出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1135 小杉放庵、公田連太郎『全訳芥子園画伝』とアトリエ社

 前回の『国訳漢文大成』続編の『資治通鑑』を始めとする「経子史部」全二十四巻の訳注のほとんどは公田連太郎によるものである。もちろん正編も『史記本紀』などの四冊を受け持っているし、この事実からすれば、『国訳漢文大成』の企画と編集自体が公田を抜きにして語れないことを意味していよう。ただずっと留意しているけれど、公田が当時の在野の漢学者で、多くの漢文注釈書を手がけていること以外はプロフィルが鮮明ではない。

f:id:OdaMitsuo:20210218170648j:plain:h120(『国訳漢文大成』)

 その公田が手がけたもうひとつの国訳に『全訳芥子園画伝』があり、その「註解」は小杉放庵、すなわち『近代出版史探索Ⅴ』805の小杉未醒に他ならない。この第一冊「総説」を入手している。函にはサブタイトルとして「図解南画技法大全書」が付され、本体はB5判をひと回り小さくかたちのジャケットにくるまれた和本、辛子色の表紙に題簽が貼られている。その刊行は昭和十年五月、発行人は北原義雄、発行者はアトリエ社、ジャケットと函のそこには第四回配本の記載が見えることからすれば、この予約出版もすでに三冊が出されているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210301120354j:plain:h110 近代出版史探索V

 アトリエ社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』340,352で取り上げているが、あらためて北原義雄を紹介する意味で、『出版人物事典』の立項を挙げてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人 近代出版史探索II
 [北原義雄 きたはら・よしお]一八九六~一九八五(明治二九~昭和六〇)アトリエ社創業者。詩人北原白秋の弟。福岡県生れ。麻布中卒。兄鐵雄の経営するアルス社に入社。一九二四年(大正一三)日比谷にアトリエ社を創業、月刊美術雑誌『アトリエ]を創刊。以来、『東西素描大成』『芥子園画伝』『陶磁大観』『実用図案資料大成』『現代洋画全集』『西洋美術文庫』『梅原龍三郎画集』など美術関係書多数を出版、美術書出版社として知られた。四三年(昭和一八)戦時企業整備により、アルス、玄光社その他と合併、北原出版株式会社(のちアルスと改称)を創立したが、敗戦後、五一年(昭和二六)同社より分れ、アトリエ社を復興、五三年アトリエ出版社と改称。

 ここに『芥子園画伝』も出てくるので、それなりに著名な美術書だと思われるのだが、『世界名著大事典』には立項されていないし、『全集叢書総覧新訂版』にも見出されないので、何冊出されたのかも不明である。だが幸いなことに、公田と小杉による連名の「緒言」が置かれ、解題に準ずるその内容説明と意義なども書かれているで、それも引用してみる。

 芥子園画伝は南画道の宝典である、素人も此一書あれば、画を作り易く、画を観、画を論ずるに便であり、専門作家に取つては、まことに調法極まる参考書である、たゞ、余りに調法なるが為に、或は是に頼るに過ぎて、多少の弊を受くる場合無きにしもあらず、幕末明治初期の南画は振はざりし所以、一部の因るは此処に存する、事ほどさやうに、此の書の力を思ふべきだ、書に罪なく書を見る者に過ちがある、此の用意を以て此書に対し参酌よろしくを得ば、古人の所論、古人の技法、南画道の精神について、術語等について、解釈を詳細にしたることは、我等のいさゝか努めたりとなす点である。

 ここでいう「南画」とは中国の淡彩の山水画などを特色とする絵画様式で、江戸の文化文政期には長崎から伝わってきた『芥子園画伝』を範として、文人墨客は「南画」に親しみ、流行を極めていたとされる。だがその後は蔓延状態となり、「幕末明治初期の南画は振はざりし」状況を迎えていたし、それは昭和に入っても同様だったのではないだろうか。そこで全訳を試み、あらためて、「古人の所論、古人の技法、南画道の精神」を開示しようとしたとも思われる。

 この『全訳芥子園画伝』は中村不折の康熙及乾隆版の『芥子園画伝』を原本として公田が全訳し、小杉の註解は種々の列本と照合してなされている。それはまず原文が示され、続いて公田「訳」小杉の「註」「解」が置かれるという構成である。これもその「序」「約」「註」をたどれば、康熙十八年に李笠翁が金陵の別荘である芥子園において、王安節編集の『芥子園画伝』を刊行するに至る由来が述べられている。李笠翁は明末清初の小説戯曲作家で、名を漁といい、「蓑笠して自ら江潮に漁せんとて、笠翁と号す。万暦の末に生れ、明清革命の際に当りて、意を仕進に絶ち、明の遺臣を以て自ら居り、小説戯曲を述作して欝勃せる気を吐けり、天下を周遊し、晩年、南京に住して終る。年七十余」とある。とすれば、『芥子園画伝』の刊行者の李笠翁とは明治期における旧幕臣の文人や集古会によった人々の位相に連なっていることになろう。

 だがこの一文を記しながら最も残念に思ったのは、第一冊が「総記」に当たるために図版がまったくないことである。原本の彩色が施された古版画ではないにしても、鑑賞本位でない『全訳芥子園画伝』の他の巻には「すべて一色」であっても図版が収録されているようだ。いずれ見ることができるだろうか。

 ところで最後になってしまったが、奥付に発売所として牛込区西五軒町の福山書店が示され、その住所は並記の福山印刷製本所と同じである。それだけでなく、これらはかつての福山印刷所で、拙稿「三笠書房と艶本人脈」(『古本屋散策』所収)や『近代出版史探索』15などの文芸資料研究会で、「変態十二史」と「変態文献叢書」を刊行していた。それが昭和十年に福山書店を名乗り、発売所となっているのは、ここが昭和艶本時代の予約通信販売システムを維持して、おそらく外交販売も兼ね、『全訳芥子園画伝』などの予約出版美術書も一手に販売していたことを伝えている。先の北原書店の立項のところに挙がっていた美術書類もそのような販売市場を確保していたことによって、成功したのではないだろうか。

古本屋散策 近代出版史探索

 なお付け加えておけば、戦後の美術書は全国の画材屋も販売ルートに組みこまれていたし、それは戦前から引き継がれていたとも考えられるのである。

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1134 鶴田久作と『国訳漢文大成』

 かつて「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)を書き、その際は「世界名作大観」とダントン、戸川秋骨訳『エイルヰン物語』を取り上げのだが、『国訳漢文大成』と『国訳大蔵経』はそれぞれ二万部という成功を収めたことにふれておいた。またその後、「国民文庫刊行会の『国訳漢文大成』」(『古本屋散策』所収)を書き、『近代出版史探索』105で、『国訳大蔵経』にも言及している。ただ前者は幸田露伴との関係を主としていたので、ここで前回の「漢文学復興の機運」に連なる『国訳漢文大成』の内容と訳者たちを挙げておきたい。

f:id:OdaMitsuo:20210218170648j:plain:h120(『国訳漢文大成』) 古本探究 古本屋散策 近代出版史探索

 だがその前にあらためて鶴田を紹介するために、『出版人物事典』の立項を引いておく。
出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [鶴田久作 つるた・きゅうさく]一八七四~一九五五(明治七~昭和三〇)国民文庫刊行会創業者。山梨県生まれ。小学校卒業後上京、国民英学会卒後、日本国有鉄道を経て博文館に入社、編集に従事。一時帰郷したが、再度上京、一九〇五年(明治三八)神田小川町に玄黄社を創業、翻訳の単行本の出版をはじめる。さらに「学校の教科書にも使用し得る」日本古典の文庫『国民文庫』五四冊の出版を計画、〇九年(明治四二)国民文庫刊行会を設立。『泰西名著文庫』『泰西近代名著文庫』『国訳漢文大成』『国訳大蔵経』などの大冊を主として予約出版で出版した。読書家であり翻訳家でもあったが、出版人として明治・大正・昭和初期を通じユニークな存在であった。

 このうちの「国民文庫」に関しては菊判上製の『国民文庫総目録』(比売品、明治四十四年)が出されていて、それらの明細を見ると、本探索1116の国民図書『校註日本文学大系』を始めとする円本時代の日本古典文学全集類の範になったことが実感される。また国民図書という社名も国民文庫にあやかっているのは明白だ。それに何よりも鶴田にあっては、近代出版社の雄として成長する博文館で編集を会得し、買切制時代の書籍出版と利益率、流通販売のメカニズムを深く認識していたことが挙げられるし、予約出版にしても外交販売にしても、鶴田と国民文庫刊行会こそが先駆者の立場にあったと思われる。
f:id:OdaMitsuo:20210301101712j:plain:h110(『国民文庫』)

 それゆえに杉村武『近代日本大出版事業史』においても、その一章が国民文庫刊行会に当てられ、まだ存命していた鶴田にもインタビューし、出版企画は「すべて成功し巨額の富を残し」たとされる鶴田の名前を付した一節を残しているのだろう。 だがその鶴田しても評伝などは書かれておらず、玄黄社と国民文庫刊行会の出版目録も出されていない、編集者たちのプロフィルや編輯部の実状、著者や訳者たちの全貌も明らかではない。

 それでも幸いなことに、またしても『世界名著大事典』第六巻「全集・叢書目録」において、『国訳漢文大成』の解題と明細は見出すことができるので、その解題を示す。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)

 国訳漢文大成(88冊、19207~31)国民文庫刊行会編。邦訳された漢籍の全集で、正編(1920~24)と続編(1929~31)とからなり、続編〈文学部〉第6・17両巻は上下二冊に分かれる。各巻に解題および当該原文を付す。また1939年から41年にかけてこの内容を縮刷大冊10巻にして刊行。線(ママ)装帙入もある。以上、国民文庫刊行会刊。さらに東洋文化協会刊による正、続88冊の復刊版(1955~58)も出ている。

 この『国訳漢文大成』は玄黄社時代に刊行の「和歌漢文叢書」の成功を継承するものだとされるが、こうして全88冊の内容と訳者たちの明細を目にすると、当代の漢学者、専門家が一堂に会していることがわかる。再びの機会は得られないと思われるので、あえて列挙してみる。それらは服部宇之吉、釈清譚、小柳司気太、公田連太郎、宇野哲人、児島献吉郎、小牧昌業、山口祭常、佐久節、岡田正之、笹川臨風、塩谷温、幸田露伴、宮原民平、箭内亙、加藤繁、鈴木虎雄、久保天随、岩重憲徳などである。

 そのうちの担当の一例を挙げれば、幸田露伴は正編「文学部」の14~16の『紅楼夢』や同18から20の『水滸伝』の六冊を受け持ち、それだけでも『国訳漢文大成』の見識がうかがわれるし、他の訳者たちも多くの漢和辞典類の著者、監修者として目に入る。杉村が「国民文庫刊行会の出版物中、最大の版を重ね、最も成功したもので、同会を有名にした叢書である」と評しているのは過褒ではない。

 その『国訳漢文大成』を一冊だけ拾っている。それは正編「文学部」17の清朝戯曲『長生殿・燕子箋』で、杉村の言と各巻が二万部に達したという企画の成功を裏づけるものである。函入、菊判上製、八百ページの大冊、シックな濃紺の装幀で、まさにチャイナブルーと称んでみたくなる。また驚くのは函に「第五版 第十三回配本」とあることで、奥付を確認してみると、大正十二年初版、昭和十年五版とあり、円本時代をくぐり抜け、ロングセラーとなっていたことがわかる。 
f:id:OdaMitsuo:20210301105648j:plain:h120 

 それに編輯発行者は国民文庫刊行会代表者の鶴田久作で、しかも「比売品」との記載、及びどこにも定価表示はないことからすれば、予約出版、通信販売、外交販売をクロスさせた流通販売で、ほとんど出版社・取次・書店という近代出版流通システムに依存していない事実が浮かび上がってくる。これが鶴田と国民文庫刊行会の成功を導いた独自の流通販売システムで、それらを新たな出版ビジネスモデルとして、予約出版と外交販売市場が形成されていったとも解釈できよう。

 ちなみにこの巻の『長生殿』の訳と註は塩谷温、『燕子箋』の訳者は宮原民平で、前者は9の『琵琶記』、11の『桃花扇伝奇』、12の『漢武帝内伝』や13の『剪燈新話』なども担当し、『国訳漢文大成』の主たる訳者だとわかる。『近代出版史探索Ⅳ』776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』によれば、東京生まれの漢学者で、東京帝大文科大学漢文科において支那文学を研究し、清国へ留学後、大正九年に東京帝大教授となり、支那文学、とりわけ戯曲小説に精通とされる。

近代出版史探索IV

 またこの一文を書いてからしばらくして、中村孝也『文集志ら菊』(大日本雄弁会、大正十年)を入手し、巻末広告を見たところ、塩谷温先生述『支那文学概論講話』が掲載されていた。そこには「詩賦文章の堂奥に入りて其秘曲を詳述し戯曲小説の傑作を網羅して論評絶妙也」とあった。これによって、塩谷の『国訳漢文大成』における翻訳の担当を了承するのである。

f:id:OdaMitsuo:20210219112639j:plain(『支那文学概論講話』)


odamitsuo.hatenablog.com

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1133 早稲田大学出版部『漢籍国字解全書』

 本探索1130の石井研堂の『増訂明治事物起原』における「予約出版の始」で、漢籍の複刻が挙げられていたこともあって、以前に早稲田大学出版部の『漢籍国字解全書』と冨山房の『漢文大系』の何冊かを拾っていたことを思い出した。これらはいずれも明治末に刊行された大部のシリーズだが、後者は漢文学者の服部宇之吉の校訂によるもので、門外漢には取り付く島がないこともあり、ここでは前者にふれたい。

f:id:OdaMitsuo:20210209115102j:plain:h120  漢籍国字解全書 (『漢籍国字解全書』) f:id:OdaMitsuo:20210217174438j:plain:h120(『漢文大系』)

 『漢籍国字解全書』は近年見かけなくなったけれど、かつては古本屋などの均一台によく出されていたのである。あらためて取り出してみると、それらはタイトルに「先哲遺著」の角書が付され、白地のカバーに「先哲」が書を弟子に与えるイラストが描かれ、漢籍らしい佇まいの装幀、菊判上製となっている。いずれも明治四十三年の刊行であり、ちなみにこの『全書』『世界名著大事典』の「全集・双書目録」に解題と明細のリストアップを見出せるので、解題を引いてみる。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)   

 漢籍国字解全書(53冊、1909~20)早稲田大学編集部(ママ)編。漢籍を日本かな文で注解したものを集める。第17巻までが先哲遺著で、江戸時代学者による国字解。大18巻以降が先哲遺著追補で、早稲田大学教官による国字解である。また以上のものを多少編成を変えて、《漢籍国字解全書》(全27冊、1926-28)、《二大漢籍国字解》(《史記》8冊、《八家文》4冊、1928-29)、および追補(9冊、1932-33)の形で同出版部から再版された。

 手元にあるのは2の『孟子』、8の『近思録』、9の『老子・荘子・列子』、10の『孫子・唐詩選』、11、12の『古文真宝』上下で、これらのすべてに言及できないので、9を取り上げることにする。

 これは解題とタイトルに示されているように、『老子』『荘子』『列子』のそれぞれの原文(漢文)を掲載し、それに読み下した日本文と注釈を加えて講述した江戸時代の「漢籍国字解」の集成である。例えば、『老子』は山本洞雲の『老子諺解』を収録している。そのよく知られた「小国寡民」の章を挙げれば、原文の後に「我をして、試みに小なる国、寡き民を得て、是を治めしめば、如此ならしめん」と日本語訳と注釈が続き、それが山本の講述スタイルだったことを浮かび上がらせている。同じように『荘子』は毛利貞齋『荘子俚諺鈔』、『列子』は太田玄九『張注列子国字解』に則っている。

 私はその方面の素養が欠けているので、これ以上立ち入らず、同巻巻頭に寄せられた「緊急の禀告(ご一読を煩し候)」にふれてみたい。これは『漢籍国字解全書』の七部十三冊の追補に関するもので、その中でも「異端邪説の巨魁」にして「不可解の奇書」である『墨子』を挙げ、本探索1105の内藤耻叟の「本邦唯一の解釈書」の『墨子講義』について、「近年物故せし高名の老僧」「翁の如き老大家」も、『墨子』を「読み得ざりしもの」として、「本全書の墨子と対照し、之を裏面に掲げ」ているからだ。それは20、21となる牧野藻洲(謙次郎)との「絶好の対照(墨子の一節)」で、内藤の訓点では文意がまったく通じず、それゆえにその部分の講義分の欠如が指摘され、牧野の稿本の部分が対照化されているのである。

 このことは一見するだけでもわかるし、それとともに『漢籍国字解全書』がもたらした波紋を想像できると思う。さてこれは余談になってしまうが、近年の私にとっての『墨子』は酒見賢一原作、森秀樹のコミック『墨攻』(小学館)で、すっかり楽しませてもらったことを記しておく。

墨攻(ぼっこう)(1) (ビッグコミックス)

 また同巻にはさまれた「続刊予告」の文言は、明治末期におけるこの『全書』の反響を伝えているのだろう。これもここでしか再現されないだろうし、大文字、傍点を駆使したものだから、それらはゴチックとして引用してみる。

 嚮に本全書の予約発行を公表するや、雷の如き喝采を以て迎へられ、忽にして出版界稀覯の盛況を呈するに至れり。是れ漢文学復興の機運の然らしめたる所なりと雖も、而かも江潮の優渥なる眷遇を荷ふに非ずんば、何を以てか茲に至らんや。故に厚意を空うせざらんが為に、黽勉事に従ひ、未だ嘗て聊も予定の発行期を過たず。予告以外に数百頁の紙数を増して幾多有益の図書を付載せるもの皆加盟諸彦の厚意に報いんとの微旨に外ならず。
 然るに、予約発売の当時に在りては、尚必須なる原本の、未だ発見せられざるが為に、已むを得ずして之を欠きたるを以て、本全書をして一大完璧ならしめ、永く学界の至宝たらしめんが為に、必ず其の欠漏を追補せざるべからざるを思ひ、博訪洽捜して十余部の有益なる珍書を発見することを得たり。而かも本全書の趣旨は敢て珍書を出さんとするに非ずして、万世に典拠たるべき根本書籍に対する国字解書を全備せんとするに在るを以て、断然割愛して左氏伝国字弁、伝習録筆記、楚辞師説の三大珍書を採るに止め、以て本全書をして大団円たらしめんとす。

 そうして13、14、15の加藤正庵『春秋左氏伝国字弁』、16の三輪執齋『伝習録筆記』、浅見絅齋『楚辞師説』の解題と「組方見本」が示され、続いて牧野謙次郎『墨子』、桂五十郎『荀子』、松平康邦『韓非子』、菊池三九郎『管子』といった「諸子講義発行予告」を見るのである。

 先述の「解題」、及びこれらの「続刊予告」からわかるのは、『漢籍国字解全書』が「予約発行」=予約出版で、「雷の如き喝采」を浴び、出版界の「稀覯の盛況」となり、さらなる「一大完璧」な「学界の至宝」たらしめんとして、相次いで増補されていったことだろう。それとパラレルに「未だ発見せられざる」「必須なる原本」や「有益なる珍書」も見出され、最終的に全53巻という「根本典籍」の「大団円」に至ったことになろう。

 この早稲田大学出版部の『漢籍国字解全書』と冨山房の『漢文大系』によってもたらされたと見なせる「漢文学復興の機運」を、さらに続けてたどってみなければならない。


odamitsuo.hatenablog.com

odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1132 気賀林一『編集五十年』と『頭註国訳本草綱目』補遺

 二回ほど飛んでしまったが、ようやく気賀林一『編集五十年』(医道の日本社、昭和58年)が出てきたので、『頭註国訳本草綱目』にまつわる補遺編を書いておきたい。この気賀の著書の版元は月刊『漢方の臨床』や『医道の日本』を刊行する横須賀市の漢方雑誌社であり、内容も春陽堂の『本草』と『漢方と漢薬』という馴染みの薄い月刊雑誌の編集時代に大半が割かれているために、編集者の回想としての言及を見ていない。しかし気賀は春陽堂の特異な編集者で、しかも『頭註国訳本草綱目』の担当者だったのだ。

国訳本草綱目〈第1,3-5,8-15冊〉―頭註 (昭和4至9年) (『頭註国訳本草綱目』)医道の日本 2020年7月号 (これからの鍼灸を考える)   

 気賀は昭和六年に慶応義塾大学英文科を卒業し、春陽堂に入社する。それは本探索1098の『明治大正文学全集』の成功によって、春陽堂が東京駅八重洲口前に六階のビルを建てた時代であった。彼は回想している。「その頃は、著者もいろいろな方が入れ替り立ち替り社へ出入りされて、(中略)春陽堂がもうかると同時に著者の方も印税、印税でふところ具合がたいへん温かく、お互いに和気藹々たる空気がみなぎ」り、印刷屋や製本屋なども含めて、「まるで春陽堂は銀行のような存在であった」と。まさに昭和円本バブル時代を迎えていたのである。

 f:id:OdaMitsuo:20200905130353j:plain:h120

 そうした中にあって、「後世に残るような意義ある出版」として、第一に企画され、昭和四年に着手されたのが「世紀の難出版」とまでいわれていた『頭註国訳本草綱目』だった。やはり気賀の証言を引いてみる。

 いくら採算を度外視した企画とは申しましても、この出版については賛否両論相半ばしまして会議で容易に決まりませんでしたが、漢学者鈴木真海先生の自信のあるつよい一言で出版に踏み切ったのでございます。
 (中略)それに要する諸経費を計算しますと、じつに莫大な出版費がかかり、常識では考えられないほどの額にのぼりますので、もし二百や三百しか売れないということになりますと、出版社の命とりになりかねない無謀に近い企画だったからでございます。

 ところが新聞の予約募集広告を出すと、たちまち四千部の申し込みがあり、第一巻刊行時には六千部に達していた。「出版はまことに水ものと申しますが、この国訳本草綱目の出版などではまさに大ばくちを打ったようなもの」だったといえよう。その予約者たちはやはり医師や薬剤師が圧倒的に多かったけれど、中国文化史研究者、史実家、好事家に加えて、吉川英治や直木三十五、画家の津田青楓といった思いがけない人たちもいたという。この津田は『頭註国訳本草綱目』の装幀者でもあった。

 『頭註国訳本草綱目』の編集は当初五、六人だったが、刊行が進むにつれ、気賀が一人で担当することになる。そして毎日のように国訳者の鈴木真海、考定者の白井光次郎や牧野冨太郎の自宅に通ったことから、彼らに関する興味深い様々なエピソードなども語られている。だがここでは前々回「駒込桔梗艸盧」に住む国訳者としか記せなかった鈴木のプロフィルだけを浮かび上がらせてみたい。気賀はその写真を示し、その後の交際も含め、鈴木の生涯に寄り添っていたと見受けられるからだし、気賀の明らかな間違いは訂正しながら、それをたどってみる。

 鈴木真海は明治二十一年福島県東白河の機屋に生まれ、小学校卒業後、家を飛び出し、白河の長寿院の住職長野普観師に弟子入りをした。この小僧時代に猛勉強し、かたっぱしから仏典を読み、また塾に通って漢学も学んだ。その後、この住職について越後の慈光寺に行き、そこで立職という僧侶の資格を得たが、明治四十年、十九歳で上京し、語学、印度哲学、西洋哲学などを独学した。あちこちの寺をわたり歩いた放浪時代だったけれど、向学心は最も旺盛であった。

 それから新聞記者時代が始まり、毎夕新聞社、新潟時事新報社、毎日新聞社と移り、従軍記者などの活躍をしたようで、毎夕新聞社で『本草綱目』原本を架蔵していた澁川玄耳の知遇を得たと思われるし、主筆でもあり、吉川英治は部下だったとされる。この新聞記者時代の後に、病気の夫人とともに楽でない生活の中で、『頭註国訳本草綱目』に取りかかり、原稿料の前借りを限界まで重ねていた。そこに気賀は毎日のように「お百度をふんでいた」のである。その仕事ぶりについて、「先生は漢文を読むに返るよみ方はなされないで頭から棒よみによみ下され、そのスピードも四百字詰原稿用紙七十枚を一日に訳された」という記録があると述べている。ここには『近代出版史探索』104などの『世界聖典全集』の翻訳者たちと共通するイメージが生じるし、鈴木もまた近代出版界のトリックスター的独学者に位置づけられよう。

近代出版史探索   世界聖典全集 (前輯 第7巻) (『世界聖典全集』)

 しかし鈴木は四十歳を境として仏法に再び戻り、白河の長寿院住職を経て関川寺へ映る。この関川時代が学識的に最も円熟して意気軒高で、最後は新潟慈光寺住職で終わった。慈光寺は非常に格式が高く、永平寺と同格で、鈴木の入山式は界隈あげての厳粛なものだったが、鈴木は高位の色衣ではなく、粗末な黒染の衣のままで入山したという。

 気賀にとっても、この真海との出会いは決定的であった。それは彼自身に語らせよう。

 私はこの「本草綱目」が御縁で鈴木先生との交りは次第に深まってまいりまして、この「本草綱目」が終わりますと、月刊雑誌「本草」の編集に移り、さらに「漢方と漢薬」誌、さらに現在の「漢方の臨床」誌の編集へとつながりまして、以来かれこれ四十五年、私が妙な畑ちがいの方向に足を踏み込んでしまいましたのも、動機はといえば、「本草綱目」の出版であり、鈴木真海先生との出会いということが、大げさに申せば、私の生涯の岐れ道だったのでございます。

 それは春陽堂にしても同様で、『頭註国訳本草綱目』がなければ、その後の一連の企画、『本草』や『漢方と漢薬』といった「畑ちがい」の雑誌創刊はなかったのである。


odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル155(2021年3月1日~3月31日)

21年2月の書籍雑誌推定販売金額は1203億円で、前年比3.5%増。
書籍は718億円で、同0.6%増。
雑誌は484億円で、同8.0%増。
20年12月、21年1月に続く3ヵ月トリプル増で、かつてない連続プラスとなっている。
雑誌の内訳は月刊誌が412億円で、同11.5%増、週刊誌は72億円で、同8.4%減。
返品率は書籍が29.7%、雑誌は37.4%で、月刊誌は36.1%、週刊誌は44.0%。
雑誌のうちの月刊誌の好調は前月に続いて『呪術廻戦』の既刊、『鬼滅の刃』の全巻、『ONE PIECE』の新刊などのコミックスの売れ行きによるものである。
だが週刊誌と同様に、定期誌とムックは相変わらずマイナスが続いている。
書籍は芥川賞の宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)が45万部に達し、児童書の好調さと相俟って、書籍のプラスの要因となっている。

呪術廻戦 1 (ジャンプコミックス) 鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL) ONE PIECE 98 (ジャンプコミックス) 推し、燃ゆ


1.『出版月報』(2月号)が特集「コミック市場2020」を組んでいる。
その「コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移」と「コミックス・コミック誌推定販売金額推移」を示す。


■コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移(単位:億円)
電子合計
コミックスコミック誌小計コミックスコミック誌小計
20142,2561,3133,56988258874,456
20152,1021,1663,2681,149201,1694,437
20161,9471,0162,9631,460311,4914,454
20171,6669172,5831,711361,7474,330
20181,5888242,4121,965372,0024,414
20191,6657222,3872,593コミックス
コミック誌統合
2,5934,980
20202,0796272,7063,420コミックス
コミック誌統合
3,4206,126
前年比(%)124.986.8113.4131.9131.9123.0


■コミックス・コミック誌の推定販売金額(単位:億円)
コミックス前年比(%)コミック誌前年比(%)コミックス
コミック誌合計
前年比(%)出版総売上に
占めるコミックの
シェア
(%)
19972,421▲4.5%3,279▲1.0%5,700▲2.5%21.6%
19982,4732.1%3,207▲2.2%5,680▲0.4%22.3%
19992,302▲7.0%3,041▲5.2%5,343▲5.9%21.8%
20002,3723.0%2,861▲5.9%5,233▲2.1%21.8%
20012,4804.6%2,837▲0.8%5,3171.6%22.9%
20022,4820.1%2,748▲3.1%5,230▲1.6%22.6%
20032,5492.7%2,611▲5.0%5,160▲1.3%23.2%
20042,498▲2.0%2,549▲2.4%5,047▲2.2%22.5%
20052,6024.2%2,421▲5.0%5,023▲0.5%22.8%
20062,533▲2.7%2,277▲5.9%4,810▲4.2%22.4%
20072,495▲1.5%2,204▲3.2%4,699▲2.3%22.5%
20082,372▲4.9%2,111▲4.2%4,483▲4.6%22.2%
20092,274▲4.1%1,913▲9.4%4,187▲6.6%21.6%
20102,3151.8%1,776▲7.2%4,091▲2.3%21.8%
20112,253▲2.7%1,650▲7.1%3,903▲4.6%21.6%
20122,202▲2.3%1,564▲5.2%3,766▲3.5%21.6%
20132,2311.3%1,438▲8.0%3,669▲2.6%21.8%
20142,2561.1%1,313▲8.7%3,569▲2.7%22.2%
20152,102▲6.8%1,166▲11.2%3,268▲8.4%21.5%
20161,947▲7.4%1,016▲12.9%2,963▲9.3%20.1%
20171,666▲14.4%917▲9.7%2,583▲12.8%18.9%
20181,588▲4.7%824▲10.1%2,412▲6.6%18.7%
20191,6654.8%722▲12.4%2,387▲1.0%19.3%
20202,07924.9%627▲13.2%2,70613.4%22.1%

 20年のコミック全体の推定販売金額は6126億円、前年比23.0%増。その内訳は紙のコミックスが2706億円、同13.4%増、電子コミックスが3420億円、同31.9%増。
 「コミックス・コミック誌推定販売金額推移」にはもれているが、そのピークは1995年の5864億円だったので、コミック市場全体では過去最大の販売金額となった。
 しかも20年の出版物推定販売金額は1兆2236億円だから、その半分に及ぶ。コロナ禍と『鬼滅の刃』の超ベストセラー、電子コミック31.9%増という高い伸び率がトリプル相乗してのものであるにしても、この販売金額は突出している。これからの出版物の生産、流通、販売状況の行方では浮かび上がらせているように思われる。

 1995年のコミック市場のピークは『週刊少年ジャンプ』600万部、『週刊少年マガジン』400万部台のコミック誌に支えられ、3357億円であったが、20年は627億円と5分の1になってしまった。それは発行部数も同様で、返品率に至っては43.2%と高止まりし、95年の18%の倍以上である。
 したがって20年のコミック市場は『鬼滅の刃』に象徴されるコミックス、電子コミックスの大幅な伸びによって最大の販売金額を記録したことになる。
 しかしその販売インフラの変化も視野に入れれば、書店、コンビニ、キオスクなどから電子ストアと移行していることが歴然で、さらに電子コミックも伸びていくだろう。
 その過程で、電子コミックそのものが『鬼滅の刃』のような作品を生み出して行くかもれない。そうしたコミック市場を迎えた場合、出版社はともかく、コミックにおける取次や書店の流通販売はどうなっていくのだろうか。

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス)



2.講談社の決算が出された。
 売上高は1449億6900万円、前年比6.7%増。デジタル版権分野を中心とする「事業収入」が、初めて紙媒体の売上を上回った。利益面では営業利益160億円、同79.8%増、経常利益163億円、同44.2%増、当期純利益108億7700万円、同50.4%増。
 売上高内訳は「製品」635億900万円、同1.2%減、「広告収入」55億2200万円、同6.8%減、「事業収入」714億5700万円、同16.4%増となっている。
 「広告収入は全体の6割近くがデジタル媒体広告。「事業収入」のうち、「デジタル関連収入」は544億円、同16.9%増、「国内版権収入」は82億円、同0.3%増、「海外版権収入」は88億円、同32.9%増。

 講談社の決算にしても、『鬼滅の刃』の集英社ではないけれど、のコミック市場において、電子コミックが紙の売上を上回ったこととコミックスの好調な動向が反映され、連動していよう。
 講談社も電子コミックを中心とする電子書籍の伸長、コミック・書籍原作の映像化、ゲーム化、商品化のアジア・北米での積極的展開によって、収益構造が変わりつつあることを示している。
 それはコミックを有する小学館や集英社も同様であろうし、で書いているように、そのようなシフトが加速した場合、取次や書店の流通販売はどうなっていくのだろうか。



3.ここで続けて魚住昭『出版と権力』(講談社)にもふれておくべきだろう。

 出版と権力 講談社と野間家の一一〇年

 すでに過褒的な書評が『朝日新聞』(3/20)や『文化通信』(3/22)にも出始めているが、かつての佐野真一の『だれが本を殺すのか』(プレジテント社、2001年)のように、読まれかたによっては現在の出版危機を別の方向へとミスリードしていく懸念を孕んでいるからでもある。
 『出版と権力』はサブタイトルの「講談社と野間家の一一〇年」に示されているように、講談社というよりも、野間清治に始まるオーナー一族の軌跡をたどり、そこに集った人々の群像ドラマとして読まれるべきだろう
 しかもそれは講談社ウェブサイト『現代ビジネス』に連載されたものである。1959年の社史『講談社の歩んだ五十年』の編纂に際しての、秘蔵資料150巻を発見しての大河ノンフィクションと謳われている。
 だが『出版と権力』は野間一族の物語として読まれるべきで、出版業界の「一一〇年」を描いているわけではない。それでも魚住の優れた着眼は創業者の野間清治の出版、株、土地が三位一体の投機のような特異なかたちで結実していったことに注視しているところであろう。
 それと私は『日本出版百年史年表』『日本近代文学大事典』を毎日のように使っているのだが、この二冊は戦後の講談社を含めて、野間省一の存在なくして成立しなかったと実感していることを付記しておく。
 だれが「本」を殺すのか 日本近代文学大事典



4.『日刊工業新聞』(2/26)にCCCによる「合併及び吸収分割公告」が出された。
 蔦屋書店などの連結グループ会社20社を吸収合併し、権利・義務を承継し、解散させ、CCCに一本化する。
 公告にはそのうちの14社の貸借対照表も示され、6社の債務超過が明らかになっている。

 これはCCCによるADR=私的整理と見なすべきだろう。20世紀末にCCCは各地のFC本部を吸収合併していたはずで、その再現とも考えられる。
 しかし当時はまだ出版物販売金額も2兆5000億円をキープし、CCCの複合大型店出店も活発になり、レンタルも全盛だった。まだアマゾンも上陸しておらず、電子コミックも開発されていないし、ネットフリックスなどの動画配信も始まっていなかった。おなじようなADRにしても、出版と書店状況がまったく異なっている。
 
 文教堂やフタバ図書のADRにしても、前者は相変わらず経済誌で存続疑義とされているし、後者の場合も不透明のままである。
 それは出店に際しての店舗契約だけにとどまらない複雑なサブリースが幾重にも張り巡らされ、清算や民事再生が困難になっているのではないだろうか。そうした事情は取次や銀行との関係も同じだと思われるし、戸田書店と楽天BNの清算の問題へともリンクしているのではないだろうか。
 このCCCの合併及び吸収分割については、『FACTA』の細野祐二による専門的分析「会計スキャン」を期待したいところだ。  



5.日販GHDの役員体制が発表された。
 吉川英作代表取締役副社長が代表取締役社長、平川彰社長は取締役会長となる。

 今回の役員体制によって、日販GHDが出版社や書店というよりも、明らかにCCC=TSUTAYAに寄り添うかたちで転回しているとわかる。
 吉川社長、及び日販社長を兼ねる奥村景二専務取締役が、いずれもMPD社長であったことは象徴的だ。それに増田宗昭社外取締役がCCCや蔦屋社長などのCEOであることはいうまでもないだろう。
 それから執行役員、日販アイ・ピー・エスの佐藤弘志社長、同、NICリテールズの近藤純哉副社長が元ブックオフであるという事実は、日販、CCC、ブックオフの関係がまだ深く続いていたことを浮かび上がらせている。 
 それに対して、出版社としては社外取締役としての講談社の野間省伸社長がいるだけだ。これらの従来の出版業界とは異なる日販GHDの役員体制は、4のCCCのグループの「合併及び吸収分割」と密接に連鎖していると考えられる。
 日販も含めて、日販GHDもどこに向かいつつあるのだろうか。



6.トーハンは東部支社と中部支社を統合して、東日本支社、名古屋支社と近畿支社を統合して東海近畿支社、中国四国支社と九州支社社体制は4支社体制となる。

 これらの理由として、マーケットイン型出版流通の実現のためとされている。だがやはり挙げられているように、2019年の書店主って99店に対して、閉店は650店に及び、1万店を割ろうとしている書店の減少が、支店の統合を促していることは歴然である。
 1990年代の書店が2万店を超えていた当時、トーハンは支社の他に多くの支店を有し、それなり在庫も持ち、書店に対する転売と補充機能も果たしていたが、そのような視点の光景も消えていくのだろう。
 実際に今回も大阪支店と神戸支店が統合され、大阪神戸支店となっている。
 本クロニクル146で既述しておいたように、リストラ後の支社、支店はトーハン跡地と同じく、開発の対象にされていくのであろう。
 それは日販も同様だと思われる。
odamitsuo.hatenablog.com



7.「地方・小出版流通センター通信」(3/15)が、M&J(丸善&ジュンク堂・戸田書店も含む)チェーンの楽天BN(旧大阪屋栗田)からの帳合変更によって、つぎのような返品と変化が生じるとしている。

 これまで楽天経由の場合は当方を通していながらも、トーハンや日販と直接取引ある出版社の書籍につきましては、変更時までに楽天に原則返品されると予想されます。現在届いている返品予定額は本体価格で約800万円になります。各出版社さんにはご迷惑をおかけすることになります。申しわけありません。
 いままで、楽天の出版分の80~90パーセントがM&Jチェーン分でした。今後、楽天の扱いは少額になるものと予想されます。取次の楽天は、ネット関係於仕入れを残し、リアル書店への流通は日販と協業する(委託する)と発表しています。今まで、M&Jチェーン分以外の「楽天扱い」であった書店の出荷は、いままで通り楽天扱いですが、物流は日販に移行ということになる模様です。そこから抜け落ちるものも一定程度あると思いますが、予想がつきづらいのが実情です。悩ましい限りです。このような大規模の取次変更と既存取次の規模縮小はかつてないことです。独占禁止法の問題はありますが、現状の出版売上では、公正取引委員会も追認するしかないように思います。


 この楽天BNの返品に関しては、他の中小出版社からも懸念の声が挙がっている。
 楽天BNは前身が大阪屋栗田であり、膨大な返品不能品を抱えているはずで、それらがこの機会に返品となって戻ってくるのではないかというものである。
 本クロニクルでも、20年からの楽天BNの書店の大量閉店による返品のために、入金ゼロが続いている中小出版社の状況を伝えておいたが、さらなる返品に見舞われないことを願うばかりだ。



8.アルメディアが書店調査事業を中止したことで、『文化通信』などに掲載されてきた書店の出店、閉店などのデータ集計が追跡できなくなった。6の出店、閉店数もそれによっているのである。

 『新文化』の元編集長だった加賀美幹夫雄がアルメディアを立ち上げたのは1990年代半ばであり、『ブックストア全ガイド』などの書店情報と調査事業、それに関連書の出版にも携わってきた。
 彼も年齢のことばかりではなく、書店調査事業の中止を決定したのは出版業界の凋落の中で、そうした仕事に対しての採算が難しくなったことも、原因ではないだろうか。
 JPO(日本出版インフラセンター)の共有書店マスタもあるけれども、本クロニクル146に示しているように、ずっとアルメディアのデータによってきたので、終了はとても残念である。そういえば加賀美とも20年ほど会っていない。お達者であろうか。
 アルメディアの書店調査事業の終わりは『出版ニュース』の休刊を想起させる。それによって出版物実売金額、リアルタイムでの出版や図書館情報、海外出版ニュースなどが届かなくなって久しい。
 いってみれば、出版業界がアルメディアや出版ニュース社のデータベース仕事を支えられなくなった事実を浮かび上がらせていることにもなろう。
f:id:OdaMitsuo:20210326162122j:plain:h115



9.『朝日新聞](3/7)の「朝日歌壇」に佐佐木幸綱編として、次の一首があった。

    「書店から消えた海外ガイド本
         空っぽの棚に表示残して」
                   (札幌市) はづきしおり

  これはダイヤモンド・ビッグ社の「地球の歩き方」シリーズなどをさしているのだろう。
 本クロニクル151で、同社の海外ガイドブック「地球の歩き方」を主とする出版が学研プラスに譲渡され、市中在庫はダイヤモンド社が返品を受けることを既述している。
 それを受けて、書店が返品し、棚が空っぽになったことを詠んでいるのである。
 だがこれは意外でもないけれど、ブックオフの一本棚にそのまま移されていたのを見たばかりだ。
 返品はただちにブックオフに売られ、そのような棚となって再現されたことになる。もちろん「表示」はなかったけれども。

W01 地球の歩き方 世界244の国と地域 2021~2022 (地球の歩き方W)
odamitsuo.hatenablog.com



10.コロナ禍の中で、図書館などの出版物へのインターネットによるアクセスや送信をめぐって、著作権法の一部改正案が閣議決定された。
 この問題に関して、日本出版著作権協会代表理事、緑風出版の高須次郎が「著作権法の一部改正案に反対する声明」を出している。
 同じく日本ペンクラブでも、文化審議会著作権分科会法制度小委員会「図書館関係の権利制限規定の見直し(デジタルネットワーク対応)に関する中間まとめ」について、「図書館デジタル送信についての日本ペンクラブの基本的な考え方」を発表している。

 本クロニクルは基本的に高須の「声明」を支持するポジションにある。
 それに何よりも、高須がいうように、「出版関係者が審議会委員にいない」し、「論議の公正さに疑義がある」からだ。
 この問題に関しては取り上げなければならないと思っていたので、これを機会として高須と連携し、本クロニクルでも追跡していくつもりだ。



11.ユニクロが村上春樹とのコラボレーションによって、T シャツを発売。
 『ノルウェーの森』や『海辺のカフカ』などの8種類。

 『村上T』(マガジンハウス)やDJ「村上RADIO」に連なる企画であろう。
 私見によれば、インターナショナルな郊外消費社会をベースとして、ずっとユニクロと村上は通底していると思っていたけれど、これらのTシャツ企画だけでなく、近年さらにその関係は顕著になってきている。
 21年開館予定の早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)はユニクロの柳井創業者の寄付金によるものだし、ユニクロの『LifeWear magazine』は「Hello, Haruki」というタイトルで、インタビューを掲載している。
 ユニクロの村上Tシャツはベストセラーとなるだろうか。

村上T 僕の愛したTシャツたち

www.uniqlo.com



12.『キネマ旬報』(3/下)が「映画本大賞2020」を発表している。ベスト3だけを挙げておく。
 野村芳太郎著、小林淳他編『映画の匠 野村芳太郎』(ワイズ出版)、秋吉久美子、樋口尚文『キネマ旬報』『秋吉久美子調書』(筑摩書房)、大林宣彦『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』(立東舎)。

キネマ旬報 2021年3月下旬映画業界決算特別号 No.1861 映画の匠 野村芳太郎 秋吉久美子 調書 (単行本) A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る (立東舎)

 今年はベスト10のうちの一冊も読んでいなかったし、そのうちの半分は刊行も知らずにいて、本クロニクル153のコミックの「BEST10」と同様に、不明を恥じるばかりだ。
 それでもベスト10のデイヴィッド・リンチ他『夢見る部屋』(山形浩生訳、フィルムアート社)の刊行を教えられたので、早速読むことにしよう。
 それに続いて、『キネ旬』同号にケネス・アンガー『マジック・ランタン・サイクル』HDリマスター版の発売に際し、後藤護、工藤遙対談の「ケネス・アンガー・ライジング」が掲載され、リンチの『マルホランド・ドライブ』の関係も語られているからだ。それ以上に『ブルー・ベルベッド』はアンガーからの引用と影響を示して余りあると断言できよう。

夢みる部屋 ケネス・アンガー マジック・ランタン・サイクル [DVD] マルホランド・ドライブ [DVD] ブルーベルベット (特別編) オリジナル無修正版 [DVD]



13.ペトル・シュクラバーネク『健康禍』(大脇幸志郎訳、生活の医療社)を読了。
 サブタイトルは「人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭」。


健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭 [asin:4794912625:image:w80]

 図書館の新刊棚に置かれていて、著者、訳者、出版社も始めて目にする一冊であった。
 イヴァン・イリッチの『脱病院化社会』(金子嗣郎訳、晶文社)と同様に、すべてを肯うつもりはないけれど、コロナ禍の中にあって、またポストコロナ禍状況を考える上で、読まれるべき本であろう。
 紹介や書評を見ていないので、ここでふれてみた。 



14.伊藤清彦、内野安彦『本屋と図書館の間にあるもの』(郵研社)が刊行された。

  本屋と図書館の間にあるもの 盛岡さわや書店奮戦記―出版人に聞く〈2〉 (出版人に聞く 2)

  本クロニクル142で、『盛岡さわや書店奮戦記』の伊藤の急逝を既述しておいたが、追悼本のようなかたちで、この対談集が刊行されたことになろう。タイトルも彼にふさわしい。
odamitsuo.hatenablog.com



15.『スペクテイター』の赤田祐一から『サン出版社史since1972』を恵投された。

思いがけない社史で、すばらしい一冊ゆえに、1970年代からのもう一つの出版史が想起された。かつて前田俊夫『血の罠』(全6巻、ジョイ・コミックス)を読んでいたことも。
それにここには前回の野田開作が「作家・当年100歳・鎌倉在住」として登場しているのだ。島田雅彦「散歩者は孤独ではない」は、「創作」ではなく、まさに「実話」だったことになる。
血の罠1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]
odamitsuo.hatenablog.com



16.論創社HP「本を読む」〈62〉は「神谷光信『評伝 鷲巣繁男]』です。
 『出版状況クロニクルⅥ』は4月刊行予定。

ronso.co.jp