『三つの道』に象徴的に表われたギリシャ神話や悲劇、及びアメリカ特有の精神分析的自我心理学を物語のベースにすえ、「リュウ・アーチャーシリーズ」は書き始められたと考えていいだろう。
それらはシリーズの第二作『魔のプール』において、はっきりとした言葉として、これもクロージングの場面における殺人を犯した娘とアーチャーの会話の中に表出している。『魔のプール』は原書The Drowning Pool ( Bantam Book , 1970 ) を持っているので、その部分を私訳してみる。
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「あなたは私をどうするつもりなの? 私は死ぬべきだわ。私は本当に祖母を憎んでいたし、殺してやりたいくらいだった。父を小さい時から支配するように育て、今の父にしてしまったのよ。オイディプス・コンプレックスがどんなものだか、あなたは知っている?」
「知っているよ、エレクトラ・コンプレックスもよく聞いている」
マクドナルドはリュウ・アーチャーの出発がハメットやチャンドラーの模倣から始まったと様々に告白している。確かにアーチャーの名前は、ハメットの『マルタの鷹』におけるサム・スペードの共同経営者の探偵から取られ、『動く標的』や『魔のプール』の書き出しは、チャンドラーの『大いなる眠り』や『かわいい女』の冒頭を想起させる。
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だが引用した会話の部分は、ハメットやチャンドラーには見られないマクドナルド固有のコアが表出し、これからのリュウ・アーチャーの物語世界の在り処とその展開を暗示していた。しかしその物語の中に入って行く前に、最小限のオイディプス・コンプレックスなどの用語の説明が必要だろう。
だからこれも前回使用した『精神医学事典』(弘文堂)などを参照し、若干の説明をしておこう。オイディプス・コンプレックスはフロイトによって提出された精神分析の基本概念で、周知のようにソフォクレスの『オイディプス王』から取られている。捨てられた子供であるオイディプスは知らずに父を殺し、母と結婚して子をなし、やがて真相を知り、両目をえぐって放浪の旅に出るという悲劇に由来し、異性の親に対する愛着、同性の親への敵意、罰せられる不安といった複合的観念を意味している。オイディプス・コンプレックスには陽性と陰性があり、前者は男の子が母に愛着して父を憎悪し、女の子が父に愛着して母を憎悪するが、後者はこの関係が逆転し、男の子が父に愛着して母を憎み、女の子が母に愛着して父を憎む。
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フロイトのこのオイディプス・コンプレックスをハルトマンなどの自我心理学は幼年期における母親との相互関係に集約し、それによってパーソナリティの基本構造、対人関係パターン、神経症や精神病の素因が形成されると見なすに至った。
またエレクトラ・コンプレックスはユングの命名した概念で、幼年の女の子の両親に対する態度の中に、男の子のオイディプス・コンプレックスに相当する同性の親への敵意や異性の親への愛着が認められるというものだ。
『魔のプール』の物語も事件も、これらのオイディプス・コンプレックスとエレクトラ・コンプレックスによって組み立てられ、引用した会話はそのことを象徴しているのである。したがってリュウ・アーチャーはそれらのコンプレックスが様々に形成した家族を凝視する私立探偵の役割を負うことになり、その眼差しの深化によって、アーチャー物語はハメットやチャンドラーとまったく異なるハードボイルド小説へと転位していく。
その決定的転換について、マクドナルドは第七作の『ギャルトン事件』を挙げているが、私はその前作『運命』からだと見なしたい。この二作は一九五八年、五九年と続けて刊行されているが、実は五六年二月マクドナルドは娘のリンダをめぐる大きな事件に遭遇してしまったのだ。
この事実もTom Nolan, Ross Macdonald : A Biography (Poisoned Pen Press) が明らかにするまで、ほとんど知られていなかった。マクドナルドと同じく作家であるマーガレット・ミラーの一人娘として育てられたリンダはサンタ・バーバラの高校に通い、幸せそうに見えた。十六歳になった彼女は車好きで、フォードに乗り、次第にスピード違反の常習者になっていた。それだけでなく、秘かに不良少年たちと性的体験も重ね、服装、髪型、化粧もはすっぱな感じになり、酒やドラッグにまで手を出すようにもなっていた。しかしマクドナルドはリンダを理想化していたこともあって、その一面しか見ておらず、常に彼女をかばい続けていた。ノーランはマクドナルドの家庭がオイディプス的状況にあったことを暗示するように書いている。その部分を私訳してみる。
彼はよき父にして、よき夫であることに全力を傾けていた。しかしそこにはいくつもの問題が生じた。そのふたつの役割は時によって、相いれないもののように見えた。マギー(マーガレット―訳注)は「嫉妬深く排他的な愛」を強く求めていた。そして彼は妻が「よくないことに父と娘の関係に当然のごとく近親相姦的な含み」を示すのは神経過敏だと考えていた。「一方でリンダは両親の性生活を不快に思い、嫉妬するようになっていた」。ミラー(マクドナルド―訳注)は書いている。「普通の家庭生活の終わりを知ることはつらかった。」
おそらくマクドナルドは自らが陥ったオイディプス的家族状況を再現しないために努力し続けていたにもかかわらず、それは運命のように娘によって繰り返されてしまったのだ。はからずも先に引用した『魔のプール』の会話を思い浮かべたかもしれない。世間から離れて、小説に没頭する両親へのリンダの反発が原因で、悲劇の舞台の用意がなされていたとノーランは述べている。
五六年二月二十二日の夕方、リンダに両親もよく知っている女友達から家でカードをするから来ないかという電話が入り、彼女は車で出かける。だが飲酒運転で、二人の少年を轢き逃げし、車と衝突事故を起こし、病院に送られる。少年の一人は死亡していた。
この事件をめぐって、両親が著名な作家であったことが加わり、マスコミは連日の報道に及び、マクドナルドは娘を守るために弁護士を雇い、大金を工面し、死亡した少年への賠償金にあてた。リンダを診た心理学者によれば、彼女はとても優れた知能を有しているが、分裂症的パーソナリティ体質だった。そして事故前後の記憶がはっきりと戻らず、別の男が運転していて逃げたという目撃証言もあるにもかかわらず、真相は不明のままで、ノーランもまたどちらが運転していたのかの結論も出していない。
この轢き逃げと十三歳の少年の死亡に対して、リンダは有罪となり、八年間の保護観察処分に付された。『運命』はリンダの事件を背景にして書かれ、それは苦悩と内省に充ちた父と娘の記録でもあり、新しいアーチャーの物語を開示するに至ったのだ。
『運命』はアーチャーが「檻に閉じこめられている無毛のサルの夢を見ていた」という記述から始まっている。その夢は精神病院を脱走し、まだ夜明けにもなっていない時間に訪れてきた青年カール・ホールマンによって破られる。彼は最近死んだ上院議員の父の調査を依頼にきたのだ。しかしカールはどう見ても精神病患者だった。だからアーチャーは病院に戻るように説得し、その上であらためて彼の父の死亡調査を引き受けると約束した。だが病院に着くなり、カールはアーチャーに襲いかかり、気がついてみると、アーチャーは病院の前の溝の中にいて、自動車と拳銃を奪われていた。
カールと一緒に脱走したのがヘロイン患者トムで、トムはアーチャーのかつての知り合いで、自動車窃盗を犯し、有罪宣告を受けた時、執行猶予がつくように助力し、人間としてその生き方を教えようとしたこともあったのだ。このトムの存在は『運命』の事件そのものがアーチャーの過去に起因している事実を告げていよう。
アーチャーがホールマン家に接近する中で、カールの兄の射殺事件が起き、その母が海に投身自殺したこと、父の死の真相も明らかになる。そしてさらに兄の妻も殺され、カールも発見され、アーチャーは四人を殺した犯人にたどりつく。それはカールの妻ミルドレッドだった。『運命』の最後の部分にあたる第三十二章から三十四章にかけては、アーチャーとミルドレッドの会話、もしくは彼女の告白とそれに聞き入るアーチャーの心的現象が重なり、進行していく。
ミルドレッドは語り出す。幼い頃に自分を捨てていった父、失われた夫と子供、子供を産むことは罪だと言って、義母が聞かせた詩を。以下の引用は中田耕治訳による。
永久の眠りを眠るべし
運命の司は現世のわれらのまわりに
労苦と はた 悲愁を積むなれば
中田はこれが「未だ生れぬ貧民の子に」という詩の一節で、「運命の司」=Doomsters が本来の原題であり、ハーディは「神」というべきところをDoomstersとよぶと注に記している。ミルドレッドは続けて語る。
「誰が書いたものか知らないけれど、この詩は二度と頭から離れなくなってしまったわ。
未だ生まれない子供に対して書かれた詩ですって。悲愁(ティーンズ)というのは傷心と苦しみを意味するもので、この世に生まれてくる子供たちはみんなそういったものを嘗めなければならない。運命の司(ドゥームスターズ)がそれを見てるんだって。あの女は運命の司というものが本当に存在しているみたいに、そのことばかり話したわ。私たち二人並んですわって、海を眺めていたの。その時の私には、その運命の司が黯い海のなかからあらわれてきて星屑のなかに妖しく消えていくのがまざまざと見えるような気がしたわ。人間の顔をした異形の者が。」
オイディプスとエレクトラの物語をドゥームスターズが見ている。私立探偵リュウ・アーチャーはもはやヒーローではありえず、過去についての思索者、犯罪の悔悟を聞く神父のように存在している。三年前にトムは海辺の二人を目撃し、それをアーチャーに伝えようとしていたのだ。アーチャーの過去と自分の『運命』の物語がそこでつながる。
「私たちのすべてが罪人なのだ。私たちはそうして生きることを学ばなければならないのだ」。そして『三つの道』で、ポーラがブレッドを抱擁したように、アーチャーはミルドレッドを抱きしめるのだ。
この『運命』こそはマクドナルドとリンダの物語に他ならず、次作の『ギャルトン事件』もその変奏曲と見なすことができるだろう。
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