出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

 3 アンドレ・シフレン『理想なき出版』

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の原書『Embracing Defeat』は一九九九年にハードカバーとして出版され、翌年にペーパーバック化されている。私が入手したのは後者で、これはニュープレス社発行、ノートン出版社発売となっている。

Embracing Defeat 敗北を抱きしめて<上> 敗北を抱きしめて<下>

ニュープレス社は、人文書出版のパンセオン・ブックスを主宰していたアンドレ・シフレンが九〇年代初めに設立した出版社で、十年間に三百点を超える書籍を刊行している。またシフレンは、ニュープレス社を興すに至るアメリカ出版界の変容の実態をつづったThe Business of Booksをやはり二〇〇〇年に著わし、それは『理想なき出版』(勝貴子訳、柏書房)として、〇三年に翻訳されている。たまたま刊行時に書評(『東京新聞』6月23日)を求められたので、まずはそれを再録する。
理想なき出版

 必然的に少部数から始まらざるをえない人文書の出版が危機を迎えているのは、日本ばかりでなく、アメリカも同様であり、本書はアメリカの出版業界がこの半世紀の間にどのような変貌をとげてきたかを伝えてくれる。
 著者のアンドレ・シフレンは、亡命ロシア人の父親が創業したパンセオン・ブックスを引きつぎ、九〇年にニュープレス社という独立系出版社を立ち上げ、その六〇年代から現在にかけての編集者、出版者の体験をコンパクトに報告している。
 アメリカのかつての出版業界は、小出版社と個性的な独立系書店が連携し、図書館、ブッククラブ、ペーパーバック出版社によって支えられていた。この時代に出版はミニであっても、知的、文化的に社会に貢献するという使命感にあふれていたが、その後メディア・コングロマリット産業による買収が始まり、人文系小出版社もその傘下におかれることで、ミニからマスへとひたすら利益を追求する、娯楽や情報にベースをおく消費財的な本を作らざるをえない状況に追いやられる。それと同時に、これまた利益を追求するだけの画一的な大型書店チェーンの台頭により、都市の独立系書店が次々と姿を消していく。つまり、「理想ある出版」から「理想なき出版」へと向かったのがアメリカの出版業界の近年の歴史であり、この現象は日本の出版業界と酷似している。
 こうした出版状況に対抗しようとして、シフレンは独立してニュープレス社を起こすわけであるが、それを支援する若者たちの無償の協力と五十近くの財団、援助機関、小出版社を支える取次の存在があり、アメリカではまだ理想の出版をめぐる共同体が機能していることを教えてくれる。しかし日本ではもはやそうした可能性も残されておらず、出版の危機は日本のほうが深刻であるように思われる。本書の内容からすれば、邦訳タイトルは「理想の出版を追い続けて」とでもしたほうがよかったのではないだろうか。

これは新聞書評ということもあり、本の紹介に比重が割かれているので、少しばかり補足してみよう。アメリカの人文書出版はヨーロッパからの亡命者を抜きにしては語れない。カフカの作品を初めて刊行したドイツ人出版者クルト・ヴォルフはナチスに追われ、アメリカに亡命し、一九四二年にニューヨークでパンセオン・ブックスを立ち上げる。それにシフレンの父ジャックも加わることになる。

ジャックはユダヤ系ロシア人で、第一次世界大戦後にフランスに渡り、プレイヤード出版社を設立し、ロシア文学を始めとする世界文学の古典の仏訳を刊行して成功を収めた。だが限られた資金で対応できなくなり、ガリマール書店に企画とともに移籍する。これがガリマール書店の柱ともいうべき「プレイヤード叢書」の始まりである。しかしドイツがフランスを占領するに及んで、やはりアメリカに亡命する。

二人の亡命者は力を合わせて、フランスやドイツの文学作品を刊行して基盤を固め、戦後になってリンドバーグ『海からの贈り物』やパステルナーク『ドクトル・ジバゴ』の国際的ベストセラー化もあり、六一年にパンセオン・ブックスはランダムハウスに買収される。

シフレンは別の大手出版社を経て、すでに父も他界し、ヴォルフも去ったパンセオン・ブックスにリクルートされ、二人よりもさらに広範なヨーロッパ人文書の翻訳を主とする新たなパンセオンをスタートさせ、軌道に乗せる。それらはギュンター・グラス『ブリキの太鼓』、E・P・トムソン『イギリス労働者階級の形成』、R・D・レイン『経験の政治学』、M・フーコー『狂気の歴史』、スウェーデンミステリ「マルティン・ベックシリーズ」などで、アメリカの著者たちも開拓され、スタッズ・タケルやラルフ・ネーダーやチョムスキーの著作も刊行されていき、パンセオンはアメリカの知的運動と併走する出版社のひとつになった。

しかしその一方で、親会社のランダムハウスの買収が相次ぎ、八〇年代になると、その影響がパンセオンにも及び、シフレンは書評に述べたように、ニュープレス社設立に至るのである。

ニュープレス社はほぼ十年間で、三百点以上の書籍を刊行し、その一冊が『敗北を抱きしめて』ということになる。シフレンの記述によれば、ジョン・ダワーもパンセオン時代の著者で、『人種偏見』(ティービーエス・ブリタニカ)を出していた。だが既述したように、『敗北を抱きしめて』は性的メタファーを乱用した「人種偏見」に基づく「オリエンタリズム」に充ちているのではないだろうか。その事実はシフレンの出版者としての見識を疑わせるものだ。
人種偏見
なぜならば、『オリエンタリズム』(今沢紀子訳、平凡社ライブラリー)を刊行した出版社はGeorges Borchardt Incだが、サイードの「謝辞」に「パンシアン・ブックスのアンドレ・シフリン」は「理想的発行者」として、名前が挙げられているので、サイードの定義する「オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式である」ことを承知しているはずだ。「オリエント」を「日本」に置き換えれば、それは『敗北を抱きしめて』にそのまま当てはまるものだ。
サイードは第三章の「今日のオリエンタリズム」のエピグラフに、コンラッドの『闇の奥』(中野好夫訳、岩波文庫)の一節を揚げている。その前半だけでも引用してみる。

オリエンタリズム上 オリエンタリズム下 闇の奥

 この地上の征服とはなんだ? たいていの場合、それは皮膚の色の異なった人間、僕等よりも多少低い鼻をしただけの人間から、むりに勝利を奪いとることなんだ。よく見れば汚いことに決まっている。

そしてコンラッドは「征服の背後にある一つの観念」に言及している。それこそが「オリエンタリズム」でもあり、日本の占領の背景にあったものではないだろうか。だからダワーの『敗北を抱きしめて』は、シフレンも深くかかわったと推測されるサイードの『オリエンタリズム』からはるかに後退し、その影響はまったく見られず、「オリエント」=「日本」の占領のステロタイプ化に終始し、新しい発見も表象もないアメリカ国内向けの心地よい日本占領の啓蒙的著作のように思われる。

だがそのような著作にピュリッツァー賞ばかりか、歴史関係では最高の賞とされるバンクロフト賞や全米図書賞などまで受けていることを知ると、アメリカにとって日本の占領は日本人が「敗北を抱きしめて」くれた成功と勝利の体験であり、それがアメリカの集合的歴史記憶となっていることがわかる。そして優れた編集者と出版社がかならずしも優れた書物だけを刊行している訳ではないことを教えてくれる。

それなのに日本の出版社の有志たちがシフレンをアメリカ出版界のマッカーサーのように招待し、彼の講演を主宰している。少なくとも『敗北を抱きしめて』をまともに読んでいれば、そのようなことは実行できなかったはずなのに。

さらに付け加えれば、『オリエンタリズム』は同時代の特異な映画に投影されているのではないだろうか。周知のように、フランシス・コッポラはエピグラフに引用されたコンラッドの『闇の奥』を原作として、ベトナム戦争を描いた『地獄の黙示録』を撮った。おそらくアメリカの「征服の背後にある一つの観念」を映像化しようとして。『オリエンタリズム』の出版は七八年、『地獄の黙示録』は七九年に公開されている。両者は明らかにバイブレーションしているし、コッポラはサイードのコンラッド論を読んでいたにちがいない。

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