲載され、リンチの『マルホランド・ドライブ』の関係も語られているからだ。それ以上に『ブルー・ベルベッド』はアンガーからの引用と影響を示して余りあると断言できよう。

夢みる部屋 ケネス・アンガー マジック・ランタン・サイクル [DVD] マルホランド・ドライブ [DVD] ブルーベルベット (特別編) オリジナル無修正版 [DVD]



13.ペトル・シュクラバーネク『健康禍』(大脇幸志郎訳、生活の医療社)を読了。
 サブタイトルは「人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭」。


健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭 [asin:4794912625:image:w80]

 図書館の新刊棚に置かれていて、著者、訳者、出版社も始めて目にする一冊であった。
 イヴァン・イリッチの『脱病院化社会』(金子嗣郎訳、晶文社)と同様に、すべてを肯うつもりはないけれど、コロナ禍の中にあって、またポストコロナ禍状況を考える上で、読まれるべき本であろう。
 紹介や書評を見ていないので、ここでふれてみた。 



14.伊藤清彦、内野安彦『本屋と図書館の間にあるもの』(郵研社)が刊行された。

  本屋と図書館の間にあるもの 盛岡さわや書店奮戦記―出版人に聞く〈2〉 (出版人に聞く 2)

  本クロニクル142で、『盛岡さわや書店奮戦記』の伊藤の急逝を既述しておいたが、追悼本のようなかたちで、この対談集が刊行されたことになろう。タイトルも彼にふさわしい。
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15.『スペクテイター』の赤田祐一から『サン出版社史since1972』を恵投された。

思いがけない社史で、すばらしい一冊ゆえに、1970年代からのもう一つの出版史が想起された。かつて前田俊夫『血の罠』(全6巻、ジョイ・コミックス)を読んでいたことも。
それにここには前回の野田開作が「作家・当年100歳・鎌倉在住」として登場しているのだ。島田雅彦「散歩者は孤独ではない」は、「創作」ではなく、まさに「実話」だったことになる。
血の罠1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]
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16.論創社HP「本を読む」〈62〉は「神谷光信『評伝 鷲巣繁男]』です。
 『出版状況クロニクルⅥ』は4月刊行予定。

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古本夜話1131 野口米次郎『芸術殿』と春陽堂文庫出版株式会社

 本探索1126で、昭和六年の国劇向上会による演劇『芸術殿』の創刊、同1127で春陽堂と大日本文庫刊行会の関係にふれてきたこともあって、それらにまつわる一編も書いておこう。

 その雑誌のほうを意識していたのかは不明だが、『芸術殿』という同じタイトルの一冊を入手している。菊判函入、上製三九六ページで、函と表紙は正倉院御物「密陀彩絵箱」の図柄が使われ、その上に判読が困難な赤字の書名を見るけれど、著者名はない。それゆえに函背に示された野口米次郎著『野口米次郎選集』Ⅰとの表記によって、同書が野口の美術論集だとわかる。野口に関しては『近代出版史探索Ⅱ』でその私家版『鳥居清長』と浮世絵論に言及しておいたが、この『芸術殿』には原色口絵の「源氏物語絵巻」、歌麿「文読む女」、北斎「神奈川浦浪の富士」に続いて、モノクロの「法隆寺金堂百済観音」を始めとする雪舟、光悦、光琳、若冲などの絵や屏風が収録され、野口の晩年における日本美術論集成であることを浮かび上がらせている。

f:id:OdaMitsuo:20210209164930j:plain(『芸術殿』)近代出版史探索II

 それらの十一の図版にはすべて「挿絵小註」という丁寧な註が施され、目次の「日本美術の精神」を筆頭に置き、「本阿弥光悦論」からの本論十一編は挿絵とコレスポンダンスする構成で編まれ、まさに『芸術殿』のタイトルにふさわしいイメージが伝わってくる。「自序」は「芸術の祭典始まる」と書き出されて、「今国家が人生の再建設と精神的陶冶を念とするに当つて、私どもが如何に過去の偉大な芸術家が今なほ燦然たる声明に輝いてゐるかを見る時、疑ひもなく美と真理の歴史だけは、永劫に栄えることを知るであらう」と結ばれている。それは昭和十七年七月十日付で記されているけれど、前年の十二月には太平洋戦争が始まり、四月にはアメリカによる初めての東京空襲も起き、『近代出版史探索Ⅴ』952の花森安治のコピーとされる「欲しがりません勝つまでは」のスローガンが流行り出していたのである。

近代出版史探索V

 そうした時代状況下の昭和十七年から『野口米次郎選集』はⅠに続けて、Ⅱの詩集『詩歌殿』、Ⅲの『文芸殿』、Ⅳの『相思殿』、全四巻が刊行されていたことになる。大正時代に第一書房から「野口米次郎ブックレット」として、全三十五巻が出ている。こちらも一冊だけ見つけているが、別のところで書くことにする。ただ「同ブックレット」は「全集」とされているので、この『選集』は野口が晩年に自ら編んだ自選集と見なせるし

f:id:OdaMitsuo:20210214202606j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210214203415j:plain:h120(「ブックレット」)

 そのような含みもこめてなのか、『日本近代文学大事典』の野口の立項には『野口米次郎選集』全四巻の春陽堂からの出版が明記されているし、確かに『春陽堂書店発行図書総目録』にしても、そこに掲載を見出せる。だがその版元名は間違いで、正しくは春陽堂文庫出版株式会社、発行者は松浦積である。これらの事情は詳らかにでないにしても、福島鑄郎編著『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)所収の昭和十九年の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧」を繰ってみると、その一端がわかる。そこには春陽堂(和田利彦)として、春陽堂、春陽堂文庫(株)、大日本文庫刊行会、東亜書房出版部が「教養専門の(文芸・厚生)」を担当分野として、統合されたことを伝えている。

春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年) (『春陽堂書店発行図書総目録』)

 それに補足説明を付け加えれば、春陽堂は昭和十年前後から、従来の春陽堂の他に、「大日本文庫」を刊行する大日本文庫刊行会、「春陽堂文庫」を刊行する春陽堂文庫出版株式会社といった具合に、分社化させていった。それはひとえに戦時下における用紙割当配給分をめぐっての分社化のようにも見受けられるし、そのことによって、厚生分野の版元らしき東亜書房出版部もまた吸収統廃合のかたちになったのであろう。先の松浦はその関係者かもしれない。

 しかしそうではあったにしても、発行所と発売所はどうなっていたのか、戦時計画生産と配給を担う日本出版会、及び国策取次会社の日配の意向と企業整備は、統合吸収された出版社の在庫処理にどのような影響を及ぼしたのかは定かでない。それに昭和十八年からは書籍の買切制がスタートしていたし、そのような中で、『芸術殿』の売価三円九十六銭、第二刷三千部は刊行されていたのである。

 つまり昭和十八年以後の文芸書や美術書などの出版メカニズムは同じ戦時下でも、それ以前と異なる生産、流通、販売へと移行していたことになる。そこにはまだ明かされることのない多くの事柄が秘められていたはずであり、この『芸術殿』はそれを体現していたといってもいいかもしれない。


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古本夜話1130 石井研堂『増訂明治事物起原』と「予約出版の始」

 また春陽堂が続いてしまったので、ここで単行本ではあるけれど、大正十五年刊行の石井研堂の『増訂明治事物起原』も挙げておきたい。そこには『近代出版史探索』152で既述したように、「予約出版の始」という項目もあるからだ。残念ながら「外交販売の始」はないけれど、その前史が予約出版にあったことは明白だ。その「予約出版の始」を引いてみる。

f:id:OdaMitsuo:20210209115102j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210209162538j:plain:h120(復刻版) 明治事物起原 (1) (ちくま学芸文庫) (ちくま学芸文庫版)

 明治十四年ころより古書の翻刻予約出版一時大に行はれる。稗史小説を主とするもの、漢籍を主とするもの、政治経済書を主とするもの、其書籍の種類は一様ならざれども、其出版方法等は、何れも大同小異なり。(中略)
 漢籍に次では、徳川期近代の小説類と憲法政事の訳書などにて、未だ外国趣味の文学輸入には及ばざるを見る、予約出版元と出版書の部類を類集して之を左に出す。書籍の出版に就て予約といふ方法に図ることも、此時代に始りしことならん。

 ここでは住所も含めて挙げられているのだが、それらはすべて東京で、しかも大半が京橋区なので、予約出版と版元名だけを示す。なお番号は便宜的に振ったものである。

1 殖産叢書  大日本殖産書院
2 漢籍類翻刻 鳳文館
3   同   東洋出版会社
4   同   東京印刷会
5   同   弘文館
6 為永物   橋爪貫一
7 八犬伝   著作館
8 馬琴もの  東京稗子出版社
9 物語もの  東京金玉出版社
10 膝栗毛  諧文
11 三大奇書  法木徳兵衛
12 文明史、憲法史等 政書出版社
13 政治書類 共同出版会
14 泰西政治書 自由出版会社
15 万国亀鑑 以文会社


 こうした予約出版と版元配置図、及び2から5までの漢籍事情は、拙稿「明治維新前後の書店」「明治前期の書店と出版社」(いずれも『書店の近代』所収)で示しておいた。けれども、まだ出版社・取次・書店という近代出版流通システムは確立されておらず、近世からの出版、取次、書店、古本屋を兼ねた業種のままで、貸本屋や絵双紙店の比重が高かった。近代出版流通システムの根幹である取次が出現するのは明治二十年代に入ってからで、ここで東京堂、北隆館、東海堂、良明堂、上田屋といった雑誌を主体とする五大取次が揃い、近代出版業界がスタートしていくのである。したがって、これらの予約出版と版元はそうした過渡期を体現していたといえよう。

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

 それに加えて、『増訂明治事物起原』は第八類「教育学術」の「予約出版の始」に続いて、「監修の流行」が置かれ、以下のようにある。「著訳書、何某監修と署すること行わる。これ、知名の士の人爵等を並べて、其出版ものゝ優良るを保せしむるものゝ如し、されども、監修者、唯名義の賃貸を収むるのみにして、曾てその出版物に責任を負ふ者なし」「大抵狗肉の羊頭なり」と。図らずも、ここに「予約出版」と「監修」の始まりが揃い、小川菊松の言葉を借りれば、「この畑育ち」の人々が明治後期の予約出版や外交販売市場と流れこんでいったと推測される。

 そうした系譜もさることながら、この『増訂明治事物起原』そのものにもふれておかなければならない。石井が巻頭の「第二版を出すまで」において、「本書の編纂に就て(初版の巻頭例言)」を併録しているように、明治四十三年に橋南堂から初版が出されている。それは二十年前のことで、第二版は菊判二段組、八四二ページに及び、初版の「四倍半大」となったとされる。初版は未見だけれど、いつか手にとることができるだろうか。

 また付け加えれば、この『増訂明治事物起原』の刊行は、石井が関東大震災に出会い、「惨火の幾多貴重の海内孤本を灰火せし」を目撃し、また「老齢還暦に達し」、「宜しく速に初版の増訂を完了すべし」との使命に駆られてだった。それを後押ししたのは『近代出版史探索Ⅲ』 623などの明治文化研究会諸友の「新旧過渡期の文化史」に対する熱意でもあった。

近代出版史探索III

 そこに本探索1098の春陽堂の和田利彦と木呂子斗鬼次も「書肆の意気込みて出版を促さるゝこと」あり、「今年の春に入りて脱稿」へとこぎつけたのである。そしてあらためて装幀と挿画が、『近代出版史探索Ⅲ』 472,473などの小村雪岱であることを知った。『増訂明治事物起原』は関東大震災の出来、明治文化研究会の発足、新旧過渡期の文化史への関心の高まりの中で、春陽堂のバックアップも受け、第二版刊行となったことが了承されるのである。


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古本夜話1129 白井光太郎、鈴木眞海、『頭註国訳本草綱目』

 『春陽堂書店発行図書総目録』を繰っていて、『頭註国訳本草綱目』が昭和九年に十五冊目の索引を刊行し、完結したことをあらためて知った。十五年ほど前だが、今はなき三島の北山書店で『頭注国訳本草綱目』第一冊から第六冊までの五冊を購入している。なお第五冊は欠けていた。

国訳本草綱目〈第1,3-5,8-15冊〉―頭註 (昭和4至9年) (『頭註国訳本草綱目』) 春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年) (『春陽堂書店発行図書総目録』)

 それもあってその際に『全集叢書総覧新訂版』を引いてみたけれど、掲載されておらず、最終的に何冊出たのかを確認していなかったのである。入手したのはいずれも裸本だが、専門書らしい菊判上製の造本で、表紙には「本草」をあしらった絵が描かれ、それは本探索1095の平福百穂による長塚節『土』の装幀を想起させる。ただ装幀者の名前は見当らないので、誰によるのかを確かめられない。そのことはともかく、まずは『世界名著大事典』における『本草綱目』の解題を示す。

世界名著大事典〈第1巻〉アーカン (1960年) f:id:OdaMitsuo:20210209112134j:plain:h120

 本草綱目(52巻、1596)李時珍著。著者は中国明代の本草学者、生没年明。本書は著者が独力で、30年の歳月を費やし、稿を改めること3度にして集大成したもの。これまで中国では本草書は主として国家が編集したのであるが、李時珍は個人の力で本書を編集した。薬用に供せられる多くのものを、自然分類主として分け、総計1,871種の品を網羅している。全編を水部、火部、土部、金石部、草部、穀部、菜部、果部、木部、服器部、虫部、鱗部、介部、禽部、獣部、人部の各編に分かち、正名を綱として他別名を付釈して目とし、次に集解、弁疑、正誤の条を設けてその産地、形状などを明らかにし、さらに気味、主治、付方を記して実用に供する便にした。本書に対しては種々の非難を加えられているが、著者1人の力でなしとげたことは敬服に価する。ことに1607年に本書が日本に伝えられ、林道春がこれを幕府に献上してから日本においても大いに行なわれるようになり、本書に関する本草学上の著作が、2、3刊行され、日本の本草学に対して大きな影響を及ぼした。

 『世界名著大事典』の場合、邦訳があれば、末尾にそれが明記されているのだが、ここでは「本書に関する本草学上の著作が、2、3刊行され」という、ある含みを感じさせる記述で終わり、次の解題に江戸時代の本草学者小野蘭山の『本草綱目啓蒙』は挙げられているけれど、『頭註国訳本草綱目』は示されていない。また昭和八年にはやはり春陽堂から『頭註国訳本草綱目』の監修者の白井光太郎の『本草学論攷』全四巻なども出されているので、「2、3刊行され」とはこれらを意味しているように思われる。

 そうした事情は関知できる立場にないし、とりあえず第一冊を見てみる。先述したように監修・校註は白井光太郎、顧問は木村博昭、考定は牧野富太郎など五人、訳文は鈴木眞海となっている。まずは内閣文庫所蔵の一九五〇年初版『本草綱目』(所謂「金陵本」)が八葉の口絵写真として掲げられ、それに白井の自筆による「序」、訳者の鈴木の前書きに当たる「例」が続いている。ここではその鈴木の「例」を追ってみる。それを鈴木は次のように始めている。

  本草の典籍には、学術的にも、実用的にも、近代の知識を刺激する多くの事実を蘊んでゐた。或は科学の将来に胎された、太古以来の一大秘宝蔵とさへ嘆称されてゐたのである。しかし、如何せん、その内容に向つて研究を進むるには、先づ第一に難関がある。それはその学問の目的からいへば、殆ど重要意義の乏いものではありながら、而も近代人の訪問を遮つた、極めて頑堅な鉄扇であつたのだ。記述の難解難読が実にそれである。

 本草の学問における「難解難読」は特殊な学問体系を有し、「その国語、文章は、その学問を湮没の危殆にまで駆り導いた、怖るべき厄介な障碍物であつたのだ」。そのために「極めて少数特殊の専門学者以外の近代一般人には、その門戸をさへ窺ふ由なき有様」であり、ここに「本草綱目五十二巻全訳の僭なる企」が胚芽してきたことになる。

 鈴木は澁川玄耳の弟子だったようで、その旧蔵本の『本草綱目』を古本屋から得て、「慨然として孤志を振ひ、遂に訳稿の筆を起し、首尾完きを得んためには、一腔の心血を傾け尽さんこと」を誓ったとされる。それは井上通泰の激発も受け、白井博士の監修、及び懇切周到なる手配のもとに終了するまでこぎつけたとある。そして最後に「春陽堂主人和田利彦氏、特に資を投じて版行の事に従はれ、組版その他の手数に多くの我儘を容された芳情は尤も多とするところ」との謝辞が記されている。

 「駒込桔梗艸盧に住むという鈴木のプロフィルはつかめないけれど、当時の本草学研究の先駆者、植物病理学の創始者の白井の全面的協力と春陽堂の和田のバックアップを受け、足かけ六年に及ぶ『頭註国訳本草綱目』全十五巻を完結させたことになろう。

 しかも奥付には監修兼翻訳者として、白井と鈴木の名前が並記され、その上には二人の印が押されている。それは彼らに著作権があり、印税も生じることが明らかだ。それらを含め、特殊な専門書、「非売品」で定価五円、「頭註」というタイトルなどを考えると、この『頭註国訳本草綱目』は主として予約出版による外交販売ルートを想定しての企画出版だったと見なすべきだろう。


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