出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話717 小川晴暘『大同の石仏』と「アルス文化叢書」

 前回の「ナチス叢書」と同時期に、やはりアルスから「アルス文化叢書」が出されている。これはB6判、多くのアート刷写真の収録が特色のシリーズで、定価が「ナチス叢書」」の六十銭に対して、一円二十銭なのはそれゆえだ。実際に手元にある『大同の石仏』も、そのような造本になっている。同書は本連載351の小川晴暘を著者とする、まさに「大同の石仏」写真集と呼んでいい。
f:id:OdaMitsuo:20170922194451j:plain:h110(「ナチス叢書」、『ナチスの科学政策』)日本書道(「アルス文化叢書」第5巻、『日本書道』)

 それでは「大同の石仏」とは何か。小川の「序」の一文を引いてみよう。

 大同の石仏は、蒙彊大同縣雲岡鎭にあるので「雲岡の石窟」とも云はれてゐる。蒙古連合自治政府晉北政庁の管下であり、皇軍の完全な保護の下に置かれている。
 此の石窟の製作は北魏文成帝の和平年間(日本では雄略天皇の御代)に始り、孝文帝の太和十七年(日本では仁賢天皇の御代)都が洛陽に遷る頃迄凡三十五、六年間にして概ね造られた(中略)。
 其の後二百年近くも経つて、日本の飛鳥時代から白鳳時代の芸術に深い関連を示してゐる。それは朝鮮を通じて飛鳥へ、唐を通じて白鳳に這入り来つたのであつた。
 今日見る雲岡の石窟は、東西二キロに亘る明るい黄土色の石窟に、奈良の大仏程もある大彫刻が七体もあり、小さい彫刻をも数へれば五六十万体にも及ぶ一大彫刻群であつて、質と量に於いても、東西第一といふことが出来る。

 そしてそれらの菩薩像や供養者像の美しさは仏教臭のない芸術美を感じさせ、日本の広隆寺の半跏思惟像とも通じているともされる。それを伝えんとするかのように、まず多くの石窟の遠景が示され、その入口がクローズアップされ、それからカメラは内陣へと入っていく。重層塔、壁の如来像、仏殿と破損仏、いくつもの菩薩像、巨大な廬舎那仏坐像、三重塔や五重塔、宝塔と廻廊、太子思惟像と供養者像、釈迦像、阿修羅と児童像、六美人像、孔雀明王像、金剛力士像、蓮衣と天人像、観音菩薩と脇侍像、本尊の弥勒菩薩交脚像などが次々に写し出されていく。様々な石窟の内陣を歩んでいるような錯覚をも生じさせ、それは宗教的イニシエーションをも想起させる。

 この大同雲岡の調査は小川も記しているように、昭和十三年から京都帝大東方文化研究所によって始められていた。それを島村利正『奈良飛鳥園』の記述から補足すれば、小川は翌十四年七月から九月にかけて五十八日間大同に滞在し、東方文化研究所が組み立てた足場を使い、二千枚近い写真を撮ったという。それから十六年に東京の伊勢丹百貨店で「大同雲岡写真展」を開いたところ、それが機縁となって、アルスから『大同の石仏』、本連載706の日光書院から四六倍判の本格的な解説を添えた写真集『大同雲岡の石窟』が出版されることになった。後者は小川の友人の娘が嫁した北島常道、後に京都帝大に移るのだが、日光書院に在籍していたことによっている。しかしその出版は昭和十九年十二月であり、初版千五百部はほとんどが空襲で焼けてしまったと伝えられている。

奈良飛鳥園

 また小川の「序」には、大同石仏の先駆的研究者の一人として木下杢太郎の名前が挙がっている。たまたま手元に杉山二郎の『木下杢太郎』(中公文庫)があったので目を通してみると、そこに「『大同石仏寺』、美術家としての参籠」なる一節が設けられ、その水彩スケッチの収録とともに、大同石仏研究史への言及もなされていた。彼は大正十一年に、本連載163の日本美術学院から木村荘八と共著で『大同石仏寺』を刊行していたのである。そしてまた注に、水野清一『雲岡の石窟とその時代』(創元社、昭和二十七年)における『大同石仏寺』への正統な評価をも付している。この水野は『奈良飛鳥園』の中で、小川の先鋒隊として大同に向かった東方文化研究所の一人だった。
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 しかし残念なことに、『大同石仏寺』にも日光書院の大型写真集の『大同雲岡の石窟』にも出会えていない。だからこのようなことを書くのは僭越かもしれないが、名取洋之助の、やはり中国石窟写真集『麦積山石窟』(岩波書店、昭和三十一年)は、テーマやモデル、出版形式も含め、『大同雲岡の石窟』を範としているのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20171002115346j:plain:h120(『麦積山石窟』)

 ところで最後になってしまったが、「アルス文化叢書」にも、もう少しふれておこう。巻末に「同刊行の言葉」がアルスの北原鉄雄によって記され、「高度国防国家建設」のための「端的、率直、直接に視覚による文化教育を目標とする」との文言が見える。これも何冊まで刊行されたのかは不明だけど、『大同の石仏』はその4で、その巻末目録によれば、24までは確認できる。それらの中で小川の言にもあった「東亜」関連のものも含まれている。それらは10副島種経『蘭印諸島』、16松井政平『タイ王国』、21平松幸彦『蒙古』で、いずれも軍人による6福永恭助『潜水艦』、20塩原庫三『銃剣道』、24梅津勝夫『戦車』などと相まって、大東亜戦争下のアマルガムな「アルス文化叢書」出版状況を浮かび上がらせていよう。


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出版状況クロニクル114(2017年10月1日~10月31日)

17年9月の書籍雑誌の推定販売金額は1284億円で、前年比6.5%減。
書籍は720億円で、同0.5%増となり、4ヵ月ぶりに前年を上回った。
文庫本の大物新刊の刊行などによる底上げとされるが、書店実売の書籍は1%減。
雑誌は564億円で、同14.2%減。その内訳は月刊誌が467億円で、同14.2%減、週刊誌は96億円で、同14.1%減。
雑誌の2ケタ減は今年に入って4回目である。
返品率は書籍が35.5%、雑誌は42.4%で、月刊誌は42.8%、週刊誌は40.5%。
月刊誌の返品率は最悪で、今年は一度も40%を下回っておらず、月刊誌そのものだけでなく、ムックやコミックも売れなくなっている事実を突きつけている。
このような状況がさらに来年も続けば、出版業界はどうなるのか、それは火を見るより明らかであろう。



1.1月から9月までの出版物推定販売金額の推移を示す。
 
■2017年 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2017年
1〜9月計
1,049,420▲6.2560,653▲2.7488,767▲9.9
1月96,345▲7.350,804▲6.045,541▲8.7
2月139,880▲5.282,789▲1.957,092▲9.6
3月176,679▲2.8105,044▲1.271,635▲5.0
4月112,146▲10.955,090▲10.057,056▲11.9
5月92,654▲3.847,4783.045,176▲10.0
6月110,394▲3.854,185▲0.256,209▲7.0
7月95,208▲10.946,725▲6.248,483▲15.0
8月97,646▲6.346,499▲3.751,147▲8.6
9月128,468▲6.572,0400.556,428▲14.2

今年もあますところ、実質的には2ヵ月ということになるが、2017年の書籍雑誌推定販売金額は1兆4000億円を確実に割りこみ、1兆3800億円前後と予測される。そして18年には1兆3000億円を下回ってしまうであろう。
1996年のピーク時の2兆6563億円に比べれば、この20年間で書籍雑誌推定販売金額はまさに半減してしまった。

それとパラレルに書店数も半減してしまい、さらに閉店が続いていけば、1万店を割ることすらもありえる。大手出版社にしても、取次にしても、正確な状況分析に基づき、ヴィジョンを確立し、書店市場と併走してきたわけではない。
日本の出版業界が雑誌をベースとして成立し、中小書店が大手出版社の雑誌と書籍、大書店が中小出版社の書籍を売るという「対角線取引」によって、書店の棲み分けと再販委託制のバランスは保たれていたのである。
しかしそうした日本の書店の現実を無視した取次とナショナルチェーン書店の出店競争によって、それらの中小書店は退場してしまい、大書店は複合化を進め、実質的に「対角線取引」という言葉も失われてしまった。

もちろんこうした書籍雑誌販売額の失墜の原因は他にも求めることができるけれど、最大の要因は、販売市場としての外売力も備えた地域の中小書店の衰退に求められるであろう。これはでも言及しているとおりである。



2.本クロニクル108などで、雑誌銘柄数がついに3000点を割ってしまったことを既述しておいたが、販売部数、返品率と共に2001年からたどってみる。
 次の表は『出版指標年報2017年版』より抽出したものである。
 
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■雑誌銘柄数、推定販売部数、返品率の推移
雑誌銘柄数前年比(%)推定販売部数
(万冊)
前年比(%)返品率(%)
20013,4600.8328,615▲3.529.4
20023,4890.8321,695▲2.129.4
20033,5541.9307,612▲4.431.0
20043,6242.0297,154▲3.431.7
20053,6420.5287,325▲3.332.9
20063,6520.3269,904▲6.134.5
20073,644▲0.2261,269▲3.235.2
20083,613▲0.9243,872▲6.736.5
20093,539▲2.0226,974▲6.936.2
20103,453▲2.4217,222▲4.335.5
20113,376▲2.2198,970▲8.436.1
20123,309▲2.0187,339▲5.837.6
20133,244▲2.0176,368▲5.938.8
20143,179▲2.0165,088▲6.440.0
20153,078▲3.2147,812▲10.541.8
20162,977▲3.3135,990▲8.041.4

まずこの雑誌銘柄数だが、2016年の場合、週刊誌は81点で、その他の2896点が月刊誌となる。だが後者には月刊誌以外の不定期刊誌、ムック、コミックが含まれ、ムックとコミックは1シリーズが1点としてカウントされていることをふまえてほしい。
2000年代前半はまだ増加し、後半になると減少し始めているが、それでも3500点前後で推移していた。ところが2010年代に入ると、マイナスが続き、ついに3000点を下回ってしまったのである。

推定販売部数のほうはさらにドラスチックで、2001年から下げ止まらず、2001年の32億8615万冊から、16年にはその半分以下の13億5990万冊まで減少している。しかも2010年代に入ってからのマイナス幅は大きく、返品率は3年続きで40%を超えている。
書籍のほうは2010年代は39%から36%台で、40%を割っているので、返品率から見れば、雑誌の状況の深刻さが浮かび上がる。17年はさらに最悪の返品率となることも確実であろう。

このような雑誌の凋落とパラレルに起きているのは書店の減少で、アルメディアによれば、現在の書店数は1万2526店であるから、この10年間で4572店のマイナスとなる。その結果、書店のない地方自治体は2割を占める420に及ぶ。
雑誌の凋落の原因として、電子雑誌の成長も挙げられるが、最大の原因は1970年代と比較して半減してしまった書店市場に他ならない。しかもまだ減り続けていくだろうし、再販委託制による近代出版流通システムが限界に達していることを意味していよう。



3.太洋社の倒産処理の最終配当率は78.41%という異例の高配当で終了。

この数字は「地方・小出版流通センター通信」No.494で知ったのだが、そこには「先代が蓄積した財産を処分し、それなりの配当になった」のではないかとも記されていた。

昨年の太洋社の自主廃業から自己破産に至る経緯は、本クロニクル94、95で言及しているように、自己破産に至ったが、当初は自主廃業をめざしていた。つまりまだ体力のあるうちに事業整理を行なう予定で、そのための書店売掛金、不動産、有価証券などによる清算が目論まれていた。今回の最終配当率が高かったのは、おそらくそれらが当てられたのであろう。

これまでの鈴木書店、大阪屋、栗田の破産処理スキームと異なり、まだ資産のあるうちの自己破産が功を奏し、今回の高配当で破産処理を終えたことになる。先の「同通信」の言はそのことを伝えている。しかしこれは太洋社だけのケーススタディと見なしておくべきだろう。
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4.全国図書館大会分科会「公共図書館の役割と蔵書、出版文化維持のために」で、文藝春秋の松井清人社長が、図書館での文庫貸出をやめてほしいとの要望を表明。
 その根拠として、東京都3区1市の公共図書館文庫貸出率が示され、荒川区26%、板橋区22%、(新書を含む)、豊島区24%、三鷹市17%に及び、この流れが他の地域の公共図書館にも広がっている。
 今後さらに文庫貸出が増えれば、文庫収益が30%強を占める文春の売上にも少なからぬ影響を及ぼし、文庫市場の凋落は出版社だけでなく、書店や作家にとっても命とりになりかねないと訴えたとされる。

このような発言は本クロニクル103でふれた新潮社の佐藤信隆社長の公共図書館に対する新刊本の一年間の貸出猶予を求める要望、それに基づく書協の文芸小委員会による公共図書館宛の要望書の送付と同様に、単なるパフォーマンス以外の何ものでもない。新刊貸出猶予や文庫貸出中止などは、現在の公共図書館状況において、実現できるはずがないことは百も承知の上での発言だからだ。

本クロニクル108で示しておいたように、確かに文庫市場も3年続きの6%マイナスで、2017年は販売金額は1000億円、販売部数も1億5000万冊を割りこみ、最悪の数字となるだろう。しかしそれは図書館だけでなく、同108で指摘しておいた書店数の激減によっていることは明らかだ。

雑誌と同様に文庫もまた、書店の増加とパラレルに成長してきたのである。ちなみに明治末期に3000店だった書店は、昭和初期に1万店を数えるに至る。『文藝春秋』は大正12年(1923年)、岩波文庫は昭和2年(1927年)に創刊されたことは、それを証明していよう。
戦後の出版物の成長にしても、絶えず2万を超える書店という販売インフラが寄り添っていたのである。しかし1960年代に2万6000店を数えた書店は現在半減してしまい、昭和初期の1万店に近づきつつある。それこそが文庫もまた最悪の数字へと追いやった主原因に他ならない。

このような出版状況を直視することなく、公共図書館への文庫貸出中止の要請はファルスでしかない。
また『選択』(10月号)が、「マスコミ業界ばなし」で、9月に文春の松井社長から社員に召集がかかり、「雑誌だけでなく、単行本や文庫なども含めた書籍部門も振るわないため、松井社長が発破をかけた」とされる。
16年度は売上高257億円、純利益11億円だったが、17年度は売上高238億円、純利益8億7000万円で、赤字ではないものの、「全社的に息切れ状態」に陥っているようだ。

このような状況の中にあって、文庫出版の行方はどうなるであろうか。
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5.雑協は昨年初めて実施した12月31日の「年末特別発売日」は取りやめ、12月29日を最終発売日、1月4日から全国一斉発売すると発表。

昨年の「年末特別発売日」に関しては、本クロニクル103で疑問を呈し、同109でその「総括」がフェイクニュースに他ならないことを記しておいた。
雑協はこれまで今年も「年末特別発売日」を実施するとしていたが、出版社だけでなく、取次や書店からも疑問視され、また運輸事情も絡んで、中止せざるを得なかったことになろう。
雑誌の現在状況は2に示したとおりであるにもかかわらず、雑協はその現実を直視できていないし、書店が半減してしまったことが雑誌の凋落の大きな原因であることも、気づいていないかのようだ。
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6.16年度の貸与権使用料分配金額が、これまでで最高の23億5100万円となった。
 これはレンタルブック事業著作使用料を管理する出版物貸与権管理センターから分配するもので、契約出版社は46社。
 これらの出版社から著作権者にさらに分配され、15年は18億1000万円だったので、大幅に増加。なお1回目の2008年は5億2000万円だった。
 現代のレンタル店は2172店とされる。

TSUTAYAとゲオはほとんどがコミックレンタルを兼ねているので、現在のレンタル店のシェアは両社によって大半が占められていると考えられる。
しかしわずか1年で1回目を上回る5億4100万円の増大は何を意味しているのだろうか。それは店舗改革におけるレンタルコミック部門の急速な拡張、及びそれに伴うコミック読者の増加と見なすしかない。コミック売上の凋落も、電子コミックばかりでなく、レンタルコミックにも影響されているのだろう。


7.『日経MJ』(10/27)によれば、CCCは3月以降TSUTAYAを43店閉店し、10月半ば時点でさらに3店の閉店を予定しているとされ、CD、DVDレンタル市場の急速な縮小を伝えている。
 そのかたわらで、九州TSUTAYAが福岡の複合ビルに「六本松蔦屋書店」を開店。
 売り場面積800坪のうち、書籍雑誌は360坪、スターバックス200席、レコード店、ファッション、イベントスペースなどからなる。
 月商目標は3000万円。

この出店を取り上げたのは、TSUTAYAの出店で月商目標を初めて目にするからである。それが3000万円ということは年商3億6000万円、坪当たりの在庫50万円とすれば、総在庫は1億8000万円だから、2回転が目標となる。360坪で日商100万円、2回転の書籍、雑誌売場ではほとんど利益は上がらないと考えられるので、その他の複合によって採算をとるということなのか。

それからスタバとCCCの関係だが、書店ばかりでなく、図書館でもコラボしていることからすれば、CCCはスタバのFCなのかもしれない。
今月に入って、CCCとTSUTAYAのマスコミリリースと露出は目に見えて多くなっている。増田社長の新風会での講演、CCCの中国の出版社との合弁会社設立、Tカードプレミアム会員特典、TSUTAYAプレミアム、文具雑貨のTSUTAYAプライベートブランドなどで、これらは10月に集中している。

CCCはTSUTAYAで、812店、全チェーンで1250店を数え、Tカード会員6400万人を有するにしても、かつてない閉店ラッシュ、またここまで雑誌が凋落し、レンタルなどの複合も落ちこむ一方だから、当然のことながら、さらなる店舗リストラ、FCリストラは避けられないはずだ。その一方で、Tカードから離脱しようとする企業も出てきているようだ。

そうした中での様々なプロパガンダが、ここにきて前面に押し出されているのだろう。その渦中にいる日販とMPDはどこに向かおうとしているのか。


8.精文館書店の決算が出された。
 売上高196億円、前年比2.6%減。営業利益5億円、同11.3%減、当期純利益2億7600万円、同25.3%減の減収減益。

売上内訳は、書籍・雑誌は113億円、文具、セル、レンタル75億円だから、日販子会社、CCCFCの典型的複合店の現在ということになる。店舗数は50店で、1店当たりの書籍・雑誌販売金額は月商換算すると、1900万円を割り、日商は63万円である。しかも雑誌シェアが高い。それに文具、セル、レンタルを複合させてきたのだが、書籍・雑誌に加え、この3分野もマイナスとなり、既存店の不振もいうまでもない。

日販やトーハンの傘下書店売上はそれぞれ700から800億円に及ぶとされるが、ここまで雑誌が落ちこみ、複合のメインたるレンタルも同様となると、もはやビジネスモデルが揺らいでいるというしかない。これ以上の出店も同様である。


9.文教堂GHDの連結決算は299億円、前年比7.0%減。営業利益は8900万円、当期純利益は2400万円で、前年の赤字決算から黒字に転換。

新規出店は5店、閉店は8店、改装店舗は14店とされ、スクラップ&ビルドを推進し、アニメ関連に特化した業態店「アニメガ」が好調などによる黒字とされる。
しかし売上高は減少を続け、有利子負債もそのまま抱えているはずで、健全な黒字決算とは思えない。

精文館にしても文教堂にしても、いずれも日販の傘下にあるわけだが、来期の決算がどうなるのかが問われることになろう。


10.三五館が事業停止。
 1992年設立で、宗教、ビジネス、健康書などを出版し、2015年には売上高3億2000万円だったが、17年には2億5000万円まで減少し、今回の措置となった。負債は3億円。

もはや忘れられてしまったかもしれないが、三五館を設立した星山佳須也は情報センター出版局の編集長で、1980年代は星山と情報センターの時代でもあったのである。

情報センターの「センチュリイ・プレス」から椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』 を始めとして、村松友視『私プロレスの味方です』 、関川夏央『ソウルの練習問題』 、呉智英『封建主義、その論理と情熱』 、栗本慎一郎『東京の血は、どおーんと騒ぐ』 、南伸坊『さる業界の人々』 などに加え、ハードカバーとして藤原新也『東京漂流』 を刊行し、ベストセラーならしめている。
それゆえに栗本によって、「現代をリードするソーソーたる執筆陣を擁して出版業界に大旋風を巻き起こしている原爆的張本人」とまで称されたのである。

情報センター出版局は大阪で、『日刊アルバイト情報』から始まったとされる。そして「センチュリー・プレス」の創刊に至るのだが、いずれ1980年代の星山と情報センターのことは誰かが書いてくれるだろう。

さらば国分寺書店のオババf:id:OdaMitsuo:20171025211336j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20171025211852j:plain:h110 封建主義、その論理と情熱f:id:OdaMitsuo:20171025212837j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20171025213323j:plain:h110 東京漂流


11.産経新聞出版は潮書房光人社が新設分割する潮書房光人新社の株式100%を取得し、社長には産経新聞出版の皆川豪志社長が就任。

潮書房は1956年設立で、当初は戦記ものではないジャーナリズム月刊誌『丸』を刊行していた。この雑誌に関しては、井家上隆幸『三一新書の時代』(「出版人に聞く」16)でふれられている。その後経営者が代わり、戦記物へと転換した。
光人社は1966年に潮書房の戦記物単行本のために設立され、NE文庫も刊行していたが、今世紀に入って合併し、潮書房光人社となっていた。
どこに産経新聞出版が潮書房光人社を買収する理由があるのかはっきりしないが、出版物から考えれば、戦記物に求めるしかない。かつてのサンケイ新聞と戦記物とのジョイントする分野の出版を想定してのことのように思われる。
三一新書の時代


12.『出版月報』(9月号)が「日記・手帳 人気の背景」を特集しているので、それを紹介してみる。

*日記・手帳は出版社と文具メーカーと大きく2種類に分かれ、販路もまた書店、文具店、雑貨店、量販店(ホームセンターなど)と多岐にわたる。主要ルートは書店、文具店、量販店。
*出版社が刊行する書店ルートの市場規模は200億円、販売シェアは1.6%。ちなみに児童書や学参は5%であり季節商品としては安定したシェアを維持。
*2009年から7年連続で前年を上回り、この5年間の伸び率は12年7%、13年11%、14年8%、15年7%、16年2%のプラスで、手帳が9割を占める。
*高橋書店、日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)、博文館新社の老舗3社が点数、部数ともに突出し、販売金額シェアは高橋書店が40%超、JMAMが30%、博文館新社が10%で、3社80%以上を占めている。日記だけの場合、博文館新社が60%シェアとなる。
*日記は06年349点から16年162点と半減しているが、手帳は652点から1499点とこちらは倍増で、出版社は85社に及んでいる。
*返品率は25~30%。


何も印刷されていないといっていい日記や手帳が7年連続で売上を伸ばし、分野としても安定し、返品率も低いことは、現在の出版業界において、誠に皮肉なことだというしかない。それは活字の魅力が失われてしまったことを示唆してもいる。


13.『文化通信』(10/2)の「文化通信BB」が「長岡義幸の街の本屋も見て歩く」47で、大阪屋栗田が今年1月に立ち上げた少額取引店向けの卸サービス「Foyer(ホワイエ)」を紹介しているので、それを要約してみる。

*これは雑貨屋カフェなどの他業種が新たな商材として簡便に書籍販売に取り組めるように、商品代以外の初期費用ゼロ(取引信認金なし)で卸売りする新たな出版販売の仕組みである。
*東京港区のホテル「ザエムインソムニア赤坂」、鹿児島県の東シナ海の甑島の民泊・食料品店の山下商店、和歌山市のイベントスペースを改装した住宅の交流施設の本屋プラグ、静岡県袋井市の家具・雑貨店CoCoChi HIROOKA、熊本県阿蘇市の移動書店310BOOKS、世田谷区豪徳寺の「絵本と育児用品の店Maar(まーる)」など50店以上が取引。
*取引条件は正味83%、1回の注文2万5000円以上、送品時送料は大阪屋栗田、返品時は300枚2000円で購入したシールを1箱に1枚貼り、送料は店持ち。


本クロニクル107で、児童書専門店、個人の小規模書店、ブックカフェ、雑貨店の取次で、クレヨンハウスの子会社である子どもの文化普及協会を紹介しておいたが、さらにニッチのホワイエといてかまわないだろう。
単独での採算は難しいだろうが、大阪屋栗田によるひとつの試みとして、紹介しておく。
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14.『日経MJ』(10/18)が「第6回ネットライフ1万人調査」を実施し、「欲しいものはスマホの中」と題して3面にわたり、特集を組んでいる。
 それによれば、スマホ経由でインターネットを使う人が6割に迫り、若者を中心にしてスマホがコミュニケーションだけでなく、ほしいものを見つけて買う手段としても浸透しているという。
 ネットの買い物で総合的に使うサイトやサービスは楽天市場67.3%、アマゾン66.6%、ヤフーショッピング33%だが、10代ではメルカリなどのフリマアプリが大手ネット通販サイトに近い影響力を持つほど成長してきたことがレポートされている。

前回もマーケットプレイスとしてのメルカリに言及し、書籍などの「メルカリカウル」にふれた。実際に村上春樹の『騎士団長殺し』を検索してみると、アマゾンが数十冊であることに対し、メルカリは販売済も含めて千冊以上の出品がある。すでにベストセラーのリユース市場としてはメルカリのほうが量的に多く、値段も安い。しかもメルカリはトータルとして毎日100万点の出品があるというから、商品の移動とスピードはかつてない現象を生じさせているかもしれない。何と自著も9冊あった。
このような「欲しいものはスマホの中」にある「流通新大陸」が成長し続ければ、ユニー・ファミマHDが発表したサークルKとサンクスの664店の閉店ではないけれど、リアル店舗の大閉店時代を迎えることになるかもしれない。
騎士団長殺し



15.ヤマト運輸とアマゾンの運賃交渉は大筋合意し、値上げ幅は4割超となるようだ。
 

本クロニクル111で、ヤマトは1.7倍の値上げを要請したと記しておいたが、それでは合意できず、1.4倍という落としどころになったと考えられる。
ヤマトのアマゾン向け運賃は280円前後とされるので、400円を超えることになる。他の割引契約を結ぶ大口顧客1000社とも値上げ交渉を進め、7~8割は合意したとされる。また個人向け宅配便の基本運賃も荷物1個当たり140~180円(平均15%)を値上げしている。
佐川便も11月から値上げし、日本郵便のゆうパックもすでに値上げとなっている。
これらの運送業者の値上げは、出版流通にも大きな影響を及ぼしているようで、ある区間では2億5000万円の値上げになったと伝えられている。
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16.宮田昇『昭和の翻訳出版事件簿』(創元社)を読了した。
 

昭和の翻訳出版事件簿 出版社大全 文壇うたかた物語 逝きし世の面影

今回の著書は戦前の翻訳史への誤解をはらす一冊で、翻訳権のことなど、ある程度は無視して日本で出版されていたとばかり思っていたが、それなりの配慮があったことを教えられた。また戦後に関しても、具体的な例を挙げての真相究明で、まさに拳々服膺すべき「翻訳出版事件簿」といえよう。

『出版社大全』(論創社)の塩澤実信、『文壇うたかた物語』(筑摩書房)などの「文壇三部作」の大村彦次郎、『逝きし世の面影』(平凡社)の渡辺京二の3人に、宮田を加え、私は勝手に「四翁」と称んでいる。この4人は高齢社会にあって範とすべき翁たちであり、その中でも宮田は今回の著書を90歳で上梓している。さらなるご健筆を祈ります。



17.「出版人に聞く」シリーズ番外編としての関根由子『家庭通信社と戦後社会』の編集を終えた。
 年内に刊行は難しいかもしれないが、地方新聞の家庭面への記事配信をめぐる半世紀の物語である。ご期待下さい。

 今月の論創社HP「本を読む」㉑は「再びの丸山猛と須賀敦子」です。
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以下次号に続く

古本夜話716 高嶋辰彦『皇戦』

 藤沢親雄、スメラ学塾、「ナチス叢書」と続けてきたので、ここで本連載130でその名前を挙げている高嶋辰彦のことも書いておきたい。

 その前に昭和二十六年刊行の木下半治編『現代ナショナリズム辞典』(学生文庫、酣燈社)の中に、高嶋の名前も見えるスメラ学塾の立項を見出したので、紹介しておく。管見の限り、辞典類でのスメラ学塾の立項はここでしか目にしていないからだ。

スメラ学塾 末次信正が塾頭で、小島威彦(国民精神文化研究所)、仲小路彰らが中心。昭和十五年(一九四〇)五月に設立され、「日本世界史の建設的闘士の育成」を目的として。伏見猛彌、志田延義、大島浩、奥村喜和男、大佐高島(ママ)辰彦、大佐平出秀夫らが関係した。

 ちなみに『同辞典』には塾頭の末次信正も立項されている。それによれば、元海軍大将、連合艦隊司令長官、第一次近衛内閣内務大臣で、東亜建設国民連盟会長、大政翼賛会中央協力会議々長なども務め、極右派の巨頭の一人とされている。しかし高嶋は既述しておいたように、「陸軍抜群の俊才」でドイツ駐在武官だったことからすれば、末次ではなく、立項にも見え、前回もふれた大島浩の近傍にいたと考えられる。また昭和十三年頃には高嶋は参謀本部課長と国防研究室々長を兼ね、国民精神文化研究所のメンバーとも交流し、皇戦会をも立ち上げていた。立項に上がっている伏見猛彌や志田延義も国民精神文化研究所員だった。

 その昭和十三年に高嶋の『皇戦』が上梓されている。これは菊判函入り、上製二四六ページ、参謀本部部員/陸軍歩兵中佐高嶋辰彦著としての刊行で、サブタイトルとして「皇道総力戦/世界維新理念」が付され、奥付の版元と発行人は戦争文化研究所、清水宣雄とある。発売所は世界創造社で、これも前回ふれておいたように、雑誌『戦争文化』の発売所とされ、仲小路彰と小島威彦が立ち上げていたけれど、清水が社長を務めていた。清水は京大哲学科出身で、仲小路彰たちと同門であり、「ナチス叢書」の『ナチスのユダヤ政策』の著者だった。

 高嶋の『皇戦』はそのようなバックヤードを有して出版されたことになる。彼はその「序」において、本書の目的は「皇道に即する我が総力戦と、之れに依る世界維新に関する理念の検討」であり、「筆者がさゝやかなる軍務の体験に基き、敢て断片的なる素描を公にし、『皇戦』といふ大旆を掲げて、諸賢論駁の渦中に一石を投じる所以」だとしている。ここにサブタイトルの由来が求められるとわかる。

 その補足として、十三に及ぶ「用語解説」も置かれているので、「皇戦」を引けば、皇道に即する総力戦をさし、「すめらいくさ」「おほみいくさ」「くろうせん」と訓み、「聖戦」を意味する。また「皇道世界維新」とはこれも皇道に即する「世界新秩序の建設即ち八紘一宇実現の営み」とされる。それを貫徹するのが従来の武力戦に対し、「武戦」=武力、「政戦」=政治と外交、「経戦」=経済、「心戦」=思想、「学戦」=学術と科学などの有機的総合力による「総力戦」が提起されている。つまり「皇戦」とは皇道の名の下に、軍事、政治、経済、思想、学術、科学が総動員され、「世界新秩序の建設」=「八紘一宇実現」をめざすものなのだ。

 そのような視座から世界史や支那事変、日本や世界の情勢が考察され、総力戦の世界的趨向と本質が問われ、それから具体的な日本の総力戦のための皇戦機構の建設と対外国策へと結びつけられていく。しかしそのような論述の流れの中にあって、高嶋の特異な「俊才」をうかがわせるのは、総力戦が地政学的にまずは「東亜協同体の道義的建設」に向けられていること、英国が「本質に於いて最も洗練せられたる全体主義」にして「実に徹底した国粋主義の国」、ソ連邦を「必ず崩壊すべき悲劇的な存在」と見なしていること、ドイツとイタリアに対する「両国民共熱し易く、又冷め易き特性」への冷静な注視、ユダヤ陰謀論と日米必戦論を批判していることなどに顕著である。本連載でも大東亜戦争下のイデオローグたちの言説を見てきたけれど、このような高嶋の「不思議な俊才」ぶりは彼らと一線を画すものだといっていいだろう。

 そしてまた一方で、フランス革命以後の国民軍隊の出現による国民戦争への言及がある。すなわち国民国家の成立に依る軍隊の出現を通じて、国家と国民は連繋し、国家総力戦の過程に入り、それが第一次世界大戦として戦争の高次化にいたった。これはクラウゼヴィッツの『戦争論』(篠田英雄、岩波文庫)の延長線上にあると見なせるが、それに対し、高嶋はマルキシズムとソ連邦の戦争を置く。そして「在来の西欧流が戦争を外交の継続と見、武力を主と頼み、統帥と政治の相互侵犯を避け」ていたのに、ソ連邦は「戦争を内政の表現」「社会関係の一種」と考え、「戦争を平時に迄延長し、敵中に味方を求めて之れが内部崩壊を策するのがその戦争方式の要点」だと見なす。

戦争論

 この両者に対し、「皇戦」はそれらの「戦争段階を超越した最高次の絶対段階を目標とする」もので、「我が国ごころの絶対愛即ち『まこと』」に基づく。そのためには「阿片の如き西洋学を日本及東洋より一掃し」、「真正日本学」を確立しなければならないし、それが「我国知識人に課せられたる世界史的使命である。然らば知識人こそ皇戦戦線における最高の戦士である」という宣言に至る。

 此かる皇戦の目標は、一見現実の彼方にある空想の様に見えるかも知れぬ。然るに此の理念が、我が国に於ては肇国の大精神として儼として実在し、有史以来数千年の歴史の実践の上にもその儘顕現されてゐるのである。実に不思議の天賦と謂はざるを得ぬ。

 これこそがスメラ学塾に集まった知識人たちのエトスに他ならないと思われる。それゆえに、高嶋はスメラ学塾の仲小路彰と並ぶ突出した皇戦イデオローグだったのではないだろうか。

 『皇戦』の巻末ページに、やはり世界創造社発売として、仲小路彰『世界戦争論』、小島威彦『哲学的世界建設』、清水宣雄『アジア宣戦』が掲載されているが、これらの三著は高嶋の『皇戦』とコレスポンダンスしているにちがいない。これらもいずれ読むことができるだろうか。

 後に仲小路彰の『世界戦争論』は国書刊行会の復刻を見ている。
世界戦争論


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古本夜話715 八條隆孟『ナチス政治論』と「ナチス叢書」

 続けてもう一編、藤沢親雄絡みのシリーズのことも書いておきたい。それは本連載127でふれているアルスの「ナチス叢書」に関してで、その際には未見だった「同叢書」の一冊を入手したからだ。その一冊は昭和十六年刊行の八條隆孟の『ナチス政治論』である。同諸はドイツにおけるワイマール体制からナチス党の結成、国防軍の再建に至る過程を論じた、まさにその政治論だが、著者の八條については詳らかにしない。

 この「ナチス叢書」は駐独大使、陸軍大将の大島浩と本連載122、123の小島威彦を「責任編輯」とするもので、四六並製、各冊六十銭とされている。その巻頭には「ナチス叢書刊行の言葉」が置かれ、日本の「支那事変を契機とする皇道世界維新戦の発展」に呼応するように、「欧州全土を独伊枢軸ブロック」と化した。これは「世界史的転換」だと述べ、次のように続いている。

 ナチス・ドツは何によつて、かくも圧倒的勝利を獲得したか。これこそヒットラー総裁が、日独伊防共枢軸による、ゲルマン圏の確立によつて実現し得たものであり、しかも今や英本国攻略により、英吉利の植民地分離は、更に新しき世界長期戦に発展せんとする。
 まさに新興ドイツは、我が日本の国体を研究し、日本精神を体得し、光波遷都する旧欧州に、新しき世界を建設せんとする。
 かくしてドイツを知ることは、日本を知ることであり、また日本を知ることは、ドイツを把握することである。

 それを目的として、「ナチス叢書」は立ち上げられたことになるのだが、ここでは昭和十五年九月の日独伊三国同盟、とりわけ日独の関係が「皇道」の視座、すなわち「すめら せかい」として手前勝手に解釈されていることを示している。この問題は本連載116のヒットラーの『我が闘争』の翻訳と誤読へともリンクしていく。しかしそれはまた後述することになろう。

 さてこの『ナチス政治論』の巻末には「ナチス叢書」が五十冊以上リストアプされ、本来であれば、全点を挙げたいのだが、それは紙幅が許されない。その中でも既刊分には※印が付されているので、それらを挙げて見る。ここでも藤沢が著者の一人として顔を見せているが、これらの多くは入手するのが難しいと思われるからだ。これもナンバーは便宜的にふったものである。
 

1 末次信正 『日本とナチス独逸』
2 白鳥敏夫 『日独伊枢軸論』
3 小島威彦 『ナチス独逸の世界政策』
4 西谷彌兵衛 『ナチスの商業政策』
5 木村捨象 『独逸の資源と代用品』
6 クラウゼ 『ナチス独逸のスポーツ』
7 奥村喜和男 『国防国家とナチス独逸』
8 デュルクハイム 『独逸精神』
9 山本幹夫 『ナチス思想論』
10 ザール 『ナチス運動史』
11 八條隆孟 『ナチス政治論』
12 深尾重正 『ナチスの科学政策』
13 藤沢親雄 『戦時下のナチス独逸』
14 嘉門安雄 『ナチスの美術機構』
15 鈴木啓介 『独仏関係』
16 清水宣雄 『ナチスのユダヤ政策』
17 於田秋光 『実戦場裡のナチス』
18 川上健三 『ナチスの地理建設』

f:id:OdaMitsuo:20170922194451j:plain:h110(『ナチスの科学政策』)

 これらは昭和十六年五月時点での「既刊」で、「以下続々刊行」との明記からすれば、この他にもかなり多くを加えられるであろうが、最終的に何冊まで出されたのかは確認できていない。「ナチス叢書」の著者たちについてはやはり本連載127で、同125の「パリの日本人たち」、国民精神文化研究所とスメラ学塾関係者をメインとしていることを既述しておいた。またさらに分類すれば、同133の仲小路彰が孤小島威彦とともに立ち上げていて世界創造社、及び戦争文化研究所が創刊した『戦争文化』のメンバーも同様であろう。

 この『戦争文化』のことは本連載126でもふれているのだが、残念ながらいまだ見る機会を得ていない。ただ幸いなことに神保町系オタオタ日記」(2011・10・07)がその創刊号目次を掲載し、「ナチス叢書」の著者と重なる執筆者名を明らかにし、さらにそれらの人々の紹介もしているので、ぜひ参照されたい。

 またこれは未刊に終わったと思われるけれど、「ナチス叢書」の一冊として、坂倉準三の『ナチスの国土計画』がある。坂倉は「パリの日本人たち」の一人で、後のスメラ学塾の中心メンバーにして、ル・コルビュジエに師事した建築家でもあり、その近傍にいたのは岡本太郎だった。これは私見だが、二人が一九七〇年の万国博に深くかかわるようになったのは、「パリの日本人たち」とスメラ学塾の関係にも起因しているのではないだろうか。

 それからこの「ナチス叢書」へのまとまった言及を見ていないが、「責任編輯」を担った大島浩は、『現代日本朝日人物事典』などによれば、昭和十一年の日独防共協定の主唱者で、日独枢軸外交の要的存在だったが、敗戦後、A級戦犯として終身刑となり、昭和三十年に釈放されたという。たとえ名義だけだったとしても、この「責任編輯」者のA級戦犯、終身刑は「ナチス叢書」の出版社のアルス、著者関係者たちを震撼ならしめたにちがいない。アルスが戦後になって廃業してしまった一端はそのことに求められるかもしれない。
 

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古本夜話714 東洋図書と藤沢親雄『全体主義と皇道』

 本連載709の「国民精神文化類輯」の4『自由主義の批判』の著者は藤沢親雄だった。藤沢については本連載113、124などで、そのプロフィルを紹介しておいたが、その後昭和十五年に東洋図書から刊行された『全体主義と皇道』を入手している。その藤沢の肩書は文部省国民精神文化研究所、大東文化学院教授となっている。

 まず版元の東洋図書だが、巻末の五百点を超え、四〇ページにも及ぶ出版目録は高等師範に籍を置く著者が多く、この版元がそうした著者と教科書をメインとするものだとわかる。そのような出版物であるゆえに、こちらも馴染みがなかったけれど、念のために『出版人物事典』を確認してみると、奥付の発行者の立項が見出せたので、それを引いてみる。
出版人物事典

 【永田與三郎 ながた・よさぶろう】一八八八~一九四二(明治二一~昭和一七)東洋図書創業者。愛知県生れ。名古屋師範卒。小学校教諭、校長、岡山師範、奈良女高師に奉職後、出版業を目ざし、一九二三年(大正一二)大阪市南区安堂寺町に東洋図書株式合資会社を創業、教育図書の出版をはじめた。さらに、中学・高校・専門学校教科書出版にも進出、『裁縫精義』など好評を博し、同社の看板となった。二九年(昭和四)東京に進出、売文堂発行の『児童教育』を譲り受けて発行、東京文理大の機関誌『構成教育』も発行した。中等教科書協会理事、東京出版協会理事もつとめた。死後、弟の永田耕作(明治三三~昭和五九)があとを継ぎ、大阪出版業界の中心人物として活躍した。

 この立項によって、文部省国民精神文化研究所に籍を置いていた藤沢と東洋図書の結びつきが了解される。

 藤沢は『全体主義と皇道』の昭和十四年十一月付の「序言」において、支那事変の解決に当たって、「皇道及び国体の宇宙生命的秘儀」を実践し、「聖戦を遂行して東亜大陸の統一皇化を実現しなければならない」と述べた後に、次のように続けている。

 最近欧州に台頭せる新興諸国家の全体主義世界観は、明らかに我が皇国の国体を模範として構想し且つ実践に移したものであつて、この厳然たる事実は神ながらの皇道原理が「之ヲ中外ニ施シテ悖ラサル」絶対的原理であることを雄弁に物語つてゐる。我々はこの信念に基き、いよいよ「漂へるくに」の凶相を呈せんとするええ会を修理固成し、全人類をして皆その所を得せしむべく、積極的なる思想聖戦を推進せしめて行かねばならぬ。これが八紘一宇世界皇化の使命である。

 それからこの「神ながらの皇道原理」史観をベースとして、欧米における自由主義文明の崩壊、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、スペインの国民運動、支那の新民主義の概念がたどられ、俯瞰されていく。そして当然のことながら、「八紘一宇世界皇化の使命」を果たすべく、それらは皇道へと収斂していく。「八紘一宇」とは世界をひとつの家族とする大和民族の大理想の現代的実現に他ならない。欧米の民主主義国家は「覇道的金権的政治体制」、ソ連共産主義国家はさらに堕落して出現した形態だが、日本は「すめらみくにの根本原理」に基づく「世界最高の道義国家」であり、それが現在において「東亜新秩序の建設」へ向かっていることになる。

 かくして「皇道」のもとにある日本人も次のように規定される。

 天皇が神ながらに即ち万世一系に承継せられる宇宙元生命より派生せる分霊存在が自分等であると言ふ深き自覚をもつ日本臣民は、各々其の特色を自由に発揮しつゝ、元霊的御存在たる天皇に帰一還元して、「天業」を扶翼せんとする生命的衝動に駆られざるを得ない。(中略)かくて天皇が道の陽作用を表現せられてゐるのに対して、臣民は道の陰作用を表現してゐる。これが「臣道」即ち臣民の行ふべき道である。

 これが「皇道」における天皇と日本人の関係ということになる。それによって成立する国体が「普遍的真理の顕現体」であり、まさに「八紘一宇」とはこの「皇道の世界光被」を意味し、それが「新しき政治学と国家学と法律」を生み出すことになるのだ。

 本連載709の鹿子木員信『すめら あじあ』や同710の河野省三『すめら せかい』よりも、藤沢の「皇道」はその軌跡に由来する乱反射を帯びているように思われる。これは本連載113でも既述しているけれど、藤澤は東大時代に吉野作造門下で新人会に属し、農商務省に入り、国際連盟に赴いている。その後ベルリン大学で哲学博士号を取得し、九大教授を経て、国民精神文化研究所へと至っている。それらの動向とパラレルに日本民族の出自はムー大陸にあるとし、本連載113で挙げたゼームス・チャーチワード、仲木貞一訳『南洋諸島の古代文化』(岡倉書房、昭和十七年)の出版も仕掛けているし、また同114のローゼンベルク『二十世紀の神話』の影響を受け、それが「国体の宇宙生命的秘儀」といったタームにも表出しているのだろう。 またユダヤ人問題の関わりから、「漂へるくに」なる言葉も使われていると推測される。

 藤沢の軌跡をたどってみると、「皇道」との出会いによって、民本主義、左翼から国際連盟に至るプロセスがすべて転回され、大東亜戦争下の倒錯的言説の磁場において、特異なイデオローグの一人であったことになろう。

 ちなみに藤沢の名前は意外なところにも見出せる。ヴィルヘルム・ライヒの『ファシズムの大衆心理』(平田武靖訳、せりか書房)において、ライヒは『ニューヨーク・タイムズ』の日本に関する帝国主義的イデオロギーの紹介を引用している。そこに藤沢が出てくるのだ。そこで書名は明記されていないけれど、「彼の小冊子はアドルフ・ヒトラーの『わが闘争』の日本版」と呼ばれている。この小冊子は藤沢のどの著書に当たるのだろうか。
ファシズムの大衆心理


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