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古本夜話1321 望月百合子『大陸に生きる』と大和書店

 前回、『女人芸術』創刊号の「評論」は山川菊栄「フェミニズムの検討」、神近市子「婦人と無産政党」に続いて、望月百合子「婦人解放への道」が並んでいることを既述しておいた。その内容にふれると、婦人解放は単なる参政権の獲得や職業上の平等だけでなく、男子の解放も意味し、自由と平等と相互扶助の精神を体現する連帯生活に求められるべきだという主張である。

 (『女人芸術』創刊号)

 さらに望月の論に踏みこまないけれど、『女人芸術』創刊時の昭和初年において、彼女は中條ならぬもう一人の百合子として、山川や神近に匹敵するフェミニズム陣営の論者だったことになる。だが『神近市子自伝』に山川(青山)菊栄は出てきても、望月は登場していない。本探索1316のエロシェンコとアグネス・アレグザンダーの席に望月とともに参加しているはずなのに。それは二人の思想の相違に加え、望月がアナキストとして『女人芸術』から離反し、昭和五年に高群逸枝、住井すゑ子、八木秋子たちと『婦人戦線』を創刊したことも関係しているのだろう。

 望月は『日本アナキズム運動人名事典』に半ページを超える長い立項があるので、それを要約してみる。明治三十三年山梨県生まれで、東京市ヶ谷の成女高等女学校卒業後、大正八年に読売新聞社に入社し、洋服と断髪でモダンガールの走りとなる。この頃、石川三四郎と出会い、十年に新聞社を辞め、石川と同じ船で農商務省派遣によるフランス留学へと旅立ち、フランスのアナキストたちと知り合い、アナトール・フランスの『タイース』を翻訳し、十三年に新潮社から出版し、十四年に帰国する。昭和二年に石川による千歳村での土民生活の実践としての共学社にパートナーとして関わり、翌年には『女人芸術』に参加する。昭和五年に同志の古川時雄と結婚し、十三年に夫が満州に職を得たことで、彼女も新京にわたり、『満洲新聞』の記者となり、満州在住の女性のための大陸文化学園、丁香女塾を開くのである。

日本アナキズム運動人名事典

 この満州時代の新聞記者としての開拓村取材や大陸文化学園、丁香女塾、それらにまつわる随筆を集成したのが、昭和十六年に大和書店から刊行された『大陸に生きる』復刻ゆまに書房、平成十四年)ということになる。この版元に関しては『近代出版史探索Ⅴ』949で、大陸書房のシーブルック『アラビア遊牧民』の元版が、昭和十八年に大和書店から出された『アラビア奥地行』であることを記しておいた。この片柳忠男を発行者とする神田多町の大和書店の出版物は、古書目録で見かけるたびに申しこんでいたけれど、人気があるのかいつも外れてしまい、E・H・パーカー、閔丙台訳『韃靼一千年史』(昭和十九年)しか入手していない。

文化人の見た近代アジア (6) 復刻 大陸に生きる (ゆまに書房)  

 だが幸いなことに、この一冊には巻末に二十四冊の出版広告が掲載され、しかも先の『アラビア奥地行』の隣に『大陸に生きる』が「小林秀雄、林房雄、阿部知二先生推奨。大陸に挺身した日本女性の大陸文化に建設苦闘記」として並んでいたのである。それらを見ると、大和書店は満鉄の東亜経済調査局と関係が深い版元だと考えていたのだが、「日本少国民文学新鋭叢書」として、新美南吉『牛をつないだ椿の木』、中西悟堂編「絵による自然科学叢書」などの児童書も出版していたとわかる。また『大陸に生きる』の巻末広告には「新日本文学」として、内閣情報局、大政翼賛会後援の『愛国浪曲原作集』も見られる。本当に望月の軌跡と同様に、大東亜戦争下の出版は錯綜している。

 それでも『大陸に生きる』の出版経緯はその「後記」によって明らかになる。そこには「矢橋兄」、「昔流に言へば刎頚の友とも云ふべき兄のおゝすめ」でという謝辞がしたためられているからだ。「矢橋兄」とは『日本アナキズム運動人名事典』に立項のある矢橋丈吉のことだと見なしていいだろう。彼は村山知義の『マヴォ』やアナキズムを標榜する『文芸解放』同人で、昭和二年に春陽堂に入社し、『近代出版史探索Ⅵ』1098の『明治大正文学全集』の校正に従事するが、四年に関東出版労働組合の支持を受け、春陽堂争議に関わり、解雇される。そして自由労働者として東京市失業救済土木事業に携わり、七年に『マヴォ』以来の友人戸田達雄の営む広告会社オリオン社に勤める。

 この戸田をやはり『同事典』で引いてみる。するとオリオン社は同じく『マヴォ』同人の片柳忠男と設立し、『近代出版史探索Ⅱ』221の萩原恭次郎『死刑宣告』 にリノリウムカットを寄せているとある。先述したように、片柳こそは大和書店の発行者だった。それにこの片柳も『同事典』に立項されているので、それを引いてみよう。

死刑宣告 (愛蔵版詩集シリーズ)

 片柳忠男 かたやなぎ・ただお 1908(明41)~1985(昭60)24年7月『マヴォ』の創刊に参加する。同年戸田達雄と広告代理店オリオン社を設立。29年までオリオン社があったエビス倶楽部の部屋には『マヴォ』の同人や種種雑多な人物画出没し、アナ系の貧乏サロンの趣きがあったという。

 それらは矢橋の他に辻まこと、竹久不二彦、島崎蓊助たちだった。とすれば、片柳はその一方で大和書店も設立し、そこに矢橋も編集者として加わり、望月百合子の『大陸に生きる』が出版されたことになる。

 そういえば、昭和四十年代半ばにオリオン出版社から高木護編『辻潤著作集』全七巻が刊行され、そこにオリオン社への謝辞もあった。おそらくその発行人の宮本学も、このオリオン社に連なる人脈の一人のように思われる。いずれ片柳のことも『画集片柳忠男』(三彩社)を入手していから書くつもりでいる。


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