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古本夜話16 坂本篤の「口伝・艶本紳士録」と『文芸市場』

久保書店が『裏窓』や『あまとりあ』を刊行しながら、ハードボイルド専門誌『マンハント』も創刊していたように、昭和艶本時代も異なるジャンルの民俗学の出版物を派生させていく。それを担ったのはこの時代に伊藤晴雨の『責めの研究』や『論語通解』(『最後の浮世絵師 伊藤晴雨・幻の秘画帖』収録、二見書房)を刊行していた温故書店・坂本書店の坂本篤である。

私はこれらの伊藤の本を所持していないが、温故書店と坂本書店の両方を併記した出版物は三冊入手していて、いずれも「芋蔓草紙」シリーズで、それらの著者と書名を挙げれば、礒清『吉備暖語』、西澤仙湖『仙湖随筆』、山中共古『共古随筆』である。この「芋蔓草紙」シリーズは各冊の「刊行のお知らせ」に記されているように、「『雑誌いもづる』を出しつつ、それぞれその専門とする特種の研究に、蒐集に耽つています変物連中、及びその同人の先輩が積年研鑚の一端を発表するもの」で、「将来に於て読書人の珍本」なることを意図し、企画されている。
共古随筆
『いもづる』は大正十二年に斎藤昌三によって創刊された趣味雑誌で、同人メンバー、及びその内容と活動については山口昌男『内田魯庵山脈』晶文社)や、八木福次郎『書痴斎藤昌三と書物展望社』平凡社)が詳しい。前述の「刊行のお知らせ」には編輯所として いも蔓社、発行所として坂本書店が記載されているので、坂本書店は『いもづる』関連の出版社でもあったと見なしていいだろう。なぜならば、斎藤が書物展望社を立ち上げるのは昭和六年になってからであり、まだ自前の出版社を持っていなかったからだ。だがここではこれ以上、斎藤と『いもづる』に言及しない。この章は坂本篤に焦点を当ててみたいと思う。

内田魯庵山脈 書痴斎藤昌三と書物展望社

坂本は梅原北明や佐藤紅霞が敗戦後に鬼籍に入ったことに比べ、ずっと現役のままで半世紀にわたって出版活動を続け、戦後は有光書房や一歩社の名前で様々な書物を刊行している。幸いなことに坂本の出版一代記は竹中労を聞き手とする「口伝・艶本紳士録」として、昭和四十七年から翌年にかけて、梶山季之主宰の『噂』に連載され、後に『国貞』裁判・始末』三一書房)のタイトルで出版された。その内容は連載中の表題が示すように、昭和初期艶本時代に名を連ね得た多くの人々が登場し、知られざるアンダーグラウンド出版のエピソードを開陳している。社会主義文献と同様に、艶本やポルノグラフィの出版もまた当局との激しい闘争の中で行われていたのである。その意味で出版も監獄入りを覚悟する時代を、坂本は身を持って生きてきた代表的人物といえる。それなのに鈴木徹造『出版人物事典』において、坂本も立項されていない。

坂本の出版一代記のすべては紹介できないが、斎藤や梅原絡みのさわりだけでも抽出紹介してみよう。彼は明治三十四年生まれで、祖父は現在の山梨日日新聞創立者にして、代々「藤伝」という甲州きっての書籍商兼版元であったという。しかし藩閥政治を批判して発禁を重ね、出版では自社教科書の版権侵害で国を訴えたりして、家財すべてを蕩尽してしまう。そのために孫の坂本篤も十四歳で親戚の印刷所の大倉広文堂にあずけられ、営業の仕事につきながら、俳句の自費出版を試み、またいくつもの饅頭本を企画して金を儲け、坂本書店を神田区表神保町に立ち上げる。そして編輯者を本山桂川とする南方熊楠の『南方閑話』や中山太郎の『土俗私考』に始まる「閑話叢書」、自らの企画による「性の表徴叢書」と銘打った、澤田五倍子の『無花果』、最初の艶本『末摘花』を出版しているうちに、関東大震災後になって、梅原たちとの出版人脈が形成されたと思われる。

大正十四年十一月に梅原によって創刊された『文芸市場』は当初プロレタリア雑誌として始まったが、昭和二年六月号から猟奇的な色彩を強め、翌年創刊の『グロテスク』につながるエロ・グロ・ナンセンスの発祥となる。『文芸市場』の内容にまつわる事情を、坂本は次のように回想している。

(前略)そいで、左のほうは止めちゃうわけなんでしょ。まず桃色に転向というわけです。桃色に転向した創刊号が、やっぱり誌名は『文芸市場』なんだよね。その桃色の方の『文芸市場』を書店に出そうというわけだ。ところが梅原君は書店との取引がない。そこで、「坂本君、お前ンちの名前を貸せ」と、こういうわけだ。それで、「じゃあ貸すけど、ウチの広告も入れとけ」と、忘れもしない南方熊楠の『南方閑話』なんかの広告入れて、それでウチが『文芸市場』の発行所になったんです。その頃から、梅原との行ったり来たりが激しくなるんですよ。

また一方で『芋蔓草紙』を通じて斎藤との交流も始まり、多くの本をめぐる奇人変人が集結してくることになる。薬剤師の樋口悦之助、何でも印刷してくれるお茶の水の今川、海賊版専門屋の真保三郎、「江戸文学選」を出した田中美智雄、人形や写真のコレクター星野長一、『女礼賛』という奇書を出した謎だらけの森山太郎、ワ印共同体を主宰した日本画家の藤田安正、まったく正体をさらすことなく出版一筋に生きた鈴木一夫など、ここでしか名前が出てこない人々がいる。そしてこれらの出版人脈が戦後まで続き、ここからカストリ雑誌が百花斉放したと考えられる。それゆえにカストリ雑誌も昭和艶本時代をルーツとしているのではないだろうか。

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