2009-01-01から1年間の記事一覧
久保書店が『裏窓』や『あまとりあ』を刊行しながら、ハードボイルド専門誌『マンハント』も創刊していたように、昭和艶本時代も異なるジャンルの民俗学の出版物を派生させていく。それを担ったのはこの時代に伊藤晴雨の『責めの研究』や『論語通解』(『最…
論創社サイトにて「出版状況クロニクル 20(2009年11月26日〜12月25日)」を更新しました。
2001年に翻訳されたジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(三浦陽一他訳、岩波書店)は「第二の敗戦」的状況の中で刊行されたこともあり、その出版は偶然のように思われなかった。そして戦後日本が敗者として始まったこと、占領が現在まで続いている実態を…
「世界奇書異聞類聚」と並んで、梅原北明たちが企画出版したシリーズとして、その広範な人脈を知らしめている「変態十二史」と「変態文献叢書」にも言及しておく必要がある。これは「変態」という言葉によって、エロ・グロ・ナンセンスの時代を象徴させ、後…
「辻井喬+堤清二回顧録」である『叙情と闘争』(中央公論新社)を、戦後の消費社会のキーパーソンの記録として読んでいくと、そこに渥美俊一と藤田田についての知らなかった事実が述べられていたので、驚いてしまった。 渥美は読売新聞の経済記者を経て、チ…
これまで伊藤晴雨を源流とする「アブノーマル雑誌」の系譜を、『奇譚クラブ』『風俗草紙』『裏窓』までたどってきた。また一方で、カストリ雑誌『赤と黒』から「性風俗誌」の『人間探究』や『あまとりあ』に至る流れも追ってきた。そしてこの二つの人脈が久…
ヘミングウェイの言によれば、現代アメリカ文学はマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』をもって始まるとされている。 そのトウェインがミズーリ州に生まれ、ハックルベリー・フィンの舞台となるミシシッピー川沿いの小さな町で育ったこと、…
前々回、帆神煕についてはまったく手がかりがないと書いたが、ひとつだけ気になることがある。それは風俗文献社の『太陰の娘サロメ』と『マドリッドの男地獄』の出版と同じ昭和二十七年に、表紙に原書名と著者名が記され、女性の裸体が描かれているのは異な…
みすず書房の元営業部長だった相田良雄が亡くなった。相田も戦前には羽田書店に在籍し、戦後のみすず書房の創業メンバーの一人で、四十年以上にわたって営業に携わり、彼ならではの人文書の営業と販売の指針を具体的に教えてくれた。かつて出版社を立ち上げ…
論創社サイトにて「出版状況クロニクル 19(2009年10月26日〜11月25日)」を更新しました。
第一出版社の本は一冊だけ持っていて、それは伏見冲敬訳の『肉蒲団』である。A5判並製ながら、童画家の武井武雄による装丁装画の本は昭和二十六年の刊行から考えれば、瀟洒な一冊と言えるだろう。発行人は石川四司で、前回記したように元改造社編集局長にし…
『出版人物事典』の第四番目の人物として、青木嵩山堂の青木恒三郎が立項されている。この青木崇山堂についてふれてみる。ただ残念なことに青木嵩山堂は多くの本を出しているのだが、私は一冊しか所持していない。 それは物集高見編纂の『詞のはやし日本大辞…
本ブログで一連の出版学会批判を展開したことに関して、何人もの読者から、ブログが炎上したのではないか、さらなる誹謗中傷などが押し寄せてきたのではないかという問い合わせを受けた。他の読者もそのことに関心があると思うので記しておくが、私はいつで…
これまで記してきたように、橋立孝一郎が書籍、玩具、ホビーの専門店チェーンであるキディランドを展開し、1960年代後半に年商30億円、47店舗に至った。だが急成長のとがめから、会社更生法の適用を受け、それをきっかけにして、キディランドの優秀な書店員…
前々回の「倉本長治と田中治男『踏んでもけっても』」で書名を挙げた、河村の『千二百円で出来る書籍雑誌店開業案内』は、柴野京子の『書棚と平台』の「購書空間の変容」の章で参照され、そこで示された書店のレイアウト平面図が転載されている。彼女はこの…
論創社サイトにて「出版状況クロニクル 18(2009年9月26日〜10月25日)」を更新しました。
本ブログ「キディランドと橋立孝一郎」に記しておいたように、橋立が書店の流通革命に目覚めたのは、商業界のゼミに参加したことがきっかけだった。商業界ゼミの主宰者は倉本長治であり、倉本は橋立と異なり、『出版人物事典』(出版ニュース社)に立項され…
1970年代後半に私が書店業界に入った頃、キディランドという社名がよく話の中で挙げられていた。その当時の東京の書店状況を記せば、紀伊国屋、丸善、三省堂に続いて、大盛堂、芳林堂、弘栄堂、書泉などがクオリティの高い書店として著名だった。それと同時…
『週刊ダイヤモンド』(9/5号)が「ニッポンの団地」特集を組んでいる。 1955年に日本住宅公団が設立され、翌年に大阪の金岡団地や千葉の稲毛団地の竣工が始まり、58年には団地族という言葉も生まれた。ダイニングキッチンと六畳、四畳半の二間からなる2DKに…
「葉っぱのBlog」の栗山光司がキディランドの出身で、後のリブロの今泉正光、田口久美子、丸山猛たちと一緒に仕事をしていたことを、彼への「返信」で既述しておいた。 栗山はキディランドの会社更生法を機に退職するのだが、今泉たち三人はリブロに移り、今…
「葉っぱのBlog」が私に言及していて、そこで拙著『書店の近代』(平凡社新書)について、彼が栗山光司名で、刊行時の03年にbk1で書評していることを初めて知らされた。 http://www.bk1.jp/review/0000221424 そして続けて、ブログに00年8月の『図書新聞』に…
論創社サイトにて「出版状況クロニクル 17(2009年8月26日〜9月25日)」を更新しました。
――大島一雄『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』について「続『書棚と平台』を批評する 4」において、身近な世代が書いた出版関連本で、刺激を受けた一冊として、02年に芳賀書店から刊行された大島一雄の『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』…
(この記事は続『書棚と平台』を批評する 1 2 3の続きです) 柴野京子のいう「一〇年に及ぶ出版危機言説の実態」は『本とコンピュータ』のいくつもの特集を当てはめたもので、拙著とは位相を異にすると既述した。 ここまで書いてきたからには、さらに出版…
(この記事は続『書棚と平台』を批評する 1、 2の続きです) 柴野と星野に共通してみられる操作の共通性は、おそらく偶然ではない。二人の記述の背後に潜んでいるのは、学会の中にある、私の一連の出版に関する著作に対する面白くない思い、学会外にいる私…
(この記事は続『書棚と平台』を批評する 1の続きです) 福嶋の引用している「話をややこしくしている」との柴野の言は、『書棚と平台』の「序章」の「出版危機言説をめぐって」において、佐野眞一の『だれが「本」を殺すのか』を批判した際に出てきたもの…
柴野京子の『書棚と平台』をめぐって、福嶋聡の「出版界をめぐる様々な状況と対応 話をややこしくしているもの」(『Journalism』9月号所収 )、箕輪成男の「メディアとしての出版流通論」(『出版ニュース』9月中旬号)が書かれ、同書に関する様々な肯定的…
草森紳一の『中国文化大革命の大宣伝』(芸術新聞社)上下巻をようやく読み終えた。期待にたがわない力作で、文化大革命は若かりし頃にリアルタイムで起きていたこともあり、『ナチス・プロパガンダ 絶対の宣伝』(番町書房)以上の臨場感を伴って読むことが…
中島梓が死去した直後に書いたものであるが、どこにも掲載していないので、[旧刊メモ]の一編とする。彼女は中島梓名で評論、栗本薫名でファンタジー大河小説「グイン・サーガ」やミステリーなどを書き、その広範な執筆活動は、80年代以後のファンタジーや…
出版、新刊、旧刊、古本に関するブログ「出版・読書メモランダム」を新しく開設しました。よろしければ、お出かけあれ。 今月上梓した拙著『古本探究2』の中で、取次から見た同文館、取次としての北隆館、至誠堂、大東館を書き、また独歩社や金星堂における…