出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1287 森戸辰男『クロポトキンの片影』と『大原社会問題研究所雑誌』

 『日本アナキズム運動人名事典』は「まえがき」などで明言されていないけれど、『近代日本社会運動史人物大事典』におけるアナキスト人名選択と立項の不足不備の問題を発端として、企画編纂へと至っている。

日本アナキズム運動人名事典  近代日本社会運動史人物大事典

 それもあって、前回の若山健治の立項もあるわけだが、そこで言及しなかった『無政府主義論』の著者エルツバツヘルも含まれ、エルツバッハーとして、次のように立項されている。

 エルツバッハー Eltzbacher , Paul 1868.2.18-1928.10.28 ドイツ、ケルンに生まれ、各地の大学で学び、ハレ大学を経たのち、06年ベルリン商科大学で法律学の教授となる。00年『アナキズム』をドイツ語で刊行。同書は学術的手法に則り、バクーニンら6人のアナキストの思想を分析したものであり、アナキストからも好意的に受け入れられ、また多数の言語に翻訳される。日本語版は21年に刊行。世紀転換期頃から国内外のアナキストと連絡を取り、文献を収集。その間クロポトキンら著名なアナキストと文通。1921-23年大原社会問題研究所職員の櫛田民蔵と森戸辰男がエルツバッハーの所蔵するアナキスト文献を引き取り、今日に至るまで同研究所に「エルツバッハー文庫」として所蔵。国際的にみても重要なコレクションである。

 前回記述しているので、間違いの指摘は繰り返さないが、ここで大原社会問題研究所、森戸辰男、「エルツバッハー文庫」の連鎖を教えられ、かつて入手した森戸の著書と寄稿雑誌との関係も了承するに至ったのである。大原社会問題研究所とその出版部の同人社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』233、234でも言及しているが、森戸の『クロポトキンの片影』、及び『大原社会問題研究所雑誌』にはふれてこなかった。

 森戸は東京帝大経済学部助教授として、大正八年に同学部機関誌『経済学研究』創刊号に「クロポトキンの社会思想の研究」を寄稿し、九年に文部省と大学からは危険思想だと問題視され、さらに司法省から告発され、禁錮三ヵ月、罰金七十円を科され、大学を追われた。これが世にいう「森戸事件」で、翌年のエルツバッハーの著書の発禁も、この事件と不可分であろう。

 『クロポトキンの片影』は『無政府主義論』とほぼ同時といっていい大正十三年三月に刊行されているが、前者のほうが発禁とならなかったのは、森戸が「序」で述べているように、クロポトキンの社会学説ではなく、クロポトキンを追悼する人道主義者としての五つの論文に限ったことによっているのだろう。手元にあるのは四月の再版なので、たちまちの重版ということになり、「森戸事件」の反映と考えられる。しかもこの「序」は上海へ向かう船上でしたためられているので、森戸が日本に不在であることも作用しているのかもしれない。実際に確認してみると、森戸は大原社会問題研究所からドイツに留学し、マルクス主義文献の収集にあたったとされる。

 さて『大原社会問題研究所雑誌』のほうだが、これは昭和二年三月発行の第七冊目で、判型、レイアウトも含めて本探索1276の改造社『社会科学』や同1277の岩波書店『思想』などを彷彿とさせるし、おそらく大正時代の末の創刊であろう。森戸は「スチルナアの無政府主義とマルクスの国家観」と「『唯一者』の結構」の二編を寄せている。前者は一九五ページに及び、『同雑誌』の半分を占め、しかも「マルクスの国家観」は付け足しと考えられるし、これに後者を加えると、この第七冊は森戸による「マックス・スティルナーと『唯一者とその所有』」論といった趣もある。

  

 スティルナーの『唯一者とその所有』は森戸も挙げているように、『近代出版史探索Ⅳ』781の辻潤訳『自我経』(改造社、冬夏社、いずれも大正十年)がすでに刊行されている。しかし森戸が合わせて参照しているのはドイツ語レクラム文庫版で、辻的な「自我」というよりも、森戸はスティルナーを「唯一者」にして、ゴドウィン、プルードンと並ぶ理論的無政府主義者と位置づける試みに挑んでいるようにも思える。それは『クロポトキンの片影』に見られるポジションから、森戸のドイツ留学を経た後の境地だったのではないだろうか。

 ちなみに『社会科学』や『思想』の創刊号の表紙に掲げられたコンテンツを挙げておいたので、『大原社会問題研究所雑誌』の森戸以外の論文タイトルも示しておこう。

 *細川嘉六「現代植民運動における階級利害の対立」
 *高田慎吾「救貧法改正案に対する私見」
 *櫛田民蔵「マルクスの価値法則と平均利潤」
 *久留間鮫造「コンラード・シュミットに与へたエンゲルスの手紙」

 ちなみに細川、高田、久留間も森戸や櫛田と同様に、大原社会問題研究所員だが、高田や久留間も東京帝大法科出身で、前者は社会事業を研究し、国立感化院の設立に貢献し、後者は櫛田とともに文献収集に派遣され、いずれも大原社会問題研究所幹事や所長を務めている。それに高田にしても久留間にしても、『大原社会問題研究所雑誌』のバックナンバーを見ると、常連の寄稿者であり、この雑誌の主要メンバーだったことが伝わってくる。また同人社の書籍の翻訳者だったことも浮かび上がり、大原社会問題研究所員の多彩な層の厚さもうかがわれるのである。


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出版状況クロニクル170(2022年6月1日~6月30日)

22年5月の書籍雑誌推定販売金額は734億円で、前年比5.3%減。
書籍は407億円で、同3.1%減。
雑誌は327億円で、同7.9%減。
雑誌の内訳は月刊誌が268億円で、同7.4%減、週刊誌は58億円で、同10.2%減。
返品率は書籍が38.8%、雑誌は45.4%で、月刊誌は45.8%、週刊誌は43.2%。
雑誌の返品率が45%を超えたのは初めてだと思われる。最悪の返品率だといっていい。
22年1月から5月にかけての販売金額累計は6.9%減、書籍は3.4%減、雑誌は11.6%減である。
そうした出版販売状況の中で、22年後半に突入していく。


1.2022年の東京書店組合加盟数は21年の291店から14店減の277店。
 21年の東京も含めた日書連加盟書店数は2887店であり、この数年で2000店を下回るであろう。

 このような書店状況下で、『朝日新聞』(6/21)の「天声人語」が東京の赤坂駅周辺で書店が全てなくなってしまったことに関して、個人的にして感傷的な思いをしたためている。それは「身の回りから書店がどんどん消えている。小さなまちでも、そして大都市でも」といった語り口や、「書店という業態は世の中に街に必要とされなくなっているのだろうか?」という閉店告知の引用にも明らかだ。

 だが今さら何をいっているのだろう。書店数は今世紀初頭の2万店に対して、21年は実質的に1万店を割りこみ、半減している。それは1990年代から始まり、アマゾンだけに起因するのではなく、再販委託制という近代出版流通システムの終焉に端を発し、郊外店出店ラッシュとコンビニ、大型複合店の全盛、図書館の増殖によって街の中小書店が消えていったことは自明のことではないか。それに現在は電子コミックにも包囲されているのだ。

 この「天声人語」はジャーナリストによって書かれたものではなく、歴史も出版状況も直視しない新聞記者が書いた書店消失に対するひとつの感想文と見なすべきであろう。このような「天声人語」が範とされ、同じような感想文が多く書かれていくことを危惧するし、それはすでに始まっているからだ。



2.同じく『朝日新聞』(6/5)「歌壇」に見える、電子書籍に包囲されつつある書店主の一首を引いておく。

  返本の荷造りしてる本屋なり
     本が紙にて刷られるうちは

                (長野県) 沓掛喜久男

 本クロニクルでも、この人の短歌を何度も引かせてもらっているが、永田和宏の選評は「沓掛さん、返本の面倒さはあるが、紙の本をまだ扱える喜びと矜持」とある。
 21年の長野県の日書連加盟店は61店で、前年比4店減となっている。岩波書店や筑摩書房を始めとして、多くの出版人を生み出した長野県にしても、書店数は減るばかりだ。
 10年以上前に今泉正光『『「今泉棚」とリブロの時代』(「出版人に聞く」1)のインタビューで長野に出かけた際に、すでに書店が少なくなり始めていることに気づかされた。
 沓掛による閉店の歌が詠まれないことを祈るばかりだ。
「今泉棚」とリブロの時代―出版人に聞く〈1〉 (出版人に聞く 1)



3.丸善ジュンク堂の第12期決算は売上高699億6600万円、前年比4.1%増、営業利益は同3.7倍の2億7900万円、経常利益は5800万円(前期は1億9500万円の損失)。
 2015年に丸善ジュンク堂と社名変更してから初めての最終黒字となる。
 それまでの最終赤字額を示す。

第6期 3億8000万円
第7期 22億9300万円
第8期 23億5100万円
第9期 1億1200万円
第10期 1700万円
第11期 2億8900万円

 これらの累計だけでも50億円を超える赤字であり、第1期から通算すれば、さらに巨額な赤字となろう。DNP傘下の丸善CHIグループでなければ、とても支えきれなかったと見なせよう。
 ナショナルチェーンの大型店にしても、過去10年の実態が赤字だったことを伝えている。今期は初めて黒字化したことで、これらの赤字も公表されたが、来期以降も黒字が続いていくかは保証されていない。



4.未来屋書店の決算は売上高485億4700万円、前年比3.3%減、経常利益は2300万円、同94.9%減、当期純利益1900万円、同88.5%減。

 未来屋書店はイオングループの書店として、イオンのショッピングセンターに出店し、21年には書店業界でも最多の244店を数えるチェーン店を形成していた。
 その立地もあって、雑誌、コミック、文庫をメインとしていたが、それらの凋落を受け、チェーン店としても難しいところにきているのだろう。
 それはくまざわ書店、三洋堂、トップカルチャー、文教堂なども同様で、決算や中間決算にも明らかだ。もちろんCCC=TSUTAYAグループにしても。
 そうした事実は20世紀後半の流通革命のコアであったチェーンストア理論が21世紀を迎え、少なくとも書店業界においてはもはや有効でなくなっていることを告げている。
 21世紀のアマゾンの出現と成長こそはそれを象徴していよう。



5.久美堂は図書館業務受託のヴィアックスと共同で、町田市立図書館のひとつである鶴川駅前図書館の指定管理者となる。
 町田市には公立図書館8館があり、その最初の指定管理が鶴川駅前図書館で、鶴川駅近くの複合施設「和光大学ポプリホール鶴川」2階にある。
 久美堂は図書館運営の経験がないので、ヴィアックスとジョイントして応募し、「市内事業者」が代表となっている久美堂=ヴィアックスが共同事業体として選ばれた。
 指定管理期間は5年間で、22年度委託料は8631万3000円、職員は館長も含めてヴィアックスが20人、久美堂は3人の計23人。

 このような書店による図書館受託も増えていくだろうし、紀伊國屋書店の荒屋市立図書館形態も同様であろう。
 荒屋市立図書館に関しては『新文化』(6/16)が一面特集しているし、かつての武雄図書館の再現のような報道である。
 しかし前回も書いておいたが、これらの図書館問題に関しては、中村文孝との対談『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を読んだ上で語ってほしい。ヴィアックスなどの図書館業務受託のことにも言及している。
 出版が遅れてしまったが、7月には刊行される。



6.日販GHDの連結決算は売上高5049億9300万円、前年比3.1%減、営業利益28億4000万円、同31.6%減、経常利益36億4800万円、同17.5%減、当期純利益13億9100万円、同43.0%減の減収減益。
 日販の取次事業の売上高は4074億6300万円、同3.0%減、営業利益7億3400万円、同27.6%減、当期純利益は4億8500万円、同22.5%増。その内訳と返品率は次のとおりである。

■日販 商品売上高内訳(単位:百万円、%)
金額前年比返品率
書籍211,8433.627.0
雑誌100,420▲8.048.4
コミックス71,774▲18.524.4
開発品24,993▲7.944.1
合計409,032▲4.634.5


 「小売事業」は売上高616億1400万円、同0.8%減、営業損失2億4600万円(前年は3億2800万円の利益)、経常損失800万円。グループ書店数は234店で、出店が8店、閉店が19店。


7.トーハンの連結決算売上高は4281億5100万円、前年比0.8%増、営業利益12億7900万円、同68.3%減、経常利益11億7700万円、同30.0%減、当期純損失は16億4800万円(前期は5億7600万円の黒字)。
 特別損失はメディアドゥの株式評価損と固定資産除却損が34億1800万円計上されたことによっている。
 トーハン単体の売上、返品率を示す。

■トーハン単体 売上高内訳(単位:百万円、%)
金額前年比返品率
書籍187,88810.634.1
雑誌115,360▲3.447.8
コミックス54,322▲12.622.5
MM商品45,966▲5.522.3
合計403,5370.936.5

 日販にしてもトーハンにしても、「取次事業」で書籍がプラスになっているが、コミックスや雑誌の落ちこみはまだ続いていくだろうし、売上の回復は難しい。
 それに日販の小売事業が赤字になっているが、トーハンも同様であろうし、今期はさらに厳しくなっていくことは確実だ。
 それに書店数の減少は日販やトーハン帖合の書店数のマイナスとリンクしていく。22年後半の書店の動向が、日販、トーハンの今期の決算へと大きく反映していくと考えられる。



8.地方・小出版流通センターの決算も出された。
 「地方・小出版流通センター通信」(No.550)によれば、21年総売上は8億9856万円で、前年比1.0%減、営業損失1588万円を営業外収入1718万円で埋め、最終当期利益269万円で、「なんとか赤字決算を逃れた」とレポートされている。

 地方・小出版流通センターの場合、昨年の丸善ジュンク堂主要大型20店の楽天BNとの取引停止、それに伴うトーハン、日販への取次変更による返品、楽天のネット専門取次化による売上減がボディブローとなったようだ。
 電子書籍と版権収入で好調な大手出版社は例外で、取次と書店は危うい赤字路線をたどっているように思えてならない。
 本当に22年後半の書店動向はどうなっていくのだろうか。



9.小学館の決算は売上高1057億2100万円、前年比12.1%増、経常利益は89億4500万円、同23.4%増、当期利益は59億9500万円、同5.7%増、4年連続黒字決算で、売上高が1000億円を超えたのは7年ぶりとなる。
 売上高内訳は「出版売上」470億5300万円、前年比0.6%増、「広告収入」91億3700万円、同0.5%増、「デジタル収入」382億8700万円、同25.2%増、「版権収入等」112億4400万円、同43.0%増と全分野で前年を上回った。

 「出版売上」のうちで、雑誌だけは170億2400万円、同7.8%減と減収となっているが、「デジタル収入」と「版権収入等」の2つの分野で、「出版売上」を超え、しかも全分野の半分を占める500億円に迫っている。
 雑誌の出版社からデジタル、版権収入の小学館へと移行しつつあり、それは講談社、集英社、KADOKAWAと歩みをともにしている。その事実はこれらの大手出版社が書店から限りなくテイクオフしていく現実を伝えていよう。
 これらの大手出版社にしても、近代出版史の事実からして、街の中小書店によって育てられ、成長してきたのだが、それらはすでに全滅状況にあるし、もはや何の忖度も必要としなくなったことも告げている。



10.『日経MJ』(6/3)が「アクションRPGの王となれ」との大見出しで、KADOKAWAの子会社フロム・ソフトウェアが2月に発売した『ELDEN RING(エルデン リング)』が3月末時点で1300万本を超える大ヒットだと報じている。
 これまで初期販売で1000万本を超えたのは任天堂『ポケモン』、新作の『あつ森』だけだったので、当初は400万本を予想していたが、最終的には2500万本に達するのではないかと観測されている。


【PS5】ELDEN RING

 私はこのようなRPGはまったく門外漢なので、語る資格もないのだが、そこには「書店でも売れた」として、書店の売場写真も掲載されている。
 の日販の「開発商品」、のトーハンの「MM商品」にはこれらのRPGも含まれているのだろうし、実際にゲオや三洋堂はこの分野にも力を入れているはずだ。それに21年度玩具市場は前年比8.5%増の8945億円に達し、書籍の6804億円、雑誌の5276億円を超えている。
 取次も書店もサバイバルしていくためにはこのような分野にも積極的に進出していかなければならない。だがそれは出版物から限りなく離れていく道をたどることになるだろう。



11.同じく『日経MJ』(5/30)の藤村厚夫「先読みウエブワールド」がネットフリックスの2022年第1四半期における20万人の会員減を伝えている。
 19年に1億6000万人だった会員数はコロナ禍により総会員数は2億2000万人まで増加していたが、第2四半期には200万人減少が見こまれ、社員のレイオフと広告収入確保に向かうのではないかとされている。

 コロナ禍と韓国ドラマ『愛の不時着』人気も相乗して、ネットフリックスは飛ぶ鳥落とすような勢いもあって、本クロニクルでも注目し、『愛の不時着』にはまってしまったことも既述してきた。『イカゲーム』は かわない。
 ところがその後、ディズニープラス、アマゾンプライム、ディスカバリーナ、HBO Maxといったライバルも急成長し、熾烈な争いとなっているようだ。
 日本の『鬼滅の刃』ではないけれど、コミックでも物語が世界を制することもあるし、ネットフリックスもドラマ『愛の不時着』によって世界を制したかのように見えた。
 しかし続けて世界を制するようなコミックやドラマを生み出すことは難しいし、そこにこそ、神話や伝説に端を発する物語の謎が秘められているのかもしれない。
韓国韓流ドラマ愛の不時着DVD版 全16話 8枚組〈〈全話収録・日本語対応〉〉   鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス)



12.フライヤーがクロステックベンチャーズ、みずほキャピタルを対象とし、3億円の第三者割当増資。
 ビジネス書などの要約サービスを現在の660社から23年には1000社へと拡大予定。
 その後さらに3億円の資金調達もなされたようだ。

 フライヤーのことは本クロニクル162で紹介したばかりで、ビジネス書要約サービスに加え、書店にフライヤー棚を設置し、それはの未来屋の100店を始めとして、トップカルチャー、三洋堂、ゲオなどが続いている。
 そのフライヤーが早々と第三者割当や資金調達を実施したことになり、それは稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)のビジネス版の急速な市場化といえるだろう。
映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 (光文社新書)
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13.『週刊読書人』(6/3)が緊急寄稿として、石原俊「『稼げる大学』法案を問う」と「緊急集会レポート」が掲載されている。
 それによれば、世界トップレベルの研究大学つくるという目的で、10兆円規模の大学ファンドを政府が創設し、その支援大学規準を定めた「国際卓越研究大学法」が5月18日に参院本会議により可決成立した。

 これは同紙で読むまでは知らなかったが、「国卓大」に設定された大学は年3%以上の事業規模成長、つまり特許取得や知財収入などの「稼げる大学」への転換とガバナンス体制の大幅な改革を求められるものである。
 この法案の廃案を求めるオンライン署名には大学教職員、学生など1万8千人の賛同が集まったが、審議もされずに成立し、この大学ファンドは始まってしまっている。
 これも12のフライヤーのビジネス要約サービスの第三者割当増資などの動向と根底でつながっているのだろうし、出版業界の現在とも密通しているように思える。
 幸いにして、『週刊読書人』は公共図書館でも常備しているところが多いと考えられるので、興味をもたれた読者はぜひ当たってほしい。



14.『古書目録26』(股旅堂)が届いた。


www.matatabido.net

 今回は「或る性風俗研究家旧蔵(遺品)の『昭和平成ニッポン性風俗史料』」特集といっていいだろう。
 しかもその「或る性風俗研究家」は旧知の人物で、『出版状況クロニクルⅥ』でも追悼しておいた講談社の白川充だった。彼は船戸与一と志水辰夫をデビューさせ、所謂冒険小説の時代を用意した編集者で、最後に会ったのは原田裕『戦後の講談社と東部書房』(「出版人に聞く」14)の出版記念会の席においてだった。
 だがまさか彼が「性風俗研究家」だったこと、『昭和平成ニッポン性風俗史』(展望社)を刊行していたことはまったく知らずにいたし、近代出版史の系譜にはそのような研究家や編集者の存在が不可欠であったことを想起してしまう。現在でいえば、『赤線跡を歩く』(ちくま文庫)の木村聡を連想する。白川がその一人だったことは想像していなかった。
 目録の表紙の裏表に白川の自筆によるメモや地図が掲載され、彼からもらった手紙やはがきの字とまったく同じであることに気づいた。彼にもインタビューしておけばよかったと思うけれど、同じ講談社の鷲尾賢也、原田裕、大村彦次郎に続いて、白川も続けて亡くなってしまい、本当に残念だというしかない。

 戦後の講談社と東都書房 (出版人に聞く)  昭和平成ニッポン性風俗史―売買春の60年   赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)



15.14の股旅堂の『古書目録26』に1950年代の風俗娯楽雑誌が多く出され、それらの中に『笑の泉』が別冊共々12冊が掲載されていた。

 実は最近古本屋からこの『笑の泉』の1961年2月号を贈られたばかりなのである。出版社は現在でも存続している一水社で、発行人は村田愛子、編集人は蔭山和由と奥付に記されている。
 もちろん二人とも知らないが、その「風流ばなし百人選」特集には「粋と洒落との大人の雑誌」を名乗るだけあって、金子光晴、黒沼健、式場隆三郎を始めとして、作家、翻訳者、芸能人などの百人が勢揃いし、心温まる「風流ばなし」の満載となっている。
 おそらく当時は「エロ雑誌」「悪書」扱いされていたと思われるし、巻頭にヌード写真は掲載されているけれど、リベラルな文化の香りを味わわせてくれる。またそこには出版の自由すらも感じられるし、そのような出版の時代もあったことを思い出させてくれる。



16.エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』(大野舞訳、文春新書)読了。

第三次世界大戦はもう始まっている (文春新書 1367)

 トッドはウクライナ戦争に関して、いつまで続き、これからどうなるのか、「事態は流動的で、信頼できる情報は限られ、現時点で先を見通すのは困難」だが、「世界が重大な歴史的転換点を迎えているのは明らか」であり、自身がいうように「冷酷な歴史家」として語っている。
 それはフランスの歴史家がヨーロッパから見たウクライナ戦争分析であり、すべてを肯うわけではないが、最も啓蒙的にして、示唆されることが多い発言だと見なせるであろう。
 このトッドの一冊を読みながら想起されたのは、かつて編集に携わったガルシア・オリベルの『過去のこだま』(仮題、ぱる出版刊行予定)のことだった。オリベルはスペイン市民戦争において、共和国の司法大臣を務めた主要人物だが、彼が語るスペイン市民戦争は列強各国の思惑も絡んで、インターナショナルな「仁義なき戦い」のようでもあった。トッドの指摘によって、ウクライナ戦争も「仁義なき戦い・代理戦争」のような様相を呈することが浮かび上がってくる。
 私はトッドのように、人口動態や家族システムなどに注視していないけれど、それでも年度版『世界国勢図絵』(矢野恒太記念会)は常々参照している。それにより、プーチン帝国も第3次産業就業者が70%を占める消費社会化しているので、20世紀のアメリカのベトナム戦争へと至る状況と異なると思っていた。ところが間違っていた。あらためて消費社会と戦争のことも考えなければならない。
世界国勢図会2021/22年度版 (世界がわかるデータブック)



17.『近代出版史探索Ⅵ』は発売中。
近代出版史探索VI

 論創社HP「本を読む」〈77〉は6月に亡くなった石井隆を追悼するために「喇嘛舎と石井隆『さみしげな女たち』」に急遽差し換えてアップしています。

ronso.co.jp

古本夜話1286 聚英閣「新人会叢書」と若山健治訳『無政府主義論』

 本探索1283で聚英閣のチェネェ『劇場革命』を取り上げたが、この版元に関しては同1236のタイトルで示しているように、聚英閣と並べて言及してきたこともあり、ここでやはり聚英閣のほうにもふれておこう。 それはこの出版社も左翼文献と無縁であるどころか、大正時代には東京帝大の新人会と関係が深かったようで、「新人会叢書」や「新人会学術講演集」を刊行している。前者は五冊まで確認しているので、それらを示す。

劇場革命

1 ヘツカア 波多野鼎訳 『ロシア社会学』
2 ベルンシユタイン 嘉治隆一訳 『修正派社会主義論』
3 プルードン 新明正道訳 『財産とは何ぞや』
4 エルツバツヘル 若山健治訳 『無政府主義論』
5 アントン・メンガア 河村又介訳 『新国家論』

 (『(財産とは何ぞや』)

 これらのうちで入手しているのは裸本の4だけだが、奥付のところに赤インクで「発売禁止」と書きこまれている。しかし『発禁本Ⅲ』(「別冊太陽」)にはほぼ同じ書名の久津見蕨村『無政府主義』(平民書房、明治四十三年)は見出せても、この翻訳書はない。

発禁本 (3) (別冊太陽)

 それはさておき、こちらの『無政府主義論』には「新人会叢書につきて」という宣言にも似た一文が掲げられているので、それを見てみると、この「叢書」は「第十九世紀このかた高貴純潔なる社会運動の闘士たりし西欧革命文人の、熱意と聰明とに溢るゝ改革の文献」で、「其範囲は社会学、政治学、経済学、社会哲学の各種に渉る」とある。

 そうしたコンセプトに基づくのか、『無政府主義論』は「訳者小序」として、ゴドウィンからトルストイまでの無政府主義思想家七人の思想、及び「学説の実現手段」などを論じ、無政府主義に関する一般的誤解を一掃し、「正確なる科学的概念」を与えようとするものだと言明している。そうはいっても、内容は晦渋な啓蒙書の色彩が強い。それでも「発売禁止」となったことは大正十年の翻訳書においても、無政府主義=アナキズムは大逆事件の呪縛がずっと続き、タブー的イメージの中にあったことを物語っているのだろうか。検閲への配慮を示す空白削除の部分もかなり目立つことは、吉野作造と新人会のデモクラシー理念を表象しているように思われるけれど、「発売禁止」は避けられなかったのである。

 訳者の若山もここで初めて目にするし、新人会の慣習と検閲に備えた仮名のように思われたが、幸いなことに『日本アナキズム運動人名事典』には訳者が立項されていたので、それを示す。
日本アナキズム運動人名事典

 若山健治 わかやま・けんじ 1899(明治32)4・14-1986(昭61)10・21 本名・黒田寿男 岡山県御津群金革町(現・御津町)に生まれる。東京大学法学部に在学中、新人会に参加し、『ナロオド』の編集にあたる。21年5月「新人会叢書」の第4集として、エルツバツヘル『無政府主義論』も、若山健治の筆名で翻訳、同書はあらかじめ多くの部分を伏せ字にしておいたにもかかわらず、発禁になった。戦後、90年伏せ字をおこし、黒色戦線社から復刻されている。黒田は合法左翼の指導者として学生運動、農民運動、政治運動で活躍、長く国会議員をつとめた。若い頃から「弁護士的社会主義者」とよばれたという。

 この立項は大澤正道によるものだが、おそらく「発禁になった」聚英閣版は見ておらず、黒色戦線社の復刻版によって書いている。前者では「新人会叢書」第四編で、「第4集」となっておらず、また先述したように、「伏せ字」ではなく、空白削除処理が施されているので、大澤の記述は黒色戦線社復刻版に基づいてだと判断できる。ただ私にしても、黒色戦線社版は見ていないこともあり、推測ではあるのだが。

 他意はないけれど、こうした書誌的なことだけでも、人名事典などのデータの確認と記述の難しさを実感してしまう。それに若山の場合、『近代日本社会運動史人物大事典』では黒田寿男の本名で立項され、しかもそれは一ページ近くに及び、『日本アナキズム運動人名事典』どころではない扱いになっている。それにもかかわらず、若山としての『無政府主義論』の翻訳はまったく言及されていないし、そこにはその翻訳が代訳だという含みもこめられているのかもしれない。その代わりのように、農民運動に寄り添う弁護士、政治家といった側面がクローズアップされ、戦後は社会党最左派の長老として「黒田派」をひきい、衆議院議員当選12回とある。

近代日本社会運動史人物大事典

 念のために、『近代日本社会運動史人物大事典』に先行する『[現代日本]朝日人物事典』を引いてみると、こちらは分量的に前者の三分の一ほどだが、やはり黒田の社会主義運動家、政治家としての言及に終始していて、前者の祖型となったように思われる。あらためてこれらの三種の人名事典の刊行をたどると、『[現代日本]朝日人物事典』が平成二年、『近代日本社会運動史人物大事典』が同九年、『日本アナキズム運動人名事典』が同十六年で、いずれも平成を迎えての出版だから、必然的に昭和の記憶の印象が強い。それは当然のことながら、戦前の平凡社の『新撰大人名辞典』(復刻『日本人名大事典』平凡社)と異なる色彩で、人物、人名事典なども否応なく社会と時代のパラダイムの中において、取捨選択された人物たちも様々な社会的ポジション、思想や風俗などの記号を付され、立項編纂されていくことを物語っていよう。

日本人名大事典 (『日本人名大事典』)

 しかもそれは現在、「ウィキペディア」のようなデジタルアーカイブとしても出現しているわけだから、すでに昭和の記憶に包まれた人物、人名事典なども駆逐されていくことになるのだろうか。

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古本夜話1285 カウツキー、小池四郎訳『五ヶ年計画立往生』

 左翼文献は『近代出版史探索Ⅵ』1141の『大日本思想全集』の先進社からも刊行され、入手しているのは昭和六年のカール・カウツキー、小池四郎訳『五ヶ年計画立往生』で、サブタイトルは「サウィエート・ロシアの革命的実験は成功したか?」とある。

(『大日本思想全集』第11巻)

 しかし幸いなことにこの一冊の巻末広告は九ページに及び、百点以上の「刊行図書目録」ともなっている。そこにはヴァルガ、坂井哲三訳『世界の農業・農民問題』、サラビヤノフ、荒川実蔵訳『史的唯物論入門』、ラフアルグ、萩原厚生訳『正義・善・霊・神の唯物史観』、コンブリツタス、井関孝雄訳『労働銀行』、ストローベル、斎藤茂訳『独逸革命とその後』なども見られ、先進社が吉川英治『女来也』を始めとする時代小説の「大衆文庫」とともに、これらの左翼文献も刊行していたとわかる。

  (『正義・善・霊・神の唯物史観』)(『独逸革命とその後』)

 先進社の上村勝弥(也)のことは『近代出版史探索Ⅱ』366において、「子供研究講座」に言及するとともに、改造社出身で、昭和十四年には兄の哲也と第一公論社を設立し、右翼雑誌『公論』を創刊するに至った経緯にふれておいた。また出版物に関しては『近代出版史探索』35で今東光『奥州流血録』、『同Ⅱ』365で円本の『一平全集』のベストセラー化を取り上げている。そのような出版物の中に、まさに先進社の社名にふさわしく、時代のトレンドとしての左翼文献も加えられていったと推測される。それらに混じってエルンスト・ユンゲル(ユンガー)、佐藤雅雄訳『鋼鉄のあらし』もまた刊行されていた。

(『一平全集』)

 それらは円本時代以後の出版企画の試行錯誤を表象しているのかもしれないし、その空白部分を左翼文献やマルクシズム関連書が埋めていたとも見なせよう。一方で池崎忠孝『米国怖るゝに足らず』、河村幽川『排日戦線を突破しつゝ』が出され、他方で『五ヶ年計画立往生』のような一冊が刊行されていたことも、そうした出版状況を物語っているのかもしれない。

 (『排日戦線を突破しつゝ』)

 カウツキーはドイツの経済学者で、ドイツ社会民主党の理論的指導者とされ、ロシア革命に対しては社会民主主義の立場で、『プロレタリアート独裁』『テロリズムと共産主義』を書き、レーニンの『プロレタリア革命と背教者カウツキー』によって批判されているが、その後もソヴェトの社会主義建設に否定的なポジションを維持していた。カウツキーの『民主主義か独裁主義か』(赤松克麿訳)などの著作は、『近代出版史探索Ⅱ』390の平凡社『社会思想全集』12にまとめられ、レーニンの『プロレタリア革命と背教者カウツキー』(山川菊栄訳)も同10に収録されている。

 

 1931年=昭和六年に書かれた『五ヶ年計画立往生』も、そうした批判的著作の一冊である。このカウツキーの著書に言及する前に、まず「五ヶ年計画」にふれてみよう。これは一九二一年三月のロシア共産党大会で、レーニンの新経済政策「ネップ」案が採択され、翌年にソ連邦の成立とともに正式にスタートした経済計画である。戦時共産主義体制から市場メカニズムの広範な利用への移行で、二九年には「五ヶ年計画」と全面的農業集団化政策も開始され、当初のネップ期の経済政策からの根本的転換だった。それはスターリン主導下での工業成長や農業集団化目標をエスカレートさせるものだったが、工業の質的指標改善は失敗し、農業生産も停滞したとされる。

 この計画について、カウツキーは「極度の断食療法」と見なし、ボルシェヴィキはマルクスの『資本論』第二巻に通暁しておらず、経済構造の無秩序的混乱をもたらすものだと述べ、次のように書いている。

 既に周知の事実であるように、この計画はロシア国民の今でさへ既に乏しい消費を、食料品と文化的必需品に就いて、全くやり切れないほどの最小限に・肉体と精神とをともどもに殆ど生かして行くと云ふだけの程度の最小限に・引下げると云ふところにその基礎を置いてゐる。消費される物資に比較して生産される物質の不足、それが、従来その国と民衆との窮乏を齎らして来たのであるが、そうした矛盾は、消費を切り縮めることによつて始末すべきであり、かくして余剰をそこに残し、それを以て、新しき工場・動力供給所・気化器・その他の生産手段の建設の資に充つべきであるとする。五年の終りには、新しきそして大産業化されたロシアが出来上がる。

 ところがそれは絵に描いた餅のようなものに過ぎず、「全き窮乏と零落の五ヶ年間」に当たるだろうとカウツキーは断言し、ロシアにおける農業と工業の現在分析、政治革命と新たなる革命と国民の行方にも言及している。近年読む機会を得たS・S・モンテフィオーリの評伝『スターリン』(上下、染谷徹訳、白水社、平成二十二年)によれば、「五ヶ年計画」はただちに資本主義を廃止して社会主義を建設するという、富農階級(クラーク)に対する大量テロルを伴う「恐るべき大革命」で、スターリンをレーニンの後継者たらしめるものだったのである。

スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈上〉スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉(『スターリン』上下)

 訳者の小池四郎は『近代出版史探索Ⅱ』394で、そのプロフィルを提出しておいたように、社会民衆党の代議士だったが、昭和七年に赤松克麿たちと日本国家社会党を結成し、九年にはそのうちの日本主義派を率いて、愛国政治同盟を組織し、典型的な社会ファシストの道をたどったとされる。

 赤松と同じく小池もカウツキーの訳者であり、それこそレーニンのいうところのカウツキーではないけれど、ボルシェヴィキから見れば、ともに「背教者」の道をたどったことになろう。


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古本夜話1284 大森義太郎『唯物弁証法読本』と永田広志『唯物弁証法講話』

 本探索1279で、プロレタリア文学や社会運動の隆盛に伴う多種多様な左翼文献の翻訳出版を指摘しておいた。それは『近代出版史探索Ⅱ』213に典型的な左翼系小出版社だけでなく、大手出版社にも及んでいて、時代のトレンドとして売れ行きもよかったのである。

 そのようなブームの中で、『近代出版史探索Ⅲ』537の新潮社による高畠素之訳『資本論』も刊行されたのであり、売れ行きもまた出版資本の論理にかなっていたと判断できよう。それは中央公論社も例外ではなく、昭和八年四月に大森義太郎の『唯物弁証法読本』が出されている。そのことは驚くに値しないけれど、手元にある裸本の一冊は昭和十年十二月の刊行で、何と五十版を重ねている。ということは当時の重版の数え方やその部数に関して詳らかにしないけれど、少なくとも毎月のように増刷されていたことなる。裸本だが、上製、定価一円二十銭、本文は総ルビで三〇一ページ、それに「参考書目」「件名索引」「人名索引」三三ページが付され、「読本」形式の入門、啓蒙書としての体裁は整っているし、最初からそのように意図され、企画されたとわかる。口絵写真はマルクスの墓と墓碑銘である。

 また巻末の「中央公論社発行書目抄」を見てみると、大森の同書や『まてりありすむす・みりたんす』と並んで、猪俣津南雄『金の経済学』、蔵原惟人『芸術論』、ラ・メトリ他、杉捷夫訳『フランス唯物論哲学』、カウツキー、向坂逸郎訳『農業経済学』、ウイツトフォーゲル、平野義太郎訳『支那の経済と社会』上下巻、H・W・シュナイダー、佐々弘雄訳『フアツシズム国家学』なども出されている。中央公論社出版部は『近代出版史探索Ⅲ』603などで既述しておいたように、昭和四年のルマルク、秦豊吉訳『西部戦線異状なし』のベストセラーから始まっているわけだが、『唯物弁証法読本』などのマルクシズム文献の出版も時代のトレンドから企画されていったのだろう。

(『フランス唯物論哲学』)(『西部戦線異状なし』)

 それらはともかく、『唯物弁証法読本』に戻ると、大森は「序」でマルクスの没後五十年の記念出版で、「マルクスの理論を日本の大衆の間にひろく理解させようと試みた」ものだと述べている。それは序論の「唯物史観とは、いつたい、どんなものか」に具体的に語られている。それは唯物史観によって、「我々の重大な注意の的になる例へば国際連盟問題、戦争の危機、アメリカの金融恐慌、ドイツのヒットラー政権の掌握、そのほかなんの問題でも」歴史法則を理解し、問題を解かなければならないと表明されている。

 大森は労農派マルクス経済学者で、東京帝大助教授となり、学生の人気を集め、山田盛太郎、平野義太郎とともに「東大三太郎」と呼ばれたという。しかし学内外の政治活動ゆえに昭和三年には退職し、それ以後は雑誌『労農』の編集、改造社版『マルクス・エンゲルス全集』の企画、匿名時評などに携わっていたようで、そうした私的状況の中で『唯物弁証法読本』も書かれ、出版されたことになろう。だが十二年には人民戦線事件で検挙され、十五年には死去している。
マルクス=エンゲルス全集 第11巻 剰余価値学説史 第三巻

 その大森の『唯物弁証法読本』を追いかけるように、昭和八年十一月白揚社から永田広志の『唯物弁証法講話』が刊行されている。こちらのほうも「講話」とあるので、大森の著書と同じく啓蒙書的な印象を与えるが、実際にはマルクス、エンゲルス、レーニンのレーニンの哲学的著作をベースとする、まさに弁証法的唯物論の問題に取り組んだ専門書といえる。

 そこで永田に関して『近代日本社会運動史人物大事典』を繰ってみると、東京外語露語部文科出身の唯物論哲学者で、昭和二年から翻訳研究活動に入り、五年にプロレタリア科学研究所に加わり、八年には唯物論研究会を設立し、唯物論弁証法研究会の責任者となっている。その過程で労農派大森義太郎が徹底的に批判されることになり、長田の『唯物弁証法講話』にしても、大森はブハーリンの亜流として、名指しで批判され、またそれが売れたようなのだ。『同大事典』』におけるその部分を引いてみる。

近代日本社会運動史人物大事典

 同年11月、『唯物弁証法講話』刊。37年5月まで16版を重ねた本書の狙いは、現実の闘争との連関で唯物弁証法哲学を理解することにと注がれていたが、通俗化されることなく、理論的には高い水準を示していた。当時ソ連はスターリン統治下で形式論理学構築が徹底的に排除され、それ故弁証法論理学構築への試みも殆んどなかったにも拘らず、長田はレーニンの遺稿を手掛りに本書で「概念論」の唯物論的究明を試みた。(後略)

 さらに永田とその著書への言及は続いているのだが、これ以上踏みこまない。ここで注視したいのは大森の『唯物弁証法読本』の五十版に対して、『唯物弁証法講話』のほうも「16版を重ねた」という事実であり、この時代において、新潮社のみならず、中央公論社にとっても、また左翼出版社の白揚社にとっても、左翼文献やマルクシズム書の出版は資本の論理にかなっていたことになる。しかもそれらは小出版社や新興出版社の場合、本探索1257でみたように、大手出版社とは流通や販売が異なっていたと思われるし、想像する以上に広範にして多種多様なかたちで出版されたのではないだろうか。

 それらの一例として、ロゾヴスキー、産労関西支局訳『軍事科学とストライキ』(労農書房、昭和五年)、ネストリープケ、協調会抄訳『各国労働組合運動史』(協調会、大正十五年)が挙げられ、入手しているが、手がかりがつかめていない。

 なお『唯物弁証法講話』は戦後の昭和二十一年のものによっている。その巻末広告には同じく広田の『唯物史観講話』『日本封建制イデオロギー』が掲載され、彼の戦後における復活を伝えていよう。

 


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