出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1191 三島由紀夫とダンヌンツィオ『死の勝利』『聖セバスチャンの殉教』

 前回のドーデ『サフオ』とダンヌンツィオ『死の勝利』が、大正の初めに新潮社の「近代名著文庫」として翻訳され、昭和円本時代にいずれも『世界文学全集』30に収録されたことを既述しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20210816114129j:plain:h120(「近代名著文庫」) f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 (『世界文学全集』30)

 佐藤義亮の『出版おもひ出話』(『新潮社四十年』所収)によれば、「新潮社が翻訳出版として認められるに至つたのは、『近代名著文庫』を企て、その第一編として『死の勝利』を出してからである」。それは大正二年一月の出版だったが、明治四十一年三月に妻子ある文学士森田草平と女子大出の平塚明子(雷鳥)が死地を求めて塩原尾花峠の雪山に分け入り、連れ戻される事件が起きていた。それは『死の勝利』の影響を受け、そのまま実践したということで、新聞でも騒がれた。それでこの小説は広く知られることとなった。「そんなことも手伝つて翻訳物としては全く記録やぶりの売れ行きを示した」のである。

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 夏目漱石はこの事件で社会から葬られようとしていた森田を自宅に引き取り、この事件を題材とした小説『煤煙』を四十二年正月から『朝日新聞』に連載させた。この『煤煙』(『寺田虎彦・森田草平・鈴木三重吉集』、『現代日本文学全集』22所収、筑摩書房)を読むと、確かにまだ未邦訳の『死の勝利』が寄り添う物語のようで、伏線となっている印象を受ける。そればかりか、前回の『サフオ』も出てくるのだ。とすれば、『死の勝利』に続いて、「近代名著文庫」で『サフオ』が刊行されたのも、『煤煙』をきっかけにして『死の勝利』が「全く記録やぶりの売れ行きを示した」こととリンクしているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210818095222j:plain:h120(『現代日本文学全集』22)

 またこの所謂「煤煙」事件は、森田をダンヌンツィオの訳者とならしめ、『快楽児』(博文館、大正三年)、『犠牲』(国民文庫刊行会、同六年)を翻訳に至る。拙稿「『千一夜物語』のレーン訳とマドリュス訳」(『古本屋散策』所収)で、森田のレーン訳(国民文庫刊行会)にふれているけれど、この二冊は未見である。だがこれらの続けての翻訳を考えただけでも、大正前半にダンヌンツィオブームが起きていたとわかる。同じく『近代出版史探索』18で、下位春吉に言及し、田之倉稔の『ファシストを演じた人びと』(青土社)を援用し、彼がダヌンツィオ(二重表記)に魅せられ、心酔し、その第一次世界大戦後の私設軍隊を率いてのフィウーメ占領にも参加したことを書いている。

ファシストを演じた人びと

 このフィウーメ占領に関して想起されるのは、やはり私設軍隊の楯の会を率いた三島由紀夫に他ならないし、その死にしても、『死の勝利』と重なってしまう。それに『死の勝利』を収録した『世界文学全集』30の一冊は島崎博、三島瑤子共編『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社、昭和四十七年)の中に見出されるのだ。心中小説としての『死の勝利』には、三島好みのアフォリズム的な表白や会話が散りばめられ、彼がダンヌンツィオ愛読者だったと見なすべきであろう。

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 それは昭和四十一年に美術出版社から刊行されたダンヌンツィオの霊験劇『聖セバスチャンの殉教』に凝縮されたかたちで顕現している。この三島由紀夫、池田弘太郎訳の一冊は赤いクロスの枡型本で、その劇を彷彿とさせる函のデザインと相俟って、昭和四十年代前半の造本として忘れられないインパクトを与えるものだ。同書には劇のみならず、三島自身による「名画集 聖セバスチャンの殉教」も収録され、巻頭図版を加え、五十一枚に及んでいる。その中のローマのカピトリーナ美術館が所蔵するグイド・レーニのものは、後に三島が聖セバスチャンに扮し、写真化している。

f:id:OdaMitsuo:20210818175631j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210818113644j:plain:h120(グイド・レーニ)

 聖セバスチャンはカトリック聖人伝説によれば、三世紀ローマ市の軍人として武勇に優れ、輝かしい軍功をもちて、皇帝の目にとまり、名誉ある親衛兵隊長に任命された。だが軍人の身分を利用し、カトリック信徒を助けていたことが発覚し、皇帝から死刑を宣告され、アフリカのヌビア人に弓矢で処刑されることになってしまったのである。しかし現在のような聖セバスチャンの姿が登場してくるのは十五世紀のルネサンスに至ってからだった。三島は書いている。

 それはすでに、若い、ゆたかな輝やかしい肉体、異教的な官能性を極端にあらはした美青年の裸体となつて生れ、さまざまな姿態で、あるひは月桂樹の幹に、あるひは古代神殿の廃墟の円柱に縛しめられ、あるひはローマ軍兵の兜や鎧をかたはらに置き、あるひは信女イレーネに涙を注がれ、あるひは数本の矢をその美しい青春の肉に箆深(のぶか)く射込まれて、ただ、死にゆく若者の英雄的な、又、抒情的な美の化身となり、瀕死のアドニスと何ら選ぶところのないものに成り変わつていた。キリスト教聖画のうち、その異教的官能性のもつとも露骨なものとして、セバスチャンの絵画は、多くの修道院で永らく禁圧されていた。

 それをめぐって、ルネサンスは「三世紀以来セヴァスチャン伝説の中に隠されていた秘儀を、一挙に解明した」のではないかと三島は問い、『近代出版史探索Ⅳ』914などのフレーザー『金枝篇』、同997の堀一郎訳のアリアーデ『永遠回帰の神話』(未来社)、まだ未邦訳のユング『変容の象徴』(野村美紀夫訳、ちくま学芸文庫)などが参照されている。

永遠回帰の神話 - 祖型と反復 変容の象徴―精神分裂病の前駆症状〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 このダンヌンツィオの『聖セバスチャンの殉教』は一九一一年に発表され、その年の五月二十三日、第一次大戦前のパリのシャトレ劇場で、初日の幕が上がる。その半世紀後、この翻訳が刊行されたことになる。ここで三島がダンヌンツィオ表記にこだわっていることは、彼が『死の勝利』の愛読者であり続けたことをひそやかに告げているのだろう。

 なお昭和五十年になって、ヴィスコンティの映画『イノセント』の公開に合わせ、森田訳『犠牲』がダヌンツィオ『罪なき者』(脇功訳、ヘラルド出版)として再度刊行された。

イノセント ルキーノ・ヴィスコンティ DVD HDマスター f:id:OdaMitsuo:20210818101428j:plain:h120 


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古本夜話1190 ドオデエ、武林無想庵訳『サフオ』

 このようなことを書くと、奇異に思われるかもしれないが、小学生の頃、私はドーデのファンであった。それは本探索1173でふれなかったけれど、昭和三十年代には各種の児童向けの世界文学全集が出されていて、そこにドーデの作品も含まれ、『風車小屋だより』や『月曜物語』、『タルタランの冒険』などを読んでいたからだ。それらのドーデの作品の収録は『月曜物語』所収の「最後の授業」を始めとする短編が、児童文学に属するという戦前からの位置づけが引き継がれていたことによっているのだろう。どの出版社の少年少女世界文学全集で読んだのかは記憶に残っていない。だが手元にある旺文社文庫の大久保和郎訳『風車小屋だより』『月曜物語』はいずれも多くの挿画を配し、かつての読書を彷彿とさせてくれる。

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 しかしドーデは最初から児童文学のかたちで紹介されてきたわけではなく、ゾラと同じ自然主義の作家としてで、それは『サフオ』に象徴的である。しかも『サフォ』は本探索1186のアラン・コルバン『娼婦』 の中にも、唐突に出てくる。コルバンは「高級娼婦たち」に続いて、「始前妻・お妾さん」に言及している。

 娼婦 〈新版〉 (上)

 この女たちは金で買う恋人とかろうじて区別される存在である。というのは、彼女たちが契りもかわした相手との生活は、ブルジョワの結婚様式をそっくりそのまま真似ているからである。この「まがいものの妻」は、大抵の場合、「婚前妻(ファム・デタント)」で、ブルジョワ青年、芸術家、学生、勤め人らが正式の結婚に漕ぎつけるにはまだ時間がかかるのでそれまで同棲している場合や、あるいは、財産がろくになくそのために新婚家庭をもてないでいるプチ・ブルジョワの独身男性が「世帯をもって」生活するという夢をみることができるからである。

 「婚前妻」=la femme détente はこなれが悪いので、「内縁の妻」とでもしたほうが理解しやすいだろう。「アルフォンス・ドーデが、青年に対する教訓になるかと思って自分の本『サフォ』を息子に献ずる気になった」とコルバンが述べているのは、サフォがそうした女性の典型だったからである。

 このドーデの作品はドオデエ『サフオ』として、大正二年に武林無想庵訳で新潮社の「近代名著文庫」で刊行され、ロングセラーとなっていた。そして昭和三年には同じく「近代名著文庫」のダンヌンツイオ、生田長江訳『死の勝利』、及びデュマ・フィス、高橋邦太郎訳『椿姫』とともに、新潮社の『世界文学全集』30に収録された。それに続き、昭和九年は新潮文庫化され、入手しているのは同十四年十月十五版で、四半世紀にわたり、読まれ続けてきたことになる。

f:id:OdaMitsuo:20210816114129j:plain:h120(「近代名著文庫」) f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210816113435j:plain:h120(『世界文学全集』30)f:id:OdaMitsuo:20210816150400j:plain:h120(新潮文庫)

 サフオは古代リシアの才色をともに備えた女性詩人で、後世に多くの伝説を残している。『サフオ』のヒロインのファンニイ・ルグランがカウダァルという文芸院委員の彫刻家のモデルとなり、サフオの像が創られ、彼女がサフオと仇名されたことに基づいている。主人公ジャン・ゴッサンのほうは南仏のアヴィニョンから領事の検定試験に挑もうとして、パリに出てきた二十一歳の青年である。

 二人はパリ芸術界の大物デシュレットが主催した魔宮のような仮装舞踏会で知り合った。ゴッサンは詩人のラ・グルネリイの親戚の学生に連れられ、風笛手を装い、ファンニイは埃及女に扮していた。彼女のほうから「あたしあなたの眼の色が気に入つたわ」と話しかけられ、彼は彼女を「若くて、美しい? 何と言つていゝか分からなかつた」けれど、「疑ひもなく女役者」と思う。コルバンがナナたち「舞台の女」を高級娼婦に分類していることを想起されたい。

 仮面舞踏会には先の彫刻家、芸術界の大物、詩人の他にも、名士たちが寄り集い、ゴッサンは自分の無名が恥ずかしい気持にさせられた。それでも「日本の女」に扮した女優から誘いを受けた。すると「行くんじゃないことよ」と囁く声が聞こえ、ゴッサンとファンニイは連れ立って外に出た。そして以下の文章が続いていく。「白々明けを辻馬車が二三台客待ちしてゐた。掃除人夫や仕事に出掛ける労働者が、ガヤガヤ騒がしい舞踏会を観た。仮装をつけた一対の男女を観た。真夏の懺悔火曜日に……」

 ここまでの冒頭のシーンにおいて、上京してきたばかりの青年、パリの上流階級、芸術家、文学者、謎めいた女たちが集う魔宮のような仮装舞踏会が現前し、明け方まで続き、外では辻馬車が待ち受け、労働者たちが仕事に出掛ける光景と対になる。これらの第二帝政期のパリを連想させるシーンには、他ならぬドーデが上京して遭遇した出来事も多く含まれているだろうし、日本の地方読者にしても、東京にいけばと想像したことであろう。それゆえに四半世紀に及ぶロングセラーであり続けたとも考えられる。

 そうした事柄はさておき、その日のうちに二人は寝てしまい、サフオ=ファンニイは彼の「内縁の妻」のような関係になっていく。だがその一方で、彼女が辻馬車屋と女中の間に生まれ、彫刻家、芸術界の大物、詩人だけでなく、画家や小説家とも関係があり、鋳金家に至っては彼女のために偽札づくりを企てて獄中にあり、彼女との間に一子あることも明らかになっていく。サフオ=ファンニイは「内縁の妻」であるばかりでなく、ゴサンの前で、十九世紀末の「宿命の女」のように君臨するのだ。


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古本夜話1189 ヴィゼッテリイとゾラの英訳

 前回の井上勇も『制作』の翻訳に際し、「ヴイゼツテリイ監督のもとに出版された英訳」も参照したと「覚書」に記していた。前々回の山本昌一は『ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学』の「ゾラと荷風・枯川」において、従来の所謂「ヴィゼッテリイ本」ヴィゼッテリイ書店」に対して異議を表明している。そこでは拙訳『パスカル博士』の「あとがき」の「ヴィゼットリー親子の刊行による英訳」という言も引かれ、ゾラの英訳本の訳者と出版社と刊行の時期はそれぞれ異なるので、「ヴィゼッテリイ本」を書誌的にはっきり認識すべきだと山本は述べている。

f:id:OdaMitsuo:20210814100331j:plain:h115 ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学  パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) (『パスカル博士』)

 そのことに言及する前に、『リーダーズ・プラス』(研究社)に恰好のヴィゼッテリイの立項を見出しているので、まずはそれを示しておく。人名ハイフン、発音記号などは省略する。

リーダーズ・プラス

 Vizetelly ヴィゼテリー Henry Richard ~(1820-94)⦅イタリア系の英国の出版業者;版画家としてIllustrated London News /に寄稿;この雑誌に対抗する自分の雑誌Pictorial Timesを1843年に創刊;Illustrated London News の特派員としてParis(1865-72)および Berlin(1872)に派遣された;普仏戦争に際してParis攻囲戦を目撃し,のちに息子のErnest と共にParis in Peril (1882)を書いた;また出版業者としてフランスおよびロシアの作家の作品を翻訳出版したが、Zolaの作品の出版によって、猥雑性をめぐる2度の訴訟に巻き込まれた;回想録Glances back through Seventy Yearsを出版(1893);弟のFrank(1830-83)もIllustrated London Newsの海外特派員であったがSudanで殺された。息子のEdward Henry(1847-1903)とErnest Alfred(1853-1922)もジャーナリスト;2番目の妻との間の息子Frank Horace(1864-1938)は米国に帰化(1926),New York の Funk and Wagnalls社の編集陣に加わってStandard Dictionaryなどの編集を行なった⦆

 先にこれを挙げたのは山本の「ヴィゼッテリイ本」の解題が、この父子関係をふまえないとよくわからないからである。ここには一族と出版の関係が簡略に示されているが、ゾラの英国亡命の世話をしたことにはふれられていない。なおここではヴィゼテリーとされているが、これからは山本に従い、ヴィゼッテリイを使用する。

 山本はゾラに関する「ヴィゼッテリイ本」を次の三種類に分類している。ヘンリィが中心となり、ヴィゼッテリイ書店から出版したV版、ヘンリィの二男であるアーネストが訳し、編集したシャトー・アンド・ウィンダス社(Chatto & Windus)のC版、長男エドワードがハチンソン社(Hutchinson)から出した訳書を3番目のH版とするものだ。

 そして山本は「ルーゴン=マッカール叢書」のV版十五冊、C版十二冊、H版四冊のリストと各書影も掲げ、「ヴィゼッテリイ本」の実像を提示し、次のように記すのだ。

 V版、C版、そしてこのH版が、ヴィゼッテリイ父子がかかわった、主としてルーゴン=マッカール叢書についての大よそである。改めていうまでもないが、ヴィゼッテリイ書店はゾラだけを出版したわけではなく多数の書を刊行しているのであって、それはヴィゼッテリイから出版されている本のうしろの広告を見れば一目瞭然である。これはシャトー・アンド・ウィンダスの書も同様であって他に多くの書を刊行しているのも広告を見ればわかるのである。ただヴィゼッテリイ書店は当時の英国の出版協会などがゾラの英訳書などを中心にヘンリィ・ヴィゼッテリイを告発し、ヴィゼッテリイ書店が立ちゆかなくなったために、C版の刊行になったことは知られている通りであるが、ここではこの点には立ち入らない。

 山本は島崎藤村や島村抱月を研究する過程で、日本の自然主義者たちが読んだフランス語の英訳本に興味を持ち、その探求と収集を始め、このような実証的地平に至ったことになる。私などには想像もつかないほどの長い年月と洋書購入費を投じての成果であり、それだけでも顕彰すべきだと思われる。

 私はたまたま拙稿「ヴィゼッテリー社のゾラとドストエフスキーの英訳」(『古本屋散策』所収)で書いているように、古書目録でC版のHis Excellencyの一冊だけを入手している。山本の丹念な収集に対して貧しい極みだが、同書を参照して、「ルーゴン=マッカール叢書」の最後の未邦訳『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』を翻訳するに至ったこともあるので、シャトー・アンド・ウィンダス社の出版物に少しばかりふれてみよう。

ウージェーヌ・ルーゴン閣下―「ルーゴン=マッカール叢書」〈第6巻〉 (ルーゴン・マッカール叢書 第 6巻)

 『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』の英訳His Excellency に関して、山本はV版の一八八六年本、C版の一九〇〇年本を挙げている。だが私の手許にあるのは一八九七年本、四六判上製、本文三五九ページである。山本がC版書影として掲載しているのはThe Fortune of the Rougons (『ルーゴン家の誕生』)で、イラストは異なるものの、レイアウトは同じで、それは一九九六年本であることからすれば、「C版は一冊一冊全部デザインが異なり表紙の色の鮮か」という特徴を共有していた。確かにHis Excellencyの表紙は色褪せているけれど、鮮やかな臙脂色だったことがうかがわれる。 

 本扉の前のページに「ルーゴン=マッカール叢書」既刊として、『パリの胃袋』『金』『夢想』『壊滅』『パスカル博士』がリストアップされ、『夢』の訳者はEliza.E.Chaseだが、その他にはE.A.Vizetellyとあるので、アーネストが翻訳したことになろう。だが『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』の「序文」はアーネストと明記されているものの、訳者名は付されていない。父のヘンリィが訴えられたこと加え、この小説が政治をテーマとすることから、あえて訳者名を伏せたのであろうし、そうした「忖度」が「序文」に感じられる。

パリの胃袋 (ゾラ・セレクション) 金 (ゾラ・セレクション) 夢想 (ルーゴン・マッカール叢書) 壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書) The Dream (『夢』)

 同書の巻末にはシャトー・アンド・ウィンダス社の一九〇二年九月の出版目録が三〇ページに及び、千冊以上の小説と文学作品が掲載され、同社が予想外に大出版社であることを教えてくれる。それらを詳細にたどってみたいけれど、ここではゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」に限定するしかない。そこには前述の他に『制作』『生きる歓び』『ジェルミナール』『ムーレ神父のあやまち』『ルーゴン家の誕生』『プラッサンの征服』が加わり、翻訳、序文を伴う編集はアーネスト・A・ヴィゼッテリイとあるので、実質的にC版はアーネストが担ったことが確認できるのである。

制作 (上) (岩波文庫) 生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書) ジェルミナール ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション) ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)

 なお J・フェザー『イギリス出版史』(箕輪成男訳、玉川大学出版部)を繰ってみたが、ヴィゼッテリイ書店事件への言及は見られなかった。

イギリス出版史

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古本夜話1188 第百書房、井上勇訳『制作』、高島政衛

 ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の大正時代の譲受出版に関して、ずっとトレースしてきたので、ここでもう一冊付け加えておこう。

 それは本探索1179でも挙げておいた井上勇訳『制作』で、大正十一年に聚英閣から刊行されているが、この前後巻2冊は未見である。私が入手しているのは大正十五年十二月の三版、第百書房の上製新書版上下巻で、おそらく聚英閣版を踏襲した譲受出版だと思われる。この井上訳『制作』はフランス語からの直訳で、下巻に削除部分が見えているけれど、次の新訳と完訳は平成十一年の清水正和訳『制作』(岩波文庫)を待たなければならなかったので、八十年間はこの井上訳でしか読むことができなかったのである。

 (聚英閣版)制作 (上) (岩波文庫) 制作 (下) (岩波文庫) (岩波文庫版)

 それに井上は「訳者序」にいうがごとく、「此の『制作』こそ、近代文芸史上にゾラのうち建てし記念塔」とみなし、ゾラの情熱の力が最も強く表現された作品として翻訳に臨んでいる。それは『制作』のコアが、ゾラとその友人にしてモデルでもあるマネやセザンヌたちの印象派との関係を通じての自伝的な「巴里青年芸術家の真相」を描くことにあると見なしているからだろう。

 それはともかく、私にとってまさに意外で印象的だったのは、クロージングにおける主人公のクロードの葬儀の場面で、思いがけない人物が登場してくるのである。そこ引いてみる。

 再従兄で、名誉勲章を持つて、大変な富豪で、巴里でも名高い大きな呉服店の主人であつた。立派な服装をして、美術に対する造詣が如何に深いか、その服装で見て貰ほうといつた様子をしてゐた。(中略)立ち上るや、枢車の直ぐ後の先頭に立つて、会葬者を如何にも物慣れた、慕しさうな態度で導いていつた。

 何と彼は『ボヌール・デ・ダム百貨店』のオクターブ・ムーレで、クロードの新聞死亡記事を見て、葬儀に連なっていたのである。井上にしても「大きな呉服店」という訳語からすすると、『ボヌール・デ・ダム百貨店』は未読だったと思われる。

 ボヌール・デ・ダム百貨店

 井上に関しては『近代出版史探索』196でその著書『フランス・その後』を取り上げているが、ここでは『日本近代文学大事典』における立項も紹介しておこう。

 井上 勇 いのうえ・いさむ 明三四・四・三〇~昭六〇・二・六(1901~1985)ジャーナリスト、翻訳家。東京生れ。大正十二年、東京外語英仏語部卒。同盟通信社外信部部長、パリ支局長、時事通信社取締役を歴任。エラリー・クィーン、ヴァン・ダインなど推理作家の作品のみならず、レマルク『凱旋門』(昭二二 板垣書店)、バルビュス『地獄』(昭二七 創芸社)、ロラン『ジャン・クリストフ』(昭二八 三笠書房)などフランス文学の翻訳を手がける。
 凱旋門 上巻   ジャン・クリストフ〈第1〉 (1953年) (三笠文庫〈第178〉)

 この立項を挙げたのは、中学時代に創元推理文庫で読んだエラリー・クィーンやヴァン・ダインは多くが井上訳であった。彼に加えて、イアン・フレミングの訳者である井上一夫がいて、二人の井上の翻訳によって、海外ミステリの世界に馴染んでいったことになる。

 しかし『ナナ』『制作』『テレーズ・ラカン』などのゾラの翻訳者としての言及はなされていない。井上は戦後の昭和二十年代にあって、フランス文学の翻訳も多いことから考えれば、どうして『制作』が再版されなかったのかという問いも生じてしまう。

 井上のもう少し詳しい翻訳書リストを求めて、日外アソシエーツの『現代翻訳者事典』(昭和六十年)を繰ってみたが、井上一夫のほうは見出されたけれど、勇は物故者ゆえなのか、収録されていなかった。彼は近代翻訳史から忘れ去られてしまうのであろうか。

 だがそうした一方で、第百書房と発行者の高島政衛はすでに近代出版史の中に埋もれてしまったといっていい。『近代出版史探索』170で佐藤耶蘇基『飢を超して』の版元が第百出版社、『制作』と『罪の渦』の第百書房がともに発行者を高島とすること、『近代出版史探索Ⅱ』217で昭和円本時代の万有文庫刊行会と潮文閣がこれもまた高島が発行者であることを指摘しておいた。したがって、第百出版社、第百書房、万有文庫刊行会、潮文閣はいずれも高島政衛を経営者とするもので、第百書房と万有文庫刊行会は小石川区水道端町という住所も同じである。

 ゾラ関連で「万有文庫」の河原万吉訳『居酒屋』を入手しているが、その判型は『制作』と同じ新書判で、これもまったく類似している。だが『罪の渦』のほうは四六判であり、これらも同じく聚英閣の井上訳『呪はれたる抱擁』、すなわち『テレーズ・ラカン』の譲受出版と見なすことができる。これらの事実を考えると、高島と第百書房は特価本業界に属する譲受出版から始まり、たまたま『制作』を手がけたこと、及びその出版に本探索1146、1147などの河原も関係したことも重なり、外国文学の翻訳を中心とする「万有文庫」の企画も生まれていったのではないだろうか。これは「抄訳叢書」とも見なせるのだが、全三十六巻の明細を確認できていない。


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古本夜話1187 三星社の水上齊訳『全訳ボワ゛リー夫人』に至るまで

 本探索1184の『ボワ゛リー夫人』がようやく出てきたので、ここで書いておく。黒川創の『国境』において、夏目漱石の仲介で明治三十四年に『満洲日々新聞』に連載されたフロオベルの『ボワ゛リー夫人』は植民地の新聞だったこともあり、ほとんど知られていないとされていた。
国境 完全版

 しかしこちらは誰の仲介なのか確認できないけれど、大正に入って内地の出版社によって単行本化されていたし、『近代出版史探索Ⅱ』227で既述しておいたように、買い求めていたのである。それは最初の版ではなく、これも譲受出版のほうで、ゾラと異なり成光館ならぬ、本探索1167などの三星社版を入手している。しかもそれは十年以上前で、山本昌一の『ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学』(双文社、平成二十四年)を読んだことがきっかけだったと思う。三星社版は函入上製、菊半截判、第一、二篇合わせて七三五ページで、大正十年六月五版発行、発行者は簗瀬富次郎である。

f:id:OdaMitsuo:20210810112242j:plain:h110 (『ボワ゛リー夫人』、三星社版) ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学

 やはり同227でふれているように、プロフィルは定かでないが、簗瀬と近田澄は三陽堂、東光社、三星社という特価本出版社トライアングルの主要人物に他ならない。だが三星社は特価本出版社だけにとどまらず、『近代出版史探索Ⅳ』747の喜田貞吉が創立した日本地理歴史学会の機関誌『歴史地理』、及び喜田の弟子にあたる菊池山哉『穢多族に関する研究』(大正十二年)の発行所だった。

 山本は前掲の著作の「『マダム・ボワ゛リー』と英訳本のこと」の章において、実際に現物を入手し、書影も示した上で、『満洲日々新聞』の水上訳『ボワ゛リー夫人』が「ロータス文庫」のヘンリー・プランシャンの英訳に基づいていることを実証していく。そして最初の単行本、抄訳『マダム・ボワ゛リイ』が大正二年に『近代出版史探索Ⅱ』220の東亜堂から出され、発禁本となり、次に同四年の植竹書院の全訳と銘打たれた『ボワ゛リー夫人』の刊行までをたどる。

f:id:OdaMitsuo:20210810135819j:plain (『マダム・ボワ゛リイ』、東亜堂)f:id:OdaMitsuo:20210810113524j:plain:h127 f:id:OdaMitsuo:20210810113829j:plain(植竹書院版)

 しかしその内実として、東亜堂抄訳版は新聞連載の大幅な増補を経ているが、植竹書院全訳版は「抄訳」に対する増補は少ないとされ、それがそのまま三星社へと引き継がれていったのである。三星社と植竹書院の関係は、これも本探索1167などでもふれたばかりだが、成光館と同じく三星社グループも、大正時代後半に多くの外国文学の譲受出版を担っていたことになる。

 そうした大正時代における英訳に基づく『ボワ゛リー夫人』の翻訳出版が続いていく一方で、『近代出版史探索』186の中村星湖訳『ボワ゛リイ夫人』が大正五年に早稲田大学出版部から出され、同九年に新潮社の『世界文芸全集』、昭和二年に同じく『世界文学全集』20に収録されていく。『新潮社四十年』の語るところによれば、『世界文芸全集』の『ボワ゛リイ夫人』は早大出版部版が発禁処分を受けたこともあって、「我が社は、お百度を踏んで検閲当局に時、熱意の迸るところ幸ひに良き理解を得て、やうやくこの世界的名著を、一般読書界に提供できた」とある。

f:id:OdaMitsuo:20180911113032j:plain:h120(『世界文芸全集』)f:id:OdaMitsuo:20210810165128j:plain:h120(『世界文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110(『新潮社四十年』)

 それゆえに新潮社の好調な売れ行きを見て、三星社の水上訳『ボワ゛リー夫人』の譲受出版も企画され、版を重ねていったと推測される。三星社版の造本が『世界文芸全集』を模しているのは歴然である。その間に同じ新潮社から大正三年に、田山花袋訳『マダム・ボワ゛リイ』、同十三年に春陽堂から酒井真人訳述『ボワ゛リイ夫人』、昭和二年に万有文庫刊行会の本探索1146、1147などの河原万吉訳『ボワ゛リイ夫人』が刊行されている。

 これらの三冊に関して、山本はやはりそれらの書影を示し、テキストを比較照合し、花袋訳は水上訳をベースにした抄訳で、花袋名での代作ではないかとも推測している。また春陽堂の酒井訳述、「万有文庫」の河原訳の双方は、明らかに星湖訳によっているとの判断が下される。私はこれらの三冊を入手しておらず、未見であるが、大正時代の翻訳出版や譲受出版事情を考えれば、山本の見解を肯っていいと思われる。ただ同じく「万有文庫」の河原訳『居酒屋』は所持しているので、これも本探索1184『世界文芸全集』所収の木村幹訳と比較してみると、こちらの訳文は明らかに異なっているし、同じく水上訳『酒場』も同様である。

 さらに山本はフランス語からの直訳を謳っている星湖訳にしても、早稲田大学出版部版は初めての英訳であるエイヴリング訳を主として参照し、それをフランス語原文と照合したのではないかという推論を提出している。これも早稲田大学出版部版を入手していないけれど、山本が掲載している書影と造本を見て、ゾラの中島孤島訳『生の悦び』と同じ菊判の「近世文学」シリーズの一冊であることに気づかされた。その「序」において、中島はヴィゼッテリィの全訳と抄訳に基づき、フランス語原書も参照と記しているので、大正初期にあってはフランス語の場合、英訳を主とし、原書は従とされていたとも考えられる。

 そうした出版と翻訳状況において、特価本出版社も含め、大正時代を通じ、『ボワ゛リイ(ー)夫人』は様々な本訳によって流通販売され、読者へとわたっていたことになろう。


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