出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

日本出版学会とExLibris

[古本夜話] の連載は先が長いので、一度たりとも休みたくないと思い、週一回更新を守り、10ヵ月続けてきた。

だが何度か注意を促したにもかかわらず、ExLibrisという匿名の人物が本ブログ、及び[古本夜話]をただクサすことだけを目的として、執拗に御託宣を飛ばし続けてきている。

それは言葉尻をつかまえたり、レトリカルクエスチョンをねじ曲げたり、またまともな反論になっていない言説を、さも正当であるかのように提出している。これはいちいち言及しないが、ExLibrisのブックマークを見てもらえば了解されるであろう。
http://b.hatena.ne.jp/ExLibris/

この背景に何があるのか、あるいはExLibrisの意図がどこにあるのかをここで書いておくことにする。入り組んだ事情が潜んでいるゆえ、関心のない読者にはお目汚しと思われるので、読まずに閉じていただいてもかまわない。

まずExLibrisという id だが、これは07年10月30日にコメントを書くために使用したまま、ずっと休眠状態が続いていたと思われる。そして09年10月26日から再び使われ始め、10年7月8日まで11回に及んでいる。そのうちの9回が本ブログ、及び[古本夜話]に向けられていて、他の2回は他にも発しているという、明らかにアリバイ的な笠間書院国会図書館に対するものだ。だからExLibrisは私をクサしたり、誹謗する目的、及びもうひとつの陰険な意図を含んで使われ始めたと判断するしかない。

日本出版学会員たちの陰険さもよく承知しているが、ExLibrisも負けず劣らずで、出版史研究を自称する人々の不毛な心性がまったく共通していると思い知らされる。このExLibrisが誰であるかは昨年のうちにわかっていた。だがそのことに言及すると、柴野京子『書棚と平台』 に再びふれざるを得ないので、差し控えていた。これ以上、柴野と著作を批判したくなかったからだ。しかし柴野はめでたく『書棚と平台』日本出版学会奨励賞を受賞したこともあり、もはや遠慮することもないだろう。

99%確かであるExLibrisの実名を挙げてもいいが、残りの1%の誤認問題、それに加えて必然的に他の人物もかかわってくるので、ここではとりあえずAとしよう。Aは研究者をよそおい、本名で自分のブログを開設し、ExLibrisとは異なる文字遣いで発信している。それならば、どうして文字遣いも変え、正体を隠し、ExLibrisと称しているのだろうか。ExLibrisという匿名の意味は何なのか。

またAはアクセス度が高いとされる書物ブログのBなる人物と親密で、ネット上に二人のやりとりを見ることができ、ExLibrisの私への御託宣に関するBの的外れなコメントも記されている。さらに二人の背後には何人もの古本人脈が見え隠れしている。彼らの関係から推察すると、ExLibrisを名乗るのは一人ではなく、複数だった可能性も考えられる。

ExLibrisが私に難癖を飛ばしてきたのは、昨年10月26日であるから、本ブログの「『書棚と平台』を批評する」(9月1日)、「続『書棚と平台』を批評する」(9月17、20、22、24日)を背景にしていると推定できる。私は5回に及ぶ柴野京子の『書棚と平台』批判において、柴野が前提とする出版状況分析の間違いを正確に指摘した。それに加えて、柴野も属する日本出版学会の会員たちが徒党を組んで、私に対して飛ばし続けてきたデマと誹謗中傷、私の著作の剽窃、意図的操作によるねじ曲げなどについて、実例を挙げて述べ、反論があればいつでも聞くし、間違っていれば訂正もすると書いておいた。
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20090924

私は柴野を始めとして、実名を挙げて批判した出版学会員から反論があると考え、その場合にはさらに踏みこんだ論争をするつもりで、その用意もしていた。

ところが柴野たちからは何の反論も出されず、その代わりのようにExLibrisが匿名で登場したのである。しかもExLibris=Aは出版学会員ではないにもかかわらず、あたかも出版学会に属しているかのような口調で、「トンチンカン」な御託宣を飛ばしてきたのである。それは私が「キディランドと橋立孝一郎」(10月26日)の中で、『出版人物事典』への異議を唱えたことに対してだった。これに応じて、私はExLibrisの文章を掲載し、「『出版人物事典』の間違い」(11月23日)で反論している。
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20091123

調べてみるとAとBは出版学会員ではないのだが、柴野京子の取り巻きのようで、Aは自分のブログで『書棚と平台』を持ち上げている。だからAの意図には柴野を批判した私に対する面白くない思いがあり、彼女に代わって、その仕返しをするためにExLibrisなるid を使い始めたと思われても当然だろう。

しかしExLibrisという id にこめられている意図はそれだけではない。実はExLibris=蔵書票という id は、名乗ってはいないが蔵書票研究者で、自分のキーワードのひとつとしていた出版学会員も存在する。その人物は「『書棚と平台』を批評する」4 で書いておいた、私に対して「デマや中傷を飛ばしていた張本人」で、これをCとしよう。Cは古書業界や出版学会でもよく知られている人物で、Cと私の絡み、Cが蔵書票なるキーワードを有していることはかなり知られた事実だったと思われる。だから私に対して、ExLibrisなる id で御託宣を飛ばしているのを見て、出版学会、及び事情通の人々はそれがCだと考えたにちがいない。私ですらも最初はそう思ったからだ。

だがこの話はまだ続きがある。Cは柴野の著作から少し遅れてだが、やはり出版研究書を刊行して評判となり、あきらかにこれも出版学会賞候補になり、柴野とCで学会賞を争うのではないかと見られていた。そこにAがExLibrisを名乗り、出版学会員をよそおい、しかもCの文体を模し、私に御託宣を飛ばしてきたのである。つまり私をして、ExLibrisがCではないかと錯覚させ、あわよくば私の反論の矛先をCへ向けさせ、泥仕合にでもなればと考えていたとも推測できる。そうすれば、私とCも面目をつぶし、柴野の応援にもなるし、一石二鳥になると考えていたのではないだろうか。

ExLibrisなる id を使ったからにはこのように疑われても仕方がないのである。私が引っかからなかったにしても、Cは出版学会からはExLibrisであると思われたのかもしれないし、どのような事情があってなのか、Cの著作は受賞から外れてしまった。しかしこれは手堅い研究書であり、柴野の著作に劣っているとは思われない。

これらのことから考えても、Aとその周辺にいる古本人脈、及び柴野を取り巻く人々がいかに陰険かわかるだろう。Aはベンヤミンなどを論じているくせに、裏に回れば、ベンヤミンをナチに売りわたしかねないような密告者的心性の持ち主であり、出版学会の人々も含めて、彼らの出版史研究の底にはこのような陰険な気配が潜んでいると考えると、暗澹たる気分になる。それがいつまでたっても、まともな論争もなされず、クリエイティブな出版史研究が確立されない原因のようにも思えてくる。


[付記]
ただし『文芸春秋』と『人生創造』の創刊順序に関して、7月8日のExLibrisの指摘は正しく、私のミスであることを認め、「菊池寛が『文芸春秋』の編集企画に応用した」と修正する。
ExLibrisよ、反論があれば、自分のブログで堂々と応じるがいい。


[付記2]

ExLibris の7月15日のブクマは何の反論にも弁明にもなっていない。明らかに逃げている。問題をずらし「陰謀論」に逃げこむのは、研究者の立場を放棄したものではないか。

私の出版学会批判もすべて「陰謀論」で片づけられるのであれば、批判された学会員たちは大喜びだろう。

さらに「陰謀論」云々でいえば、ExLibris=Aは密告者、Bは警察であるし、背後に見え隠れする怪しげな古本人脈から考えても、それらのほうがよっぽど「陰謀論」的色彩に覆われている。この際だからトンデモ本学会に入会すべきだ。

それからブクマの「こっそり」だが、これは上記の訂正以外に、二つの人名誤字を直しただけなのに、さも大きな改変を施したかのように書いている。これがExLibris特有の針小棒大な書き方である。またコメント欄云々だが、自分のブログで書けばすむことではないか。