出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』


◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2


18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』

さてそれならば、佐藤吉郎が影響を受け『黒流』の中へと流れこんでいるヨーロッパ世紀末文学について考えてみよう。まずはその一冊にブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』平井呈一訳、創元推理文庫)を挙げることができる。荒木の刺青はドラキュラの表象に他ならないし、吸血鬼団という名称については言うまでもないだろう。ヨーロッパ辺境のトランシルヴァニアの無気味な城に住むドラキュラ伯爵は人間の血を求めて闇の中を徘徊する吸血鬼であり、ロンドンに屋敷を求めて英国に上陸し、三人の吸血鬼女を従え、女や子供たちを襲い、ロンドンの夜を恐怖に陥れる。ブラム・ストーカーはドラキュラが東欧人であることを強調し、血を吸われ、不死者となって吸血鬼の仲間入りをしたルーシーについても次のように描写している。
吸血鬼ドラキュラ

 目はらんらんとして地獄の妖火の赤光(しゃっこう)を放ち、ひきつった眉はメデゥサの蛇がとぐろを巻いたごとく、血にべっとり染まった口をカッとひらいたその恐ろしい形相は、さながらギリシャか日本の鬼か蛇の面のようであった。

吸血鬼は東欧人であるとされていたが、ここに至って「日本の鬼か蛇の面」のような形相の存在となる。西洋のオリエンタリズムが生み出した吸血鬼ドラキュラの出自は日本にまで拡大されている。そしてドイツの批評家マックス・ノルダウやイタリアの精神医学者ロンブローゾの主張が採用され、ドラキュラが退化した「犯罪者」及び「犯罪者典型」と見なされる。ヘルシング教授は言う。

こういう犯罪者は、成熟した大人の頭脳を持っておらん。そういう連中は、皆なかなか利口で、目はしがきいて、狡猾で、機転のきく人間だが、頭脳が大人の形になっていない。たいがい、子供の頭脳だ。ところでわれわれの犯人、ドラキュラ伯爵はというと、こいつも生まれながらの犯罪者だ。こいつもまた子供の頭脳しか持っていない。自分が一度したことをするというのは、これは子供の頭脳である。

世紀末の西洋文学に現われたこのような「侮蔑と汚辱」を逆手にとり、『黒流』における吸血鬼団は発想されたのではないだろうか。ドラキュラが英国に上陸したように、荒木もアメリカへ密入国し、吸血鬼団を結成するのであるから。そして自らの肉体に吸血鬼団を象徴する聖痕としての「刺青」を入れるのだ。しかもそれは「西洋美人の裸体姿に悪鬼が貪り付いて血を吸」い、「美人は血を吸はれ乍ら恍惚として居る」構図なのだ。ストーカーのドラキュラと同様に荒木も美人を対象としている。だから『黒流』とは日本版『吸血鬼ドラキュラ』であり、しかも日本のドラキュラの側から語られたアメリカ侵略の物語ともなっている。そのために荒木は「美人」を手がかりとするが、それもストーカーのドラキュラと同様なのだ。

ただ異なるのはドラキュラが東欧人だけだったのに対し、荒木の吸血鬼団は日本人、中国人、メキシコ人、黒人といった有色人種の連合軍であることだ。オリエントに加え、アフリカ、ラテンアメリカの混成部隊が阿片を武器にして、「美人」たちを手始めに、アメリカを征服しようとする試みを、『黒流』は描いていると言えよう。しかしストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を物語祖型としたために、最後にドラキュラが息の根を止められたように、荒木もまた死によって物語を終わらせる宿命を帯びてしまったのではないだろうか。
英国で一八九七年に出版されたストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の日本における戦前の翻訳史はたどれなかったが、物語のコードからしてこの小説を翻訳か原書で佐藤吉郎が読んでいたことは確実だと思われる。

次回へ続く。